2014年8月31日日曜日

キリングゲーム

キリングゲーム
Killing Season
2013年 アメリカ/ベルギー 85分
監督:マーク・スティーヴン・ジョンソン

1995年、アメリカおよびNATOのボスニア紛争でボスニアへ派遣されたフォード大佐はそこでセルビア人によるボスニア人虐殺の現場を目撃し、そのあまりの有様にセルビア人兵士を捕虜に取らないという方針を選択した結果、退役して現代に至っても心に癒えない傷を負うことになり、家族とも疎遠になって山間の小屋に引きこもって孤独な生活を送っていたが、そこへボスニア人と名乗る男エミル・コヴァチが現われてかつて同じ戦場にいたことを明かし、フォードはコヴァチを小屋へ迎え入れて二人で酒を酌み交わすことになり、フォードに狩猟の趣味があるのを知ったコヴァチは翌朝の鹿狩りにフォードを誘い、フォードは古傷の痛みを押してコヴァチとともに山に向かうが、そこでコヴァチの正体がセルビア人であり、元兵士でフォードと同じ場所にいたことが判明する。 
フォードがロバート・デニーロ、コヴァチがジョン・トラヴォルタ。映画としてのバランスはいいし、演出も無駄がないし、芸達者の二人が確実に役作りをして、互いを敵と見做しながら油断も隙もない戦いを繰り広げる様子はなかなかに楽しい。
ただ素材が素材だけに、しかも背景が背景なだけに、それにもちろんデニーロだから、ということもあって、いつの間にか前景も『ディア・ハンター』に重なってきて、そうするとこちらは意図について疑いを抱き始め、ベトナム戦争以上に単純には割り切れない材料をわざわざ選んできて、いったいこれは誰のための映画なのか、といったような余計なことも考えることになるので、そこがどうにも収まりが悪い。 


Tetsuya Sato

2014年8月30日土曜日

メトロ42

メトロ42
Metro
2013年 ロシア 132分
監督:アントン・メゲルディチェフ

モスクワで進行する都市の高層化のせいで市街地の重心が移動して古いトンネルがモスクワ川の圧力に対して脆弱になり、金曜日の早朝、地下鉄のトンネルで漏水が始まり、壁に大きな亀裂が走って水が噴き出し、ラッシュアワーで乗客を満載した列車がそこへ突っ込んでいって、異変に気がついた運転手が緊急停止をさせようとすると列車が脱線して大惨事が起こり、生き残った乗客が脱出しようとしていると川から流れた水が襲いかかる、という状況を背景に妻に不倫をされている男と妻の不倫相手の男、たまたま出会った若い男女などがドラマをする。 
不倫まわりの話がロシア的にやや重たいし、映画自体も後半に向かってやや重たくなるものの、かなりの数の登場人物を素描しながら話を進める手つきは好ましいし、災害発生までの手順はきびきびとしていて見ごたえがあり、脱線のシーンは相当な迫力がある。水が噴き出してからの一難さってまた一難ぶりもなかなかのもので、結末も含めて脚本がよく考慮されていると思う。どうしても野暮ったさがつきまとうところはあるけれど、とにかくまじめに作られていて、しっかりと強度を備えた映画に仕上がっている。ほぼソ連時代のままの状態で運用されているモスクワの地下鉄が細部にわたって登場して、このあたりは珍しさもあってたいへん面白い。 

Tetsuya Sato

2014年8月29日金曜日

異国伝/理性の祭典

(り)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。だが人間には美味を求めるという習性があったので、地理上の不在はたいした問題とはならなかった。その国に通じる道は古くから開かれ、多くの商人が馬を引いて訪れて、琥珀色の葡萄酒を持ち帰った。それは当時、極上とされた葡萄酒で、その美味たるや口にした者はただちに感涙にむせび、数日は言葉を失うほどであったという。批評の技術が発達する前の話なので、感動はただ感動として、いかなる抑制も加えられずに表現されたのである。味覚の点でもいくらか発達の余地があったようで、その証拠に商人の多くは葡萄酒を水で薄めて売っていたが、それによって不評をこうむることは一度もなかった。
 葡萄酒の商売は商人たちに莫大な利益をもたらしたが、産地では王も民も変わらずに質素な家で暮らしていた。決して質素を好んだからではなく、国を大きく富ませるほどの生産量がなかったからである。幸いなことにそれで不足を感じることもなかったので、名を上げるのは葡萄酒に任せて生活を変えようとはしなかった。
 誰もが勤勉に働き、季節ととも生活をめぐらせ、丹精を込めて葡萄を育てた。葡萄以外にもいくらかの作物があったようだが、格別の評価は残されていない。収穫の時期ともなれば国中が祭りのような騒ぎになり、総出で葡萄の実を摘み取った。集めた果実は婚姻前の男女が足で潰して果汁にしたが、これは子を産んだ女や兵役を終えた男が葡萄を踏むと、酒が酸っぱくなるとされていたからである。若者たちは葡萄を踏んで踊りを踊り、似合いの相手を探して果肉で足を滑らせた。多くの恋が育まれ、血を見るような争いも一度では済まない。そうしているうちに収穫の季節は終わりに近づき、出来上がった果汁は集めて素焼きの壺に注がれた。壺は口を残して地面に埋められ、果汁はそれから数年をかけて熟成し、やがて見事な葡萄酒となる。
 さて、ある時のこと、一人の農夫がいつもと同じように畑に出て働いていると、葡萄の樹と樹の間から二人の女が顔を出した。なぜか顔面を蒼白にして、ひどく興奮して喋っている。だが、どちらも相手の話に耳を傾けている様子はない。いささか異様な気配に驚いて、農夫は仕事の手を止めた。声をかけても返答はない。口の動きが素早くて、話の中身を聞き取ることもできなかった。女たちはなおも喋りながら畑を横切り、足早に歩いて樹と樹の間を抜けていった。話し声が次第に遠ざかり、やがて宙に消えてしまうと農夫は首をひねって仕事に戻った。いずれも見知った顔ではなかったが、着ていた服からすると土地の者に違いなかった。
 陽がたっぷりと傾くまで仕事をして、それから急がずに家路を辿った。一人の妻と二人の娘は農夫の帰宅を待ちながら、夕食の支度をしている筈であった。激しい空腹を感じて胃袋を鳴らし、家への道を急ぎ始めた。うつむき加減の顔をふと上げて、そこで妙なことに気がついた。道を歩いている者がほかに見当たらない。いつもどおりならば周りに何人も隣人がいて、そろって胃袋を鳴らしていなければならなかった。記憶に昼間の女たちのことが蘇り、不吉な予感が唐突に起こって張り裂けんばかりに心を満たした。農夫は家を目指して走り始めた。暮れなずむ空の下に質素な家が見えてくる。蹴り飛ばすようにして戸を開け放ち、家の中へ駆け込んだが、家族の姿はそこにはなかった。
 道に駆け出して妻と娘の姿を探し求めた。広がる畑へ分け入って、葡萄の樹と樹の間に声をかけたが返答はない。絶望し、疲れ果てて道に戻ると、男たちの一団と遭遇した。いずれも近在の者で、それぞれが松明を掲げて隊伍を整え、肩に農具をかけていた。農夫は救いを求めて声をかけた。だが男たちは振り向きもせずに、ただ目の前を通り過ぎていく。全員が炎の光を浴びて顔を赤く染め、興奮した様子で何かを喋っていたが、一つとして意味を聞き取ることはできなかった。農夫は家へ駆け戻り、わずかな荷物をまとめると男たちを追って道を走った。一団の行く先に家族がいると考えたのである。
 男たちの一団はやがてその国で唯一の町に到着した。農夫も町に入っていった。収穫の祭りにはまだ間があるというのに、そこには国中の人間が集まっていた。騒然としていたが、いつもの祭りとは雰囲気が違う。どうにも不穏で、不快なほどの緊張感が漂っていた。誰もが見境なしに喋り散らし、しかもその内容は農夫にとってことごとく意味不明だった。同じ言葉を喋っているにもかかわらず、意思の疎通ができなくなっていた。農夫はひとの助けを諦めてひとりで家族を探し始めた。話し声に閉口しながら人込みをかき分けて町中を歩き、やがて町のはずれで妻と娘を探し当てた。
 妻と二人の娘は斧を握り、そこで一本の葡萄の樹を倒そうとしていた。驚いた農夫は割って入って止めようとしたが、そうする前に樹は実をつけたまま倒された。それは素晴らしい葡萄の樹であった。激怒した農夫が手を振り上げると、妻も子もわけのわからないことを言い始めた。農夫にはもはやそれをする資格がないという。なぜならば妻は妻であることをやめ、娘は娘であることをやめていたからである。そしてもちろん農夫もまた夫や父親であることをやめていた。妻と娘はなぜそうなるのかを長々と説明したが、農夫にはまるで理解できなかった。
 農夫が知らない間に、どこからともなく最高理性が降臨していた。農夫には意味不明でも、妻や娘や隣人たちにはそれはどうやら素晴らしいもののようであった。この気の毒で寡黙な農夫にわかったのは、そこまででしかない。頭を抱える男の前で、妻であった女と娘であった女は喋り続けた。
 それは人間を一切の野蛮な呪縛から解放し、より高次の段階へと導こうとする。しかし同時に人間もまた自らを励まさなければならない。最高理性は導きの手を与えるが、そこに到達するのは人間だからだ。肉体の支配はすでに終わり、思弁による支配が始まっていた。だがそれが孤立した思念であってはならない。我々は弁証法を学んで互いを高めあわなければならないのだ。
 町の広場では最高理性の祭典が始まろうとしていた。停滞の象徴である葡萄の樹が続々と運ばれ、高く積み上げられて火を放たれた。演台が作られ、その周りには最高理性を称えるために花が飾られ、標語を記した看板が並び、建物からは勉強会の告知を記した垂れ幕が下がった。農夫は家族を諭して家へ連れ帰ろうと試みたが、妻も娘も帰宅を拒んで働く群衆の中へと消えていった。
 旧弊な概念の虜であった農夫は家族を失うことを何よりも恐れた。そこで自らも祭典の準備に加わったが、昼時になって意外なことから正体を暴かれた。ほかの全員が手弁当持参で来ていたのに、農夫だけが食事の支給を要求したからである。疑問を抱いてしたことではなく、ただ昔ながらの振る舞いを求めただけであった。それに前夜から何も口にしていなかったので、空腹が堪え難い段階に達していた。だが肉体の欲求への隷属は深刻な後退と見なされた。放置しておけば、次には給与を要求するかもしれない。残りの者が真似をすれば、個人の欲望が全体の理性に損害を与え、肉体の支配を蘇らせて祭典を破壊することになるであろう。手を打たねばならなかった。なにしろ最高理性は無一文で降臨したのだ。そこで農夫は火刑に処された。
 農夫とともに葡萄も焼かれ、葡萄の樹とともに葡萄酒も滅んだ。他国の商人たちは別の葡萄酒を求めて奔走し、その国の人々は飢えを感じた時に理性を捨てて国から逃れた。食べる物がもう残されていなかったからである。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年8月28日木曜日

異国伝/乱流の彼方

(ら)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。その国があった場所では大地が切り裂かれていくつもの深い溝となり、人々は底知れぬ深淵を見下ろす岩棚の上で風に吹かれて暮らしていた。見上げれば崖がそそり立って霞ににじむ空に連なり、空はよじれた短冊となって溝の継ぎ目にはさみ込まれた。崖はあまりにも高く、底はあまりにも深く、ひとは大地の裂け目から出る方法を知らなかった。だから岩の壁からはみ出た危うい場所に家を建て、木を植え、畑を作って種を播いた。そうした岩棚の数は一つではなく二つでもなく、形が異なれば大きさも異なり、高さもてんでに異なっていた。一つの棚には一つ以上の家族が暮らし、大きな棚には町とも見える家並みがあり、消え入りそうな小さな棚には孤独な隠者が一人で暮らした。最大の棚には王の城があったが、王は久しく不在であった。
 棚から棚へは縄が渡され、ひとは縄から吊るした籠に乗って棚から棚へと移動した。だが若者たちは飛ぶことを好んだ。幅広の凧を背負って踵には補助の翼をつけ、風を選って勢いよく棚から飛び出した。溝に風が途切れることはなく、若者は身体で風を覚え、重心のわずかな移動によって風の中を巧みに進んだ。目当ての場所を外すことは滅多になかった。外したとしても深淵に落ちることはまずなかった。吹き上げる風が凧を背負った若者を舞い上げ、どこかの棚へと送り届けた。
 若者たちは凧を使って空を飛び、歓喜の叫びとともに風に乗った。そうして棚から棚へと移動したが、溝から出ることはできなかった。溝と空との間には大気の激しい乱流があり、そこを流れる凶暴な風は読み解かれることを拒んで凧を粉々にした。あるいは絡みあった流れの一つに凧とひとを放り込み、掴んで放そうとしなかった。
 王はそうした風の中にいた。風の解読に長けた王は溝からの脱出を試みて、風の虜となって空中をさまよっていた。水分を飛ばされた身体はすでに干涸び、恐怖と怒りに見開かれた目はとうに光を失っていたが、王の姿を保って岩棚に住む民を睥睨した。頭上に王の姿がある時には、岩棚の民はうつむいて祈りを呟き、屋根の下へと急いで走った。王の姿がない時には、風を見上げて恐怖を覚えた。民の多くは恐れることを知り、恐れることによって風に挑む無意味を学んだ。多くの民が、王は愚かであったと考えていた。だが愚か者は王一人ではない。その前にもいたし、後にもいた。
 ある時、一人の少年が乱流に挑んだ。溝から出ることを望んだのではなく、溝から出られることを明かそうと望んで、岩を蹴って風に乗った。風から風へと渡って上昇する気流を選び、乱流に飛び込んで瞬く間に凧を失った。少年は風から放り出されて木の枝に救われ、最初の挑戦は失敗に終わった。
 次の年も少年は挑んだ。そして二度目の挑戦も失敗に終わり、偶然に救われて生還を果たした。その次の年も、そのまた次の年も、少年は風に挑戦した。挑戦し、失敗を繰り返して戻るうちに少年は若者の姿になっていった。周りの者たちは何度となく諌めに集まり、すでに運を使い尽したと言って脅したが、若者は聞き入れようとしなかった。失敗するたびに風をにらみ、一年を費やして凧を作った。
 五度目の挑戦で風に飲まれた。風を読んで選んだつもりが、凶暴な風の流れに掴まれた。若者は逃れようとして身をくねらせた。重たい風がまとわりつき、息は止まり、凧は身体に逆らって激しく軋んだ。猛烈な速さで溝の中を突進していた。左右の崖は黒い光の中に消え、中心では白い風が渦を巻いていた。やがてその中に黒い点が現われ、それは見る間に近づいて王となった。王は暗い眼窩の奥に光を灯し、若者に向かって腕を伸ばすと耳をつんざく叫びを放った。
「連れてゆけ」 

 王の手が若者の凧を掴み、曲がった爪が布を破った。破れ目に吹き込んだ風が凧を引き裂き、王は再び絶叫を上げた。凧を失った若者は風の手を逃れて落ちていった。他人の家の屋根を破り、背中を激しく打ちつけたが、若者は五度目の生還を果たした。
 それから二年の後に、若者は六度目に挑戦した。若者はすでにひとと語ることをやめていた。ただ風だけを見つめて隠者のように暮らしていた。六度目は乱流を前にして棚に戻り、戻った後で凧を焼いた。その光景を見た者たちは、それで終わったのだと考えた。だが若者は一年を置いて、七度目に挑んだ。改良に改良を重ねた凧で乱流に飛び込み、目にも止まらぬ速さで風を読んで溝の上へ上へと昇っていった。間もなく若者の凧は空をにじませる霞の中に消え、戻ることは遂になかった。

