2017年5月29日月曜日

ウォー・マシーン: 戦争は話術だ!

ウォー・マシーン: 戦争は話術だ!
War Machine
2017年 アメリカ 122分
監督:デヴィッド・ミショッド

アフガニスタン多国籍軍の司令官に任命されたグレン・マクマホン将軍はアフガニスタン各地を視察して自分なりに状況を把握、勝つためには新たに40000人の投入が必要であると判断するが、政策としてすでに撤退が決まっているところでそれはないという政府外交筋の抵抗に出会い、それでも説得を続けて若干の増派を確保すると、それでは足りないということでNATO諸国に増援を求め、フランス、ドイツから承諾を得て部族支配地域で作戦を開始、武装勢力との交戦で民間人に死者を出し、ローリングストーン誌にはヨーロッパ行脚中のご乱行を暴露され、ということで退路を失い解任される。
NETFLIXオリジナル。アフガニスタンというややこしい状況を背景に生真面目な職業軍人の思考やその軍人を取り巻く人物環境、政策と軍政との避けがたい温度差など、いろいろと盛り込んでいて、それを描く視覚的な面白さもあってなかなかに興味深い内容になっている。ただ、語り手をローリングストーン誌の記者にしたことで実際の状況と批評性とのあいだのバランスがうまく取れていない。製作にも関わったブラッド・ピットが実年齢で自分よりも8歳年上の将軍の役を演じているが、ことさらに老いを強調した役作りがブラッド・ピットというキャラクターとどうにも噛み合っていない。モデルになったスタンリー・アレン・マククリスタル将軍の写真を見るとブライアン・クランストンあたりがなりきりで演じたほうがよかったのではないか、という気もしないでもない。ハーミド・カルザイ役にベン・キングズレー、NATO向けの政策ブリーフィングでマクマホン将軍に質問を浴びせるドイツの政治家にティルダ・スウィントン。

Tetsuya Sato

2017年5月22日月曜日

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス
Guardians of the Galaxy Vol. 2
2017年 アメリカ 121分
監督:ジェームズ・ガン

前作の結末でなにげなしに徒党を組んだピーター・クイルほかの面々は金ぴかな割にはなにか微妙に吝嗇で間抜けな感じがする人々が住む惑星ソヴリンで非常に高価なものを守る仕事を請け負って任務は成功させるものの惑星ソヴリンの住民からなにかこう微妙に下衆な気配を読み取ったアライグマのロケットは盗みたいから盗むという理屈でその非常に高価なものをまとめて強奪するのでピーター・クイルとその一味は惑星ソヴリンの支配者アイーシャからなにかこう微妙に吹っ切れない感じがする猛追撃を受けて某所の惑星に不時着、そこでピーター・クイルは生まれて初めて父と出会い、エゴと名乗るこの父の案内でガモーラ、ドラックスとともに彼方にあるエゴの惑星に飛び、その微妙に悪趣味が花開いたとしか言いようのない惑星でピーター・クイルはエゴが自分自身で見つけ出したおまえのエゴとしか言いようのない使命を共有するように迫られ、そうしているあいだに某所惑星に残ったロケットとベビー・グルートはいまや賞金首となった、ということでヨンドゥ率いるラヴェジャーズの一団に包囲され、ところがヨンドゥは部下テイザーフェイスの裏切りというか叛乱にあい、ガモーラの妹ネビュラはテイザーフェイスの裏切りになんとなく加担した形で快速船を手に入れてガモーラに勝つためにエゴの惑星を目指して宇宙へ飛び立ち、テイザーフェイスの手から逃れたヨンドゥ、ロケット、ベビー・グルートもまたエゴのたくらみに気がついてエゴの惑星へ飛ぶ。 冒頭、カート・ラッセルがとてつもなく80年代の髪型で現われたところで「やるところまでやる」というこの映画の決意を見たような気がした(そして「やるところまでやる」のでこのカート・ラッセルは主人公ピーター・クイルのイメージの中で『ナイトライダー』のデヴィッド・ハッセルホフにすり替えられる)。それぞれにおのれの人生の使命を探す登場人物が傍から見れば雑念と偏見のかたまりにしか見えない、という点ですぐれたコメディであり、そのパワーは前作をはるかに上回っている。比較するのがそもそもおかしいのかもしれないが、こういうものをマーベル・スタジオが作っている隣で『スターウォーズ』がまだあれをやるのか(しかもギャレス・エドエワーズが『ローグ・ワン』であれをやったあとで)、というのは少しく気になるところではある。
Tetsuya Sato

2017年5月4日木曜日

レッド・リーコン1942 ナチス侵攻阻止作戦

レッド・リーコン1942 ナチス侵攻阻止作戦
A zori zdes tikhie..
2015年 ロシア 118分
監督:レナト・ダヴレトヤロフ

1942年、劇中の会話から察するところカレリア共和国の森林地帯とあるとおぼしき平和で小さな村に対空砲二門が配備されていて、その指揮を執るヴァスコフ曹長のところに送られてくる兵隊たちは村が平和でしかも未亡人までいるということで三日で状況を飲み込んで四日目には弛緩して酒を飲みだし、あげくに喧嘩を始めるということを繰り返すので、ヴァスコフ曹長は酒に酔った兵士を前線に戻し、飲酒の問題がない兵士の補充を求めたところ、送られてきたのが女性ばかりで編成された二個分隊だったのでヴァスコフ曹長はいささかうろたえ、しかも村の若い女たちも微妙に反発し、ところが兵士たちは淡々と宿舎を整え、敵機が飛来すればてきぱきと応戦し、それでもどことなく平時の気分が抜けていない、と冬戦争の経験者であるヴァスコフ曹長が考えているとドイツ山岳猟兵が近隣に降下して後方破壊活動を試みるので、ヴァスコフ曹長は配下の五名を選んで迎撃に出撃、女性兵士たちは42年にはほぼ間違いなく支給されてはいなかったであろうスカート姿で森を進み、スカートとブーツのあいだに見える膝小僧、下着姿に加えて全裸で集団入浴といった大胆不敵な経路をたどって敵の前面に先回りするが、敵勢力は報告よりもはるかに大きく、ヴァスコフ曹長は前線慣れしていない五人の部下を、男だったらここまで気にかけないだろうというほどにこまやかに気にかけながら兵士たちの好感と忠誠を引き出し、結果としては、という言い訳があるにしても周囲に事実上のハレム状態を作り出し、接近するドイツ軍と対峙する。
第二次大戦中のロシアの女性兵士を扱った映画はたくさんあるが、あきらかな意図をもってきれいどころを集めてきて、その一人ひとりにシベリアに強制移住させられたクラークの娘だったり、人民の敵の娘で孤児院出身者だったり、エストニアでの虐殺で家族を皆殺しにされていたり、とあれやこれや背景をつけ、これも42年にはまだ支給されていなかったであろう女性下着、くどいようだがスカートとブーツのあいだに見える膝小僧という古典的な萌えポイントをてんこ盛りにして、なんというのか育成型のゲームのようなものに仕上げているが、ナレーションを多用した演出は手際がいいし、撮影もきれいだし、対空砲の細部描写など珍しい場面もあり、前景のほうの思い切りのよさにあきれているうちになんとなく見終わってしまう。
Tetsuya Sato