2014年7月31日木曜日

異国伝/帝国の逆襲

(て)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。その国は残虐な統治で知られた帝国の版図の辺境にあり、全土が砂にまみれて潤いに乏しく、ひとは皆貧しくてしばしば暴力によって命を落とした。意固地な農民たちは砂地を耕して飽くことを知らなかったが、そうして空しく仕事に励む農民の中には、冒険を夢に描いて胸をときめかせる一人の若者の姿があったと言われている。
 さて、ある時、帝国の統治に対する反乱が起こり、名のある国の姫君が反乱勢の命運を担って長い旅に出発した。ところがその途上で帝国の軍勢の待ち伏せに遭い、供の者は皆殺しにされ姫君は捕われの身となった。姫君は捕われる寸前に急使を仕立て、救援を求めて送り出した。ところがその急使というのが驚くほどの無能者で、多くを偶然の手に委ねて自ら道を開こうとしなかった。砂まみれの土地に迷い込み、盗賊の手に落ちて奴隷となり、売り飛ばされてとある農家の持ち物となった。ところがその家には冒険を求める若者がいて、奴隷が携えていた密書の中身を偶然によって垣間見る。すでに偶然の行き詰まりを感じていた奴隷がやけくそのように密書の宛先を告げるので、奴隷を伴ってその人物を家に訪ねた。それは山に住む変わり者の老人であった。
 仔細は省くが変わり者で知られていたこの老人こそ、広く名を知られた修道騎士の隠遁の姿にほかならない。老人は密書の全文を読んで事態の急を知り、出立の準備に取りかかった。たまたま出会った若者が山の老人を知らなければこの展開はなかったわけで、急使の綱渡りはかなり危うい。と言うよりも偶然に身を委ねていたのは急使ではなく、実は物語の展開そのものであったということになる。そのことは続く状況に照らしても明らかで、老人は若者と急使を連れて山を降りると、砂漠を抜け出すための乗り物を求めて奔走するのである。運良く密輸業者の乗り物が見つからなければ、救援を求める急使は偶然の袋小路で立ち往生をしていたに違いない。
 一方、帝国の軍勢は捕えた姫君に拷問を加え、反乱勢の所在を突き止めようとしていた。姫君は頑なに口を閉ざしたので、帝国の軍勢は最後の手段として姫君の母国に最終兵器を近づけた。口を割らなければ民もろともに祖国を滅ぼすと脅したのである。姫君は遂に口を割ったが、非情で知られた帝国の軍勢は非情の笑みを浮かべて約束を違え、姫君の故郷に対して最終兵器を使用した。それは球形をした巨大な大岩であった。無数の兵士が引いたり押したりしながら大岩を小高い山の頂きに運び、そこから一気に転げ落とすと姫君の故郷は一撃で滅んだ。岩がよほどに大きかったか、あるいは姫君の故国がよほどに小さかったのであろう。
 密輸業者の乗り物に乗って姫君の後を追っていた一行は、遥か彼方で上がった滅びゆく民の絶叫を聞いた。声がした方角へ進んでいくと、帝国の軍勢の陣屋が見えてきた。早速近づいて姫君の居場所を探したが、見つけるよりも先に見つかってしまった。帝国の兵士たちは鉤のついた縄を放って一行を乗り物ごと捕まえた。ところが帝国の兵士たちが調べても、一行は乗り物の中に見つからない。荷台の藁の下に隠れていたからである。隙をついて脱出し、若者と密輸業者は陣屋に乗り込んで捕われの姫君を救出した。だが、そこへ恐るべき敵が出現する。
 子細は省くが、それは黒い兜と黒い仮面の騎士であった。胴衣も黒ければマントも長靴も真っ黒で、黒くないところはどこにもない。伝えられている噂によれば黒兜の騎士は帝国の皇帝の腹心で、帝国内に市が立つ日には皇帝とともに肩で風を切ってのし歩き、八百屋の店先では必ず足を止めてリンゴを握り潰して見せたという。その黒騎士に山の老人が剣を抜いて立ち向かい、若者たちに脱出のための時間を与えた。老人が倒れた時の最後の叫びは、以来、若者の耳にこびりつき、ことあるごとにけたたましい空耳となって響いたという。
 若者と姫君は密輸業者の乗り物に乗り込み、追跡を振り払って反乱勢の陣屋へ逃げ込んだ。帝国の軍勢はそのまま後を追ってくるので、結果からすれば味方の居場所を明かしたということになるであろう。帝国の軍勢は最終兵器をごろごろと転がしながら接近し、手頃な場所の手頃な小山を探し始めた。そして適当な山を見つけて必殺の大岩を持ち上げにかかるので、反乱勢の命運はすでに尽きたも同然となる。
 だが姫君は最終兵器の弱点を知っていた。無敵の大岩ではあったが、その一点には中心に達する穴があり、そこへ槍を差し込めば岩は粉々に砕けるという。それを聞いた反乱勢の勇者たちは槍を手に手に出撃し、密輸業者は報償を手に立ち去っていく。姫君を助けた若者は叛徒の槍を与えられて反撃の波に加わった。
 戦いは熾烈をきわめた。反乱勢の兵士たちは帝国の兵士たちと剣を交え、防御線を突破した勇者たちは転がってくる大岩の前へ飛び出していった。回転する一点を狙って槍を構え、もう少しだの一言を最後に次々と潰されていく。やがて残るのは若者と、その背後を守る数人となった。若者は勇気を奮って転がる岩の前へ飛び出し、槍を上げて一点を狙う。そこへ黒騎士が突進する。黒騎士が若者の首を刎ねようとした時、太陽を背にして立ち現れた密輸業者が黒騎士を彼方へ弾き飛ばした。若者は握った槍を大きく構え、目を閉じると勘を頼りに一点を突く。ここまでも偶然に多くを頼ってきたわけだから、これは当然の展開であろう。国をも潰す大岩は弱点を打たれて見事に砕け、飛び散った破片は帝国の軍勢をなぎ倒した。
 子細は省くがこの後で帝国は逆襲に乗り出し、反乱勢を本拠に捉えて壊滅的な打撃を与える。密輸業者は姫君と恋に落ちるが賞金稼ぎの手にも落ちて汚穢の底に固められ、姫君はまたしても捕われの身となって憐れにも奴隷に身を落とす。若者は再び登場した黒騎士から新事実を告げられて心に大きな痛手を負い、多くの者の運命を散らかしたまま結末は続編に持ち込まれる。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年7月30日水曜日

異国伝/通行の障害

(つ)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。小さな領土は南北に延びる古い街道にまたがり、北に置かれた国の門から南に置かれた国の門を見ることができた。南に置かれた国の門から北に置かれた国の門が見えたことは言うまでもない。西は山に、東は海に面していて、南に置かれた門を抜けて街道を進むと、その先には海老を食べる人々の国があった。
 その国の人々が何を生業とし、何を糧に生きていたのかはあまり知られていない。今のところは漁民であったとする説が有力で、午後に船を仕立てて沖を南下し、隣国の漁場で夜陰に乗じて海老を獲っていたのだとされている。収穫された海老はそのまま船で北へ運ばれ、北で獲れた魚類と交換された。漁場荒らしの証拠を隠滅するためである。経済は全体に未発達で、交換は主に現物でおこなわれていた。南の隣国では現金収入の不足を補うために旅行者から通行税を徴収していたが、その国では通行は無料で、代わりに禁制品などの摘発をおこなって若干の罰金を課すにとどめていた。通行税のせいで南の隣国が悪評を得ていたことを知っていたからであろう。現金収入に乏しい小国にとって、旅行者の評判は常に重要な意味を持つ。無法な通行税を課す国よりも、無法を摘発する国の方がよい評判を得るのは当然であった。
 さて、ある時、一人の旅人が遥か南に位置する大国を目指して街道を下り、その国の北の門に近づいていった。通過するだけの軽い気持ちであったが、門を守る二人の兵士がすぐさま飛び出してきて行く手を阻んだ。兵士のうちの一人が門の脇にある小屋を指差し、そちらへ行けと身振りで示した。旅人は争いを好まない種類の人間だったので、おとなしく指示にしたがって小屋の方へ進んでいった。入口の横には各国語で出入国管理事務所と記されていた。
 戸口をくぐって中に入ると机の向こうに太った男が一人いて、横柄な身振りで旅人に旅券を請求した。旅人が静かに差し出すと、男は乱暴に奪い取った。中を開いてつぶさに調べ、卑しく見えるほどの疑念を顔に浮かべて机の引き出しにしまい込んだ。次に男は身振りで示して、旅人に鞄を開けるように要求した。旅人が鞄をかばって首を振ると、男は声を出して兵士を呼んだ。門にいた兵士の一人が駆け込んできて、旅人を背後から羽交い締めにした。男は旅人の鞄を机の上に置いて口を開き、中の物を一つひとつ出していった。大半は旅の必需品であったが、土産に選んだ二つ三つの品物がある。旅人が見ている前で、男はそのうちの一つを取って引き出しにしまった。それから不意に顔を上げて肩をすくめ、大きな笑みを浮かべると兵士に命じて拘束を解かせた。
「その標語、見る」

  男が旅人の国の言葉でそう言いながら壁の一隅を指差すので、見るとそこには各国語で法執行強化週間と記されていた。男は旅人の旅券を取り出して、入国の承認印を押した。旅人は旅券を受け取り、大急ぎで荷物を鞄に詰め込んだ。膨らんだ鞄を肩にかけ、小屋から出ようとしたところで男が握手を求めて手を差し出した。
「いい旅」

  旅人の国の言葉でそう言うので、旅人は相手の指先に軽く触れて小屋を出た。兵士の間を通って門をくぐり、みすぼらしい家を両側に並べた街道を進んだ。路上にひとの気配はなかった。西には禿げた山が見え、東には荒涼とした浜が見えた。前方には南の門が見える。その国のどこかで立ち止まるつもりはまったくなかった。そもそも予定になかったし、味わったばかりの不快な体験が胸に恐怖を浮かせて自然と足を急がせた。南の門が近づいてきた。
 ふと海岸の方へ顔を向けると、北の事務所にいた男が南の門を目指して走っているのが目に入った。南の門に視線を戻すと、その脇には北の門と同様に事務所と思しき小屋が見える。旅人も走り始めた。男よりも先に門に着けば、状況がいくらかでもましになるのではないかと考えた。旅人は街道をひた走り、男は浜辺をひた走った。太った男は実に見事な走り手であった。旅人は荷物を抱えていたので分が悪かった。旅人が門に着いた時には、男はもう小屋へ走り込んでいた。
 門には二人の兵士がいた。これは北の門とは異なる二人組であったが、そのうちの一人が小屋の方を指差すので、旅人はおとなしく指示にしたがった。
 戸口をくぐって中に入ると、机の向こうでは太った男が呼吸を整えていた。鼻と口で同時に息をしながら、それでも横柄な態度は保って手を差し出した。旅人が旅券を渡すとひったくって中を開き、つぶさに調べて充血した目に疑念を浮かべる。旅券を引き出しにしまい込んでから、身振りで鞄を開けるように要求した。
「さっき調べたばかりでしょう」

  旅人が抗議すると、男は喘ぐように口を開けた。卒倒でもしかけたのか、机の端を掴んで背中を丸め、しばらく目を閉じてじっとしていた。それからいきなり身体を起こすと、声を出して兵士を呼んだ。門にいた兵士の一人が駆け込んできて、旅人を背後から羽交い締めにした。男は旅人の鞄を机の上に置いて口を開き、中の物を一つひとつ出していった。大半は旅の必需品であったが、土産に選んだ一つ二つの品物がある。男はそのうちの一つを鷲掴みにすると、旅人の鼻先に突き出した。
「これ、なんですか?」

  男が旅人の国の言葉でそう尋ねるので、旅人は答えてこのように言った。
「それはただの土産物です」 

「違います。これ、禁制品」 
「でも、さっき調べたじゃありませんか?」 
「こんなものは、さっきは、なかったです」 
「嘘を言うな。さっき向こうで見ただろう」 
「これ、持ち出し禁止の品。あなた、罪を犯しました。逮捕します」 
「そんなばかな」 
「皆さん、ばれるとそう言います」 
 旅人は兵士によって連行され、その国の牢に放り込まれた。湿気た暗い場所で身の不運を嘆いていると、国選弁護人と名乗る男がやってきた。無罪の主張は難しいと言う。ならばどうすればよいのかと尋ねると、有罪を認めて司法取引に持ち込むべきだと助言された。そこでそのとおりにすると、有罪だけが認められて司法取引は拒まれた。判決は二十年の刑と財産の没収。
「わたしたち、法がある。あなたがた、忘れてはならない」

 旅人の国の言葉で、裁判長が厳かに告げた。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年7月29日火曜日

異国伝/鎮魂の逃走

(ち)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。したがって他国との往来も乏しく、物質的な充足や文化的な洗練とも無縁であったが、気候に恵まれ、風光にも恵まれ、ひとは質素を好んで長寿を誇った。住民の心は穏やかで、争いごとを知らなかったという。外来者の多くは生活の不便を嫌ったが、中には土地に愛を抱いて骨を埋める覚悟をする者もいた。
 ある時、一人の男が母国に一切合切を残してその国を訪れ、平安を求めて住まいを定めた。破産した商人であったとも、汚名を着せられた軍人であったともされているが、正体は定かではない。男は土地の者との交わりを最小にとどめ、もっぱら家に引き籠もって孤独のうちに日を送った。訪れる者はなく、訪ねる相手も持たなかった。だが偶然から一人の老人を助け、友誼を結ぶことになる。
 男はその老人と森で出会った。男は散歩の途中で、老人は斧で脚を傷つけ、血を流して苦しんでいた。男は老人に駆け寄ると、自分の服を裂いて老人の傷の血を止めた。投げ出された斧を拾って老人の肩に腕を回し、まず自分の家へ連れ帰って傷の手当てを施した。それからわずかな語彙を使って老人の家の場所を尋ね、老人が指差す方角を辿って森の奥まで送り届けた。老人は独り住まいで、家は荒れ果てていた。みすぼらしい寝床に横たえると老人は感謝の言葉を呟きながら眠りに落ち、男は静かに立ち上がって家へ戻った。
 それから毎日、男は老人を訪ねていった。傷の手当てを繰り返し、老人の口に食べ物を運んだ。男は老人とその国の言葉で話を交わし、時には自国の言葉で秘密を明かした。意味のわからぬ言葉の響きに、老人は目をうるませて聞き入った。
 男の世話にもかかわらず、老人の傷は悪化していった。傷の毒が全身にまわって、皮膚が黄ばんだ。男は老人を励ましたが、老人はただ頷くだけだった。
 その日も男は老人の家を訪れた。家の前には、一人の男が待っていた。くたびれた顔の初老の男で、やはり他国からの移住者だった。その男が言った。
 余所者同士のよしみで忠告する。死んでいく者とは関わるな。
 関わればどうなるというのか? 

 すると初老の男は袖をまくり、深くえぐれた傷跡を見せた。
 これでも運がいい方だった。
 いったい何が起こるというのか? 

 説明しても信じまい。賢明ならば関わらないことだ。
 そう言うと、初老の男は去っていった。足早に、一度も振り返らずに立ち去った。
 老人と友誼を交わした男は家の中へ入っていった。そこでは老人が死にかけていた。男は老人に水を与えた。老人はすでに動く力を失っていて、わずかに開いたまぶたの下から濁った目で男を見上げるだけだった。男は老人の傍らに腰を下ろして、時を待った。
 陽が傾いていった。家の外で声を聞いて、男は腰を上げた。出てみると、そこには土地の者が集まっていた。数人が男の脇を抜けて、家の中へ入っていった。そして老人の身体を戸板に載せてまた現われた。戸板の上で、老人はまだ生きていた。集まった者の中から一人が老人の前へ進み、口を耳に近づけて何かを囁いた。老人はわずかに身じろぎをして、それから抱き起こされると震える指先で男を差した。集まった者の一人ひとりが順に男の身体に触れていった。
 陽が暮れようとしていた。松明を持つ一人が先頭を歩き、戸板を担ぐ四人の男が後に続いた。四人の後には松明を手にした土地の者が並んでしたがい、男は行列の末尾で土地の者たちに囲まれていた。陽が落ちた後も歩き続けて、ようやく着いた場所は荒涼とした野原の真ん中だった。先頭の一人が松明を地面に差し込むと、四人の男はその傍らに戸板を下ろした。何が始まるでもない。土地の者たちは来たばかりの道を引き上げ始めた。男は老人がまだ生きていることに気がついた。立ち去っていく者たちに声をかけると、一人が足を止めて男に言った。
 親しき者よ。
 男を指差し、老人を指差し、その場にとどまるようにと手真似で告げた。
 男は老人の脇に膝を突いた。土地の者たちの足音が遠ざかり、やがて消えると辺りは静寂に包まれた。松明の燃える音だけが聞こえてくる。男は老人の手を取った。老人は最後の力でまぶたを押し上げ、そこで力を失って死を迎えた。掌の温もりが去っていった。男は手を放して立ち上がった。できることは何もなかった。
 男は松明を取り、遺体に背を向けて歩き始めた。そして数歩も進まぬうちに、背後に奇妙な音を聞いた。振り返って松明を前にかざした。
 戸板の上から老人の遺体が消えていた。そうと知った瞬間に、人間に似た生き物が闇を割って現われた。四つん這いになって細い手足を踏ん張って、男に飛びかかろうと身構える。それは老人の顔をして、老人の服をまとっていた。怪物が跳躍した。男はかわす間もなく押し倒され、のしかかられて腐った息を吐きかけられた。鋭い爪が男の頬をえぐり、黄色い牙が男の首を狙ってにじり寄った。男は松明で怪物を殴った。怪物を蹴り飛ばして立ち上がり、逃げるべき方角を探して闇に目を走らせた。彼方に大きな篝火が見えた。男は炎を目指して走り始めた。四つん這いの怪物は地を蹴って男に追いすがり、爪を繰り出して男の脚に傷を負わせた。流れ落ちる血の温もりを感じながら、男はひたすらに走り続けた。怪物は何度も宙を飛んで、背後から男を組み敷こうと試みた。男は松明を振るって攻撃をかわし、必死の思いで走り続けた。
 篝火が近づいてきた。篝火を囲む土地の者たちの姿が見えてきた。重たい膝を叱咤しながら男はなおも走り続けた。遂に膝が力を失うと、すぐさま二人の若者が走り出て男の身体を両脇から支えた。二人の若者は男を燃え盛る炎の前へと導いていった。背後から凶暴な足音が近づいてくる。怪物が飛んだ。若者たちは男の身体を地面に打ち据え、素早く左右に退いた。怪物は宙を横切り、炎の中へ飛び込んでいった。
 男は立ち上がって篝火の炎に目を据えた。集まった者の一人ひとりが前に進んで、順に男の身体に触れていった。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年7月28日月曜日

