2015年9月30日水曜日

『Terracity - テラシティ』 第二話 テラシティの守護者

第二話
テラシティの守護者
 テラシティの上空に不審な物体が出現した。それはあたかも何かに吊り下げられているかのようにふらふらと揺れ動きながら、地上を目指してゆっくりと下降を続けていた。形は三角錐で、道路工事の現場でよく見かけるプラスティック製のパイロンを思わせたが、いわゆるパイロンではない証拠に高さが二十メートル近くもあり、しかもいかめしく吊りあがった目玉が二つあって、目玉の下には横幅いっぱいにまがまがしい牙をそろえた口があった。さらに左右の側面からは異様に長い腕が伸び、それぞれの腕の先にはハサミのようなものが見えた。そして平らな底面は甲殻類の脚とも軟体動物の触手とも見えるあやふやな器官で囲まれていた。
「あれはなんだ?」
 テラシティの市民が物体に気づいた。
「こっちへ来るぞ」
 テラシティの市民が物体を見上げた。
「危ない、逃げろ」
 テラシティの市民が逃げ始めた。悲鳴を上げ、足を惑わせ、からだとからだがもつれ合った。物体は都市の中心に近いとある広場に着陸した。着陸と同時に地面が揺れて地響きが起こった。またしても悲鳴が上がり、逃げ続ける者、転ぶ者、足をとめて振り返る者、騒ぎを聞きつけて新たに駆け寄る者がいたるところで入り交じった。多くの者が物体を見上げ、顔を寄せて囁きを交わした。いったいあれはなんなのか、どこから来たのか、どこへ行くのか、いったい何が始まるのか、そろそろ逃げ出したほうがよいのではないか。多くの者が不安をささやき、ささやきにささやきを重ねて大きなざわめきにしていると、間もなく物体の正体を見分けた一人が声を上げた。
「あれは金星のラビニア平原に生息しているという金星ガニに違いない。しかし妙だ。絶滅危惧種の金星ガニが、なぜテラシティに出現したのだろう?」
 それはもっともな疑問だと、多くの市民がうなずいた。このときどこかで笑いの声が高らかに上がった。空に向かってまっすぐに突き抜けるようなその軽薄な笑いを人々は怪しみ、笑いの主を求めてあわただしく前後左右を見回したが、どこを探しても求める姿は見当たらない。どこだ、と誰かが叫んだ。どこにいる、と多くの者が声を合わせた。あそこだ、と一人が指差し、全員の目がいっせいにその方角を追いかけた。
 ざわめく市民と金星ガニとのあいだに、いつの間にか一人の男が立っていた。金属繊維の服をまとい、姿形はテラシティの善良な市民と一つとして変わることがなかったが、広げた両脚で地面を踏み締め、両手の甲を腰に当て、いったい何が楽しいのか、わはははははと笑っていた。そしてひとしきり笑いの声を放ってから、口を閉ざして唇の端に凶悪そうな笑みを浮かべ、それから再び口を開いてこのように言った。
「そう、もっともな疑問だ」その冷たい声を耳にしてテラシティの市民は等しく恐怖を味わったが、男はかまわず先を続けた。「本来ならば金星のラビニア平原にいるはずの金星ガニが、なぜテラシティに出現したのか。本来ならば決してあり得ないはずのことが、なぜ今日、この場で起こったのか」
「わかったぞ」市民の一人が勇気をふるって声を上げた。「おまえのしわざだな」
「そうだ」と男が叫んだ。
「しかし、いったい」と別の市民が声を上げた。「なんのために?」
「もちろん、この平和なテラシティを破壊するためだ。これを見ろ」男は小さな黒い箱を取り出して高々と掲げた。「これはリモートコントロール装置だ。この装置を使えば、あの金星ガニを好きなようにあやつることができるのだ」
「そうか」とテラシティの市民が声を合わせた。「そのリモートコントロール装置から電波を送って金星ガニを自在にあやつり、テラシティを破壊するつもりだな」
「そうだ」と男が叫んだ。「このリモートコントロール装置から電波を送って金星ガニを自在にあやつり、テラシティを破壊するつもりなのだ」
「しかし、いったい」と市民の一人が声を上げた。「なぜ?」
 わはははははと男が笑った。
「わからないのか? それはおれが悪党だからだ」
 テラシティの善良な市民が息をのんだ。
「それもただの悪党ではない。おれの正体を見せてやろう」そう言いながら男は一瞬の動作で顔から仮面を、頭からかつらを剥ぎ取った。かつらの下から金色の髪が、仮面の下から青い肌が現われた。身長がいきなり十センチほども高くなった。
「金星人だ」と市民が叫んだ。「金星人の悪党だ」
「そうだ」と金星人の悪党が叫んだ。「驚いたか。おれの名はヴァゾー、金星から来た悪党だ。さあ、テラシティの愚民ども、おれの悪事をたっぷりとおがむがいい」
 金星人ヴァゾーがリモートコントロール装置のスイッチを入れた。金星ガニがからだを震わせ、作り物めいた腕をわずかに上下させた。
「そうはさせるか」と市民の一人が声を上げた。
「やっつけろ」とテラシティの市民が声を合わせた。
 ところがこのとき、金星人ヴァゾーの右手に熱線銃が現われた。熱線銃の先から容赦を知らない赤い光がほとばしり、地面を黒く焼き焦がした。泡立つような音がはじけ、市民が悲鳴を上げてあとずさった。
 わはははははとヴァゾーが笑った。
「驚いたか。これは、あの伝説の熱線銃エクスカリバーX1だ。これを使えばテラシティの市民など、一瞬で消し炭に変えることができるのだ」
「なんと、あのエクスカリバーX1か」市民の一人が悔しそうに首を振った。「一般にはレオンデグランスCOCUをパワーだけグレードアップしたものだと思われているが、実はペンドラゴンHG、古典中の古典として名高いあの熱線銃をハイテク化したもので、性能はレオンデグランスCOCUよりもはるかにすぐれている。熱線発射管が加熱しやすいという欠点があるものの、その問題を解決するために鉱物を利用した独特の冷却システムを使っているのが特徴だ。この冷却システムのせいでひどく重たくなり、取り回しが悪くなっているのは事実だが、それでもあれが恐ろしい武器であることに変わりはない」
「しかし」と勇敢な市民が声を上げた。「やつは一人だ。熱線銃も一丁だけだ。みんなでいっせいに飛びかかれば、もちろん犠牲が出るかもしれないが、しかし…」
「あいにくだな」とヴァゾーが笑った。「愚かなおまえたちの考えなど、こっちは最初からお見通しだ。おれには三人の子分がいる。熱線銃も一丁ではない」
 ヴァゾーが熱線銃を振り上げると長身の金星人がどこからともなく三人現われ、全員があの伝説の熱線銃エクスカリバーX1を構えてテラシティの市民に狙いをつけた。
「万事休すだ」とテラシティの市民が声を合わせた。
 勝ち誇るヴァゾーがリモートコントロール装置に指を這わせた。金星ガニの足元に並ぶ甲殻類の脚とも軟体動物の触手ともつかないあやふやな器官がざわざわと動いた。
「行け、ゾンター、テラシティの愚民どもにおまえの力を見せてやれ」
 脚とも触手とも見えるあやふやな器官がうごめき、ゾンターと呼ばれた金星ガニのからだが浮き上がった。わずかにからだを傾けると作り物めいた腕を揺り動かして突進に移り、一瞬で広場を横切って金属の光沢をまとう建物の一つに激突した。つらなる円窓からガラスが飛び散り、開いた穴から男や女の悲鳴がほとばしった。
 わはははははとヴァゾーが笑った。
 テラシティの市民が絶望を叫んだ。
 金星ガニは来た道をゆっくりと戻り、それから脚とも触手とも見えるあやふやな器官で地面を蹴って同じ建物に向かって突進した。窓枠がはじけて飛んで雨のように降り注いだ。開いた穴から男や女の悲鳴がほとばしった。
 わはははははとヴァゾーが笑った。
 テラシティの市民が絶望を叫んだ。
 しかし、このとき、一人の少女が空を見上げた。
「聞こえる、聞こえるわ」
 少女の声を聞いて、多くの市民が空を見上げた。
「聞こえる、聞こえるぞ」
 サイレンの音が聞こえてきた。数人の市民が空の一角を指差した。警察のエアカーが見事な三角形の編隊を組み、はるか上空から広場を目指して一直線に近づいてくる。テラシティの市民が歓声を上げた。金星人ヴァゾーが非情の笑みを浮かべ、熱線銃エクスカリバーX1を構えて先頭のエアカーに狙いをつけた。灼熱の光が大気を切り裂き、狙われたエアカーがもんどりを打った。溶けた金属をしたたらせながら、彼方に見える建物の陰に墜落した。一瞬の間を置き、火柱が上がった。警察のエアカーが応戦を始めた。青い光が宙を駆け抜け、青い炎が地面をえぐった。だが警察のエアカーはあの伝説の熱線銃エクスカリバーX1の敵ではなかった。一台、また一台としとめられ、選んだように建物の陰に落ちていっては丸い火の玉を噴き上げた。そしてそのあいだも恐るべき金星ガニは人類の理解を超越した金星ガニの忍耐で黙々と攻撃を続けていた。同じ建物の同じ場所に向かって執拗に突進を繰り返し、そうしているうちに金属の光沢をまとう壁がわずかにへこみ、わずかなへこみが目にもあきらかなへこみとなり、やがてへこみの中心に小さな亀裂が現われた。
 わはははははとヴァゾーが笑った。
 テラシティの市民が絶望を叫んだ。
 しかし、このとき、一人の少女が空を見上げた。
「聞こえる、聞こえるわ」
 少女の声を聞いて、多くの市民が空を見上げた。
「聞こえる、聞こえるぞ」
 またしてもサイレンの音が聞こえてきた。数人の市民が空の一角を指差した。太陽の光を背にして流線形の黒い影が舞い降りてくる。テラシティの市民はその影を見分けた。それはテラシティ防衛隊の戦闘艦インヴィンシブルの勇姿だった。金星人ヴァゾーは舌打ちをして熱線銃を構え直した。インヴィンシブルを狙って引き金を引いた。凶悪な赤い光が空中を走り、灼熱の炎がインヴィンシブルに命中した。だが何事もなかったかのようにインヴィンシブルは堂々と降下を続けている。テラシティの市民が歓声を上げた。金星人の悪党どもは熱線銃を構えてむなしい攻撃を続けていたが、インヴィンシブルはものともしない。轟音とともに広場に着陸してハッチを開き、青いヘルメットをかぶった防衛隊の隊員たちを吐き出した。ヴァゾーの手下どものそれでなくとも青い顔が蒼ざめた。
「ちくしょうめ」とヴァゾーが罵る。
 そしてそのあいだも恐るべき金星ガニは黙々と攻撃を続けていた。小さな亀裂はすでに大きな亀裂となり、金属の光沢をまとう壁面は怪しく軋み、みもだえていた。テラシティ防衛隊の恐れを知らない隊員たちが熱線銃を構えて前進を始めた。指揮官が声を上げ、隊員たちの指が熱線銃の引き金にかかる。金星人の悪党どもが消し炭に変わる瞬間が刻一刻と近づいていた。
 しかし、このとき、たわんだ壁で異状が起こった。金星ガニの単調で執拗な攻撃に、ついに壁が根負けした。輝かしい金属の光沢を放つ薄っぺらな表層が音を立てて壁から剥がれ、崩れかけた鉄筋コンクリートを真昼の光の下にさらけ出した。テラシティの市民が、防衛隊の隊員が、驚愕と恐怖に目を見開いた。金属の光沢の下から突如として現われた醜いコンクリートを見て悲鳴を上げた。面倒なので仔細ははぶくが、この瞬間テラシティの虚飾が暴かれ、不快な真実から目を背けるために多くの者がまぶたを閉ざした。見えない、見えない、とつぶやきながら、手を前にかざして逃げ惑った。間に合わなかった者もいた。あまりの衝撃に心を乱し、壊れた壁を指差して笑い始める者もいた。
「あはははははは、なんて恐ろしいんだ」
 市民は逃れ、無敵を誇るテラシティ防衛隊は壊滅した。市民も防衛隊の隊員も、もつれる足を急かして昼間営業の酒場に飛び込み、見てきたことを忘れるためにグラスを握って酒を浴び、見てきたことを口にして裏切り者と罵られた。
 わはははははとヴァゾーが笑った。
 ヴァゾーの手下が雄叫びを上げた。
 金星ガニがしつこく突撃を続けた。
 悪党どもが勝利を得たのか?
 テラシティは敗北したのか?

