2015年10月6日火曜日

『Terracity - テラシティ』 第八話 恐怖の記憶変造室

第八話
恐怖の記憶変造室
 シティホールの百三十五階、百人もの男女が騒然としてマイクを握る通信室に警官隊が突入した。通信士たちが顔を上げ、部屋の空気が凍りついた。青いヘルメットと銀色のユニフォームに身を包んだ警官たちは手札サイズの写真を手に駆けまわり、写真の顔と通信士たちの顔とを見比べていった。間もなく部屋の奥から、いたぞ、という叫びが上がり、叫びを聞いた警官たちが声のした一角へ足音も勇ましく押し寄せた。いたぞ、と叫んだ警官は黒いセルフレームの眼鏡をかけた愛らしい黒髪の娘アルタイラに向かって指を突きつけ、ぞろぞろと集まる仲間を背にしてこのように言った。
「アルタイラだな?」
「そうですけど」アルタイラがうなずいた。
 警官たちは互いの顔を見てうなずきを交わし、いたぞ、と叫んだ警官はアルタイラに指を突きつけたまま、さらに続けてこのように言った。
「アルタイラ、おまえの身柄を拘束する」
 通信士たちが息をのんだ。アルタイラが目を丸くした。
「なんで?」
 アルタイラが訊ねると、いたぞ、と叫んだ警官は突きつけた指を震わせた。
「テラシティの転覆を謀った容疑だ。立てっ」
「たぶん、何かの間違いだと思うけど」
 そう言いながらアルタイラが立ち上がると警官たちが退いた。それでも、いたぞ、と叫んだ警官が勇気を出してアルタイラの手に手錠をはめた。アルタイラは警官隊によってシティホールから連れ出され、待機していた黒いエアカーに押し込まれた。アルタイラを乗せたエアカーはサイレンを鳴らしながら浮き上がり、すさまじい加速でシティホールから離れると立ち並ぶ高層ビルのあいだを抜け、橋をくぐり、橋を駆け抜け、またいくつものビルのあいだをくぐり抜け、ついにテラシティのはずれに達して円筒形の建物の前に着陸した。その建物には窓がなかった。エアカーのドアが開き、いたぞ、と叫んだ警官がアルタイラをうながし、アルタイラはエアカーから出て建物を見上げた。
「ここはどこ?」
 そう訊ねるアルタイラに、いたぞ、と叫んだ警官が非情の笑みを浮かべてこのように言った。
「記憶変造センターだ」
 記憶変造センター、それは記憶変造装置を使ってテラシティの市民の記憶を変造する場所だ。記憶を変造された市民は記憶を変造された記憶を失い、執政官の意のままに動くロボットとなるのだ。
 記憶変造センター、それはテラシティ全市民の恐怖の的だ。そこでは記憶が変造されるだけではない。テラシティの市民の常識では、記憶変造装置にかけられたらすべての秘密が暴露される。市民の秘密は執政官のノートに細大もらさず記録され、秘密を握られた市民は執政官の意のままに動くロボットとなるのだ。
 記憶変造センター、そこは陰謀の巣窟だ。そこで働く職員は仕事柄、悪事や秘密から身を遠ざけることができないので、すぐに悪事に染まって秘密を抱え、むやみと壮大な陰謀をたくらんではうかつに動いて逮捕される。記憶変造センター裁判はテラシティの年中行事だ。逮捕された職員は記憶変造センターで記憶を変造され、執政官の意のままに動くロボットとなるのだ。
 記憶変造センター、そこは地獄だ。
 ふははははは、と執政官が笑った。
 ふふふふふふ、とラグーナも笑った。
 ここは記憶変造センターの心臓部、中央記憶変造室だ。円形をした広大な部屋の壁に沿って無数のランプをちかちかと点滅させるコンピューターのような物、あわただしくリールを回転させる磁気テープ装置、何に使うのかわからないメーターのたぐい、放電球、丸いブラウン管に際限もなく波を打たせるオシログラフなどがずらりと並び、部屋の中心には腎臓型の大きな会議テーブルのかわりに拘束用のベルトを垂らしたアームチェアが置かれている。そして銀色の服の上に白衣をまとった百人もの技師たちが、スイッチやダイヤルが並んだ制御卓、床を這うケーブル、金属の冷たい輝きを放つ電極や一列に並んだ大型の真空管をしたがえて、アルタイラの到着を待ち受けていた。
 いたぞ、と叫んだ警官がアルタイラを引いて現われた。白衣の技師たちがアルタイラを受け取り、ベルトを垂らしたアームチェアの前へと導いていった。
 スピーカーから声が流れた。
「記憶変造第一段階。計画は、予定どおり、順調に進行している」
 アルタイラはアームチェアに押し上げられ、手と足をベルトで拘束された。
 スピーカーから声が流れた。
「記憶変造第一段階終了。これより第二段階に移る。計画は、予定どおり、順調に進行している」
 白衣をまとった技師たちがアームチェアのまわりに集まった。全員がいかついゴーグルで目を覆い、一人が制御卓を前にしてスイッチを入れてダイヤルをまわした。アルタイラの前にらせん模様を描いた大きな円盤がせり上がった。