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2014年8月27日水曜日

異国伝/予言の顛末

(よ)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。だが預言者がその国に現われて恐るべき予言をおこなった時、翼を持つ噂はすぐさま四方へと飛び立った。そして知る者のなかった国は数日を経ずに知らぬ者のない国となり、多くの者は地図を開いて噂の土地の所在を確かめ、どこにもないのを知って眉をひそめた。そのために噂の国の存在もまた噂の範疇に属することとなったが、それによって噂が価値を失うことはなく、地理上の発見に関わる新たな噂に加勢されていよいよ遠くまで広まっていった。
 辺境の地で生まれた噂が速やかに、また広範に伝えられていったことには理由がある。与えられた予言が一人や一国の未来を語っていたからではなく、世界の未来について語っていたからである。予言は恐怖に満ちた世界の終末について語っていた。大陸の端まで伝わって後代まで語り継がれた噂によれば、預言者はある朝、森の奥から姿を現わし、森のはずれで農業を営む善良な一家に予言を与えた。
 善良な上に信仰に篤い一家であったと伝えられる。農夫とその妻は婚姻の後も純潔を守り、誘惑を遠ざけるために町を離れて辺鄙な土地に住みついた。一説によれば、地図にないその国がその国のために作った地図にも記されていない土地であったという。夫婦はそこで慎ましい小さな家に住み、一男一女の健康な二児をもうけて小さな畑を耕していた。いかにして子を作ったのかは、噂は何も伝えていない。純潔を失ったからだとする者もいるし、子は噂の尾鰭の部分であるとする者もいる。そうではなくて実は神秘が語られているのだとする者も中にはいるが、いずれにしても予言との直接の関わりはない。
 ある朝のこと、青空が広がった陽気な日であったとも、鉛色の雲が空に低く垂れ込めた陰気な日であったとも言われているが、一家は夜明けとともに起き出して総出で朝食の準備を整えていた。息子と娘が水汲みに出れば農夫は庇の下で炉に火を起こし、傍らでは農夫の妻が碾割の豆に粉を加えてパン種をこねる。炉にかけた薄手の石のまな板に種を延ばしてパンを焼き、焼き上がった最初の一枚を祈りの言葉とともに神に捧げた。供物はすぐに四つに裂かれて家族の一人ひとりが一片を取り、それぞれに祈りを呟きながら塩をかけずに口に入れた。二枚目のパンは農夫が取り、三枚目は息子が取り、四枚目は妻と娘が分けあった。塩をかけてパンを頬張り、水を含んで飲み下し、そうして朝食を進めているうちに家の中で物音を聞いた。
 家族は庇の下に揃っている。目でそれを確かめると、農夫は物も言わずに飛び込んでいった。息子は手近の棒を握って後に続き、女房が石の擂粉木を手に構えれば娘は壷を高々と掲げた。中で争う音がした。間もなく農夫と息子が戸口に現われて、一人の老人を家の外へ引きずり出した。
 農夫の妻が夫に顔を向けると、夫はただ首を横に振った。これは農夫も息子も無事であるという意味であった。
 農夫の妻が再び夫に顔を向けると、夫はまた首を横に振った。捕えた老人とは面識がないという意味であった。
 農夫の妻がもう一度夫に顔を向けると、夫は首を振りながら家の中を指差した。侵入は戸口からではなく、裏の壁に穿たれた穴からおこなわれたという意味であったが、家の中を覗き込むと、なるほど壁には穿たれて開いた穴があった。
 老人は白髪を乱してぼろをまとい、ねじれた木の枝を杖にしていた。
 息子が縄でくくろうとすると、農夫は首を横に振った。娘が壷で打ち据えようとすると、農夫は首を横に振った。老人が無実を叫んで抗議すると、農夫はそれにも首を振った。逃がさぬように力を込めて腕を掴み、天を仰いで祈りの言葉を呟き始めた。長い祈りの後で農夫は老人に顔を向け、おもむろに口を開いてこのように言った。
「罪」 

 神に祈る言葉は知っていたが、ひとと語る言葉は多くを知らなかったのである。
「その手を放せ」と老人が言った。「手を放せば儂が何をしていたのか、それを話して聞かせよう」 

 だが農夫は耳を貸さずに、戸口の奥を指差してこう言った。
「罪」 

 老人が中で何をしていたのかはともかくとして、壁に穴を開けたのは罪だという意味であった。
「それならば」と老人が言った。「儂が何者であるかを聞かせよう」 

「罪人」と農夫は言った。
「罪人ではない」 

 老人は言葉を切って農夫を見上げ、家族にも目を走らせてからこのように告げた。
「儂は、予言をおこなう者である」 

 すると農夫の妻と二人の子は息を飲み、農夫は物言わぬ目で老人を見つめた。息子が口を開いてこのように言った。
「どのように予言をおこなうのですか?」 

 また娘も口を開いてこう尋ねた。
「壁に穴を穿って未来を占うのですか?」 

 農夫は目に怒りの色を浮かべて子らを見た。息子と娘は恐れを感じて身をすくませたが、老人は質問に答えてこのように言った。
「信仰篤き娘よ。驚いたぞ、そなたは見事に言い当てた。いかにも儂は壁に穴を穿ち、開いた穴の向こうに未来を見る」 

 農夫の妻と二人の子はここで再び息を飲み、農夫もまた小さな驚きを目に浮かべて戸口の奥を覗き込んだ。腕を掴む力も緩み、老人は逃さずに自由を掴んで農夫から数歩の距離を取った。握った杖を振り立てて目を爛々と輝かせ、善良な一家に顔を向けると声を厳かに響かせてこのように言った。
「信仰篤き者たちよ、心して聞くがよい。終末の時が近づいておるぞ。儂はその有様を壁の穴の向こうにはっきりと見た。やがて訪れるその日には風が吹き荒れて雷鳴が轟き、空には不吉な色の雲が幾重にも重なる。異形の空が地を覆い、陽は隠れて恵みを拒み、石をも貫く雨が注ぐ。雷の青白き舌は生け贄を求めて屋根を貫き、死は絶望を伴侶にして戸を叩き、地下からは腐敗と堕落が現われて地上を闊歩する。逃れることは最早かなわぬ。信仰薄き者には災いの日となるであろう。天空より降り注ぐ恐怖によって心を乱され、劣情の虜となってひとの姿を見失う。最後には不浄の屍となって大地を汚すことになるであろう。だが信仰篤き者たちよ、おまえたちは安んじているがよい。降り注ぐ恐怖から目を背け、触れることを厭えば決して心を乱されることはないであろう」 

 白髪の老人がこのようにして予言を終えると、農夫の妻と二人の子はひざまずいて頭を垂れた。妻は信仰の高まりによって涙を流し、耳を赤くして老人の手を取った。娘も母親に倣って老人に手を伸ばし、息子は顔を上げてこのように言った。
「天空より降り注ぐ恐怖から目を背けよ、触れることを厭えとのありがたい教え、必ず守ります。しかし、その恐怖とはいかなる姿をしているのでしょうか。目を背け、触れることを厭おうとするならば、いかなる姿からそうればよいのかを、まず知っておく必要があると思うのですが」 

「信仰篤き若者よ。驚いたぞ、そなたはよく気づいたな。恐怖の姿を知らなければ、恐怖から目を背けているのかどうか、わからない。また恐怖の姿を知らなければ、手を触れてしまっても恐怖に触れたかどうか、わからない。いかにもそのとおりだ。そこで儂はそなたたちに恐怖の姿を教えよう。記憶にとどめ、もしほかに信仰篤き者があるならば、その者たちにも小声で伝えておくがよい。よいか、天空から降り注ぐ恐怖とは、女の肌着の姿をしている。いかに心を乱されようとも、見てはならぬ、触れてもならぬぞ」 
 これを聞いた農夫の妻と二人の子は激しい恐怖に唇を震わせ、まず互いに抱きあってから老人の手を取って祈りの言葉を呟いた。
 さて、白髪の預言者は家族に祝福を与えて立ち去ろうとしたが、突然、農夫が襲いかかって荒々しく地面に組み敷いた。馬乗りになって自由を奪い、頭を押さえて身を屈めると手にした石の包丁で預言者の目玉をくりぬいた。老人は口から絶叫を放ち、農夫の手から解放されるとすぐに立ち上がって森の奥へと逃げ去った。息子と娘は驚愕に目をわななかせ、妻は夫に顔を向ける。すると農夫は首を振り、血の滴る目玉を地面に捨ててこのように言った。
「穢れ」 

 とはいえ、この部分は噂では伝わっていない。噂の源となったのはこの農夫ではなくて、死ぬような思いで町まで逃げた預言者の方だったからである。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年8月26日火曜日

異国伝/勇気の回復

(ゆ)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。記録に残されているその国の住人の主張によれば、地図や旅行案内書に記載がないのは国が小さいからではなく、実は近隣諸国が謀略を用いて彼らの祖国の抹殺を企んだからであった。文字どおり地図から消し去ろうとしたというのである。別の記録は版元の反論と近隣諸国の反論を伝えている。版元の反論によれば、その国の名前が地図から落ちているのは一般的な不手際が原因であり、案内書の目次にないのは日常的な労力の不足が原因であった。その証拠として記載から善意によって抜け落ちている複数の国名を挙げ、謀略の存在を否定している。近隣諸国もまた、いかなる謀略も存在しないという主旨の反論をしている。その内容を要約すると、地図から消したところでそこにあるという事実は変更できないし、変更できない以上は無駄な努力をしたくないということになる。それにそもそも地図に載っていないではないかという過激な発言も収録されているが、これがどの国の代表の口から発せられたのかは明らかにされていない。
 謀略の存在を指摘した人物は、具体的な結果こそ得ることはできなかったものの、帰国してからはその勇気を称えられた。終身愛国者の称号を受け、国家における指導的な地位を提供された。いくつもの集会に招かれ、それぞれの集会では演説を請われ、会衆を前にして自分がいかに近隣諸国を論破したかを語って聞かせた。聴衆は拍手喝采した。論破されたにもかかわらず近隣諸国はいかなる反省の色も見せなかったというくだりでは、集会場に緊張が走った。外国の横暴を許すなという囁きが広がり、若者たちは戦争すらも辞さないと呟いて顔をうつむけた。戦争という一語によって集会場はなぜかもじもじとした空気に満たされたので、演説者はここで話題を変えた。最大の問題はその国に独自の地図がないことであった。外国の陰謀によって生み出された誤った地図が、その国の青少年の心を激しく歪めているのであった。若者の心に誇りと勇気を取り戻すためには国民の手によって作られた新しい地図が必要であると訴えた。新しい地図はその国の存在を全世界に向かって高らかに告げるだけではない。国民すべての心に愛国の炎を灯す素晴らしい物語でなくてはならなかった。
 終身愛国者を中心に団体が結成され、新しい地図を作る作業が始められた。首都に本部が置かれ、地方組織が展開された。それぞれの地方組織には有志からなる測量隊が配置され、いずれも勇猛果敢な測量隊は図書館や学校に襲撃を加えて誤った地図を摘発し、広場に集めて火を放った。一連の光景を目撃したその国の地理学者や測量技師は地図製作に関わる若干の技術的な問題を指摘したが、終身愛国者とその周辺はこれに等しく嫌悪感を表明した。国民の地図は、旧来の方法では作成できないという信念があったからである。証明されるべきなのは測量の技術ではなく、愛国的な勇気なのであった。だが同時に支援者から寄付を募り、秘密裏に測量器具を購入することもした。測量隊の面々は真新しい測量器具を背負って山野をめぐり、参考書を頼りに点を定め、点と点の間の距離を測った。そうしている間に国内ではあの地図は完成しないという噂が広まり、広まるにつれて国民の関心が揺らぎ始めた。終身愛国者は噂を否定し、噂の出所は外国の走狗となった反逆的な団体であると主張する一方、決定版に先立つ暫定版と断った上で新しい地図の公開をおこなった。
 そこに示された新たな国境線に、まず近隣諸国が反応した。いくつかの線が問題とされ、事実上の侵略行為であると非難された。国内の学者や技師も眉をひそめ、科学的な根拠の提出を要求した。これに対して終身愛国者は科学的根拠の提出を拒み、国境線の形状は愛国心の発露としてもたらされたものであり、真の国民であればその形状は自ずと理解される筈であると説明した。この地図は国内及び近隣諸国で発売され、問題の文書として多くのひとが買い求めたが、信頼に値しないという批判と暫定版であるという作成者自身の保留があったことから、これを地図として使おうと考える者は一人もなかった。
 測量の開始から数年を経て、新しい地図の決定版が公開された。意外なことに、決定版の国境線は暫定版の国境線よりも大きく後退していた。新しい国境は自然が与えた線よりも内側にあり、歴史的な合意よりも内側にあったのである。支持者たちは指導者の勇気を賞賛した。勇気がなければそんなことはできない筈だからである。だが国内の専門家はその素人仕事ぶりを嘲笑し、一般に有識者と目される人々は国益を損なったとして批判した。そして近隣諸国もまた、ただ事実を歪めているというそれだけの理由で厳重な抗議をおこなった。そこで終身愛国者とその周辺は国内にあるいくつかの団体の名を挙げ、外国の走狗となって国内世論を否定的な方向へ導いていると非難した。完成した地図は賛否両論がある中で地図として発売され、国内及び近隣諸国で多くのひとが買い求めたが、これを地図として使おうと考える者は一人もなかった。
 さて、その国がそのような状況にあった時、長らく不在であった王がその軍勢とともに帰還を果たした。不在であった理由は判然としないが、一説によると不在だったのではなく最初からそこにいたのであり、不在であるかのように見えたのは国民が三世代を費やして王とその軍勢の抽象化を進めていたからであった。いずれにしても王は戻り、領土の縮小を知って激怒した。兵を送って終身愛国者を捕えさせ、玉座の前に引き出して説明の機会を一度だけ与えた。終身愛国者は王に向かって国を憂える心を説き、さらには国の愛する心を訴えたが、王は応えてこのように言った。
「朕が国家である」

  ついで王は罪人を叩くための棍棒で愛国者を殴らせ、兵士の身分を与えて軍に送った。それから軍の指揮官たちを呼集して軍議を開き、国境線回復のための作戦を練った。すでに近隣諸国が新しい地図の国境線に沿って兵を配置していたからである。間もなく戦争が始まった。諸国は矢継ぎ早に動員令を出して徴兵を強行し、いくつもの軍団を編成して端から戦場へ送り込んだ。戦争は長期にわたる泥沼となり、多くの者が死の淵に沈んだ。そして国境線もまた泥にまみれて混沌とした状態になってくると、諸国は和解の時期に達したことを悟ってそれぞれの古い地図を取り出した。

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2014年8月25日月曜日

異国伝/野蛮の証明

(や)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。古くからそれ以上のことが知られることはなかったが、ある時、名高い学者が弟子とともにその国について考察を加え、その結果、野蛮の地であることが証明された。
「さて、弟子よ。わたしたちはこれまで文明の発展の諸段階について考察をおこない、発展の段階がより高いほど、人間にとってより好ましいという結論に達した。なぜならば発展の段階とは、人間が感じる快不快の程度と密接な関係にあるからであり、人間がその本性において快適であることを好む以上、不快の程度が高い発展段階よりも快適の程度が高い発展段階を選ぶことは自明とされるからである。そして不快の程度が高い発展段階とは文明の底辺により近く、快適の程度が高い発展段階とは文明の頂点により近い。文明の発展の主要な動機が快不快の階梯を登ることにある以上、これもまた自明であると言わなければならないだろう」 