 テラシティの中心部、思わず誤解を抱くような輝かしい金属の光沢をしっかりとまとい、頭上はるかにそびえるシティホールの百三十五階に置かれた通信室で、黒いセルフレームの眼鏡をかけた愛らしい黒髪の娘アルタイラが通信装置につながるマイクにそのふくよかな唇を寄せ、悲痛な声で訴えた。
「アダム・ラー、アダム・ラー、こちらテラシティ、聞こえますか。テラシティの危機です。金星人ヴァゾーが町を壊そうとしています。アダム・ラー、聞こえますか。お願いです。どうか、わたしたちを助けてください」
 アルタイラの叫びは電気信号に変換されて通信装置の背後から延びるケーブルへ送られ、いくつものリレー装置をくぐり抜けて高層のシティホールを上へ上へと駆け上がり、ついに屋上へ達すると巨大なアンテナから翼ある電波となって空中へ飛んだ。
 テラシティの上空、五千メートル。雲を見下ろす空の高みにテラシティの守護者アダム・ラーの空中要塞テラグローブが浮かんでいた。数々の武器を備えたその球体は直径百五十メートルを超え、輝かしい銀色の光沢をまとって地上の声に耳を傾け、大きく広げたアンテナでアルタイラの声を受けとめた。
「アダム・ラー、アダム・ラー、こちらテラシティ、聞こえますか。テラシティの危機です。金星人ヴァゾーが町を壊そうとしています。アダム・ラー、聞こえますか。お願いです。どうか、わたしたちを助けてください」
 テラシティの守護者アダム・ラーはテラグローブの司令室で最新鋭の通信装置テララジオから流れる声を聞いた。救いを求めるアルタイラの声に、蒼白の美貌と健やかな肉体を持つ正義の戦士の心が猛った。
「なんということだ」深みのある声でそうつぶやくと、テララジオに顔を近づけた。「あのような恥ずかしい言葉を口にしながら」薄い唇を舐め、丸窓の外に浮かぶ雲を見つめてあとを続けた。「またしても、わたしの気を引くのか」再び通信装置に目を落とした。「いいだろう、受けて立とう。情熱的ですみやかな接吻。それがこの娘から、あの恥ずかしい言葉を取り上げることになるだろう。だがその前に」姿勢を正して青い詰め襟のホックをとめた。青いチュニックの胸を叩き、続いて白い乗馬ズボンを軽く叩く。膝から下は磨き上げられた黒いブーツだ。腰のホルスターに収めた熱線銃MAX9を軽く撫で、最後に白い手袋を手に取った。「わたしにはしなければならないことがある」そう言って机の上に置かれた真紅の発令装置テラアラームに手を伸ばした。これはアダム・ラーの手だけに反応する。そしてアダム・ラーがテラアラームに手を置くと、テラグローブを揺るがすサイレンが鳴った。
 アダム・ラー出撃の合図だ。テラグローブに足音がこだまする。非番の者もドーナツを捨てて駆け出した。発進ドックでは作業服に身を包んだ浅黒い肌の男たちが声をかけ合い、快速艇テラホークの発進準備に取りかかった。驚異のテラニウムエンジンにテラニウム燃料が充填され、強力無比の熱線砲XH9000に重たげなパワードラムが装填される。アダム・ラーの司令室にタップスとスパークスが飛び込んできた。どちらもアダム・ラーの忠実な仲間だ。アダム・ラーが二人に気づいて振り返り、テラアラームから手を離した。サイレンが鳴りやみ、テラグローブに静寂が戻る。
「出動する」アダム・ラーが二人に告げた。
「了解」タップスとスパークスが敬礼した。
 アダム・ラーが敬礼を返して指令室から飛び出した。タップスとスパークスがあとを追う。円筒形のエレベーターのドアが閉まり、再び開くとそこは驚異のテラファシリティだ。アダム・ラーが二人の仲間を連れて現われると、技師が、科学者が、整備士が、補給係や修理工が、働く手をとめ、足をとめ、顔に喜びを浮かべて敬礼した。そして扇形の発進ドックでは純白の快速艇テラホークが美しい流線形の姿を横たえ、テラシティの守護者アダム・ラーが乗り込むのを待っていた。アダム・ラーは感嘆の吐息をもらし、テラホークに向かって駈け出した。タップスとスパークスがあとを追う。
 しかし、このとき、恐ろしい爆発音が発進ドックに響き渡った。二級整備士のマヌエルが腕を押さえて現われて、痛みにうめきながら横たわった。
「マヌエルっ」
 整備士たちがマヌエルに駆け寄り、助け起こした。
「欠陥バルブが…」
 マヌエルがそうつぶやいて頭を垂れる。
「マヌエルっ、しっかりしろ」
 整備士たちがマヌエルを励ます。アダム・ラーが駆け寄った。
「大丈夫か、重傷なのか?」
 整備士たちが首を振り、アダム・ラーの顔に悲しみが浮かんだ。
「アダム・ラー」
 かすれた声でマヌエルが呼んだ。
「マヌエルっ」
 整備士たちが口々に叫んだ。
「アダム・ラー」マヌエルがかすれた声で繰り返した。「わたしにかまわず、行ってください。わたしなら大丈夫です。たいした怪我ではありません。さあ、早く。テラシティがあなたを必要としているのです」
「マヌエルっ」
 整備士たちが口々に叫び、アダム・ラーの目に涙が浮かんだ。
「わかった」
 アダム・ラーがタップスとスパークスを振りかえった。
「行くぞっ」
 タップスとスパークスがうなずいた。アダム・ラーが身をひるがえし、発進ドックの床を蹴って快速艇テラホークのハッチに飛び込んだ。白いヘルメットをすばやくかぶり、コクピットに進んで操縦席に腰を下ろす。タップスとスパークスがあとに続き、タップスはアダム・ラーの右後方にある機関士席に、スパークスはアダム・ラーの左後方にある通信士席に腰を下ろした。タップスがクリップボードを取ってチェックリストを読み上げると、アダム・ラーが滑らかな手つきでスイッチを動かし、メーター類を指で叩く。かたわらではスパークスがヘッドセットを頭にのせて通信装置をチェックしていく。間もなく発進の準備が整った。
「エンジン始動」アダム・ラーが命令した。
「エンジン始動」タップスが復唱し、スイッチを入れてレバーを動かす。「テラニウムエンジン、出力百パーセント」
「固定装置解除」アダム・ラーが命令した。
「固定装置解除」スパークスが復唱してレバーを動かし、着陸用スキッドを発進ドックの固定装置から解放した。
 エンジンが吠え、テラホークが震えた。アダム・ラーが操縦桿を握り締めた。
 タップスが叫ぶ。「エンジン出力、百二十パーセント」
 スパークスが報告する。「固定装置、解除よし」
「発進」
 アダム・ラーが叫び、流線形のテラホークがテラグローブから飛び出した。まばゆいばかりの純白に輝く快速艇がテラシティを目指して一直線に降下していく。コクピットの窓に見る見るうちに地上が迫り、アダム・ラーが操縦桿を一気に引くとテラホークは空を切って金属の光沢をまとう建物をかすめた。地上に揺らめく影を投げかけ、水平飛行で突進する。あまりの速さにスパークスが肝を冷やした。
「アダム・ラー、もっとゆっくりに飛べませんか?」
 スパークスがそう言うと、タップスが笑った。
「はっはっはっ。臆病なやつだなあ」
 アダム・ラーが笑みを浮かべた。
「安心しろ、あと少しだ」
 しかし、このとき、テラニウムエンジンに異状が起こり、タップスの目の前で赤い警告灯が不気味に点滅した。計器をにらんでタップスが叫んだ。
「テラニウムエンジン出力低下、現在八十パーセント」
「何があった?」
「わかりません。出力さらに低下中、六十パーセント」
「なんとかしろ」
「だめです。四十パーセント、推力を維持できません」
 テラホークが傾き、スパークスが悲鳴を上げた。
「そうか、あの欠陥バルブか」タップスが叫んだ。
 マヌエルに傷を負わせた欠陥バルブがテラニウムエンジンを破壊したのだ。
 アダム・ラーが二人に叫んだ。「不時着に備えろ」

 前方に広場が見えてきた。破壊された建物が、そこへ向かってなおも突撃を続ける金星ガニの姿が目に入った。赤い光が宙を駆ける。金星人の悪党どもがテラホークを撃ち落とそうと狙っていた。アダム・ラーは操縦桿をたくみにあやつって熱線を避け、失速しつつあるテラホークを広場のはずれへ導いた。地面が迫る。そのすぐ先に金星ガニがいるのが見える。アダム・ラーの目が光った。操縦桿を握り締め、テラホークを金星ガニの正面に向ける。
 タップスが叫んだ。「行けえっ」
 スパークスが叫ぶ。「うわあっ」
 全長四十メートルのテラホークが金星ガニに突っ込んだ。テラホークの鋭利な先端が金星ガニの胴体を引き裂き、テラホークの重量が引き裂かれた金星ガニを押しつぶした。金星の絶滅危惧種の最期だった。テラホークのハッチが開き、アダム・ラーとその仲間が銃を手にして飛び出してきた。不時着の衝撃はすさまじかったが、頑丈なハーネスに守られていたので全員傷一つ負っていない。銃を構えて地面に伏せると、そこへ金星人の悪党どもの赤い光が降り注いだ。熱線銃から放たれた赤い光が地面を焦がし、金星ガニの破片を消し炭に変えた。
 アダム・ラーが感想を言った。
「すごい攻撃だな」
 タップスがうなずく。
「敵もなかなかやるようです」
 金星人の悪党どもは崩れた建物の残骸に隠れてアダム・ラーを狙っていた。アダム・ラーがそこを指差し、タップスに言った。
「正面からはとても無理だ。なんとかして連中の背後にまわりたいが…」
「しかし」タップスが唇を噛んだ。「どうやって…」
「そうだ」アダム・ラーが叫んだ。「ミニチュア光線だ」
「そうか」とタップスがうなずく。「ミニチュア光線でスパークスを縮小して」
「そして」とアダム・ラーがあとを引き取る。「連中の背後にまわらせるのだ」
「しかし、どうしてわたしなんですか?」
 スパークスがそう言うと、タップスが笑った。
「はっはっはっ。臆病なやつだなあ」
「タップス」アダム・ラーが命令する。「用意しろ」
「喜んで」
 タップスが勢いよく立ち上がり、熱線銃から放たれる灼熱の光をものともしないでテラホークに飛び込んだ。そしてミニチュア光線の発射管を抱えて戻ると再び地面に伏せてアダム・ラーに敬礼した。
「準備完了です」
「よし、スパークスを縮小しろ」
「喜んで」
 脅えるスパークスに向かってタップスがミニチュア光線を照射した。帯状に注ぐ水色の光線を浴び、スパークスのからだが見る見るうちに小さくなった。五センチほどの大きさにまで縮んだところで、アダム・ラーがスパークスにうなずいた。
「頼むぞ」
 スパークスが駆け出した。小さなからだとすばやい動きで敵から隠れ、熱線銃の攻撃をやすやすとかわして金星人の悪党どもに接近した。そして瓦礫の山をたくみに伝って背後へまわることに成功したが、金星人ヴァゾーの手下の一人に見つかってしまった。悪党は残忍な笑みを浮かべて足を上げ、スパークスを踏み潰した。
「なんてこった」タップスが叫んだ。「スパークスが殺された」
「このひとでなし」アダム・ラーが罵った。
 スパークスを踏み潰した金星人が振り向いた。そしてその顔を見て、タップスが大きく息をのんだ。
「まさか、アルモン」そうつぶやくと危険もかえりみずに立ち上がり、こぶしを振り上げ、絶叫を放った。「アルモンっ」
 タップスの叫びを聞いて金星人が笑った。
「はーはっはっはっ。よく見破ったな。そうだ、おれだ、アルモンだ」
 神経に触る軽やかな声でそう言うとアルモンは一瞬の動作で顔から仮面を、頭からかつらを剥ぎ取った。かつらの下から黄色い髪が、仮面の下から白い肌が現われた。身長がいきなり十センチほども低くなった。
 アダム・ラーが息をのんだ。金星人ヴァゾーと残りの手下二人も息をのんだ。
 ヴァゾーが言う。「なんと、地球人だったのか」
「愚かな金星人め」アルモンがせせら笑った。「おまえは利用されていたのさ」
 ヴァゾーが言う。「おれは利用されていたのか」
 封印されていた暗い記憶がタップスの胸の底からよみがえった。花畑に舞う白いドレス。赤い髪の美しい娘。踊る笑顔。唇からこぼれる美しい歯並み。タップス、こっちよ、タップス、愛してるわ。冬の風。駅の雑踏。届けられた別れの手紙。心を凍てつかせる暗い空に汽笛が重たく響き渡る。タップス、ごめんなさい、タップス、さようなら、わたしはアルモンと幸せになります。雨。空色のインクがにじみ、手紙の上の文字が流れる。
「アルモンっ」
 タップスが雄叫びを放ち、アルモンに向かって飛び出した。アダム・ラーも熱線銃を抜いてあとを追う。アルモンは不敵な笑みを浮かべ、いったいどこから取り出したのか、ロケットパックをすばやく背負った。
「タップス、また会おう」
 そう言うとすさまじい速さで空に向かって飛び立っていった。
「ちくしょう」空を見上げてタップスが叫ぶ。
 アダム・ラーは金星人ヴァゾーの鼻先に熱線銃を突きつけた。
「撃つな、アダム・ラー」
 金星人ヴァゾーは武器を捨て、手下たちも両手を上げた。
 正義の勝利だ。テラシティは危機を免れ、テラシティの守護者アダム・ラーの活躍によって金星人の悪党どもは逮捕され、冷たい檻に放り込まれた。
 シティホールの百三十五階、百人もの男女が騒然としてマイクを握る通信室にアダム・ラーが花束を抱えて現われた。通信室の音がやんだ。自信に満ちた蒼白の美貌に百人分の視線が集まった。女たちの陶然とした眼差しが、男たちの羨望の眼差しがアダム・ラーに注がれた。アダム・ラーが歩き始めた。ブーツの足音も高らかに部屋を横切り、一直線にアルタイラの前へと近づいていった。アルタイラが立ち上がった。アダム・ラーが足をとめた。威勢よくブーツの踵を合わせると手にした花束を差し出した。アルタイラが眼鏡をはずして目を閉じた。愛らしい鼻にしわを寄せ、それからくっきりとした目を開いてこのように言った。
「ねえ、また臭ってるわ。犯人は誰?」
 百人の通信士が首を振った。

