2014年10月31日金曜日

ブリングリング

ブリングリング
The Bling Ring
2013年 アメリカ/イギリス/フランス/ドイツ/日本 90分
監督:ソフィア・コッポラ

前の学校を不登校で退学になったマークは新しい高校でレベッカと知り合い、軽い気持ちで盗みを働くレベッカと一緒にパリス・ヒルトンの家に侵入して一緒になって盗みを働き、そこにレベッカの友達のクロエ、ニッキー、サムが加わり、ネットでセレブの動向を調べては留守宅に押し入って窃盗を繰り返し、盗んだ物は自分で使うか隠匿し、売れる物は売り、罪の意識がないので窃盗を繰り返していることを自慢していると逮捕されて実刑を受ける。 
なんというのか、パーティに出かけていって自撮りをする、盗みに入って自撮りをする、というパターンに行動を固定されたこのLess Than Zero未満な若者たちがほとんど意味不明というのか、なにもしなくてももっとましなことができるだろう、という感じで、とりあえず見たままにそのようなものかと受け取ってはいるものの、やはりよくわからない。ソフィア・コッポラはおそらくいい素材を選択しているし、演出も意外なほどストイックで、対象に対して適当な距離感を保っている。余計な情動に踏み込まずに、適度に刈り取りながら早めのストロークで回しているので、見やすい映画になっているのではあるまいか。エマ・ワトソンのキャラクターがなかなかに異様で面白かった。 


Tetsuya Sato

2014年10月30日木曜日

ライトスタッフ

ライトスタッフ
The Right Stuff
1983年 アメリカ 193分
監督・脚本:フィリップ・カウフマン

1947年、肋骨の損傷にもかかわらずベルXS-1に乗り込んだチャック・イエーガーは水平飛行で超音速を記録し、世界で初めて音速を超えた男となり、若いパイロットが名声を求めてエドワード空軍基地に集まっていたころ、ソ連はスプートニクを宇宙に打ち上げ、蒼白となったアメリカは宇宙計画に拍車をかけ、有人飛行計画の候補としてサーファー、曲芸師などを考えるが、アイゼンハワーの一言で扱いが悪いパイロットを使うことになり、空軍、海軍および海兵隊からパイロットが募集され、厳格な審査の末に優れた資質を持つ七人が選ばれ、やがてソ連がガガーリンを打ち上げるとアメリカはふたたび蒼白となり、マーキュリー計画に拍車をかけて、まず訓練したチンパンジーを打ち上げ、続いてチンパンジーと同じ訓練をしたアラン・シェパードを打ち上げ、アラン・シェパードは英雄となり、さらに続いて打ち上げられたガス・グリソムはカプセルを水没させたせいで英雄になりそこね、ソ連がチトフを打ち上げて地球を周回させるとアメリカはジョン・グレンを打ち上げて地球を三周させ、管制センターがヒューストンに移されたころ、チャック・イエーガーは最新鋭のF104に乗り込んで高高度を目指して失速し、ゴードン・クーパーが打ち上げられて地球を22周する。

スコット・グレンがアラン・シェパード、エド・ハリスがジョン・グレン、デニス・クエイドがゴードン・クーパー、サム・シェパードがチャック・イエーガー。マーキュリー計画という、言わば付け焼刃な国家プロジェクトにおけるパイロット、あるいは宇宙飛行士という、全体に一番乗りを目指す傾向のあるやや特異な人種が自分自身のプライドと戦い、そのまわりで政府機関やマスコミが軽挙妄動を繰り返し、それで結局、いちばんかっこよかったのは一人で淡々と星空を目指して失敗するチャック・イエーガーだったりするのである。破格のスケールで丹念に作られた、きわめて質の高い映画だが、歴史的に複合した状況を扱うためか、いわゆる劇映画としてのナラティブは必ずしも維持されていない。最後のナレーションは感動的だが、同時に唐突にも感じられる。ジェフ・ゴールドブラムがマーキュリー計画のスカウト役で、ランス・ヘンリクセンが宇宙飛行士の一人ウォルター・シラーの役で登場する。 




Tetsuya Sato

2014年10月29日水曜日

ハッカビーズ

ハッカビーズ
I Heart Huckabees
2004年 アメリカ 107分
監督:デヴィッド・O・ラッセル

自我の確立に問題のある男が不審な偶然に気を取られて哲学探偵に調査を依頼し、夫婦者の哲学探偵は実存主義を振りかざして依頼主の周辺を嗅ぎ回り、そうしているとその哲学探偵のかつての弟子で哲学の暗黒面に落ちた哲学者が登場して男を虚無主義へ引きずり込む。
主人公で環境保護団体の支部長がジェイソン・シュワルツマン、いかがわしい哲学探偵夫婦がダスティン・ホフマンとリリー・トムリン、暗黒面に落ちた哲学者がイザベル・ユペール、その弟子筋で、9.11以降は石油問題しか話題にできなくなった消防士がマーク・ウォールバーグ、ジェイソン・シュワルツマンを罠にかけて環境保護運動を乗っ取ろうとたくらむスーパーマーケットの公報担当がジュード・ロウ、そのガールフレンドで、哲学探偵夫婦の罠にはまっていきなりアーミッシュ化するのがナオミ・ワッツ。このキャスティングはかなりすごい。出演者たちはみな適当にリラックスして学芸会的な演技を披露していて、それをなんとなく眺めているのは楽しいものの、映画自体はかなり浅薄なしろものである。まず絵と音楽の薄さが気に障った。話のほうではいろいろと大風呂敷を広げようとは試みているが、すぐに先へ進めなくなるし、毒気もあまり続かない。そして失速を繰り返したあげくの結論が「ひととひとは関わりあう」ではどうしてみようもないのである。立ち往生している人間の関係性の話だとすれば、ポール・トマス・アンダーソンの『マグノリア』ほうが巧みであろう。『スリー・キングス』でもそうだったが、デヴィッド・O・ラッセルとはとにかく相性が悪い。横ずれは横ずれでかまわないが、その横ずれの仕方に面白みがない。

Tetsuya Sato

2014年10月28日火曜日

スリー・キングス

スリー・キングス
Three Kings
1999年 アメリカ 115分
監督:デヴィッド・O・ラッセル

湾岸戦争停戦後、特殊部隊の少佐ジョージ・クルーニーが予備軍軍政中隊の兵隊を連れて、フセインの財宝を盗みにイラクへ侵入する。強盗行為を企んで敵地へ攻め込む話には第二次大戦を舞台にした『戦略大作戦』という傑作があり、似たような物を期待していたわたしとしては激しく肩透かしを食らった。
まず金塊を盗むという個人的な動機で出発した筈なのに、主人公たちはいくらもしないでヒューマニズムに取りつかれる。フセインによる圧政の悲惨が描かれ多国籍軍の空爆による悲惨が話題になり、金塊強奪の話はいつの間にやらどこかへ飛んで目的は難民救出に変わっている。そこに何かコミカルな要素を持ち込もうとする努力はあちらこちらに感じられるのだが、妙に切迫した深刻さの方が先に立って、まとまりが悪くて想像力の乏しいくそ真面目な映画になってしまっている。 