異国伝/大佐の報告

(た)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。その国があったと推定される位置を当時の地図で調べてみると、ただ海が広がっている。そして同じ時代の旅行案内書には、そこは前人未到の地であって魚しか棲んでいないと記されている。土地の存在すら怪しいとなれば、訪れる者のある筈がない。仮に魚がいるのだとしても、漁をして採算を合わせるには遠すぎた。事実から言えばそこには土地があり、ひとが住んでいたのだが、怠惰と妥協の産物である地図と案内書の呪いによって、長らく関心の対象から外されていたのである。その国についていくらかのことが知られるようになったのは、一人の先駆者の存在と、その功績があったからにほかならない。
 大佐と呼ばれたその人物は名を知られた大国の軍人で、少人数の探検隊を組織すると船を仕立てて冒険の旅に出発した。そして未知の世界を訪れて、驚嘆すべき報告を持ち帰った。
 大佐は沿岸に沿って船を進め、上陸と補給を繰り返しながら次第に未到の地へと近づいていった。陸地にひとの姿を見ることがなくなり、文明の痕跡も遥か後方に消え去ると、前方に巨大な山脈が姿を現わした。切り立った山が尾根を重ねて壁を作り、鋭く尖った岩を海に浸して近づく者を阻もうとする。大佐は船を沖へ進め、岩礁を避けて前進を続けた。そこはすでに前人未到の世界であった。群青の海が大きくうねり、彼方には人跡未踏の大地が緑に霞む。大佐は近代的な才覚の持ち主であったので、この時の気持ちを感動的な筆致で報告書に書き記している。だが、それはここでは再録しない。長過ぎるし退屈だからである。
 やがて大佐は船を陸に向け、部下は上陸の準備に取りかかった。慌ただしくなった甲板に向かって、見張り台にいた者が大声を上げた。町が見えるという。わずかではあるが、動き回る人影もあるという。大佐は驚愕を隠せなかった。
「よもやこの前人未到の地で、人間を見出すことになろうとは、わたしは予想だにしていなかった。果たしてこれは幸運な出会いとなるのであろうか」

  船が陸地に近づくにつれて、甲板の者にも町の様子が見えてきた。戦いの準備をしている気配はない。鉛色をした低い建物が軒を並べ、その前ではひどくずんぐりとした姿の住人が足を重そうに進めている。大佐は上陸を決意し、数人の部下とともにボートに乗り込んだ。
「わたしはひどく緊張していた。相手がいかなる種類の人間ともわからなかったからである。遠目には野蛮な人々とは見えなかったが、経験によって外見が信用の材料とならないことを知っていた。念のために武器を準備しておくように部下に命じた」

  幸いなことに武器を使う必要はなかった。大佐の一行は上陸して町へ入ったが、住民は一人として関心を示そうとしなかった。この段階で多くの住民を目撃したわけではなかったが、大佐の印象はすでに好ましいものではなくなっている。
「この土地の人間は皆一様に肥満していて、いかにも大儀そうに歩行する。一歩ごとに聞こえる音から判断すると、肥満の原因は脂質の過剰ではなく水分の過剰であるように思える。はっきりと水音が聞こえるのだ。察するに柔弱な気風が蔓延していて、住民は不摂生に対して抵抗を失っているのであろう。堕落は服装にも認めることができる。全員が修道僧のような服を着て、頭を頭巾ですっぽりと覆っているのだ。外からは顔すらも見ることができない。これは自我の喪失を表わしている。彼らはこの格好で外出し、おそらくそのままの格好で床に就くに違いない」 

 一通りの観察の後、大佐は意思の疎通を試みたが、あらゆる言語での問いかけにも住民は応えようとしなかった。やってきて、そのまま通り過ぎていく。言葉が通じないということよりも、無視されているということに大佐は少なからぬ苛立ちを覚えた。
「わたしは多くの土地を旅してきたが、どのような野蛮人からもこれほどの無礼は受けたことがない。この土地の人間は我々があたかも存在しないかのように振る舞っている。初めは恐れによってそうしているのだと考えたが、それは誤りであった。彼らは単に無視しているのだ」

  町を端から端まで歩いてみたが、住民同士が会話をしている現場を押さえることもできなかった。家の戸口に耳を近づけることもしてみたが、会話はもちろん、物音すらも聞こえない。そのうちに陽が暮れてきたので、大佐は海岸に野営の支度を整えさせた。
「第一日が終わった。我々は明日も調査を続けるだろう。住民は驚くほど好奇心に欠け、同胞の中にあっても寡黙だが、こちらには十分な忍耐がある」 

 夜半が過ぎた頃、隊員の一人が大佐を起こした。住民が松明を手にして町の中心部に集結しているという。大佐は全員を起こし、武装するように命じてから部下を率いて出発した。前方では炎の列が道を進み、見ている前で新たな炎が戸口から現われ、重たげに動いて列に加わった。町の広場に近づいていくと、そこには巨大な篝火が焚かれ、到着した住民が次々と松明を投げ込んでいた。雲を散らした夜空を黒煙が焦がし、住民たちは篝火を背にして重たい身体を海に向ける。大佐とその一行は物陰に隠れて成り行きを見守った。
 最後の一団が松明を炎の中に投げ込むと、雲が割れて月の明かりが広場を青く照らし出した。住民は無言のまま一斉に頭を下げ、頭巾を取って顔をさらした。
「驚くべきことに、彼らは人間ではなかった。魚の顔を持った怪物だったのである。しかも邪教を拝み、魚が腐ったような恐るべき臭気を放っていたので、それ以上その場にとどまるのは難しかった」

  顔はともかくとして、臭いは上陸した段階で気がついていてもよさそうなものである。ここまで遅れた理由があるとすれば、それはおそらく大佐が長らく洋上にあって、入浴の機会を失っていたからであろう。大佐はただちに撤収を命じ、船に戻って朝を待った。そして夜明けと同時に砲撃を加え、町を完全に破壊した。破壊の後には武装した上陸班を送り込み、住民をことごとく殺害して死体は残らず海に捨てた。大佐は雑婚とその震撼すべき結果について警鐘を鳴らし、最後に人類がいかに勝利したかを感動的な筆致で綴っているが、長過ぎるし退屈なのでここには再録しない。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年7月27日日曜日

GODZILLA ゴジラ

GODZILLA ゴジラ
Godzilla
2014年 アメリカ/日本 123分
監督:ギャレス・エドワーズ

1999年、フィリピンで巨大な怪獣の化石と孵化した卵の痕跡が見つかり、日本の原子力発電所が謎の振動に襲われて倒壊、それから15年後、単独で事故原因の究明を進める原子力発電所の元職員ジョー・ブロディは海軍兵士の息子とともに放射能汚染地域を訪れて事故の原因とその後の隠蔽工作の存在を知り、隠蔽されていた事故原因が巨大怪獣ムートーとなって暴れ始め、ジョー・ブロディの息子フォード・ブロディは怪獣対策に乗り出したアメリカ海軍に拾われてハワイに移動、そこでムートーによる都市破壊とゴジラの上陸を目撃し、ムートーがアメリカ西海岸を目指して動くとゴジラもそのあとを追い、前進するムートーの叫びに答えてネバダでもう一匹のムートーが目を覚ましてラスベガスを襲撃したあと西海岸を目指して北上を始め、一方、最初のムートーとゴジラはサンフランシスコに接近し、フォード・ブロディが再びアメリカ軍に拾われてアメリカに到着したころ、アメリカ軍は三匹をまとめて倒すために核兵器の使用を決定するが、タイマーが起動した核兵器をムートーに奪われるので奪い返さなければならなくなり、またしてもアメリカ軍に拾われたフォード・ブロディを加えて絶望的なHALO降下が敢行され、その真下ではゴジラと二匹のムートーが戦いを始める。 
ゴジラの位置づけは 平成版『ガメラ』に近い。オープニングタイトルは素朴にすばらしいと思ったし、導入部の微妙に香山茂な気配も悪くないし、『モンスターズ/地球外生命体』の低い視点を踏襲しながらあれやこれやと盛り込んで堂々と『三大怪獣 地球最大の決戦』に持ち込んでいくまで、趣味的に作り込まれた贅沢な映像の積み重ねは楽しめる。ただ、二時間の枠に盛り込めるだけ盛り込んだからなのか、映画自体はもっぱら場面の必要に追随していくだけで、構成は正直ではあっても面白みに乏しく、登場人物も概して動きを欠いている。家族の絆のようなものがなにかと前に出てくるのは明らかにうるさいし、そこにいちいち子供がからむところもよくわからない。特に都市破壊のシーンではモダンでリアルで容赦のない表現が取り入れられているため、その背景に飲み込まれる人間に特定のポジションや顔があったりすると(勝手な話だと言えば勝手な話に違いないが、いまどきの表現はいたって自然にむごたらしいので)実は少し抵抗を感じる。つまり怪獣映画のセオリーを守りながら同時にモダンな表現を持ち込んだとき、なぜかそこに付随して現われる無名の大量死をどう扱うかについて一考の余地があったのではあるまいか。確信犯なのか、単に鈍いからなのか、どちらへ振るにしてもところどころに表現上の抜けがあって、そのあたりがどうも収まりが悪い。問題を回避するためには勧告ではなくて命令を出して住民を早めに非難させておくべきであった、という気もする。

2015/03/14 追記:
ビデオで見直したところ、なぜか劇場で見たときよりも視覚的な面で印象が強い。劇場公開時には少々辛口の感想を述べたが、改めて見てみると災厄の描写にはなにかしらの抑制がほどこされており、視野がよく工夫されている。基本的なところで心理的なずれがあったのかもしれない、と考え始めた。 


Tetsuya Sato

2014年7月26日土曜日

異国伝/蒼白の怪人

(そ)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。その国の人々はいささか奇怪な習慣に染まっていたとされているが、それがいかなる習慣であったかは知られていない。僻遠の地にあって四周を険しい山に囲まれ、天然の要害が観察者の訪問を阻んでいたからである。
 その国の住民が国外に出ることは滅多になかった。山国特有の排他的で陰気な気性が、自国での充足を促したのであろう。それならば勝手に充足していればよいものを、不思議なことにある時、外国への移住を試みた者がいる。これは例外的な向上心の発露であると見なされているが、もし移住に成功していれば、観察者は素晴らしい機会を得ることができたであろう。奇怪な習慣の正体が明かされ、有益な論文が発表されたに違いない。残念ながら、この試みは失敗に終わった。
 移住を決意したその人物は、住み着く先として名高い大国の首都を選んだ。まず物件情報を調べる必要があると考え、不動産屋に宛てて手紙を送った。田舎者扱いされないように、高価な物件を要求したことは言うまでもない。するといかなる忍耐で山を越えたのか、不動産屋当人が資料を携えて到着し、いくつもの魅惑的な物件を紹介した。だがその国のその人物の目には、物件よりも不動産屋の方が遥かに魅惑的に見えたようだ。不思議な手管を弄して堕落させた。移住を決意したところまではよかったが、この人物には結果を考えずに行動する傾向があった。合法性への関心も欠いていて、不動産屋を堕落させて契約をないがしろにし、旅券も持たずに国を出て、密入国を果たすと無人の屋敷を不法に占拠した。近所へ挨拶回りをするでもない。それどころか夜陰に乗じて他人の屋敷に侵入し、未婚の女性に襲いかかった。これでは同国人であっても、とうてい許しは得られない。外国人ともなればなおさらである。奇跡の生還を果たした不動産屋とその婚約者、襲われた女性の求婚者たちが一斉に復讐に立ち上がり、この人物を故郷の国へ追い詰めて無法の所業に終止符を打った。
 さて、それからかなりの年月を経て、一人の男が危険を冒して山を越え、地図にないその国を訪れた。山の端にかかる夕陽を浴びて道を下り、黄昏のはかない光の中で彼方に横たわる町を眺めた。いびつに階を重ねる家々が肩を並べて谷底の土地に密集する。陽が落ちると同時に町の姿は闇に沈んだ。見られまいとでもするかのように、暗がりの底に身を隠した。男もまた漆黒の闇に包まれて視界を奪われ、そこから先は手探りで進んだ。土くれに手を汚して這うように進み、指先で石畳に触れて町に着いたことに気がついた。町にひとの住む気配はない。探りあてた扉はどれも固く閉ざされていた。明かりの漏れる窓はどこにもない。男は暗闇の中で吐息を漏らした。
 しばらくすると月が昇った。月の光が歪んだ建物を青白く照らし、町の気配をいよいよ彼岸へと押しやっていく。男は扉の一つひとつを改めながら、道を奥へと進んでいった。居酒屋の看板を目敏く見つけて、閉ざされた扉に耳を押しつけた。騒めくひとの声が聞こえてきた。それは居酒屋の喧騒であった。そこで扉を開けようとすると、扉の方がひとりでに動いて男を中へ招き入れた。
 扉越しに聞いた喧騒に反して、中には一人の客しかいなかった。小さな卓に頬杖を突き、空のグラスを見下ろしていた。振り返ると、扉が勝手に閉まるのが見えた。
 あんただけなのかい? 

 男は客に話しかけた。
 さっきまでは皆いたんだが。
 そう言ってたった一人の客が顔を上げた。その顔面は蒼白であった。それは死人の顔であった。唇までが蒼ざめ、目は灰色に塗り潰されていた。若者の顔の形をしていたが、命の気配はどこにもなかった。
 顔色がすぐれないようだが、飲み過ぎかな? 

 だとしたら、飲み過ぎかもしれないな。
 客は顔をうつむけて、空のグラスを握り締めた。男は店の中を見回して、妙なことに気がついた。店の者の姿がない。
 店の主人は、いないのかな? 

 すると客がまた顔を上げた。男を見てから奥を見やり、それから腰を上げてこのように言った。
 いないようだ。呼んでくるとしよう。
 客は店の奥へ姿を消した。代わって前掛けをつけた店の主人が現われたが、その姿形は客と寸分違わない。服が異なっていただけであった。
 今のやつは、どうしたんだ? 

 今の、というと? 
 あんたを呼びにいったやつだよ。
 いや、そんなひとは来なかったね。
 そうかい。だったら気にしないでくれ。一杯飲めればそれでいい。
 済まないが、酒は切らしている。
 なるほどね。それでみんな帰ったっていうわけだ。
 そういうことだ。
 この町で、ほかに飲めるところはないのかい? 

 この先にある宿屋なら、飲めるかもしれないね。
 わかった。ありがとよ。そっちへ行って飲ませてもらうさ。
 済まないね。
 いいって。気にするこたあない。
 今度は自分で扉を開けて、男は居酒屋の外へ出た。通りの先へ進んでいくと、たしかに宿屋がそこにあった。近づいて扉を開けようとすると、扉の方がひとりでに動いて男を中へ招き入れた。
 いらっしゃいませ。
 そう言って男を迎え入れたのは宿の主人であったが、その姿形は居酒屋の主人となにも変わらない。
 泊まれるかな? 

 お部屋はございます。
 酒はあるかな? 

 お部屋にお持ちいたしますか? 
 そうしてもらえると、助かるね。
 では、ご案内いたします。お荷物は、その銛だけですか? 

 そう、この銛だけだ。自分で運ぶから大丈夫だよ。
 部屋へ通されると、男は靴を脱ぎ捨ててくつろいだ。そこへ宿の主人が酒瓶を持って現われ、男に向かってこのように言った。
 ほかに何か、御用はございませんか? 

 なにしろ長旅でこの有様だ。風呂に入りたい。髭も剃りたいね。
 用意いたします。ほかには何か? 

 それと、あとは女だ。部屋に呼べる女はいるかい? 
 ご要望とあれば、手配します。
 ほう、気に入ったね。いい宿だ。
 ありがとうございます。
 宿の主人は一礼して下がり、しばらくしてから風呂桶を運んで戻ってきた。湯を満たした風呂桶を一人で軽々と持ち上げて、部屋の中央に置いたのである。
 こいつはありがたい。
 髭剃りの用意はこちらに。
 ありがたいね。こんなにいい石鹸は久しぶりだ。
 男は鏡と剃刀を手に取って、早速髭を剃り始めた。そして剃っているうちに妙なことに気がついた。真後ろに立っている宿の主人が、鏡に映っていないのである。振り返ろうとして手元を狂わせ、剃刀で頬を切り裂いた。血に汚れた剃刀を洗面台の脇に置き、慌ててタオルで頬を拭った。鏡で傷口の様子を確かめて、ふと横を見ると宿の主人が剃刀を手にしている。剃刀の血はきれいに拭われていた。宿の主人は男に剃刀を手渡して、代わりにタオルを受け取った。汚れたタオルを愛おしむようにして胸に抱き、そそくさと部屋から出ていった。
 髭剃りの後、男は服を脱いで湯に浸かった。身体の汚れを洗い落とし、心もくつろがせて湯から出ると濡れた身体をタオルで拭いた。拭き終えた頃に宿の主人がまた現われ、風呂桶を持ち上げながらこのように言った。
 女は、いかがいたしましょうか? 

