2015年10月1日木曜日

『Terracity - テラシティ』 第三話 出動、アダム・ラー

第三話
出動、アダム・ラー
 テラシティの上空に不気味な黒い雲が出現した。黒い絵の具をたっぷりと吸わせた筆の先で水槽の水をかきまわしているかのように不自然な形で渦を巻き、間もなくその中心から黒い竜巻が音もなく現われて、くねる漏斗を地上に向かって伸ばし始めた。
「あれはなんだ?」
 テラシティの市民が竜巻に気づいた。
「こっちへ来るぞ」
 テラシティの市民が竜巻を見上げた。
「危ない、逃げろ」
 テラシティの市民が逃げ始めた。悲鳴を上げ、足を惑わせ、からだとからだがもつれ合った。竜巻の先端が地上に達した。と同時に雷鳴のような轟音が起こり、突風が逃げ遅れた人々をなぎ倒した。またしても悲鳴が上がり、逃げ続ける者、転ぶ者、足をとめて振り返る者、騒ぎを聞きつけて新たに駆け寄る者がいたるところで入り交じった。竜巻は飛び去り、あとには怪しい人影が残されていた。筋骨隆々とした巨躯を誇り、剥き出しの上半身に鎖をまとい、両手で巨大な原子力ハンマーを支えている。多くの者がその人影に気づいて、顔を寄せて囁きを交わした。いったいあれはなんなのか、どこから来たのか、どこへ行くのか、いったい何が始まるのか、そろそろ逃げ出したほうがよいのではないか。多くの者が不安をささやき、ささやきにささやきを重ねて大きなざわめきにしていると、間もなく人影の正体を見分けた一人が声を上げた。
「あれは力自慢で有名なイタリアの大道芸人ザンパノに違いない。しかし妙だ。イタリアの大道芸人ザンパノが、なぜテラシティに出現したのだろう?」
 それはもっともな疑問だと、多くの市民がうなずいた。このときどこかで笑いの声が高らかに上がった。空に向かってまっすぐに突き抜けるようなその軽薄な笑いを人々は怪しみ、笑いの主を求めてあわただしく前後左右を見回したが、どこを探しても求める姿は見当たらない。どこだ、と誰かが叫んだ。どこにいる、と多くの者が声を合わせた。あそこだ、と一人が指差し、全員の目がいっせいにその方角を追いかけた。
 ざわめく市民とザンパノとのあいだに、いつの間にか一人の男が立っていた。金属繊維の服をまとい、姿形はテラシティの善良な市民と一つとして変わることがなかったが、広げた両脚で地面を踏み締め、両手の甲を腰に当て、いったい何が楽しいのか、わはははははと笑っていた。そしてひとしきり笑いの声を放ってから、口を閉ざして唇の端に凶悪そうな笑みを浮かべ、それから再び口を開いてこのように言った。
「そう、もっともな疑問だ」その冷たい声を耳にしてテラシティの市民は等しく恐怖を味わったが、男はかまわず先を続けた。「本来ならばイタリアにいるはずの大道芸人ザンパノが、なぜテラシティに出現したのか。本来ならば決してあり得ないはずのことが、なぜ今日、この場で起こったのか」
「わかったぞ」市民の一人が勇気をふるって声を上げた。「おまえのしわざだな」
「そうだ」と男が叫んだ。
「しかし、いったい」と別の市民が声を上げた。「なんのために?」
「もちろん、この平和なテラシティを破壊するためだ。これを見ろ」男は小さな黒い箱を取り出して高々と掲げた。「これはリモートコントロール装置だ。この装置を使えば、あのザンパノを好きなようにあやつることができるのだ」
「そうか」とテラシティの市民が声を合わせた。「そのリモートコントロール装置から電波を送ってザンパノを自在にあやつり、テラシティを破壊するつもりだな」
「そうだ」と男が叫んだ。「このリモートコントロール装置から電波を送ってザンパノを自在にあやつり、テラシティを破壊するつもりなのだ」
「しかし、いったい」と市民の一人が声を上げた。「なぜ?」
 わはははははと男が笑った。