「いかにも、そう言わなければならないでしょう。しかしながら、先生、わたしには一つ、不思議に思えてならないことがあるのですが」 
「それならば、弟子よ、尋ねてみるがよい。おまえにとって不思議なことでも、わたしにとっては自明であることが、まだ数多くあるのだからな」 
「いかにも、先生はすでに星の数ほどの疑問を解き明かし、凡俗には思いも及ばぬところから新たな疑問を発見しておいでです。先生に解き明かせぬような疑問がこの地上に存在すると考える者は、世界に誰一人としていないでしょう。さて、わたしが不思議に思うこととはほかでもありません。発展の段階がより高いほど人間にとってはより好ましいのならば、なぜ、ある段階に敢えてとどまろうとする者たちがいるのでしょうか?」 
「我が弟子よ。それは初耳だ。それはいったいどのような者たちなのだろうか?」 
「とあるところにあっても地図に載ったことがなく、旅行者向けの案内書にも載ったことがない、たいそう小さな国に住む者たちです。辺境に身を置いて快不快の階梯を登ることには関心がなく、むしろ日々を生きることに関心を抱いている者たちです」 
「それは、我が弟子よ、とどまっているのではない。遅れているだけなのだよ」 
「遅れているだけなのですか? とどまっているのではなく?」 
「この世界のすべての国が同じ速度で同じように文明の発展を遂げているわけではない。ある国はほかの国よりも速やかに進み、ある国はほかの国よりもゆっくりと進む。国にはそれぞれの発展の速度というものがあるのだ。だから我が国のように進みの速い国はすでに発展の頂点に近づこうとしているし、一方、進みのひどく遅い国はまだ発展の底辺にあって高度の不快を受け入れている」 
「しかしながら、先生、わたしにはその国の人々がとどまっているように思えてならないのです」 
「そう思えてならないのならば、我が弟子よ、それはおまえが未熟な証拠だ。快不快とは万物の尺度であり、快不快を計る梯子はたった一つであるということを忘れてはならない。ある場所では不快であるとされることが、別の場所では快適であるとされることがあってはならないのである。もしそのようなことが起こるとすれば、それは快不快の尺度が異なるからではなく、文明の発展の段階が異なることによってそう見えているに過ぎない。人間は快適であることを本性から求めて文明の発展の段階を進むのであり、大国と呼ばれる国々での暮らしがおおむねにおいて快適で、しかもおおむね均質であるのはまさにそうして進んできたからにほかならない。梯子が一つならば進まなければならない距離も一つであり、そして我が弟子よ、重要なのは梯子をどこまでを進んだかであって、それ以外の何かではないのだよ。それにもかかわらず、その国の人々が低きにとどまっているとするならば、そもそも人間の本性に反していると言わなければならないだろう」 
「いかにも、そう言わなければならないでしょう。しかしながら、その国の人々がとどまっているとして、しかも人間の本性に反してそうしているのではなく、本性にしたがってそうしているのだとしたら、それはどのような状態にあると考えるべきでしょうか?」 
「そのような状態は、我が弟子よ、あり得ないと言うべきであろう」 
「しかしながら、先生、その国がすでに発展の頂点に達してるのであれば、そのようなこともあり得るのではないでしょうか?」 
「それもまた我が弟子よ、あり得ないのだよ。仮にそのようなことがあるとすれば、辺境の地にあって地図にも旅行者向けの案内書にも載っていない、そんな状態が快適であるということになる。だが、そのようなことが快適である筈がない。不快であると感じなければならないのだ。したがってその国の者たちが発展の頂点にあるということはなく、むしろ発展の底辺にあると考えるべきであろう」 
「すると、地図にもなければ旅行者向けの案内書にもないその小さな国は、無条件で発展の底辺に置かれるということですね?」 
「そのとおりだ。だが弟子よ、おまえもよいことを言ってくれた。これまでわたしは人間の本性を信頼するあまり、その前の段階について考察することを忘れていた。わたしはその段階を発展の前段階と呼ぶことにしよう。そこで弟子よ、これはよくよく心して答えてほしいのだが、その国はとどまっているのか、それともとどまってはいないのか?」 
「どう考えても、とどまっているように思えます」 
「ならばその国が発展の前段階を示す最初の標本となる。人間の本性に反して快適への希求を怠り、梯子に手をかけようともしない連中というわけだ。けしからん奴らだが、わたしの発展のためにはよい材料となる。さて、弟子よ、おまえは発展の前段階にあるような国は、どのように呼ばれるべきだと考えるかね?」 
「どのように呼ばれるべきでしょうか?」 
「そうした国は、野蛮な国と呼ばれるべきだとは思わないかね?」 
「いかにも、そう呼ばれなければならないでしょう」 
「なぜ、そう呼ばれなければならないのだろうか?」 
「なぜなら、その国が地図にも旅行案内書にも載っていないからです」 
「そしてそれにもかかわらず、自分たちは幸せだと信じているからだ」 
「なんとも、思わず、憐れみたくなりました」 
「いかにも、憐れまなければならないだろう」 
 後におこなわれた慎重な調査の結果から、名高い学者もその弟子もその国を訪れたことは一度もなく、ただ考察を加えたのみであったことが証明されたが、それでも名高い学者が下した結論が揺らぐことはなく、末永く定説の座にとどまった。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年8月24日日曜日

タイピスト!

タイピスト!
Populaire
2012年 フランス 111分
監督:レジス・ロワンサル

1958年、ノルマンディーの田舎の雑貨屋の娘ローズ・パンフィルは仕事を探して町へ出かけてルイ・エシャールが経営する保険会社の秘書の面接を受け、一本指でも早くタイプが打てるということで試験採用されるものの、どちらかと言えばドジでまるで秘書に向かなかったので一週間後に解雇を言い渡され、ただルイ・エシャールは県のタイプ早打ち大会で優勝すれば引き続き雇用するという条件をつけるので、ローズ・パンフィルは早速早打ち大会に出場して次点で優勝を逃し、そもそも運動選手でコーチの資質を備えたルイ・エシャールはローズ・パンフィルを自宅に下宿させて特訓を開始、特訓の成果があってローズ・パンフィルは県大会を制覇して全国大会を目指すことになり、パリの全国大会でチャンピオンの座を獲得するとルイ・エシャールは自分の役目は終わったと勝手に判断してローズ・パンフィルの前から姿を消し、一方、一躍脚光を浴びてパリマッチなどの紙面を飾ったローズ・パンフィルは心のどこかで打ち消しがたい寂しさを感じながらスポンサーを得て世界大会を目指し、ニューヨークで世界チャンピオンとの対決に臨む。
半端ではなく直球勝負のスポ根もので、十本指でタイプするための特訓から始まってブラインドタッチ特訓用の装置も現われ、もちろんランニングをするし、指を鍛えるためにピアノのレッスンも受け、タイピスト同士の壮絶な戦いぶりもなかなかにすごい。ヒロインはほぼ「のだめ」、ヒロインを見守る周辺人物もほどよいバリエーションを加味しながら配置され、テンポが速くて無駄がない。絵に描いたような五十年代ぶりも楽しくて、これはよくできた映画だと思う。 

Tetsuya Sato

2014年8月23日土曜日

イントゥ・ザ・ストーム

イントゥ・ザ・ストーム
Into the Storm
2014年 アメリカ 89分
監督:スティーヴン・クエイル

6月、アメリカ中西部の町シルバートンに竜巻が次から次へと襲いかかり、建物を破壊し、車やひとを巻き上げ、最後には史上最大の竜巻も現れて旅客機を吸い上げ、町を粉微塵に打ち砕く。 
かなりの部分がPOVの映像で構成されていて、導入部ではどのような撮影機材がどのような人間によってどのように使われるのかがキャラクター描写にからめて説明され、見ているこちらもたとえばGoProのような機材がどのような馬鹿によってどのように扱われるのかが理解できる仕組みになっている。竜巻の描写は出し惜しみがなく、冒頭からすでに猛威を発揮しているし、本筋が始まってからは前兆現象から降臨にいたるまで、不穏な空気をまとって巧みに表現されている。
というわけで滑り出しの掴みは十分な仕上がりに達しているが、話が進み始めると見解の相違であるとか家族の絆の再確認であるといった、このたぐいの状況で必要不可欠とされる要素があまり考えずに盛り込まれている気配があって、そういうところがうざいと言えば少々うざい。形式として古典的な災害映画を踏襲していて、だからむごたらしい描写は控えめで見せるべきものはきちんと見せるという態度は好ましいものの、モダンな映像の隙間にはさみ込まれたいかにも手続き的な状況の拡散には多少のわずらわしさを感じていた。このあたりは『ツイスター』のほうがさばけていて気持ちよかったような気もするが、あちらが一種のスポ根ものであったとすれば、こちらは正攻法で災害映画をしているわけで、単純に比較することはできないだろう。


Tetsuya Sato

2014年8月22日金曜日

異国伝/亡者の場所

(も)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。見た目には普通の国であったとされているが、その国については古くから奇妙な噂があって、事の真偽を確かめようと多くの者が訪れていた。そして訪れた者のうちの多くは噂が真実であることを知って自分の国へ逃げ戻り、いくらかの者は自らの目を疑って一切を幻覚と断定し、ごくわずかな者は人生の黄昏の時期を待って再びその国を訪れた。
 その国ではすでに死を迎えた者が歩いていたという。すべての死者が、というわけではない。おおむね二十人に一人の割合で埋葬の前に立ち上がり、静かに歩き始めたという。なぜそうなるのかはまったく不明で、男女の違いや貧富の差、あるいは生前の性格や行動にも理由を求めることはできなかった。歩く死者の中には男もいたし女もいたし、生前に高潔で知られた者もいれば低劣によって知られた者もいたのである。
 死者は歩いただけではなく、座ることもした。ひとの集まる場所を好み、座り込んでは頬杖をついて道の往来や居酒屋の喧騒を飽くことなく眺めていた。話すこともしなければ、食べることも飲むこともしない。耳を傾けているように見えたとしても、話を聞いて頷くことは決してない。往来がなくなれば立ち上がり、居酒屋が閉店の時間を迎えればおとなしく店を出ていった。夜の間は道をどこまでもひたすらに歩き、森をさまよい、畑に踏み込んで作ったばかりの畝を潰し、時には小川の畔で足を止め、川面に映る自分の姿をじっと見つめた。月の明かりや星の明かりに照らされた死者の姿は、無害であることがわかっていても、見る者に恐怖を与えたという。朝になると死者は群れをなして町に戻り、広場の隅に腰を下ろした。瞬きもせずに市の光景を見物し、市がはねると思い思いの場所を求めて町の中へ散っていった。
 いつの頃からか、その国では死者の場所が定められていた。広場にも既定の場所があり、階段に座り込んだ死者は通行の邪魔になるので監督官によって追い払われた。死者たちは集会場の入口も好んだが、ここでも場所は北側の一角に限られていた。南側は伝統的に反対派が気勢を上げるために使われたからである。居酒屋には死者専用の席が設けられていて、その位置は店によって異なっていたが、たいていは入ってすぐ脇の壁際か、さもなければ便所の横の壁際であった。習慣を知らない旅行者は誤って死者の隣に座ることがあり、しばらくしてから気がついて恐ろしい思いを味わった。無用の騒動を避けるために、一部の店では注意書きを出していたという。
 その国の人々は歩く死者を受け入れていた。疑問はおそらく誰の胸にもあった筈だが、口に出して問う者はいなかった。生きている者がいかに考えようと、死後の生活は想像の域を出ることがない。歩く死者を前にして魂の行く末を論じることには、多くの者が不安を感じた。そこにいるのは未知の人物ではなくてかつての隣人や親族であり、もしかしたら聞いているかもしれないからである。だから理由は死者の胸の内にあるとされていた。理由を伝える必要があれば、死者が口を開いて言う筈であった。
 受け入れてはいたが、まったく問題がなかったわけではない。浮かれた若者たちが死者を木に吊るすことがあった。何も知らずに木に近づいてうっかり見上げてしまった者は、無害であることがわかっていても、やはり恐怖を覚えたという。畑を荒らされて怒った農夫が、死者を捕えてこっそり始末することもあった。石を抱かせて川に沈めるか、縛って埋めるかしたのである。ずぶ濡れになった死者が石を抱いて歩いているのを見た者がいるし、泥まみれになった死者が縄を引きずって歩いているのを見た者もいる。故人の行方を案じた遺族が騒ぎを起こすこともあったようだが、遺族の要請に応じて司直が動いたことは一度もない。
 監督官たちは歩いている死者の様子を観察し、腐敗が進んだ者から順に処分していった。どのように処分していたのかは定かではないが、再び歩くことがないように斧で切り刻んでいたと言われている。おそらくはこの仕事のせいで監督官は蔑まれ、時には遺族の恨みを買った。監督官が国から多額の給与を得ていたのは、その代償であろう。幸いなことに、死者を見張り死者を闇に葬るこの無残な職業はある日を境に無用となった。
 見つけたのが誰であったかは知られていないが、ある日、町のはずれのさびれた場所で地下へと通じる穴が見つかった。それはそれまで石の蓋によって塞がれていて、周りに生い茂る草によってひとの目から隠されていた。そこにあった重い蓋を取り除くと、死者たちは一斉に穴を目指して歩き始めた。列を作って町のはずれに迷わずに進み、一人また一人と穴の中へ消えていった。そしてそれ以来、すべての死者がおとなしく葬られるのを待つようになった。穴の先に何があるのか、確かめるために入った者は一人もない。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年8月21日木曜日

異国伝/女神の帰還

(め)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。存在を知らせる路傍の標識も久しく傾いたままとなっていたので、ほとんどの旅人は気づかずに間近を通り過ぎた。そして仮に足を踏み入れることがあったとしても、気づかずにそのまま通り過ぎることが多かった。その国には堅固を誇る城壁もなく、はっきり町と見える場所もなく、ひとの住む家もひとの集まるべき場所もなだらかにうねる丘陵に広く散っていたからである。国の輪郭を巧みに隠し、それぞれの家には武具を隠し、事が起こった時には武装を整えた男たちが四方八方から駆けつけた。だからそのことを知る無頼の者は、その国では決して悪事を働こうとしなかった。その国の人々は豚の飼育に精を出し、南の斜面ではオリーブを育て、山の頂きでは葡萄を植えて多くの甘い実を稔らせた。豚は滋養に富んだ食料となり、オリーブから絞った油は健康を保つ材料となり、葡萄の実から得た汁は醗酵の過程を経て喜びを与える飲料となった。
 さて、ある時のこと、国の南端を覆う森の中から一人の炭焼きが走り出て、手近の家に急を伝えた。森の奥でとんでもないものを見たという。どのようなものかと家の男が尋ねると、とてつもない怪物であったという返答がある。ではどのようにとてつもないのかと尋ねると、炭焼きは答えに窮して舌を絡ませた。そこで家の男は炭焼きの頭に水をかぶせて濡れた頬を激しく叩いた。それでもなお喋ろうとしなかったので、水を満たした壷に顔を漬けて背中を激しく拳で打った。面白がってそうしたのではなく、手段を選ばずに真相を確かめようとしてそうしたのである。炭焼きは女神という一語を残して悶絶し、萎えた身体を地に横たえた。
 家の男はいぶかしんだ。本当に女神だとするならば、とんでもないものであるとしても、とてつもない怪物であるということはない。家の男は炭焼きを逆さに吊るして水を吐かせ、意識を取り戻すまで頬を殴った。とてつもない怪物という後半の部分に関して、炭焼きが何も答えていないと考えたからである。炭焼きは白目を開いて最後の力を振り絞り、家の男に向かってこのように言った。
「でかい」 

 その一言が吐き出されると同時に森の方で地響きがした。家の男は顔をうつむけて音に聞き入り、轟く音が規則正しく繰り返されるのに気づいて眉をしかめ、それから森の方へと顔を向けた。顔を向けるや否や、舌を絡ませて言葉を失った。炭焼きを放り出すと家の中へ走って武具を取り、慌てふためく妻子の手を引いて遠く離れた隣家へ逃れた。
 隣家の者たちは不穏に轟く地響きを聞いて外へ飛び出し、家を囲う柵の前で一家を迎えた。そして一家が狂乱状態にあるのを見ると、激しく石を投げつけた。遠ざけようとしたのではなく、新たな脅威を与えることで狂乱の原因から心をそらせようとしたのである。投石が効を奏して一家は落ち着きを取り戻し、後にしてきた方角を一斉に指差した。すでに言葉は不要であった。隣家の者たちは彼方から近づくそれを見て、逃げてきた一家にあれは何かと詰め寄った。すでに落ち着きを取り戻していた一家は言葉を選んで女神である、とんでもないものであると返答し、大きさだけを見ればとてつもない怪物と言えないこともないと補った。隣家の者たちもその答えに異論はなく、危険が迫っているという点でも両家の見解は速やかに一致した。そして武具を持つ者は武具を取り、荷に余裕のある者は家財や食料を家から運び、次の家へと退却を始めた。
 家から家へと退却を繰り返すうちに逃げる者の数が増え、男たちは走りながら鎧や武器を身につけた。多くの者が家を捨て、丘の上の菩提樹の周りに集まっていった。その根元には報せを聞いた長老たちが腰を下ろし、情報の収集に余念がない。将軍の番にあたっていた者は喉を嗄らしてひとを集め、最初に人数をそろえた隊が斥候に出された。女たちは火を起こし、あるいは酒の甕に水を注いだ。
 間もなく斥候隊の一人が戻り、女神の進路を報告した。森から出現した女神は途中にある家を破壊しながら北に進み、それから進路を北東に変えて今は東の川に向かっているという。報せを聞いた長老たちは皆を菩提樹の下に集めた。全員が腰を下ろして口を閉じると、間もなく古老が立ち上がってこのように言った。
「大きさの点ではとてつもない怪物とすら言えそうなとんでもない女神が現われて、この国のどこかを目指して進んでいる。それは皆も知っていることであり、儂が一人で妄言を吐いているというわけではない。そこで事実はありのままに受け入れることにして、残ることについて考えてみようではないか。すなわち、なぜ女神は現われたのか、なぜあれほどに大きいのか、そしてどこへ行こうとしているかである。意見のある者は、まず手を上げてから話すがよい」 

 すると一人が手を上げて、女神を撃退する方法は考えなくてもよいのかと尋ねた。
「女神が女神であるならば」と古老は言った。「儂らに倒せる相手ではない」 

 これには別の一人が手を上げて、ならば目下東進中のいわゆる女神が事実としての女神であることに疑義をはさむ余地はあるのかと質問した。
「それには」と古老は答えた。「なぜ女神が現われたのかを考えねばならぬ。女神が現われるだけの理由があるなら、あれは女神にほかならぬ。そうでないとなるならば、それから倒す方法を考えればよい。だからまずは、女神が現われた理由を探すことだ。理由を知る者は、まず手を上げてから話すがよい」 

 古老がそう言って促すと、一人が別の一人を指差したこのように言った。
「奴は豚に川を渡らせた」 

 菩提樹の下にゆらめくようなざわめきが走り、多くの者が指差された男に非難の視線を浴びせかけた。
「そう言うあいつは」と指差された男が指差した男を指差した。「川で小便をした」 

 今度は激しいざわめきが起こり、少なからぬ者が立ち上がって怒りの拳を振り上げた。発言を求めて手を上げた者も中には混じり、あれは川の女神なのかと大きな声で問い質したが耳を持つ者は一人もなかった。そこへ斥候隊からまた一人が戻り、古老の傍らに立つと許可を待たずにこのように言った。
「今、川を渡ってる」 

