2016年3月13日日曜日

トポス(127) 三人の女がクロエを見る。

(127)
 雨が降っていた。黒塗りの大型乗用車が収容所の管理棟の前でとまり、衛兵たちがしゃちほこばって銃を掲げた。車からクロエが下りてきた。ぬかるむ地面を足早に踏んで管理棟の入り口をくぐり、司令官に面会を求めた。司令官は敬礼してクロエを迎え、執務室の椅子を勧めた。クロエは革張りの椅子に腰を下ろすと勧められた酒を断り、鞄から書類の束を取り出した。経費がかさんでいる、とクロエは言った。収容者が想定外の数に達しているので、と司令官は説明した。収容所の維持費が国家財政の大きな負担になっている、とクロエは言った。これ以上の支出は認められない、とクロエは続けた。しかしそれでも、と司令官は首を振った。収容者が増え続けているのです。したがって、とクロエは言った。収容所はこれより独立採算制に移行する。政府は周辺の森林及び沼沢地を売却した。民間企業が工業団地の建設を始める。収容所は企業の要請に応じて労働者を派遣すること、企業が労働者に支払う賃金の七割は国庫に収まり、残る三割が収容所の収入となる。労働者が不足する場合は国家がただちに補充する。
「わかりましたか」とクロエが言った。
 司令官がうなずいた。
 クロエは管理棟から出て鉄条網に目を向けた。三人の女が肩を寄せて、降り注ぐ雨に打たれていた。女の一人が顔を上げてクロエを見た。女が口を開いて、かすれた声でクロエと叫んだ。残る二人もクロエを見た。クロエの名を呼び、助けを求めて手を差し出した。クロエは鉄条網に背を向けた。継母と義姉が鉄条網の向こうにいて、死の恐怖におびえてクロエに助けを求めていた。すでに廃人と化していて、間もなく無残な最期を迎えることになるだろう。だがクロエの心は晴れなかった。

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