2015年10月19日月曜日

トポス(1) 苦難の時代が近づいている、恐怖の時代が近づいている、と老人は言う。

(1)
 老人は不思議な力を使って未来を覗いた。
 そしてこれから起こることを人々に知らせた。
 苦難の時代が近づいている、と老人は言った。
 恐怖の時代が近づいている、と老人は言った。
「千年にわたる平和と繁栄は間もなく終わりを告げることになるだろう。世界の果てから邪悪な黒い力が現われて、地上に破壊と混乱を、人々に絶望と悲嘆をもたらすことになるだろう。大地は死で満たされ、家々は焼かれ、空は吹き上がる炎であぶられる。多くの者が逃げ場を失い、折り重なって野獣の餌食となるだろう。そしておまえたちは牛を奪われ、畑を奪われ、妻や娘をかどわかされる。邪悪な黒い力はおまえたちの牛を食らい、畑を耕し、おまえたちの寝台でおまえたちの妻や娘と交わるだろう。だが案ずるな。救いの手が山の向こうから現われる。羽根飾りをつけた若い勇者が仲間を率いて現われて、邪悪な黒い力を打ち破って大地に平和を取り戻す。そして新たな平和と繁栄が千年も続くことになるだろう」
 老人の言葉を聞いて人々は言った。
「千年にわたる平和と繁栄など、俺たちは知らない。見たことも聞いたこともない。いや、俺たちは無知で視野がひどく限られているから、もしかしたら平和と繁栄が目の前にあっても見えないのかもしれない。気がつくことができないのかもしれない。因業な地主に脅されながら暮らすのが平和だと言うのなら、たしかに千年も前から俺たちは平和だ。因業な地主に牛を奪われ、畑を奪われ、因業な地主の強欲なせがれに女房や娘をかどわかされ、行きがけの駄賃に棒で叩かれるのが繁栄だと言うのなら、ここ千年、俺たちは常に繁栄していたということになるだろう。その平和と繁栄が失われるということだが、失うもののない俺たちにいったいどんな関係がある? それでもし地主が困るというのなら、邪悪な黒い力は大歓迎だ。敵の敵は味方だって言うからな。それよりも気になるのは山の向こうから来るとかいうその若造だ。そいつが邪悪な黒い力を倒すというなら、その前にそいつを倒す必要がある。俺たちは無知で無教養で救いがたいほど愚かだが、それでもそのくらいの算術をする知恵には恵まれている。つまり俺たちの敵の敵の敵は俺たちの敵って寸法だ。なあ爺さん、痛い目に会う前に、そいつの名前と居場所を吐いたほうが、もしかしたら利口なのかもしれないぜ」

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