 こっちは準備完了だ。呼んでくれ。
 だが男には一抹の不安があった。ここまでの経過から判断すれば、女というのは女の衣装を身に着けた宿の主人かもしれなかった。
 まあ、そうなったら、と男は呟く。それまでよ。
 戸を叩く音がした。入ってきたのは本物の女であった。しかも一人ではなく三人いた。男が寝台に寝ころぶと女たちがしなだれかかり、男がのしかかっていくと女たちは歓喜に震えた。ところが事に及ぼうとしたところで、宿の主人がやってきた。戸を蹴破るようにして入ってくると、女たちに罵声を浴びせた。女たちは一斉にすくみ、のたうつようにして床へ飛び降り、這うようにして部屋から出ていった。
 申し訳ありません。
 宿の主人が頭を下げると、今度は男が罵声を浴びせた。
 くそ、なんだってんだ、これからって時によ。
 よく言い聞かせてはおいたのですが、手違いがございまして。
 もういい。その気がなくなった。酒を飲んで寝る。
 男が寝台に身を投げると、宿の主人は一礼して去っていった。男は酒瓶からじかに酒を飲み、瓶をすっかり空にして目を閉じた。すぐにまぶたが重くなり、男は寝返りを打って心地よい眠りに身を任せた。気配を感じて目覚めた時には蝋燭の炎が消えかけていた。
 近づいてくる気配はあったが、足音は聞こえない。薄目を開けても、黄色い炎がかすかに見えるだけだった。鼻がどこからか腐臭を嗅ぎつけた。臭いの主は背後から接近し、静かに身を屈めて顔を男の首筋に近づけていた。研ぎ澄まされた男の耳は、顎を動かす筋肉の音を聞き分けた。瞬時に身を翻すと寝台から飛び出して銛を握り、相手の心臓のわずか下を狙って鉄製の鉤を繰り出した。
 狙った場所に格別の意味はない。男はいつでもそこを狙った。そうして多くの者を殺し、銛打ちの異名を取った希代の悪人だったのである。だが銛打ちも驚いた。銛で串刺しにされた宿の主人が見ている前で灰になり、そのまま崩れ落ちていった時には驚きを隠すことができなかった。驚いた自分に怒りを覚えた。だから灰に唾を吐きかけて蹴散らした。宿の部屋を端から調べて三人の女の居場所を見つけ出し、同じ方法で地獄に送った。見つけた金品は余さずに奪い、夜明けを待って町を出た。
 いかなる悔恨も残さない。かくて悪は世に栄えた。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年7月25日金曜日

異国伝/絶対の危機

(せ)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。実際のところ、その国の存在が一般に知られた時には、すでに滅んでから久しかった。
 その国は肥沃な土地に恵まれていて、多くの者が農業をおこなった。人々は労を惜しまずに働いたので収穫にも恵まれ、また牧畜をおこなう者もいたことから、多様な食品を得ることができた。外部との連絡は乏しくてほとんど孤立の状態にあったが、国内は常に平和で住民はよく食べてよく太り、すこぶる満ちたりた状態にあったのである。
 ある朝、一人の太った農夫が犬を供に森へ入っていった。実は前の晩に、農夫は自宅の窓から空を斜めに横切る怪しい光を目撃していた。その光は最後に森へ落ちたので、正体を確かめようと考えたのであった。
 森へ分け入ってみると、そこでは大木が右や左に傾いで煙を放ち、枝に炎をまとわせていた。地表は黒く焼けただれ、鋭くえぐり取られたような深い溝が森のさらに奥へと延びていた。農夫は尋常ならざる気配を感じ、犬は不安に鼻を鳴らした。それでも農夫は尻尾を丸める犬を急かし、溝に沿って森の奥へと足を進めた。溝が終わる場所では地面に大きな穴が開き、その周りには跳ね飛ばされた土が高く積み重なっていた。農夫は犬を手近の木につなぎ、一人で穴の中を覗き込んだ。その底では真っ赤に焼けた球形の物体が地面に半ば埋もれていた。その大きさは農夫の頭ほどもない。農夫は顔に、球体から放たれる熱を感じた。そして鼻に、得体の知れない悪臭を感じた。
 見ることはしたし嗅ぐこともしたので、次は触ってみようと農夫は考えた。そこで枯れ枝を一本手に取ると、その先端を前に差し出して球形の物体を軽く突いた。意外なほどに重いと感じた。二度三度と突くと、球形の物体の一部が割れた。そして中から粘性を持った泥のような物体がこぼれ出てきてどろりと広がった。それも真っ赤な色をしていた。農夫は手順を変えて、臭いを嗅ぐのに先立ってその物体を棒でつついた。するとそれはすがるように動いて枝の先端を粘膜で覆い、唐突に動いて枝の半ばまでを一瞬で包んだ。農夫は危険を感じたが、枝から手を放す前にそれはもう腕を飲み込んでいた。
 農夫は悲鳴を上げて、その場から逃れようとした。飼い主の最後の義務として吠え続ける犬を木から解き、よろめく足で家を目指して歩き始めた。そうする間にも粘り着く真っ赤な物体は腕を白骨に変えて肩に登り、胴を狙って短い触手を繰り出していた。
 子細は省くが農夫は途中で力尽きて道に倒れ、逢引の最中であった十代の男女に救われる。若者たちは農夫を医師の元へ運び込むが、農夫は全身を食われてすでに息絶えていた。物体は急激に成長して医師を食らい、逃げる男女を追って町へ出る。阿鼻叫喚の騒ぎが起こり、人々はてんでに逃げ惑った。だが怪物の触手は人間よりも早く動き、いかなる標的も素早く捕えた。老若男女を選ばずに襲って半透明の胃の腑に収め、間もなく家ほどの大きさに成長した。平和な国のささやかな軍隊が出動したが、これも片端から食われて消えた。そのまま放置しておけば国が滅びるのは明らかであった。しかしこの時、農夫を救った若者が妙案を思いついて皆に告げた。水に近い物体なのだから、凍りつくまで冷やせばよいと言ったのである。だが季節は夏であり、この時代には冷凍装置などという便利な物は存在しない。妙案ではあったが役には立たず、最後には全員が空しく化け物の餌食となり果てた。家畜も食われ、倉庫に貯め込まれた食料も食われ、怪物は山ほどの大きさに育って国を覆った。そして遂に食べる物が何もなくなった後、飢えて死んで干涸びた。その残骸は今もそこにあり、旅行者の通行の障害となっている。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年7月24日木曜日

異国伝/彗星の季節

(す)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。国の名前すらも伝わっていないのだが、多くの者が遠くから見て知っていた。
 その国は高い山の上にあった。針のように尖った山の頂きのすぐ下に、まるで小石を積むようにして小さな家を積み上げていた。空中にはみ出している家もいくらかあって、いつ崩れ落ちても不思議がないような危うさを感じさせたが、日々の観察を続けた者は、崩れたことは一度もないと伝えている。天気がよくて空気がよく澄んだ日には、山の上を動き回るひとの姿を見ることができた。先を針のように尖らせたつばひろの帽子をかぶった人影が、白い壁を伝い、黒い屋根を伝い、曲芸のようにあちらからこちらへと飛び跳ねる様子を見ることができた。
 多くの者が見て知っていたが、そこまで訪ねていった者は一人もなかった。山の上に通じる道がなかった。仮にあったとしてほとんど垂直の道になったし、切り立った山肌はところどころでえぐれていた。だから多くの者が山を見上げて疑問を抱いた。
 あそこにいるあの人々は、どのようにしてあそこに行き着いたのか?

 またどのようにして家を建て、いったい何を糧に暮らしているのか?
 山に暮らす人々が、地上に降りてきたことは一度もない。疑問はいつまでも疑問にとどまり、たまに膨らむ空想だけが疑問にわずかな手がかりを与えた。
 魔法使いの国だと言う者がいた。空からやってきた人々だと言う者もいた。雲を食べているのだと考えた者もいたし、見下ろすことが好きなのだと考えた者もいた。だが見上げて観察している限りでは、山の人々はいつも忙しそうに働いていて、地上を見ている暇などありそうもなかった。
 わかっていることは一つしかない。
 年に一度、月のない五月の晩に、小さな彗星が群れをなして現われた。きらめく光のしずくを後にしたがえ、光の帯を幾重にも重ね、数えきれないほどの彗星が空を横切り、山を目指して進んでいった。群れが近づくにつれて山の上は昼間のように明るくなり、つばひろの帽子をかぶった人々は夜を背にして影を並べ、尖った山の頂きに登った。そして針のような場所に鈴なりになって、腕を大きく広げて彗星を迎えた。光を散らす小天体は輝く弧を描いて山をまわり、自在に駆けめぐっていくつもの弧を重ね合わせた。時にはひとの姿を背に乗せて、空をめぐってまた戻った。山の頂きは光に埋もれ、光の影がまばゆく輝く大きな玉を空に描いた。風があれば、山の人々の喜びが声となってかすかに聞こえた。小彗星は明け方近くまで山をめぐり、やがて空の彼方へと飛び去っていく。最後の彗星が夜空に去ると山の上に闇が戻って、山の人々の姿を包み隠した。
 彗星の群れが現われる晩には、多くの者が山を見上げた。そうするものだと親が子に伝え、子はその子に伝えて多くの者が世代を重ねた。五月の晩の彗星は、永遠不変だと多くの者が信じていた。
 だがある時、彗星が現われない年があった。その翌年も、その次の年も、彗星はやってこなかった。遠目に見る山の人々の生活に、格別の変化を見出した者はない。続く年にも彗星の来訪はなく、地上で暮らす人々は五月の晩のことを忘れ始めた。目のよい者が空気の澄んだよく晴れた日に、山の人々が腕組みをしてうなだれている光景を目撃したのはこの四年目のことだった。
 そして五年目が訪れ、月のない五月の晩がやってきた。多くの者は家に残り、わずかな者が山を見上げた。そのうちに空の一点に光が現われた。光はすぐに大きくなり、たった一つの巨大な彗星となり、長大な尾を引いて山を目指して進んでいった。彗星の光が山を照らし、頂きに群がる山の人々の姿を浮き上がらせた。見上げていた者たちは恐怖を覚えた。彗星はあまりにも大きかった。まばゆい光は凶暴に見えた。山に激突するのではないかと考えた。山の上ではつばひろ帽子の人々が、腕を大きく広げて彗星を迎えた。
 彗星は山にぶつからなかった。わずかにかすめるようにして、一直線に飛び去っていった。山をめぐることもしなければ、山の頂きを光で包むこともしなかった。
 陽が昇った後、目のよい者が山を見上げた。よく晴れた日で、空気は澄みきっていた。針のように尖った山の頂きのすぐ下で、小さな家々が積み上げた小石のように重なっていた。いつもどおりならば小さな家から小さな家へと、白い壁を伝い黒い屋根を伝い、針のように先を尖らせたつばひろの帽子の人々が曲芸師のように飛び跳ねていくのが見える筈だった。ところがそこには動く影は一つもない。日を改めて見上げても、山の人々の姿はどこにもなかった。首を傾げてまた日を改め、晴れの日を待って見上げることを繰り返したが、山の人々の姿を再び見ることは遂になかった。見上げていた者たちは疑問を抱いた。
 あそこにいたあの人々はどこへ消えてしまったのか?  何があったのか? 人々はいつかは戻ってくるのか?  答えを与える者はどこにもない。疑問はいつまでも疑問にとどまり、たまに膨らむ空想だけが疑問にわずかな手がかりを与えた。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年7月23日水曜日

異国伝/進撃の巨人

(し+)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。しかし伝えられるところによれば、その小さな国の人々は自分の国が小さいとはまったく考えていなかった。そして小さな国だと思われることに強い怒りを感じていた。地図にない、などという話はまったくのところ論外であって、このような誤りは国際世論に訴えてただちに訂正しなければならないと考えていた。その小さな国の人々の主張では、その小さな国が小さいというのは悪意のこもった風説以外のなにかではなくて、まったくのところ全然小さくはなかったし、それでも小さく見えたのだとすれば、それはその小さな国が事実として小さいからではなくて、その小さな国が抱える特殊な事情のせいであった。
 その小さな国には巨人がいた。それも一人や二人ではなくて数えきれないほどの巨人がいて、うつろな顔で森や山をうろついていた。森の巨人は樹齢を重ねた木々を灌木の茂みのように見せていたし、山の巨人は巨大な岩を小石のように見せていた。巨人が草原を歩けば草原は手入れの悪い庭に見えたし、巨人が湖に入れば湖は小さな池に見えた。その小さな国が小さな国だと思われるのは、その小さな国が事実として小さいからではなくて、巨人のせいで相対的に小さく見えるからだとその小さな国の人々は主張した。それだけではない、とその小さな国の人々は考えた。我々までが小さく見られている、とその小さな国の人々は考えた。巨人が人間と並ぶと、人間はまるでハツカネズミのように見えた。事実として小さいからではなくて、ただ小さく見えるという理由だけで小さく見られている、とその小さな国の人々は考えた。事実から言えばまったく小さくないにもかかわらず、それどころか骨格に恵まれ、身長にも恵まれ、近隣諸国をはるかにしのぐ立派な体格を国民がそろって誇っているにもかかわらず、巨人と比べれば小さく見えるという理由だけで我々は小さく見られている、とその小さな国の人々は考えた。このようなことは許してはならない、とその小さな国の人々は考えた。決して許してはならない、とその小さな国の人々は考えた。
 その小さな国の人々は官民をあげてさまざまなキャンペーンをおこなって国際社会の注意を喚起し、国際世論に訴えて各国の誤った認識を訂正しようと試みた。しかし、なにしろ昔のことなので国際社会が近隣諸国から外へ広がることはなかったし、近隣諸国はその小さな国の人々が始めたキャンペーンを目撃すると、キャンペーンの主旨に同意するどころかまったく反対の行動をを取って、その小さな国の人々が主張するところによれば、はなはだしい悪意をもって、その小さな国は事実として小さい上に住んでいる人間も小さいというはなはだしく誤った風説を近隣諸国の外へ広げようと試みた。キャンペーンは失敗に終わり、その小さな国の人々は無知蒙昧を恥ともしない国際社会に怒りを抱いた。国際社会が頼りにならないのだとすれば、自分たちで問題を解決しなければならなかった。問題を解決するためには、巨人を滅ぼさなければならなかった。
 その小さな国では巨人を滅ぼす試みが過去に何度もおこなわれていた。そして過去におこなわれた国際キャンペーンと同様に、巨人を滅ぼす試みはどれも失敗に終わっていた。その小さな国における一般的な認識としては、巨人を滅ぼすことはできなかった。巨人の身体は頑丈で、いったいどのような仕組みになっているのか、損傷を受けてもすぐに再生した。頸部の後ろを削ぎ取ると再生能力が失われるという説があったが、巨人の巨体を登ってそこにたどり着く手段がなかったし、仮にたどり着けたとしても削ぎ取るための道具がなかった。
 滅ぼすことができないなら、どうするのか。その小さな国の人々は考えた。考えた末に巨大な壁を作って巨人を締め出すことにした。巨大な壁を作って町を囲み、畑や牧場を囲み、水源や森や山も囲んだ。壁を建設するにあたっては巨人の身長をよく調べて十分なだけの高さにした。巨人の姿を見ることはなくなり、国の大きさやひとの大きさを巨人と比較されることはなくなった。だがやつらは、とその小さな国の人々は罵った。今度は壁と比べている。壁と比べて我々や我々の国土を小さいと言っている。壁は我々が作ったもので、その壁はすべての巨人を我々の目から覆い隠すほど大きいというのに、我々と我々の国土を壁と比べて、とても小さいと言っている。
 その小さな国の人々が新たな問題に直面して新たな国際キャンペーンを企画していると、どこからか前よりも大きな巨人が現われて巨大な壁を見下ろした。一人でもなければ二人でもなかった。たくさんの大きな巨人が現われて、並んで壁を見下ろした。その小さな国の人々は自分たちがさらに小さく見られることを恐れて壁を高くした。するとまたどこからか、さらに大きな巨人が現われて高くした壁を見下ろした。その小さな国の人々はあわててまた壁を高くした。するとさらに大きな巨人が現われて高くした壁を見下ろした。その小さな国の人々は一丸となって働いて壁をさらに高くした。すると雲を突くような巨人が現われて平然と壁をまたぎ越した。巨人が地面に足を置くと地響きが起こって壁が崩れた。町も畑もがれきに埋まり、さもなければ巨人の足につぶされた。生き残った者は一人もないと言われている。

