2017年6月27日火曜日

1898: スペイン領フィリピン最後の日

1898: スペイン領フィリピン最後の日
1898. Los ultimos de Filipinas
2016年 オーストラリア/アメリカ 139分
監督:サルバドール・カルボ

1898年、マニラからおよそ200キロ離れたバレルで守備隊がタガログ人武装勢力の襲撃にあって全滅した、ということで新兵ばかりで構成された新たな部隊が送り込まれるものの、スペイン人部隊はタガログ人の数に圧倒されてバレルの中心にある教会に後退、ここを要塞化して籠城を始め、そうするあいだに米西戦争でスペインが敗北、フィリピンは2000万ドルでアメリカに売り渡され、しかしバレルでスペイン軍を指揮するモレナス大尉はフィリピン独立派との戦争は終わった、というタガログ人の主張もフィリピンはすでにスペイン領ではないので撤退せよ、というスペイン軍の命令もマニラで発行された新聞もことごとく欺瞞であると言って退けてあくまでも籠城を続けるので、包囲されて補給を絶たれたスペイン軍部隊では水腫型の脚気が蔓延して死者が続出、タガログ人部隊の襲撃や山砲による砲撃に耐えながら、おそらくはおのれの無能を訂正する機会を失ったまま一年近く無意味にがんばる。 
Netflixで鑑賞。映画ではバレルのスペイン人部隊が50人、包囲するタガログ人部隊も数百人程度という感じで描かれ、舞台になるバレルもほとんど小村という感じになっているが、実際の状況はもっと大規模だったらしい。とはいえ、攻守双方でそれなりにキャラクターが立っているし、特にスペイン側の精神崩壊ぶりがなかなかの表現になっていて見ごたえがある。

Tetsuya Sato

ハクソー・リッジ

ハクソー・リッジ
Hacksaw Ridge
2016年 オーストラリア/アメリカ 139分
監督:メル・ギブソン

ヴァージニアの田舎町で生まれたデズモンド・ドスは第一次大戦のPTSDに苦しむ父親の暴力に耐えながら信仰に篤い若者に育ち、看護師ドロシー・シュッテとの恋に落ちてまもなく婚約、その背後では第二次大戦が進行中で、弟が出征するとデズモンド・ドスもまた志願し、しかし良心的兵役拒否者として武器を取ることを拒むので上官などから嫌がらせを受け、命令を拒否したという理由で軍法会議にかけられるがデズモンド・ドスは信念で主張を押し通し、看護兵としてのみ働くことを認められて1945年5月、沖縄の戦いに送られて前田高地の戦場で戦友多数の命を救う。
後半、戦闘が始まるとその絵画的な描写にときおり息を呑んだが、見終わった感想を言えば、なにか物足りない。序盤の展開などは『ブレイブハート』とほぼ同じだというのに、この華のなさはなんなのか。このような見方はあまり適当ではないのかもしれないが、映画の企画自体がもともとセブンスデー・アドベンチスト教会からの持ち込みで、そのセブンスデー・アドベンチスト教会の聖人伝説をカトリックのメル・ギブソンが監督しているというところに収まりの悪さがあるのかもしれない。悪い映画だとは言わないが、最後の「昇天」場面には少々引いた。
Tetsuya Sato

2017年6月5日月曜日

The Brink/史上最低の作戦

The Brink/史上最低の作戦
The Brink
2015年 アメリカ 1シーズン10話
監督:ジェイ・ローチ、マイケル・レーマンほか

アメリカがひそかに化学攻撃をおこなっていてパキスタンの男たちから性的能力を奪おうとしていると信じる軍人ザマーンがクーデターを起こしてパキスタンの政権を奪取、とりあえずテルアビブに核攻撃をすると宣言するのでアメリカは第五艦隊に出動を命じてパキスタンの核施設破壊を計画するが、下半身にまったく抑制がなくてアジア人の女に絞殺されることを考えて興奮するラーソン国務長官はピアース国防長官と激しく対立して平和裏に解決することを提案、心がひどく動きやすい大統領はラーソンに時間を与え、イスラマバードでかつてラーソンの女衒として活動したことがある在パキスタン大使館職員で国務省下級職員のアレックス・タルボットがまったくの偶然からザマーンの病歴を記したカルテを手に入れると、ラーソンはタルボットに対してザマーンの弟でラーソンの大学時代の学友であったラジャとの接触を命じ、ラジャにクーデターを起こさせてザマーンを排除しようとたくらむが、そのあいだにインド洋から偵察に飛び立ったF-18は飲むべき薬を間違えたせいでインド軍のドローンを誤って破壊したあとパキスタンの対空砲火を浴びて撃墜され、脱出したパイロットはタリバンの支配地域に降り立って正体不明の状況に出会い、インドの外相はラーソンが自分を侮辱し続けていると憤慨し、中国軍はカシミールの部隊を増強し、イスラエルはイスラエルで先制攻撃の準備に移り、アメリカ軍も総攻撃の準備を整え、気がついたらロシア軍がエストニア国境に集結していてエストニアのことは我々にまかせてくれと言ってくるので、これはもう第三次世界大戦は避けられない、というHBO製作のミニシリーズで、1話30分、全10話のシットコム。
パイロット版の監督をジェイ・ローチが担当し、残る7話のうちの4話をマイケル・レーマンが担当している。ラーソン国務長官がティム・ロビンス、アレックス・タルボットがジャック・ブラック。ティム・ロビンスがこれまでに見たなかでは最高にいい。プロットはワシントンからニューデリー、テルアビブ、ジュネーブ、再びワシントンと飛び回るラーソン国務長官、イスラマバードでパキスタンのインテリ一家から激しい軽蔑を浴びせられる俗物アレックス・タルボット、最高のパイロットと言われながら、実際のところパイロットなのか麻薬の売人なのかよくわからないF-18のパイロット、ジークの3軸で進み、その周辺には結果を予想しないで自動的に思考する政治的怪物多数が出現する。素材の組み合わせの複雑さ、展開の小気味のよさ、そしてなによりも頭のよさがとにかくうれしい傑作である。
Tetsuya Sato