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2015年9月29日火曜日

『Terracity - テラシティ』 第一話 狙われた未来都市

第一話
狙われた未来都市
 目に染みいるような銀色の光沢を誇らかにまとう都市があった。そこでは何百という丸窓をつらねた巨大な建造物が競うようにして肩を並べ、色鮮やかなエアカーの群れがぶるぶると大気を震わせながら宙を行き交い、ぴったりとした金属繊維の服を着た人々が楽しげに日々の暮らしを営んで、おはよう、こんばんは、とあいさつを交わした。そこには空中に広がりながら幾重にも層を重ねる庭園があり、数ある雲を押しのけて空にそびえる塔があった。歩道は音もなく動いてひとを運び、列車は透明なチューブのなかを飛ぶように進んだ。そして宇宙港ではさまざまな大きさ、さまざまな形の宇宙船が轟音を引きずり、黒い煙を噴き上げながら未開の宇宙を目指して次々に飛び立ち、家庭では最新鋭の自動調理器がパンケーキの山を一瞬で作り、皿に盛って送り出すと金属の腕を伸ばして合成シロップをたっぷりと注いだ。
 都市の名はテラシティである。テラシティこそは偉大なる人類文明の象徴であり、未来科学の中心であり、洗練された都市文化の代名詞であり、流行の発信源であり、ありとあらゆる人々の尽きせぬあこがれの的であった。地球だけの話ではない。金星であれ火星であれ、月の裏側であれ彼方の木星軌道面であれ、小惑星帯のはずれにあってひどく魅力を欠いた一角と木星の衛星ガニメデを除けば、一日のあいだにテラシティのことが一度も話題にのぼらない場所はこの太陽系には一つもないと言ってもよいほどで、あらゆる場所で実に多くの人々がテラシティにあこがれ、テラシティの有名人に対してわがことのように関心を抱き、宇宙船で運ばれてきた三か月遅れのテラシティの雑誌に読みふけり、壁にテラシティのポスターを貼り、二年から三年も遅れてテラシティの流行を追い、いつかテラシティを訪れる日を夢に描いて陶然となり、やがてかなわぬ夢と知って涙をこぼすと唇をかたく噛み締めた。金星では青い肌をした金星人の少女たちがテラシティの流行を真似て黄金色の髪にうるさいほどのカールをこしらえ、火星では赤い肌をした火星人の少年たちがテラシティの流行を真似て緑の髪を肩に垂らした。
「おまえ、その髪はなんだ?」火星人の父親が息子に言った。
「うるさいな」と息子が言った。「これがかっこいいんだよ」
「父親に向かって」と父親が言った。「うるさいとはなんだ」
「うるさいな」と息子が言った。「父さんには関係ないだろ」
「関係ないとはなんだ。関係ないなんてことは絶対にないぞ」
「うるさいな」と息子が言った。「いいから放っておいてよ」
「そうはいくか。火星の男は昔から五分刈りと決まっている」
「父さんは古いんだよ。五分刈りなんて、はやらないんだよ」
「おい、こっちへ来い」火星人の父親がバリカンを取り出す。
 しかし息子はせせら笑い、父親に背を向けて家を飛び出す。
「ちくしょうめ」と父親が言った。「地球人の真似ばかりだ」
「ああ」と火星人の妻が嘆く。「あの子はどうなるのかしら」
「決まってる」と夫が言う。「すぐに悪党どもの仲間入りだ」
 そして悪党どももテラシティにあこがれていた。悪をもたらし、悪によって名を上げるべき場所があるとすれば、それは平和なテラシティでなければならなかった。ほかの場所では同じ悪事であっても悪の価値が半分になるような気がしてならなかった。悪党どもは悪党らしい行動力でテラシティに狙いを定め、夢に描いた悪事を働き、悪の限りを尽くして悪の権化と呼ばれるためにテラシティを目指して押し寄せた。

 晴れ渡った空に不審な物体が浮かんでいた。それはあたかも何かに吊り下げられているかのようにふらふらと揺れ動きながら、地上を目指してゆっくりと下降を続けていた。それは強いて言えば中華のブタまんじゅうのようなものであったが、いわゆるブタまんじゅうではない証拠に直径が二十メートル近くもあって、全体がくすんだ赤に染まり、側面から一つ、ピンク色の巨大な目玉が飛び出していた。
「あれはなんだ?」
 テラシティの市民が物体に気づいた。
「こっちへ来るぞ」
 テラシティの市民が物体を見上げた。
「危ない、逃げろ」
 テラシティの市民が逃げ始めた。悲鳴を上げ、足を惑わせ、からだとからだがもつれ合った。物体は都市の中心に近いとある広場に着陸した。着陸と同時に地面が揺れて地響きが起こった。またしても悲鳴が上がり、逃げ続ける者、転ぶ者、足をとめて振り返る者、騒ぎを聞きつけて新たに駆け寄る者がいたるところで入り交じった。多くの者が物体を見上げ、顔を寄せて囁きを交わした。いったいあれはなんなのか、どこから来たのか、どこへ行くのか、いったい何が始まるのか、そろそろ逃げ出したほうがよいのではないか。多くの者が不安をささやき、ささやきにささやきを重ねて大きなざわめきにしていると、間もなく物体の正体を見分けた一人が声を上げた。
「あれは火星のミランコビッチクレーターに生息しているという巨大アメーバに違いない。しかし妙だ。絶滅危惧種の巨大アメーバが、なぜテラシティに出現したのだろう?」
 それはもっともな疑問だと、多くの市民がうなずいた。このときどこかで笑いの声が高らかに上がった。空に向かってまっすぐに突き抜けるようなその軽薄な笑いを人々は怪しみ、笑いの主を求めてあわただしく前後左右を見回したが、どこを探しても求める姿は見当たらない。どこだ、と誰かが叫んだ。どこにいる、と多くの者が声を合わせた。あそこだ、と一人が指差し、全員の目がいっせいにその方角を追いかけた。
 ざわめく市民と火星の巨大アメーバとのあいだに、いつの間にか一人の男が立っていた。金属繊維の服をまとい、姿形はテラシティの善良な市民と一つとして変わることがなかったが、広げた両脚で地面を踏み締め、両手の甲を腰に当て、いったい何が楽しいのか、わはははははと笑っていた。そしてひとしきり笑いの声を放ってから、口を閉ざして唇の端に凶悪そうな笑みを浮かべ、それから再び口を開いてこのように言った。
「そう、もっともな疑問だ」その冷たい声を耳にしてテラシティの市民は等しく恐怖を味わったが、男はかまわず先を続けた。「本来ならばミランコビッチクレーターにいるはずの巨大アメーバが、なぜテラシティに出現したのか。本来ならば決してあり得ないはずのことが、なぜ今日、この場で起こったのか」
「わかったぞ」市民の一人が勇気をふるって声を上げた。「おまえのしわざだな」
「そうだ」と男が叫んだ。
「しかし、いったい」と別の市民が声を上げた。「なんのために?」
「もちろん、この平和なテラシティを破壊するためだ。これを見ろ」男は小さな黒い箱を取り出して高々と掲げた。「これはリモートコントロール装置だ。この装置を使えば、あの巨大アメーバを好きなようにあやつることができるのだ」
「そうか」とテラシティの市民が声を合わせた。「そのリモートコントロール装置から電波を送って巨大アメーバを自在にあやつり、テラシティを破壊するつもりだな」
「そうだ」と男が叫んだ。「このリモートコントロール装置から電波を送って巨大アメーバを自在にあやつり、テラシティを破壊するつもりなのだ」
「しかし、いったい」と市民の一人が声を上げた。「なぜ?」
 わはははははと男が笑った。
「わからないのか? それはおれが悪党だからだ」
 テラシティの善良な市民が息をのんだ。
「それもただの悪党ではない。おれの正体を見せてやろう」そう言いながら男は一瞬の動作で顔から仮面を、頭からかつらを剥ぎ取った。かつらの下から緑の髪が、仮面の下から赤い肌が現われた。身長がいきなり十センチほども低くなった。
「火星人だ」と市民が叫んだ。「火星人の悪党だ」
「そうだ」と火星人の悪党が叫んだ。「驚いたか。おれの名はゴラッグ、火星から来た悪党だ。さあ、テラシティの愚民ども、おれの悪事をたっぷりとおがむがいい」
 火星人ゴラッグがリモートコントロール装置のスイッチを入れた。巨大アメーバがからだを震わせ、目玉をぐるぐると回転させた。
「そうはさせるか」と市民の一人が声を上げた。
「やっつけろ」とテラシティの市民が声を合わせた。
 ところがこのとき、火星人ゴラッグの右手に熱線銃が現われた。熱線銃の先から容赦を知らない赤い光がほとばしり、地面を黒く焼き焦がした。泡立つような音がはじけ、市民が悲鳴を上げてあとずさった。
 わはははははとゴラッグが笑った。
「驚いたか。これは、あの最新鋭の熱線銃XV60Rだ。これを使えばテラシティの市民など、一瞬で消し炭に変えることができるのだ」
「なんと、あのXV60Rか」市民の一人が悔しそうに首を振った。「一般にはペーパーダインXV60をパワーだけグレードアップしたものだと思われているが、実は傑作として名高いザイコムSS30をハイテク化したもので、性能はXV60よりもすぐれている。しかも標準でレーザーサイトとフラッシュライトを装備している上に、道に迷った場合に備えて軍用方位磁石と小型の六分儀までついている。噂によれば六分儀は精度の低い二級品だという話だが、それでもあれが恐ろしい武器であることに変わりはない」
「しかし」と勇敢な市民が声を上げた。「やつは一人だ。熱線銃も一丁だけだ。みんなでいっせいに飛びかかれば、もちろん犠牲が出るかもしれないが、しかし…」
「あいにくだな」とゴラッグが笑った。「愚かなおまえたちの考えなど、こっちは最初からお見通しだ。おれには三人の子分がいる。熱線銃も一丁ではない」
 ゴラッグが熱線銃を振り上げると小柄な火星人がどこからともなく三人現われ、全員があの最新鋭の熱線銃XV60Rを構えてテラシティの市民に狙いをつけた。
「万事休すだ」とテラシティの市民が声を合わせた。
 勝ち誇るゴラッグがリモートコントロール装置に指を這わせた。巨大アメーバの足元から無数のひだがあふれるように現われた。
「行け、グログナック、テラシティの愚民どもにおまえの力を見せてやれ」
 あふれるひだが激しくうごめき、グログナックと呼ばれた巨大アメーバのからだが浮き上がった。わずかにからだを傾けると目玉をぐるぐるまわして突進に移り、一瞬で広場を横切って金属の光沢をまとう建物の一つに激突した。つらなる円窓からガラスが飛び散り、開いた穴から男や女の悲鳴がほとばしった。
 わはははははとゴラッグが笑った。
 テラシティの市民が絶望を叫んだ。
 巨大アメーバは来た道をゆっくりと戻り、それからあふれるひだをはためかせると同じ建物に向かって突進した。窓枠がはじけて飛んで雨のように降り注いだ。開いた穴から男や女の悲鳴がほとばしった。
 わはははははとゴラッグが笑った。
 テラシティの市民が絶望を叫んだ。
 しかし、このとき、一人の少女が空を見上げた。
「聞こえる、聞こえるわ」
 少女の声を聞いて、多くの市民が空を見上げた。
「聞こえる、聞こえるぞ」
 サイレンの音が聞こえてきた。数人の市民が空の一角を指差した。警察のエアカーが見事な三角形の編隊を組み、はるか上空から広場を目指して一直線に近づいてくる。テラシティの市民が歓声を上げた。火星人ゴラッグが非情の笑みを浮かべ、熱線銃XV60Rを構えて先頭のエアカーに狙いをつけた。灼熱の光が大気を切り裂き、狙われたエアカーがもんどりを打った。溶けた金属をしたたらせながら、彼方に見える建物の陰に墜落した。一瞬の間を置き、火柱が上がった。警察のエアカーが応戦を始めた。青い光が宙を駆け抜け、青い炎が地面をえぐった。だが警察のエアカーはあの最新鋭の熱線銃XV60Rの敵ではなかった。一台、また一台としとめられ、選んだように建物の陰に落ちていっては丸い火の玉を噴き上げた。そしてそのあいだも恐るべき巨大アメーバは人類の理解を超越した巨大アメーバの忍耐で黙々と攻撃を続けていた。同じ建物の同じ場所に向かって執拗に突進を繰り返し、そうしているうちに金属の光沢をまとう壁がわずかにへこみ、わずかなへこみが目にもあきらかなへこみとなり、やがてへこみの中心に小さな亀裂が現われた。
 わはははははとゴラッグが笑った。
 テラシティの市民が絶望を叫んだ。
 しかし、このとき、一人の少女が空を見上げた。
「聞こえる、聞こえるわ」
 少女の声を聞いて、多くの市民が空を見上げた。
「聞こえる、聞こえるぞ」
 またしてもサイレンの音が聞こえてきた。数人の市民が空の一角を指差した。太陽の光を背にして流線形の黒い影が舞い降りてくる。テラシティの市民はその影を見分けた。それはテラシティ防衛隊の戦闘艦インヴィンシブルの勇姿だった。火星人ゴラッグは舌打ちをして熱線銃を構え直した。インヴィンシブルを狙って引き金を引いた。凶悪な赤い光が空中を走り、灼熱の炎がインヴィンシブルに命中した。だが何事もなかったかのようにインヴィンシブルは堂々と降下を続けている。テラシティの市民が歓声を上げた。火星人の悪党どもは熱線銃を構えてむなしい攻撃を続けていたが、インヴィンシブルはものともしない。轟音とともに広場に着陸してハッチを開き、青いヘルメットをかぶった防衛隊の隊員たちを吐き出した。ゴラッグの手下どもの火星のように赤い顔が蒼ざめた。
「ちくしょうめ」とゴラッグが罵る。
 そしてそのあいだも恐るべき巨大アメーバは黙々と攻撃を続けていた。小さな亀裂はすでに大きな亀裂となり、金属の光沢をまとう壁面は怪しく軋み、みもだえていた。テラシティ防衛隊の恐れを知らない隊員たちが熱線銃を構えて前進を始めた。指揮官が声を上げ、隊員たちの指が熱線銃の引き金にかかる。火星人の悪党どもが消し炭に変わる瞬間が刻一刻と近づいていた。
 しかし、このとき、たわんだ壁で異状が起こった。巨大アメーバの単調で執拗な攻撃に、ついに壁が根負けした。輝かしい金属の光沢を放つ薄っぺらな表層が音を立てて壁から剥がれ、崩れかけた鉄筋コンクリートを真昼の光の下にさらけ出した。テラシティの市民が、防衛隊の隊員が、驚愕と恐怖に目を見開いた。金属の光沢の下から突如として現われた醜いコンクリートを見て悲鳴を上げた。それはあり得ないことだった。テラシティの市民の常識では、テラシティの建築物は上から下まで、隅から隅にいたるまで、ことごとくが永久不滅の金属で作られていなければならなかった。いったい、いつどこの誰が言い始めたのかはわからないが、いつのころからか、テラシティはなんとなく鋼鉄都市だということになり、市当局も建設業界もなぜか一度も否定しようとしなかったので、すべてが鉄でできているという非常識な思い込みが、いつの間にか、すべてが鉄でできているという常識になった。そして鋼鉄都市であるという常識はいくらの時間もかけずに鋼鉄都市であるという誇りに変わり、誇りに変わってからというもの、テラシティの市民はこのことをむやみと誇るようになり、その一方、掘っ立て小屋に住んでいる火星人や石積みの家に住んでいる金星人を、掘っ立て小屋に住んでいる、石積みの家に住んでいるという理由だけで見下すようになっていった。だがこの瞬間、誇らしい鋼鉄都市の幻影は吹き飛び、虚飾は砕かれ、根拠のない常識はみごとに覆って単なる非常識という恐るべき正体を現わした。真実から目を背けるために多くの者がまぶたを閉ざした。見えない、見えない、とつぶやきながら、手を前にかざして逃げ惑った。間に合わなかった者もいた。あまりの衝撃に心を乱し、壊れた壁を指差して笑い始める者もいた。
「あはははははは、なんて恐ろしいんだ」
 市民は逃れ、無敵を誇るテラシティ防衛隊は壊滅した。市民も防衛隊の隊員も、もつれる足を急かして昼間営業の酒場に飛び込み、見てきたことを忘れるためにグラスを握って酒を浴び、見てきたことを口にして裏切り者と罵られた。
 わはははははとゴラッグが笑った。
 ゴラッグの手下が雄叫びを上げた。
 巨大アメーバがしつこく突撃を続けた。
 悪党どもが勝利を得たのか?
 テラシティは敗北したのか?