Tetsuya Sato

2014年10月27日月曜日

バトル・オブ・ワルシャワ 大機動作戦

バトル・オブ・ワルシャワ 大機動作戦
1920 Bitwa Warszawska
2011年 ポーランド 115分
監督:イェジー・ホフマン

雪原を進む除雪機付きの装甲列車からトロツキー(似てない)が世界革命の開始を提言し、レーニン(似てない)がスターリン(似てない)を含む政治委員の前でトロツキーを支持していたころ、ピウスツキ(似てない)が率いるポーランド政府はウクライナのペトリューラ派と呼応してキエフ解放のために軍を送り、騎兵として志願したヤンは歌姫のオーラと結婚して部隊とともにキエフにおもむき、そこで戯れに赤軍の宣伝ビラを読み上げると敗北主義に加担したボリシェビキであると告発されて銃殺刑を宣告され、刑の執行を待っているところへ赤軍が進撃してきて部隊は壊滅、捕虜となったヤンはチェキストの理念はジェルジンスキーしか理解していないと説明するチェキストにくっついて赤軍の乱行を見学しながらウクライナを移動し、クバンのコサックに救われてポーランド軍に合流、そのあいだに赤軍はワルシャワに迫り、敗色濃厚となったポーランドは国家総動員を宣言して国民を前線に送り出し、オーラも看護兵になって入隊するとなぜか機関銃の操作で才能を示し、赤軍の無線を傍受した通信兵がトハチェスキーの指令を解読するとピウスツキは赤軍の間隙に騎兵を突入させることに決め、圧倒的な兵力で押し寄せる赤軍にポーランド軍が苦戦しているとヴィスワ川の奇跡が起きる。 
非常に散漫で構成がまるで見えない上に中盤あたりまでキャバレーのレビューシーンが半分近くを占めていて(それはそれで見物ではあるものの)少しく不安を感じる映画だが、軍装や兵器などの再現的な部分はよく頑張っていて、ポーランド軍は言うまでもなく、赤軍の騎兵、輜重、タチャンカなどなかなか見れない風景が満載で、戦場の荒廃ぶりや戦闘シーンもそれなりに迫力があるし、ヴィスワ川におけるポーランド騎兵の突撃はなかなか感動的な場面に仕上がっている。 


Tetsuya Sato

2014年10月26日日曜日

ザ・ベイ

ザ・ベイ
The Bay
2012年 アメリカ 84分
監督:バリー・レヴィンソン

チェサピーク湾では農薬、養鶏場からの鳥の糞、放射能などで深刻な海洋汚染が起こり、2009年7月4日、チェサピークワンに面している人口7000人弱の町クラリッジで住民多数が異常な発疹を起こして病院へ運ばれ、同時に異常な状態の死体が発見され、パニックが発生する、というプロセスを現場にいたメディアのカメラ、市民のカメラ、監視カメラ、車載カメラの映像などから再構成し、そこに事件を生き残ったレポーターが解説を加えるといういわゆるファウンドフッテージ物だが、「素材」の画像が「演出的な意図」にもとづいて「加工」されているし、語り口は舌触りが悪く、終盤ではさらに整理が悪くなる。なぜバリー・レヴィンソンがこういう題材を、という素朴な疑問は置くとしても、それなりに予算がかかった寄生虫系パンデミックというのは珍しいし、設定などはよく考えてあるし、成長促進剤のせいで巨大化したワラジムシが人体を(つまり、そういう内容の映画)、という描写もけっこうすごいので、監督が時間を無駄にしやすいバリー・レヴィンソンでなかったらかなりいけたのではないか、という気もしないでもない。 


Tetsuya Sato

2014年10月25日土曜日

ダラス・バイヤーズクラブ

ダラス・バイヤーズクラブ
Dallas Buyers Club 
2013年 アメリカ 117分
監督:ジャン=マルク・ヴァレ

1985年、ダラスに住む電気技師ロン・ウッドルーフは作業現場で事故にあって病院へ運ばれ、意識を取り戻したところでHIVに感染していて余命30日と宣告され、女好きのロン・ウッドルーフは自分はホモではないから違うと宣言して病院から逃げ出すものの、図書館でいろいろと調べて診断結果を受け入れ、抗HIV薬のAZTの臨床試験が始まったことを知って病院を訪れてAZTの処方を求めるとまだ試験中だということで断られ、そこで裏から手に入れて服用を始めて、裏から手に入れる手段がなくなるとほぼ死にかけたような状態でメキシコを訪れ、そこで出会った無免許医からAZTの危険性を知らされ、より安全な薬の服用と体質改善を勧められてそのまま半年ほど療養すると使っていた薬がアメリカでは無認可だということで大量に仕入れて帰国、それをダラスのHIV感染者に売り歩いているうちにトランスジェンダーのレイヨンが仲間に加わり、会員に対して無料で薬を配るダラス・バイヤーズクラブを立ち上げて成功させると薬を求めて日本、イスラエル、中国、ヨーロッパなどを渡り歩いてAZTに代わる代替医療を進めていくとFDAから横槍が入る。
序盤のクズ野郎から中盤以降では本質はしっかりと保持したまま微妙な深みを加えていくマシュー・マコノヒーがたいへんチャーミング。主人公の周辺キャラクターも魅力的で、心象を寡黙に織り込んでいく演出も誠実な感じがあって悪くない。 


Tetsuya Sato

2014年10月24日金曜日

スモール・ソルジャーズ

スモール・ソルジャーズ
Small Soldiers
1998年 アメリカ 108分
監督:ジョー・ダンテ

軍事企業のグロボテック社が突如として玩具業界に進出し、グロボテック社に買収されたおもちゃ会社は新しい社長の命令でコマンドエリートとゴーゴナイトという二系統のミリタリーアクション系フィギュアを開発するが、どちらにもおもちゃ会社の社員がなんとはなしに採用した軍事用のチップが入っていて、それを発売前に手に入れたおもちゃ屋の息子アラン・アバーナシーがなんとはなしに起動したところ、コマンドエリートの隊長チップ・ハザードは敵であるゴーゴナイト殲滅のために活動を開始し、プログラムによって敗北を運命づけられたゴーゴナイトは敗北主義に染まって逃げ隠れし、アラン・アバーナシーがゴーゴナイトのアーチャーをかくまったことからコマンドエリートの軍団はアラン・アバーナシーとその周辺の人物も敵と見做すようになり、勝利のために手段を択ばないチップ・ハザードはアラン・アバーナシーの家の向かいに住むクリスティン・フィンブルをアラン・アバーナシーの弱点と見てクリスティン・フィンブルを捕えるとどこかのテロリストさながらに脅迫のテープを送りつけ、さらにクリスティン・フィンブルのコレクションの女の子人形にも邪悪な命を吹き込んで味方につけ、クリスティン・フィンブルの問題の多い父親のガレージを悪用してさまざまな兵器を作り上げると最後は大人も巻き込んで大戦争。 
おもちゃの人形の声優陣がとにかく豪華で、チップ・ハザードがトミー・リー・ジョーンズ、アーチャーがフランク・ランジェラ、チップ・ハザード配下の兵隊たちにはおおむね『特攻大作戦』そのまんま、ということでアーネスト・ボーグナイン、ジョージ・ケネディ、ジム・ブラウン、クリント・ウォーカーが参加し、さらにブルース・ダーンまで加わっている。ヒロインのキルステン・ダンストの人形の声はクリスティーナ・リッチ、サラ・ミシェル・ゲラー。スタン・ウィンストンが担当した人形たちがよく動き、それで『パットン大戦車軍団』から『地獄の黙示録』までパロディをやってくれる。ジョー・ダンテの演出は生き生きとしていて、これは非常に楽しい映画に仕上がっている。 

Tetsuya Sato

2014年10月23日木曜日

LEGO(R)ムービー

LEGO(R)ムービー
The Lego Movie
2014年 オーストラリア/アメリカ/デンマーク 100分
監督:フィル・ロード、クリストファー・ミラー

説明書がなければなにも作れないミニフィギュアのエメットがその日もマニュアル通りに行動していると背中になにかが貼りついて、そのせいで、選ばれた者、ということになり、レゴの世界の改変を禁止しようとするおしごと大王の陰謀に立ち向かう。 エメットがクリス・プラット、おしごと大王がウィル・フェレル、預言者がモーガン・フリーマン。レゴによるアニメーションが細部まで滑らかによく動いているし、お蔵出しのような古いパーツが大活躍するのもなんだかうれしい。というわけで素朴に楽しめる映画になっていて、それで悪いことはなにもないわけだけど、心のねじまがったおとなとしては、ひとの家の山ほどのレゴを眺めていてもいまひとつ面白くないという問題が残るような気がしないでもない。 


Tetsuya Sato

2014年10月22日水曜日

フォンターナ広場 イタリアの陰謀

フォンターナ広場 イタリアの陰謀
Romanzo di una strage 
2012年 イタリア/フランス 129分
監督:マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ

1969年12月、ミラノの全国農業銀行で爆発が起こって14人が死亡、警察はほぼ自動的に反応して地元のアナキストグループを調べ始めるが、アナキストのリーダーのジュゼッペ・ピネッリが取り調べ中に死亡して警察本部がその経過についてあられもない嘘を述べるので、捜査を指揮するカレブレージ警視は忠誠と良心のあいだで反問しながら名誉を失い、そうしているあいだにも証拠は捏造され、良心的な検事は事件からはずされ、それでも足りないと事件自体がローマに移管され、そうした一連の動きの背後ではイタリア右翼、軍、NATO急進派、ギリシア軍事政権、スペイン政府、CIAなどが関わっているような話も聞こえてくる。
60年代末から70年代初頭の徹底した再現ぶりは感涙もの。アルド・モーロが妙にかっこいいところが気になったが、ダイアログは知的で、演劇的にも感じられる演出をところどころに交えながら緊張感にあふれる空間を緻密な絵で作り出している。自信に満ちた大作であり、なんだかフランチェスコ・ロージの映画を見ているような気分になった。 


Tetsuya Sato

2014年10月21日火曜日

悪の法則

悪の法則
The Counselor 
2013年 アメリカ/イギリス 118分
監督:リドリー・スコット

エルパソ在住のある弁護士が友人レイナーの紹介で麻薬カルテルの仕事に一枚からむことになり、実際のところどうからんだのかがよく見えないものの、レイナーの愛人マルキナがカルテル側の妙にややこしい手続きの隙をついてアメリカに運ばれた商品を奪い、商品は回収されるものの、カルテルはレイナーを始末して弁護士の婚約者ローラに手を伸ばし、弁護士はローラを救うために泣きながらメキシコに飛んでカルテルを相手に交渉しようと試みるが、カルテルは交渉を拒んで弁護士が現実を受け入れていないと説教をする。 
弁護士がマイケル・ファスベンダー、ローラがペネロペ・クルス、マルキナがキャメロン・ディアス、レイナーがハビエル・バルデム、事件が起こるとさっさと逃亡にかかるディーラーがブラッド・ピット。脚本はコーマック・マッカーシーのオリジナルらしいが、コーマック・マッカーシーというブランドを着ていなかったら、どんなプロダクションも手を出さなかったのではあるまいか。いまさらないようなプロットに小学生が考えたような文学的対照性がたっぷりとまぶしてあって、知ったかぶりが目立つダイアログは幼稚で冗長で、それをまた面白いことにリドリー・スコットが奇妙な脚本至上主義に耽って映像化をして、絵を単なる説明に落としている。ばかばかしい。 


Tetsuya Sato

2014年10月20日月曜日

いたちあたま (14)


 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 大地の底に落ちていく村の女の叫びを聞いて、西の谷から産婆たちがやって来た。家々の戸口をくぐって、村の女たちの脚を開いた。村の男たちが声をあわせて地面を踏んだ。土をかためた床が震え、女が叫び、女の脚のあいだから赤ん坊が転がり出た。赤ん坊は眠っていた。

 眠る者と交われば、眠る子が生まれる。
 森の老人はそう言った。
 眠る者の子は眠り続ける。
 森の老人はそう言った。
 眠る者の子は目覚めを知らない。
 森の老人はそう言った。
 だがときには、目覚めた者が生まれてくる。
 森の老人はそう言った。
 目覚めた者は眠りを知らない。
 森の老人はそう言った。
 目覚めた者は見ようとする。
 森の老人はそう言った。
 目覚めた者は聞き耳を立てる。
 森の老人はそう言った。
 目覚めた者は呪われている。
 森の老人はそう言った。

 目覚めた者は見ようとした。目覚めた者は聞き耳を立てた。
 古いしきたりにしたがって、村の男たちがほうほうほうと声を上げた。見ようとしてはならなかった。村の男たちは目覚めた者を石で打った。
 古いしきたりにしたがって、村の女たちがほうほうほうと声を上げた。聞き耳を立てててはならなかった。村の女たちは目覚めた者を石で打った。
 目覚めた者は荒れ野へ逃れた。荒れ野をさまよい、道を誤った旅人を見つけた。目覚めた者は道を誤った旅人の腕を取り、祈る者が残した道を示した。道を誤った旅人は道へ戻り、目覚めた者は荒れ野を進んだ。

 道を誤った旅人に道を示すな。
 森の老人はそう言った。
 道を誤った旅人を道に戻すな。
 森の老人はそう言った。
 目覚めた者は呪われている。
 森の老人はそう言った。
 目覚めた者はお叱りを受ける。
 森の老人はそう言った。
 お叱り様のお叱りを受ける。
 森の老人はそう言った。

 目覚めた者の頭の上で空が裂けた。虚空がふくらんで雲を押しのけ、暗い風を吹き下ろした。目覚めた者の影が消えた。風が目覚めた者を取り囲んで、目覚めた者を消していった。

 目覚めた者は、まだそこにいる。
 森の老人はそう言った。
 目覚めた者は見ようとする。
 森の老人はそう言った。
 目覚めた者は聞き耳を立てる。
 森の老人はそう言った。
 だが目覚めた者を見ることはない。
 森の老人はそう言った。
 目覚めた者の吐息を聞くこともない。
 森の老人はそう言った。
 目覚めた者は呪われている。
 森の老人はそう言った。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 荒れ野のどこかで、誰かが助けを求めて叫んでいた。頭に髪留めを突き立てられて、助けを求めて叫んでいた。輪を描いて重なる痛みの底で心臓の鼓動をかすかに聞いて、まだ生きていることに気がついて、助けを求めて叫んでいた。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 荒れ野のどこかで、誰かが助けを求めて叫んでいた。雨に打たれて溶かされながら、助けを求めて叫んでいた。湯気を立てて崩れ落ちて、溶けて地面に吸われながら、死にかけていることに気がついて、助けを求めて叫んでいた。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 荒れ野のどこかで、誰かが助けを求めて叫んでいた。転がり落ちた頭を探しながら、助けを求めて叫んでいた。頭を探して湿った地面に手を這わせて、なぜまだ生きているのかといぶかりながら、助けを求めて叫んでいた。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。



Copyright c2014 Tetsuya Sato All rights reserved.

2014年10月19日日曜日

いたちあたま (13)


