カントリーベアーズ The Country Bears 2002年 アメリカ 88分 監督:ピーター・ヘイスティングス ディズニーランドのアトラクション『カントリーベアーズ・ジャンボリー』が「原案」ということで、子グマのベアリーは人間の家族と一緒に暮らしていたが、ある日、自分がちょっと違うということに気がついて(毛がいっぱい生えてるし、森林保護官に捕まった時の写真が残っているし)、本当の家族を探すための旅に出る。まず最初に大好きなカントリーベアーズの本拠地カントリーベアーホールを訪ねてみると、借金が払えなくて取り壊しの日が迫っていた。だったらカントリーベアーズを再結成してコンサートを開けばいいということになり、ベアリーともう一匹のクマ、人間のドライバー、鶏のミスター・チキンがツアーバスに乗り込んでベアーズのメンバーを探しに行く。そうすると一匹は警備員をしていて、もう一匹は蜂蜜ホールの床に沈んでいて(飲みすぎて)、別の一匹は結婚相談員をしていて、最後の一匹はウェディング・シンガーをやっていて、それを順番に拾い上げて再結成コンサートを開くというたいそうシンプルなストーリーで、ゲストが豪華だったり、ところどころで気が利いていたり、田舎臭さが転じて永遠の天然ボケになっていて、それがまた妙にありがたかったりという感じがあって救われている。でかくて重くて太っていて、おまけに歳まで取っているクマどもも悪くない。悪役はクリストファー・ウォーケン。
プリンセスと魔法のキス The Princess and the Frog 2009年 アメリカ 97分 監督:ジョン・マスカー、ロン・クレメンツ 1920年代のニューオリンズ。自分のレストランを開くことを夢見る女性ティアナは二つの仕事を掛け持ちして必死になって働いて、夢を実現するところまであと一歩というところにまでたどり着くが、不動産屋が物件の売り惜しみをして値を釣り上げるので希望を失いかけて悲しんでいると、そこへ人語をしゃべる一匹のカエルが現われて自分は魔法使いによってカエルに姿を変えられた王子であると名乗り、キスをしてくれれば人間の姿に戻ることができるので開業資金についても相談に乗ろう、などと持ちかけるので、誘惑に負けてキスをしたところティアナもまたカエルとなり、人間に追われて王子とともに沼に逃れ、そこで人間に戻る手段の算段を始める。 ジョン・ラセター製作による手書きのフルアニメーション作品。細部にいたるまで物が動く喜びにあふれていて、見終わったあともかなりのあいだ、頭のなかで絵が勝手に踊っていた。ミュージカルとしても破格の出来で、聞きごたえがある。
マイ・ボディガード Man on Fire 2004年 アメリカ・メキシコ 146分 監督:トニー・スコット 特殊部隊の出身で過去にどうやらやまほどの殺人をおこなった結果、希望を失い、酒浸りになった男ジョン・クリーシーは旧友の勧めでボディガードの職につき、メキシコシティで少女ピタ・ラモスの護衛をすることになる。クリーシーは少女との交流で心を開くが、その少女は犯罪組織に誘拐され、クリーシーもまた重傷を追い、身代金の引き渡しで起こったトラブルからピタが殺されたと聞いたクリーシーは、傷が癒えるのも待たずに復讐に立ち上がる。 旧友に扮するクリストファー・ウォーケンの台詞によると、デンゼル・ワシントン扮するクリーシーは死の芸術家であり、いままさにそのマスターピースの製作に取りかかろうとしているのだ、ということになるらしい。 クリーシーを影から支援するメキシコ連邦捜査局の捜査官がジャンカルロ・ジャンニーニで、その女友達として登場するレイチェル・ティコティンともども、実にいい味を出していた。ダコタ・ファニングもやや得意な風貌を含めて魅力的で、キャスティングのセンスはたいそうよろしい。脚本はブライアン・ヘルゲランド。トニー・スコットの演出はスタイリッシュで、短いショットの積み重ねにサスペンスを折り込みながらストーリーをよどみなく進行させる。スーパーインポーズを単なる翻訳字幕としてではなく強調表現として使う手法が目新しい。アクション・シーンはリアルで迫力があり、復讐者クリーシーの復讐ぶりも情け無用で手際がよい。二時間半近い長尺ながら、画面から目を放せなかった。