「わからないのか? それはおれが悪党だからだ」
 テラシティの善良な市民が息をのんだ。
「それもただの悪党ではない。おれの正体を見せてやろう」そう言いながら男は一瞬の動作で顔から仮面を、頭からかつらを剥ぎ取った。かつらの下からかつらと同じ黒い髪が、仮面の下から仮面と同じ顔が現われた。身長にまったく変化はない。
「どこだ?」と市民が叫んだ。「どこが変わったんだ?」
「驚いたか」と悪党が叫んだ。「驚いたろう。いや、驚かないはずはない。なにしろ地球人の変装の下から地球人が現われたのだからな。おれの名はセプテム、七つの同じ仮面を持つ男だ。さあ、テラシティの愚民ども、おれの悪事をたっぷりとおがむがいい」
 悪党セプテムがリモートコントロール装置のスイッチを入れた。大道芸人ザンパノが雄叫びを放ち、原子力ハンマーを振り回した。
「そうはさせるか」と市民の一人が声を上げた。
「やっつけろ」とテラシティの市民が声を合わせた。
 ところがこのとき、七つの同じ仮面を持つ悪党セプテムの右手に熱線銃が現われた。熱線銃の先から容赦を知らない赤い光がほとばしり、地面を黒く焼き焦がした。泡立つような音がはじけ、市民は悲鳴を上げてあとずさった。
 わはははははとセプテムが笑った。
「驚いたか。これは、あの最強の熱線銃ラウレンティスDDLだ。これを使えばテラシティの市民など、一瞬で消し炭に変えることができるのだ」
「なんと、あのラウレンティスDDLか」市民の一人が悔しそうに首を振った。「一般にはカルロポンティM4をパワーだけグレードアップしたものだと思われているが、実はあの恐るべき熱線銃、白海のハイイログマと異名を取ったボンダルチュク・ガンマをハイテク化したもので、性能はカルロポンティM4よりもはるかにすぐれている。もちろん、不格好だ、重たい、扱いが悪い、コストパフォーマンスがよろしくない、ハイテク化しているという割にはローテクが目立つ、勝手な思い込みばかりが先走っていてバランスがまったく見えてこない、動作が緩慢で使っているうちに眠くなる、はっきり言って駄作であって、こんな物を手に取るやつの顔が見たい、といったようなさまざまな批判があるものの、それでもあれが恐ろしい武器であることに変わりはない」
「しかし」と勇敢な市民が声を上げた。「やつは一人だ。熱線銃も一丁だけだ。みんなでいっせいに飛びかかれば、もちろん犠牲が出るかもしれないが、しかし…」
「あいにくだな」とセプテムが笑った。「愚かなおまえたちの考えなど、こっちは最初からお見通しだ。おれには三人の子分がいる。熱線銃も一丁ではない」
 セプテムが熱線銃を振り上げるとそろいの仮面をつけた地球人の悪党がどこからともなく三人現われ、全員があの最強の熱線銃ラウレンティスDDLを構えてテラシティの市民に狙いをつけた。
「万事休すだ」とテラシティの市民が声を合わせた。
 勝ち誇るセプテムがリモートコントロール装置に指を這わせた。ザンパノが勇ましく首を傾けて骨を鳴らし、原子力ハンマーを構えて雄叫びを放った。
「行け、ザンパノ、テラシティの愚民どもにおまえの力を見せてやれ」
 ザンパノが突進した。一瞬で広場を横切り、たくましい脚を地面に踏ん張り、金属の光沢をまとう建物の一つに原子力ハンマーを振り下ろした。つらなる円窓からガラスが飛び散り、開いた穴から男や女の悲鳴がほとばしった。
 わはははははとセプテムが笑った。
 テラシティの市民が絶望を叫んだ。
 ザンパノは来た道をゆっくりと戻り、それからまたしても突進すると、同じ建物の同じ場所に原子力ハンマーを叩きつけた。窓枠がはじけて飛んで雨のように降り注いだ。開いた穴から男や女の悲鳴がほとばしった。
 わはははははとセプテムが笑った。
 テラシティの市民が絶望を叫んだ。
 しかし、このとき、一人の少女が空を見上げた。
