2015年10月9日金曜日

『Terracity - テラシティ』 第十話 ラグーナ隊、出撃

第十話
ラグーナ隊、出撃
 平たい屋根にはさまれた白い道で大勢の子供が遊んでいた。陽気な日差しの下に半ズボン姿の少年や髪にリボンを結んだ少女が集まり、少年たちは勇ましい叫びを上げてボールと遊び、少女たちは透き通った歌声を響かせながら、まわり続ける縄を飛んだ。まだ幼い子供たちは目を輝かせて大きな子供たちの遊びに見入り、小さな足を踏み出すと腕を振って歓声を上げた。隅のほうには缶蹴りをしている子供がいた。戸口に仲よく腰を下ろしてあやとりをしている子供もいた。道の上にチョークで円を描いてビー玉遊びをする子供もいた。家の壁にひっそりともたれた一人の少女が、しっかりと腕に抱えたぬいぐるみに小声で何かを話している。赤いボールが子供たちの手にはじかれて地面に飛び、あわただしく転げ始めるボールを子供たちの足が追った。ようやく追いついて、一人が拾って腕に抱えた。空を見上げる子供がいた。彼方の空に、いつの間にか暗い影が浮かんでいた。子供たちの動きがとまった。子供たちの顔に不安が走り、不安はすぐに恐怖に変わり、小さな子供たちが頬を濡らして泣き声を上げた。家々の戸口から女たちが走り出て、小さな子供たちを抱き上げた。少女たちがなわとびの縄を地面に投げ捨て、あやとりのひもをポケットにしまった。ビー玉遊びをしていた子供たちがあわてて地面に手を這わせて、転がる玉を拾い集めた。子供たちがそれぞれの家を目指して走り始めた。子供たちの口から泣き声がもれた。暗い窓辺に現われた黒衣の老婆がおびえた眼差しを空に向け、その渇いた口を動かして忌むべき名前を音にした。「ラグーナ」
 家々の窓が音を立てて閉ざされていく。戸口が閉ざされ、鍵をかける音がこだまする。無人となった道の上をボールがゆっくりと転がっていった。恐ろしい爆音が聞こえてきた。覆いかぶさるようにしてエアカーの編隊が現われた。爆音を上げて疾走する黒いエアカーの編隊が家々の屋根をかすめ、軒先をかすめ、すさまじい乱流をあとに残して屋根を覆うスレートを剥ぎ、子供たちの赤いボールを道の上から吹き飛ばした。
 先頭のエアカーにラグーナがいた。黒いエナメルのボディスーツに身を包み、悠然とした様子で黒革の椅子に腰を下ろし、黒いエナメルのブーツを履いた脚を大胆に組んで、とげのようにとがったヒールを宙に向かって突き立てていた。ラグーナの前でエアカーの操縦桿を握るのは、いたぞ、と叫んだ警官だ。
「ラグーナ」いたぞ、と叫んだ警官が叫んだ。「ロイド博士の研究所が見えてきました。あと三分で到着します」
「いよいよね」ラグーナが冷たい笑みを浮かべ、ヘッドセットを耳にあてた。「全機に告ぐ、こちらラグーナ。作戦開始まで三分。各班の指揮官は状況を報告しなさい」
 無線機につながれたスピーカーが空電の音を軽くはじいた。
「第一斑、こちらは準備完了です」
「第二斑、こちらも準備完了です」
「第三斑、ご一緒できて光栄です」
「第四斑、喜んでおともをします」
「第五斑、ご命令をお願いします」
「すべて作戦どおりに進めるのよ」ラグーナが言った。「着陸後、第一斑は研究所の正面入口を確保、第二班は裏口を確保、第三斑は突入、第四班は第三班を支援、第五班は上空で待機。わたしは第三班と一緒に突入します。目標はアルタイラ、目撃者はすべて抹殺すること。例外はない。たとえロイド博士であってもね」
 研究所の銀色のドームが近づいてきた。黒いエアカーの群れが縦列を組んで降下に移り、次々と研究所のまわりに着陸した。エアカーがドアを開き、ラグーナ隊の黒い制服を着た男たちを吐き出した。赤毛のラグーナが黒い失神棒を手にして現われ、男たちに向かって手を振り上げた。男たちが武器を構えて進み始めた。ラグーナが颯爽とした足取りでそのあとを追う。その一部始終を監視カメラが見つめていた。