LIFE! The Secret Life of Walter Mitty 2013年 アメリカ 114分 監督:ベン・スティラー 『LIFE』誌で写真のネガを管理しているウォルター・ミティは空想癖の持ち主で、ひとと話をしている最中にもときどき向こうの世界に出かけていたが、『LIFE』誌の休刊が決まって最終号の表紙をかざる写真のネガがなぜか見つからないことに気がついて、写真家ショーン・オコンネルの手元にまだあるのではないかと考えて所在のわからない写真家のたずねてグリーンランドへ渡り、一日のあいだにヘリコプターから落ちる、サメと戦うなどの冒険をして、さらにアイスランドへ渡ってつづら折りの道をスケートボードで駆け抜け、火山の爆発に出会い、アメリカへ戻ると新たな手掛かりを手にアフガニスタンへ渡り、ヒマラヤ山中へ分け入ってそこで写真家を探し出して真相を知る。 ジェームズ・サーバーの短編の再映画化。とはいえここに登場するウォルター・ミティはそもそもの気質がバックパッカーであり、空想は本性に反して日々を送る自分に対して与えられた抜け道であり、中盤から始まる旅は自己抑制から抜け出すにつれて輝くような解放感を帯びていく。そしてそこに展開する光景は『LIFE』誌を背景に選んだことからあきらかなように、すぐれてフォトジェニックであり同時にグラフィカルでもあり、視覚的な豊かさには息を呑まずにはいられない。むしろ、よほどの自信がなければこの設定は選択できなかったのではあるまいか。 ベン・スティーラーは60-70年代的とも言える楽観的な精神風土を引用しながら自己回帰の物語を美しく仕上げ、自らきわめて魅力的に演じている。『トロピック・サンダー』を見たとき、その構築力の確かさに感心させられたが、ここではさらに数歩前進している姿を見ることができる。共演のクリステン・ウィグ、シャーリー・マクレーン、ショーン・ペンもすばらしい。
ハンガー・ゲーム The Hunger Games 2012年 アメリカ 143分 監督:ゲイリー・ロス パネムという国があって、そこはどうやら13の地区にわかれていて、そのうちの12の地区がかつて反乱を起こして鎮圧されて、国家はその記憶を国民が失わないように、という配慮から、ということらしいのだけど、年に一度、反乱を起こした12の地区から12歳から18歳の男女一人ずつを選び出して最後の一人になるまで殺し合いをさせる行事をおこなっていて、第12地区に暮らすカットニス・エバディーンは自分の妹の身代わりにこの行事に志願する。 最初の一時間をだらだらと状況説明に使い、一時間を過ぎたあたりからようやくゲームが始まって、それで少しはましになるのかと思ったら、結局最後までだらだらしておしまいで、この二時間半はかなり長い。プロットはお粗末で演出はまるでやる気がない。しかも肝心のゲームがいんちきばかりで面白くない(途中でルールを変えるのは問題外だし、都合よく遺伝子改造されたスズメバチの巣があったりとか、致死性の毒を持った木の実があるとか、小学生が書いた小説じゃあるまいし、だいたい、いきなり飛び出してくるCGの怪物はいったいなんですか)。反乱地域の取ってつけたような貧困描写は背景を欠いているので説得力がまるでないし、集められた少年少女もヒロインがやたらとクローズアップされる一方で影らしい影も与えられていない。周辺のおとなも魅力がなくて、ウディ・ハレルソンも役柄がよくわからないし、ドナルド・サザーランドはまったくのアルバイトに徹している。未来都市の描写もいただけない、というか、美術は全体に凄惨なことになっている。
リトル・ランボーズ Son of Rambow 2007年 フランス/イギリス/ドイツ 94分 監督:ガース・ジェニングス 母と妹、祖母と暮らすウィル・プラウドフットは一家が根本主義のプリマス同胞教会に属している関係で一切の娯楽を絶たれ、自分の聖書をひたすらに落書きで満たしていたが、同じ学校の言わば悪たれ小僧リー・カーターの家で偶然『ランボー』を見たことで言わば世俗の楽しみによる害悪をただちにこうむり、頭のなかを暴力的な空想で満たし、さらにそれを聖書の落書きに書きくわえていくと、BBCの少年向け映像コンテストに応募するという野心を抱くリー・カーターはウィル・プラウドフットの聖書を見てそれをそのまま映像化しようと考え、ふたりは血の兄弟のちぎりを結び、言わば悪たれであるリー・カーターが停学をくらうとカメラを預かるウィル・プラウドフットが自ら監督となって撮影を進め、リー・カーターは学校に戻って疎外感を味わい、ふたりの友情に傷がつくが、収まるべきものは収まるべきところに収まって、リー・カーターは家族と友情を取り戻し、ウィル・プラウドフットの一家は根本主義の悪夢から抜け出す。 ほとんどフランドル絵画から抜け出したようなプラウドフット家の異様な描写から小学校のこどもたちのいかにもイギリス的にかしいだ日常まで細部の描写が非常に楽しい。主役のふたりにしても、その周辺にしても子役が実に達者で感心した。同じ監督の『銀河ヒッチハイク・ガイド』もいちおう好きな映画だが、本人のこだわりが違うのか、仕上がりはこちらのほうが上であろう。