 テラシティの中心部、思わず誤解を抱くような輝かしい金属の光沢をしっかりとまとい、頭上はるかにそびえるシティホールの百三十五階に置かれた通信室で、黒いセルフレームの眼鏡をかけた愛らしい黒髪の娘アルタイラが通信装置につながるマイクにそのふくよかな唇を寄せ、悲痛な声で訴えた。
「アダム・ラー、アダム・ラー、こちらテラシティ、聞こえますか。テラシティの危機です。火星人ゴラッグが町を壊そうとしています。アダム・ラー、聞こえますか。お願いです。どうか、わたしたちを助けてください」
 アルタイラの叫びは電気信号に変換されて通信装置の背後から延びるケーブルへ送られ、いくつものリレー装置をくぐり抜けて高層のシティホールを上へ上へと駆け上がり、ついに屋上へ達すると巨大なアンテナから翼ある電波となって空中へ飛んだ。
 テラシティの上空、五千メートル。雲を見下ろす空の高みにテラシティの守護者アダム・ラーの空中要塞テラグローブが浮かんでいた。数々の武器を備えたその球体は直径百五十メートルを超え、輝かしい銀色の光沢をまとって地上の声に耳を傾け、大きく広げたアンテナでアルタイラの声を受けとめた。
「アダム・ラー、アダム・ラー、こちらテラシティ、聞こえますか。テラシティの危機です。火星人ゴラッグが町を壊そうとしています。アダム・ラー、聞こえますか。お願いです。どうか、わたしたちを助けてください」
 テラシティの守護者アダム・ラーはテラグローブの司令室で最新鋭の通信装置テララジオから流れる声を聞いた。救いを求めるアルタイラの声に、蒼白の美貌と健やかな肉体を持つ正義の戦士の心が猛った。
「なんということだ」深みのある声でそうつぶやくと、テララジオに顔を近づけた。「どうやらこの娘は、このわたしに気があるようだ」薄い唇を舐め、丸窓の外に浮かぶ雲を見つめてあとを続けた。「なんとしても確かめなければ」再び通信装置に目を落とした。「たった一度の熱い接吻、それがすべての謎を解き明かすことになるだろう。だがその前に」姿勢を正して青い詰め襟のホックをとめた。青いチュニックの胸を叩き、続いて白い乗馬ズボンを軽く叩く。膝から下は磨き上げられた黒いブーツだ。腰のホルスターに収めた熱線銃MAX9を軽く撫で、最後に白い手袋を手に取った。「わたしにはしなければならないことがある」そう言って机の上に置かれた真紅の発令装置テラアラームに手を伸ばした。これはアダム・ラーの手だけに反応する。そしてアダム・ラーがテラアラームに手を置くと、テラグローブを揺るがすサイレンが鳴った。
 アダム・ラー出撃の合図だ。テラグローブに足音がこだまする。非番の者もドーナツを捨てて駆け出した。発進ドックでは作業服に身を包んだ浅黒い肌の男たちが声をかけ合い、快速艇テラホークの発進準備に取りかかった。驚異のテラニウムエンジンにテラニウム燃料が充填され、強力無比の熱線砲XH9000に重たげなパワードラムが装填される。アダム・ラーの司令室にタップスとスパークスが飛び込んできた。どちらもアダム・ラーの忠実な仲間だ。小柄だが、大胆不敵な行動力と屈強の肉体を備えたタップスはテラホークの機関士だ。戦場では愛用の大型熱線銃XM66で敵と戦う。長身細身に驚くほどすばしこい肉体を備えたスパークスはテラホークの通信士だ。戦場ではストッピングパワーにすぐれた小型熱線銃VZ77で敵と戦う。アダム・ラーが二人に気づいて振り返り、テラアラームから手を離した。サイレンが鳴りやみ、テラグローブに静寂が戻る。
「出動する」アダム・ラーが二人に告げた。
「了解」タップスとスパークスが敬礼した。
 アダム・ラーが敬礼を返して指令室から飛び出した。タップスとスパークスがあとを追う。円筒形の通路の先で円筒形のエレベーターに飛び込んで、指令室のある最上部からテラグローブの赤道部分へ降下した。ここには快速艇テラホークの修理、改造、補給、さらには部品製造までのいっさいをまかなう驚異のテラファシリティが広がっている。鉄と鉄がぶつかり合う。溶接機から火の粉が飛ぶ。旋盤から火の粉が飛び、鍛冶屋の金床からも火の粉が飛ぶ。ずらりと並んだ放電球からミニチュアサイズの稲妻が飛んだ。
 アダム・ラーが二人の仲間を連れてエレベーターから現われると、技師が、科学者が、整備士が、補給係や修理工が、働く手をとめ、足をとめ、顔に喜びを浮かべて敬礼した。そして扇形の発進ドックでは純白の快速艇テラホークが美しい流線形の姿を横たえ、テラシティの守護者アダム・ラーが乗り込むのを待っていた。アダム・ラーは感嘆の吐息をもらし、テラホークに向かって駈け出した。タップスとスパークスがあとを追う。
 しかし、このとき、恐ろしい爆発音が発進ドックに響き渡った。二級整備士のマヌエルが腕を押さえて現われて、痛みにうめきながら横たわった。
「マヌエルっ」
 整備士たちがマヌエルに駆け寄り、助け起こした。
「欠陥プラグが…」
 マヌエルがそうつぶやいて頭を垂れる。
「マヌエルっ、しっかりしろ」
 整備士たちがマヌエルを励ます。アダム・ラーが駆け寄った。
「大丈夫か、重傷なのか?」
 整備士たちが首を振り、アダム・ラーの顔に悲しみが浮かんだ。
「アダム・ラー」
 かすれた声でマヌエルが呼んだ。
「マヌエルっ」
 整備士たちが口々に叫んだ。
「アダム・ラー」マヌエルがかすれた声で繰り返した。「わたしにかまわず、行ってください。わたしなら大丈夫です。たいした怪我ではありません。さあ、早く。テラシティがあなたを必要としているのです」
「マヌエルっ」
 整備士たちが口々に叫び、アダム・ラーの目に涙が浮かんだ。
「わかった」
 アダム・ラーがタップスとスパークスを振りかえった。
「行くぞっ」
 タップスとスパークスがうなずいた。アダム・ラーが身をひるがえし、発進ドックの床を蹴って快速艇テラホークのハッチに飛び込んだ。白いヘルメットをすばやくかぶり、コクピットに進んで操縦席に腰を下ろす。タップスとスパークスがあとに続き、タップスはアダム・ラーの右後方にある機関士席に、スパークスはアダム・ラーの左後方にある通信士席に腰を下ろした。タップスがクリップボードを取ってチェックリストを読み上げると、アダム・ラーが滑らかな手つきでスイッチを動かし、メーター類を指で叩く。かたわらではスパークスがヘッドセットを頭にのせて通信装置をチェックしていく。間もなく発進の準備が整った。
「エンジン始動」アダム・ラーが命令した。
「エンジン始動」タップスが復唱し、スイッチを入れてレバーを動かす。「テラニウムエンジン、出力百パーセント」
「固定装置解除」アダム・ラーが命令した。
「固定装置解除」スパークスが復唱してレバーを動かし、着陸用スキッドを発進ドックの固定装置から解放した。
 エンジンが吠え、テラホークが震えた。アダム・ラーが操縦桿を握り締めた。
 タップスが叫ぶ。「エンジン出力、百二十パーセント」
 スパークスが報告する。「固定装置、解除よし」
「発進」
 アダム・ラーが叫び、流線形のテラホークがテラグローブから飛び出した。まばゆいばかりの純白に輝く快速艇がテラシティを目指して一直線に降下していく。コクピットの窓に見る見るうちに地上が迫り、アダム・ラーが操縦桿を一気に引くとテラホークは空を切って金属の光沢をまとう建物をかすめた。地上に揺らめく影を投げかけ、水平飛行で突進する。あまりの速さにスパークスが肝を冷やした。
「アダム・ラー、もっとゆっくりに飛べませんか?」
 スパークスがそう言うと、タップスが笑った。
「はっはっはっ。臆病なやつだなあ」
 アダム・ラーが笑みを浮かべた。
「安心しろ、あと少しだ」
 しかし、このとき、テラニウムエンジンに異状が起こり、タップスの目の前で赤い警告灯が不気味に点滅した。計器をにらんでタップスが叫んだ。
「テラニウムエンジン出力低下、現在八十パーセント」
「何があった?」
「わかりません。出力さらに低下中、六十パーセント」
「なんとかしろ」
「だめです。四十パーセント、推力を維持できません」
 テラホークが傾き、スパークスが悲鳴を上げた。
「そうか、あの欠陥プラグか」タップスが叫んだ。
 マヌエルに傷を負わせた欠陥プラグがテラニウムエンジンを破壊したのだ。
 アダム・ラーが二人に叫んだ。「不時着に備えろ」

