2017年9月19日火曜日

マグニフィセント・セブン

マグニフィセント・セブン
The Magnificent Seven
2016年 アメリカ 133分
監督:アントワーン・フークア

南北戦争終結からおよそ10年後、六つだか七つだかの自治体で法執行を代行するサム・チザムが賞金稼ぎの腕を見せていたころ、小さな開拓村ローズ・クリークでは開発業者バーソロミュー・ローグが金の採掘のために極悪な手段で地上げをしていて、事実上の立ち退き命令に遭遇したローズ・クリークの住民たちは自らが拓いた土地を守ることを決意するが農民ばかりなので次の手に進めずにいるうちにバーソロミュー・ローグによって夫を殺されたエマ・カレンがサム・チザムを発見、事情を説明するとサム・チザムは仲間を集めにかかり、あれやこれやで七人になるとローズ・クリークの町に奇襲をしかけてバーソロミュー・ローグが雇った警備員を排除、町を要塞化するとともに弾薬確保のためにバーソロミュー・ローグの金鉱を襲撃して鉱夫若干を味方に引き入れ、そうしているとバーソロミュー・ローグの軍隊が押し寄せてくる。
サム・チザムがふつうに貫禄のデンゼル・ワシントン、仲間がクリス・プラット、イーサン・ホーク、ヴィンセント・ドノフリオなどのほか、なぜかイ・ビョンホン。サム・チザムを味方に引き入れるエマ・カレンがヘイリー・ベネット、無駄に悪事の多いバーソロミュー・ローグがピーター・サースガード。登場人物はいずれもよく造形され、まったく美人ではないヘイリー・ベネットがたいそう魅力的に撮られている。
時代を反映してか、農民対盗賊という関係は農民対産業資本に変更され、資本主義を賛美するバーソロミュー・ローグの軍隊が金で雇われた男たちなら農民につく七人もただ飯にありつくために集まったわけではなく、それぞれが名のあるプロで主人公のサム・チザムに至っては個人的な理由まで抱えている。そしてサム・チザムが状況に深く関わっているのと、そしておそらくは農民たちがほぼ善良な無力者として描かれている関係で、勝ったのは農民たちだという台詞はこの映画には登場しない。代わりにエマ・カレンが男たちの崇高さをたたえるが、たぶんこれでは単純すぎるし何か付け焼刃のような気がしてならない。素材を近代化する過程で重要なものが欠落したのではあるまいか。とはいえ銃撃戦の造形はおおむね古典的で(極端に少ない硝煙も含めて)、最近の西部劇(『3時10分』とか『ジャンゴ』とか)のようになっていないところは好ましいし、アントワーン・フークアだという理由でほとんど期待していなかった、というところもあって、それほど悪くない。
Tetsuya Sato

2017年9月15日金曜日

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男
Trumbo
2015年 アメリカ 124分
監督:ジェイ・ローチ

ダルトン・トランボが赤狩りでハリウッドから排除され、偽名で活動を続けて『スパルタカス』『栄光への脱出』で復帰の足掛かりをつかみ、名誉が回復されるまで。
ジェイ・ローチの演出はいまひとつ芸が足りないが、ブライアン・クランストンが面白いのでさしあたり見ていて飽きるということはない。ブライアン・クランストンを見る映画であろう。ジョン・ウェイン役のデヴィッド・ジェームズ・エリオットがまったくジョン・ウェインに似ていないのは確信犯なのだろうか。カーク・ダグラス役のディーン・オゴーマン、オットー・プレミンジャー役のクリスチャン・ベルケルがモデルになった本人の適切なパロディになっているのとなにやら対照的である。地味ではあるがトランボ夫人を演じたダイアン・レインが非常にいい感じであった。
Tetsuya Sato

2017年9月14日木曜日

ザ・マミー/呪われた砂漠の王女

ザ・マミー/呪われた砂漠の王女
The Mummy
2017年 アメリカ 110分
監督:アレックス・カーツマン

ロンドンの地下鉄工事現場でテンプル騎士団の巨大墳墓が見つかっていたころ、イラク派遣アメリカ軍の偵察隊員であると推定されるニック・モートン軍曹は民間人に偽装して活動しながら古美術品の盗掘に関わっていたが、考古学に関わりのある謎の女性ジェニー・ハルジーから情事のあとに盗み取った地図を頼りにエジプトの王女アマネットの墓を発見、考えなしに遺物に接近してアマネットの呪いを解放してしまうのでニック・モートンはアマネットに魅入られることになり、ジェニー・ハルジーはアマネットの棺を運び出してアメリカ軍の輸送機に搭載、ニック・モートンとともにこの輸送機に乗り込むが輸送機は英国上空で遭難して墜落、パラシュートで脱出したジェニー・ハルジーは機体とともに落下したにもかかわらず無傷で生き残ったニック・モートンと再会し、よみがえったアマネットが野望を達成すべくロンドンを目指す一方、ニック・モートンは謎の機関に拉致されてハイド博士と面会する。
『ミイラ再生』の(たぶん)三度目のリメイク。まず主人公のキャラクター設定がよくわからない(現地人に変装しているくせに武装は高価なMASADAだったりするし)。トム・クルーズならなんでもいい、という感じなのではあるまいか。で、そのトム・クルーズが古代美女アマネットに憑りつかれて男冥利になにやら恐ろしい思いをする、というあたりがおそらく眼目にあって、その先には何も広がらないし、隙間を埋めるような細部もない。『ミイラ再生』の(たぶん)二度目のリメイクになる『ハムナプトラ』とは比較にならないほど退屈である。
Tetsuya Sato