「聞こえる、聞こえるわ」
 少女の声を聞いて、多くの市民が空を見上げた。
「聞こえる、聞こえるぞ」
 サイレンの音が聞こえてきた。数人の市民が空の一角を指差した。警察のエアカーが見事な三角形の編隊を組み、はるか上空から広場を目指して一直線に近づいてくる。テラシティの市民が歓声を上げた。七つの仮面を持つ悪党セプテムが非情の笑みを浮かべ、熱線銃ラウレンティスDDLを構えて先頭のエアカーに狙いをつけた。灼熱の光が大気を切り裂き、狙われたエアカーがもんどりを打った。溶けた金属をしたたらせながら、彼方に見える建物の陰に墜落した。一瞬の間を置き、火柱が上がった。警察のエアカーが応戦を始めた。青い光が宙を駆け抜け、青い炎が地面をえぐった。だが警察のエアカーはあの最強の熱線銃ラウレンティスDDLの敵ではなかった。一台、また一台としとめられ、選んだように建物の陰に落ちていっては丸い火の玉を噴き上げた。そしてそのあいだも恐るべきザンパノは芸道に人生を捧げた者のみが体得できるという、あの揺るぎを知らない情熱と忍耐で黙々と攻撃を続けていた。同じ建物の同じ場所に向かって執拗に突進を繰り返し、そうしているうちに金属の光沢をまとう壁がわずかにへこみ、わずかなへこみが目にもあきらかなへこみとなり、やがてへこみの中心に小さな亀裂が現われた。
 わはははははとセプテムが笑った。
 テラシティの市民が絶望を叫んだ。
 しかし、このとき、一人の少女が空を見上げた。
「聞こえる、聞こえるわ」
 少女の声を聞いて、多くの市民が空を見上げた。
「聞こえる、聞こえるぞ」
 またしてもサイレンの音が聞こえてきた。数人の市民が空の一角を指差した。太陽の光を背にして流線形の黒い影が舞い降りてくる。テラシティの市民はその影を見分けた。それはテラシティ防衛隊の戦闘艦インヴィンシブルの勇姿だった。セプテムは舌打ちをして熱線銃を構え直した。インヴィンシブルを狙って引き金を引いた。凶悪な赤い光が空中を走り、灼熱の炎がインヴィンシブルに命中した。だが何事もなかったかのようにインヴィンシブルは堂々と降下を続けている。テラシティの市民が歓声を上げた。セプテムとその一味は熱線銃を構えてむなしい攻撃を続けていたが、インヴィンシブルはものともしない。轟音とともに広場に着陸してハッチを開き、青いヘルメットをかぶった防衛隊の隊員たちを吐き出した。セプテムの手下どもが蒼ざめた。
「ちくしょうめ」とセプテムが罵る。
 そしてそのあいだも恐るべきザンパノは黙々と攻撃を続けていた。小さな亀裂はすでに大きな亀裂となり、金属の光沢をまとう壁面は怪しく軋み、みもだえていた。テラシティ防衛隊の恐れを知らない隊員たちが熱線銃を構えて前進を始めた。指揮官が声を上げ、隊員たちの指が熱線銃の引き金にかかる。悪党セプテムの一味が消し炭に変わる瞬間が刻一刻と近づいていた。
 しかし、このとき、たわんだ壁で異状が起こった。ザンパノの単調で執拗な攻撃に、ついに壁が根負けした。いよいよ面倒なので仔細ははぶくが、この瞬間テラシティの虚飾が暴かれ、不快な真実から目を背けるために多くの者がまぶたを閉ざした。見えない、見えない、とつぶやきながら、手を前にかざして逃げ惑った。間に合わなかった者もいた。あまりの衝撃に心を乱し、壊れた壁を指差して笑い始める者もいた。
「あはははははは、なんて恐ろしいんだ」
 市民は逃れ、無敵を誇るテラシティ防衛隊は壊滅した。市民も防衛隊の隊員も、もつれる足を急かして昼間営業の酒場に飛び込み、見てきたことを忘れるためにグラスを握って酒を浴び、見てきたことを口にして裏切り者と罵られた。
 わはははははとセプテムが笑った。
 セプテムの手下が雄叫びを上げた。
 ザンパノがしつこく突撃を続けた。
 悪党どもが勝利を得たのか?