 前方に広場が見えてきた。破壊された建物が、そこへ向かってなおも突撃を続ける巨大アメーバの姿が目に入った。赤い光が宙を駆ける。火星人の悪党どもがテラホークを撃ち落とそうと狙っていた。アダム・ラーは操縦桿をたくみにあやつって熱線を避け、失速しつつあるテラホークを広場のはずれへ導いた。地面が迫る。そのすぐ先に巨大アメーバがいるのが見える。アダム・ラーの目が光った。操縦桿を握り締め、テラホークを巨大アメーバの正面に向ける。
 タップスが叫んだ。「行けえっ」
 スパークスが叫ぶ。「うわあっ」
 全長四十メートルのテラホークが巨大アメーバに突っ込んだ。テラホークの鋭利な先端が巨大アメーバの胴体を引き裂き、テラホークの重量が引き裂かれた巨大アメーバを押しつぶした。火星の絶滅危惧種の最期だった。テラホークのハッチが開き、アダム・ラーとその仲間が銃を手にして飛び出してきた。不時着の衝撃はすさまじかったが、頑丈なハーネスに守られていたので全員傷一つ負っていない。銃を構えて地面に伏せると、そこへ火星人の悪党どもの赤い光が降り注いだ。熱線銃から放たれた赤い光が地面を焦がし、巨大アメーバの破片を消し炭に変えた。
 アダム・ラーが感想を言った。
「すごい攻撃だな」
 タップスがうなずく。
「敵もなかなかやるようです」
 火星人の悪党どもは崩れた建物の残骸に隠れてアダム・ラーを狙っていた。アダム・ラーがそこを指差し、タップスに言った。
「正面からはとても無理だ。なんとかして連中の背後にまわりたいが…」
「しかし」タップスが唇を噛んだ。「どうやって…」
「そうだ」アダム・ラーが叫んだ。「ミニチュア光線だ」
「そうか」とタップスがうなずく。「ミニチュア光線でスパークスを縮小して」
「そして」とアダム・ラーがあとを引き取る。「連中の背後にまわらせるのだ」
「しかし、どうしてわたしなんですか?」
 スパークスがそう言うと、タップスが笑った。
「はっはっはっ。臆病なやつだなあ」
「タップス」アダム・ラーが命令する。「用意しろ」
「喜んで」
 タップスが勢いよく立ち上がり、熱線銃から放たれる灼熱の光をものともしないでテラホークに飛び込んだ。そしてミニチュア光線の発射管を抱えて戻ると再び地面に伏せてアダム・ラーに敬礼した。
「準備完了です」
「よし、スパークスを縮小しろ」
「喜んで」
 脅えるスパークスに向かってタップスがミニチュア光線を照射した。帯状に注ぐ水色の光線を浴び、スパークスのからだが見る見るうちに小さくなった。五センチほどの大きさにまで縮んだところで、アダム・ラーがスパークスにうなずいた。
「頼むぞ」
 スパークスが駆け出した。小さなからだとすばやい動きで敵から隠れ、熱線銃の攻撃をやすやすとかわして火星人の悪党どもに接近した。そして瓦礫の山をたくみに伝って背後へまわることに成功したが、火星人ゴラッグの手下の一人に見つかってしまった。悪党は残忍な笑みを浮かべて足を上げ、スパークスを踏み潰した。
「なんてこった」タップスが叫んだ。「スパークスが殺された」
「このひとでなし」アダム・ラーが罵った。
 スパークスを踏み潰した火星人が振り向いた。そしてその顔を見て、タップスが大きく息をのんだ。
「まさか、アルモン」そうつぶやくと危険もかえりみずに立ち上がり、こぶしを振り上げ、絶叫を放った。「アルモンっ」
 タップスの叫びを聞いて火星人が笑った。
「はーはっはっはっ。よく見破ったな。そうだ、おれだ、アルモンだ」
 神経に触る軽やかな声でそう言うとアルモンは一瞬の動作で顔から仮面を、頭からかつらを剥ぎ取った。かつらの下から黄色い髪が、仮面の下から白い肌が現われた。身長がいきなり十センチほども高くなった。
 アダム・ラーが息をのんだ。火星人ゴラッグと残りの手下二人も息をのんだ。
 ゴラッグが言う。「なんと、地球人だったのか」
「愚かな火星人め」アルモンがせせら笑った。「おまえは利用されていたのさ」
 ゴラッグが言う。「おれは利用されていたのか」
 封印されていた暗い記憶がタップスの胸の底からよみがえった。菩提樹のかたわらにたたずむ白いチャペル。笑う娘。踊る娘。もう、兄さんたら。幸福の笑みを浮かべる愛らしい娘。落ちていくブーケ。暗い部屋。花冠をつけ、白い花嫁衣装をまとった娘が机に突っ伏して泣いている。灰色のチャペル。暗い空に舞う枯れ葉。娘の声が果てのない悲しみを帯びてこだまする。どうして、どうしてなの、アルモン、アルモン。
「アルモンっ」
 タップスが雄叫びを放ち、アルモンに向かって飛び出した。アダム・ラーも熱線銃を抜いてあとを追う。アルモンは不敵な笑みを浮かべ、いったいどこから取り出したのか、ロケットパックをすばやく背負った。
「タップス、また会おう」
 そう言うとすさまじい速さで空に向かって飛び立っていった。
「ちくしょう」空を見上げてタップスが叫ぶ。
 アダム・ラーは火星人ゴラッグの鼻先に熱線銃を突きつけた。
「撃つな、アダム・ラー」
 火星人ゴラッグは武器を捨て、手下たちも両手を上げた。
 正義の勝利だ。テラシティは危機を免れ、テラシティの守護者アダム・ラーの活躍によって火星人の悪党どもは逮捕され、冷たい檻に放り込まれた。
 シティホールの百三十五階、百人もの男女が騒然としてマイクを握る通信室にアダム・ラーが花束を抱えて現われた。通信室の音がやんだ。自信に満ちた蒼白の美貌に百人分の視線が集まった。女たちの陶然とした眼差しが、男たちの羨望の眼差しがアダム・ラーに注がれた。アダム・ラーが歩き始めた。ブーツの足音も高らかに部屋を横切り、一直線にアルタイラの前へと近づいていった。アルタイラが勢いよく立ち上がった。アダム・ラーが足をとめた。威勢よくブーツの踵を合わせると手にした花束を差し出した。アルタイラが眼鏡をはずして目を閉じた。愛らしい鼻にしわを寄せ、それからくっきりとした目を開いてこのように言った。
「ねえ、いま誰か、おならしたでしょ」
 百人の通信士が首を振った。

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2015年9月28日月曜日

『テラシティ』公開開始のお知らせ

『テラシティ』公開開始のお知らせ
2012年9月に発表した『テラシティ』全13話を15回に分け、2015/9/29以降、本ブログに掲載します。1回あたりが原稿用紙換算で平均40枚程度と『Plan-B』に比べるとだいぶ長くなりますが、おつきあいいただければ幸いです。
なお『テラシティ』はすでにPubooで公開済みですが、このあと本ブログでの公開を予定している新作長編『トポス』がどこから出てきたのか、先行テキストとの関係を示す意味で、『テラシティ』も同一環境でご覧いただけるようにしておくのがよいのではないかと考えたような次第です。 
目次へのリンクをページ右上に追加しました。各章のリンクは公開の進行にしたがって順次更新する予定です。
よろしくお願いいたします。

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2015年9月27日日曜日

バトル・オブ・モンスターズ

バトル・オブ・モンスターズ
Tiktik: The Aswang Chronicles
2012年 フィリピン 104分
監督:エリック・マッティ

チンピラ以外の何かにはまったく見えないマッコイという若者がマニラから田舎にやって来て(側車付き自動二輪に乗っている)、実家に帰っていた恋人ソニアに関係の修復を求めるが、マッコイとの関係ですでに臨月となっているソニアはマッコイの要求を拒絶、ソニアの母親もまたマッコイを激しく拒絶、ソニアの誕生日を祝うために鶏を仕入れて戻ってきた父親はなぜかマッコイを受け入れて、ソニアの誕生日のために豚を提供したいと申し出たマッコイとともに市場へ出かけて、豚が安く手に入るということでさらに山間の村を訪れるが、マッコイが強引に値切りに出たせいで交渉に失敗、手ぶらで帰ろうとしたところへ豚飼いの子供がやって来て安く売ると言うので、マッコイはここでも強引に値切って豚を手に入れ、ソニアの父親とともにソニアの実家に戻り、ソニアとソニアの母親からまだいるのかと罵られながら食事をし、ソニアの父親と使用人のバートと酒などを飲んで歌っていると、台所では買ってきた豚が変身を解いて牙が生えた吸血鬼の正体を現わしてソニアに襲いかかり、騒ぎになってマッコイが飛び込んできて吸血鬼を殺し、そこへ豚飼いの一家がやって来て、息子を殺されたことを知った豚飼いは復讐を誓い、ソニアの腹の中の子供を食ってやると宣言するので、ソニアの母親は全部おまえのせいだとマッコイをなじり、マッコイは豚飼い一家と戦うために外へ飛び出し、近くにある軍の検問所まで逃げてそこにいた大尉に吸血鬼の出現を告げるが、豚飼いは大尉と旧知の関係にあったので疑いを持たれずに近づいて大尉を殺害、豚飼いの子供たちも牙を剥いて兵士たちを殺害、ソニアの家に戻ったマッコイはソニアの一家とともに豚飼いの一家と戦い、相手の顔にニンニクを擦り込む、塩を投げつける、銃で撃つ、などの方法で豚飼いの子供たちを全滅させると豚飼いの父親が一族郎党を連れて現われて復讐を誓い、ソニアの腹の中の子供を食ってやると宣言するので、ソニアの父親は全部おまえのせいだとマッコイをなじり、一方、豚飼いの父親の一族郎党は豚飼いの父親の唾液を舐めて化け物に変身し、数を頼みに襲ってくるので、アカエイのしっぽ、スパイシーなスナック、背負い型の農薬散布機(ニンニクと塩が仕込んである)などで反撃する。 
原題にあるティクティクはフィリピンの妖怪で、長い舌で赤ん坊を食べるということになっているらしい。撮影がおそらくほぼすべてセットでおこなわれていて、背景はグリーンスクリーンの合成か、リアプロジェクションまたはホリゾントで、背後に雑踏などがある場合にはリアプロジェクションが、動きがない場合にはホリゾントが使われている。最初は少し戸惑ったが、古典的な手法が不思議なくらい新鮮に見えた。特にホリゾントは水準が高い。主人公が乱暴なだけで魅力に乏しく、展開も少々だらだらとしているが、絵を作ろうという努力は感じられる。 