それでも、愛してる

それでも、愛してる
The Beaver
2009年 アメリカ/アラブ首長国連邦 91分
監督:ジョディ・フォスター

玩具メーカーの二代目経営者ウォルター・ブラックは重度の鬱に陥り、あらゆる治療も効果がないということで家庭生活も次第に崩壊、妻メレディスから家を出るように言い渡されてホテルの一室で自殺を試みたところ、いつの間にかその左手にはまっていたビーバーの手踊りがウォルター・ブラックを負け犬と罵り、社会復帰のための手助けをすると宣言するのでビーバーの指図にしたがったところ、経営が傾いていた会社は業績を一気に回復、父親から心が離れていた幼い次男はビーバーを慕い、妻メレディスもまたウォルター・ブラックへの愛を取り戻すが、会話のすべてを媒介するだけでは足りずに夫婦の行為にももぐり込むこのビーバーをどうにも許容することができない上にビーバーは頑としてウォルター・ブラックから離れることを拒むので夫婦関係はまたしても破綻、一方、ウォルター・ブラック本人もまたビーバーの圧力に耐えることができなくなってくる。ウォルター・ブラックがメル・ギブソン、メレディス・ブラックが監督兼のジョディ・フォスター、長男ポーターが『オッド・トーマス』のアントン・イェルチン、同じ高校の生徒で心に闇を抱えているのがジェニファー・ローレンス。手堅くまとめられてはいるが、左腕に別人格をくっつけた父親と、依頼主になりきってレポートの代筆をしては小遣いを稼ぐ長男との対照性を中心に、全体の構成がややメカニックに見えた。加えて中心となる対照性への干渉を軽くするためか、ジョディ・フォスターの役どころが微妙に後退しているが、そのせいでこの妻はときどき単なるわからず屋に見えてくる(たかがビーバー一匹でうろたえるとは情けない、とうちのクマたちは言っている、それに比べたらうちのおくさんなんか、とうちのクマたちは言っている)。演出面での手堅さとメル・ギブソンの鬱演技とジョディ・フォスターがちらちらと登場するところを除くとあまり取り柄はない、というのが正直な感想になると思う。ところでメル・ギブソンが左手にビーバーの手踊りを装着するためには鬱病という前提が必須の条件だったのか、少々疑問に感じている。まずこの主人公の鬱病の来歴が明らかにされていないし、治療の効果がないといっても、どう効果がないのかも明らかにされていない。ただ鬱病だというだけで、典型的な症状をつまみ食いしているだけで、鬱病という設定が十分な説得力を備えていないので、これではこの映画の作り手は、鬱病のひとは自分では言えないことを言うためにビーバーの手踊りを必要としている、と考えていると思われてもしかたがない。同じ状況を作るためなら、鬱病は決して必須の条件ではなかったはずである。二代目のストレスを抱えた玩具メーカーの社長が自社で開発されて企画段階で没になった手踊りをふと左手にはめてみたら、ということでも全然問題はなかったはずである。あともうひとつ、ここがいちばん肝心なところかもしれないが、妻に家を追い出されたウォルター・ブラック氏がホテルの浴室で自殺を試みるとき、すでに左手に手踊りがはまっている。いったいいつ、どんな経過でそうなったのか、映画はまったく説明していない。もちろん、ウォルター・ブラック氏がゴミ箱でこの手踊りを発見したとき、ウォルター・ブラック氏の左手にはすでにビーバーが生えていたのだ、という解釈も成り立つし、事実そのような主旨での演出なのかもしれないが、鬱病が必然性を備えていないのと同様に、ここにも説得力はない。映画本体はしっかりしているのに細部が微妙、というのは『マネーモンスター』にも共通しているが、こういうところがジョディ・フォスターの癖だとは、正直なところ、あまり考えたくはない。
Tetsuya Sato