2017年9月11日月曜日

ダンケルク

ダンケルク
Dunkirk
2017年 イギリス/オランダ/フランス/アメリカ 106分
監督:クリストファー・ノーラン

1940年5月、撤退する連合軍はダンケルクでドイツ軍の包囲を受けて退路を失い、これに対して軍艦、輸送船、民間の小型船舶を動員した脱出作戦が決行されておよそ35万人が脱出に成功する。
いわゆるダンケルクの戦いの映画化だが、ドイツ軍は「敵」という一語で抽象化され、イギリス軍に向かって発砲するドイツ軍兵士は最後まで姿を見せず、メッサーシュミットやハインケルの乗員も撃墜されても脱出しない。抽象化された「敵」が一瞬でも人間の姿を得るのは好ましくないからである。映画はダンケルクの浜に取り残されたイギリス軍兵士が体験する一週間と、政府に徴用されてその兵士たちを救出に向かうヨットの船上における一日、撤退援護に出撃したスピットファイア三機編隊の一時間という異なる三つの時間枠を時系列を前後させながら同一線上に配置して状況を立体的に描くという手法を採用し、これは見事に成功している。クリストファー・ノーランの話法としては『メメント』に近接しているが、はるかに洗練されていると思う。そしてこの三軸構造が時間の経過にしたがって接続の密度を高くしていって、そこにかかるハンス・ジマーの禁欲的な音楽が否応なく緊張を高めていく。映像と音、カットの切り返しの巧みさ、そして心地よさは半端ではない。しかし終盤にいたって燃料を失ったスピットファイアが延々と滑空を続けていくとこちらの不安がなぜか次第に大きくなり、そこにチャーチルの演説がかかってくると、それまでにおこなわれた抽象化の努力はいったいなんだったのかと首をかしげることになる。この瞬間、「状況」としてのダンケルクが「イギリスのトラウマ」としてのダンケルクに変貌するのである。戦意高揚映画じゃあるまいし。というような欠点はあるし、イギリス海軍の駆逐艦の役で出演しているフランス海軍の駆逐艦はどう見てもシルエットが違うとか、あまりにも小舟ばかりだとか、妙なところもあるものの、たいへん立派な映画であることに間違いはない。
Tetsuya Sato

ワンダーウーマン

ワンダーウーマン
Wonder Woman
2017年 アメリカ/中国/香港/イギリス/イタリア/カナダ/ニュージーランド 141分
監督:パティ・ジェンキンス

神の手によって霧で隠された島にアマゾン族が暮らしていて、そのアマゾン族の女王の娘で島で唯一の子供であるダイアナはアマゾン族の将軍アンティオペによって戦士に育てられるが、そこへ霧を破って一機の飛行機が現われて海面に不時着、一切を目撃したダイアナは飛行機を操縦していたスティーブ・トレバーを救出し、スティーブ・トレバーの口から外界で世界大戦が進行していることを知るとこれこそはアレスの仕業であると確信し、スティーブ・トレバーとともに島を脱出、ドイツ軍の秘密作戦を葬るために西部戦線へ潜入する。
ダイアナを演じたガル・ガドットはとても頑張っていたと思うし、なによりもクリス・パインが非常にいい、というのはとてもうれしい驚きで、絵に描いたような第一次大戦快男児なので、これならビグルスだってできるのではないだろうか。一方、デヴィッド・シューリスはよくわからない。もしかしたら本人がああいうことをしたかったのかもしれないが、なんか違うというのが正直な感想である。で、言うまでもないがロビン・ライトは眼福であった。というわけでキャラクターはそれなりに魅力的だし、見せ場もそれなりに用意されているし、悪くはないもののちょっと長い。

Tetsuya Sato

2017年6月27日火曜日

1898: スペイン領フィリピン最後の日

1898: スペイン領フィリピン最後の日
1898. Los ultimos de Filipinas
2016年 オーストラリア/アメリカ 139分
監督:サルバドール・カルボ