Tetsuya Sato

2015年9月26日土曜日

スクール・オブ・ロック

スクール・オブ・ロック
The School of Rock
2003年 アメリカ 110分
監督:リチャード・リンクレイター

ロック一筋の男デューイ・フィンは友達の家に事実上の居候状態で、職もなく、しかもバンドからも追い出され、金に困って名前をいつわり、名門私立小学校に補助教員としてもぐり込む。もちろんやる気などないので教壇を前に休憩を決め込み、時間を稼ぐことに専念するが、ふと耳にしたクラスの子供たちの演奏(愛のアランフェス)に触発されて、クラスでロックバンドを立ち上げる。それからはロック史にロック理論、実習と子供たちにロックの精神と基礎を叩き込み、そうすると子供たちも元気にデューイ・フィンのたくらみに乗る。
テンポが速く、全編にわたって乗りがよい。いくらでも錯綜させられそうなストーリーはシンプルに収め、物語はほとんどご都合主義的な景気のよさで終末を迎え、その盛り上がりは感動的。ジャック・ブラックがここではロックバカ一代に扮して悪乗りし、なかなかの魅力を発揮している。子供たちは個性をそろえ、対する大人たちのキャラクターはほどよくステレオタイプに押さえ込み、余計な悪役は登場させない。ほほ笑ましくて、幸せな映画である。


Tetsuya Sato

2015年9月25日金曜日

6才のボクが、大人になるまで。

6才のボクが、大人になるまで。
Boyhood
2014年 アメリカ 165分
監督:リチャード・リンクレイター

父親のメイソン・シニアが責任を放棄してアラスカへ旅立つので、残された母オリヴィアと姉サマンサ、そして六歳になるメイソン・ジュニアは大学に戻るという母親の宣言に引きずられてヒューストンに引っ越し、いつの間にかアラスカから戻ってきたメイソン・シニアとときどき会いながら成長を続け、母親は大学の指導教官ビル・ウェルブロックと再婚、一家は義父の連れ子二人をあわせて六人家族となり、姉は姉で女同士、弟は弟で男同士、それなりに仲良くやっていると義父がいつの間にかアルコールに浸り始め、気がついたときにはDV亭主と化していて、耐え切れなくなったオリヴィアは自分の子供二人を連れて脱出し、子供たちはまた転校、オリヴィアは修士課程を終えて大学で教えるようになり、今度はその教え子でイラク戦争の帰還兵と結婚、子供たちはメイソン・シニアとの交流を続けながら成長を続け、思春期を迎えたメイソン・ジュニアにも恋人ができ、姉は大学に入って家から離れ、やがてメイソン・ジュニアも高校を卒業して家を出ることになる。
同一キャストで12年間かけて撮影したという家族ドラマ。着想はともかくとしても、このやり方は異端であろうという気もしないでもないが、六歳の男の子が十八歳の無精ひげを伸ばした小僧へと現実に成長していくリアリズムには安易な批評を拒む迫力がある。リチャード・リンクレイターの構成、演出はいつもと同様にリズミカルで心地がよく、3時間近い長尺で地味な素材を扱っているにもかかわらず、するするとあとにつながっていく。それにしてもこの母親の行動は息子が言うように支離滅裂であろう。 


Tetsuya Sato

2015年9月24日木曜日

No
No
2012年 チリ/アメリカ/フランス/メキシコ 118分
監督:パブロ・ラライン

1973年のクーデターから15年後、ピノチェット政権の信任を問う国民投票がおこなわれることになり、反対勢力にも投票までの27日間、深夜に15分間だけテレビの放送枠が認められたので、潜伏していた革新派勢力は与えられた15分間で弾圧の悲劇を訴えようと考えるが、広告代理店に勤めるレネ・サアベドラは番組の製作を依頼されると革新派勢力の方針を暗いという理由で拒否して明るいCMを作り始め、できあがったコーラのCMのようなしろものを見て革新派勢力の一部は憤激して離脱、しかしレネ・サアベドラは確信にもとづいてCMの製作を続け、すると敗北が決まっていたはずの反対派にいつの間にか支持が集まり、危機感を抱いた政府当局は反対派をまねたCMの作成を始め、そこに反対派への中傷を加えたので双方がネガティブ・キャンペーンを貼る形になり、そうしているうちに国民投票の日が訪れ、ピノチェットの退陣が決まる。 
サンチャゴには広告代理店が一つしかないのか、反対派のCMと賛成派のCMを事実上、同じ会社で作っていて、コーラだろうが独裁政権の信任だろうがなんだろうが、基本的に全部同じ次元、というプロぶりはたぶん誉めるべきなのだろう。そういう仕事をしながらどこかで本心を押し殺しているように見える主人公の広告屋をガエル・ガルシア・ベルナルが演じていい味を出していた。ドキュメンタリー調の絵が80年代のホームムービーを思わせる水準で、理由があってわざとやっているのか、それともただそうなっただけなのか、最後までわからなかったが、素材はきわめて興味深いし、こなれた人物造形とダイアログが非常によくできていて、特に中盤以降は息もつけない展開になる。「賛成派」製作のピノチェット賛歌がまるでどこかの「将軍様」賛歌で、字幕もほうもちゃんと「将軍様」になっていた。 


Tetsuya Sato

2015年9月23日水曜日

クーデター

クーデター
No Escape
2015年 アメリカ 103分
監督:ジョン・エリック・ドゥードル

テキサス州オースティンで事業を失敗させたジャック・ドワイヤーは水資源会社の中間管理職の職を得てベトナムの隣にある東南アジア某国へ妻と娘二人の家族を連れて赴任するが、ホテルに着いても会社とは連絡できない、テレビには何も映らない、インターネットも使えない、という状態で、翌朝、情報を求めて外へ出ると警官隊と暴徒の衝突に出会い、巻き込まれそうなところをどうにか逃げ出してホテルに戻るとホテルはすでに暴徒に占拠されていて、しかもアメリカ人が殺害されている現場に出くわし、自分自身も追われるので非常階段を伝ってホテルに入って家族を集め、見たところ場慣れしているイギリス人ハモンドの勧めにしたがって屋上へ逃れると暴徒のヘリコプターが飛来して小銃を乱射し、しかも暴徒は水資源会社を目の敵にしていてジャック・ドワイヤーの顔も知っているということが判明し、そこでジャック・ドワイヤー脅える妻子を急かして隣のビルの屋上に逃れ、夜を待ってからアメリカ大使館を目指して移動を始める。 
ジャック・ドワイヤーがオーウェン・ウィルソン、ところどころに顔を出す謎の男ハモンドがピアース・ブロスナン。オーウェン・ウィルソンとその一家の恐ろしいまでにドメスティックなアメリカ人ぶり、ピアース・ブロスナンの東南アジア浪人ぶりはよくできている。しかしベトナム国境からわずか三キロという、逃げ出すのにきわめて都合のいい場所に設置された某国首都を制圧するのは軍隊ではなくてクメール・ルージュのイメージをまとった暴徒であり、いったいどこから出てきたのか、首都を24時間足らずで制圧してアメリカ大使館まで壊滅させられる暴徒にリアリティはかけらもない。いちおう理由は説明されているものの、実際のところは政治的な背景などまるでなくて、オースティンのアメリカ人一家に第三世界的な恐怖を体験させるためだけに出現したものと思われる。そしてオースティンのアメリカ人一家が味わう恐怖はそれなりに恐ろしいものではあるものの、暴徒の矛先が支離滅裂な上に演出が単調なので見ているうちに少々うざくなってくる。趣向を変えたホラー映画なので比べることに意味はない、という気もしないでもないが、仮にホラー映画であるとしてもジョン・ブアマンの『ラングーンを越えて』などには及ばない。
Tetsuya Sato

2015年9月22日火曜日

博士と彼女のセオリー

博士と彼女のセオリー
The Theory of Everything
2014年 イギリス 124分
監督:ジェームズ・マーシュ

1963年、ケンブリッジの大学院で理論物理学を専攻するスティーブン・ホーキングはパーティで出会った女性ジェーン・ワイルドに関心を抱き、ジェーンから確率は低いと言われたにもかかわらず恋愛関係に発展させるが、間もなく筋萎縮性側索硬化症が発症して余命二年と宣告され、そのことからジェーンとの関係を破棄しようと試みるが、ジェーンから愛を告白され、やがて結婚、特異点定理を発表して博士号を取得し、ジェーンとのあいだに長男長女をもうけ、一方ジェーンは育児の負担に加えて夫の面倒を見る負担を引き受け、限界を感じたところで母親の勧めにしたがって教会の聖歌隊に加わると、そこで指揮をするジョナサン・ヘリヤー・ジョーンズと知り合い、ジェーンに関心を抱いたジョナサンはジェーンの苦境を知ってホーキング家に入り込み、ホーキング一家の面倒をあれやこれやと見ているうちにジェーンは次男を出産、そのせいで親族によからぬ憶測が流れ、ジョナサンは身を引くことになり、一方ホーキング博士は声を失い、介護のために雇われたエレイン・メイソンに関心を抱き、愛を失ったジェーンは別居してジョナサンとの生活に入る。
エディ・レッドメインの演技はたしかにすごいが、ジェーンを演じたフェリシティ・ジョーンズの演技も印象に残る。演出は的確でリズム感があり、誠実で頼もしい。ほぼ四半世紀にわたる背景の変化を美術がよくまとめている。 



Tetsuya Sato

2015年9月21日月曜日

メガマインド

メガマインド
Megamind
2010年 アメリカ 117分
監督:トム・マクグラス

宇宙のどこかで生まれた子供は赤ん坊のうちにロケットに乗せられて宇宙を渡り、渡っているうちに同じようにロケットに乗って宇宙を渡っている赤ん坊と遭遇して、こちらは頭が禿げていて青い肌をしているのに向こうは金髪でふつうの肌をしていて、飛び方も含めてなんとなく邪魔くさくて気に入らないような気がしていると、二つのロケットは間もなく地球に接近、金髪をふさふさと生やした赤ん坊は大富豪の家の居間に滑り込んで迎え入れられ、こちらは刑務所に庭に落ちて囚人たちに飼われることになり、囚人たちから善悪についていろいろ教えられながら発明の才能を発揮すると、近くにある英才教育の学校に囚人服で送り込まれ、ところがそこには例の金髪ふさふさの子がいてまわりの子供たちの人気を獲得していて、こちらは味噌っかす扱いされる上に悪い子の烙印を押されて、ということで、ある日、とうとう嫌気が差して、そういうことならいっそ悪党になろうと心に誓ってメガマインドと名乗る悪党になってメトロシティの平和を乱し、一方、金髪ふさふさはメトロマンと名乗ってメトロシティの平和を守り、メガマインドが美貌のニュースキャスターでメトロマンと恋仲であると噂されるロクサーヌ・リッチーを誘拐するとメトロマンが助けに飛び立ち、メガマインドが用意した様々な恐怖の仕掛けにロクサーヌ・リッチーが辟易して誘拐カードにスタンプを押してくれと頼んでいるころ、一切の予想に反してメトロマンが死亡するという事件が起こり、メガマインドはメトロシティを手中にするが、どうにもこれは張り合いがないということでメトロマンのフケからメトロマンのDNAを取り出してヒーローを作ることになり、その人選に悩んでいたところで事故があってロクサーヌ・リッチーの同僚のカメラマンがヒーローになるが、メガマインドの教育にもかかわらず、まったくヒーローの資質を備えていないこの男はタイトンと名乗ってスーパーパワーを悪用し、ロクサーヌ・リッチーをさらってメガマインドに挑戦する。
DREAMWORKS製作のアニメーション作品で、原案にはギレルモ・デル・トロが関わっている。メガマインドの声がウィル・フェレル、メトロマンがブラッド・ピット、ロクサーヌ・リッチーがティナ・フェイ、ジョナ・ヒルが見たまんまの外見でタイトン。メガマインドに最初から付き添っているミニオンがかわいい(ただしこちらは黄色いあれではなくてお魚で、声を担当しているデヴィッド・クロスは『ミヒャエル・コールハース』で伝道師、つまりルターをしていたひとらしい)。正統派ヒーロー物の大胆な変奏で、それぞれのキャラクターがよく描き込まれ、台詞はテンポが速くて心地よい。プロットはこじんまりとしているが、『モンスターVSエイリアン』と並ぶ傑作だと思う。『ターボ』にしてもそうだけど、これが劇場公開されないというのはいささかという以上に奇妙であろう。しかもDVDすらリリースされていない。
Tetsuya Sato