 これを聞くと多くの者が激しい怒りに顔を歪め、豚に川を渡らせた者と川を小便で汚した者に石を投げつけた。ただし落ち着きを与えるためではなく、禁忌を破った罰を与えるためであった。その有様を見た長老たちも群集に向かって石を投げ始めたが、これは罰を与えるためではなく、落ち着きを与えるためであった。だが長老たちの投石は落ち着きではなく興奮を与えることになり、おびただしい数の石が飛び交った結果、そのうちの一つが古老にあたり、古老は額から血を流して昏倒した。これを見た者は大事を悟って投石をやめ、間もなくすべての者が石を捨てた。長老たちは倒れた古老を助け起こし、女たちは顔を蒼くして走り寄り、男たちも忠節を示す絶好の機会と捉えて走り寄ったので、辺りは一瞬にしてごった返した。
 斥候隊から三人目が報せを携えて戻ったのは、この直後のことである。その兵士は群衆をかき分けて長老たちの前に進み、目を開いた古老に向かってこのように言った。
「神殿に入りました」 

 古老は報せを聞いて眉をしかめた。
「神殿とは、どこの神殿のことなのか?」 

 そう言いながら立ち上がる古老の周りでは、長老たちも残りの者も腕を組んで首を傾げた。神殿のことなどは誰も聞いたことがなかったからである。
「東の川の向こうにある林の奥の神殿です」 

 兵士の答えに数人が頷き、また数人が手を叩いた。たしかにそこには神殿があったと口にする者もいる。
「ならば」と古老が言った。「女神がどこへ行こうとしていたかは、これで明らかにされたことになる。謎の一つは氷解した。残る謎はなぜ現われたのか、なぜあれほどに大きいのか、その二つであり、これはおそらく神殿へ行けば自ずと判明するであろう」 

 そしてそのとおりとなった。神殿の内陣の高さは女神の身長にぴったりであった。大きさはそのことによって説明され、もう一つの謎はその国の者たちが女神の前に立った時、全員が自ずとひざまずいたことによって自ずと解明されたのである。女神が立ち去ったことも忘れ、神殿があったことも忘れ、日常の禁忌を心の頼みとしていた信仰薄き者たちは、その日を境に心に信仰を取り戻した。

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2014年8月20日水曜日

異国伝/無法の表彰

(む)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。それでも不運な旅人を迎えることがあったのは、街道から枝分かれした一本の道がその国に向かって真っ直ぐに延びていたからである。旅行者は習性として進むべき道を誤ったし、冒険心に頭を冒された愚か者は好んで進むべき道を誤った。だがうっかりその国に足を踏み入れて土地の人間と遭遇すると、後はよほどの変人でもない限り脱出を考えることになる。
 いささか信頼に乏しい資料によれば、その国の住人は人間ではなかった。少なくとも一般に知られている人間とは、やや異なる姿をしていた。
 まず頭部が異様に大きかった。大人がひと抱えにするほどもあって、その形状は扁平で、上から力を加えた団子のような形をしていたという。頭髪はなかった。顔の大半を占めていたのはドングリを倒したような巨大な目で、その下には鼻と思しき小さな穴が二つ並んで開いていた。口は顔の幅いっぱいに裂けていて、開くと小さな牙がずらりと並ぶ。頭部の大きさに比べると、胴体は不釣り合いなほど小さかった。頭を三とすると、首から下は二ぐらいの比率になったという。その小さな胴から二本の短い腕と二本の短い脚が生えていて、手は完全な形をしていたと伝えらていれる。脚の形状についての報告はないが、これは住人の身長が平均よりもやや低めだったためであろう。向かい合うと胴体のほとんどの部分が頭の陰に隠れてしまって、見ることができなかったのである。
 その土地の人々がいかなる理由によってそのような外見をしていたのかは定かではないが、世の中には勝手な空想を勝手な方向へ膨らませて荒唐無稽な結論を引き出す者がいる。そうして引き出された結論によれば、その土地の住人はやはり人間ではなくて、異世界からの訪問者か、またはその子孫であったということになる。星から星へと旅する乗り物が故障して我々の星に降り立つことになり、そのまま居着いてしまったというのである。しかしながらそのような事実を示すいかなる証拠も残されていないし、仮に残されていたとしても良識にしたがって解釈に余地を加えなければならないだろう。
 さて、ある時のこと、一人の旅人が旅を急ぐあまりに道を誤り、街道を遠く離れてこの国に足を踏み入れた。見渡す限りが丈の高い草むらで、ひとが住んでいる気配はまったくない。それでも方角を疑わずに草をかき分けて前へ進むと、やがて一軒の家が見えてきた。椀をかぶせたような形をしていて、その滑らかな表面は乾いた泥の色によく似ている。地面の近くに丸い穴が開いていて、それを除けば戸口も窓も見当たらなかった。旅人はかすかに漂う怪しい気配を感じ取り、また動物の糞を思わせる明らかな異臭を鼻に感じた。立ち去りたいという思いが胸を満たしたが、ここで道を訊かなければ、次にどこで機会があるかわからない。足音を忍ばせて家に近づき、黒い穴に顔を向けると勇を鼓して声をかけた。穴の奥の闇に向かって在宅の有無を尋ねると、何やら動く物音がする。数歩退いていつでも逃げられるように身構えていると、間もなく住人が姿を現わした。旅人はその異様な外見にまず驚き、ついで激しい恐怖を感じた。悲鳴を上げて逃げようとしたが、舌は乾いて顎に貼りつき、足はすくんで運命に身を委ねる。そうして立ち尽くしていると、住人がゆっくりと近づいてきた。間近に立って足を止め、巨大な目を並べた顔を旅人に向け、それから両手で一枚の巻紙をするすると開く。開いた紙を短い腕で上げられるだけ高く上げ、それでもまだ顎の下にあって紙に書かれている内容が目に入るとはとうてい思えなかったが、低く深みのある声で重々しく読み上げた。
「表彰状。あなたはこの困難にあってもなお勇気を失わず、克服のための努力を怠らなかったので、ここに表します」 

 続いて紙を百八十度回すと旅人に手渡し、一礼をして立ち去った。
 旅人はしばらくして気を取り直し、この不気味な土地から一刻も早く脱出しようと心を決めた。再び草むらへ足を踏み入れ、とにもかくにも前へと進んだ。怪しい家は後方に去り、近寄ってくる影もない。もう大丈夫だと思ったが、丈高く繁る草に囲まれて戻るべき方角がわからない。見当をつけて草むらを分けるとその先には見たような家があり、声をかけてもいないのに中から奇怪な人影が姿を現わした。今度は悲鳴を上げて逃げ出したが、相手は恐ろしいほどの速度で追いかけてくる。心臓が止まるような思いを味わいながら力が尽きるまで走りに走り、倒れた場所で表彰状を渡された。三度目に家の前へ出た時にはもう逃げようとはしなかった。表彰状を受け取って、相手が立ち去るのを待ってから道を求めて草むらに戻った。そのうちに陽が暮れてきたが、戻る道はまだ見つからない。夜が訪れると土地の住民は草むらの中にも出没するようになり、旅人の背後を襲って表彰状を手渡した。道を探して闇の中を這いずり回り、疲労の果てに眠りに落ちて目覚めとともに表彰状を受け取った。一日が過ぎ二日が過ぎ、飢えと渇きに苛まれながらも道を求めて草をかき分け、いったい何日が経ったのかわからなくなった頃、旅人は草の切れ目の先に道への出口を見出した。街道へ戻ってきた時には、表彰状の分厚い束を握っていたという。

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2014年8月19日火曜日

異国伝/密林の探検

(み)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。それでもその国の存在は伝説を介して多くの者に知られていた。伝説を聞いた多くの者が惹きつけられ、伝説を信じた多くの者がその国を目指して旅立っていった。だが辿り着いたという者は一人もない。多くは道の半ばで倒れ、わずかな者が生きて戻った。
 伝説によればその国には黄金が満ち溢れていた。道は金の延べ板で舗装され、屋根には金の瓦が敷かれ、家々の棚には重い金器が山積みとなり、住民は金糸で織った衣服をまとい、食べ物には金粉がまかれていたという。便所の便器が金ならば便座もまた金で作られていて、飼い犬や飼い猫も金にまみれ、路上には黄金色の糞が点々と並ぶ。
 伝説を聞いて欲に駆られた者たちが、その国を探して旅立っていった。湿気を帯びて黒く霞む熱帯雨林に足を踏み入れ、次から次へと命を落として下生えの肥やしとなっていった。行く手は分厚い密林に阻まれ、道と言えるような道はなく、横からも背後からも、時には上から下からも数々の危険が襲いかかった。仮にその場所まで辿り着くことができたとしても、伝説の国を見つけられるかどうかが怪しいという。失われた国の姿は朝焼けの中にだけ立ち上がると言う者がいたし、夕陽を浴びて影が差すと言う者もいた。運よく見つけることができたとしても、実は入るのが難しいという。失われたその国は黄金の巨人に守られていると言う者がいれば、巨大なヤモリに守られているという者がいた。しかもその巨大なヤモリというのは、奇怪にも元は人間なのであった。
 伝説にまつわる噂話は聞く者の心に恐怖を起こしたが、恐怖よりも欲望が勝る者は劣情に駆られて腰を上げた。密林の恐怖は克服可能な障害でしかなかった。恐怖はすでに人生にあった。一獲千金の夢をかなえて世界に自分の名を広め、嫉妬と羨望の飽くなき対象となることながなければ、人生はただの無為でしかない。
「俺は行く」 

 野心家で知られた一人の男が、そのように言って決意を固めた。心ある者は言葉を尽して決意を砕こうと試みたが、男は人生の空しさを恐れて旅立っていった。海を渡り、川を遡って文明のはずれにある町を訪れ、そこで案内人と人夫を雇うといよいよ密林に足を踏み入れた。
 密林は恐怖と危険に満たされていた。陽は葉に遮られて地上は昼でもなお暗く、足元は不確かでしかも湿って滑りやすかった。まず人夫の一人が足を挫き、次に別の人夫が転んで腕を骨折した。行動不能となった二人を置き去りにして、なおも進むと前には鬱蒼とした薮が立ち塞がる。鉈を使っていた人夫が誤って自分の手を落とし、斧を使っていた人夫は誤って自分の脚を切った。行動不能となった二人を後に残して道を開き、薮を突破して激流に洗われる河辺に出ると、そこでは原住民の襲撃に遭った。身体に色を塗りつけた見るからに凶暴そうな男たちが槍を手に手に丸木舟に乗り込んで、対岸から一行目がけて突進してくる。だが小さな舟は端から波にもまれて沈んで消えた。あまりの恐ろしさに一行は恐怖に震え、それから気を取り直して濡れた岩を登っていった。川沿いに進んでいくうちに、二人の人夫が足を滑らせて悲鳴とともに激流に飲まれた。
 川の上流では恐るべき猛獣が待ち受けていた。茶色くてごわごわの毛が生えたクマである。こっちへいったりあっちへいったりといった面倒なことは抜きにして、いきなり現われて立ち上がった。立ち上がると大人の倍の背丈があった。クマは前肢で人夫の一人を殴って失神させた。そして失神した人夫を肩に担ぐと、密林の中へ消えていった。しばらくしてから同じクマがまた現われた。近寄ってきて前肢を振るい、失神した人夫を肩に担いで連れ去ろうとしたので、野心家で知られた男はクマに向かってこのように言った。
「図々しいとは思わないのか?」 

 するとクマは足を止め、振り返って鼻を鳴らすと人夫を担いだまま密林の中へ去っていった。野心家で知られた男は怒りとともにクマを見送り、先頭に立って先を急いだ。野営に適した場所を探して天幕を張り、見張りを立てて夜を過ごし、そして何事もなく朝を迎えた。だが出発の時になって人夫が二人消えていることに気がついた。探してみると一人は松脂にかぶれてのたうちまわり、もう一人は漆をかぶってもがいていた。行動不能となった二人を置いて、一行はさらに密林の奥へと分け入っていった。
 雨期でもないのに雨が降り始めた。滝のように雨が注ぎ、川が溢れて密林を浸した。二人の人夫が濁流に飲まれ、一行は危険を察して高い場所を探し求めた。流れる水を脚で分けて、丘を見つけてそこへ逃れた。見ている前で森が沈んだ。雨は降り始めと同じように唐突に止み、空が青く晴れ渡る。そして見渡す限りが海原となり、やがて水平線の彼方から二隻の船が現われた。並んで現われた二隻の船は瓜二つで、どちらも舷側に円窓を並べ、煙突から淡い煙を吐き出している。二隻は波を蹴立てて海を進み、丘の間近までやって来てからくるりと向きを変えて去っていった。船が水平線の彼方に消えてしまうと、水が凄まじい勢いで引き始めた。水の中から木が立ち上がり、森が姿を現わして梢という梢から無量の滴を滴らせる。密林の驚異を目の当たりにした一行は恐怖に震え、丘の上で一夜を明かした。夜明けとともに寝癖頭の黄色い巨鳥が足音をたてて出現し、左右の翼に一人ずつ、あわせて二人の人夫を抱えて去っていった。
 密林の恐怖はまだ続いた。一行は丘を後にして森を進み、唐突に森が途切れたところで足を止めた。辺りは一面の花畑で、原色の花が異様なまでに咲き乱れていた。恐るおそるに進んでいくと、花の間から四匹の怪物が現われた。いずれもこどもの背丈しかなかったが、全身を鮮やかな赤や青や黄色に塗って巨大な目を爛々と輝かせ、頭には異様な角を生やしていた。怪物は幼児のようによたよたと走って一行の間に入り込み、まず人夫の一人にハグをした。続いて別の人夫にもハグをして、残りの者にも順にハグをしていった。すべての者にハグをすると、四匹の怪物は花畑の中へ去っていった。恐怖に遭遇しながらも一人も失わずに済んだので、野心で知られた男は喜んだ。だが喜ぶのは早かった。人夫の一人がさらなるハグを求めて花畑へと走り込んだ。残りの人夫もハグを求めて去っていった。後には野心で知られた男と案内人だけが残された。
 二人は持てるだけの荷物を持って花畑を越えた。再び森に分け入って、ただひたすらに奥へと進んでいった。苦難に満ちた四昼夜を過ごし、何度も命を落としかけた。小さなクマが踊る姿に恐怖を覚え、多種多様な動物が二列になって進んでくるのを咄嗟にかわした。密林は異常な世界であった。やがて二人は大地の切れ目に到達した。深い裂け目が大地に走り、一つの森を二つに分けて間の行き来を阻んでいた。伝説によれば、失われた小さな国は、その先にある筈だった。
 二人は木を切り倒して裂け目に渡した。まず野心で知られた男が橋を渡り、渡り終えたところで手を振って案内人に続くようにと促した。ところが案内人は橋を渡ろうとしなかった。そうする代わりに丸太の橋に手をかけて、渾身の力で持ち上げると裂け目の底へ突き落とした。
「何をするんだ。それでは俺が戻れない」 

 野心で知られた男がそのように言うと、案内人は腰に手をあててからからと笑った。それから酷薄な笑みを顔に浮かべて、このように言ったのである。
「戻る必要はない。おまえはそこで死んでしまえ。おまえはもう覚えていないかもしれないが、俺の方は忘れていない。あの頃の俺は陰気なガキで、おまえは今と同じように野心に溢れて光り輝いていた。そしておまえは俺を嫌い、俺から女を奪い、仕事を奪い、人生の空しさを味わえと言ってあの谷底に突き落としたのだ」 

「どの谷底の話をしているんだ?」 
「あんまりたくさんあって、覚えてなんかいられないか? だが俺は生き延びた。そしておまえへの復讐を誓い、文明のはずれにあるあの町でおまえが来るのを待っていたのだ。俺はおまえを見捨てて町へ戻る。おまえは死んだと伝えよう。事実そのとおりになるのだからな」 
 案内人は再び笑って、それから野心で知られた男に背を向けた。一度も振り返らずに来た道を戻り、木の間から現われたクマに殴られて失神した。クマは案内人を肩に担ぎ、野心で知られた男に一瞥を与えて去っていった。
 ここに至って野心で知られた男は人生の空しさを知って野心を失い、その場に倒れて運命を呪った。するとどこからともなく愛らしいこどもの声が聞こえてきた。
「もお一回、もお一回」 