1898年、マニラからおよそ200キロ離れたバレルで守備隊がタガログ人武装勢力の襲撃にあって全滅した、ということで新兵ばかりで構成された新たな部隊が送り込まれるものの、スペイン人部隊はタガログ人の数に圧倒されてバレルの中心にある教会に後退、ここを要塞化して籠城を始め、そうするあいだに米西戦争でスペインが敗北、フィリピンは2000万ドルでアメリカに売り渡され、しかしバレルでスペイン軍を指揮するモレナス大尉はフィリピン独立派との戦争は終わった、というタガログ人の主張もフィリピンはすでにスペイン領ではないので撤退せよ、というスペイン軍の命令もマニラで発行された新聞もことごとく欺瞞であると言って退けてあくまでも籠城を続けるので、包囲されて補給を絶たれたスペイン軍部隊では水腫型の脚気が蔓延して死者が続出、タガログ人部隊の襲撃や山砲による砲撃に耐えながら、おそらくはおのれの無能を訂正する機会を失ったまま一年近く無意味にがんばる。 
Netflixで鑑賞。映画ではバレルのスペイン人部隊が50人、包囲するタガログ人部隊も数百人程度という感じで描かれ、舞台になるバレルもほとんど小村という感じになっているが、実際の状況はもっと大規模だったらしい。とはいえ、攻守双方でそれなりにキャラクターが立っているし、特にスペイン側の精神崩壊ぶりがなかなかの表現になっていて見ごたえがある。

Tetsuya Sato

ハクソー・リッジ

ハクソー・リッジ
Hacksaw Ridge
2016年 オーストラリア/アメリカ 139分
監督:メル・ギブソン

ヴァージニアの田舎町で生まれたデズモンド・ドスは第一次大戦のPTSDに苦しむ父親の暴力に耐えながら信仰に篤い若者に育ち、看護師ドロシー・シュッテとの恋に落ちてまもなく婚約、その背後では第二次大戦が進行中で、弟が出征するとデズモンド・ドスもまた志願し、しかし良心的兵役拒否者として武器を取ることを拒むので上官などから嫌がらせを受け、命令を拒否したという理由で軍法会議にかけられるがデズモンド・ドスは信念で主張を押し通し、看護兵としてのみ働くことを認められて1945年5月、沖縄の戦いに送られて前田高地の戦場で戦友多数の命を救う。
後半、戦闘が始まるとその絵画的な描写にときおり息を呑んだが、見終わった感想を言えば、なにか物足りない。序盤の展開などは『ブレイブハート』とほぼ同じだというのに、この華のなさはなんなのか。このような見方はあまり適当ではないのかもしれないが、映画の企画自体がもともとセブンスデー・アドベンチスト教会からの持ち込みで、そのセブンスデー・アドベンチスト教会の聖人伝説をカトリックのメル・ギブソンが監督しているというところに収まりの悪さがあるのかもしれない。悪い映画だとは言わないが、最後の「昇天」場面には少々引いた。
Tetsuya Sato

2017年6月5日月曜日

The Brink/史上最低の作戦

The Brink/史上最低の作戦
The Brink
2015年 アメリカ 1シーズン10話
監督:ジェイ・ローチ、マイケル・レーマンほか

アメリカがひそかに化学攻撃をおこなっていてパキスタンの男たちから性的能力を奪おうとしていると信じる軍人ザマーンがクーデターを起こしてパキスタンの政権を奪取、とりあえずテルアビブに核攻撃をすると宣言するのでアメリカは第五艦隊に出動を命じてパキスタンの核施設破壊を計画するが、下半身にまったく抑制がなくてアジア人の女に絞殺されることを考えて興奮するラーソン国務長官はピアース国防長官と激しく対立して平和裏に解決することを提案、心がひどく動きやすい大統領はラーソンに時間を与え、イスラマバードでかつてラーソンの女衒として活動したことがある在パキスタン大使館職員で国務省下級職員のアレックス・タルボットがまったくの偶然からザマーンの病歴を記したカルテを手に入れると、ラーソンはタルボットに対してザマーンの弟でラーソンの大学時代の学友であったラジャとの接触を命じ、ラジャにクーデターを起こさせてザマーンを排除しようとたくらむが、そのあいだにインド洋から偵察に飛び立ったF-18は飲むべき薬を間違えたせいでインド軍のドローンを誤って破壊したあとパキスタンの対空砲火を浴びて撃墜され、脱出したパイロットはタリバンの支配地域に降り立って正体不明の状況に出会い、インドの外相はラーソンが自分を侮辱し続けていると憤慨し、中国軍はカシミールの部隊を増強し、イスラエルはイスラエルで先制攻撃の準備に移り、アメリカ軍も総攻撃の準備を整え、気がついたらロシア軍がエストニア国境に集結していてエストニアのことは我々にまかせてくれと言ってくるので、これはもう第三次世界大戦は避けられない、というHBO製作のミニシリーズで、1話30分、全10話のシットコム。
パイロット版の監督をジェイ・ローチが担当し、残る7話のうちの4話をマイケル・レーマンが担当している。ラーソン国務長官がティム・ロビンス、アレックス・タルボットがジャック・ブラック。ティム・ロビンスがこれまでに見たなかでは最高にいい。プロットはワシントンからニューデリー、テルアビブ、ジュネーブ、再びワシントンと飛び回るラーソン国務長官、イスラマバードでパキスタンのインテリ一家から激しい軽蔑を浴びせられる俗物アレックス・タルボット、最高のパイロットと言われながら、実際のところパイロットなのか麻薬の売人なのかよくわからないF-18のパイロット、ジークの3軸で進み、その周辺には結果を予想しないで自動的に思考する政治的怪物多数が出現する。素材の組み合わせの複雑さ、展開の小気味のよさ、そしてなによりも頭のよさがとにかくうれしい傑作である。
Tetsuya Sato