2015年9月20日日曜日

アントマン

アントマン
Ant-Man
2015年 アメリカ 117分
監督:ペイトン・リード

サンクウェンティン刑務所を出所したスコット・ラングが職にあぶれていると刑務所仲間が仕事のことで声をかけ、そもそも勤務先を告発して損害を与えたことで罪に問われていたスコット・ラングは犯罪から足を洗うと宣言してバスキン・ロビンスにもぐり込むが、油断のならないバスキン・ロビンスがスコット・ラングの前歴を洗い出して解雇するので結局は刑務所仲間の話に乗ることになり、あれやこれやと準備をしてから鉄壁のセキュリティを誇るハンク・ピム博士の屋敷に侵入し、ついに金庫を開けると見つけたのは大金ではなくて奇妙なスーツで、それを持ち帰って自分で着込んであれやこれやと試しているといきなり極小サイズに縮小され、そこへハンク・ピム博士の声がかかり、実はすべてが仕組まれていたことを知ったスコット・ラングがスーツを返すために再びハンク・ピム博士の屋敷を訪れると警官に囲まれて逮捕され、面会に訪れたハンク・ピム博士がスコット・ラングに選択を迫り、独房に戻されたスコット・ラングは蟻が運んできたスーツを見て選択する間もなく選択して逃亡を果たし、ハンク・ピム博士からアントマンとなるように要請を受けると博士と博士の娘ホープの特訓を受け、あれやこれやと案を重ねて仲間も集め、敵の本拠に潜入して堕落したシールドとハイドラが絡む陰謀を叩き、最愛の娘の前でヒーローぶりを発揮する。 
スコット・ラングがポール・ラッド、ハンク・ピム博士がマイケル・ダグラス、博士の娘がエヴァンジェリン・リリー、刑務所仲間がマイケル・ペーニャ、悪役は『ハウス・オブ・カード』で哀れな下院議員をやっていたコリー・ストール、スタン・リーが最後のほうで一瞬だけ登場する。そこはかとなくエドガー・ライトのテイストを残しながら、密度の高い作品に仕上がっている。主演のポール・ラッドがいい感じで、マイケル・ダグラスもノリがよくて、悪役も含めて周辺人物の書き込みもうまく、ミクロサイズのアクションと原寸のギャップもうまく処理されているし、コミカルなパートは楽しいし、やってることが本質的に犯罪映画だし、寡黙な蟻の軍団はなんだか愛らしいし、サム・ウィルソン、というかファルコンの登場もなかなかにうれしいし、ということで充実感が半端ではなく、このところのMARVEL作品としては、いちばん好きかもしれない。 

Tetsuya Sato

2015年9月19日土曜日

カリフォルニア・ダウン

カリフォルニア・ダウン
San Andreas
2015年 アメリカ 114分
監督:ブラッド・ペイトン

ロサンゼルス消防局の救難隊員ドウェイン・ジョンソンが離婚の危機を迎えていたころ、ネバダ州で巨大地震が発生してフーバーダムが崩壊、たまたまその場で電磁パルスの観測をしていたカリフォルニア工科大学の教授ポール・ジアマッティは地震の予知が可能であると確信し、大学に戻ってインタビューにこたえようとしていると助手たちが飛び込んできて電磁パルスの異常を報告、ポール・ジアマッティが地図の上にサインペンで線を引いてサンアンドレアス断層で巨大な地震が発生するのを予知したころ、ドウェイン・ジョンソンの妻カーラ・グギーノはロサンゼルス市内の高層ビルの最上階で再婚相手の姉と食事をしていて、その瞬間、巨大地震が起こって周辺の高層ビルが次々と倒壊、妻はドウェイン・ジョンソンを電話で呼び出し、救難ヘリコプターを修理するためにたまたま一人で飛行していたドウェイン・ジョンソンはただちに妻の救出に向かい、都合よく装備された謎のホバリング機能を使ってたちまち妻を救出すると、今度は娘を救うためにサンフランシスコを目指し、もちろんドウェイン・ジョンソンの判断なのでロサンゼルス消防局もこの勝手な判断の成功を祈り、ポール・ジアマッティの予言どおりにサンフランシスコにも巨大地震が襲いかかると娘アレクサンドラ・ダダリオはたまたま出会ったイギリス人兄弟とともに崩壊する市内を逃げ惑い、一方、ドウェイン・ジョンソンのヘリコプターはギアボックスの故障で墜落、無傷で機体から逃れた夫婦は当然のように出現した窃盗団から車を奪って北を目指し、途中サンアンドレアス断層に行く手を阻まれると飛行機に乗り換えてサンフランシスコ上空に到達、飛行場が壊滅しているのを見ると夫婦でタンデム降下を決め、難なく地面に降り立ったところで再び地震が襲いかかり、ドウェイン・ジョンソンは逃げ惑う人々を安全な場所に誘導してから娘を探して出発するが、火災で道がなくなっているところを見ると迂回路を求めてボートに乗り、すると待ち構えていたように巨大な津波が襲いかかり、ドウェイン・ジョンソンは津波に向かってボートを疾走させてコンテナ船から崩れ落ちるコンテナの滝をくぐり抜け、ドウェイン・ジョンソンから妻を奪おうとした極悪人ヨアン・グリフィスは分相応の最期を遂げ(もっと悪事を働くのではないかとものすごく期待していたのに)、津波の危機を乗り越えたドウェイン・ジョンソンとその妻は水浸しになったサンフランシスコの町へボートを進めて娘の姿を探し求める。 
言うまでもないがドウェイン・ジョンソンがドウェイン・ジョンソン、ポール・ジアマッティがポール・ジアマッティ。役名がいちおうあったはずだが覚えていない。天然のバイアグラであるところのドウェイン・ジョンソンの力だけで立っている映画で、ドウェイン・ジョンソンの肉体と意志があまりにも強靭なので、まわりの建築物はとにかく脆弱ぶりをさらさずにはいられない。例外は悪名高いウォルター・ホワイトの母校であり、シェルドン・クーパーとその一味が巣食うカリフォルニア工科大で、ここは大地震になんどさらされてもガラスの一枚も割れないし本棚の一つも倒れない。理由は簡単で、ポール・ジアマッティが「ここは大丈夫」と宣言したからである。冒頭で披露されるUH-1のトリック飛行は面白いし、そのあとのフーバーダム崩壊からクライマックスの大津波まで、災害系の見せ場は多いものの、ドウェイン・ジョンソンが災害でアクションをするための映画なので、地震の描写はおそらくめちゃくちゃであろう。そもそも内陸系の地震なのになんで津波が起きたのか。 
Tetsuya Sato

2015年9月18日金曜日

武器人間

武器人間
Frankenstein's Army
2013年 オランダ/アメリカ/チェコ 84分
監督:リチャード・ラーフォースト

第二次大戦末期の東部戦線で記録係を随伴するロシア軍の偵察部隊が助けを求める友軍の通信を傍受してドイツ軍の占領地域に潜入し、そこで大量虐殺の痕跡を発見したあと、たった一人で残っていたドイツ兵を捕虜にして尋問をおこない、ロシア軍の居場所をたずねると怪しい施設を奥へ奥へと案内して、そこで異様な改造をほどこされたアンデッドの群れに遭遇する。 
ロシア軍が戦地で撮影した記録映像という言い訳がついたPOV形式の映画だが、大戦中のロシア軍ならば基本的にモノクロのはずだし、せめてアグファのフィルムを接収して、これがソブカラーだと言い張るあたりから始めて発色をソブカラーに似せていたりするとよりリアルに見えたのではないかという気がしないでもないものの、そういう手間をかけるつもりはなかったようで、見たまんまのビデオ撮り。とはいえ目的は非常に明確で、中盤以降の奇怪な改造人間オンパレードと悪趣味全開の人体破壊ぶりは見ごたえがあり、演出も演技もがんばっていて、なにやら不思議な馬力がある。


Tetsuya Sato

2015年9月17日木曜日

ザ・デッド:インディア

ザ・デッド:インディア
The Dead 2: India
2012年 イギリス 94分
監督:ハワード・J・フォード、ジョン・フォード

アメリカ人の電気技師ニコラス・バートンがラジャスタン近郊で風力発電所の設置の仕事をしているとニコラス・バートンの恋人イシャニ・シャルマがいるムンバイでは暴動のような騒ぎが起こり、翌日にはラジャスタン近郊でもニコラス・バートンの視界の隅で異様なことが起こり始め、まもなくアメリカ人は脱出するという連絡が入り、気がつくともうまわりではゾンビ・パンデミックが始まっていて、ニコラス・バートンはイシャニを救うためにムンバイまでの旅に出て、途中で出会ったジャヴェドという少年に道案内を頼みながらひたすらに南下を続けていく。 
『ゾンビ大陸 アフリカン』の続編というか姉妹編。前作でもそうだったが、この兄弟監督は風土を撮るのがけっこう上手で、とにかく雰囲気は悪くない。ただ、やはり人口密度が高い地域なので、ということになるのか、ゾンビがほぼ出ずっぱりで、そのせいなのか風景がやや単調になり、おそらくは予算の関係でムンバイのような大都市の描写は少々苦しいことになっている。 


Tetsuya Sato

2015年9月16日水曜日

エアポート2015

エアポート2015
Flight World War II
2015年 アメリカ 86分
監督:エミール・エドウィン・スミス

ダラス発ロンドン行きのインターナショナル航空の旅客機は大西洋上で謎の雲に遭遇し、雲の中心にある青い穴を超えると衛星回線がすべて消え、航空管制との接触も絶え、陸地の形状から現在地を確認するために高度を下げるとドイツ軍が爆撃をしていて、たまたま同乗していた歴史学者たちは土地の形状と軍事記録から現在地はレンヌ周辺で、ただし時間は1940年の6月だと主張すると常識のある機長はもちろん反発、ところがイギリス軍との交信に成功して確かめるとやはり第二次大戦中だということになり、そのことを知った乗客の一人は歴史を変えられる、飛行機をハイジャックしてベルリンへ飛び、みんなでヒトラーを殺そうと扇動を始め、すぐに取り押さえられるとドイツ軍のMe262が編隊で現われて襲いかかり、攻撃をかわしながらなおもイギリス軍との交信を続けるとダンケルクの撤退が失敗に終わっていることが判明し、歴史学者たちは異なる時間線にある戦場だと主張、どうやらこの世界の連合軍はレーダーの開発に失敗しているらしい、ということで旅客機のレーダーを切り離し、モニターとバッテリーをつけてドイツ軍占領地域に投下、地上では無線を傍受していたドイツ軍とイギリス軍の戦闘になり、旅客機のほうはMe262の執拗な追撃を受けて副操縦士が負傷、機体は銃撃で穴だらけになり、レーダーを回収したイギリス軍の誘導でなおも飛行を続けるが、燃料は残り10分になっている。 
もちろん『エアポート』シリーズとはなんの関係もない。タイムスリップして現代テクノロジーを連合軍に渡すというアイデアは最近の『USS ライオンフィッシュ』でやっていたが(流行りなのか? そう言えば『ミスフィッツ』でも似たようなエピソードがあったけど)、こちらは責任感のある機長がいちおうてきぱきと指示を出し、乗員もまじめに仕事をして(LCCだからなのか、危険な乗客への対応も早い)、乗客もおおむね協力的で、被弾して着陸脚が動かなくなると乗客の中からエンジニアを見つけて修理して、という具合で余計なことにあまり時間を使わない。いわゆるThe Asylumの作品だが、意外なことに破綻しないで最後まで話を持たせる上に、ちゃんと水準をクリアしている。客室係役のアクィーラ・ゾールが自然にふつうのお姉さんでいい感じ。 


Tetsuya Sato

2015年9月15日火曜日

USS ライオンフィッシュ

USS ライオンフィッシュ
Subconscious
2015年 アメリカ 121分
監督:ジョージア・ヒルトン

1943年、改修のためにドック入りしていたアメリカ海軍の潜水艦ライオンフィッシュが謎の理由で封印され、説明がないことに憤るスターリング艦長は封印されたライオンフィッシュに入って自ら命を絶ち、それから70年後、スターリング艦長の孫で海軍大学の教授ピーター・ウィリアムズはライオンフィッシュの謎を解き明かすために海軍と喧嘩をして大学を辞め、家で腐って飲んでいるとそこへ国防省から連絡が入ってライオンフィッシュを24時間だけ調査できることになり、元妻、助手、イギリスから呼び寄せた超常現象研究家とともにライオンフィッシュに乗り込んでいって艦長室でミイラ化した祖父の遺体を発見し、遺書でも探すのかと思ったら食堂にもぐり込んで飲み始めるので遺書は国防省から派遣された男が隠し、そうこうするうちにハッチがすべて閉ざされてライオンフィッシュは洋上へ出て、潜望鏡で海岸線の様子を見ると現代の東海岸と異なっている、ということでどうやらタイムスリップしたらしい、と考えているうちにライオンフィッシュはまた勝手に動いて潜航し、するとどこからともなくUボートが現われて輸送船団に攻撃を開始、ライオンフィッシュにも魚雷を撃ってくるので苦労して魚雷を発射管にセットしてUボートを撃沈するが、船団の護衛艦からUボートだと誤認されて爆雷攻撃を受け、ライオンフィッシュは限界深度を超えてエンジンをとめ、味方が誤爆されていることを知らせるために現代世界から持ち込んだ機材を魚雷発射管から射出すると、海中にいるはずがいきなりハッチが開いて国防省の施設に運ばれて、見たことは全部秘密だと口止めされる。 
そもそもこの主人公の教授が何を調べて何をどう推定しているのか、封印された潜水艦をどう調べるつもりなのか、さっぱりわからないし、許可が出て潜水艦に入ってもたいしたことをするわけではないし、超常現象の専門家(しかも閉所恐怖症)を同行した理由もわからない。国防省から来た謎の男も謎のままで、知っていることをすべて話すと言って話し始めると実は知らないだけだったりするし、という具合で停滞したまま責任をなすり合うだけで、このたぐいの映画としては長尺になる2時間の上映時間をほとんどまともに使っていない。潜水艦のCGはかなりしょぼい。 