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2014年8月18日月曜日

異国伝/魔王の機械

(ま)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。だが、まったく未知のままに捨て置かれていたわけでもなくて、ある種の文献には記載があったし、そうした文献に知識を求める人々は、そこに書かれた内容を読んでその国の存在を知ったのである。
 その国には魔王の機械があると言われていた。言われていたというだけで、実際に見た者は一人もなかった。どの本を調べても、それがいかなる機械なのかを説明している部分は一行もなかった。信じられていたところによれば、それは地獄から呼び出された魔王が地上に現われ、まさに現われた証拠として地上に置いていった物であった。だが単なる存在証明であれば機械である必要はまったくない。まがまがしい彫像や不気味な紋章のような物であっても全然構わなかった筈である。機械であるからには、必ず何かしらの機能を備えている筈だと多くの者が考えた。地獄の門を開く仕組みかもしれないし、そうではなくて空に暗雲を浮かべる仕組みかもしれない。門を開くのだとすれば鍵はどこにあるのか、暗雲を浮かべるのだとすれば、浮かべた後には何が起こるのか。その国の誰かが魔王と契約を交わした証だという説も有力視されていた。
 正体を確かめようと考えて旅立った者は少なくない。だが戻った者は一人もなかった。その国へと至る道にはいくつかの難所が控えていたとされているので、そのうちのどれかで命を落としたのであろう。そしてそうして行方を絶ったのは一般にいかがわしいと思われていた人々だったので、不幸を知って悲しむ者の数は少なかった。悲しむ代わりにさもありなんと頷く者はたくさんいたと伝えられる。
 さて、ある時のこと、一人の裕福な若者がいささかいかがわしい種類の野望を胸に抱き、魔王の機械の正体を確かめようと考えた。道中の難所についての情報を集め、武勇を誇る男たちを護衛にしたがえて出発した。最初の難所は溶岩によって塞がれた海辺の場所で、ここを越えると道は大きく内陸へまわる。その先には誘拐を生業とする人々が住む国があり、その先には追い剥ぎを生業とする人々が住む国があった。森を抜けて川を渡り、そそり立つ山をいくつも越え、崖にへばりついて暮らす人々の町に入って王に追われ、ある筈の国がない場所を抜けて大きな山を一つ越える。そこからさらに山を五つほど越えていくと、山裾に広がる盆地の中にその国はあった。
 道の終端に城壁を持つ町があり、町の中にはひなびた風情の建物が並んでいた。建物は異国風ではあったが創意に乏しくて感興に欠け、道を歩く人々の姿もまた異国風ではあったが珍しさよりも鈍重さをより多く感じさせた。空には暗雲もなかったし、立ち並んだ樹木が怪しい闇の光を放つこともない。歩き回って探してみたが、恐ろしい彫像も気味の悪い紋章も見当たらない。住民は黙々として生活に励み、広場には大きな市が立ち、隅の方ではこどもたちが立ち小便で飛距離を競う。魔王が降り立った場所には見えなかった。
 それでもどこかに魔王の機械がある筈だった。察するところ、それはどこかの秘密の場所に隠されているのに違いなかった。若者は酒場をまわり、聞き耳をたてて日を費やした。それらしきことを口にする者がいれば金を払って情報を掴み、次第に断片を積み上げていった。まともそうに見える者は概して口が固かった。口の軽い者は多くの嘘で多くの金を得ようと企んだ。無数の断片が集まってきたが、どうしても一枚の絵にはなりそうもない。そのうちに物も言わずに金を奪おうとする者も出現し、揚げ句の暴力沙汰が二度三度と繰り返された。いくつかの店では出入り禁止を言い渡され、当局からは威嚇的な呼び出しを受け、無視していると尾行がついた。
 その土地で得たわずかな友人たちは口をそろえて国外への脱出を勧めたが、若者はなおも魔王の機械に拘泥し、それから間もなく逮捕された。よくわからないまま取り調べを受け、起訴され、法廷の中央に引きずり出されて判決を受けた。外国の優越を宣伝した罪で懲役五年と財産の没収。金は奪われ、武勇を誇る男たちは奴隷に売られ、若者は監獄にぶち込まれた。そして魔王の機械とそこで出会った。
 監獄には魔王の機械のために働く一団が存在したのである。囚人の有志からなる人々で、魔王の機械のために一生を捧げるという誓いをしていた。看守から話を聞いて若者は興奮し、ただちに志願してその一員となった。技師長と呼ばれるひどく陰気な人物が現われ、若者を監獄の地下深くへと案内した。魔王の機械はそこにあった。高さがひとの背丈ほどある立方体で、表面は艶やかで凹凸がない。悪魔的な意匠も、目に見えるような怪しい仕掛けも見当たらなかった。若者は失望を覚えたが、それでもすぐに気を取り直した。仕事が始まれば、魔王の機械の正体も解明されることになるからである。
 若者は机をあてがわれた。技師長はその机の上に分厚い資料を投げ出して、読んでおくようにと言い渡した。表紙に並んだ文字を読んで、若者は再び興奮した。それは魔界の全貌を記した本であった。目を輝かせて読み始めた。食事も寝る間も惜しんで読み続けたが、そこに書かれていたのは魔物を呼び出す呪文でも牛乳に酸味を与える方法でもなく、魔王を頂点とする魔界の行政機構とその運用に関わる諸々の手続きなのであった。後半は文字通りの法令集になり、別冊には申請や報告に用いる書類の各種様式が収められていた。それでも若者は頬を落としてすべてを読み上げ、その旨を技師長に報告した。すると技師長は別の資料を投げてよこした。表紙には基本設計書という文字があり、中には丸や四角を矢印でつないだ複雑な図形が層をなしていた。まるで意味不明の資料だったが、机に戻って身を屈め、書かれていることの意味を推し量ろうと頑張った。そして頬の下に骨が浮き出すまで頑張って、遂に意味を突き止めた。その資料は魔界の運用手続きを図や線を用いて抽象的に表現したものだったのである。技師長に読み終えた旨を報告すると、翌日からは会議に出席するようにと言い渡された。
 連日の会議がやがて全貌を明らかにした。その国の誰かが、やはり魔王と契約を交わしていた。その事実に間違いはなかったが、それは地上における魔王の復権を認める契約でも、魂の代償として七つの願い事を得る契約でもない。魔界の合理化についての契約だったのである。魔王、すなわち当事者甲はその恐るべき魔力を使って魔王の機械と呼ばれる謎の装置を地上に運び、当事者乙はその機械に魔界で使用される一連の手続きを入力して合理化と省力化を実現することになっていた。
 計画完遂の暁には小悪魔たちはもう報告に紙を使う必要がなくなり、連絡は電子的に緊密かつ速やかにおこなわれるので魔王はいながらにしてすべての状況を掌握できるようになる。そうして魔界事業は効率化に向かって大きく前進する筈であったが、肝心の計画が大幅に遅れるという事態が出現した。技師長は設計を担当した技術者たちの未熟と無能を最大の原因とし、一方、現場の技術者たちはひとの話を聞かない技師長の性格こそが最大の原因であると反論した。おそらくは、いずれも最大の原因なのであった。傲慢と未熟が不手際を産み、そこへ小悪魔たちが無理解と無関心によって災いをふりかけた。予算は消化し尽くして入力作業は足踏みを始め、怒った魔王は空に暗雲を飛ばして損害賠償請求をちらつかせた。双方の歩み寄りによって訴訟沙汰は回避されたが、人間の側は進捗管理における瑕疵を認め、乏しい予算で計画を継続しなければならなくなったのである。設計と入力作業を担当していた下請け業者はとうの昔に逃げ出していたので、当事者乙は国と交渉して原価の安い囚人労働力を手に入れた。
 すべてを知った若者は不満を隠すことができなかった。苦労した揚げ句が他人の失敗の尻拭いであることが許せなかった。魔王の機械はもっと無意味でまがまがしい機能を備えていなければならなかった。そこで先に立てた誓いを撤回し、一団からの離脱を申請した。これは認められなかったが、連日の長時間労働に体調を損ない、病気施療を余儀なくされて結果としての離脱を果たした。普通の労役に就いて刑期を終え、苦難の末に帰国した。痩せこけて骨と皮になり、髪は残らず白くなっていたと伝えられる。すぐさま昔のいかがわしい仲間が家を訪ね、若者の変貌に驚きながらも魔王の機械について問い質した。若者は首を振って、自分の口を指差した。帰国の途上で誘拐を生業とする人々の手に落ちて、舌を切り取られていたのである。いかがわしい趣味の人々はこれを魔王の呪いであると考え、そうとは考えなかった若者はいかがわしい種類の本を焼き捨てて、それからは釣りを趣味とした。

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2014年8月17日日曜日

アメリカン・ハッスル

アメリカン・ハッスル
American Hustle
2013年 アメリカ 138分
監督:デヴィッド・O・ラッセル

1970年代末、ブロンクスとマンハッタンにクリーニング店を持ち、父親譲りのガラス店も経営し、詐欺師であり贋作商であり故売屋でもあるアーヴィング・ローゼンフィールドはあるとき友人宅でシドニー・プロッサーと出会って心を通わせると二人で組んでおもに詐欺師の事業を発展させて仲良く春を謳歌するが、アーヴィング・ローゼンフィールドには妻子があって、息子には強い愛を感じていても鬱傾向があって自己啓発系の読書を好み、圧倒的な言語力を誇る妻ロザリンにはいささか思うところがあって、それはそれとしてシドニー・プロッサーと仕事を続けていくとFBIの仕掛けた罠にかかり、FBIの捜査官リッチ―・ディマソの要求で免責と引き換えに詐欺師四人を罠にはめることに同意するが、計画を進めるうちにニュージャージー州カムデンの市長カーマイン・ポリートが線上に浮かび、汚職を厭わずにたたひたすら自らの善意にしたがって州民のために働くポリートを逮捕することにディマソの上司は躊躇するが、情緒面に問題のあるディマソは一直線に興奮して上司の上司を説得、ポリートが進めるカジノ事業に加担するための資金をFBIから引き出し、ニュージャージーに乗り込んでいくとそこにはカジノ事業にかかわるマフィアがぞろぞろ湧いていて、ディマソはこれを一網打尽にしようとたくらんでいよいよ興奮していくが、そこでアーヴィング・ローゼンフィールドの妻ロザリンが思わぬ変数となってかかわってくる。 
詐欺師がクリスチャン・ベイル、その愛人がエイミー・アダムス、妻がジェニファー・ローレンス、FBIがブラッドリー・クーパー。 演出自体は全体にゆるめだとは思うものの、そのゆるめの空間に置かれた出演者が制約を受けずに生き生きと演じていて、だから演技を見ているのは非常に楽しい。クリスチャン・ベイルの化け方には少々驚いたが、エイミー・アダムス、ジェニファー・ローレンスの力演にはとにかく感心した。目移りが多くて即興を疑わせる撮影は薄さが目立って最初のうちは乗りが悪いものの、結果としてはやや神経症的なキャラクター造形によく噛み合っている。造形性に多少の疑問を感じないではないものの、面白くできた映画だと思う。 


Tetsuya Sato

2014年8月16日土曜日

永遠の0

永遠の0
2013年 日本 144分
監督:山崎貴

祖母松乃の葬儀で祖父賢一郎が号泣するのを見た佐伯慶子と健太郎の姉弟は賢一郎が実の祖母ではなく、母親清子の父親が太平洋戦争で戦死していることを知って実の祖父宮部久蔵について調べることに決めて祖父が所属した海軍航空隊の生存者に話を聞いてまわる。
百田尚樹の原作は未読。素材自体は可もなく不可もなく、おおむねよくまとまっていて、大衆向けの戦記の空白をほどよく埋めているように見える。ただ正直なところ、いちいち情緒に流れるところがわずらわしい。出演者はみないい仕事をしているし、美術、衣装、所作などは非常によくできていると思う。しかし映画は体裁だけで、創意がまるで感じられない。ダイアログは無駄が多く、演出はテンポが悪い上に観客の足元を見て情緒に流せばいいと思っているのか、素材にリアリティを与えようとしていない。アニメクオリティのCGにははっきり言って閉口した。空戦シーンも説明的なだけで、飛行機が飛んでいるようには見えてこない。 


Tetsuya Sato

2014年8月15日金曜日

異国伝/冒険の精神

(ほ)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。小さな王城を囲む小さな町が一つあり、その外側には単調な緑色に染め上げられた退屈な田園風景が広がっていた。近隣に並ぶ小国と比べても特徴と言える特徴はなく、一見したところでは生彩を欠き、活気も欠いていたので市は賑わいを知らなかった。慢性的に不景気であったという説もある。住民は全体に退屈で、どこかしら鬱屈した気配を漂わせていたと言われているが、いつも不景気であったとすればそのせいであろう。それにもかかわらずいかなる対策も取られることがなかったのは、歴代の王が卓越した理想主義者であったからだとされている。遥か未来における理想の社会を考えるのに忙しくて、手元のことには関心がなかったのである。王は未来に希望をつなぎ、民は現在に苛まれて不満を貯えていた。
 さて、ある時のこと、代々の王の中でも特筆すべき理想主義者であった王が死の床に就き、外国で学業の途上にあった王子が呼び戻された。王子は父王の死を受けてただちに王位を継承し、そして側近たちを驚かせたことには、合理主義の導入を宣言した。
「秋の夜長の暇潰しのように長々と理想を弁じる時代はもう終わった。これからは一切を合理的に判断し、合理的に解決していく。理想主義の名に基づく停滞には終止符が打たれた。我が国は冒険の精神を携えて、未来へと大きく飛躍するのだ」 

 同じ演説を王城のテラスでも繰り返したので、民は熱狂して王を迎えた。もちろん全員が熱狂したわけではなくて、実務経験のない元王子に不安を抱いた者がいくらかいたし、王が言う冒険の意味を量りかねて心配を始める者もいくらかいた。しかし停滞に倦み疲れた圧倒的多数は変化の兆しを歓迎し、若き王に忠誠を誓ったのである。
 王は手始めに大法官を始めとする側近の大半を解任した。いずれも伝統的な理想主義者で、合理主義を掲げる王にとっては間違いなく無用の長物であった。代わりに民の中から人材を募り、合理的な発想の持ち主を身分を問わずに採用した。それでも足りない部分には外国から学業仲間を呼んで任にあて、妥協を排した合理的な組織を結成した。そこで働いていたのはどれも若く、どれも聡明で、どれも合理的な精神の持ち主であった。
 組織の整備を終えた王は、すぐさま外交問題に取り組んだ。国家安全保障会議と称する会議を招集し、若き重鎮を並べて周辺諸国の状況をつぶさに検討した。
 東の隣国にはいかなる怪しい動きもなかったが、今のところはという話であって危険な行動を起こさないという保証はどこにもない。南の隣国には王位継承権の問題から内紛の兆しがあり、西の隣国にはその内紛に便乗して何かしらの権益を確保しようとする野望が見える。しかし最大限の注意を要するのは北の隣国で、いわゆる南下政策が隔世遺伝でもしているのか一代置いては蘇る。現在はまさにその時期にあり、敵は南方への野心をこれまで巧みに隠してきたが、だからこそ、いつ侵略を受けても不思議はなかった。
 若き王は父祖である王たちの名を罵った。周辺にこれだけの問題を抱えながら、先王たちが放置していたことを知ったからである。だが王の罵倒が長く続くことはない。手短に切り上げて対策にかかった。
 まず東の隣国を監視しておく必要があった。ただし最小限にとどめ、必要な場合には強化できるように手配しておく。南の隣国にはただちに全権公使を送って可能な範囲での干渉をおこない、同時に西の隣国の野望を適度な宣伝によって告発する。だが北の隣国は問題だった。これは明らかに頂上会談を必要としていた。北の王は経験を積んだ老人であり、こちらを若造と思って舐めているに違いなかった。だとすれば一刻も早く頂上会談をおこなって、こちらに気概も腕力もあることを見せなければならない。日程の調整を始めよう。だが大使を通せば丸めにかかって時間を稼ごうとするだろうから、ここは遠慮をしない特使を使う必要がある。
 これだけのことを速やかに決めると、ただちに実行に取りかかった。すると間もなく東の隣国から苦情が届いた。王の軍隊が暗黙の国境線を越えて威力偵察を繰り返しているという。南の隣国からも苦情が届いた。王位継承の問題はすでに決着済みであり、友好国からの干渉は必要としていないという。西の隣国からは特使が訪れて威嚇的な警告をおこなった。これ以上根拠のない悪評を流せば、しかるべき制裁を考えるという。
「考えるということは」と王は言った。
「まだ考えていないということだ。つまり我々の行動はまだ限度内にあるということであり、裏返せば敵への威嚇はまだ十分におこなわれていないということだ」 
 安全保障会議の面々が頷き、西の隣国への告発を強化するように指示が出された。そうしている間に北の隣国との頂上会談の日程が定まり、二人の王は暗黙の国境線の上で出会って言葉を交わした。
「ありゃなんじゃい、あんたがよこしたくそ生意気な特使の小僧は」 
「両国の平和のために、わたしは貴国に理性ある態度を要求します」 
「くそったれが。口のきき方も知らんような奴にようやらせるわい」 
「そちらの野蛮な意図を、こちらが了解していることをお忘れなく」 
 二人の王は話しあったが、話は最初から最後まで平行線を描いて終わった。若き王は王城に戻って隣国の王を激しく罵り、国家安全保障会議を招集すると軍の動員を指令した。話が噛みあわずに終わったということは、隣国の老獪な王が意図してそうしたことであって、したがって敵はすでに侵略の準備を整えていると判断したからである。
 王の軍勢は暗黙の国境に進出し、北の隣国はその一部が領土を侵犯したと判断した。特使が抗議状を携えてやってきたが、国家安全保障会議の若者たちは侵犯はないと判断し、若き王はその判断を支持して特使を冷たく追い返した。特使はそれからも軍の撤収を求めて再三現われ、そのたびに王の謁見を求めたが、王は執務室にこもって会うことを拒んだ。実は展開中の軍隊からの報告が王を苛立たせていたのである。北の隣国には目立った動きが何もなかった。王の合理的な精神からすれば、敵軍はすでに展開を終え、侵略を始めていなければならなかった。善良を装った特使の行動は展開のための時間稼ぎなのか、それとも別種の謀略がどこかで用意されているのか。だとすれば東西の隣国が怪しかった。密約が交わされているのだ。間違いない。軍が北に集結している隙に、側面を攻撃してくる可能性がある。
 王は軍に増員の指示を出し、農民から徴兵する許可を与えた。即席の民兵団が東西の国境に配置され、その一部がどうやら暗黙の国境線を侵犯した。脅えた東西の隣国が軍隊を動かし、報せを聞いた北と南の隣国もそれぞれの国境線に兵を送った。周辺諸国は若き王がどこかへ一撃を加えてくるものと待ち受けたが、そうしてくる気配はいっこうにない。若き王の方でもどこかが一撃を加えてくるのを待っていたからである。合理的な精神が後々に関わる歴史的な正義を要求していた。
 それからは国から国へと特使が飛び、会談が開かれ、交渉が繰り返された。だが状況にはいかなる進展もなく、どの国も軍を引こうとはしなかった。短い飛躍の時代が終わって再び停滞の時代が始まり、二年の後に若き王が暗殺されても諸国間のすくみあいはなお十年続いた。その間に景気はひどく後退したと伝えられている。