Copyright c2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年7月22日火曜日

異国伝/死後の評判

(し)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。ところが世の中には地図の裏や案内書の行間を読む技術に長けたひとがいて、そうしたひとは誰にも知られていない国の場所を目敏く見つけて、いつの間にかその地を訪れている。
 それは不明の場所にある無名の国であったが、外界においてもそうであるのと同様に、その国の人々にとってもまた不明の場所にある無名の国なのであった。他国との交流を持つことがなかったので地理上の位置関係を気にかける必要がなかったし、同じ理由から国に名前を与えたり、国の名前や国土に精神的な意味を与えて国威を発揚する必要も感じなかった。そうした余計な気苦労から解放されていたので、その国の人々は余った力を個人の評判に振り向けることができた。実際のところ、自分の評判が気になってならなかったし、他人がいかなる評判を得るかも心を悩ます問題となった。自分の評判は上げなければならなかったし、他人の評判は下げなければならなかった。そうしなければならなかったのは相対主義が蔓延していたからであり、だから評判の総量は決められていて、それをいかに配分するかが最大の懸案なのであった。
 もっとも多くの評判を勝ち得た者は、評判持ちと呼ばれた。そして多くの評判持ちは評判を得た人間の常として評判の不滅を望み、自らの評判を死後の世界に持ち去ろうと考えた。そのために巨大な墓所を造り、そこに保有する評判の量を記したのである。一方、残された者は手段を選ばずに死者から評判を奪おうとした。評判の総量は定められていたからであり、一部があの世に持ち去られれば、必然的にこの世の評判は減ることになったからである。
 葬儀そのものはしめやかにおこなわれたが、後にはいつも見苦しい光景が展開した。葬儀に参列した遺族や故人の友人知人、さらにはたまたま近くを通りかかった者までが口々に故人を罵り、その評判を貶めたからである。いかに墓所が巨大であっても、そこに記された評判の量が膨大であっても、現世における現状が優先されるとの原則があった。この原則によって死者の評判は速やかに落とされ、地上に残された者たちは評判を上げた。これが千年も続いてきた習慣であった。変わることは決してないと信じられていたが、ある時、恐るべき事件が起こってその国の人々を震撼させた。
 とある評判持ちが死に、例によって葬儀の後には評判落としの儀式がおこなわれた。これによって故人の評判は地に墮ちたものと、誰もが信じた。ところがいくらもしないで、故人の評判がまったく変わっていないことに気がついたのである。遺族や友人知人、そしてたまたま通りかかった者たちは事実を知って慌てふためいた。それでは残された者の評判はどうなるのか。地上の評判はあの世に持ち去られてしまったのか。慌てているうちに新たな事実も判明した。なぜだかわからないものの、故人の評判が生前よりも上がっているようなのであった。それと同時に遺族や友人知人、たまたま通りかかった者たちの評判は、どうやら下がっているようなのであった。だが全員が同じように下がっていたのではなく、ひどく下がった者もいれば少し下がった者もいたし、中にはまったく下がっていない者もいた。残された者の間に疑心がはびこり、競って互いを罵ったので、まったく下がっていなかった者も次第に評判を落としていった。
 さて、遺族の中には一人の賢明な青年がいて、墓所を見張っていれば何かしらの真相を掴めるのではないかと考えた。そして考えたとおりに見張っていると、案の定、現われたのである。夜半を過ぎた頃、墓所から亡霊が姿を現わした。左右の様子をしきりとうかがいながら顔を出し、物音を聞くと物陰に隠れ、ひとの目を忍んで評判をかばい、物陰から物陰へと伝って町の中へ入っていった。青年もまた左右の様子をうかがいながら後を追った。亡霊は一軒の家にもぐり込み、そこは故人の知人の家であったが、間もなくまた姿を現わすと別の家へ近づいていった。そこは青年の家であった。亡霊がそこへももぐり込んでいくので、青年は後を追って家に入った。中では家族がそろって床に就いている。亡霊は青年の父親の上に身を屈めていた。首筋に口を近づけ、尖った牙を剥き出しにしていた。これを見て青年は理解した。なんと亡霊は、方法こそは定かではないが、遺族や友人知人、そしてたまたま通りかかった者たちから評判を吸い取っていたのであった。青年は大声を出して家族を起こし、全員で取り囲んで亡霊を罵った。亡霊は罵倒に負けて評判を落とし、残された者は朝を待ってから墓所の入口を封印した。出入口以外の場所から出入りすれば、評判を落とすのは必定とされていたからである。
 亡霊が落とした評判は青年が拾い、その後も賢明さによって多大の評判を獲得すると、死に先立って大きな墓所を建立した。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年7月21日月曜日

異国伝/再生の儀式

(さ)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。そこへ旅して帰ってきた者は、陰鬱な国という感想を日記に記している。再び訪れようとして辿り着けなかった者もいたようだ。日記に大きな疑問符が残されている。
 信頼に値する資料によれば、その国は時々、地上から消滅していたようである。よくあるように住民ごと消えてしまうのではなく、住民だけを残して建物や田畑が消えてしまう。消滅は唐突に起こるのではなく、数日前から前兆がある。引きずり込もうとする大きな力が、地中深くからかかるのを感じるという。前兆が現われると動物は落ち着きをなくし、ひとは不安を顔に浮かべて荷造りを始める。その様子はいかにも慣れているという雰囲気で、決して恐慌状態に陥ったりはしない。高齢者ほど落ち着いている。
 一日か二日のうちに力はより強く感じられるようになり、自分ではまっすぐ立っているつもりでも、実は前にのめっているという不思議な経験をすることになる。その時には国中が不穏な気配で満たされている。大気はひどく虚ろになり、話し声や荷造りの音が遠くまで届く。そして空は昼でも夜のように暗くなる。暗い赤みを帯びた雲が激しく渦巻くのを見ることもあるという。
 建物が傾いてくる頃には、荷造りがすっかり終わっている。女たちが荷造りを進めている間に、男たちは役所に出かけて番号札をもらってくる。その番号にしたがって、整然と脱出するのである。そのうちに路上に役人が姿を現わし、大声で番号を告げ始める。すると家財道具を満載した荷車が馬や牛に牽かれて、時には人間に牽かれて動き始める。興奮して叫びを上げるこどもがいれば、唇を噛み締めて家を振り返る女がいる。老人は荷車の荷物の上にいて、皺に埋もれた両の目でどことも知れない彼方を見つめている。荷車の後には家畜の群れがどこまでも続いた。無数の足や車輪が砂塵を起こし、町は砂埃に覆われていく。その淡い灰色の帳の下で、いくつもの建物がてんでに傾いて沈んでいく。町が溶けていくように見えるという。最後まで残ることはできない。陽が暮れるまでに町を離れ、翌朝、戻ってくるとそこは荒野に変わっている。
 それから一年の間、その国の人々は放浪して日を送る。国を離れて天幕に集い、共同の場所で食べては眠った。いられるだけの間はそこで暮らし、立ち退きを迫られるとただちに荷をまとめて旅立った。時には相当な遠方まで旅をした。古老の中には海を見た者があり、外国の習慣に詳しい者がいた。中には集団から離れて山にこもる者、あるいは物乞いとなって諸国をめぐる者もあったという。 外国の親戚に身を寄せる者もあったようだ。その一年の間に死ぬ者がいれば、生まれる者もいた。旅の間に死んだ者は、家族か、家族がいなければ国を同じくする者が遺体を保管した。よく燻して水気を抜いて、必ず祖国へ持ち帰った。
 一年が経とうとする頃、その国の人々は祖国を目指して戻り始める。戻ってきても、そこにはただ荒涼とした土地が広がっている。その土地に巨大な天幕を張り、天幕の下にひとを集めて戻った者の数を確かめ、死んだ者と生まれた者の名を確かめる。それから全員で家畜の数を調べ、 家畜の中から牛を選って一か所にまとめる。まとめた中からもっとも美しい雄牛を選び、その持ち主に金を払った。一年の間に髪を上げた少女たちが牛の首に鈴をつけ、牛の角を花で飾る。その間に子のある男たちが大地に大きな竪穴を掘り、若者組の男たちが穴の底へと下る板を渡した。そして女たちがその板を渡って、穴の中央に五色に塗った棒を立てる。
 国中のひとが穴を囲んで歌を歌った。まず旅の間に死んだ者が、穴の底に横たえられた。寿命が尽きて死んだ者がいれば、不運によって死んだ者もいた。並べられた遺体の上には穀物の種が幾重にも播かれた。続いて少女たちが牛を牽いて穴へ入り、五色の棒に引き綱をかける。少女たちが牛を残して穴から出ると、ただちに渡り板がはずされた。こどもたちが前へ進み、牛に花を投げかける。歌声が高まる中で、男も女も声を震わせながら身を屈め、それぞれの右手で土くれを掴み、穴の中へ投げ込んでいく。脅えた牛が首を振った。牛の腹は早くも土をこすり、やがて土の高さは肩に達する。歌声が続く中、死者と牛は大地にゆっくりと埋もれていく。穿たれた穴が消えた時、人々は足元から天空に向かって、何かが駆け抜けていくのを等しく感じる。大地は鳴動を始め、あちらこちらで地面が割れて土がこぼれる。人々は手をつなぎ、身を寄せあって一切を見る。地下から家々が現われ、木々が顔を出す。家は埃を落として立ち上がり、樹木は土を飛ばして背を伸ばした。畑が戻り、池が戻り、すべてを結ぶ道が戻った。
 見ていた者は歓声を上げ、荷を取ってそれぞれの家へと駆け戻る。大地の汚れを洗い落とし、そこで再び生活を始める。消滅の日が次にいつやってくるのかは、誰も知らない。だが消滅の後には必ず再生の日が訪れると、その国の人々は信じていた。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年7月20日日曜日

ナポレオンの王冠

ナポレオンの王冠
1812. Ulanskaya ballada
2012年 ロシア 92分
監督:オレグ・フェセンコン

無謀な青年アレクセイ・タルソフはボロジノに近いナポレオンの本陣に潜入して、そこで裏切り者ド・ヴィットがナポレオン(目貼りを入れている)にロシア軍の配置図を売り渡しているところを目撃するとフランス兵多数を殺害して脱出、たまたまその場にいあわせたヴァレフスカヤ夫人のいとこベアータと恋に落ちてからロシア軍の本陣を逃げ込んで裏切り者の存在をクトゥーゾフ(目貼りを入れている)に報告、タルソフの父を知るクトゥーゾフはタルソフを騎兵に推薦し、たちまち始まったボロジノの会戦でタルソフは三人の仲間とともにフランス軍陣地に突撃をしかけてフランス兵多数を殺害、ナポレオンはモスクワに入城してロマノフ家の宝冠を盗むと護衛をつけてヴァレフスカヤ夫人のもとへ送り出し、それを座視できないと判断したアレクサンドルはタルソフと三人の仲間に密命を与え、ポーランド騎兵の制服に身を包んだタルソフたちはポーランドへ潜入、居酒屋でフランス兵多数を殺害したあと宝冠の護送隊に襲いかかり、罠にはまって単身脱出したタルソフはベアータに救われ、そこにベアータの求婚者でポーランド軍将校のレドコーヴスキが現われ、レドコーヴスキが求婚しているところへド・ヴィットが手勢を率いて現われてレドコーヴスキを殺害、タルソフを捕えるとベアータに求婚し、タルソフの自由と引き換えに結婚を承諾したベアータを連れて城にたてこもったところ、大陸軍はいきなり壊滅してナポレオンはロシアから脱出することになり、それはそれとして間一髪なところを仲間に救われたタルソフはド・ヴィットの城に急いで結婚式の現場に踏み込み、ベアータを人質に取ったド・ヴィットはナポレオンの脱出用飛行船(たぶん水素が詰めてあって、推進装置を備えている)に追いつめられてタルソフと空中で決闘する。
殺陣はそこそこに作り込まれていて、スタントやサーベルの扱いなどはそれなりの見物になっている。ストーリーは王道の戦争冒険物をなぞってはいるものの、二日酔いの頭ででっち上げたような脚本、冴えない撮影、つながらない編集、平らな照明、無用のハイスピードショット、気を抜くために入れているとしか思えない音楽、適当な演出、もしかしたらがんばったのかもしれないけれど残念ながら適当にしか見えないボロジノの会戦、という具合に映画本体はさまざまな難点を抱えている。


Tetsuya Sato

2014年7月19日土曜日

マンボーグ

マンボーグ
Manborg
2011年 カナダ 64分 ビデオ
監督:スティーヴン・コスタンスキ

ドラキュロン伯爵が率いる地獄の軍団との戦争が始まって人類は敗北、ドラキュロン伯爵に殺された兵士はスコーピアス博士の手でマンボーグとして数年後によみがえり、外へ出ると自分の姿が変わっている、町の様子も変わっている、ということでうろたえていると地獄の軍団につかまってアリーナへ送られ、そこでほかの人間の捕虜とともに地獄のバイカーと戦うことになり、そうするとほかの人間というのが異常に強くて相手を素手で殺すわ、ナイフで殺すわ、どこからかピストルを取り出して撃ち殺すわ、ということを始め、マンボーグも腕から機銃を出して敵を殺し、そうして生き延びると監房へ戻され、ドラキュロン伯爵の子分をしている男爵は捕虜の娘に恋心を抱き、地獄の軍団の手先となったスコーピアス博士はマンボーグに使命を与え、マンボーグの手引きで脱走に成功した捕虜一行は隠れ家に身をひそめたあと、マンボーグとともに地獄の軍団に殴り込む。 
噂によると製作費が8万円、ビデオ撮りで音声もアフレコ(たぶん)。視覚的にはかなり薄いが、その薄いところを逆手にとって、ほとんど書き割りのような世界を作り、アクションシーンではアニメーションで人間をはめこみ、モデルアニメーションやクレイアニメーションも投入し、最後にCGで加工している。
仕上がりはおおむね野暮ったいものの、ところどころに気の利いた台詞が見え、全体としてやる気が感じられるのが救いになっている。ビデオは「日本劇場公開特別版」仕様で、本編のほかに3つのフェイク予告編(ギャングに焼き殺された男が地獄の放火魔になって戻ってくる"Fireman"、アインシュタインの凶悪な幽霊が究極のレーザー兵器を狙う"Laser Cove 2"、化学工場の事故で溶解人間と化した警官が自分の運命を呪って自殺願望にとりつかれながら悪と戦う"Bio-Cop")とファンタジーホラー系の人形アニメーション1本が収録されている。本編も含めて眺めると"Bio-Cop"がたぶんいちばん面白い。


Tetsuya Sato

2014年7月18日金曜日

異国伝/湖畔の騎士

(こ)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。場所すらもはっきりとしないそんな辺鄙な国を、わざわざ訪れようとする者はいなかった。いたとしても暇を持て余した物好きか、よほどの事情を抱えた者かのどちらかであった。
 ある時、ひとりの商人がちょっとした規模の取引をまとめた。実際、それはちょっとした取引であったが、決して商売上手であったとは言い難いその商人にとっては一世一代の大取引であった。客は高位の人物の名が記された紹介状を携えて現われ、高価な商品を数多く買い求めたいと申し出た。商人は紹介状を見てその客を信用し、また自らの信用を最大限に使って客が求める品を掛けで仕入れた。そして約束の日に現われた客に商品を渡し、その代価として高額の手形を受け取った。少しでも慎重だったなら品物を渡す前に手形の内容をあらためた筈だが、取引の大きさに興奮して肝心の手順を怠った。いや、もう少し慎重だったなら、紹介状を見た段階で相手のことを疑っていなければならなかった。なぜならばこの商人は、紹介状をしたためたとされる高位の人物といかなる面識もいかなる関係も持たなかったからである。ところが商人は疑う代わりに、有名な名前の入った手紙をもらって有頂天になったのであった。そして本当に慎重だったなら、客を見た瞬間にお帰りを願わなければならなかった。その客は優雅な衣装に身を包んで外国訛りの言葉を喋り、顔を仮面で隠していたからである。
 取引の後で、商人は客と一緒に祝杯を上げた。相手がねぎらいの言葉を残して立ち去ってから、自分のためにもう一度乾杯した。心安らかに床に就いて晴れ晴れとした気持ちで朝を迎え、たっぷりとした朝食を摂ってから手形を握って銀行へ出かけた。言うまでもなく手形を現金化するためであったが、銀行の頭取は商人の手形に一瞥を与え、それは扱えないと冷たく告げた。商人は激しく狼狽した。では偽物かと尋ねると、本物だという返答がある。本物の手形ではあったが、それは地図にも載っていない小さな国の中でしか価値を与えられていなかった。だから、その国へ行って現金か別の手形にすればよいのです、と頭取は言った。
 そこで商人は尋ねた。その国はどこにあるのですか? 

 存じません、と頭取が答えた。
 商人はうなだれて家へ戻り、頭を抱えてうずくまった。
 仕入れた品物の弁済の期日が近づいていた。信用は使い切っていたので、借金を申し込むのも難しかった。目を閉じて耳に手を当てると、どこからともなく破滅の足音が聞こえてきた。誰かが激しく戸を叩いた。商人が飛び上がった。店に出て戸を開けると、そこには外国訛りの言葉を話す男が一人、優雅な衣装に身を包んで立っていた。仮面が違うので先だっての客とは別人であったが、それでも商人はぴんときて、これはグルだと思ったという。
 男は手形を額面の十分の一で買い取ろうと申し出た。債務にはとても足りなかった。商人は腕を振り上げ、出ていけと怒鳴った。ならば七分の一ではどうかと尋ねてくる。問題外であったので、商人は怒鳴った。では、五分の一ならばどうだろうか。商人は頭を素早く回転させた。債務の履行にはまだ足りなかったが、それだけあればやり過ごせる。しかし商売は大きな痛手をこうむることになるだろう。そこで商人は再び腕を上げて出ていけと怒鳴る。それならば、と男は言った。価格の三分の一ならばどうだろうか。商人は考える。三分の一なら上等だとは言えないか。損害は免れないものの債務はとにかく弁済できる。債務者監獄よりは全然ましだ。手を打とう、と商人は言った。
 商談が成立したところで、男は懐に手を差し入れた。財布を出すのだろうと考えて、商人はいったん奥へ入った。手形を手にして戻ってくると、男は懐から手を引き抜いた。その手には短剣が握られていた。男は商人に襲いかかり、ひどく狼狽した商人は自分で自分の足を踏んだ。商人は悲鳴を上げて床に倒れ、男は手形を奪おうと商人の身体に馬乗りになった。男の手が手形を掴み、まさに奪い取ろうとしたその瞬間、どこかで鈍い音がした。仮面の男は短く呻いて前に倒れ、商人は男の下敷きとなった。もがいていると、仮面の男を昏倒させた人物が近づいてきた。銀の杖を高く掲げて優雅な衣装に身を包み、仮面で顔を隠している。仮面の形からすると、これは先だっての客であった。商人が男を押しのけて立ち上がると、客は外国訛りの言葉でこのように言った。
「済まないことをした。この者はわたしの心の影なのだ」

 それから倒れている男を軽々と持ち上げて肩に担いだ。そのまま店を出ていこうとするので、商人は慌てて呼び止めた。お客様、まことに申し上げにくいのですが、いただいた手形に問題がございました。
「ならばこの地を訪ねよ」