それでも、愛してる

それでも、愛してる
The Beaver
2009年 アメリカ/アラブ首長国連邦 91分
監督:ジョディ・フォスター

玩具メーカーの二代目経営者ウォルター・ブラックは重度の鬱に陥り、あらゆる治療も効果がないということで家庭生活も次第に崩壊、妻メレディスから家を出るように言い渡されてホテルの一室で自殺を試みたところ、いつの間にかその左手にはまっていたビーバーの手踊りがウォルター・ブラックを負け犬と罵り、社会復帰のための手助けをすると宣言するのでビーバーの指図にしたがったところ、経営が傾いていた会社は業績を一気に回復、父親から心が離れていた幼い次男はビーバーを慕い、妻メレディスもまたウォルター・ブラックへの愛を取り戻すが、会話のすべてを媒介するだけでは足りずに夫婦の行為にももぐり込むこのビーバーをどうにも許容することができない上にビーバーは頑としてウォルター・ブラックから離れることを拒むので夫婦関係はまたしても破綻、一方、ウォルター・ブラック本人もまたビーバーの圧力に耐えることができなくなってくる。ウォルター・ブラックがメル・ギブソン、メレディス・ブラックが監督兼のジョディ・フォスター、長男ポーターが『オッド・トーマス』のアントン・イェルチン、同じ高校の生徒で心に闇を抱えているのがジェニファー・ローレンス。手堅くまとめられてはいるが、左腕に別人格をくっつけた父親と、依頼主になりきってレポートの代筆をしては小遣いを稼ぐ長男との対照性を中心に、全体の構成がややメカニックに見えた。加えて中心となる対照性への干渉を軽くするためか、ジョディ・フォスターの役どころが微妙に後退しているが、そのせいでこの妻はときどき単なるわからず屋に見えてくる(たかがビーバー一匹でうろたえるとは情けない、とうちのクマたちは言っている、それに比べたらうちのおくさんなんか、とうちのクマたちは言っている)。演出面での手堅さとメル・ギブソンの鬱演技とジョディ・フォスターがちらちらと登場するところを除くとあまり取り柄はない、というのが正直な感想になると思う。ところでメル・ギブソンが左手にビーバーの手踊りを装着するためには鬱病という前提が必須の条件だったのか、少々疑問に感じている。まずこの主人公の鬱病の来歴が明らかにされていないし、治療の効果がないといっても、どう効果がないのかも明らかにされていない。ただ鬱病だというだけで、典型的な症状をつまみ食いしているだけで、鬱病という設定が十分な説得力を備えていないので、これではこの映画の作り手は、鬱病のひとは自分では言えないことを言うためにビーバーの手踊りを必要としている、と考えていると思われてもしかたがない。同じ状況を作るためなら、鬱病は決して必須の条件ではなかったはずである。二代目のストレスを抱えた玩具メーカーの社長が自社で開発されて企画段階で没になった手踊りをふと左手にはめてみたら、ということでも全然問題はなかったはずである。あともうひとつ、ここがいちばん肝心なところかもしれないが、妻に家を追い出されたウォルター・ブラック氏がホテルの浴室で自殺を試みるとき、すでに左手に手踊りがはまっている。いったいいつ、どんな経過でそうなったのか、映画はまったく説明していない。もちろん、ウォルター・ブラック氏がゴミ箱でこの手踊りを発見したとき、ウォルター・ブラック氏の左手にはすでにビーバーが生えていたのだ、という解釈も成り立つし、事実そのような主旨での演出なのかもしれないが、鬱病が必然性を備えていないのと同様に、ここにも説得力はない。映画本体はしっかりしているのに細部が微妙、というのは『マネーモンスター』にも共通しているが、こういうところがジョディ・フォスターの癖だとは、正直なところ、あまり考えたくはない。
Tetsuya Sato

2017年5月29日月曜日

ウォー・マシーン: 戦争は話術だ!

