2016年1月2日土曜日

トポス(64) ヒュン、街道を進んで邪悪な黒い力の影を見る。

(64)
 ヒュンとネロエは街道を南へ進んでいった。進むにつれて邪悪な黒い力の影を見かけることが多くなった。空には不穏な雲がかかり、野には不穏な風が吹き、路傍では石が肩を寄せて不穏な歌を歌っていた。小さな村にも密売組織の用心棒や売人がいた。納屋に見せかけた魔法玉工場で小鬼の頭を割っていた。密売組織の幹部が村長を務め、村の学校の教師たちは密売組織から給料を受け取っていた。診療所の医師や看護師も密売組織から給料を受け取っていた。密売組織が作った橋がかかり、密売組織が作った用水路が畑に水を運んでいた。村人の心は邪悪な黒い力に冒されていた。前よりも生活が楽になったと信じていた。
「ああ」とネロエが息をもらした。唇を噛み締め、髪をなびかせて前に進んだ。「邪悪な黒い力よ」ネロエが叫んだ。「おまえたちの思うとおりにはさせません」
 ネロエが呪文を唱え始めた。血がにじむほど唇を噛み締め、腕を大きく振り上げた。用心棒や売人が消えた。密売組織の幹部も消えた。魔法玉工場にいた全員が消え、教師も医師も看護師も消えた。次々に消えて善良な市民に入れ替わった。書類を手にした下級官吏が、カタログを広げたセールスマンが、コントラバスを抱えた演奏家が、ただうろたえたまま、恐怖を感じて悲鳴を上げた。
「ここは清浄になりました」とネロエが言った。顔には笑みを浮かべていたが、しかしそこには疲労が深く刻まれていた。

Copyright c2015 Tetsuya Sato All rights reserved.