 客はそう言って一枚の紙を宙に捨てた。ひらひらと舞い降りてきたその紙には、地図にない国への道筋を示した地図が記されていた。
 仕入れた品物の弁済の期日が近づいていた。商人は地図を畳んで懐に入れ、大急ぎで旅の支度を整えた。馬を借り、見知らぬ国を目指してその日のうちに町を出た。
 いくつかの山を越え、いくつかの森を越え、野宿を繰り返して地の果てに進んだ。とある森を抜けると、その先には湖が広がっていた。道は湖畔に沿って延びていた。商人は道なりに馬を進めた。いくらか進むと、背後から声をかける者がある。馬を止めて振り返ると、木陰から一人の男が顔を出していた。優雅とは言えないが卑しい風体でもなく、表情にもわずかな動作にも余裕が見える。見ているうちに、男が慌ただしく手招いた。同時に指を唇にあてて、商人に静粛を促した。怪しい気配を感じたが、商人は好奇心に打ち負かされて男の方へ近づいていった。馬から下りて手綱を木の枝にかけ、静かに男の傍らに立った。男はもう一度指を唇にあてて、それから前方の湖畔を指差すと声をひそめてこのように言った。
「あそこに騎士がいる」

 いかにもそこには騎士がいた。黒い甲冑をまとって馬にまたがり、手に長大な槍を握って穂先を天に向けている。
「何をしてるんですか?」と商人が尋ねた。
「道を塞いでいるんだよ」

「塞いで、それでどうしようと?」
「試合を挑むために決まっている」
「しかし、わたしは騎士ではない」
「それで済むと思うんだったら、あいつの前でそう言ってみな。十日ほど前にも同じことを言った奴がいたけどな、槍で串刺しにされちまったぜ。ほら、あそこで死体になって虫に食われてる」
「しかし、それでは前に進めない」
「俺がどうしてここにいると思ってるんだ?」
「では、いなくなるのを待ってるんですか?」
「どうしてみようもないだろう。それに急ぐ旅でもない」
「しかし、わたしは急いでいるのです」
「大丈夫。感じからすると、今日あたりが限度だ。この一週間ほど、晴天が続いているからな。見た目にはまるでわからないが、これだけ陽射しが強ければ、黒騎士は相当にへばっている筈だ」
「失礼ですが、いつからここにいらっしゃるので?」
「覚えてないな。お茶でも飲むかい?」
 そこでしばらくお茶を飲んで時間を潰した。午前が終わり、昼が過ぎ、午後に入って陽が傾いても騎士の様子に変化はなかった。商人は心を決めて立ち上がった。
「行くことにします。これ以上遅れるわけにはいきませんから」

「そうかい。だったら気をつけてな」
 手綱を握ると、馬を静かに進ませていった。木陰を離れて道にしたがい、次第に湖畔に近づいていった。黒騎士の姿も近づいてくる。こちらを見ているような気がしてならなかった。今にも試合を挑んでくるような気配があった。それでも商人は惰性にまかせて馬を進めた。恐怖にうつむいて、再び顔を上げると騎士の姿が目の前にあった。商人はそこで馬を下り、後にしてきた木陰に向かって手を振った。男が走り寄るのを待ってから、騎士を指差してこのように言った。
「見てください。もう死んでます」

「なるほどね。変だとは思ったよ」
「時間を無駄にしましたね」
「そんなことはない。暇だからね。いや驚いた、馬も立ったまま死んでいる」
 それから商人はその見知らぬ男とともに地図にない国を訪れ、無事に手形を現金に換えた。見知らぬ男は裕福な暇人で、商人は男と友誼を交わし、国に戻ってからはほどほどに栄えて生涯を終えた。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年7月17日木曜日

異国伝/賢者の方法

(け)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。ないにも等しい国ではあったが、当時としては珍しく国としての体裁を整えていた。たったひとつの町には国を代表する機関が置かれ、機関の下には選挙で選ばれた議会があり、若干の法律すらも定めていた。山ほどもあった小国の中では、政治組織の整備の点で先進的な地位を占めていたことになる。とはいえ、何も問題がなかったわけではない。
 たとえば代表機関の委員は、代表機関の委員の中から選ばれていた。世代交代が進まないので機関は不正の温床となった。議会の議員は選挙民から選ばれていたが、議員を選ぶ選挙民は議会によって選ばれていた。任命には常に意図が介在し、意図には金銭の授受がともなったので議会も不正の温床となった。
 代表機関の委員と議会の議員には生活の保証が与えられていた。保証の程度は庶民感覚に照らして過分であり、保証の範囲は該当者の家族にも及んだことから、庶民感覚の中でも特筆すべきあの感覚、つまり不公平感を助長した。
 おそらく最大の問題は、豊かになるための安易な道筋を示したことにあるのだろう。政治家を目指すのが流行となり、畑を耕すのは時代遅れだと考える者が増えていった。数を頼みとする者たちは選挙権の拡大を叫び、持たぬ者を煽って既得権の守護者たちを脅かした。小さかった筈のほころびは目にも明らかな裂け目となった。裂け目がなおも広がろうとするのを見た者は、民主主義に疑問を抱いた。
 改革を求める小さな声が、やがて大きな声となる。いかに大きくてもそれは単なる声であったが、多数を得るための手段となって重要政治課題に登場し、議会におけるすくみ合いの結果として国の方針に昇格した。誰にも反対できなかったのである。改革のための模索が始まり、そこへ遠方からの噂が届けられた。似たような問題を抱えた国が、解決を賢者に委ねて改革を成功させたという。
 早速その賢者に宛てて速足の使者が送り出された。賢者は改革の全権を要求し、その国は条件を受け入れた。再び速足の使者が走り、賢者は招聘を応諾し、使者の前で旅の支度に取りかかった。使者は報せを国に運び、主立った者は国の入口まで足を運び、そこで賢者を出迎えた。賢者は年老いてはいたが、身体は力に満たされ目は光に輝いていた。
 改革を急ごうとする者は、町までの道すがらに実情を説明しようと試みた。ところが口を開いた瞬間に賢者は手を振って黙らせた。改革を欺こうとする者は、その様子に失敗の前兆を見て喜んだ。
 道の半ばを進んだところで、賢者は不意に足を止めた。見れば前に二人の男の姿がある。一人は健康そうな若者で、もう一人は痴呆の症状を訴える老人であった。賢者は若者に向かってこう尋ねた。
「あなたは何をする者か?」

 すると若者はこのように答えた。
「わたしは議員の息子をする者です」 

「あなたが議員の息子なら、父親の議員はどこにいるのか?」 
 若者は傍らの老人を指差した。賢者は老人の手を取って手近の崖に導き、背中を押して谷底へ落とした。それから息子に顔を向けて、このように言った。
「あなたは議員の息子ではない。働きなさい」 

 改革を急ごうとする者は賢者の方法を見て驚嘆した。単純で、効果があった。
 改革を欺こうとする者は賢者の方法を見て震撼した。単純で、危険があった。
 町へ着くまでに賢者はさらに三人の者を谷底へ送り、五人の者に労働を命じた。町に着くと国中の者を呼び集め、まず一か所にまとめてしまうと今度は年齢と性別に応じて分けていった。老女ばかりの集団もあり、乳飲み子ばかりの集団もあった。賢者は集団の一つひとつを順に広場へ呼び入れた。同じところをぐるぐると走らせ、早めに倒れた者は谷へ送り、走り通した者には剣を与えた。剣を与えられた者は半ばで倒れた者の監督となり、畑に立って鞭を振るった。強壮な者が生き残り、柔弱な者は滅んでいった。子は国の資産となって母親の手から取り上げられ、残忍な乳母の手によって淘汰の流れに放り込まれた。家族で住む家は取り壊され、皿を共有する者たちが一つの家に住むようになった。
 賢者の方法にしたがって、改革は速やかに進行した。代表機関は不正の温床ではなくなり、議会もまた不正の温床ではなくなった。代表機関の委員は残らず谷底で朽ち果てたし、議員は全員が畑で鞭を振るわれていた。もう十分に改革されたという気持ちが、どこかで芽生えた。自由を求める小さな声がどこかで上がった。やがてそれは大きな声になっていった。賢者は大きな声に耳を傾け、それから静かな声でこのように言った。
「まだ、自由を得るには至らない」

 すると大きな声がこう尋ねた。
「では、どうすればよいのですか?」

 質問に答える代わりに、賢者は一つの標語を与えた。労働は人間を自由にする。この標語はすべての建物の入口に飾られ、出入りする者は必ず目に留め、足を止めた。
 自由を求める声の後には、個性を求める声が聞こえた。その声も初めは小さかったが、次第に大きな声になっていった。
「働くことは厭いません」

「それでは足りない。働くことを愛さなくては」 
「では、働くことを愛します。でも、全員が同じように愛することはできません。わたしたちには、個性というものがあるのですから。いえ、それだけはありません。個性によって向きも不向きもあるのです」 
「言いたいことがあるならば、まず自由に向かって進むことだ」 
「自由になれば、個性を認めるということですか?」 
「自由になれば、個性など不要になるということだ」 
「そのような自由は知りません」 
「そのような自由でなければ、いったいどのような自由があると言う。あなたがたが求めているのは紛い物の自由でしかない。その本来の姿は悪徳であり、別の名前は放埒という。もう忘れてしまったのか。あなたがたは放埒に身を任せて国を乱し、わたしに助けを求めてやってきたのだ」 
「それは、そのとおりです。でも、もう十分に反省しました」 
「求めているのはあなたがたの反省ではない」 
「では、いったい何を求めているのですか?」 
「わたしは最善の国を求めている」
 さて、その国の人々はここに至って賢者の意図をようやく悟った。賢者の改革はどこかで終わるという種類のものではなく、最後まで進むという種類のものであった。賢者が描いた最善の国では、ひとは単独では存在しない。国をかたどる集団となって、常に一つのことを考え、たった一つの自由を共有し、一つの皿から食べるのである。だから悪徳もなければ犯罪もない。貧富もなければ美醜もない。個性は無用の長物で、それどころか顔を見分ける必要だってなさそうだ。生きている必要すら疑わしい。
 すでに改革で疲れていた人々は未来の姿に絶望し、遂に叛旗を翻した。賢者を捕えて国から追い出し、委員と議員を復活させた。反省を踏まえて自由と個性の調和に心を尽し、放埒を避けて礼節を守り、再び国が乱れることのないように第三者機関を設けて政治組織の監視を徹底した。幸いなことに、貪欲によって知られた者は谷や畑で滅んでいた。生き延びていたのはよく労働に耐える質朴な人々のみであった。ひとは互いに譲りあい、争いは驚くほど少なくなった。解決の方は賢者に委ね、改革の方は自力で成功させたのである。以来、その国は小さいながらもよく栄えた。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年7月16日水曜日

異国伝/掘削の技術

(く)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。だから国境を接するいくつかの国が、地図上の不在を理由に領有権を主張したことがあるという。国境線を確定するための交渉が繰り返されたが、その国の代表が交渉の席に招かれることは遂になかった。地図にないような国に主権があるとは、誰も考えなかったからである。
 交渉は決裂し、最後まで主張を譲ろうとしなかった二つの国が軍を進めた。両軍の目的は、先にその国を占領して領有の既成事実を得ることにあった。どちらの軍勢も荒涼とした山岳地帯に侵入し、地図にない場所を捜し求めて彷徨を続けた。競争相手と遭遇すれば進路を塞いで攻撃を加え、そうしているうちに退路を塞がれて損害を受けた。勝敗は五分と五分で決着はなく、本国には戦闘報告ばかりが送られていく。時間の経過とともに損害が積み上げられ、出費は予定の数倍に達した。だが問題の国はいっこうに見つからない。頼みの既成事実を得られないまま、支出と死者ばかりが増えていった。
 泥沼を見るに見かねた第三国が仲裁に乗り出し、説得を受けて両国は和解の場に同席し、地図上の不在の場所はまさにその理由によって不在であるという共同宣言を採択して双方の軍隊を引き上げた。一方では原因の究明を求める声が上がった。そこへ三人の賢者が東方から訪れ、事情を尋ねると一人が頷いてこう指摘した。
「問題の国を交渉の場に招いていれば、悲劇を起こらなかったであろう」

 そうしておけば帰国するときに跡をつけることができたという意味であったが、多くの者は言葉を文字どおりに聞いて国際関係における主権の平等を痛感した。だが二人目の賢者は炯眼によって第一の賢者の意図を見抜き、鋭い口調でこのように言った。
「見つからない相手にいかにして招待状を送るのか?」

 この発言は別の論議を呼び、その論議から名高い論理学の命題が生まれることになる。一人目と二人目の賢者はそれぞれの分野で歴史に名を残し、三人目の賢者は凡庸な発言を残して歴史に埋もれた。
「なぜ見つけることができないのか?」

 それは、隠れていたからである。
 山岳地帯に位置していたその国では、伝統で培った掘削の技術を活用して山をくりぬき、そこに国土を隠していた。天然の洞窟を大きく掘り広げて広大な生活空間を獲得し、町を作り、学校を作り、頭上にのしかかる巨大な岩盤に小穴を開けて山の頂上から光を導き、その光の下で畑を耕し、牧場を営んで牛を飼っていた。
 最初はただ平地の不足を補うためであったが、ある時たまたまその国を訪れた旅行者の一言がその国の人々を意固地にさせ、平地にあった一切を放棄させてことごとくを洞窟の奥へしまい込むように仕向けたという。それがいかなる一言であったかは伝わっていないが、察するに心ない一言だったのであろう。以来、その国の人々は洞窟の入り口を塞いで外国との交渉を絶つようになった。
 外国との交渉を絶ったことで、その小さな国は長い期間を生き延びた。外からはまったく見ることができなかったが、中ではよく繁栄し、住民は健康で文化的な生活を送っていた。とはいえ、何も問題がなかったわけではない。
 まず人口の問題があった。豊かさを実感するようになった段階で人口の増加が始まり、そうして生まれてきた世代が新たな世代を生み出して増加の速度に拍車をかけた。何度も人口抑制策が導入されたが、いずれも期待したほどの効果を上げていない。なにしろ洞窟の中での生活なので、いかに文化的とは言っても娯楽は乏しかったのであろう。人口の増加はやがて雇用に影響を与え、失業者の増大をもたらした。家を得られない家族が出現し、洞窟の通路に住むようになった。
 次に領土の問題があった。領土の拡張はもっぱら掘削に頼っていたが、ある段階を越えたあたりから、頭上にのしかかる巨大な岩盤の重みを気にする者が増えていった。長年にわたって掘り広げてきたにもかかわらず頭上に巨大な岩盤が残っていたということは、掘削が歴史的に低きに向かっておこなわれていたことを意味している。岩盤の巨大な重量を支えるには洞窟の壁は脆弱に過ぎるという試算が提出されると、対策として岩盤自体に大穴を穿って重量を軽減し、かつ大規模な開発用地を取得するという一石二鳥の計画が作られた。計画が実施されると山が不気味な鳴動を始め、その国の人々にかつてない種類の恐慌をもたらした。そしてただちにおこなわれた調査によって、掘削が山に危険きわまりない共振現象をもたらしていたことが明らかになった。そこで掘削そのものが全般的に、かつ期限を定めずに禁止されたが、領土の拡張はもっぱら掘削に頼っていたのである。やがて土地が不足し、家を得られない家族が出現し、洞窟の通路に住むようになった。
 気がついた時には家も職も持たない人々がそこら中の洞窟に溢れ、治安が著しく悪化していた。対立が始まり、双方に扇動家が出現し、流言飛語が飛び交った。暴動への警戒が強化され、雇用対策が検討された。公共事業の告示があり、入札がおこなわれ、そして不正が暴かれた。対策は後手に回っていた。そうしている間に腕に覚えのある者たちが、勝手に穴を広げ始めた。それを見た周りの者たちも、一斉に穴を掘り始めた。掘削は完全な国営事業とされていたが、もはや誰にも流れを止めることはできなかった。
 どの段階で何が起こったのかは知られていない。とにかく最後に山が潰れた。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年7月15日火曜日