 テラシティは敗北したのか?

 テラシティの中心部、思わず誤解を抱くような輝かしい金属の光沢をしっかりとまとい、頭上はるかにそびえるシティホールの百三十五階に置かれた通信室で、黒いセルフレームの眼鏡をかけた愛らしい黒髪の娘アルタイラが通信装置につながるマイクにそのふくよかな唇を寄せ、悲痛な声で訴えた。
「アダム・ラー、アダム・ラー、こちらテラシティ、聞こえますか。テラシティの危機です。悪党セプテムが町を壊そうとしています。アダム・ラー、聞こえますか。お願いです。どうか、わたしたちを助けてください」
 アルタイラの叫びは電気信号に変換されて通信装置の背後から延びるケーブルへ送られ、いくつものリレー装置をくぐり抜けて高層のシティホールを上へ上へと駆け上がり、ついに屋上へ達すると巨大なアンテナから翼ある電波となって空中へ飛んだ。
 テラシティの上空、五千メートル。雲を見下ろす空の高みにテラシティの守護者アダム・ラーの空中要塞テラグローブが浮かんでいた。数々の武器を備えたその球体は直径百五十メートルを超え、輝かしい銀色の光沢をまとって地上の声に耳を傾け、大きく広げたアンテナでアルタイラの声を受けとめた。
「アダム・ラー、アダム・ラー、こちらテラシティ、聞こえますか。テラシティの危機です。悪党セプテムが町を壊そうとしています。アダム・ラー、聞こえますか。お願いです。どうか、わたしたちを助けてください」
 テラシティの守護者アダム・ラーはテラグローブの司令室で最新鋭の通信装置テララジオから流れる声を聞いた。救いを求めるアルタイラの声に、蒼白の美貌と健やかな肉体を持つ正義の戦士の心が猛った。
「なんということだ」深みのある声でそうつぶやくと、テララジオに顔を近づけた。「あれはわたしだったと思っているのか」薄い唇を舐め、丸窓の外に浮かぶ雲を見つめてあとを続けた。「なんとしても理解させなければ」再び通信装置に目を落とした。「わたしのような輝かしい人間は、おならなどという卑俗な行為は決してしないということをな。だがその前に」姿勢を正して青い詰め襟のホックをとめた。青いチュニックの胸を叩き、続いて白い乗馬ズボンを軽く叩く。膝から下は磨き上げられた黒いブーツだ。腰のホルスターに収めた熱線銃MAX9を軽く撫で、最後に白い手袋を手に取った。「わたしにはしなければならないことがある」そう言って机の上に置かれた真紅の発令装置テラアラームに手を伸ばした。これはアダム・ラーの手だけに反応する。そしてアダム・ラーがテラアラームに手を置くと、テラグローブを揺るがすサイレンが鳴った。
 アダム・ラー出撃の合図だ。テラグローブに足音がこだまする。非番の者もドーナツを捨てて駆け出した。発進ドックでは作業服に身を包んだ浅黒い肌の男たちが声をかけ合い、快速艇テラホークの発進準備に取りかかった。驚異のテラニウムエンジンにテラニウム燃料が充填され、強力無比の熱線砲XH9000に重たげなパワードラムが装填される。アダム・ラーの司令室にタップスとスパークスが飛び込んできた。どちらもアダム・ラーの忠実な仲間だ。アダム・ラーが二人に気づいて振り返り、テラアラームから手を離した。サイレンが鳴りやみ、テラグローブに静寂が戻る。
「出動する」アダム・ラーが二人に告げた。
「了解」タップスとスパークスが敬礼した。