ウォー・マシーン: 戦争は話術だ!
War Machine
2017年 アメリカ 122分
監督:デヴィッド・ミショッド

アフガニスタン多国籍軍の司令官に任命されたグレン・マクマホン将軍はアフガニスタン各地を視察して自分なりに状況を把握、勝つためには新たに40000人の投入が必要であると判断するが、政策としてすでに撤退が決まっているところでそれはないという政府外交筋の抵抗に出会い、それでも説得を続けて若干の増派を確保すると、それでは足りないということでNATO諸国に増援を求め、フランス、ドイツから承諾を得て部族支配地域で作戦を開始、武装勢力との交戦で民間人に死者を出し、ローリングストーン誌にはヨーロッパ行脚中のご乱行を暴露され、ということで退路を失い解任される。
NETFLIXオリジナル。アフガニスタンというややこしい状況を背景に生真面目な職業軍人の思考やその軍人を取り巻く人物環境、政策と軍政との避けがたい温度差など、いろいろと盛り込んでいて、それを描く視覚的な面白さもあってなかなかに興味深い内容になっている。ただ、語り手をローリングストーン誌の記者にしたことで実際の状況と批評性とのあいだのバランスがうまく取れていない。製作にも関わったブラッド・ピットが実年齢で自分よりも8歳年上の将軍の役を演じているが、ことさらに老いを強調した役作りがブラッド・ピットというキャラクターとどうにも噛み合っていない。モデルになったスタンリー・アレン・マククリスタル将軍の写真を見るとブライアン・クランストンあたりがなりきりで演じたほうがよかったのではないか、という気もしないでもない。ハーミド・カルザイ役にベン・キングズレー、NATO向けの政策ブリーフィングでマクマホン将軍に質問を浴びせるドイツの政治家にティルダ・スウィントン。

Tetsuya Sato

2017年5月22日月曜日

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス
Guardians of the Galaxy Vol. 2
2017年 アメリカ 121分
監督:ジェームズ・ガン

前作の結末でなにげなしに徒党を組んだピーター・クイルほかの面々は金ぴかな割にはなにか微妙に吝嗇で間抜けな感じがする人々が住む惑星ソヴリンで非常に高価なものを守る仕事を請け負って任務は成功させるものの惑星ソヴリンの住民からなにかこう微妙に下衆な気配を読み取ったアライグマのロケットは盗みたいから盗むという理屈でその非常に高価なものをまとめて強奪するのでピーター・クイルとその一味は惑星ソヴリンの支配者アイーシャからなにかこう微妙に吹っ切れない感じがする猛追撃を受けて某所の惑星に不時着、そこでピーター・クイルは生まれて初めて父と出会い、エゴと名乗るこの父の案内でガモーラ、ドラックスとともに彼方にあるエゴの惑星に飛び、その微妙に悪趣味が花開いたとしか言いようのない惑星でピーター・クイルはエゴが自分自身で見つけ出したおまえのエゴとしか言いようのない使命を共有するように迫られ、そうしているあいだに某所惑星に残ったロケットとベビー・グルートはいまや賞金首となった、ということでヨンドゥ率いるラヴェジャーズの一団に包囲され、ところがヨンドゥは部下テイザーフェイスの裏切りというか叛乱にあい、ガモーラの妹ネビュラはテイザーフェイスの裏切りになんとなく加担した形で快速船を手に入れてガモーラに勝つためにエゴの惑星を目指して宇宙へ飛び立ち、テイザーフェイスの手から逃れたヨンドゥ、ロケット、ベビー・グルートもまたエゴのたくらみに気がついてエゴの惑星へ飛ぶ。 冒頭、カート・ラッセルがとてつもなく80年代の髪型で現われたところで「やるところまでやる」というこの映画の決意を見たような気がした(そして「やるところまでやる」のでこのカート・ラッセルは主人公ピーター・クイルのイメージの中で『ナイトライダー』のデヴィッド・ハッセルホフにすり替えられる)。それぞれにおのれの人生の使命を探す登場人物が傍から見れば雑念と偏見のかたまりにしか見えない、という点ですぐれたコメディであり、そのパワーは前作をはるかに上回っている。比較するのがそもそもおかしいのかもしれないが、こういうものをマーベル・スタジオが作っている隣で『スターウォーズ』がまだあれをやるのか(しかもギャレス・エドエワーズが『ローグ・ワン』であれをやったあとで)、というのは少しく気になるところではある。
Tetsuya Sato