異国伝/禁断の惑星

(き)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。それでも道は通じていたので旅人の往来があり、旅人はその国での見聞を自分の国へ持ち帰った。そうして伝えられた知識によれば、その国を治めた代々の王には、いつも何かしらの問題があった。暗愚、妄動、猜疑、愛欲などである。代々の王はそれぞれの問題によって心を悩ませ、ただし問題そのものには決して自覚を持つことがなかったとも伝えられている。
 さて、その国の王が猜疑によって心を悩ませていた時代のこと、王妃の腹から王子が産まれた。そこで王はまず王子の種について疑いを抱き、次に王子の未来について疑いを抱いた。どのような疑いであったかは知る由もないが、どちらかと言えば疑いを深める意図で予言者が招かれ、招かれた予言者は香を焚いたり骨を投げたりした上で、一つの確約と一つの予言を王に与えた。すなわち第一の疑いには間違いないという確約が渡され、第二の疑いには王は王子の手で王位を追われるという恐るべき予言をおこなった。
 王はまず確約に対して疑いを抱き、それはいかなる意味かと預言者に尋ねた。王は予言者の口から、後世の解釈を待たれよという返答を得た。次に王は予言に対して確信を抱き、自らの手を汚さずに王子を亡き者とする最良の方法を求めて思案を重ねた。猜疑に心を悩ませる者は、猜疑によって時を費やす。思案をしている間にも王子は着実に成長を続け、ようやく王が結論に達した時にはすでに立派な若者となっていた。そして王は王子を傍らに呼び、危険な使命を与えたのである。
 それは禁断の惑星を訪れて、失われた古代文明の遺物を持ち帰るという使命であった。王子はまず名高い船大工を呼んで船を造らせ、次に競技会を開いて屈強の者たちを乗り組みに選んだ。間もなく最高の船が完成すると、王子は配下とともに乗り込んで禁断の惑星へと旅立っていった。
 禁断の惑星では、王子とその一行を一人の娘がにこやかに迎えた。無人の地と聞かされていた王子は美しい娘の姿に驚きかつ喜び、娘の話を聞いてまた驚いた。娘には博士の父親がいて、博士はその地で失われた古代文明の研究に取り組んでいた。遺物についても詳しいという。住んでいるのは二人だけかと尋ねると、娘は即座に頷いた。従僕を数に数える習慣はまだなかったからである。
 王子とその一行は娘の案内で博士を訪ねた。博士は愛想よく一行を迎え、それから失われた古代文明の偉大を称えた。続いて現代文明の貧困をけなしながら、古代文明の遺物をいくつか披露した。高度に発達した文明の奇跡の数々に、驚嘆しない者は一人もない。博士は一行に食事をふるまい、食事の後で王子とその一行は船に戻った。戻る道を娘が送り、王子は娘に感情を抱いた。
 やがて夜の帳が船を覆い、王子とその一行は不寝番を残してそれぞれの寝床に横たわった。夜半が過ぎた頃に不寝番が絶叫を放ち、皆は一斉に飛び起きて得物を掴んで走り始めた。松明を灯して不寝番の姿を探し求め、いくらもしないで無残な姿を探し当てた。ねじれた遺骸の周りには、いくつものおぞましい足跡が残されていた。
 王子は夜明けを待って博士を訪ね、怪物の襲来を報告した。博士はただ首を横に振りながら、すぐにも旅立つようにと王子に勧めた。王子が同行を求めると、博士はまたしても首を振った。博士と娘は安全であるという。怪物の正体を尋ねると、自分は何も知らないという返答があった。王子は博士に不審の念を抱いて船に戻り、戻る道を娘が送ると王子は娘に感情を抱いた。
 再び夜の帳が船を覆い、王子とその一行は全員が不寝番となってまだ見ぬ敵の襲来に備えた。そして夜半が過ぎた頃、それは現われた。
 子細は省くが、それは見えない怪物であった。見ることはできなかったが実体はあり、点々と足跡を残しながら下働きの者から屠っていった。王子は博士の不在を狙って古代文明の遺跡を調べ、難なく怪物の正体を解き明かした。博士は文明の遺物を利用して、その歪んだ心を実体化させていたのであった。
 恐れを感じた王子は博士から娘を奪って船を出し、国へ戻って王を殺した。猜疑に取り憑かれた王が、王子に新たな使命を与えようとしたからである。王子は王となって博士の娘を妃としたが、妃が二児をもうけた後は夫婦の寝室を顧みようとしなくなった。王子は王となることで愛欲の虜となり、新たな妃を他国に求めた。妃は嫉妬のほむらを燃やし、その腹から産み落とした二児を炎に与えた。それから見えない何かにまたがって空の彼方へと去っていったが、古代文明が残したその奇跡の技に驚嘆しない者は一人もなかったと伝えられる。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年7月14日月曜日

異国伝/観察の作法

(か)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。
 それというのも当時は有象無象の国々が次から次へと現われたり消えたりしていたからで、地図製作者も旅行記作者もよほどのことがない限り小国のためには腰を上げようとはしなかったからである。噂を頼りに苦労して訪ねてみればもうなくなっていた、などということはよくあったし、まだあったとしてもまともとは言えないことが多かった。住民が一丸となって追い剥ぎ稼業に精を出していた、などというのはまだよい方で、悪くすれば殺されたし、うっかりすれば食べられてしまった。奇怪な風習を盾に婿入りを強要されて戻れなくなる者も中にはいたし、呪いのついた花嫁を押しつけられて送り返されてくる者もいた。もちろん小さな国の全部が全部そうだったわけではない。善良な人々が真面目に働いているまともな国もあったのだが、決して多くはなかったし、少ないという見解の方が多かった。というわけで、その国のことについてもあまりよい話は残されていない。
 ある時、一人の旅人が街道の分岐点で選択を誤り、次の分岐でも間違えて森の奥へと曲がりくねる寂しい道へ入っていった。左右には鬱蒼と樹木が繁り、頭上には葉が幾重にも重なって太陽の光を遮っていた。薄暗い森の中には動きと呼べる動きはなく、風がわずかにそよぐ音と、鳥のさえずる声がたまに聞こえる。
 旅人は道を間違えたことに気がつかぬまま歩みを続け、かなりの距離を進んだところで休憩を取ることにした。陽はちょうど中天にある。木の根元に腰を下ろして水筒の水で喉を湿し、背嚢を下ろして中から弁当を取り出した。格別の感動もない様子で食べ物を黙々と口に運び、そうしながら前夜の宿の女将のことを頭の中で反芻していた。何をどのように反芻していたのかは定かではないが、ここはこう書くことになっているのである。
 さて、食べる以外にはすることがなかったので、目は自然と森の中へさまよっていった。どこというわけでもなく、ここというわけでもなく、ただ漫然と視線を漂わせていたのだが、そろそろ弁当を食べ終えようという頃、妙な気配を不意に感じた。見張られているような気がしたのである。危険を感じて、すばやく左右の様子をうかがった。そうしながら弁当の残りを背嚢にしまい、背嚢の背負い紐を肩にかけた。そして立ち上がろうとしたところで、怪しい気配の源を見つけた。すぐ目と鼻の先に潅木の茂みがある。その茂みの痩せた枝と枝の間から、望遠鏡の筒先が飛び出していたのだ。
 レンズは旅人を凝視していた。旅人はレンズを睨んだまま、腰を落とした。望遠鏡の先端が旅人の動作を追って静かに揺れる。指先で地面を探って大粒の石を拾い、それを手に隠してまた立ち上がった。レンズを見据えて相手の出方を待ったが動きがない。石を投げた。石が放物線を描いて茂みの中へ飛び込んでいった。と同時に痛みを叫ぶ声が聞こえた。望遠鏡が慌ただしく引っ込み、代わって茂みの陰から一人の男が立ち上がった。薄茶の長い外套に身を包み、小さなひさしのついた薄茶色の帽子をかぶっている。男はこめかみのあたりを手で押さえ、旅人に背を向けると森の奥へと走り去った。
 旅人は訝りながら、先を急いだ。追い剥ぎでも人殺しでもなさそうだったが、何者であったにしてもとにかく気味が悪かった。森から出ようという一心で曲がりくねった道をたどり、陽が暮れかかった頃に森を抜けた。道に沿ってさらに進むと先には小さな町があり、救われた思いで近づいていったが、すぐに不安を感じて足を止めた。
 路上には住民の姿があり、そのどれもが薄茶色の外套を身にまとい、薄茶色の帽子をかぶっていた。多くは望遠鏡を携えていて、中には旅人に気づいて筒先を向ける者がいる。旅人に与えられた道はわずかに一本であり、森で夜を迎えるという選択は論外であった。少なくとも害意はなさそうに見える。旅人はそう判断して町へ入った。住民は旅人に道を譲り、道の端まで退いて望遠鏡を旅人に向けた。窓の隅では夕陽を受けてレンズが光り、開いた扉の隙間には上から下へとレンズが並んだ。誰もが旅人の挙動を監視していた。
 宿屋と思しき店を見つけた。一階は食堂になっていて、旅人はその一角に席を見つけて腰を下ろした。頼んでもいないのに次々と料理が運ばれてくる。値段のことが気になって主人と思しき男に声をかけたが、相手はまるで取りあわない。単音節だけで構成された鳥の鳴き声のような言葉に手真似を加え、食べるようにと促すだけだった。そこで旅人は食べ始めたが、まわりの様子が気になってどうにも食が進まない。薄茶色の外套を着た男女が壁に沿ってずらりと並び、望遠鏡の筒先をずらりと並べて旅人を観察していたからである。旅人は食べるのをやめたが、それでも料理が運ばれてきた。旅人は置かれた皿を押しやって、一夜の宿を求めるために主人と思しき男に声をかけた。またしても鳥のさえずりが返ってくるので、旅人の方でも音を真似て声を出してみた。囁きがせわしく壁沿いに走った。立ち並んでいる連中が嬉しそうに顔を見合わせ、小声で言葉を交わしている。ところが交わされている言葉は鳥の鳴き声とはまるで異なっていた。それは旅人に覚えのある言葉で、ただしかなりの訛りが加わっている。記憶を頼りにその言葉を使ってみた。意味不明のさえずりが返ってくる。言葉で意思を通じあうつもりがないらしい。二階を指差して、眠りたいのだと手真似で訴えた。すると主人は特大の望遠鏡を持ち出してきて、周りの者に由来を説明しながらその筒先を旅人に向けた。
 旅人は選択を迫られていた。憮然として立ち上がり、町を出て野宿するか、憮然として立ち上がり、勝手に二階の部屋を使うか。後者を選んで立ち上がり、荷物を肩に階段を上った。止めようとする者はいない。振り向きはしなかったが、無数の望遠鏡が狙っているのは見なくてもわかった。
 適当な部屋を選んで中へ入った。扉には椅子の背をあてがって入口を塞ぎ、鎧戸を閉めて窓を塞いだ。理由はわからなくてもやり口はわかっていたので、まず壁を調べた。見つけた穴をぼろ切れで塞ぎ、次に這いつくばって床を調べた。床にも二三の穴があり、その大きさは住民の望遠鏡にぴったりであった。寝台の下も調べて心安らかに床に就き、朝を迎えてから天井を調べていなかったことに気がついた。見上げるとそこには大きな穴が開いていて、穴の中では望遠鏡を構えた者たちが互いを肩で押しあっていた。
 旅人は荷物をまとめて部屋を出た。一階に下りて観察されながら朝食を摂り、支払いをしようと声をかけるとまた鳥の鳴き声を聞かされた。宿屋から出ると路上には望遠鏡の列があった。前へ進むと望遠鏡の列が退いた。旅人は町を後にした。町を出て、しばらくしてから足を止めた。振り返って町を見ると、そこには光の洪水があった。無数のレンズが朝日を浴びてきらめいていた。
 あまりのまぶしさに旅人は顔を背けた。再び道を前に進み、苦労の末に正しい道を探りあてた。それから仕事を終えて故郷に戻り、奇妙な体験を隣人に伝えた。旅人が再びこの地を訪れることはなかったが、晩年になってある噂を耳にした。同様に道を誤った者がその国を訪れ、腕や脚を掴まれてひどく手痛く観察されたという。
「そんなことは、わたしの時には一度もなかった」

  老人はそう言ったと伝えられている。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年7月13日日曜日

ダリオ・アルジェントのドラキュラ

ダリオ・アルジェントのドラキュラ
Dracula 3D
2012年 イタリア/フランス/スペイン 110分
監督:ダリオ・アルジェント

ジョナサン・ハーカーは城壁に囲まれた小さな町で町長の娘ルーシーの紹介を得て町の近代化に尽くした(小学校を作ったりしたらしい)というドラキュラ伯爵の司書になるが、たいそう紳士然としていて上品でもドラキュラ伯爵はドラキュラ伯爵以外のなにかではないので例のごとき扱いを受け、続いて町に現われたジョナサン・ハーカーの妻ミナ・ハーカーは夫が自分を迎えに出ないのを怪しみ、代わって迎えに出たルーシーの挙動を怪しみ、単身ドラキュラ伯爵の城を訪れて奇怪な体験をして、戻ってくるとルーシーがいきなり死んでいるので町の神父の紹介でヘルシング博士を呼び寄せ、ドラキュラ伯爵の強圧的な支配に抵抗を試みた町の有志はあっという間に全滅してしまうので、ヘルシング博士は単身でドラキュラ伯爵に立ち向かう。
サイレント映画を思わせる書き割りのようなセットやプロットに現われる特徴、ジョナサン・ハーカーの微妙にキアヌ・リーヴスな雰囲気などからしてコッポラの影響がかなり強い。ドラキュラにタコ殴りされても平然としているルトガー・ハウアーのヴァン・ヘルシングはともかくとしても、トーマス・クレッチマン扮するドラキュラは独特の雰囲気があってかなりいいと思ったし、主要登場人物をロンドンに置かないで地元でまとめて、ドラキュラがロンドンへ移動する手間を省くという合理的な着想は悪くないし、ドラキュラが地元の人間を明確に領民として認識していて残忍にふるまっているという設定も悪くない。ついでに言えばドラキュラがフクロウ、オオカミ、ハエに加えてカマキリにまで変身するというバリエーションの豊かさ(と言っていいのか?)はめったにない見物かもしれない。つまりブラム・ストーカーの『ドラキュラ』の新しい再話の試みとしては従来にない要素が盛り込まれていて、その工夫は認めなければならないと思うし、再話という範囲で見ている限りでは面白いとすら言えるものの、全体とし安普請で画面に強度がない。60年代イタリアホラーのような単層に色をあわせた色使いやフラットな照明はおそらく確信犯で、微妙に混沌としていて舌足らずなところは例によってそのまま持ち味になっているが、仕上がりはやはりゆるめになる。


Tetsuya Sato

2014年7月12日土曜日

ロボコップ(2014)

ロボコップ
RoboCop
2014年 アメリカ 117分
監督:ジョゼ・パヂーリャ

アメリカ以外の国ではロボットによる警察活動が普及しているというのにアメリカではそれを禁止する法律(ロボットには心がないから)があって警察活動にロボットを導入できない、ということでデトロイトに本社を置くオムニコープ社はアメリカの巨大な市場をにらんで邪魔な法律の廃止を画策し、その一手としてまだ生きている警官をロボットに改造するという計画を立て、たまたま重傷を負ったデトロイト市警のマーフィ刑事に目をつけると夫人の同意を取って大改造をおこなってロボコップとしてデトロイト市警に戻したところ、たちまちのうちに凶悪犯を逮捕して市民の圧倒的な支持を獲得し、おかげでオムニコープ社の議会工作も一段と進展することになるが、ロボコップ/マーフィ刑事が自分が負傷した事件の捜査を始めて、そこから芋づる式に警察内部の腐敗も暴き出してしまうので、政界の反発を恐れたオムニコープ社は議会の動向を横目に見ながらロボコップの抹殺を画策する。 
1987年の『ロボコップ』のリメイクで、監督は『ブラジル特殊部隊BOPE』などのジョゼ・パヂーリャ。したがってテイストもヨーロッパ的悪趣味から一転してブラジル式社会派に変わり、背景もB級的に圧縮されたデトロイトではなくて、モダンな諸様相がピックアップされた広い場所になっている。オリジナルに比べると破格の大作だし、視覚的にも厚みがあるし、ジョゼ・パヂーリャの演出も誠実だが、察するに心の問題に注意を払ったせいなのか、ポール・ヴァーホーベンが丹念に埋め込んだ人間固有の鈍感さ(登場人物だけではなくて、実は観客も含めて)が抜け落ちて、『ロボコップ』を『ロボコップ』にしていたものなくなっている。つまり手間のかかった水準以上の映画ではあるが、これは『ロボコップ』ではない。オープニングでベイジル・ポールドゥリスのあのフレーズが流れてこちらに期待は盛り上がるが、エンディングでもう一度流れたときには大きなずれを感じている、というのがたぶんその証拠になるだろう。
ロボコップ/マーフィを演じたジョエル・キナマンはいい仕事をしていて、もともとピーター・ウェラーが嫌いなこちらとしては自然と好感度が高くなる。ゲイリー・オールドマンがロボコップの生みの親、、マイケル・キートンがオムニコープ社のCEO、サミュエル・L・ジャクソンが扇動的なテレビ番組のホスト役で登場する。 



Tetsuya Sato

2014年7月11日金曜日

異国伝/王子の問題

(お)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。街道からはずれ、歴史とその喧騒から遠く離れ、静謐に沈んで聞こえてくるのは虫の音くらいという国であったが、民は平和を尊んでよく働き、畑はよく手入れされて稔りをもたらし、森には実をよく稔らせた木々が立ち並び、牛はよく乳を出し豚はよく子を産み、どの家の煙突からも調理の煙が日に二度は上がった。王がよく治めていたのである。
 若くして即位した王は長らく独り身を通していたが、ある時、隣国から王妃を迎えた。王は王妃と森で出会い、死んだように眠っている王妃を接吻で目覚めさせたのだという。王妃は快活な性格と親しみやすい美貌の持ち主で、たちまちのうちにその国の民を魅了した。盛大な結婚式がおこなわれ、国に住むすべての者を招いて宴会が開かれ、それから一年の後には玉のような男の子が誕生した。王と王妃は幸福を味わい、民は王と王妃を祝福した。またしても宴会が開かれ、国に住むすべての者が招かれたが、その宴会の席上で恐ろしい予言がおこなわれた。
 王の城の大広間で王と王妃は椅子を並べ、王は王妃の肩を抱き、王妃は腕に王子を抱いて、祝福に訪れる領民たちの一人ひとりにねぎらいの言葉をかけていた。同じ広間には長大な食卓がいくつも並んで、そのどれもがはみ出すほどに酒と料理を載せていたが、ある食卓は
酒飲みのために、ある食卓は甘党のために、またある食卓は菜食主義者のためにという具合に趣向がこらしてあって、これは誰もが宴会を楽しめるようにという王と王妃の心遣いによるものであった。祝福を終えた者は好みの場所に席を見つけて飲食に励んだ。会話がにぎやかに交わされ、楽士たちが音楽を披露し、芸人たちは絶妙の技を互いに競い、冗談と喝采の合間には多くの者が玉座に向かって杯を掲げ、さらなる幸福を祈って乾杯を叫んだ。王と王妃と王子を称える即席の歌が作られ、皆で声をあわせて歌を歌い、中には踊り始める者もいて、誰もが宴会を楽しんで満足しない者は一人もない。
 ところが宴たけなわという頃、地の底から響くような轟音が城を揺るがせ、大広間の大扉が突風とともに押し開けられた。女たちの悲鳴が上がった。激しい風は広間を舞って酔漢たちから杯を奪い、すでに不覚となっていた者を床に転がした。すべての視線が入口に集まり、そこへ溢れるような黒い影をまとって現われたのは森の奥に住む魔女であった。魔女は黒い頭巾の下に顔を隠し、醜い鼻を王に向けてこのように言った。
「結婚式の時には何かの手違いであろうと思ったが、一度が二度となればもはや疑問の余地はない。祝いの品を用意して、招かれるのを待っていたというものを。だが今となっては手遅れだ。王子の十六歳の誕生日には、せいぜい紡ぎ車に気をつけるがよい」