 アダム・ラーが敬礼を返して指令室から飛び出した。タップスとスパークスがあとを追う。円筒形のエレベーターのドアが閉まり、再び開くとそこは驚異のテラファシリティだ。アダム・ラーが二人の仲間を連れて現われると、技師が、科学者が、整備士が、補給係や修理工が、働く手をとめ、足をとめ、顔に喜びを浮かべて敬礼した。そして扇形の発進ドックでは純白の快速艇テラホークが美しい流線形の姿を横たえ、テラシティの守護者アダム・ラーが乗り込むのを待っていた。アダム・ラーは感嘆の吐息をもらし、テラホークに向かって駈け出した。タップスとスパークスがあとを追う。
 しかし、このとき、恐ろしい爆発音が発進ドックに響き渡った。二級整備士のマヌエルが腕を押さえて現われて、痛みにうめきながら横たわった。
「マヌエルっ」
 整備士たちがマヌエルに駆け寄り、助け起こした。
「欠陥コイルが…」
 マヌエルがそうつぶやいて頭を垂れる。
「マヌエルっ、しっかりしろ」
 整備士たちがマヌエルを励ます。アダム・ラーが駆け寄った。
「大丈夫か、重傷なのか?」
 整備士たちが首を振り、アダム・ラーの顔に悲しみが浮かんだ。
「アダム・ラー」
 かすれた声でマヌエルが呼んだ。
「マヌエルっ」
 整備士たちが口々に叫んだ。
「アダム・ラー」マヌエルがかすれた声で繰り返した。「わたしにかまわず、行ってください。わたしなら大丈夫です。たいした怪我ではありません。さあ、早く。テラシティがあなたを必要としているのです」
「マヌエルっ」
 整備士たちが口々に叫び、アダム・ラーの目に涙が浮かんだ。
「わかった」
 アダム・ラーがタップスとスパークスを振りかえった。
「行くぞっ」
 タップスとスパークスがうなずいた。アダム・ラーが身をひるがえし、発進ドックの床を蹴って快速艇テラホークのハッチに飛び込んだ。白いヘルメットをすばやくかぶり、コクピットに進んで操縦席に腰を下ろす。タップスとスパークスがあとに続き、タップスはアダム・ラーの右後方にある機関士席に、スパークスはアダム・ラーの左後方にある通信士席に腰を下ろした。タップスがクリップボードを取ってチェックリストを読み上げると、アダム・ラーが滑らかな手つきでスイッチを動かし、メーター類を指で叩く。かたわらではスパークスがヘッドセットを頭にのせて通信装置をチェックしていく。間もなく発進の準備が整った。
「エンジン始動」アダム・ラーが命令した。
「エンジン始動」タップスが復唱し、スイッチを入れてレバーを動かす。「テラニウムエンジン、出力百パーセント」
「固定装置解除」アダム・ラーが命令した。
「固定装置解除」スパークスが復唱してレバーを動かし、着陸用スキッドを発進ドックの固定装置から解放した。
 エンジンが吠え、テラホークが震えた。アダム・ラーが操縦桿を握り締めた。
 タップスが叫ぶ。「エンジン出力、百二十パーセント」
 スパークスが報告する。「固定装置、解除よし」
「発進」
 アダム・ラーが叫び、流線形のテラホークがテラグローブから飛び出した。まばゆいばかりの純白に輝く快速艇がテラシティを目指して一直線に降下していく。コクピットの窓に見る見るうちに地上が迫り、アダム・ラーが操縦桿を一気に引くとテラホークは空を切って金属の光沢をまとう建物をかすめた。地上に揺らめく影を投げかけ、水平飛行で突進する。あまりの速さにスパークスが肝を冷やした。
「アダム・ラー、もっとゆっくりに飛べませんか?」
 スパークスがそう言うと、タップスが笑った。
「はっはっはっ。臆病なやつだなあ」
 アダム・ラーが笑みを浮かべた。
「安心しろ、あと少しだ」