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2014年8月14日木曜日

異国伝/辺境の神々

(へ)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。あらゆる街道から遠く離れて旅人を拒み、石を転がす荒地に囲まれ、男たちは乾いた畑に日を費やし、女たちはたった一つの井戸から水を汲んだ。日干し煉瓦で作られた町は陽の光を浴びて地にうずくまり、褐色の壁に穿たれた黒い戸口の奥では白い目が並んで外の様子をうかがっていた。どの家の奥にも母がいたが、どこを探しても父はいない。家族という考えはどこかにあったが夫婦という考えはなく、男女の契りは過ちと見なされて厳しい罰が与えられた。
 それでもその国にはこどもがいた。母の腹から生まれた子らが日陰で乳を与えられ、育てば畑を耕す鍬を持ち、あるいは水を運ぶ甕を抱えた。母には語るべき言葉がなく、互いに交わすべき言葉は少なく、文字を持たなかったのでいかなる胸の内も残されていない。
 その国のはずれには大きな岩の山があった。そそり立つ岩の壁には岩から削り出された柱が並び、柱の奥には広大な石窟が穿たれていた。そこは神殿と呼ばれていたが、壁にはいかなる装飾もなく、いかなる偶像も飾られてはいなかった。会衆が集うべき場所は道と呼ばれ、祭壇があるべき場所では一枚の平らな岩戸が灯明の火に照らされていた。ただし道に会衆が集うことはなく、暗い岩戸を拝む者もない。神殿にはわずかな数の神官が暮らして灯明の火を守り、岩戸に近づく者を遠ざけていた。
 神殿の奥の岩の戸は、年に一度、夏至の晩にだけ開かれた。夜を迎えて陽が落ちると、神官たちは岩戸の前に並んで待つ。しばらくすると向こう側から戸を叩く音がする。ゆっくりと三度叩くので、神官の一人が岩戸に寄って耳を近づけてこう尋ねる。
「何人いる?」 

 戸の向こうからはなかなか返答がない。唸るような声や喉を鳴らすような音が続いた後で、ようやく言葉を探し当ててこう答える。
「一人」 

「ならば一つ」 
 神官の一人がそのように言うと、残りの神官が戸に走り寄る。神官たちは岩に埋め込まれた鉄の輪を掴み、一斉に引いてわずかな隙間を戸に与える。すると隙間から大きな青白い手が現われる。指の先に鋭利な爪を伸ばしているが、その形は人間の手と何も変わらない。手は一つの塊を床に落とす。塊は重い音を立てて床に転がり、灯明の光を浴びて金色に輝く。神官がすかさずそれを拾い上げ、秤にかけて許しを与えた。
 神官たちがさらに戸を引くと、中から顔が飛び出してくる。白く濁った目が揺れる炎の光を睨み、窪んだ鼻の二つの穴は外気の臭いを嗅いで痙攣する。鼻の下ではすぼんだ口が何かを求めるようにうごめいていた。頭の後ろには長大な首が続き、長大な首の後には長大な胴が続いていた。全身は青白く濡れて燐光を放ち、ただ腕と脚だけが並みと言える大きさと形を備えていた。それは戸の隙間から身を泳がせるように走り出て、固い爪で床を蹴って神殿の外へ飛び出していく。その背後で神官たちは戸を閉ざし、次の者が戸を叩くのを待ち受けた。
 戸を叩く者は胴長と呼ばれていた。夏至の晩に外へ出ていく胴長の数は、年によって異なっていた。五人であることもあれば三人であることもあり、時には十人を越えることもあったようだ。一人しか来ない年は不作とされ、七人を越える年は豊作とされた。戸は常に一つの金塊によって一人のために開かれ、一度開かれた戸の隙間から同時に二人が出ることはない。一つの金塊で二人が出ようとすれば、二人目の胴長が槍で刺された。二つの金塊で二人が出ようとすれば、一人目の胴長が槍で刺された。神官たちは岩戸からひとを遠ざけ、胴長たちに偽りを禁じる。
 だが神殿から一歩出れば、胴長たちは神であった。徴を迎えたすべての女が子種を求めて脚を開き、男たちは家の奥へ逃れて息をひそめた。胴長たちは夏の短い夜を町で過ごし、陽が昇る前に岩戸の奥へ去っていった。ひととの間にいかなる契約が交わされていたのか、今となっては知る者はない。無法者の一団が彼方から匂いを嗅ぎつけて金塊を奪い、その国を滅ぼして立ち去ったからである。

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2014年8月13日水曜日

異国伝/不明の理由

(ふ)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。
 ところがある種の趣味の持ち主にはその国の風俗がはなはだ魅力的に感じられたようで、不明の場所にある不明の国としては意外に思えるほどの訪問者数を誇っていた。しかも訪問者たちは一度訪れてそれで満足するのではなく、二度三度と訪問を繰り返しては感涙にむせびながら自国に戻り、時には旅先での経験と自分が味わった感動とを文章に記して残していた。残してはいたが、不明の理由から一度として公表されたことがない。趣味がよくなかったからに違いないとか、公序良俗に反していたからに違いないとか、本人とはともかく家族や遺族が公表を嫌ったからだとか、理由を推定するのは簡単だが、そのせいで趣味の正体もその国やその国の風俗のことも、まるでわからないままになっている。これは損失であると言わざるを得ない。
 実を言うと一度だけ、旅行者の文書が公表されたことがあるらしい。はっきりとしない記録によれば、公表された文書に記されていたのはわずかに数語であったという。察するに感動が極まって、極まるあまりに常識を超えて発語が圧縮されたせいであろうが、何事によらず言葉を尽くすことが肝心であると信じる我々にとって、そのような圧縮を達成する過程には想像を絶するものがある。だいたい、それでは何事も伝えることはできないと考えるのだが、この場合、それ以上に問題なのは、公表されたその数語がどこにも記録されていないという事実の方であろう。趣味の問題とか感極まってとか言うよりも、我々はこうした状況に重大な怠慢を感じるのである。
 もちろんすべての文書がそうであるとは限らない。立派な文章で書かれた物があるかもしれないし、そうした文書がどこかにまだ残されている可能性もないではない。希望がないわけではないのである。とはいえ、それが好ましい状態で保存されているとは限らないし、もう捨てられてしまって、どこかで紙屑になっていないとも限らない。もしかしたらこの瞬間にも、魚屋の店先でニシンを包むのに使われているかもしれないし、肉屋でレバーを包むのに使われているかもしれない。散々に曲折を経てから油染みをつけた古紙となり、どこかで再生される日を待っているということもあるだろう。本当にそうなっていたら、紙屑の巨大な山の中から目当ての一枚を探し出すのは不可能であろう。希望がないわけではないけれど、ないも同然の状態である。
 以上のような事情からある種の趣味がいかなる種類の趣味であったかは、まだ今のところは明らかにされていない。

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2014年8月12日火曜日

異国伝/翡翠の乙女

(ひ)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。だが一説によれば地図にも旅行案内書にもなかったのはその国が小さかったからではなく、実は巧みに施された隠蔽工作の成果であったという。
 伝えられるところによれば、内陸に位置していたその国は国土の大半が山であった。別の伝聞によれば、国土の全部が山であった。高さや大きさの点で特筆に値するような山は一つとしてなかったが、いずれも意地悪く裾を立てて峰を並べ、山以外の場所の大半を谷底にしていた。そして谷底にはおびただしい水の流れがあったので、人間が暮らしのために使える場所はそそり立つ山肌以外にはなかったのである。町はどれも崖に貼りつき、上下に延びて収入の格差を明示していた。家と家の間は梯子で結ばれ、移動は水平よりも垂直におこなわれることの方が多かった。
 崖を覆うようにして縦横に広がる町というのは、もしかしたら旅行者の目にはいくらか魅力的に見えたかもしれない。だがそこで生活を送っていた人々にしてみれば、愉快でもなかったし、安全でもなかった。移動の途中で足を踏み外して川に落ちる者は後を絶たなかった。家具の配置替えをしたせいで、重心を崩した家が崖から剥がれるという事故も珍しくはなかった。構造的に下水道の整備に困難があったため、排泄物の処理に関わる問題は常に騒動の中心に位置していた。というわけで垂直方向への発展を嫌って、時には水平方向への挑戦がおこなわれたと伝えられている。
 剥き出しの岩肌があれば誰でもそうするように、まず洞窟の掘削が試みられた。掘削そのものは順調に進んだが、なにしろ平地が乏しいので掘り出した土砂を処理する場所がない。眼下の川に捨てるということもおこなわれたが、水が濁る、流れが変わる、塞き止められて漁場が潰れるといった漁師たちの苦情にあって中止された。漁業がその国の主要産業だったからである。代わりに絶壁に沿って山頂まで運び上げるという大胆な解決法を考案した者がいたが、よくよく考えてみれば山頂はひどく切り立っていて、土砂を捨てる場所などどこにもない。この案はただちに却下された。その後も解決のための努力が続けられたが、当の洞窟に捨てればよいという煮詰まった案が提示された段階で、洞窟の掘削自体が王令によって禁止された。王は掘るという行為に対して説明できない種類の猥褻さを感じたのである。
 洞窟の掘削が禁止されたことを受けて、橋の建造計画が立案された。川をまたいで崖と崖の間に数本の橋を渡し、その橋の上に住居を造ろうという考えである。資材となる木材は山頂から豊富に供給されたし、崖と崖の間の距離は決して大きくはなかったので、技術的な問題もそう多くはないのではないかと思われた。事実から言えば技術的な問題は速やかに解決され、最初の橋は予定よりも早く完成した。ところがそこへまた王が現われ、いきなり橋の建造を禁止したのである。王は川をまたぐ橋に対して、説明できない種類の猥褻さを感じたのであった。重なる王の禁令によって水平方向への挑戦は中断され、人々は変わらずに崖にへばりついて暮らしを続けた。
 さて、ある時一人の旅人がその国を訪れ、梯子で足を滑らせて川に落ちた。幸いにも春先の増水はすでに終わっていたので、ひどく流されはしたものの怪我もなく救い上げられた。通常、このような目にあった旅行者は自分が味わった不運を嘆き、不運の原因を用意した旅先の土地に恨みの心を抱くものだが、この旅人はこれは誰の責任でもないと明言し、また戻ると告げると予定を切り上げて旅立っていった。ただし旅立ちに先立ってとある漁師の家を訪問し、川で獲るのは魚だけかと確かめたという。漁師が頷くと、旅人は喜びを押し殺した。やがて旅人は予告どおりに舞い戻ったが、その時にはいささか怪しい風体をした数人の男をともなっていた。到着したその日から船を雇い、地元の者をはずして旅人自らが櫓を握った。同行の男たちは交代で川に潜り、そのたびに川底から何かを持ち帰った。
 この様子が王の目に入った。王には日頃から、心を乱すものを求めて国内を徘徊する習慣があったのである。川に浮かんだ船を怪しみ、必要があれば捕縛せよと命じて配下の者を差し向けた。これは捕縛せよという意味であったので、王の忠臣たちは数艘の船に分乗して旅人の船を囲み、船上にあった全員の身柄を拘束するとともにすべての荷を押収した。旅人は説明を拒んだが、荷は雄弁に真実を語った。川の底には無数の宝石が沈んでいたのである。真実の後には弁明があった。旅人はこれを国外に持ち出し、売却して利益を得ようと考えていたが、成功の暁には王にいくらかを支払う予定だった。
 王は熟慮の上で、旅人の供回りの者を残らず川に沈めた。それから交渉に取りかかった。建設的な意見が交わされ、王が利益の九割を得る代わりに潜水夫を派遣し、王に九割を与える代わりに旅人は一割を得るということで最終的に落ち着いた。
 旅人は牢から出され、潜水夫と船を与えられた。潜水夫が川底から持ち帰った宝石は、端から王の元へと運ばれた。旅人と潜水夫たちは休みなく働き、王が用意した宝箱は一つまた一つと一杯になっていった。王はその様子を見て説明できない種類の猥褻さを感じたが、この時はまだやめようとはしなかった。
 採取が始まってから一月ほどが経った頃、旅人が王に面会を申し入れた。理由を質すと、信じがたい物を発見したという返答がある。王は許可を与え、旅人は床に引かれた線にしたがって王の前に姿を現わし、興奮した口調で現地での視察を要請した。新たに発見した物体は、その重量によって王宮の安定を著しく損なう可能性があるという。そこで王は旅人を先に進ませ、梯子をどこまでもどこまでも降りていった。
 川の流れを間近に見下ろす船着き場は、すでに人払いされていた。問題の物体は船着き場の中央に置かれ、正体は白い布で隠されている。卵を立てたような形状をしていたが、その大きさは大人の男を遥かに凌いだ。王が前に立つのを待ってから、旅人が布を取り去った。王は驚愕に口を開き、王の忠臣たちは溜め息を洩らした。
 それは巨大な翡翠であった。表面は滑らかで傷一つなく、入念に研磨が施されていた。だが王が驚いたのは目の前の物体が大きいからでも美しいからでもない。中心部に全裸の少女が閉じ込められていたからであった。少女は目を閉じていた。あどけなさの残る顔をわずかにうつむけ、緑に輝く石の中に長い髪を泳がせていた。胸には豊かな膨らみがあり、見事な曲線は腰を描いて脚に続く。手の一方は腿に沿い、もう一方は下腹に伸びて股間に触れていた。
「これは」と退きながら王が尋ねた。「死んでいるのか?」 

「死んでいると、考えるべきでしょう」と旅人が答えた。
「まるで生きているように見える」 

「いかにも、そのように見えます」 
「で、これをどうするつもりか?」 
「お許しがあれば、このまま運び出したいと考えております」 
「売ろうというのか?」 
「間違いなく、とてつもない値がつくことになりましょう」 
 王は口を閉じて翡翠を見つめた。翡翠の内部に目を凝らした。それから旅人に顔を向けてこのように言った。
「なぜ、このような物体が存在するのか?」 

「これこそ自然の驚異と申すべきでしょう」 
「なぜ、あの娘はあのように脚を開いているのか?」 
「自然の営みによってあのようになったと考えます」 
「あの様子には、心をひどく乱す何かを感じる」 
「運び出してしまえば、陛下のお心を乱すことはございません」 
「説明できない種類の猥褻さを感じる」 
 すると旅人は説明できない種類の危険を感じて、このように言った。
「いえ、これは芸術でございましょう」 

 これを聞いた王は目を怒らせ、忠臣たちに命じて再び旅人を捕えさせた。
「芸術かどうかは、余が決めることだ」 

 旅人を縄でくくられ、同じ縄の一方の端は巨大な翡翠に結ばれた。そうしてから翡翠は川に戻された。王宮に貯め込まれた宝箱の宝石もすべて処分された。出所が同じなので猥褻性に連座している可能性があったのである。
 王は川に潜ることも、川に落ちることも禁止した。どちらにも厳罰を約束した王令を出し、さらに得体の知れない旅行者がよからぬ考えを抱いて王の心を乱すことがないように、あらゆる地図から国の場所を消し去った。だからその国がどこにあったのか、それからどうなったのかは、誰も知らない。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年8月11日月曜日