「これ何?」
 アルタイラが訊ねると、それに答えるようにスピーカーから声が流れた。
「記憶変造モジュール、配置完了。計画は、予定どおり、順調に進行している」
 どこからかモーターの回転音が聞こえてきた。真空管がうなりを上げて光を放ち、電極がまばゆい火花をはじき上げた。スピーカーから声が流れた。
「記憶変造第二段階終了。これより第三段階に移る。計画は、予定どおり、順調に進行している」
 技師たちの声が次々にメーターの数値を読み上げる。指がスイッチの上ではね、骨張った手がダイヤルをまわす。アルタイラの目の前でらせん模様が回転を始めた。アルタイラの前に激しくまわる渦が現われ、アルタイラはそれを見つめて目をまわした。スピーカーから声が流れた。
「記憶変造モジュール、回転正常。計画は、予定どおり、順調に進行している」
 クリップボードを手にした技師が現われ、武骨な形のマイクを口に近づけた。クリップボードの上の書類に目を走らせ、それからゆっくりとした口調でこのように言った。
「アルタイラよ。よく聞け」
 アルタイラは目をまわしていた。
「これ、目がまわるんだけど」
 技師は無視して先を続けた。
「アルタイラよ。よく聞け」技師が続けた。「おまえは大きな間違いを犯した」
 アルタイラの前で円盤がまわった。アルタイラの目が渦を追った。
「アルタイラよ。よく聞け」技師が繰り返した。「おまえは大きな間違いを犯した。おまえは間違った考えを抱いた。いいか、よく聞け、アルタイラ。アダム・ラーはおならをしない。アダム・ラーはおならをしない」
 技師の額を汗が伝った。
「あのう」アルタイラが言った。「すっごく目がまわるんですけど」
 技師たちの声がメーターの数値を読み上げ、あわただしく動く手がスイッチを入れダイヤルをまわした。
「記憶変造モジュール、加速中。計画は、予定どおり、順調に進行している」
「アルタイラよ」マイクを握って技師が言った。「アダム・ラーはおならをしない」
「目がまわるんだってば」
 技師たちのあいだに動揺が走った。制御卓のダイヤルがまわされ、真空管がうなりを上げた。
「記憶変造モジュール、なおも加速中。計画は、予定どおり、順調に進行している」
「アルタイラよ」マイクを握って技師が叫んだ。「アダム・ラーはおならをしない」
「これ目がまわるんだってば」
 技師たちのあいだにさらなる動揺が走り、制御卓のダイヤルがまたまわされ、モーターが激しく振動を始めた。
「記憶変造モジュール、なおも加速中。計画は、予定どおり、順調に進行している」
「アルタイラよ」マイクを握って技師が叫んだ。「アダム・ラーはおならをしない」
「なんだか、あたし、ふらふらしてきた」
 技師たちが互いの顔を見てうなずき、制御卓のダイヤルがいっぱいまでまわされ、モーターが金切り声とともに黒い煙を噴き上げた。
「記憶変造モジュール、回転速度最大。計画は、予定どおり、順調に進行している」
「アルタイラよ」マイクを握って技師が叫んだ。「アダム・ラーはおならをしない」
「もう、たいへんだから、目つぶっちゃお」
 真空管が吹き飛んだ。モーターが炎を噴き出し、制御卓が爆発した。火災報知器のベルが鳴り響き、数人の技師が消火器を抱えて飛んできてモーターや制御卓に白い泡を吹きかけた。スピーカーから声が流れた。
「記憶変造モジュール、緊急停止。計画は、予定どおり、順調に進行している」
 ベルの音がやみ、白衣の技師たちがゴーグルをはずした。
 このとき、中央記憶変造室のドアが開き、赤毛の美女ラグーナが姿を現わした。そして白衣の技師たちはラグーナの蠱惑的な姿に目を奪われ、たちまちのうちにそのうちの一人が石になった。
「あれを」ラグーナが石になった技師を指差し、あとに続いて現われた青いヘルメットの警官に言った。いたぞ、と叫んだ警官だ。「わたしの部屋へ運んでおいて」
 なんと、ラグーナは自分を見て石になった男たちを自分の部屋に集めていたのだ。夜ごとにコレクションを眺めて楽しんでいるのだ。いったい、なんという悪趣味であろうか。その悪趣味なラグーナは颯爽とした足取りで記憶変造装置に歩み寄り、技師たちに訊ねてこのように言った。
「報告しなさい。何があったの?」
 ラグーナの問いかけに白衣の技師が肩をすくめた。
「わかりません。はっきりしているのは、記憶変造モジュールがまったく通用しなかったということだけです。もしかしたら、ものすごい意志の力の持ち主なのかもしれません。わたしたちはこの日が来るのを恐れていました」
「そう」ラグーナは冷たい笑みを浮かべて技師にうなずき、それからアルタイラに向かってこのように言った。「さすがね。泣き叫んで無様なところをさらしたら許してやろうかと思っていたけど、どうやらそういうわけにはいかないようね」