「ラグーナ、やはり来たか」
 モニターをにらんでロイド博士がつぶやいた。
「こいつはどうしますか?」
 白衣の技師たちがトロッグを前に突き出した。
「ちくしょう、縄をほどけ」
 トロッグが縛られたからだを激しく揺すった。
 博士の目が監視カメラのモニターをにらんだ。
 入口に群がる男たちが、熱線銃の赤い炎でドアのロックをあぶっていた。
「見たまえ」博士が言った。「ドアを壊している。すぐに突入してくるぞ」
「急がないと、脱出する時間がなくなります」技師の一人が博士に言った。
「いや、脱出は無理だ」博士が言った。「退路はたぶん、ふさがれている」
「すみません」アルタイラが言った。「これ、わたしのせいなんですよね」
「気にしない」アデライダが言った。「お父さまがなんとかしてくれるわ」
「あの」アルタイラが言った。「わたしを引き渡したらどうなりますか?」
「だめ」アデライダが言った。「だめよ。あなた、きっと殺されちゃうわ」
「君だけではない」博士が言った。「ここにいる全員が抹殺されるだろう」
「わははははは」とトロッグが笑った。「いい気味だ。全員死んでしまえ」
「トロッグ」博士が言った。「愚か者め。もちろんおまえも殺されるのだ」
「なんだと」トロッグが叫んだ。「ばかな。そんな非道が許されるものか」
「博士」白衣をまとう技師の一人が詰め寄った。「何か、助かる方法は?」
「気が進まないが」博士が言った。「ついに、あれを使う日が来たようだ」
「まさか、あれを」技師たちが叫んだ。「しかし、あれは、危険すぎます」
「ほかに手段がない」博士が言った。「あれしかないのだ。用意したまえ」
 白衣をまとう技師たちが走り、ジェラルミンの大きなケースを抱えて戻ってきた。
「あれです」技師が言った。
「うむ」博士がうなずいた。
 博士は首にかけたブロンズ製の鎖をはずし、鎖の先で揺れる小さな鍵でジェラルミンケースの蓋を開けた。
「まあ」アデライダが声を上げた。
「へえ」アルタイラも声を上げた。
 襟と袖をレースで飾った丈の短い黒いドレスが入っていた。
「かわいいじゃん」アルタイラが言った。
「レースがすてき」アデライダが言った。
「アデライダ」博士が言った。「これはわたしがおまえのために開発した強化服だ」
「でもこれ、メイド服ですよ」アルタイラが言った。
「アデライダ」博士はかまわずに先を続けた。「この服にはおまえのうっかりを千倍に増幅する機能が備わっている」
「でも、メイド服なんですね」アルタイラが言った。
「アデライダ」博士はかまわずに先を続けた。「それからこれだ。この銀色のティアラはおまえのうっかりを発信機に伝達する。そしてここにあるこれ、ただのホウキのように見えるかもしれないが、これがうっかりフィールド発信機だ。この発信機があれば、おまえのうっかりに戦う相手をしっかりと巻き込むことができるのだ。うっかりフィールドの大きさはホウキを振る強さで調整する仕組みになっている」
 アルタイラがスースのなかを指差した。
「この黒い網タイツはなんなんですか?」
「それにも、それなりの機能があるのだ」
「まあ、お父さまったら、嘘ばっかりね」
「まさか、おならの臭いがしたりしてね」
「ばかな、何を言うのだ」博士が叫んだ。
「博士」技師の一人が監視カメラのモニターを指差した。「入ってきました」
「時間がない」博士が言った。「アデライダ、この強化服を身につけるのだ」
「まあ、お父さま、ここで着替えるの?」
「急げ、四の五の言っているひまはない」
「あたし、手伝う」アルタイラが言った。
「あら、助かるわ」アデライダが言った。
 アデライダがあっさりと服を脱ぎ捨てた。白衣の技師たちが顔をそむけた。
「おい、おれも戦う」トロッグが言った。
「悪党が何を言うか」技師たちが叫んだ。
「協力すると誓えるか?」博士が訊ねた。
「ああ、誓おう」トロッグがうなずいた。