異国伝/排外の気風

(は)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。自然に目立つということもない国だったので長らく歴史から黙殺されていたが、東方の大国との間に新しい通商路が開拓されるとにわかに注目を浴びるようになった。その国が砂漠の入口に位置していて、隊商の補給に絶好の立地を備えていることがわかったからである。そこで西方にあった大国の一つはその国に使節を送り、説得と強要を用いて門戸の開放を迫ることにした。使節には弱小国の説得にもっとも長けた者が選ばれ、使節団には強要に適した精鋭の兵士たちが随伴した。それでもいくらかの者は情報の不足を理由に上げて若干の困難を予測したが、困難は解決可能な範囲にあるという点で異論を唱える者は一人もなかった。そして使節団は出発し、間もなく現地に到着すると驚くべき報告を本国にもたらしたのである。
「あそこです。最初に見た時にはあの丘の辺りにあったんです。ところがわたしたちが近づいていくといきなり動き始めて、向こうに見えるあの小さな丘の陰に隠れてしまいました。ええ、もちろんそこまで行ってみましたよ。脅かすことがないように、できるだけ静かに接近したんですが、着いた時にはもうそこにはありませんでした。わたしも長年にわたって小国を相手にしてきましたが、このような事態は初めてで、実を言うと少々驚いています。そうですね、なんというのか、これは普通の外交関係で見ることができる国の動きではありません。しかしながら、ご安心ください。外交には忍耐が付き物ですし、忍耐さえ失わなければ問題は必ず解決できるのです。なんですって? ああ、今は全員で手分けをして探しているところです。ええ、まだ見つかっていません」 

 捜索の間にその国はさらに何度か目撃されたが、接近に成功するには至らなかった。軍隊を嫌っているのかと考え、一度は使節が単身で接近を試みた。この時にはかなり近づくことに成功し、城壁の上でひとが動いている様子を見ることもできた。だが後一歩というところでとんでもない速さで逃げ出して、地平の彼方に身を隠したのである。
 本国の人々は報告の内容をまず疑い、それから使節の性格と能力を第三者機関の審査に委ね、信頼に値するという評価を待って使節団に訓令を送った。
「状況を外交関係の拒絶と判断する。説得を断念して強要に全力を傾注すること」

 そこで使節団では四方に熟練の斥候を放ち、本隊には十全の戦闘準備を整えさせた。発見の報せがもたらされると全隊が全力で追撃したが、敵は腹が立つほど俊敏で瞬時に彼方へと遠ざかる。それをまた追うという繰り返しで追撃はしばしば一昼夜に及び、多数の兵士が疲労と渇きで脱落した。拾い上げた者は渇きを訴え、拾い上げる前に砂漠の砂に沈む者も多かった。使節団は損害の大きさに目を回して作戦継続の困難を本国に訴え、本国は返答を与える代わりに増援を送った。
 いくらかの増援を得たことによって現地部隊の士気は高まったが、それも束の間のことで作戦が再開されるとすぐに厭戦気分が蔓延した。兵士たちは蜃気楼にも等しい敵を呪い、砂漠の渇きを恐れて反抗的な態度を取るようになった。報告を受け取った本国は使節団の文民統制に重大な問題があると考え、将軍を新たな責任者に任命して大軍とともに現地へ送った。
 現地に到着した将軍は作戦に大きな変更を加え、全軍からいくつかの機動部隊を編成した。多方面へ同時に展開して目標を各個に捕捉し、強要を速やかにおこなうためである。砂漠へ送り出された機動部隊はそれぞれが四方に斥候を放ち、発見の報せがもたらされると全力で追撃した。追撃の間に多数の兵士が疲労と渇きで脱落し、反抗的になった兵士はいくつかの部隊で反乱を起こした。幸いにも反乱は速やかに鎮圧されたが、ここに至って本国は現地部隊への信頼を失い、直接の指揮に乗り出した。本国の参謀たちが前線を見ずに作戦を練り、その計画書を空前絶後の大部隊とともに現地へ送った。
 作戦の名前は大包囲撃滅戦であった。発見して追撃するのではなく、包囲して追い詰めるのである。包囲するからにはまず目標の捕捉が必要とされたが、それが不可能なので砂漠そのものが包囲と対象となっていた。大量の兵士を砂漠の四周に配置し、中心に向かって進めていけば必ずどこかで捕捉できるという発想である。
 兵士にとっては幸いなことに、この作戦は実行されなかった。実は作戦の検討が始まった段階で、そもそもの目的を思い出した人々が秘密裏にある計算に取りかかっていた。その計算の結果によれば、作戦に投入される資金の数万分の一で独自に補給基地が開設できるという。計算をおこなった人々とは軍の参謀に憎悪を抱く文官の集団であったとされているが、いずれにしても砂漠での軍事行動はすでに国家財政に重大な支出を強いていた。作戦はただちに中止され、軍隊は本国に帰還した。
 新たな計画にしたがって、砂漠には間もなく補給基地が作られた。隊商の便宜をよく考慮した見事な基地であったが、砂を蹴立てて突進してきたある小国に踏み躙られて消滅した。何度再建しても踏み躙られるので、軍は報復を求めて討伐軍の派遣を主張した。文官たちの主張は交易路の変更であった。喧嘩腰の議論の末に軍の主張は退けられ、交易路は遥か南に変更された。だから砂漠のどこかには、まだその小国がさまよっているという。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年8月10日日曜日

トランスフォーマー/ロストエイジ

トランスフォーマー/ロストエイジ
Transformers: Age of Extinction
2014年  アメリカ/中国 154分
監督:マイケル・ベイ、

シカゴの騒動から五年後、テキサスの貧乏発明家イェーガーがたまたま手に入れたトラックの正体がオプティマスであったことに気づいて驚いていると、そこへオートボット狩りを専門にする謎の多い軍事組織「墓場の風」(CIAの下請け?)が現われて戦いになり、オプティマスはイェーガーとその娘、娘のボーイフレンドを連れて砂漠に逃れてそこで生き残ったオートボットと合流し、「墓場の風」の背後にエイリアンテクノロジーの存在があるのに気づいたイェーガーは謎の多い組織KSI(CIAの系列企業?)に潜入し、あれやこれやがあってまた戦いになり、オプティマスは宇宙船で飛来したロックダウンに捕えられ、あれやこれやがあってここでも戦いになり、またシカゴの町が壊され、KSIは北京に逃れ、KSIの行動の背後にディセプティコンの意思があるのに気づいたオプティマスも仲間とともに香港へ飛び、オプティマスを追ってロックダウンも香港に現われ、あれやこれやをする間もなく戦いになって香港の町が壊され、今回は製作に中国資本が入っているからなのか、人民解放軍も勇ましく出動するけれど、なにかをしていたようには見えなかった。
イェーガーがマーク・ウォールバーグ、KSIの科学者がスタンリー・トゥッチ。毎度のことながら盛りだくさんの内容で、映像も細部にいたるまで丹念に作り込まれていて、これも毎度のことながら主眼は絵を見せることにあるようなので、動いている絵を見ている限りではそれなりに楽しいものの、好みからするとカットの短さがどうにも気忙しいし、カットがつながっていないところは迫力で押し通す方針でいるようだし、とにかくいつも何かがどこかで壊れているし、そんなことが二時間半も続くので、そのうちに破壊の単調さに飽きてくる。
絵以外に関して言うとダイアログも適当ならキャラクターの造形も適当で、マーク・ウォルバーグは似合わない父親役をして娘に説教をし続け、悪役は意味不明なまでに悪役で、ジョン・タトゥーロのポジションを引き継いでいちおうコメディリリーフのような役回りのスタンリー・トゥッチもこなれが悪い。たぶんトランスフォーマーのキャラクターも適当な感じで処理されている。よく考えてみるといつもどおりという気もするわけだけど、これがつらくなってきたのはもしかしたらこちらの歳のせいなのか。 
Tetsuya Sato

2014年8月9日土曜日

トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン

トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン
Transformers: Dark of the Moon
2011年  アメリカ 154分
監督:マイケル・ベイ

大統領から勲章までもらったサム・ウィトウィッキーは大学を卒業して失業状態にあり、どうにかメールボーイの職を得ると東洋人の怪しい社員から怪しい資料を押しつけられ、しかも周囲ではディセプティコンの影がちらつき、ネストはオートボットの一団を月面に送ってセンチネル・プライムを回収し、そのネストから相手にしてもらえないということでサム・ウィトウィッキーは元エージェントのシモンズを陰謀用語で包囲して状況に引き入れてディセプティコンの陰謀をあばき、覚醒したセンチネル・プライムはディセプティコンとの密約にしたがって行動を開始し、地球は危機にさらされ、人類はディセプティコンの恫喝に負けてオートボットの追放を決め、攻撃を始めたディセプティコンに単独で立ち向かうことになるが、危ないところでオートボットが駆けつける。
視覚、音響ともに前作の単調さから抜け出し、作り込まれた3Dの映像はそうとうに見ごたえのあるものとなっている。例によって、と言うべきか、映画としての文脈には乏しいものの、とにかく画面の隅々にいたるまで物が動いて、それがよくつながっているので退屈はしない。やっていることと言えば、これも例によって、と言うべきか、あっちでドカーン、こっちでズゴーン、むこうでガッシャーン、という感じではあるものの、適度に織り込まれたコミカルな小ネタと、その小ネタにかかわるジョン・タートゥーロ、フランシス・マクドーマンド、ジョン・マルコヴィッチが実にいい感じで、そこは素朴に楽しめる。 


Tetsuya Sato

2014年8月8日金曜日

異国伝/農民の反乱

(の)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。そこでその国の人々は地図になければ見つかることもあるまいと考え、農閑期になると徒党を組んで街道に出て、旅行者を襲って金品を奪った。奪いはしたが、楽しみのためではなくて冬場の生活の足しにするためである。自らを厳しく律して決して貪欲に走ろうとはしなかったので、追われることも少なければ見つかることも少なかった。誤って捕えられた場合には仲間が金を払って身柄を受け出し、そうするための準備として基金も用意されていた。
 農民たちはたくましく生きていたが、生活が楽だったわけではない。楽ではなかったからこそ、生存のための選択肢をできるだけ大きく広げていたのである。楽にならない原因は、主としてその国の王にあった。代々の王はいずれも開明の精神に欠け、圧政を敷きこそしなかったものの旧弊に立って改善を拒み、要求を受け入れることよりも要求にいきり立つことの方が多かった。気性はいたって単純で、威嚇に対しては威嚇で応じ、卑屈に対しては尊大で応じた。代々の王は判で押したように同じ性格の持ち主であったので、農民たちは要求の上限をよく理解し、また引き下がれない一線をよく心得ていた。つまりその国が長らく困窮とも内乱とも無縁であったのは、歴代の王がよく民を治めたからではない。農民がよく王を治めたからなのであった。
 さて、ある時、農閑期の頃であったとされているが、みすぼらしい姿をした若者がその国を訪れ、農民を探して農地に足を踏み入れた。そして最初の一人を見つけると、近寄っていってこう話しかけた。
「やあ、どうですか?」 

 話しかけられた農夫は仕事に励んで顔を上げようともしなかったので、間もなく若者は離れていった。そして夜になってから村の居酒屋に姿を現わした。不審に満ちた目が一斉に向けられたが、若者は意に介さずに酒を頼み、杯を高く掲げてこのように言った。
「働く者へ、乾杯」 

 そして一息に飲み干すと激しく咳き込み、胸を落ち着かせると笑みを浮かべて傍らの一人に声をかけた。
「やあ、どうですか?」 

 実を言えばこの若者、とある国のとある革命組織の一員であり、革命思想の伝播と革命の推進という二つの重大な任務を携えていた。その国の農村部に潜入を果たし、農民に対して思想教育と大衆扇動をおこない、革命組織を浸透させて、時がきたら指揮をして王権を転覆させようと企んでいたのである。その革命思想なるものがいかなる種類の考えであったかは、今となっては知られていない。一説によれば工場労働者を組織して階級闘争を展開し、搾取階級を打倒した上で生産手段の共有化をおこなって平等な国家を作ることを目標としていた。しかしながらその時代はようやく手工業が合理化への道を歩み始めた段階にあり、工場労働者という階級の出現にはまだ五百年ほどを必要としていた。思想が先進的すぎたのであろう。そこで革命組織は対象を工場労働者から農民に切り替え、それに若干の工房労働者を加えて労農大衆と称していた。労農大衆は団結し、階級敵に向かって敢然と戦いを挑まなければならなかった。なぜならば、それが歴史的な必然であったからにほかならない。
 若者は椅子の上に立って演説をおこない、歴史的な必然が農民に何を求めているかを訴えた。農民たちは顔をうつむけたまま聞いていたが、若者が話を終えると一人が顔を上げ、隣にいた仲間の耳にこう囁いた。
「どこの神学校から来た野郎だ?」 

 そこで若者は演説を再開し、微妙な問題に突入していった。歴史的な必然性の中に、神はいないと言ったのである。話を終えると別の農夫が顔を上げて、若者に向かってこのように言った。
「なんだその、弁証法的唯物論てのは?」 

 これもまた先走りであり、弁証法的唯物論が政治運動の中で明確な位置を占めるにはなお六百年ほどを必要としていた。したがってこの段階では理論武装がはなはだ甘く、若者は農夫たちの迷信を撃破することができなかった。
「でも、俺たちには神がいるぜ」 

 一人がそう結論を下して背を向けると、残りの者も一斉に背を向けた。そこへ居酒屋の主人がやってきて、若者に椅子から降りるように要求した。
「今朝拭いたばかりだ」 

 だが若者は諦めなかった。村に居座ってあちらこちらに顔を出し、通りがかる者の袖を引いては王の暴政を非難して民衆の蜂起を訴えた。歴史的な必然に再び触れることがなかったのは、戦略を変更した結果であると思われる。新しい戦略が功を奏したのか、いくらかの賛同者が現われた。そして賛同者が賛同者を呼び、やがて目に見える勢力を形成すると若者は準備に取りかかった。集まった者を大隊を単位とする軍隊に編成し、戦闘訓練を施したのである。すると新たな者たちが参加を望んで軍勢に加わり、遠方からも多数が馳せ参じるに及んで労農革命軍は一大軍事力へと成長した。王は手勢とともに王城にこもり、迎撃の準備を整える。
 遂に決起の時が訪れた。赤旗を高く掲げた若者は労農革命軍を率いて進撃を開始し、町を一気に攻め落とすと王城を囲んで王に退位を要求した。若者が要求を繰り返している間に労農革命軍の兵士たちは町の中で略奪を始めた。ただし楽しみのためではなくて、冬場の生活の足しにするための略奪であったので、自らを厳しく律して決して貪欲に走ろうとはしなかった。兵士たちは取る物を取って町から立ち去り、若者が気づいた時には味方は誰もいなくなっていた。扇動家は王の手勢に捕えられ、その場でただちに首を切られた。王は農民たちにも追っ手をかけたが組織化された農民軍はなお強大な勢力を保ち、今回の一件は外国の陰謀であったと説明されれば、事実そのことに違いはないので王も受け入れざるを得なかった。その国の農民が一揆に際して赤旗を掲げるようになったのは、それ以来のことであるという。

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2014年8月7日木曜日

異国伝/粘着の度合

(ね)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。ところがその国の隣にあった同じような小国は、同じような条件にありながら地図にも案内書にも載っていたのである。事実を知った時、その国の人々は自国が不当な扱いを受けていると考えた。そして不当な扱いを受けるのは隣国が不正をおこなった結果であるとも考え、隣国はただちに地図や案内書から身を引くか、あるいは記載の半分を明け渡すか、いずれかをすべきであると主張した。隣国の人々はこれを聞いてひどくうろたえ、諸悪の根源は地図の製作者や案内書の執筆者にあると反論した。真相はまったくそのとおりであったが、その国の人々は理性よりも感情を選び、隣国に対して激しい敵意を抱くとともに国際社会に向けて不正の糾弾を訴えた。しかしながら国際社会は地図にないような国の言い分に耳を傾けようとしなかったので、すでに不遇を味わっていたその国は自国の行為によってさらに大きな不遇を味わい、感情を高ぶらせて隣国への敵意を強くしていった。
 少なくとも二度、その国が隣国に戦争をしかけたことが知られている。言うまでもなく不正を正すためであり、最初は宣戦布告をおこなって大使の引き上げが完了してから、二度目は宣戦布告に先立って、軍隊を国境線の先へ進めた。単純な戦闘能力の比較では確実に勝利が得られる筈であったが、その国の軍隊には国境線の先へ進むと途端に崩壊するという不思議な性格があり、目論見は二度とも失敗に終わった。二度目の失敗の後ではさすがに原因の究明を求める声が上がり、軍隊の性格を分析するための調査委員会が設置された。最初の調査委員会は結論に達する前に紛糾して解散し、二つ目の調査委員会は結論には達したものの血を見るような騒ぎとなって最終的には分裂した。三つ目の調査委員会では調査の目的が何であったかを思い出すのがもっぱらの課題となり、とうとう何も思い出せずに解散が決定された頃、三度目の遠征が計画された。過去の遠征が二度とも失敗に終わったことはもちろん立案の段階で指摘されたが、単純な戦闘能力の比較では確実に勝利が得られる筈であった。
 さて、ちょうどその頃、名高い学者がその国を訪れ、その国の市場の端に立ってその国の人々の立ち居振る舞いを観察していた。そして一つの結論に達すると、その国の元首の家を訪ねて身分を明かした。元首の家では作戦会議の真っ最中で、その国の枢要を占める人々が興奮の極みに達して互いに罵詈讒謗の限りを尽していたが、国際的に名高い学者の名を聞くと新たな興奮が沸き起こり、ただちに会議を打ち切って全員でそろって出迎えた。ひとしきり挨拶が繰り返され、感激もあらわな顔が握手を求め、ようやく落ち着いたところで名高い学者がこのように言った。
「わたしがお邪魔するまで、皆さんは何かをなさっていたようですね?」 