2017年5月4日木曜日

レッド・リーコン1942 ナチス侵攻阻止作戦

レッド・リーコン1942 ナチス侵攻阻止作戦
A zori zdes tikhie..
2015年 ロシア 118分
監督:レナト・ダヴレトヤロフ

1942年、劇中の会話から察するところカレリア共和国の森林地帯とあるとおぼしき平和で小さな村に対空砲二門が配備されていて、その指揮を執るヴァスコフ曹長のところに送られてくる兵隊たちは村が平和でしかも未亡人までいるということで三日で状況を飲み込んで四日目には弛緩して酒を飲みだし、あげくに喧嘩を始めるということを繰り返すので、ヴァスコフ曹長は酒に酔った兵士を前線に戻し、飲酒の問題がない兵士の補充を求めたところ、送られてきたのが女性ばかりで編成された二個分隊だったのでヴァスコフ曹長はいささかうろたえ、しかも村の若い女たちも微妙に反発し、ところが兵士たちは淡々と宿舎を整え、敵機が飛来すればてきぱきと応戦し、それでもどことなく平時の気分が抜けていない、と冬戦争の経験者であるヴァスコフ曹長が考えているとドイツ山岳猟兵が近隣に降下して後方破壊活動を試みるので、ヴァスコフ曹長は配下の五名を選んで迎撃に出撃、女性兵士たちは42年にはほぼ間違いなく支給されてはいなかったであろうスカート姿で森を進み、スカートとブーツのあいだに見える膝小僧、下着姿に加えて全裸で集団入浴といった大胆不敵な経路をたどって敵の前面に先回りするが、敵勢力は報告よりもはるかに大きく、ヴァスコフ曹長は前線慣れしていない五人の部下を、男だったらここまで気にかけないだろうというほどにこまやかに気にかけながら兵士たちの好感と忠誠を引き出し、結果としては、という言い訳があるにしても周囲に事実上のハレム状態を作り出し、接近するドイツ軍と対峙する。
第二次大戦中のロシアの女性兵士を扱った映画はたくさんあるが、あきらかな意図をもってきれいどころを集めてきて、その一人ひとりにシベリアに強制移住させられたクラークの娘だったり、人民の敵の娘で孤児院出身者だったり、エストニアでの虐殺で家族を皆殺しにされていたり、とあれやこれや背景をつけ、これも42年にはまだ支給されていなかったであろう女性下着、くどいようだがスカートとブーツのあいだに見える膝小僧という古典的な萌えポイントをてんこ盛りにして、なんというのか育成型のゲームのようなものに仕上げているが、ナレーションを多用した演出は手際がいいし、撮影もきれいだし、対空砲の細部描写など珍しい場面もあり、前景のほうの思い切りのよさにあきれているうちになんとなく見終わってしまう。
Tetsuya Sato

2017年4月3日月曜日

ベン・ハー(2016)

ベン・ハー
Ben-Hur
2016年 アメリカ 141分
監督:ティムール・ベクマンベトフ

ユダヤの豪族の息子ジュダ・ベン・ハーと汚名を着て孤児となったローマ人メッサラはユダヤの地でともに暮らして義兄弟の契りを交わしていたが、自らがハー家の食客であり、無一文であることを恥じたメッサラはベン・ハーの妹ティルザに求婚する資格を得るためにローマに戻ると軍団兵士となって各地を転戦、名誉を得て第十軍団に属する指揮官となってユダヤに戻ってベン・ハーをはじめとするハー家の人々の歓迎を受けるが、ポンティウス・ピラトがエルサレム市内を行軍した折、ハー家から弓矢が放たれたことから状況は一変、メッサラは自らの立場を守るためにハー家の人々の捕縛を命じ、ジュダ・ベン・ハーはガレー船奴隷となって復讐と憎悪を糧に五年を生き延び、イオニア海における海戦で船が沈むと鎖から逃れて脱出を果たし、海岸にたどり着いたところで族長イルデリムに救われ、イルデリムはそもそも馬術に秀でていたベン・ハーを所有する戦車の騎手に採用し、エルサレムを訪れると相手に断れない条件でピラトを誘ってユダヤの代表選手にベン・ハーを使う同意を得るとベン・ハーを相手に戦車競技の指南にかかり、ベン・ハーは競技場でローマ代表選手のメッサラと対決する。
ウィリアム・ワイラーの1959版が原作の精神に対する誠実な映画化であったとすれば、ティムール・ベクマンベトフによるこの2016年版は原作は馬術競技をするために用意された都合の良い薄皮である。開巻、戦車レースが始まるところがまず映し出されていったい何が起こっているのかと驚いていると時間は八年前にいきなり戻り、ベン・ハーとメッサラが仲良く馬を走らせている。二人が身にまとっているものはどう見てもTシャツにジーンズである。話が進んでベン・ハーがエスターとの関係を進め、一頭の馬に仲良くまたがって街中に出る場面がある。二人が身にまとっているものはどう見てもTシャツにジーンズである。なにしろカジュアルにデザインされているので登場人物もとにかく軽い。イエスもその辺に住んでいて、大工の仕事をしながらそれらしい言葉をかけてくる。これに対してローマ人は軍装が微妙に重たくなり、ふるまいは類型化を超えてナチのように描かれており、ゼロテ党はほぼレジスタンスに位置付けられている。プロットは終盤のレースのために集約されて余計な要素は切り落とされ、筋書だけを追っている限りではこれは『ベン・ハー』ではなくて『ベン・ハー』によく似たなにかにしか見えてこない。だからメッサラの野心も最後には愛の前にくじけることになるのである。で、だから面白くないかというとそういうことは決してなくて、全体に軽量化はされているもののふつうに見ていればそれなりに面白いし、海戦の場面では漕ぎ手座からその様子が見えるだけ、という演出が効果的に使われているし、なにしろベクマンベトフだから、ということになるのかもしれないが、馬の扱いが非常にうまく、戦車レースのシーンはちょっとない見物になっている(ピットインしないのが不思議なくらいモダンだけど)。いやあ、いいんじゃないですか、というのが素朴な感想である。
Tetsuya Sato

