2016年1月20日水曜日

トポス(80) いかにも俺は羚羊を追う狩人だ、と狩人は言う。

(80)
 所長は崖の縁で目を覚ました。初めは夢を見ていたのかと思ったが、夢から見放されていたので夢ではなくて事実だった。組織を取られた痕跡があった。血を抜かれた痕跡があった。直腸に何か得体の知れない違和感があった。所長は立ち上がった。ゆらりと揺れて、倒れかけた。視界いっぱいに下界が広がり、落ちると思ったその瞬間、誰かが背後から抱き寄せた。羚羊を追う狩人だった。狩人は所長を自分の小屋へ連れていった。
「危ないところだった」と狩人が言った。「俺がいなければまっさかさまに落ちていたところだ。ところであんたもあれに会ったな? にじんだ光に包まれた、吊り上がった目をしたあれに会ったな?」
「仮に会ったとしよう」と所長が言った。「しかし、それがどうしたというのだ? いったいどんな意味があるというのだ? 俺は羚羊を追う狩人ではない。俺は所長で、俺には果たすべき責任がある」
「いかにも俺は羚羊を追う狩人だが」と狩人が言った。「あの経験を経て、ただの狩人ではなくなった。アストラル体から解放され、第七階梯を突破して宇宙的視野を獲得した。新たな魂が腰に生まれ、尻の穴の奥から語りかけて俺に使命を与えている。耳を傾けろ。あんたにも同じ声が聞こえるはずだ」
「たしかに、聞こえる」と所長が言った。
「なんと言っている?」と狩人がたずねた。
「滅ぼせと言っている」と所長が言った。「ギュンとピュンを滅ぼせと」
「俺にも同じ声が聞こえている。同じ声を聞く仲間はたくさんいる。大宇宙の偉大な力は怒っている。仲間を殺され、魔法玉に変えられたので怒っている。俺たちはあんたが来るのを待っていた。俺たちをあんたが導くのだ。そしてギュンとピュンを滅ぼすのだ」
 くくくくく、と所長が笑った。

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