 すると全員が一斉に口を開き、いかにも何かをしていたと大声で答えた。
「何をなさっていたのですか?」 

 またしても全員が一斉に口を開けたが、何をしていたかを説明できる者は一人もいなかったのである。口を開けたまま互いの顔を見交わしていると、名高い学者がこのように言った。
「作戦会議をしていたのでは?」 

 これを聞いて、まず元首が膝を打った。いかにもそのとおりであると頷くと周りの者も一斉に頷き、机の上に広げられた資料の正体も思い出して早速作戦会議を再会した。そしてすぐさま一人が感情を剥き出しにして腕を振り上げると残りの者も後に続き、たちまち罵詈雑言が飛び交う騒ぎとなる。そこで名高い学者は立ち上がり、皆を鎮めてからこのように言った。
「作戦会議もけっこうですが、その前に体質の改善をお勧めします。実は失礼を承知でこの国の方々の立ち居振る舞いを観察したのですが、その結果から得た結論を申し上げましょう。どうやら皆さんは、そろって豊かな感情をお持ちなようなのです。なぜそうなったのかはわかりませんし、そうであることは決して短所ではありません。ただ、感情に流されて行動するせいで、理性や忍耐にやや影が差しているとすれば、もしかしたら短所であると言うべきなのかもしれません。つまり感情によって行動を決めることはできるのですが、理性や忍耐の支援を得ることができないので、たとえば皆さんの会議はしばしば誤った方向へ進み、皆さんの軍隊は目的を保持できずに崩壊してしまうのです。わたしは戦争を肯定する者ではありませんが、体質改善をしない限り、皆さんの軍隊は絶対に勝利を得ることはできないでしょう」 

 名高い学者の話を聞いて、その場にいた者たちは顔に絶望と苦悶を浮かべた。一人が絶叫を放って元首の家から飛び出していくと、数人が涙で頬を濡らして後に続いた。元首は目をわななかせ、唇を振るわせながら名高い学者の膝にすがった。
「どうすれば、どうすれば、わたしたちは助かるのでしょうか?」 

 そこで名高い学者は処方を与えた。処方の中身は今となっては知られていないが、食餌療法の指示であったとされている。与えられた処方はただちに全国に広められ、体質の改善は全国民の悲願となった。その国の人々は学者の報告に衝撃を受け、歯を食いしばって改善に励んだ。励んでいるうちに感情に流されることは少なくなり、隣国の地理上の優越に嫉妬や羨望を覚えることもなくなり、行為の起源を忘れ去ってもなお食事の内容を変えようとしなかったので、ひたすらに粘り強い鈍重な体質となっていった。噂を伝え聞いたある大国の商人は密かにその国を訪れ、一人をさらって腹を開き、見事な粘着質であることを確かめるとこのように言った。
「接着剤のよい材料となる」 

 そして屈強の者たちを送って住民を端から捕えさせたので、その国は間もなく滅亡した。

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2014年8月6日水曜日

異国伝/盗人の弁明

(ぬ)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。わたしはここでその国の名前とその国のあった場所を言うことができるが、それをして諸君の知識を試そうとは考えていない。それをすればたまたま知っていた者は自らの知識を誇り、知らなかった者は無知を恥じることになる。知識を誇る者は同僚の無知をそしるかもしれないし、無知を恥じる者は同僚の知識をねたむかもしれない。無知を恥じるあまりに知っていたと嘘を言い、その上で同僚の無知を非難する者も一人や二人はいるだろう。そうなると誰が知っていて誰が嘘をついているのかがわからなくなり、諸君はたちまち猜疑の虜となって混乱の渦に巻き込まれる。狡猾な者なら好んで混乱を引き起こすかもしれないが、諸君にとって幸いなことに、わたしは狡猾な者ではない。だからその国の名前もその国のあった場所も、ここでは秘密のままにしておこうと思う。
 その国では普通の人々が普通に暮らしていた。国民が追い剥ぎを生業とすることもなく、貴族が誘拐を稼業とすることもない。得体の知れない難癖をつけて旅行者から金品を合法的に巻き上げるような習慣もなかったし、海老に戦いを挑むようなこともしなかった。町にはまともな店が並び、町の外には畑が連なり、町でも畑でもまともな人々が真面目に働いていた。平和を好んで争いを避け、法を尊んでよく秩序を守った。もちろん多少のいさかいはあったようだが、人間が人間と肩を並べて暮らしていればそれは当然のことであろう。まるでいさかいがなかったら、その方がよほど奇妙に見える。
 奇妙に見えると言えば、その国には一つだけ、奇妙に見える習慣があった。諸君は不思議に思うだろうが、その国では盗みは罪にならなかった。それどころか称賛に値する行為の一つとして数えられていた。ある高名な盗人に至っては、その業績を記念するために巨大な石像が作られたほどだ。石像の台座には経済の改革者という銘が刻まれていた。
 諸君もよくご存知のとおり、盗人というのは単に盗むだけの者ではない。品物を盗めばそれを闇市や故買屋で売り飛ばすし、売り飛ばした金で飲むこともする。金を盗めば、もちろんそれで飲むことになる。もう少し賢明ならば飲まずに投資して、投資から得た利益で飲もうと考える。中には信じがたいことに、盗んだ金を貧しい者に分け与えて、他人の金で飲む者もいる。目的や順番が違っていても、結果としてはすることは同じだ。
 さて、ここでわたしは二つの点で、諸君の注意を喚起したい。
 まず盗人は、盗人稼業に励むことで資金に流動性をもたらす。経済とは資産を持つ者と持たぬ者、そして闇市と居酒屋の四つを結んだ線の上で成り立っている。そのままにしておけば莫大な資金が一つの点で死蔵されるが、盗人は線の上を速やかに移動し、ある一点から他の一点へと資金を移し替える機能を備えている。
 次に盗人は、盗人稼業に励むことで経済の活性化をもたらす。盗人が入るのは主として金持ちの家であり、盗人がそこから繰り返して資金を動かすことで、金持ちの家は次第に傾いていく。つまり盗人は市場の独占的な状況を解消し、多方面に対して参入の機会を提供する機能を備えている。
 以上のことから、盗人が経済活動の重要な鍵となっていることが、諸君にも理解できたと思う。盗人がいなくなれば資金は流動性を失い、独占資本の横暴が放置される。経済は構造的な問題を抱えて活力を失い、やがて傾いて国を潰すことになるであろう。その小さな国の人々は驚くべき炯眼によって真実を見抜き、経済の肯定的な因子として盗人に称賛を惜しまなかったのである。
 しかるに我が国の現状はどうであろうか。独占資本の専横を許す一方で、盗人にはささいな盗みで罰を与えようとしている。しかも告発人の訴状によれば、その罰とは死刑なのである。いったい、これほどの無法が許されるものなのか。同じ訴状によれば、わたしは単に盗んだだけではなく盗んだ物を闇市に売り、闇市に売った金で飲むことをしたという。しかし、それこそがまさに盗人の、資金に流動性を与える機能であったと、なぜ考えないのであろうか。訴状には続きがあった。それによればわたしは単に飲んだだけではなく、飲みながら経済の底辺に対して余計な行為を称揚し、青少年に害を与えた。しかし、それは盗人の数を増やして我が国の経済を活性化しようとする試みであったと、なぜ考えないのであろうか。
 理由は簡単かつ明瞭である。告発人のみならず、諸君もまた独占資本の走狗なのである。諸君は独占資本の正体を知っているのか。あれは異なる三つの物を一つに束ねて不可分の一つだとはばからずに主張する。そうして三つの物をそれぞれ一つの物として商う者の利益を損ない、四つ目には何を加えるべきかと不敵な思いに身を委ねつつ、市場からまさに独占的に利益を吸い上げて女秘書との結婚を果たす、そのような危険な手合の手先となって、諸君はなぜ安心することができるのか。遠からぬうちに資本も一つに束ねられ、すべての中から一つを選んで贖うことは不可能になり、すべてを束ねたたった一つを売りつけられることになる。すべてを束ねた一つの物は複雑なので間違いがあっても気がつくのは遅くなり、間違いに気づいても取り換えることは難しくなるであろう。
 諸君は、そのような時代の到来を望んでいるのだろうか。わたしならば束ねた一つからなるべく多くを盗み取り、それを一つひとつの物とするであろう。そうしなければ国に未来はないと信じるからにほかならない。
 だが、すでに判決は下った。諸君はそこにいて、わたしが話し終えるのを待っている。話を終えたわたしには、死が待っていることを知っている。だがわたしには息子たちがいる。息子たちは盗人である。わたしの心は安らかだが、諸君は安らぎを失うであろう。残念ながら、立ち去るべき時がやってきたようだ。

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2014年8月5日火曜日

異国伝/人間の運命

(に)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。仮に誰かが載せるつもりになったとしても、その国は名前を持たなかった。不明の時代であっただけに名のない国は珍しくはなかったが、その国の場合は国に名がなかっただけではなく、住民の一人ひとりもそれぞれの名前を持たなかった。国を示す時にはただ国と言い、ひとを示す時にはただひとと言い、互いを呼ぶ時にはあなたと言っていた。自分を示す時に人差指の先を唇にあてたが、これは元来、空腹を意味する仕草であった。
 食べ物はいつでも不足していた。国土は砂に覆われていて、層を重ねる砂の山は太陽の光に焼かれていた。人々は光と熱を嫌って地下に逃れ、穴を穴でつないで暮らしていた。昼の間は身体を丸めてひたすらに眠り、夜になると起き出してきて、食べ物を求めて地上をさまよった。砂漠には砂漠の営みがあり、注意深く探していれば虫や獣にまれに出会った。ある者は一人で虫を探し、ある者は仲間とともに獣を探した。大きな獲物を得るために、いくらかの者は遠くまで足を運んだ。獲物は穴をくぐって国の奥へと運ばれていく。新鮮な獲物は狩人の口には入らなかった。夜明けを前に穴へ戻ると、わずかな食物の配給があった。配られた食物からはいつも悪臭が漂ったが、狩人たちは貪るように口に入れ、自分の寝穴へ戻って身体を丸めた。
 一つの寝穴は一人のために作られていた。幼い頃に与えられた小さな穴を、成長にあわせて自分で大きくしていった。生涯の眠りをそこで費やし、死を迎えると穴は土で埋め戻された。遺体は国の奥へと運ばれていく。死とは空腹の終わりであり、死にはいかなる悲しみもない。悲しみは人生の内にあった。
 名を持たない人々には家族がなかった。男や女という考えもなかった。全土が地底の闇にまみれていたので、何事につけ見分けるということが難しかった。ひとはひとではあったが、他者という以上の意味はなかった。自分が自分であるためには、ただ唇に指をあてれば事が足りた。自分の存在と自分の欲望はたったそれだけで説明できた。不幸なことに、ほかに説明すべきことは何もなかった。欲望が縛られていたので愛について知ることもなかった。世界に関心を抱くこともなく、生まれ落ちてきたその日には、幼い指で自分の寝穴を広げていた。そしてある時、そうして広げられた寝穴の一つで一人が目覚め、悲しみとともに闇を見つめた。
 その一人は男でもあり、女でもあった。幼子ではなかったが、老人でもなかった。その者は狩人だった。一夜を費やして一匹の獲物を捕えていたが、一夜を無為に終わらせた者と同じだけの食べ物を受け取っていた。全員が同じ量を得るのは弱い者をかばうためではなくて、ただ見分けることができなかったからだった。
 狩人は一匹の獲物を得るために、砂漠を歩き回らなければならなかった。獣を見つけた後は、走らなければならなかった。どうにか捕まえた後には、また穴まで戻らなければならなかった。それだけの仕事に対して、与えられた食料はあまりにも少なかった。狩人は養分の補給を必要としていた。激しい空腹を感じて目を覚まし、悲しみとともに闇を見つめた。見つめている間に空腹が欲望を突き動かし、狩人は身体を起こして穴を出た。
 国の奥には食料の貯えがある筈だった。そこへ行けば、自分を満たすことができるかもしれない。そう考えて、闇の中を歩き始めた。穴の壁を手で探り、隠された目印を探しながら国の奥へと進んでいった。そうしながら狩人は心を奮わせていた。思いついたばかりの自分を満たすという考えに、恐怖と期待を感じていた。満たされない者が自分なら、満たされた自分は何者なのか。その者もまた自分なのか、それとも違う者なのか。違うとすれば、自分はいったいどうなるのか。
 それまで、時の流れは闇の底に沈んでいた。起点に小さな穴があり、終点には埋め戻された穴があることは知っていたが、その間には満たされぬ思いが淡々と並んでいるだけだった。そのどれがどれなのか、どれが前で、どれが後なのか、闇の底にいた狩人には区別をつけることができなかった。だがたった一つの考えを抱いただけで、狩人の前にいきなり未来が広がった。泡立つ時間の流れに手を差し入れて、手応えをはっきりと感じていた。そしてその感触に恐怖を味わい、人生の選択という未知の行為に激しく胸を高鳴らせた。なぜ今まで考えなかったのか、なぜ今までそうしなかったのか。疑問が浮かんでは恐怖に洗われ、渦巻く恐怖は未知への期待に飲み込まれた。狩人は道を選んで闇の中をなおも進み、次第に国の奥へと近づいていった。
 食べ物の悪臭が漂ってきた。空気は湿り気を増し、地面は水を吸っていた。前へ出ると食べ物の臭いが濃厚になった。気配を探して鼻を動かし、ひざまずいて手で探った。空気のかすかな流れが、道の続きを狩人に教えた。湿った地面を踏みながら、足音を忍ばせて奥へ進んだ。壁は濡れ、天井からは水が滴り落ちていた。
 やがて音が聞こえてきた。それは食べ物を咀嚼する音だった。別の音も聞こえた。それは水の跳ねる音だった。狩人は壁から手を離し、鼻を動かしながら闇の奥へ進んでいった。手が何かに触れた。暖かくて、粘りのある液体に包まれていた。狩人は液体の臭いを嗅いだ。食べ物の臭いがした。舌で舐め取った。食べ物の味がした。すぐ近くから、力強い咀嚼の音が続いていた。口は唾液で満たされ、胸はたまらない気持ちで一杯になって、狩人はその場に座り込んで手を伸ばした。最初に触れた物をまず転がした。それは小さかった。持ち上げて臭いを嗅ぎ、食べ物の臭いであることを確かめてから顎を開いて歯を立てた。口の中に血が溢れた。それは悲鳴を上げていた。狩人は血を吸い、肉にしゃぶりついていった。一つを平らげ、また一つに手を伸ばした。それは大きかった。転がそうとしても動かなかった。だから狩人は爪を立てて皮を破ろうとした。すると聞こえていた咀嚼の音が消え、代わって叫ぶ声がほとばしった。狩人は手を止めた。
 叫んでいたのはひとだった。狩人は立ち上がった。背後の道に足音が響き、振り返ると光の影が踊るのが見える。間もなく数人が松明を手にして現われ、狩人を囲むようにして近づきながら炎で国の奥を照らしていった。
 そこには大きなひとがいた。見上げるほどの巨体を横たえて、膨れ上がった子宮を腰からぶら下げていた。その半透明の膜の下にはひとの子がいくつも並び、どれもが身体を丸めて眠っていた。一つが動いて、膜の中を滑り落ちた。子宮からつながる管を通って産み落とされ、粘る液体にまみれて転がった。大きなひとは叫ぶのをやめた。手にした獣の肉にしゃぶりついた。痛みのことはもう覚えていない。
 松明を持つ者が、狩人の足元を指差していた。狩人の足元には残骸があった。別の者が狩人を指差し、罪を問うた。狩人は自分を指差し、人差指の先を唇にあてたが、その意味するところは最早わからなくなっていた。

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