 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 村の男が村の男たちに売り飛ばされて、助けを求めて叫んでいた。古いしきたりにしたがって、村の男たちはほうほうほうと声を上げた。七日に一度、一人を選んで売ることができた。村の男たちはのろしを上げて穴暮らしたちを呼び寄せた。売り飛ばされた男はただれても蛆がたかってもいなかったので、穴暮らしたちは安く買った。
 村の男を売って得た金は村の男たちのあいだで分配された。村の男たちは居酒屋へ出かけていって金がなくなるまで酒を呑んだ。金が尽きると村の男たちは腹を立てた。居酒屋から出て村の女たちを殴り始めた。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 村の女たちが村の男たちに殴られて、助けを求めて叫んでいた。髪を掴まれ、引きずり倒され、足蹴にされて助けを求めて叫んでいた。村の男たちは村の女たちの腰帯をほどき、隠しどころにためらいもなく手を入れて村の女たちの金を奪った。金を手に入れた村の男たちは居酒屋に戻って酒盛りを始めた。
 村の男たちがすっかり酔って寝静まったころ、村の女たちは荒れ野へ出かけて、そこで道を誤った旅人を探した。道を誤った旅人を見つけて取り囲み、いっせいに髪留めを抜くと髪を乱してわめきながら針のようにとがった髪留めの先を道を誤った旅人のからだに突き立てた。それから髪留めの血をぬぐい、顔を隠して村へ戻った。闇夜にまぎれて家に駆け込み、戸口に掛け金を下ろして息をひそめた。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 道を誤った旅人は穴という穴から血を流しながら、助けを求めて暗い森に踏み込んだ。暗い森には盗賊たちがひそんでいた。道を誤った旅人を見つけると笑いながら襲いかかって、裸に剥いて木に縛りつけた。からだに開いた小さな穴の一つひとつに松脂に浸した松の葉を植え、血がとまったところでやっとこを取り出し、目玉をえぐり、肉をえぐり、耳や鼻をねじり取った。仕事を終えると居酒屋へ出かけて、酔って眠りこける村の男たちを見下ろした。盗賊たちは居酒屋のあるじに金を払って村の男たちを安く買った。村の男たちを森へ運んで服を奪うと、村の男たちになって村へ戻った。村の男たちは居酒屋の戸口の前で腹を立てた。金がないことに気がついて、村の女たちを殴り始めた。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 村の女たちが村の男たちに殴られて、助けを求めて叫んでいた。髪を掴まれ、引きずり倒され、足蹴にされて助けを求めて叫んでいた。村の男たちは村の女たちの腰帯をほどき、隠しどころにためらいもなく手を入れて村の女たちの金を奪った。金を手に入れた村の男たちは居酒屋に戻って酒盛りを始めた。
 村の男たちがすっかり酔って寝静まったころ、村の女たちは荒れ野へ出かけて、そこで道を誤った旅人を探した。道を誤った旅人を見つけて取り囲み、いっせいに髪留めを抜くと髪を乱してわめきながら針のようにとがった髪留めの先を道を誤った旅人のからだに突き立てた。それから髪留めの血をぬぐい、顔を隠して村へ戻った。闇夜にまぎれて家に駆け込み、戸口に掛け金を下ろして息をひそめた。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 道を誤った旅人は穴という穴から血を流しながら、助けを求めて暗い森に踏み込んだ。暗い森では盗賊たちが裸で眠っていた。酔いから目覚めて道を誤った旅人を見つけると裸に剥いて木に縛りつけた。からだに開いた小さな穴の一つひとつに松脂に浸した松の皮を貼りつけて、血がとまったところでやっとこを取り出し、目玉をえぐり、肉をえぐり、耳や鼻をねじり取った。仕事を終えると居酒屋へ出かけて、酔って眠りこける村の男たちを見下ろした。盗賊たちは居酒屋のあるじに金を払って村の男たちを安く買った。村の男たちを森へ運んで服を奪うと、村の男たちになって村へ戻った。村の男たちは居酒屋の戸口の前で腹を立てた。金がないことに気がついて、村の女たちを殴り始めた。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 村の女たちが村の男たちに殴られて、助けを求めて叫んでいた。髪を掴まれ、引きずり倒され、足蹴にされて助けを求めて叫んでいた。村の男たちは村の女たちの腰帯をほどき、隠しどころにためらいもなく手を入れて村の女たちの金を奪った。金を手に入れた村の男たちは居酒屋に戻って酒盛りを始めた。
 村の男たちがすっかり酔って寝静まったころ、村の女たちは荒れ野へ出かけて、そこで道を誤った旅人を探した。荒れ野では眠る者が石を抱いて眠っていた。

 眠る者は眠り続ける。
 森の老人はそう言った。
 眠る者は目覚めを知らない。
 森の老人はそう言った。

 村の女たちは眠る者を囲んで髪留めを抜いた。一人、また一人と眠る者のまわりに横たわって、髪を乱して眠り始めた。村の女たちが寝息を立てると眠る者が目を覚ました。石を捨てて起き上がって、村の女たちの腰帯をほどいた。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 村の女たちが大きくふくらんだ腹を抱えて、助けを求めて叫んでいた。村の男たちは軒先を肩にかけると屋根を押し上げ、壁と屋根の隙間から家のなかを覗き込んだ。村の女がふくらんだ腹を抱えて横たわり、苦しみの汗をにじませていた。村の男たちはそれを見て、古いしきたりにしたがってほうほうほうと声を上げた。女が腹をふくらませているのは、眠る者の隣で眠った証拠だった。村の男たちは肩を組んで、声をあわせて地面を踏んだ。村の男たちがそろって足を踏み鳴らすと、地面が震えて家が揺れた。村の男たちがそろって足を踏み鳴らすと、家の壁に亀裂が走り、大地が重たく轟いた。村の女たちの腰の下で砕ける音が響き始めた。村の女の腰の下で、土をかためた床が割れた。一人、また一人と村の女が悲鳴を残して大地の底に落ちていった。



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2014年10月18日土曜日

いたちあたま (12)


 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 村の子供が助けを求めて叫んでいた。行商人は村の女たちから子供を買った。逃げないように手足を縛って、肩に担いで南の谷まで運んでいった。行商人の肩の上で、売られた子供が助けを求めて叫んでいた。南の谷の川の流れに行き当たると、行商人は子供をおろして声を上げた。行商人の声を聞いて、谷の女たちが集まってきた。谷の女たちには目がなかった。かわりに手を前に差し出して、どんなことでも探り当てた。谷の女たちには足がなかった。かわりにひだを動かしてゆっくりと進み、進んだあとに銀色に光る筋を残した。行商人は谷の女たちに子供を売った。

 谷の女たちは買った子供を栗で育てる。
 森の老人はそう言った。
 枝で編んだ檻に入れて栗を食わせる。
 森の老人はそう言った。
 子供は栗を食ってよく太る。
 森の老人はそう言った。
 太って檻からはみ出してくる。
 森の老人はそう言った。
 そうなったら、谷の女たちは檻を壊す。
 森の老人はそう言った。
 そして歯のない口でしゃぶる。
 森の老人はそう言った。
 しゃぶり尽くすと谷の女たちは卵を産む。
 森の老人はそう言った。
 銀色に光る卵を山ほども産む。
 森の老人はそう言った。

 行商人は谷の女たちから卵を買った。買った卵を村まで運んで、村の女たちに高く売った。村の女たちは卵を村の男たちの食べ物に入れた。村の男たちはそれを食べて口から白い泡を吐いた。栗の花のにおいがする白い泡を際限もなく吐き続けた。
 古いしきたりにしたがって、村の男たちはほうほうほうと声を上げた。村の男たちが口から泡を吐くのは、村の女たちが食べ物に卵を入れた証拠だった。
 古いしきたりにしたがって、村の女たちはほうほうほうと声を上げた。村の男たちが口から泡を吐くのは、村の男たちが女を殴れなくなった証拠だった。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 村の男たちが村の女たちに殴られて、助けを求めて叫んでいた。ひげを掴まれ、引きずり倒され、足蹴にされて助けを求めて叫んでいた。村の女たちは村の男たちの腰帯をほどき、縮んだ隠しどころを指差した。村の男たちは助けを求めて森に逃れた。栗の花のにおいに引き寄せられて暗い森の盗賊たちが集まってきた。笑いながら村の男たちに襲いかかり、腰帯をほどいて縮んだ隠しどころを指差した。村の男たちは盗賊から逃れて腰帯を直し、食らう者を探して森を走った。村の男たちが食らう者を探していると、食らう者が村の男たちを探し出した。食らう者には目がなかった。かわりに手を前に差し出して、どんなことでも探り当てた。食らう者には足がなかった。かわりにひだを動かしてゆっくりと進み、進んだあとに銀色に光る筋を残した。村の男たちは食らう者の前に横たわって、腰帯をほどいて前をはだけた。食らう者は村の男たちの腹に手を入れて、泡を吹く卵を掴み出した。白い泡を吹く卵を両手に取って、それを歯のない口に入れた。

 食らう者は男の腹から取った卵を食らう。
 森の老人はそう言った。
 山ほども卵を食らって大きくなる。
 森の老人はそう言った。
 そして見上げるほどの大きさになる。
 森の老人はそう言った。
 小山のような大きさになる。
 森の老人はそう言った。

 食らう者の下腹が裂けて、そこから何百もの谷の女が這い出してきた。生まれたばかりの谷の女が手を動かして、生まれたばかりの谷の女を探り当てた。生まれたばかりの谷の女が手を動かして、生まれたばかりの谷の女にしゃぶりついた。歯のない口で一人がしゃぶり尽くされ、また一人がしゃぶり尽くされた。次々としゃぶり尽くされて何百といた谷の女は最後には数えられるほどの数になり、銀色に光る筋を残して森を離れた。