 しかし、このとき、テラニウムエンジンに異状が起こり、タップスの目の前で赤い警告灯が不気味に点滅した。計器をにらんでタップスが叫んだ。
「テラニウムエンジン出力低下、現在八十パーセント」
「何があった?」
「わかりません。出力さらに低下中、六十パーセント」
「なんとかしろ」
「だめです。四十パーセント、推力を維持できません」
 テラホークが傾き、スパークスが悲鳴を上げた。
「そうか、あの欠陥コイルか」タップスが叫んだ。
 マヌエルに傷を負わせた欠陥コイルがテラニウムエンジンを破壊したのだ。
 アダム・ラーが二人に叫んだ。「不時着に備えろ」

 前方に広場が見えてきた。破壊された建物が、そこへ向かってなおも突撃を続ける大道芸人ザンパノの姿が目に入った。赤い光が宙を駆ける。悪党どもがテラホークを撃ち落とそうと狙っていた。アダム・ラーは操縦桿をたくみにあやつって熱線を避け、失速しつつあるテラホークを広場のはずれへ導いた。地面が迫る。そのすぐ先にザンパノがいるのが見える。アダム・ラーの目が光った。操縦桿を握り締め、テラホークをザンパノの正面に向ける。
 タップスが叫んだ。「行けえっ」
 スパークスが叫ぶ。「うわあっ」
 全長四十メートルのテラホークがザンパノに突っ込んだ。しかしイタリアの大道芸人ザンパノも負けてはいない。芸道に人生を捧げた者だけが体得できる見事な動きで原子力ハンマーをすばやく構え、一気に振り上げるとテラホークの巨体を打ち返した。テラホークがもんどりを打って地面に転がる。すぐにハッチが開き、アダム・ラーとその仲間が銃を手にして飛び出してきた。不時着の衝撃はすさまじかったが、頑丈なハーネスに守られていたので全員傷一つ負っていない。銃を構えて地面に伏せると、そこへ悪党どもの赤い光が降り注いだ。
 アダム・ラーが感想を言った。
「すごい攻撃だな」
 タップスがうなずく。
「敵もなかなかやるようです」
 その悪党どもは崩れた建物の残骸に隠れてアダム・ラーを狙っていた。アダム・ラーがそこを指差し、タップスに言った。
「正面からはとても無理だ。なんとかして連中の背後にまわりたいが…」
「しかし」タップスが唇を噛んだ。「どうやって…」
「そうだ」アダム・ラーが叫んだ。「ミニチュア光線だ」
「そうか」とタップスがうなずく。「ミニチュア光線でスパークスを縮小して」
「そして」とアダム・ラーがあとを引き取る。「連中の背後にまわらせるのだ」
「しかし、どうしてわたしなんですか?」
 スパークスがそう言うと、タップスが笑った。
「はっはっはっ。臆病なやつだなあ」
「タップス」アダム・ラーが命令する。「用意しろ」
「喜んで」
 タップスが勢いよく立ち上がり、熱線銃から放たれる灼熱の光をものともしないでテラホークに飛び込んだ。そしてミニチュア光線の発射管を抱えて戻ると再び地面に伏せてアダム・ラーに敬礼した。
「準備完了です」
「よし、スパークスを縮小しろ」
「喜んで」
 脅えるスパークスに向かってタップスがミニチュア光線を照射した。帯状に注ぐ水色の光線を浴び、スパークスのからだが見る見るうちに小さくなった。五センチほどの大きさにまで縮んだところで、アダム・ラーがスパークスにうなずいた。
「頼むぞ」
 スパークスが駆け出した。小さなからだとすばやい動きで敵から隠れ、熱線銃の攻撃をやすやすとかわして悪党どもに接近した。そして瓦礫の山をたくみに伝って背後へまわることに成功したが、そのスパークスの背後にいつの間にかザンパノが近づいていた。芸道に人生を捧げた者だけが体得できる人間離れした身のこなしだ。ザンパノは残忍な笑みを浮かべて足を上げ、スパークスを踏み潰した。