「あなた、誰?」椅子の上からアルタイラが訊ねた。
 ふふふふふとラグーナが笑った。
「なんてこと。もう回復してるわ」そう言いながら、顔をアルタイラに近づけた。「信じられない。とてつもない生命力。まるで化け物」
 拘束されたアルタイラに、ラグーナがさらに顔を寄せた。そして鼻と鼻とが触れあわんばかりになったとき、アルタイラがすばやく動いて口をすぼめた。すぼめた口がラグーナの唇を小突き、ちゅっという音がした。
「なんてこと」ラグーナが手の甲を口にあてて退いた。「思ったとおり、やっぱり化け物ね。化け物なら、化け物にふさわしい場所に送ってやるわ」白衣の技師たちを振り返り、唇にあてていた手を振り上げた。「いますぐ、この娘をニューゲイト7へ送るのよ」
「ニューゲイト7へ」技師が震える声で復唱した。
「ニューゲイト7へ」白衣をまとう技師の群れが震える声で繰り返した
 ニューゲイト7、それは暗黒の宇宙に浮かぶ刑務所だ。宇宙にあるので、悲鳴は誰にも聞こえないのだ。
 ニューゲイト7、それはテラシティ全市民の恐怖の的だ。一度そこへ送られたら二度と出て来られないというのがテラシティの市民の常識だ。
 ニューゲイト7、そこには愛も友情もない。残忍な所長に率いられた凶悪な看守がただ楽しみのために囚人をさいなみ、人間性を剥ぎ取って恐るべき獣性を引きずり出すのだ。
 ニューゲイト7、そこは地獄だ。
 ふふふふふとラグーナが笑った。
 白衣の技師がアルタイラの拘束を解き、椅子から降りたアルタイラを、いたぞ、と叫んだ警官に渡した。いたぞ、と叫んだ警官はアルタイラに手錠をかけ、記憶変造センターから連れ出して黒いエアカーに押し込んだ。アルタイラを乗せたエアカーはサイレンを鳴らして浮き上がり、すさまじい加速で記憶変造センターから離れて立ち並ぶ高層ビルのあいだを抜け、橋をくぐり、橋を駆け抜け、またいくつものビルのあいだをくぐり抜け、ついに宇宙港に到着すると発着場のはずれに横たわる流線形の宇宙船の隣に着陸した。エアカーのドアが開き、いたぞ、と叫んだ警官がアルタイラをうながし、アルタイラはエアカーから出て船を見上げた。
「ここはどこ?」
 そう訊ねるアルタイラに、いたぞ、と叫んだ警官が非情の笑みを浮かべてこのように言った。
「テラシティ宇宙港だ。そしてここにあるこの船、小型だが快速を誇るこの囚人護送船二号が、おまえをニューゲイト7まで運ぶのだ」
 囚人護送船二号にタラップが横付けされていた。そのタラップの上に白いヘルメットと白いユニフォームに身を包んだ乗員が現われ、いたぞ、と叫んだ警官に向かってこのように言った。
「急げ、あと五分で出発だ」
 いたぞ、と叫んだ警官がアルタイラに再び非情の笑みを向け、アルタイラの背中を押しやった。
「これで地球も見納めだな」
 いたぞ、と叫んだ警官に小突かれながら、手錠をはめられたアルタイラがタラップをのぼった。タラップの上でアルタイラは白いユニフォームの乗員に引き渡され、アルタイラは乗員にうながされてハッチをくぐり、囚人護送船二号の薄暗い船内に足を踏み入れた。肋材が剥き出しとなった船内では鎖につながれた男や女が、あるいは火星人や金星人が、木製のベンチに腰を下ろして肩を落とし、うなだれていた。アルタイラもまた手足を鎖につながれて木製のベンチに腰を下ろした。
 囚人護送船二号のハッチが閉ざされ、横付けされていたタラップが離れた。間もなく補助ロケットの噴射が始まり、囚人護送船二号が浮き上がった。あたかも何かに吊り下げられているかのようにふらふらと揺れ動きながら高度を上げ、尖った舳先を上へ上へと向けながら主推進ロケットをふかし始めた。黒い煙をもうもうと噴き上げ、囚人護送船二号が突進に移った。轟音を立てて重力を振り切り、一気に宇宙へ駆け上がった。船内では木製のベンチが軋みを上げ、囚人たちが苦痛を顔に浮かべてGに耐え、轟音に耐えて耳をふさいだ。やがてのしかかるGが消え、重さを失った囚人たちはベンチや鎖にしがみついた。囚人護送船二号は地球の光を浴びて宇宙を進み、地球の影へ入り込むとその奥にひそむ巨大な黒い物体を目指してさらに進んだ。点滅する標識灯を頼りに船を近づけ、手だれの技でドッキングベイに船を寄せ、つかの間の躊躇も見せずに船をドッキングベイに押しつけた。金属と金属がぶつかる音が船内に響いた。囚人たちは顔を上げてあたりを見まわし、喉を鳴らして唾をのんだ。
 囚人護送船二号のハッチが開いた。黒い帽子と黒いユニフォームに身を包んだ看守が特大の棍棒を手にして現われ、囚人たちに向かってこのように言った。
「ようこそ、ニューゲイト7へ。諸君を歓迎する」

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