 谷の女が腹から出ると食らう者は小さくなる。
 森の老人はそう言った。
 もとの大きさまで縮んで森をさまよう。
 森の老人はそう言った。
 そして銀色に光る筋を残す。
 森の老人はそう言った。

 食らう者が残した銀色の筋を腐る者が追っていった。腐る者には目がなかった。かわりに手を前に差し出して、どんなことでも探り当てた。腐る者には足がなかった。かわりにひだを動かしてゆっくりと進み、進んだあとに銀色に光る筋を残した。食らう者の口には歯がなかったが、腐る者の口には鋭い牙が並んでいた。食らう者は腐る者に気がついて、暗い森をゆっくりと進んだ。腐る者は食らう者に気がついて、暗い森をゆっくりと進んだ。腐る者は食らう者に決して追いつくことができなかった。それでも腐る者は食らう者を追い続けた。そしてなにかを探り当てると、牙を剥いて襲いかかった。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 道を誤った旅人が助けを求めて叫んでいた。腐る者の手に捕まって、鋭い牙で切り裂かれながら助けを求めて叫んでいた。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 暗い森の盗賊が助けを求めて叫んでいた。腐る者の手に捕まって、鋭い牙で切り裂かれながら助けを求めて叫んでいた。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 村の男が助けを求めて叫んでいた。腐る者の手に捕まって、鋭い牙で切り裂かれながら助けを求めて叫んでいた。

 食らう者は卵を食らって大きくなる。
 森の老人はそう言った。
 卵を食えずにいると変わって腐る者になる。
 森の老人はそう言った。
 腐る者は牙を生やして食らう者を追いかける。
 森の老人はそう言った。
 だが腐る者は食らう者に追いつけない。
 森の老人はそう言った。

 腐る者が残した銀色の筋を行商人が追っていった。腐る者の背後に迫ると吹き矢をかまえ、蛙の毒に浸した黒い矢を腐る者に撃ち込んだ。腐る者が動けなくなると縄をかけて引きずり倒し、口にぼろ切れを詰めて手を縛った。そしてそのまま村まで引いていって村の女たちに高く売った。
 村の女たちは包丁を使って腐る者の頭と腕を切り落とした。胴体の皮を剥いで内臓を取り出し、内臓を汲んだばかりの水で洗った。皮を細切れにした。洗った内臓も細切れにした。いくつもの壺に細切れにした皮と内臓を入れ、口から取った牙を入れ、手の先から取った爪も入れた。そこへ森で取った香草を加え、いくらかの麦も加え、新しい酢で浸してから最後に水を流し込んだ。壺に泥で封をして土に埋め、一年待つと壺の中身は酒に変わった。村の女たちはできあがった酒を居酒屋へ運んで居酒屋のあるじに高く売った。酒を売って得た金は村の女たちのあいだで分配された。村の女たちは腰帯をほどいて隠しどころに金を隠し、顔を隠して家に戻ると戸口に掛け金を下ろして息をひそめた。



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2014年10月17日金曜日

いたちあたま (11)


 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 道を誤った旅人が荒れ野で助けを求めていた。荒れ野には祈る者の背中からこぼれた罪のかけらが転がっていた。道を誤った旅人はそれを見つけて口に入れた。すると骨が溶け始めた。からだのなかで骨が溶けていくあいだ、道を誤った旅人は助けを求めて叫び続けた。骨がすっかり溶けるまでに七日かかった。日の光にさらされ、雨に打たれ、朝の霧に包まれると、道を誤った旅人は甘いにおいのする泥に変わった。夜の風に流されて荒れ野のくぼみに滑り込んだ。それを村の女たちが柄杓で汲んで桶に移した。桶がいっぱいになると頭にのせて村に戻り、桶の中身をさじですくって子供に与えた。

 子供の世話は女の仕事だ。
 森の老人はそう言った。
 子供は女の世話で大きくなる。
 森の老人はそう言った。
 大きくなって女を殴る男になる。
 森の老人はそう言った。
 大きくなって男が殴る女になる。
 森の老人はそう言った。
 半分は、そうなる前に石になる。
 森の老人はそう言った。

 子供は夜のあいだに石に変わった。土をかためた床の上で、隙間風に吹かれて石に変わった。村の女たちは石に変わった子供を石で砕いた。砂になるまですり潰して、村の男たちの食べ物に混ぜた。村の男たちはそれを食べて下半身から血を流した。
 古いしきたりにしたがって、村の男たちはほうほうほうと声を上げた。村の男たちが下半身から血を流すのは、村の女たちが食べ物に毒を混ぜた証拠だった。
 古いしきたりにしたがって、村の女たちはほうほうほうと声を上げた。村の男たちが下半身から血を流すのは、村の男たちが女を殴れなくなった証拠だった。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 村の男たちが村の女たちに殴られて、助けを求めて叫んでいた。ひげを掴まれ、引きずり倒され、足蹴にされて助けを求めて叫んでいた。村の女たちは村の男たちの腰帯をほどき、血まみれになった隠しどころを指差した。村の男たちは助けを求めて森に逃れた。血のにおいに引き寄せられて、湿った地面から黒い虫が這い出してきた。波になって押し寄せてきて村の男たちの脚をのぼり、隠しどころに食らいついた。皮を破って肉をかじり、肉のなかへともぐり込んだ。肉を食い尽くしながら上へ上へと這い上がって、口からあふれて顎を伝った。目からあふれて頬を流れた。逃れるあいだに四人か五人が生きたまま食われた。

 森の奥には、捨てられた者がいる。
 森の老人はそう言った。
 捨てられた者は動かない。
 森の老人はそう言った。
 森の奥に横たわって、ただ口を開けている。
 森の老人はそう言った。
 口を開けていると虫や鳥が飛び込んでくる。
 森の老人はそう言った。
 捨てられた者はそれを食べる。
 森の老人はそう言った。
 そして見上げるほどの大きさになる。
 森の老人はそう言った。
 小山のような大きさになる。
 森の老人はそう言った。

 森の奥にたどり着くと、村の男たちは匕首を抜いた。匕首の先で捨てられた者の皮膚を裂いて、そこに藁を差し込んだ。村の男たちは藁の端を口にふくんで、捨てられた者の血を吸った。吸い続けると下半身から流れる血がとまった。さらに吸うと女に作られたあざが消え、虫にかじられたあとが消えた。女にむしられたひげが戻り、酒の濁りが目から消えた。なおも吸い続けると、捨てられた者が喉の奥を震わせた。捨てられた者のからだから重たい音がとどろいた。空がいきなり暗くなって、大きな黒い鳥が舞い降りてきた。

 取りすぎた者は鳥がさらう。
 森の老人はそう言った。
 さらって、捨てられた者の口に捨てる。
 森の老人はそう言った。
 古いしきたりがある。
 森の老人はそう言った。
 取りすぎたものは返さねばならん。
 森の老人はそう言った。

 捨てられた者のからだには蔦がからみついていた。行商人はその蔦を伝って捨てられた者の口までのぼっていった。苔の生えた歯をまたいで、捨てられた者のからだのなかへ入っていった。捨てられた者のからだのなかにはいろいろな物が転がっていた。鳥やけものの死体があった。村の男の匕首があった。暗い森の盗賊が使うやっとこもあった。道を誤った旅人もいた。まだ生きていると、行商人は道を誤った旅人の身ぐるみを剥ぎ、やっとこで肉をえぐり、耳や鼻をねじり取った。もう死んでいれば、荷物を取り、服を取り、胴巻きを開いて金を取った。行商人は捨てられた者のからだのなかで物を取って袋に投げ込み、取った分と同じ重さの石を置いた。袋がいっぱいになるまで取って捨てられた者の口から出ていった。



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2014年10月16日木曜日

いたちあたま (10)