  魔女が呪いをかけて立ち去ると、王は兵士に命じて扉を閉めさせ、領民たちには安んじて宴会を続けるようにと合図を送った。ところが再び城を揺るがす音が轟き、大広間の大扉が突風とともに押し開けられた。舞い込んできた風で杯がひっくり返ることはなかったが、不覚となっていた者はそのまま床を転がった。すべての視線が入口に集まり、そこへ硫黄の臭いとともに現われたのは洞窟に棲む竜であった。竜は鼻から煙を吐き出しながら、王に向かってこのように言った。
「結婚式の時には何かの手違いであろうと思ったが、一度が二度となればもはや疑問の余地はない。祝いの品を用意して、招かれるのを待っていたというものを。だが今となっては手遅れだ。王子の八歳の誕生日には、せいぜい鞭に気をつけるがよい」

 竜が呪いをかけて立ち去ると、王は兵士に命じて扉を閉めさせ、領民たちには安んじて宴会を続けるようにと合図を送った。するとまたしても城を揺るがす音が轟き、大広間の大扉が突風とともに押し開けられた。すべての視線が入口に集まり、そこへさらなる風を巻き起こして現われたのは谷底に棲む怪鳥であった。怪鳥は褐色の鋭い嘴を王に向けて、このように言った。
「結婚式の時には何かの手違いであろうと思ったが、一度が二度となればもはや疑問の余地はない。祝いの品を用意して、招かれるのを待っていたというものを。だが今となっては手遅れだ。王子の四歳の誕生日には、せいぜい壁に気をつけるがよい」

 怪鳥が呪いをかけて立ち去ると、王は兵士に命じて扉を閉めさせ、領民たちには安んじて宴会を続けるようにと合図を送った。それと同時に大音響が辺りに轟き、大広間の大扉が突風とともに押し開けられた。すべての視線が入口に集まり、そこへ思わず顔を背けるような悪臭とともに現われた影は、一つではなく二つではなく、徒党を組んだ屍肉喰らいの集団であった。そのうちの一人が醜い顔を王に向け、尖った牙を隠しもしないでこのように言った。
「結婚式の時には何かの手違いであろうと思ったが、一度が二度となればもはや疑問の余地はない。祝いの品を用意して、招かれるのを待っていたというものを。だが今となっては手遅れだ。王子の二歳の誕生日には、せいぜい上げ蓋に気をつけるがよい」

 屍肉喰らいどもが呪いをかけて立ち去ると、王は兵士に命じて扉を閉めさせ、領民たちには安んじて宴会を続けるようにと合図を送った。だがまたしても大音響が城を揺らし、大広間の大扉が突風とともに押し開けられた。すべての視線が入口に集まり、そこへ床を爪で蹴って現われたのは翼を持つ黒い犬であった。黒い犬は濡れた鼻を王に向けて何かをしきりと吠え立てたが、あいにくと人間の言葉ではなかったので誰にも理解することができなかった。
 黒い犬が立ち去ると宴会はそのままお開きになり、領民たちは蒼白となった顔を並べてそれぞれの家へ戻っていった。王と王妃は王子を連れて寝室に引き上げ、そこで夜が明けるまで非難の応酬を繰り返した。一説によれば王は意図して魔女と竜と怪鳥と屍肉喰らいと黒い犬を招待からはずし、王妃はそのことで事前の警告をしていたという。それからというもの王と王妃は不仲になり、王子の方はいずれ呪いを受けてどうにかなるという理由から両親の愛を失った。
 王子は一歳になるまで四つ足で過ごした。二歳になった時には歩くことを覚えていたが、見守る者もないまま城の中をさまよって上げ蓋の隙間から転落した。四歳でようやく話すことを覚えたが、そのことに誰も気づかなかったのは王子が壁に向かって喋ってばかりいたからである。八歳になった時には家庭教師が遠方から雇われた。この家庭教師は選んだように意地悪な男で何かと言えば鞭をふるい、王子の孤独な世界に暗い影を刻んでいった。十六歳の誕生日を迎えた日、王子は城の塔に一人で登り、その一室に入って古い紡ぎ車をじっと見つめた。それからゆっくり手を差し出して、指先で紡ぎ車の針に触れた。そして痛みを感じると同時に、王子は巨大なアオガエルになっていた。
 王子は目を閉じて喉を鳴らした。しばらくしてから窓を開け、外へ出ると巧みに吸盤を使って壁伝いに下りていった。中庭へ降りてきたところで女たちの悲鳴を聞いた。厨房から飛び出してきた若者が王子の背中にリンゴをぶつけた。王子は再び喉を鳴らし、着実な跳躍を続けて城を後にした。左右に悲鳴を聞きながら町を抜け、橋の上から川の水に身を滑らせた。以来、王子の姿を目にした者はないという。
 王子が失踪した後も、王と王妃の仲は戻らなかった。どちらもひどく心を澱ませて民を思う気持ちを失ったので、やがて国は傾いて地上から消えた。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年7月10日木曜日

異国伝/海老の収獲

(え)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。個人的に記されたいくつかの旅行記には若干の記述があるという噂もないことはないが、それが事実だとしても記載の量が全部で数行を越えることはないだろう。なにしろその国にはわずかばかりの家屋とそこに住む面白みのない住人、そして面白みのない住人を従えた面白みのない王がいただけで、旅行者が外国に求めるような滑稽な人物や滑稽な習慣、美しい自然や見慣れない料理といった特筆すべき要素をことごとく欠いていたからである。もちろん、すべてを確認した上で結論を下しているわけではないのだが、一見したところでは明らかにそうであったし、すでに滅んでいるという決定的な理由があって調べ直そうにも手立てがない。
 伝えられるところによれば、その国には道のように見える道が一本だけあった。道の沿って並ぶ家々はどれもみすぼらしくて、みすぼらしい家々にはみすぼらしい男や女が暮らしていた。どの男もどの女も、そして子供も愛想がなかった。少なくとも旅行者にはそのように感じられた。西は山に、東は海に面していて、狭い領土はどこもかしこも西から東に傾いていて、だから平らな場所というものがない。どの家もこの家も傾いた地面に半ばまでめり込んでいた。どうかすると傾いたまま斜面に乗っかっていた。産業と呼べるものは漁業しかなくて、だからその国では男も女も、老人も子供もそろって砂浜に出て網を引いた。網を引くと海老がかかってくるので、それを鍋に放り込んだ。その国では男も女も海老を食べた。道から山へと続く少々急な斜面に小さな城がへばりつくように建っていて、そこに住んでいた国王も海老を食べた。
 食べる物が海老しかなかったからである。そのせいなのかどうなのか、住人の顔はどことなく海老に似ていた。赤みがかかっていて目がくっついていて、前に向かって造作が詰まったような具合になっていた。愛想がないように見えたのは、全体に余裕を欠いたこの造作のせいであった。そして愛想がないのは、おそらくは海老の呪いのせいであった。住人の多くは、呪いは顔にかけられていると考えていた。健全な食品を生活の中へ取り入れれば、この呪いは解けるのではないかと考えた者もいた。だが何が健全かを説明できる者はなかったし、仮に何かが健全だとして、どうすればそれが手に入るのかを説明できる者もいなかった。
 もちろん、その国の人々が愚か者ばかりだったということではない。常識も普通の知恵も備えていたので、捕れた海老を輸出してほかの物を輸入しようと試みたことがある。そのための代表を王が指名して国外に派遣した。代表は食品業者を探して交渉にかかり、それから国に舞い戻ると王に計画の中止を進言した。巨額の保険契約だの細かい字で書かれた付帯条項だの、あるいは根拠の怪しい変動相場だのといった新手の呪いを抱え込むよりは、このままおとなしく海老の呪いを抱え込んでいた方がよいと言ったのである。王もそれが賢明であると認めて計画を中止し、代わりに国の南北両端、道沿いの二ヶ所に通行税の徴収所を設置することにした。ここから何がしかの現金収入を得ようという目論みであったが、国を通過する者の数がそもそも少なかったので、一度だけ支払う通行税はしばらくしてから二度支払う入国税と出国税に変更された。ところが一方の徴収所からは、もう一方の徴収所を彼方に見ることができたせいで、旅行者はばからしさを理由に出国税の支払いを拒み、国境で徴税請負人と悶着を起こした。
 さて、ある時、年若い王がその国に立ち、建国以来の懸案を整理して問題を最終的に解決しようと考えた。早い話が、海老にうんざりしていたのである。離乳食はほぐした海老の肉だったし、母乳は海老の臭いがした。両親はどちらも海老のような臭いをさせていたし、当然、自分の身体も同じような臭いをさせている。気にしなければ気になることもなかった筈だが、一度でも気にし始めると後はとどまるところを知らなかった。いずれはめとることになる后も、海老の臭いをさせているに違いない。王ともなれば国を離れるわけにもいかず、そうなると死ぬまで海老にまみれて海老の臭いを嗅ぎながら海老を食べ続けることになる。見るのも嗅ぐのも、考えるのもいやだった。なんでもいいから、海老以外の何かが食べたかった。世界はもっと多様であってもよい筈だった。国民もそう望んでいると考えていたし、そう望んでいない国民にも海老以外の何かを食べさせたかった。実を言えば、少数ではあったが、海老以外の何かを食べれば罰があたると主張する一派が存在した。幾世代にわたる諦観を糧に居直りを強固な信仰に発展させていて、その国の人間は最後には全員が海老になるのだという奇怪な終末予言を撒き散らして国内に不安と恐怖の影を投げかけていた。国民に海老以外の食品を味あわせて未来に希望を与えることが、国家としての急務であった。
「もはや、一刻の猶予もない」と王は言った。
「畏れながら、陛下」と大臣が言った。「王家代々の取り組みはことごとく失敗に終わっております。この上にまだ何か秘策があろうとは、残念ながら思えませぬ」

「最後の手段が残されている」
 それだけを言うと王は城を後にして斜面を下り、道を渡って砂浜へ進むとそのまま海へ足を踏み入れた。胴を水に浸して波を分け、顔をうつむけて鋭い目つきで海面をにらみ、不意に腰を屈めると素早い動作でたくましい腕を繰り出した。海面を破ってすぐ引き抜くと、その手には一尾の見事な海老が握られていた。王は掴んだ海老に顔を向け、憎しみを込めてこのように言った。
「海老の王よ、聞くがいい。おまえたちの居場所は我が領土の内にある。我が領土の内において、おまえたちは繁栄を極め、専横をほしいままにしているのだ。十分な代価も払わずにな。だが時代は変わった。これまでどおりに事が運ぶとは思わないでもらいたい。すぐさまここを立ち退いて、場所をほかの魚に明け渡すのだ。なぜならばほかの魚にもここに住まう権利があり、ほかの魚の方がこの場所により相応しいと考えるからだ。これはすでに決まったことで、だから否も応もない。海は広いし適当な土地はいくらでもあろう。さっさとここから出ていくがよい」
 これを聞くと海老の王はその堅固な殻を怒りによって真っ赤に染めた。
「ひとの王よ、これはまたたいそうな言い分だ。今のがそちらの言い分ならば、こちらにはこちらの言い分がある。つまり、おまえたちの居場所こそが、我が領土の内にあるということだ。そしておまえたちは我が領土の内において我が一族を好きなように胃の腑に収め、それだけでは飽き足らずに今度は領土を明け渡せと言う。ならばこちらにも考えがあるぞ。すぐさま立ち退いて、場所をほかの人間に明け渡すのだ。なぜならばほかの人間にもここに住まう権利があり、ほかの人間の方がこの場所により相応しいと考えるからだ。これはすでに決まったことで、だから否も応もない。陸は広いし適当な土地はいくらでもあろう。さっさと出ていくがよい」 

 そのように言って長い髭を振り、鋭利な先端で年若き王の目を狙った。また鋏を使って王の腕に傷を与えた。握る手の力はたちまち緩み、海老は尾鰭で跳ねて海に逃れ、王は悲鳴を上げて砂浜に逃れた。
 年若き王は血の滴る傷を手で押さえて浜を走り、心を復讐に走らせて男たちを呼び集めた。王の叫びに応えて男たちは網を運び、女たちは鍋を運んで浜に火を起こした。一方、海老の王もまたその髭によって一族郎党を呼び集め、すぐさま戦の準備にかからせた。母海老たちは子海老を抱えて岩陰に隠れ、力に覚えのある海老たちが続々と隊伍を組んで海岸へ進む。戦端はただちに開かれた。人間と海老が激突し、肉が裂かれ、殻が砕かれ、血が飛び、白身が千切れ、浜には骸が幾重にも重なる。数では海老が勝っていたが、力の点で勝機は人間にあった。戦場が陸地となったことも、海老の側には決定的な不利となった。
 年若き王は勝利をすでに確信して哄笑を放ち、海老の王の姿を求めて群がる甲殻類を蹴り散らす。一方、間近に敗北を感じた海老の王はひそかに戦場を離れ、道を渡って城の建つ斜面へと足を進め、立ち止まって尾鰭を下にして身を起こすと、そびえる山に向かってこのように言った。
「山の王よ、どうか海老の王の願いを聞き届けていただきたい。卑劣なる人間どもがその巨体をよいことに我が一族を滅亡の淵に追いやろうとしている。そこで山の王よ、我らを哀れに思うなら、その身に収めた岩や土をいくらかなりともを転げ落とし、邪悪なる人間どもを押し潰してもらいたい。我が一族にも多少の犠牲は出ることになろうが、それは仕方がないと思って諦めよう。もし我らに手を貸してくれたなら、我らは礼としてそなたの身に葡萄の木を植えるつもりだ。怠らずに苗に水をやり、実をつけるまで必ず面倒を見ると約束しよう。それでは足りないと言うならば、さらに野苺を植えてもよい」

  海老の願いに対して山がどのような判断を下したのかは永遠の謎とされている。聞き届けることにしたのか、それとも何か別のことを考えたのか。山の考えを確かめる方法はないし、山の考えなど考えるだけでもばかばかしい。いずれにしても山は大噴火を起こし、流れ出た溶岩は一瞬で王国を埋めて海老も人間も滅ぼした。噴火が治まった後には冷えた溶岩が道を覆い、現在もなお通行の障害となっている。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年7月9日水曜日

異国伝/鬱々の日々

(う)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。地図上の点ですらないという冷酷な事実は、その小さな国の人々の気持ちをひどく滅入らせた。しかし、それ以上に心を暗くしたのは道を誤ってその国を訪れ、うっかり地図を広げたことでたまたま事実を伝えてしまった旅人であった。自分がその国にもたらした悲しみの大きさを見て激しく悔やみ、悔やむあまりに崖の上から身を投げた。このことは悲劇として伝えられているが、もし旅人がその国の習慣についての知識を持ち、その国の人々が何事につけても悲しげに顔を背けることを知っていたら、おそらく身を投げることはなかったであろう。
 その国で生まれた赤ん坊は産声を上げる代わりに憂いに満ちた吐息を漏らして、この世に生まれ出たことの悲しみを表わした。母親は我が子がこれから味わうであろう悲嘆の数々を思って涙を流し、父親は子を抱き上げて夕陽にかざし、陽が沈む先にあの世があることを子に教えた。来世にわずかな希望を託して、人生を深い悲しみの淵に沈めたのである。悲しみの深さに耐え切れずに、夕陽を追って走り出す者も少なくなかった。涙に霞む夕陽を追って夜を迎え、疲労の果てに横たわって悲しみととともに朝を迎えた。国そのものは小さかったが、悲嘆に暮れる者の数ではいかなる国にも負けなかった。
 その国の王は暴君であった。土地は残らず王に属して、国民は王のために土地を耕して稔りを守った。王は過酷な年貢を課していたので、収穫の時期には悲しみが一層深まった。収穫の大きな山から年貢の分が取り去られ、荷車に積まれて運ばれていく。残った山の小ささを見て人々は悲しんだ。隣人の肩を抱いて涙を流し、腹を空かせて泣く子を叩いて涙を流した。王の城には収穫の大半が積み上げられ、打ちひしがれた人々はその前に佇んで悲しげに顔を背ける。そうして待っているとやがて王が姿を現わし、こちらも悲しげに顔を背ける。王は常に暴君であったが世襲ではなかった。もっとも感じやすい心の持ち主が王に選ばれることになっていた。王は王位にあることで悲しみを味わい、残りの者はひとを王位へと追いやったことでやはり悲しみを味わった。王の悲しみの方がやや格上であったと伝えられている。
 悲しみがなければ陽も暮れない毎日で、悲しみを味わうためなら間違いも犯した。収穫の量はごまかされたし、用水路の流れは夜の間に変更された。多くの者が盗みを働き、進んで良心の呵責に苛まれた。罪人は身を投げ出して許しを請い、善人は正義の不在を嘆いて突っ伏した。そして翌日には善人が盗みを働き、罪人が正義の不在を嘆き、世の悪に終わりがないことを知ってともに長々と悲嘆に暮れた。恋はつねに間違った者同士を結びつけ、親はそれを引き離し、不幸な結婚は不倫の種を振り撒いた。不倫は堕落ではなく悲しみを生み、悲しみは子を産み落とし、産婆は産み落とされた子を間違える。兄弟がいれば、どちらかには必ず異なった血が流れていた。産婆は死の床で苦しみとともに真実を明かし、新たな悲劇の原因を残す。悲劇はいつでも三代に及んで果てのない分岐を繰り返し、やがて国を覆って悲嘆の底に民を沈めた。
 さて、ある時のこと、その国が隣国からの侵略を受けた。防衛のために軍隊が招集されたが、戦闘に先立って戦争の悲惨に耽溺したので戦うことなく敗北を喫した。国土は瞬時にして敵に奪われ、感じやすい王は悲しみのうちに廃位され、隣国の軍勢は暴虐を尽して大いなる苦しみを人々に与えた。苦難の時代がしばらく続き、人々は飽かずに悲しみを味わい、それから最後に暴動を起こした。隣国の王もまた暴君であったが、この王は暴政の結果を目にしてもまるで悲しもうとしなかったからである。これはしきたりに反していた。暴動を鎮圧するために残酷な王の残酷な軍隊が出動した。男は皆殺しにされ、女とこどもは奴隷に売られ、わずかに残った土地は外の者に奪われた。というわけでその国は消滅して、今ではふつうの人々がふつうの悲しみとともに暮らしている。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年7月8日火曜日