「縄をほどいて武器を返してやりなさい」
「しかし博士」白衣の技師が首を振った。
「時間がない。武器を返してやりなさい」
 技師たちが縄をほどいて武器を返した。わはははははとトロッグが笑った。
「ばかめ。おれが一緒に戦うと思ったか」
 トロッグが熱線銃を構えて博士を狙った。そしてそのまま引き金を引いた。
 博士が冷たい視線をトロッグに向けた。トロッグの赤い額に汗が浮かんだ。
「なぜだ」トロッグが叫んだ。「なぜだ」
「エネルギーモジュールを抜いておいた」
「そうか、おれを信じていなかったのか」
「そうだ。火星人の悪党は信用できない」
「ちくしょう、地球人め、してやられた」
 白衣の技師がスパナを振ってトロッグを殴った。トロッグが床に転がった。
「お父さま、着替えたわ。ほら、いかが」
 着替えを終えたアデライダが、かわいくホウキを構えてからだをまわした。
「おお、おお」ロイド博士が声を上げた。
「おお」技師たちもそろって声を上げた。
「博士」技師の一人が実験室のドアを指差した。「やつらが、入ってきます」
 実験室のドアが開いた。黒い制服の男たちが武器を手にしてなだれ込んだ。
「いたぞ」いたぞ、と叫んだ警官がまた叫び、アルタイラに指を突きつけた。
「アデライダ、頼んだぞ」博士が叫んだ。
「アデライダ、行きます」
 アデライダがホウキを持って前に出た。
 アデライダがホウキを振ると、熱線銃が暴発した。
 アデライダがホウキを振ると、男たちがつまずいた。
 アデライダがホウキを振ると、男たちが次々に倒れた。
 アデライダがホウキを振ると、男たちが逃げ惑った。
 アデライダがホウキを振ると、熱線銃が爆発した。
 黒い制服を着た男たちが退却を始めた。
 アデライダがホウキを構えて追跡した。
 黒い制服を着た男たちが武器を捨て、仲間を捨てて研究所から逃げ出した。
「逃げたら撃つわよ」ラグーナが叫んだ。
 ラグーナが熱線銃を抜き放った。非情の赤い光が男たちを消し炭に変えた。
 それでも男たちは逃げ続けた。黒いエアカーが次から次へと離陸を始めた。
「ちっ」ラグーナが舌を打った。ラグーナもまた黒いエアカーに乗り込んだ。
 アデライダがホウキを持って現われた。
 アデライダがホウキを振ると、エアカーが落ちた。
 アデライダがホウキを振ると、エアカーが落ちた。
 アデライダがホウキを振ると、エアカーが落ちた。
 アデライダがホウキを振ると、エアカーが落ちた。
 アデライダがホウキを振ると、エアカーが落ちた。
 わずかな数のエアカーが空の彼方に逃げ延びた。
 アデライダがホウキを下ろして吐息をもらした。
「ふう」
 赤毛の美女ラグーナは、顔を怒りに染めていた。
 黒革の椅子に座って脚を組み、ヘッドセットを耳にあてた。
「こちらラグーナ、アダー執政官、応答願います」
 無線機につながれたスピーカーが空電の音を軽くはじいた。
「ラグーナ」執政官の声が聞こえた。「首尾はどうだった?」
「申し訳ありません。失敗に終わりました」
「しくじったのか? ラグーナ、失敗のつぐないは死だと、わかっているのだろうな?」
「はい、わかっています」
「では、命乞いをすればよい。おまえの前任者たちがそうしたように、おまえもわたしの情けにすがるのだ。わたしのまったくあてにならない情けにな」
「いいえ、命乞いはいたしません。覚悟はできています」
「そうか、それはよい心がけだ。その心がけに免じて、もう一度だけ、おまえにチャンスをやろう。今度は必ず成功させるのだ。テラシティの敵アルタイラを始末しろ」
「はい、必ずアルタイラを始末します」
 ふふふふふふ、とラグーナが笑った。
 ふははははは、と執政官が笑った。
 ラグーナの黒いエアカーが爆発した。
 ふはははははと執政官がまた笑った。

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