ザ・ジェネラル The General 1998年 アイルランド/イギリス 120分 監督:ジョン・ブアマン ケヴィン・スペイシー主演の『わたしが愛したギャングスター』のモデルになっている実在の泥棒マイケル・カーヒルの伝記映画。並べて見ると似たような場面が次から次へと登場してちょっと笑える。 ただしこちらは大真面目である。舞台はダブリンだが、地縁血縁的な泥棒一味の描写はどことなくシリトーを思わせる。また犯罪を職業とする一方で、家では家庭を大事にしていて、というのはデイブ・コートニーの回想録『悪党』を思わせないでもないが、ロンドンとダブリンの違いなのか、当人の性格に起因するのか、マイケル・カーヒルの生涯は今一つ不器用で痛々しい。 気骨はあるものの妙に痛々しく、そして少々間抜けな男の生涯をジョン・ブアマンがかっちりとした映画に仕上げている。
レッド・ドーン Red Dawn 2012年 アメリカ 96分 監督:ダン・ブラッドリー ロシア軍の協力を得た北朝鮮の軍隊がなにやら新兵器を使ってアメリカの国防網を壊滅させてアメリカを占領してしまうので高校生が武器を取って抵抗を始める。 つまりジョン・ミリアスの『若き勇者たち』のリメイクで、オリジナルの84年当時ですらロシアとキューバの連合軍がアメリカ北西部の田舎町をなぜか占領するという無理矢理な設定がナンセンスに感じられたものだが、どうせナンセンスなら、ということで居直ったのか、消去法で北朝鮮くらいしか思いつかなかったからなのか、自称北朝鮮の軍隊が今回はシアトルとその近郊を占領するわけだけど、装備類がむやみと近代的で、小火器がAKというくらいで車両はアメリカ軍そのまんま(一瞬、北朝鮮のマークをつけたピラーニャが登場する)、兵士たちは栄養状態がとてもよくて(失礼だが)あちらの国のみなさんにはあまり見えない、という様子なので要するに言い訳以上のものではなくて、それらしく見せようという努力もたぶんしていない。それでもオリジナルよりいくらかましに見えるのはあちらが山岳戦だったのに対してこちらが都市ゲリラでバリエーションが豊富なこと、十代向け映画というフレームがはっきりしていて、その範囲ではちゃんとまとまっていること、などの理由があるからであろう。
奴らを高く吊るせ! Hang 'Em High 1968年 アメリカ 114分 監督:テッド・ポスト 牧童のジェド・クーパー(クリント・イーストウッド)が800ドルで買った牛の群れを追っていると、そこへ9人の男が現われてジェド・クーパーを牛泥棒と決めつけてジェド・クーパーの首を吊り、代わって現われた連邦保安官がジェド・クーパーを救ってフォート・グラントの町へ送り、間もなく牛泥棒の真犯人が見つかったことでジェド・クーパーは自由の身となるが、フォート・グラントのフェントン判事(パット・ヒングル)は復讐を求めるジェド・クーパーを連邦保安官に任命し、ジェド・クーパーは法を執行するために自分を吊るした男たちを追って無法がはびこるオクラホマ準州にウマを走らせる。ジェド・クーパーを吊るした男たちは追手が迫っているのを知ってジェド・クーパーの買収をはかってあえなく失敗し、そもそも無実の者をリンチにかけたことが失敗であり、リンチにかけていながら相手を生き延びさせたことも失敗であったと悟り、ジェド・クーパーを殺害するためにフォート・グラントの町を訪れ、ジェド・クーパーに向かって何発となく弾丸を叩き込むことに成功するが、いったいどこを狙ったのか、またしても失敗し、負傷から回復したジェド・クーパーは自分を襲った男たちを捕えるために再び馬上のひととなる。 私法と公法の暴力性がほぼ同質に併存する状況を背景に、方向性の異なる人物像を豊富に配して視点の多様性を与え、奥行きのある内容に仕上げている。しっかりとした脚本を腕の確かな監督が堅実にまとめ、見ごたえがある。後半、お祭り騒ぎのなかで進行する処刑の場面が特にすごい。
ヤギと男と男と壁と The Men Who Stare at Goats 2009年 イギリス/アメリカ 94分 監督:グラント・ヘスロヴ 