 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 ぼくが助けを求めていた。床の上のぼくの灰色の脳みそを灰色のいたちがかじっていた。灰色のいたちがぼくの脳みそにもぐり込んだ。灰色のいたちがぼくの脳みそを食い尽くした。あとにはなにも残らなかった。産婆がしわの刻まれた手を動かしてぼくの頭に入れたのは、ぼくの脳みそではなくて、 ぼくの脳みそで腹を満たしたいたちだった。頭にいたちが入ったので、ぼくは考える力を失った。

 頭のなかになにがあろうと関係ない。
 森の老人はそう言った。
 考える力はとうに廃れた。
 森の老人はそう言った。
 北の山に考える者が住んでいるが。
 森の老人はそう言った。
 北の山の考える者には言葉がない。
 森の老人はそう言った。
 
 北の山の洞窟に考える者が住んでいた。考える者はいつもなにかを考えていたが、言葉を一つとして知らなかったので、自分が考えていることを自分に伝えることができなかった。考える者は自分がなにを考えているかを知らないまま、何年ものあいだ考えに考え、寝る間も惜しんで考えたので脳みそがだんだん重たくなって、重たくなった脳みそが脳みその下に隠されていた女を殴る男の仕組みを押しつぶした。考える者は村の女たちを殴らなかった。村の女たちは考える者に食べ物を与え、ときには腰帯をほどいて脚を開いた。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 村の女たちが大きくふくらんだ腹を抱えて、助けを求めて叫んでいた。村の男たちは軒先を肩にかけると屋根を押し上げ、壁と屋根の隙間から家のなかを覗き込んだ。村の女がふくらんだ腹を抱えて横たわり、苦しみの汗をにじませていた。村の男たちはそれを見て、古いしきたりにしたがってほうほうほうと声を上げた。女が腹をふくらませているのは、北の山の洞窟で脚を開いた証拠だった。村の男たちは肩を組んで、声をあわせて地面を踏んだ。村の男たちがそろって足を踏み鳴らすと、地面が震えて家が揺れた。村の男たちがそろって足を踏み鳴らすと、家の壁に亀裂が走り、大地が重たく轟いた。村の女たちの腰の下で砕ける音が響き始めた。村の女の腰の下で、土をかためた床が割れた。一人、また一人と村の女が悲鳴を残して大地の底に落ちていった。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 生まれたばかりの赤ん坊が助けを求めて叫んでいた。落ちていく女の脚のあいだで助けを求めて叫んでいた。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 生まれたばかりの赤ん坊が助けを求めて叫んでいた。落ちていく女に抱き寄せられて、助けを求めて叫んでいた。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 生まれたばかりの赤ん坊が助けを求めて叫んでいた。土をかためた床の上に置き去りにされ、助けを求めて叫んでいた。
 産婆はしわの刻まれた手に鉄串を握って、女の腹から胎盤が出るのを待っていた。女の腹から胎盤が出ると、産婆はそれを串に刺した。産婆たちは鉄の串に胎盤を刺して、西の谷に持ち帰った。

 胎盤は谷の川の水で洗う。
 森の老人はそう言った。
 それから一つずつ、壺に入れる。
 森の老人はそう言った。
 新しい酢に浸し、森で取った香草を加える。
 森の老人はそう言った。
 泥で壺に蓋をして土に埋める。
 森の老人はそう言った。
 そしてそのまま七年待つ。
 森の老人はそう言った。
 すると壺から産婆が生まれる。
 森の老人はそう言った。
 生まれたときから顔にしわを寄せている。
 森の老人はそう言った。
 生まれたときから鉄の串を握っている。
 森の老人はそう言った。
 背中が曲がり、目と口をしわに埋めている。
 森の老人はそう言った。
 だがときには、祈る者が生まれてくる。
 森の老人はそう言った。
 祈る者は祈りながら荒れ野へ出る。
 森の老人はそう言った。
 祈る者は呪われている。
 森の老人はそう言った。
 祈る者は罪を背負っている。
 森の老人はそう言った。
 罪を背負って歩くために祈る者は野の蜜を食べる。
 森の老人はそう言った。
 野の蜜を食べると祈る者は大きくなる。
 森の老人はそう言った。
 見上げるほどの大きさになる。
 森の老人はそう言った。
 祈る者が歩いたあとには道が残る。
 森の老人はそう言った。



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2014年10月15日水曜日

いたちあたま (9)


 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 村の女たちが村の男たちに殴られて、助けを求めて叫んでいた。髪を掴まれ、引きずり倒され、足蹴にされて助けを求めて叫んでいた。村の男たちは村の女たちの腰帯をほどき、隠しどころにためらいもなく手を入れて村の女たちの金を奪った。金を手に入れた村の男たちは居酒屋に戻って酒盛りを始めた。
 村の男たちがすっかり酔って寝静まったころ、村の女たちは荒れ野へ出かけて、そこで道を誤った旅人を探した。荒れ野ではよそ者の男たちが小さな火を囲んで休んでいた。村の女たちが近づいていくと、よそ者の男たちが立ち上がった。よそ者の男たちは村の女たちに金を払い、村の女たちは荒れ野に横たわって脚を開いた。夜が明ける前に村の女たちは髪を直して立ち上がった。腰帯を巻くと顔を隠して家に戻って、戸口に掛け金を下ろして息をひそめた。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 村の女たちが大きくふくらんだ腹を抱えて、助けを求めて叫んでいた。村の女たちの叫びを聞いて村の男たちが酔いから目覚めた。居酒屋から出て村を歩き、軒先を肩にかけると屋根を押し上げ、壁と屋根の隙間から家のなかを覗き込んだ。村の女がふくらんだ腹を抱えて横たわり、苦しみの汗をにじませていた。村の男たちはそれを見て、古いしきたりにしたがってほうほうほうと声を上げた。女が腹をふくらませているのは、よそ者の前で脚を開いた証拠だった。村の男たちは肩を組んで、声をあわせて地面を踏んだ。村の男たちがそろって足を踏み鳴らすと、地面が震えて家が揺れた。村の男たちがそろって足を踏み鳴らすと、家の壁に亀裂が走り、大地が重たく轟いた。村の女たちの腰の下で砕ける音が響き始めた。村の女の腰の下で、土をかためた床が割れた。一人、また一人と村の女が悲鳴を残して大地の底に落ちていった。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 大地の底に落ちていく村の女の叫びを聞いて、西の谷から産婆たちがやって来た。深いしわを重ねた顔に目と口を埋め、曲がったからだでずだ袋を背負い、手には長い鉄の串を握っていた。産婆たちは家々の戸口をくぐって村の女たちの脚を開いた。女の脚のあいだにぼろ切れを広げ、ずだ袋を開いてはさみととげ抜きを取り出した。
 村の男たちが声をあわせて地面を踏んだ。土をかためた床が震え、女が叫び、女の脚のあいだから赤ん坊が転がり出た。産婆は赤ん坊を受け止めてぼろ切れでくるみ、はさみを取ってへその緒を切った。
 村の男たちが声をあわせて地面を踏んだ。土をかためた床が震え、一人、また一人と村の女が悲鳴を残して大地の底に落ちていった。産婆が赤ん坊を抱え直した。しわが刻まれた手を動かして、赤ん坊の頭を左右に開いた。頭のなかから脳みそを取って土をかためた床に置き、脳みその下から現われた小さな突起をとげ抜きを使ってつまみ取った。

 女を殴る男の芽だ。
 森の老人はそう言った。
 その芽が育つと男は女を殴り始める。
 森の老人はそう言った。
 だから女はその芽をつまむ。
 森の老人はそう言った。
 女のしきたりにしたがって、女を殴る芽をつまむ。
 森の老人はそう言った。
 だが芽の下には大きな種が隠れている。
 森の老人はそう言った。
 芽をつまんでも種が芽吹いて女を殴る男を作る。
 森の老人はそう言った。
 だから男は殴り続ける。
 森の老人はそう言った。



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2014年10月14日火曜日

いたちあたま (8)