異国伝/威光の小道

(い)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。案内書をまったく頼りとしない熟練旅行者でも、その国のことは見過ごしてしまった。普通に目につくような場所にはなかったからである。だが、それほど意外な場所にあったわけでもない。
 さしあたりは名前を伏せておくことにするが、ある役人が偶然から得た裁量権を悪用して下級の官職を大量に売り出した。男はこの商売で小金を貯めると役人を辞めて金貸しとなり、それからは小口の貸し出しを効率的に運用して本格的な財を作った。だが晩年には呪われた商売に嫌気がさしたのか、町を離れて田舎に移り、そこに広大な土地を買い求めて地主となり、健全な土地経営を進めて死んだ時には相当な財産を残したという。財産は息子がそっくり受け継いだが、この息子というのが伝えられている限りではまったくの役立たずで、早いうちから遊びを覚え、勉学には一切関心がなく、身代というのはただそこにあるものだと勘違いしていた。それでも当人は実業家のつもりでいたから、悪党どもにはいいカモである。四方八方から散々に毟られて、三十になった頃には事実上の無一文になっていた。わずかに残されたのは紙屑ほどの価値もない北の土地で、そこには人家はもちろん田畑もない。ただ黒々とした森だけが広がっていた。
 その国は、その森の中にあった。住人は生まれてから死ぬまで大半の時間を樹上で過ごし、よほどのことがない限り地上には降りてこなかった。枝の間に板を渡して家を作り、木々をめぐる橋をかけ、木の実や鳥、木のうろを住み処にする動物を糧に暮らしていた。排他的で気配や物音に敏感で、樹上を移動する素早さはとうてい人間技とは思えない。住人はこの特技を生かして地上を監視し、誤って森に入り込んだ不法入国者を発見すると即座に襲いかかって身ぐるみを剥いだ。この習性から、彼らの祖先は太古に樹上生活を選択した追い剥ぎだったとする説明がある。奪って得た金は国外から必需品を贖うのに使われた。斧や短剣などである。
 一部の性急な見解はその国の独立を否定し、森を根城とする単なる盗賊であると断定するが、そのような態度は誤りであると言わざるを得ない。たしかに領域侵犯に対しては無警告の攻撃をおこなったし、領土は外国で登記された個人の土地に含まれていた。その国が将来にわたって調整を必要とする深刻な問題を抱えていたのは事実だとしても、それだけの理由によって主権が疑われるようなことがあってはならない。現に周辺諸国のいくつかとは友好条約を結んでいたし、大使の交換もしていたのである。その国に派遣された大使が自分の任地を発見できずに帰還するといったことがたまにあったし、帰還しないということもまれにはあったが、それはその国の立地に関わる問題であって、固有の政策や国民性に関わる問題ではない。
 さて、ある時、とある国の大使が密命を帯びてその国に着任した。政府首脳に接近して説得をおこない、必要があれば強要もして隣国へ攻め込ませようという目論みであった。事実から言えばその国とその隣国との関係は緊張状態にあり、それというのも隣国の民間人が法的な優位性に基づいてその国の基礎となる森林の伐採を開始したからであったが、大使はまさにその事実を指摘して速やかな第一撃の有利を説き、攻撃を成功させれば自国の軍隊もただちに呼応して隣国に攻め込むと約束した。事実から言えば大使の母国もまたその隣国と緊張関係にあり、それというのも大使の母国の民間人が隣国で森林の伐採を計画し、そのための法的な優位性を求めていたからであったが、大使はこの事実については説明を避け、自国に関わる部分ついてはもっぱら集団安全保障を根拠とした。さらに軍事行動に要する資金には第三国の外貨建て抵当証券を対象とする元利分離型金融派生商品を紹介し、速やかな利益を保証して友好的な笑みとともに話を終えた。
 その国の首脳部に列する人々は大使の話に耳を傾けていたが、最終的には疑念を抱いて説得を退けることにした。宣戦布告なしの奇襲はともかく、金融派生商品はどうも怪しいと考えたのである。
 説得の失敗を受けて大使は次の段階、つまり強要に取りかかった。このような場合に備えて若干の手勢を伴っていたので、まずその一団を会見の場に引き入れて相手に武器を突きつけ、小国に与えられた歴史的な機能についての簡単な説明をおこなった。それでも効果がないと見ると、非情にもすでに突きつけていた武器を使って首脳部を文字どおりに消滅させ、本国の指令にしたがって自らを首班とする新政権の樹立を宣言した。
 大使にとってもっとも気がかりであったのはこの次の段階、つまり国民の反応であったが、意外にもその国の住人はそろって大使の前にひざまずき、大使を王と呼んだのである。大使はただ状況の安定を喜び、伝統的に集団指導体制を国政の基盤とするその国で、自分が王と呼ばれた理由を真剣に考えようとしなかった。国民は王を迎える歌を歌いながら即位式の準備にかかり、安心した大使は国境地帯に偵察を送った。
 政変の翌朝、住人の代表が大使の元を訪れて準備の完了を伝えた。大使が頷いて立ち上がり、巨木の幹をめぐるテラスに出ると、森の住人が歓呼で迎えた。そこで大使が手を振って挨拶を送り、懐から原稿を出して就任演説を始めようとしたところ、背後から出現した屈強の男たちに拘束された。
「何をする」と大使が激しく抗議した。
「即位式さ」と男の中の一人が答えた。
「助けてくれ」と大使が護衛たちに訴えた。
「できません」と護衛の一人が首を振った。
 大使の護衛はすでに武装した男たちに囲まれていた。
 新たに現われた一団が、木でできた橇のような物を運んできた。座面にはいかめしい紋章が刻まれ、紋章の下にはその国の言葉で王の乗り物と記されている。男たちは大使をこの橇の上に横たえようとした。
「何をするつもりだ」と大使が叫んだ。
「だから、即位式さ」と住人が答えた。
 男たちは力をあわせて大使を座面に押さえ込み、革の帯で大使の手足、そして胴をきつく固定した。大使は自分を解放するように命令し、懇願し、最後には見苦しい命乞いすらやってのけたが、男たちは聞き入れようとしなかった。テラスを囲む木々には老若男女が鈴なりとなり、期待に目をきらめかせて見守っている。
「みんな、とても楽しみにしている」と住人の一人が顔を上げた。
「そうだな」と別の一人が頷いた。「王様は、久しぶりだからな」

  間もなく六人の男が伝統にのっとった正装を身にまとって姿を現わし、二列に並んでテラスを進むと橇をはさんで足を止めた。上体を起こしたまま全員がゆっくりと腰を沈め、騒々しく懇願を続ける大使を乗せたまま、静かに橇を持ち上げた。それからテラスの端へと足並みをそろえて前に進めば、その先では数人の男が、やはり正装に身を包んで王の到着を待ち受けていた。男たちの背後には空中に向かって開かれた小さな木製の門があり、門の手前には糸巻きのような形状をした巻き上げ機が見える。
 六人の男が大使を乗せた橇を門と巻き上げ機の間の台に置くと、待機していた男たちは二手に分かれて巻き上げ機の左右で配置についた。一方、橇を運んできた六人は大使に一礼して下がり、代わって神官とおぼしき人物が前に進んだ。声を朗々と響かせて祈祷をおこない、住人たちと声をあわせて歌を歌い、同時に巻き上げ機の男たちに合図を送った。男たちは把手を握り、声と力をあわせて縄を巻いた。縄がぎりぎりと音を立てると引かれて橇が後ろへ下がった。台の両端から伸びる二本の弦が門に向かって激しく震え、やがて張り切って震えを捨てた。大使が口を閉じて目を見開く。神官は大使の手に王杓を握らせ、大使の額の上に王冠をかざした。それから大使の耳にこう囁いた。
「王よ、準備は整った。厳かに威光の小道を進まれよ」

 神官が退いて腕を上げた。その腕をすべての者が固唾を飲んで見守った。
 神官が腕を振り下ろすと、それを合図に掛け金がはずされ引き絞られた弦が一気に戻る。橇が射出され、同時に大使が絶叫を放った。

 門の向こうには道があった。路面にはたっぷりと蝋が塗られ、低い手すりが両側からしっかりと橇を掴む。悲鳴を引いて、橇が突進した。まずは水平に進んでから緩やかな下り、下りながら木々の間を自在にめぐり、唐突にやってきた短く激しい下りの後は緩やかな上りの道へと進む。橇は次第に速度を落とし、大使は期待に顔を上げた。だが橇は止まらない。その下では回転するいくつもの円筒が前進を助け、手すりの中に隠された精妙な仕組みが落下を阻んだ。いつしか橇はほとんど垂直になり、大使は頭を下にして足の間に陽の光に霞む頂点を見た。樹海を見下ろす頂きの向こう側には心臓破りの下りがあり、下った先では三重の側面宙返りが用意されていた。壮絶な速さで三度に分けて幹をめぐり、身の縮む思いを味わいながら木のうろをくぐる。その先にはまた上りがあり言語を絶する下りがあり、木の枝をかすめる宙返りがあり、唐突に途切れた道を一気に越える前代未聞の跳躍があった。大使の喉はすでに嗄れ、肉は極限まで強張って石と化していた。最後に橇は緩やかな上りの道へ進み、延々と並んだ加速装置が橇に速度を与えていった。左右の風景は森の色をにじませた染みとなり、風は形を得て大使の顔に張りついていく。長大な上り道の先にはもはや道はなく、ただ空だけが広がっていた。橇が道を離れたその瞬間、大使は最後の悲鳴を放った。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年7月7日月曜日

異国伝/愛情の代価

(あ)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。
 街道から分かれてその国へと通じる道は、森からはみ出してきた下生えに覆われていた。そして左右に立ち並ぶ木々の枝は道の上に分厚い屋根を作り、昼の光を遮っていた。道を抜けようとする者は丈高い草に足を取られた。あるいは垂れ下がる蔦に頬を打たれた。
 ごくまれに、その道を通ってその国を訪れる者がいた。荷馬車をロバに牽かせた行商人が、年に何度か木漏れ日をくぐってやって来た。すべての道具を背中に載せて、旅芸人の一座が市の立つ日に来ることもあった。仕事を終えた余所者たちは来た道をたどって街道へ戻り、次の目的地を目指して進んでいく。ささやかなにぎわいの後には土地の者の静かな営みが残された。土地の者たちは旅を嫌った。ごくまれに、その国で生まれた者が生まれた土地を後にして見知らぬ国へと旅立っていった。だが、戻った者は一人もない。
 ある時、旅芸人の一座がその国を訪れた。白髪の座長がロバの手綱を引いて先頭に立ち、ゆっくりと歩くロバの背には大小の芝居の道具がひしめいていた。ロバの後には男や女の役者が続き、歩きながらも身振りを交えて芝居の台詞を高らかに唱える。役者の数は十人に足らず、年老いた座長を筆頭に、どれも人生の盛りの時期を終えようとしていた。一人ひとりが得意の役を心得ていたが、互いに譲ることをしなかったので、通しで上演できる芝居は一つもない。だがそれで十分だった。座長が杖を振ってあらすじを語り、派手な場面を次々に見せれば客は必ず満足した。多少のしくじりも愛嬌のうち、目の肥えた客が相手ではない。
 この老いた者の一座の中にたった一人、若者がいた。顔は陽に焼け、腕は太くたくましかったが、頬には少年の頃の丸みがそのまま残されていた。黒髪の下でせわしく動く瞳には尽きることを知らない情熱が宿り、視線にはこの全き世界への信頼が込められていた。役者たちは若者がどこから来たのかを知らなかった。どこへ行こうとしているのかも知らなかった。若者は一座とともに旅をしながら世界を眺めて短く呟き、時には役者たちのために台詞の言葉を整えもした。
 若者は旅の詩人であった。ただ一座について歩くだけではなく、前座を務めて自作の詩を朗読した。観客の評判は芳しくなかった。芝居がしくじりを重ねて観客の怒りを呼んだ時には、鎮まれという祈りを込めて自作の詩を朗読した。これはしばしば、怒りのほむらに油を注いだ。
 若者は旅の詩人ではあったが、才能のことで幻想を抱いてはいなかった。湧き出す言葉の泉を持っていなかった。言葉によって全身を貫かれる経験を知らなかった。鈍重に、言葉少なく、そして恐れを抱くこともなく、世界への信頼を口にした。
「へぼ詩人だが、そのまじめさは買おう」と客が言った。
「へぼ詩人だが、おまえには心がある」と座長は言った。
「へぼ詩人だが、でも、あきらめるな」と皆が励ました。
 情熱だけを頼りに若者は頷く。旅芸人の一座はその国で七日間の興行をおこない、その最初の日に若者は土地の娘と恋に落ちた。続く五日の間に逢引を重ね、七日目には暗がりに隠れて唇を重ねた。そして一座の者たちが出発の準備に取りかかると、若者は娘を旅に誘った。娘は静かに首を振り、目に悲しみをたたえて顔を背けた。若者は娘の肩を抱き、永遠不変の愛を誓った。それから娘とともに、娘の父親の居場所を訪ねた。
「お嬢さんをわたしにください」

  若者は父親の前にひざまずいた。父親はまず娘の顔を見据え、次に若者に立ち上がって顔を見せるように言い、最後にゆっくりと頷いてからこのように言った。
「おまえたちの気持ちはよくわかった。それならばわたしも邪魔立てはすまい。喜んで結婚を許すとしよう。そこで若者よ、あなたは選ばなければならない。娘とともにこの国で暮らして、この国の空気を吸い、この国の水を飲んで生きるのか、それとも娘とともにここを発って、見知らぬ国の空気を吸い、見知らぬ国の水を飲んで生きるのか。もし前者を選ぶならば、わたしはあなたのために耕すための土地と住むための家を用意しよう。だが、もし後者を選ぶならば、若者よ、心して聞け、娘の足が決して地に触れることがないように、あなたは娘をいつも抱き上げていなければならない。寝台の上で眠る時、流れる川の中で水浴びをする時、そして二つの石の間で女の用を足す時以外は、あなたは常に娘を抱き上げていなければならない。もし足が瞬時でも大地に触れたなら、娘は命を失うであろう。若者よ、あなたがよいと思う方を選ぶがよい」 

 若者はすでに心を決めていたので、後者を選んで妻をめとった。婚礼の儀式がおこなわれた翌日、旅芸人の一座は出発を決めた。娘は両親に分かれを告げ、若者は妻となった娘を軽々と抱き上げた。森の中の道をくぐる間も、次の町を目指して街道を進む間も、若者は娘を抱き締めていた。娘は若者の身体を案じた。若者は平気だと答えて笑みを返した。野営の時には、ロバの背から娘の寝台が下ろされた。若者は寝台の上に娘を下ろし、腕にこびりついた疲れを拭った。
 翌日も、その翌日も、若者は娘を抱いて歩き続けた。そして若者の腕の中では、娘の身体が毎日少しずつ重たくなっていった。外見には何も変わりはない。若者は困惑しながら、両の腕に力を込めた。その腕に娘が手を添えた。二人は愛のこもった眼差しを交わした。しかし重みは現実であった。疲労は拭いがたいものとなり、重みと疲れは痛みとなって若者の身体を苛んだ。娘が心配して声をかければ変わらずに笑みを返していたが、その笑みの下には苦痛が見えた。旅の仲間の一人が、代わりに抱いて運ぼうと申し出た。若者は首を振って断った。別の者が、背負ってはどうかと提案した。若者は首を振って断った。ロバに乗せてはどうかと言う者もいた。若者は首を振って断った。
 若者は歯を食いしばって、娘を抱えて歩き続けた。一日ごとに歩みが遅くなっていった。一歩一歩に鉛の重みが加わっていった。一日で進める筈の距離に二日かかるようになり、間もなく三日かかるようになった。
 これじゃあ市の立つ日に間に合わない、と言う者がいた。
 だったら、俺たちを置いていってくれ、と若者が言った。
 皆で一緒に行くのだ、と座長が決めた。
 その晩、若者は座長に呼び出された。娘を寝台の上に残して、若者は野営地のはずれへ出かけていった。何が起きているのか、と座長が尋ねた。
 若者はすぐには答えようとしなかった。三度促されてからこう答えた。
「少しずつ、あいつは重たくなっていく」 

「助けはないぞ」と座長が言った。
 情熱だけを頼りに若者は頷く。若者と娘は旅を続けた。足を前に踏み出すのが難しくなった。それでも若者は進もうとした。額に油の汗を浮かべ、重さに軋む骨の音を聞きながら、妻とともに道を進もうとした。若者の腕の中では、娘が自分を捨てるようにと懇願していた。
 その時がきた。旅芸人の一座が耳を塞いで遠巻きに見守る。若者の唇から血が滴り落ちていった。落ちた血が娘の指を流れて伝った。娘が腕の中で身をよじった。先に腕の骨が折れたのだと言う者がいる。その前に娘が飛び出したのだと言う者もいる。若者が力尽きて膝を突いた時、娘は地面に横たわって死を受け入れていた。若者は娘の上に身を投げ出し、娘は最後の力で若者の身体を強く抱いた。
 死は娘を連れ去り、生前と同じだけの重さを娘の骸に残していった。それは旅立ちの時の娘の重さの五倍に等しく、旅の間に増えた重量の総和は娘の骸を荼毘にして得た黄金の総和に等しかった。それだけの黄金がどこから現われ、またいかにして娘の体内に貯えられたのかを説明できた者はいない。娘の夫であった若者はこれを愛情の代価であると考え、悲しみの後も世界への信頼を失わなかった。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.