2017年3月25日土曜日

キングコング:髑髏島の巨神

キングコング:髑髏島の巨神
Kong:SkullIsland
2017年 アメリカ 118分
監督:ジョーダン・ヴォート=ロバーツ

1973年、ベトナム戦争が終結したころ、ランドサット衛星によって発見された太平洋上の未知の島にソ連に先んじるという大義を唱えて特務機関モナークの科学者たちがダナンで撤収準備中の空輸部隊を護衛に探検に乗り込み、地質調査と称して事実上の爆撃を開始すると規格外に巨大なサルが現われて爆撃任務にあたっていたUH-1を次々と撃墜、それなりの規模で投入された米陸軍航空部隊は全滅して生存者は地上に取り残され、島は常に嵐に囲まれているので外部との連絡も阻まれ、補給部隊が到着するまでの三日間に時間を限られた状況で危険の島を移動する。
33年版でもなく、まして76年版でもなく、したがって愛に満ちたピーター・ジャクソン版でもなく、怪獣対怪獣対アメリカ陸軍という直線的な構図を描いて、そこに合わせてまずキングコングを大きくし(なにしろバートルもシー・スタリオンも一撃で破壊するくらいなので)、アメリカ陸軍には敗北の傷跡を与え、生存者には川を遡らせ、それを案内する元SASにはわざとらしくコンラッドという名を与え、都合よくカーツ大佐に変じたサミュエル・L・ジャクソンが黙示録的光景を演出するとそこにテリー・サザーン的な要素も混じり込んでいるような気もするという、つまり快作というか怪作で、しかも徹底しているのか無神経なのか、ヘリコプターの数が場面によって露骨に異なる。先行作品に対する差別化という意味では徹底しているし、登場するキャラクターも含め、内容的な豊かさも頼もしい。トム・ヒドルストンはもしかしたらこれまでで一番いい仕事をしているのかもしれないが、ともあれ傑作であろう。
Tetsuya Sato

2017年1月21日土曜日

エベレスト

エベレスト
Everest
2015年 イギリス/アメリカ/アイスランド 121分
監督:バルタザール・コルマウクル

1996年、ニュージーランドのアドベンチャー・コンサルタンツ社がエベレスト登頂ツアーを企画し、顧客9名を獲得するとベースキャンプを拠点にして標高にからだを慣らしながら準備を整え、5/10登頂を計画して第4キャンプへ移動するとそこで激しい嵐に遭遇、一時は登頂が危ぶまれたが、日が変わると快晴になり、登山隊を率いるロブ・ホールは決行を決定、14時の下山開始を目標に早朝に登頂を開始するが、途中、シェルパの一人が肺水腫を起こし、複数の登山隊による渋滞が起こり、酸素ボンベの不足がわかり、さらには登頂ルート自体が完成していないこともわかり、そこまでに要した時間と体力の消費にもかかわらず登山隊に残ったメンバーはロブ・ホールとともにエベレストに登頂、万歳三唱して下山に移るものの、嵐が再び襲いかかり、一帯は雲に覆われて何も見えなくなり、体力を消費し、酸素を失い、判断力も低下していく。現場での状況はかなり込み入っていて、もう少しまともに知りたい場合はウィキペディアで「1996年のエベレスト大量遭難」の項を参照したほうがよいと思う。 
ビデオでの鑑賞だが、劇場で3Dで見ていたらたぶん怖い思いをしたことであろう。ロブ・ホールがジェイソン・クラーク、その妻がキーラ・ナイトレイ、ベースキャンプの責任者がエミリー・ワトソ、登頂中に視力に問題を起こすベック・ウェザーズがジョシュ・ブローリン、その妻がロビン・ライト、ロブ・ホール隊と登頂を協力する登山隊のリーダーがジェイク・ギレンホール、ほかにサム・ワーシントン。余計なことは何もしないで、淡々と準備をして苦労して登っていって遭難する、というそれだけの内容をいちいち説得力のある映像で表現しており、なかなかに見ごたえがある。最後のほうのヘリコプターの高高度飛行のシーンがかなりすごい。
Tetsuya Sato

2017年1月20日金曜日

ボーダーライン

ボーダーライン
Sicario
2015年 アメリカ 121分
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ

FBIの誘拐即応班のリーダー、ケイト・メイサーは部隊とともに野中の一軒家に突入して大量の死体を発見、麻薬カルテルがアメリカ国内で大規模な連邦犯罪を犯しているということから政府のかなり上のほうで決定された特殊部隊が組織され、ケイト・メイサーは事件の端緒に関わっているというようなことでFBIからこの特殊部隊に派遣されるが、その特殊部隊を指揮しているマット・グレイヴァーは身分を国防総省の顧問と言うだけではっきりさせず、その近辺で活発に活動しているアレハンドロにいたっては何者なのかわからない、というありさまで、作戦の説明も教えられないまま言われたままにエル・パソに移動するとそこでデルタ・フォースが部隊に加わり、部隊の車列がメキシコに入ってシウダー・フアレスの裁判所で麻薬カルテルの幹部を受け取り、アメリカに向かって護送していくと渋滞中の国境で銃撃戦が始まってカルテルの戦闘員が射殺され、カルテルの幹部は空軍基地に運ばれて拷問を受け、メキシコ国境に出撃した部隊はカルテルの麻薬輸送ルートに襲いかかって交戦規定なしでカルテルの人員を殺戮し、と万事においてこのありさまなので、法執行官として状況に耐えられなかったケイト・メイサーは一切を暴露するとマット・グレイヴァーを脅迫するが、そのときにはすでに作戦は終盤を迎えている。 
ケイト・メイサーがエミリー・ブラント、マット・グレイヴァーがジョシュ・ブローリン、アレハンドロがベニチオ・デル・トロ。監督は『ブレードランナー 2049』のドゥニ・ヴィルヌーヴ。ストイックな構成と緊張感の高い演出が好ましく、いまさらと言えばいまさらだがロジャー・ディーキンスの撮影がすごいし音楽もすごい。主役三人の演技もすごいが、それよりもすごいのはそこで扱われている冷血ぶりで、正直なところ、恐ろしさは半端なホラー映画の比ではない。 