 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 村の女たちが村の男たちに殴られて、助けを求めて叫んでいた。髪を掴まれ、引きずり倒され、足蹴にされて助けを求めて叫んでいた。村の男たちは村の女たちの腰帯をほどき、隠しどころにためらいもなく手を入れて村の女たちの金を奪った。金を手に入れた村の男たちは居酒屋に集まって酒盛りを始めた。
 村の男たちがすっかり酔って寝静まったころ、村の女たちは荒れ野へ出かけて、そこで道を誤った旅人を探した。道を誤った旅人が見つからないと地団太を踏んで罵声を放ち、そろって村まで駆け戻ると居酒屋の裏に集まった。足音を忍ばせて店に入り、居酒屋のあるじを背後から囲んだ。居酒屋のあるじが振り返ると、村の女たちは髪留めを抜いた。髪を乱してわめきながら針のようにとがった髪留めの先を居酒屋のあるじの胸や腹に突き立てた。それから髪留めの血をぬぐい、顔を隠して家に戻ると戸口に掛け金を下ろして息をひそめた。
 居酒屋のあるじは最後の息で村の男たちを呼び起こした。村の男たちは立ち上がって居酒屋のあるじの服を剥ぎ、からだに開いたいくつものこまかな穴を見て、ほうほうほうと声を上げた。村の男たちが匕首を抜いた。居酒屋のあるじのからだをうつ伏せにして、背骨に沿って一列に並ぶ黒い縫い目を匕首を使って切っていった。切られて残った紐を抜いて、背中の裂け目を手で広げた。さらに大きく広げると居酒屋のあるじの皮の下から粘るように糸を引く白いものが現われた。手足はあったが、目も鼻もなければ口もなかった。それはまだ生きていた。村の男たちはそれを居酒屋の裏に投げ捨てた。すると湿った地面から無数の黒い虫が湧いて出て、波打ちながら白いものに群がっていった。粘り気を帯びたからだを這って肉の下にもぐり込み、白い糸がしたたる穴をこしらえながら、音を立てて食べていった。
 村の男たちは居酒屋のあるじの皮と穴掘りの道具を抱えて荒れ野を渡った。荒れ野の北の石が転がる場所に着くと、石を動かして湿った地面に穴を掘った。深くまで掘った穴の底で粘り気を帯びてうずくまる白いものを見つけると、古いしきたりにしたがってほうほうほうと声を上げた。村の男たちは穴の底に居酒屋のあるじの皮を下ろした。穴の底で見つけた白いものに居酒屋のあるじの皮をかぶせて背中を黒い紐で縫っていった。

 だが気をつけねばならん。
 森の老人はそう言った。
 土の下からあれを起こすと、肉蠅どもも目を覚ます。
 森の老人はそう言った。
 腹を空かせた肉蠅どもが目を覚ます。
 森の老人はそう言った。
 羽音を聞いたら逃げることだ。
 森の老人はそう言った。
 食われたくなければ逃げることだ。
 森の老人はそう言った。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 腹を空かせた肉蠅の群れが村の男たちに襲いかかった。村の男たちは居酒屋のあるじを抱えて逃げ出した。逃げ遅れた数人が肉蠅にたかられ、穢れた汁で肉を溶かされ、溶けた肉をすすられて助けを求めて叫んでいた。肉蠅の群れから逃れるあいだに、三人か四人が生きたまま食われた。村まで逃げ戻っても安心することはできなかった。いつの間にか一人か二人が肉蠅に卵を産みつけられていた。肉蠅は耳や鼻から入り込んで、からだの奥に卵を産みつけた。肉蠅に卵を産みつけられると、まず古いしきたりを守らなくなった。続いて女を殴らなくなり、酒を呑んでもいないのに吐くようになり、目がうつろになって立っているのが難しくなり、やがて起き上がることができなくなった。横たわったまま口から焦げた汁を吐き続けて、汚れた寝床を悪臭に浸した。
 村の男たちは肉蠅に卵を産みつけられた男の家を囲み、古いしきたりにしたがってほうほうほうと声を上げた。取り囲んだ家の戸板に赤土を塗り、家の前で火をおこした。空に向かって黒い煙が立ちのぼると、暗い森の向こうの岩の山から穴暮らしたちがやって来た。穴暮らしたちはからだに汚れたぼろを巻きつけて、がらがらと音を立てる大きな荷車を引いていた。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 卵を産みつけられた村の男が助けを求めて叫んでいた。穴暮らしたちに運ばれて荷車の荷台に載せられても、まだ逃れようともがいていた。穴暮らしたちは卵を産みつけられた村の男の服を剥ぎ取り、縄で荷台に縛りつけた。からだにまとったぼろの下からぼろに覆われた手を伸ばして、卵を産みつけられた男のからだのあちらこちらを指で押した。するとそのどこからも赤黒い汁と一緒に太った蛆が顔を出した。穴暮らしたちは太った蛆を指でつまんで、すばやく口に放り込んだ。ゆっくり顎を動かしながら村の男たちに金を払い、音を立てる荷車を引いて去っていった。
 村の男を売って得た金は村の男たちのあいだで分配された。村の男たちは居酒屋へ出かけていって金がなくなるまで酒を呑んだ。三人売れば酔いつぶれるまで呑むことができたが、一人しか売れないときには飲み代が尽きたあともまだ全員が立っていた。村の男たちは金がなくなったことに腹を立てて、村の女たちを殴り始めた。



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2014年10月13日月曜日

いたちあたま (7)


 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 村の女たちが村の男たちに殴られて、助けを求めて叫んでいた。髪を掴まれ、引きずり倒され、足蹴にされて助けを求めて叫んでいた。村の男たちは村の女たちの腰帯をほどき、隠しどころにためらいもなく手を入れて村の女たちの金を奪った。金を手に入れた村の男たちは居酒屋に戻って酒盛りを始めた。
 村の男たちがすっかり酔って寝静まったころ、村の女たちは荒れ野へ出かけて、そこで道を誤った旅人を探した。道を誤った旅人が見つからないと地団太を踏んで罵声を放ち、そろって村まで駆け戻ると豚小屋の前に集まった。豚小屋に入って若いオスの豚を選び出し、首に縄をかけて口にぼろを詰め込んだ。小屋から出して村のはずれまで引っ張っていって縄の端を木に結んだ。村の女たちは豚を囲んで髪留めを抜いた。髪を乱してわめきながら針のようにとがった髪留めの先を豚の腹や背中に突き立てた。それから髪留めの血をぬぐい、顔を隠して村へ戻った。闇夜にまぎれて家に駆け込み、戸口に掛け金を下ろして息をひそめた。
 穴だらけにされたオスの豚が穴という穴から血を流しながらもだえていた。豚が放った悲鳴を聞いた居酒屋のあるじは声を上げて村の男たちを呼び起こした。村の男たちは村のはずれで豚を見つけた。豚のからだに開いたいくつものこまかな穴を見て、古いしきたりにしたがってほうほうほうと声を上げた。髪留めで作られた小さな穴は男が女を殴らなかった証拠だった。村の男たちは豚の頭に木槌をふるってとどめを刺した。死んだ豚を村へ運んで、家々の戸を叩いて女たちを呼び出した。

 豚の始末は女の仕事だ。
 森の老人はそう言った。
 まず湯をかけて毛剃りをする。
 森の老人はそう言った。
 逆さに吊るして血抜きをする。
 森の老人はそう言った。
 腹を裂いて内臓を取り出す。
 森の老人はそう言った。
 胴を二つに裂いて肉を取る。
 森の老人はそう言った。
 骨についた肉を削り出す。
 森の老人はそう言った。
 肉を煮込んですり潰し、森で取った香草を加える。
 森の老人はそう言った。
 潰した肉を腸に詰める。
 森の老人はそう言った。
 抜き取った血も腸に詰める。
 森の老人はそう言った。
 できあがった腸詰を軒に吊るす。
 森の老人はそう言った。

 村の女たちが豚の始末を終えたときにはすでに夜が明けていた。村の男たちは眠りから覚めて、朝食のしたくができていないことに気がついた。村の男たちは腹を立てて、村の女たちを殴りつけた。