Tetsuya Sato

2015年9月14日月曜日

歩兵は攻撃する

歩兵は攻撃する
Infanterie greift an
エルヴィン・ロンメル, 1937
浜野喬士・訳
作品社

エルヴィン・ロンメルによる第一次大戦従軍手記。ヴュルテンベルク第六歩兵連隊の少尉として1914年から1915年までアルゴンヌで戦い、昇進して中尉になると新たに創設されたヴュルテンベルク山岳歩兵大隊に配属となって1916年からカルパチア山中でルーマニア軍と戦い、1917年からはイタリア戦線でイタリア軍と戦う。つまり第一次大戦で一般的に想起される西部戦線の泥沼的な状況はほとんど経験しておらず、アルゴンヌにいた時期もまだ森がある。ルーマニア戦線に移ってからは一貫して山岳戦で、どうかすると高低差が300メートル以上もある戦場をひたすらに登ったり下りたり、寒さに震えたり暑さに焼かれたり、空腹に苦しんだりしながら、ただもうひたすらに偵察をして地図を読んで、敵の配置を観察して自軍に優位な地点を探し、作戦を考え、兵を配置し、疲労の極限と戦っている。当時のドイツ軍の運用がいまひとつわからないのだが、少なくとも山岳戦ではかなり臨機応変と言うべきなのか(あるいは下級将校の損耗率が高いせいか)、小隊長クラスがふつうに中隊を指揮しているし、ロンメル本人が「ロンメル隊」と呼ぶ部隊も状況によって数個中隊から砲兵隊を含む連隊規模にまで変化し、一貫して機動戦が展開され、エミリオ・ルッスが『戦場の一年』で描いたような膠着した状況は出現しない。ロンメルは自身で経験した一連の戦闘の立体的に、わかりやすく記述し、作戦が終了するごとに考察を加えて戦術上のポイントを指摘している。そして全体をとおして感じるのは、このひとは最初から電撃戦をやっていて、機会があれば危険を冒しても突出していた、ということである。こういう指揮官に戦車を与えて平地や砂漠を進撃させたら、それはもうどこまでもいってしまうであろう、ということである。戦場における部隊運用についての噛み砕いた記述が興味深く、非常に面白い。



Tetsuya Sato

2015年9月13日日曜日

ナイトクローラー

ナイトクローラー
Nightcrawler
2014年 アメリカ 118分
監督:ダン・ギルロイ

いちおう就業の意欲を持ちながら小口の窃盗、小口の強盗などをして糊口をしのいでいる男ルイス・ブルームはあるときたまたま交通事故の現場に出くわして、そこでニュース番組用にスクープ映像を撮影している男たちに出会い、そのような職業があることを知り、そのような職業のためになにが必要であるかを知り、そこで海岸に出て自転車を盗むと故売屋に持ち込んでカメラと警察用無線を手に入れて、夜のロサンゼルスの町をスクープ映像を求めて走り回り、遂に銃撃事件の被害者の映像を手に入れるとローカルニュース局に持ち込んで小銭をせしめ、これは商売になると確信すると仕事に熱を入れて助手も雇い、とめどのない自尊心から商売仲間を商売敵に読み替え、その商売敵にスクープ映像を奪われると陰険な復讐をし、利益を出して車も買い替え、カメラも買い替え、強盗殺人の現場で決定的なスクープ映像を手に入れると一部を売って犯人に関わる映像を秘匿し、自分で犯人の所在をつきとめると事件が起こるように誘導してスクープ映像をものにして、企業家としてステップアップする手がかりをつかむ。 
ルイス・ブルームがほぼまばたきをしないジェイク・ギレンホール、ニュース局の深夜枠ディレクターがレネ・ルッソ、パパラッチの同業者がビル・パクストン。
ジェイク・ギレンホールが良心を欠いた人間を怪演しているが、わたしの認識としてはそもそもこのような職業に就いている人々はおおむねこのようなものであろう。ここにあるのはニュースとリアリティショーの区別を見失ったメディアの無分別ではあっても、個人の無分別ではなく、ルイス・ブルームはたまたま適職を見つけて、それを成功させたに過ぎない。ジェイク・ギレンホールが気味の悪い演技をしているのは事実だが、『GTA V』に登場するパパラッチほど愚かでもないし狂ってもいない。狡猾ではあるが、度を超えてというわけでもない。主人公の弁明を聞いていると自己啓発本による学習効果がある意味で「客観主義」的な行動形式を生み出し、同時に良心の欠如も生み出しているという見方もできるような気もするが、映画自体はおそらくこの主人公のキャラクターの構築にすべてがあって、なにか一般的な指摘を意図したつもりはないだろう。主人公はきわめて単純に悪役であり、その悪役ぶりの簡潔で明快な表現は卓越している。夜間撮影は非常にクリアで、演出は緊張感をうまく引き出している。 



Tetsuya Sato

2015年9月12日土曜日

キングスマン

キングスマン
Kingsman: The Secret Service
2014年 イギリス 129分
監督:マシュー・ヴォーン

サヴィル・ロウにある紳士服店キングスマンの正体は大富豪(複数)の遺産で運営される秘密組織で、その秘密組織でエージェントをしているハリー・ハートはアルゼンチンで殺害された同僚の後釜として17年前に殺害された同僚の息子エグジーを選び、エグジーがほかのエージェント候補とともに振り落とし試験を兼ねた訓練をうけるあいだ、ハリー・ハートはアルゼンチンの事件を追いかけてIT業界の大富豪リッチモンド・ヴァレンタインにたどり着き、リッチモンド・ヴァレンタインの陰謀をあばきにかかると、そのリッチモンド・ヴァレンタインは各国の要人と会談を重ねて国際的な陰謀の仕上げにかかり、訓練を終えたエグジーがスーツに身を包んでリッチモンド・ヴァレンタインの陰謀に挑戦する。 
ハリー・ハートがコリン・ファース、エージェントのマーリンがマーク・ストロング、キングスマンの指揮官アーサーがマイケル・ケイン、リッチモンド・ヴァレンタインがサミュエル・L・ジャクソン、誘拐される大学教授が久しぶりのマーク・ハミル。
結論から言うと、やはりマシュー・ヴォーンとは相性が悪い。ショービジネスのラインで製造された商品としては十分に水準をクリアしているが、商業性の観点からよく吟味されたありものの貼りあわせであり、トレイ・パーカーの『チームアメリカ ワールドポリス』とほぼ同じ話だとすれば、煩悩と幼児性を剥き出しにした『チームアメリカ』のほうが作家性においてはるかに優れている。見方を変えればマシュー・ヴォーンは作家性を放棄するところから出発しているわけで、そこに作家性を求めるこちらのほうにそもそも無理があるということにもなるが、仮にそうだとしてもわたしにはユニクロのカラーバリエーションのほうがよほど挑戦的に見える。マシュー・ヴォーンの作品のなかではおそらくいちばんムラがなくて、さしあたり退屈しないという美点はあるが、暴力表現をぬるめに処理して万人受けを狙うあざとさが最初から最後まで見えるので、あまり居心地はよろしくない。あまりにも居心地が悪いので終盤に登場するマグプル マサダの冬季迷彩までが不快に見えてくる(それにしてもあのリアジェットはどうやって離陸したのか?)。作り手の本音がもしどこかに出ているとすれば、それはハリー・ハートがアーサーに対して言う貴族の終了宣言であり、それを引き継ぐのがサヴィル・ロウのオーダーメイドとしてはひどく無様なスーツであり、そのスーツの上にくっついたひどく無様なウィンザーノットなのではあるまいか。 
Tetsuya Sato

ザ・トランスポーター

ザ・トランスポーター
El Nino
2014年 スペイン 136分
監督:ダニエル・モンソン

アルヘシラスの警官ヘススとエバのコンビがコカイン密輸の容疑で謎のイギリス人を追いかけていたがヘススは捜査の見込み違いで警察に損害を与えて航空隊に転属になり、港でボートの修理や改造をしているニーニョは友人コンピの誘いでハリルと出会い、ハリルの紹介で地元でコカインの密輸をしているラシッドの仕事をすることになり、預けられたボートで対岸モロッコに渡るとそこで荷を積み込み、スペインへ帰還する途中でヘススが操縦するヘリコプターと遭遇、モロッコ領海に逃げ込んでどうにか窮地を脱するものの、自分がおとりに使われたと気がついて、コンピ、ハリルとともにモロッコから大麻の密輸をする仕事を始め、ところが荷受けはモロッコ領内ではななくセウタで、という取引先の条件からハリルは担ぎ屋をしている姉アミナを仕事に引きずり込み、ヘススがなおも謎のイギリス人を追いかけるあいだもニーニョとその仲間は大麻の密輸で利益を出し、ニーニョとアミナは恋に落ちてアミナをスペインに密入国させ、危険な仕事を続けるニーニョの身を案じるアミナのためにニーニョは最後の一発勝負ということでコカインの取り引きに手を出すが、そのためにはモロッコ側に人質としてコンピを置くことになり、どうにか運び込んだコカインはラシッドに横取りされ、このままではコンピが殺されるということで打つべき手を探していると、そこへ謎のイギリス人から連絡が入る。 
みなさんおもにスペイン系だから、ということもあって登場人物がみな、味のあるいい顔をしているし、アルヘシラスからジブラルタル、モロッコからセウタと風光明媚な場所を背景に使い、浮かび上がる素材を惜しみなく作品に取り込んでいて、ヘリコプターとボートの追撃戦、カーチェイスなども地味ながら迫力があり、これは実にまじめに、粘り強く作られた力作と言うべきであろう。格別の冴えはないものの、演出はモダンで安定感があり、十分に洗練されている。


Tetsuya Sato

2015年9月11日金曜日

ワルシャワ、二つの顔を持つ男

ワルシャワ、二つの顔を持つ男
Jack Strong
2014年 ポーランド 107分
監督:ヴワディスワフ・パシコフスキ

ポーランド軍将校でワルシャワ条約機構で働くリシャルド・ククリンスキはプラハの春に対する介入シナリオをソ連のために作成したことで自分の心がソ連の醜い仮面をかぶっていると感じるようになり、1970年の造船所労働者の政治蜂起に対して軍が実力で介入したことでポーランド軍もまたソ連の犬であるという不快な事実を思い知らされ、愛国者としての感情からボンのアメリカ大使館に手紙を送ってアメリカの諜報機関と接触するとCIAの協力者となってソ連及びワルシャワ条約機構の最高機密(つまり、ポーランドの、ではない)をまったくの無償で提供するという、言わば英雄的行為を続けてカーター大統領から外国の軍人としては初めて銀星勲章を授与されたりするものの、なにしろ提供している情報がブレジネフですら知らない極秘の戦争計画だったりするものだからソ連もスパイがいることに気がついて、ブレジネフですら知らない極秘の戦争計画を立案した将軍は怒り狂ってスメルシュ(ククリンスキのお友達)を叱咤し、ポーランドの対諜報組織(ククリンスキの勤務先)もついに内偵を始めるので、1981年、ククリンスキは家族とともにポーランドからの脱出を試みる。 
実話の映画化で、原題の『ジャック・ストロング』はCIAがククリンスキに与えたコードネーム。監督はアンジェイ・ワイダの『カティンの森』の脚本を担当したヴワディスワフ・パシコフスキ。演出自体に格別の冴えはないものの、構成には工夫があるし、当時の状況をポーランド軍高級将校の視点から丹念に再現するという目論見は達成されていて、クライマックスの脱出ではそれなりにサスペンスも盛り上がり、ワルシャワ市内での地味なカーチェイスも悪くない。 



Tetsuya Sato