「なんてこった」タップスが叫んだ。「スパークスが殺された」
「このひとでなし」アダム・ラーが罵った。
 ザンパノが振り返った。そしてその顔を見て、タップスが大きく息をのんだ。
「まさか、アルモン」そうつぶやくと危険もかえりみずに立ち上がり、こぶしを振り上げ、絶叫を放った。「アルモンっ」
 タップスの叫びを聞いてザンパノが笑った。
「はーはっはっはっ。よく見破ったな。そうだ、おれだ、アルモンだ」
 神経に触る軽やかな声でそう言うとアルモンは一瞬の動作で顔から仮面を、頭からかつらを剥ぎ取った。かつらの下から黄色い髪が、仮面の下から白い肌が現われた。身長が七センチほど低くなった。
 アダム・ラーが息をのんだ。悪党セプテムと手下三人も息をのんだ。
 セプテムが言う。「なんと、にせものだったか。本物はどこにいる?」
「愚かな悪党め」アルモンがせせら笑った。「やつは海岸で泣いている」
 セプテムが言う。「そうか、やつもやっと自分の孤独に気がついたか」
 封印されていた暗い記憶がタップスの胸の底からよみがえった。蒸し暑い。ブラインドの隙間から黄ばんだ西日が差し込んでいる。嗅ぎ慣れない煙草の臭い。空になったシャンパンのボトル。便座がはね上げられ、便器の底に流し忘れた小便が見える。乱れた寝具。床に脱ぎ捨てられた衣類。玉の汗がしたたり落ちる。タップス、誰もいないわ、タップス、わたしを信じて。窓の外に動く影。こぶしをかためて三歩で駆け寄り、一気にブラインドを引き上げる。あふれる陽射し。ロケットパックから噴き出る黄ばんだ炎。叫びが耳にこだまする。タップス、また会おう、タップス、また会おう。
「アルモンっ」
 タップスが雄叫びを放ち、アルモンに向かって飛び出した。アダム・ラーも熱線銃を抜いてあとを追う。アルモンは不敵な笑みを浮かべ、いったいどこから取り出したのか、ロケットパックをすばやく背負った。
「タップス、また会おう」
 そう言うとすさまじい速さで空に向かって飛び立っていった。
「ちくしょう」空を見上げてタップスが叫ぶ。
 アダム・ラーはセプテムの鼻先に熱線銃を突きつけた。
「撃つな、アダム・ラー」
 悪党セプテムは武器を捨て、手下たちも両手を上げた。
 正義の勝利だ。テラシティは危機を免れ、テラシティの守護者アダム・ラーの活躍によって悪党どもは逮捕され、冷たい檻に放り込まれた。
 シティホールの百三十五階、百人もの男女が騒然としてマイクを握る通信室にアダム・ラーが花束を抱えて現われた。通信室の音がやんだ。自信に満ちた蒼白の美貌に百人分の視線が集まった。女たちの陶然とした眼差しが、男たちの羨望の眼差しがアダム・ラーに注がれた。アダム・ラーが歩き始めた。ブーツの足音も高らかに部屋を横切り、一直線にアルタイラの前へと近づいていった。アルタイラが立ち上がった。アダム・ラーが足をとめた。威勢よくブーツの踵を合わせると手にした花束を差し出した。アルタイラが眼鏡をはずして目を閉じた。愛らしい鼻にしわを寄せ、それからくっきりとした目を開いてこのように言った。
「わかったわ、犯人はあなたね」
 百人の通信士が吐息をもらし、アダム・ラーが首を振った。

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