地方新聞の記者ボブ・ウィルトンは妻を編集長に奪われたことから妻を見返す必要を感じ、また自分と向き合う必要も感じたことから記事のネタを求めてイラク戦争の現場を目指し、クウェート国境で足止めされたところでリン・キャシディと名乗る男と知り合い、かつてリン・キャシディの同僚を取材していたことでリン・キャシディの正体を見抜き、リン・キャシディがアメリカ陸軍超能力者部隊の一員であったことを指摘するとリン・キャシディは事実を認め、これから国境を越えてイラクへ入るというリン・キャシディにボブ・ウィルトンは同行し、その道中で超能力者部隊「新地球軍」についてあれこれを知ることになるが、つまりリン・キャシディの説明によればベトナム戦争期間中にベトコンの弾を受けて倒れた男ビル・ジャンゴは撃たれた瞬間に耳にした一言の意味を解明するために六年間にわたってニューエイジの洗礼を受け、軍に復帰して「新地球軍」のコンセプトを説明したところ、折からソ連側の超能力者部隊(ネコをいじめている)についての情報を得て対抗策の必要を感じていた国防省は「新地球軍」の創設を認め、リン・キャシディもその一員となって「ジェダイの戦士」となるために透視能力などの技術を磨いていたが、スプーン曲げの能力を認められて部隊に入ったラリー・フーバーが秩序を乱してビル・ジャンゴを軍から追い出し、リン・キャシディにヤギをいじめるように強要し、任期を終えて除隊するリン・キャシディを中国に伝わる点穴の技で死の罠にはめ、それはそれとして自分は現役の兵士であり、現在も秘密活動の最中であるとリン・キャシディは説明し、あてにならない超能力で砂漠を進み、遭難しかけた二人の前に謎の米軍基地が出現する。 新聞記者がユアン・マクレガー、超能力者リン・キャシディがジョージ・クルーニー、「新地球軍」の指揮官ビル・ジャンゴがジェフ・ブリッジス、部隊を崩壊に導く邪悪なSF作家ラリー・フーバーがケヴィン・スペイシー、途中砂漠で二人を拾う謎の政商がロバート・パトリック。きわめていかがわしい話とそのいかがわしい話を信仰にした善良な人々の話とが実にうまく混淆されて面白い映画になっているが、それにしても驚くべきオールスターぶりである。出演者はみないい感じの演技をしていて、特にジェフ・ブリッジスが楽しそう。
ライフ・イズ・コメディ! ピーター・セラーズの愛し方 The Life And Death Of Peter Sellers 2004年 アメリカ・イギリス 125分 監督:スティーブン・ホプキンス ジェフリー・ラッシュが四半世紀にわたるタイムスパンでピーター・セラーズを怪演している。ジェフリー・ラッシュ本人がすでに若くはないので50年代の描写はやや不自然に感じたものの、当然のことながらあとになるほどよくなってきた(もう一つ難を言うと、声の感じがピーター・セラーズとかなり違う)。で、そのジェフリー・ラッシュ扮するピーター・セラーズがひどくこどもじみた性格の持ち主で、自分で自分の家庭を破壊し、離婚と結婚を繰り返し、自らの人間としての無個性ぶりに気がついて、そうした自分自身を投影するかのように『チャンス』に取り組んでいく。 凝った手法を取り入れようといろいろと試みてはいるが、失敗が目立つ。察するに、スティーブン・ホプキンスはそれほど気の利いた監督ではないのであろう( 『プレデター2』)。とはいえ、こちらとしてはジェフリー・ラッシュが「ピーター・セラーズごっこ」をしているだけで面白かったし、そこへブレイク・エドワーズ(ジョン・リスゴー)、ブリット・エクランド(シャーリーズ・セロン)、ソフィア・ローレン、カルロ・ポンティ(一瞬だけ)、スタンリー・キューブリックなどが登場し(いや、どれもあまり似てないけれど)、絡む、というのも趣向としてはなかなかに楽しい。
チャンス Being There 1979年 アメリカ 130分 監督:ハル・アシュビー イェージー・コジンスキー原作・脚本。 庭師チャンスは老人の死によって屋敷から追われ、見知らぬ外界へ放り出される。生まれて以来、まったく社会と関わりを持たず、読み書きを知らず、ただテレビだけを友にしながら暮らしていたこの男は老人から与えられた極上の服をまとい、立派な押し出しでワシントンの町に現われ、アメリカ金融界の大物の車に轢かれて傷を負うと治療のためにその家に招かれる。そして立派な押し出しによって上流人士であると誤解され、物怖じしない様子から大人物であると勘違いされ、素朴な庭師としての発言はことごとくアメリカ経済の先行きを示す貴重な指標として大統領の演説に引用され、次期大統領候補として持ち上げられる。 現代版カスパー・ハウザーという感じの話だが、周囲の人物はこの庭師が一種の精薄であることに最後まで気がつかない。この主人公とアメリカ権力中枢との対照がグロテスクで行き場のない話を作り上げている。ピーター・セラーズは庭師チャンスを厳かな表情と厳かなほど緩慢な台詞回しで巧みに演じ、不思議なほどのリアリティと魅力を与えている。冒頭、庭を追われたチャンスが山高帽に傘をぶら下げた姿で国会議事堂の前に現われ、そこにリヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラ』(デオダート版)が重々しくかかり、映画の寓話としての指向性が明確に示され、何かこの世ならぬ雰囲気をかもし出して見る者を何か興奮させる。