Tetsuya Sato

2017年1月9日月曜日

エルサレム

エルサレム
Jeruzalem
2015年 イスラエル 95分
監督:ドロン・パズ、ヨアヴ・パズ

アメリカ人の若い女性が観光目的でイスラエルを訪問し、機内で知り合った若者に誘われてエルサレムの旧市街に宿泊しているとヨム・キプルの夜に審判が始まり、地獄の門が開いて堕天使が地上を闊歩し、イスラエル軍と交戦する。 
いわゆるPOV形式の映画で、一人称の画面がスマートグラスで構成されているところは目新しいが、その視点を提供しているヒロインの空気をまったく読まない周章狼狽ぶりにはかなりいらいらさせられた。前半はエルサレム旧市街の観光映画、後半はほぼ『クローバーフィールド』という構成で、前半後半をとおして視覚的にはいろいろと面白いし、いちおう頑張ってはいるものの、なにか基本的な演出力の不足から素材の魅力を引き出せていない。 



Tetsuya Sato

2017年1月2日月曜日

スターリングラード大進撃 ヒトラーの蒼き野望

スターリングラード大進撃 ヒトラーの蒼き野望
Doroga na Berlink
2015年 ロシア 82分
監督:セルゲイ・ポポフ

1942年、前線で任務放棄をした伝令将校オガリュコフ中尉は前線部隊の軍法会議で死刑を宣告されて監禁され、オガリュコフの見張りを命じられたアジア系の衛兵ズルバエフは司令部の承認を得るまでは死刑を執行してはならない、という指示を野戦軍法会議の書記から受け、そこへ現れたドイツ軍の攻撃でロシア軍の前線は崩壊、ズルバエフはオガリュコフを引っ張り出して戦場から脱出し、司令部の承認を得るために一人でオガリュコフを護送していくとやがてロシア軍部隊と遭遇、オガリュコフとズルバエフを戦力に加えた部隊はドイツ軍の包囲を突破し、その際の戦功によってオガリュコフとズルバエフは新聞の取材を受けるが、部隊から離れるとズルバエフは再びオガリュコフの護送に戻り、二人で黙々と歩き続ける。 
モスフィルム製作で原題は『ベルリンへの道』(戦中に作曲されたロシア製ジャズのタイトルらしい)。舞台はウクライナだと思われるが、DVDの邦題にあるスターリングラードはスの字も出てこない。短編小説をそのまま映画にしたような小品だが、忍耐強くてぶれのない演出で見ごたえのある映画になっている。美術が非常によくできていて、ロシア軍兵士のウェザリングがいかにもそれらしいし、民間人も含めて全員が汚らしくて戦争やつれしているところもそれらしい。冒頭でKV2戦車、T-34が登場し、ほかにロシア軍の河川舟艇輸送車、怪しげな四号戦車、残骸になった三号戦車などが登場する。戦闘シーンは派手さはないがまじめに作られており、戦場での死体回収作業といった珍しい風景も登場する。 

Tetsuya Sato

選挙の勝ち方教えます

選挙の勝ち方教えます
Our Brand Is Crisis
2015年 アメリカ 107分
監督:デヴィッド・ゴードン・グリーン

ボリビアの大統領選で泡沫候補カスティーリョの選挙戦略を受託したアメリカの選挙キャンペーン会社が最有力候補の選挙参謀にパット・キャンディが採用されるのを見てアパラチア山中に隠遁するジェーン・ボーディンを担ぎ出し、ボリビアへ運ばれたジェーン・ボーディンは高山病でひっくり返るものの、カスティーリョの選挙戦略を変更し、対立候補へのネガティブ・キャンペーンを展開し、支持率のポイントを次第に引き上げていく。
ジェーン・ボーディンがサンドラ・ブロック、パット・キャンディがビリー・ボブ・ソーントン。サンドラ・ブロックは体重を落としたのか、細身になっている。背景に使われている状況は2002年のボリビア大統領選でカスティーリョのモデルはゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダであろう。映画はコメディのようにラッピングされているし、コメディのようにしか見えない部分もあるものの、民主主義における選挙の機能に対して辛辣な問いかけをおこなっており、ボリビアという舞台を選択することで問題がより圧縮される仕組みになっている。選挙によって政策を変えられるなら選挙は禁止されるはずだ、という劇中のセリフは名セリフだと思う。力作であろう。 

Tetsuya Sato