 朝飯のしたくは女の仕事だ。
 森の老人はそう言った。
 まず、麦をついて粉にする。
 森の老人はそう言った。
 粉に水を加えてよくこねる。
 森の老人はそう言った。
 平らな石をよく焼いて、石の上に粉を伸ばす。
 森の老人はそう言った。
 焼けたら、村の男がそれを食らう。
 森の老人はそう言った。
 腹が満たされるまで、村の男がそれを食らう。
 森の老人はそう言った。

 朝食のあと、村の男たちはやっとこを握って森へ出かけた。村の女たちは木桶を頭にのせて、一列になって川へ出かけた。川の水を木桶に汲んで、桶を頭にのせると一列になって村へ戻り、畑に入って水をまいた。桶が空になると川へ戻り、川の水で桶を満たすと畑に戻って水をまいた。日が暮れるころまで同じことを繰り返した。日没のあと、村の女たちは豚の皮をなめし始めた。古いしきたりがあったので、昼の光があるあいだはなめしをすることができなかった。村の女たちは豚の皮にかぶりついた。舌をゆっくりと動かして唾液を皮になじませた。皮から口を離して唾液をたくわえ、同じことを繰り返した。皮のなめしは時間がかかった。村の男たちが森から戻って、夕食のしたくができていないことに気がついた。村の男たちは腹を立てて、村の女たちを殴りつけた。

 晩飯のしたくは女の仕事だ。
 森の老人はそう言った。
 まず、畑にいって根菜を探す。
 森の老人はそう言った。
 根菜のほかに青物も探す。
 森の老人はそう言った。
 根菜は皮を剥いて灰汁を抜く。
 森の老人はそう言った。
 湯を沸かして豚の脂と塩を加える。
 森の老人はそう言った。
 そこへさらに野菜を加える。
 森の老人はそう言った。
 もし豆があれば豆も入れる。
 森の老人はそう言った。
 祭りの日には腸詰を入れる。
 森の老人はそう言った。
 できあがったら、村の男がそれを食らう。
 森の老人はそう言った。
 腹が満たされるまで、村の男がそれを食らう。
 森の老人はそう言った。

 村の男たちは森で男の仕事をした。道を誤った旅人を見つけて身ぐるみを剥ぎ、やっとこを使って肉をえぐり、耳や鼻をねじり取った。道を誤った旅人を三人見つけることができれば、村の男全員が酔いつぶれるまで呑むことができた。二人しか見つけることができないと酔いつぶれる前に飲み代が尽きた。一人しか見つけることができないと酒盛りを始めたとたんに飲み代が尽きた。一人も見つからないこともあった。一人も見つけることができないと村の男たちは腹を立てて村へ戻り、村の女たちを殴り始めた。



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2014年10月12日日曜日

いたちあたま (6)


 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 村の男たちは日が暮れるまで村の女たちを殴り続けた。殴ったあとは居酒屋に集まって酒盛りを始めた。村の男たちがすっかり酔って寝静まったころ、村の女たちは荒れ野へ出かけて、そこで道を誤った旅人を探した。道を誤った旅人を見つけて取り囲み、いっせいに髪留めを抜くと髪を乱してわめきながら針のようにとがった髪留めの先を道を誤った旅人のからだに突き立てた。それから髪留めの血をぬぐい、顔を隠して村へ戻った。闇夜にまぎれて家に駆け込み、戸口に掛け金を下ろして息をひそめた。
 道を誤った旅人は穴という穴から血を流しながら、村にたどり着いて助けを求めた。村のはずれの居酒屋の戸を叩いて助けを求め、音を聞いた居酒屋のあるじが声を上げて村の男たちを呼び起こした。村の男たちは道を誤った旅人を囲み、金品を奪い、服を奪った。からだに開いたいくつものこまかな穴を見て、古びたやっとこを取り出した。髪留めで作られた小さな穴は男が女を殴らなかった証拠だった。村の男たちは古いしきたりにしたがってほうほうほうと声を上げ、やっとこを使って道を誤った旅人の爪を剥ぎ取った。目玉をえぐり、肉をえぐり、耳や鼻をねじり取り、村の入口に杭を立てて串刺しにした。死体にはたっぷりタールを塗った。

 タールはたっぷりと塗る。
 森の老人はそう言った。
 一度塗ったら、七日ごとに塗り直す。
 森の老人はそう言った。
 タールの蓄えを切らしてはならない。
 森の老人はそう言った。

 タールの蓄えがなくなると、村の男たちは東の谷へ出かけていった。東の谷は毒をはらんだ不浄の土地で、大小のけものや道を誤った旅人の骨があたり一面に転がっていた。村の男たちは瘴気から身を守るために鼻と口を布で覆った。大きな樽を背負って三日三晩谷間を歩き、タールが湧き出る場所で樽を満たした。
 タールが湧き出る場所には、谷をなわばりにする盗賊がいた。東の谷の盗賊には生まれつき鼻もなければ口もなかった。だから瘴気を恐れずに谷間を走ってひとを襲った。東の谷の盗賊は獰猛で力が強く、狡猾で動きがすばやかった。ひとを捕えて金品を奪い、裸に剥いて肌を重ね、ゆっくりと時間をかけて吸収した。東の谷の盗賊に吸収されて、それでも生き延びた者は一人もない。村の男たちは東の谷の盗賊を恐れて地面に残った足跡を散らし、村への帰りには行きと異なる道を選んだ。帰り道では重たい樽に足を取られて、谷を越えるのに五日かかった。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 村の男が一人、道を誤って谷の盗賊に捕まっていた。懐を探られ、裸に剥かれ、湿った吸盤がびっしりと並んだ谷の盗賊の腹を見て、助けを求めて叫んでいた。村の男たちは助けを求める声を聞いて、後ろを見ずに足を速めた。捕まった男をあとに残して、休みを取らずに歩き続けて谷を抜けた。
 谷の盗賊から逃れても、谷の毒からは逃れられないことがあった。村へ戻るまでにいつも一人か二人が毒にやられた。ときには村へ戻ったあとでさらに一人か二人が毒にやられた。毒がからだに入り込むと、まず古いしきたりを守らなくなった。続いて女を殴らなくなり、酒を呑んでもいないのに吐くようになり、水ばかりほしがり、立っているのが難しくなり、やがて起き上がることができなくなった。横たわっているうちに髪が抜け、歯が抜け、肌がただれた。耳や鼻から血を流し、けもののようにうなりながら破れた皮膚を汚れた寝床に貼りつけた。
 村の男たちは毒にやられた男の家を囲み、古いしきたりにしたがってほうほうほうと声を上げた。取り囲んだ家の戸板に赤土を塗り、家の前で火をおこした。空に向かって黒い煙が立ちのぼると、暗い森の向こうの岩の山から穴暮らしたちがやって来た。穴暮らしたちはからだに汚れたぼろを巻きつけて、がらがらと音を立てる大きな荷車を引いていた。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 毒にやられた村の男が助けを求めて叫んでいた。穴暮らしたちに運ばれて荷車の荷台に載せられても、まだ逃れようともがいていた。穴暮らしたちは毒にやられた村の男の服を剥ぎ取り、縄で荷台に縛りつけた。からだにまとったぼろの下からぼろに覆われた手を伸ばして、毒にやられた男のただれた皮膚をむしり取った。それを指先ですばやく丸めて口に入れると、ゆっくり顎を動かしながら村の男たちに金を払い、音を立てる荷車を引いて去っていった。
 村の男を売って得た金は村の男たちのあいだで分配された。村の男たちは居酒屋へ出かけていって金がなくなるまで酒を呑んだ。三人売れば酔いつぶれるまで呑むことができたが、一人しか売れないときには飲み代が尽きたあともまだ全員が立っていた。村の男たちは金がなくなったことに腹を立てて、村の女たちを殴り始めた。



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2014年10月11日土曜日

いたちあたま (5)


 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 荒れ野を進む蜂蜜売りが、心の底で助けを求めて叫んでいた。古びた麦わら帽子を目深にかぶり、陽に灼けた暗い顔をうつむけて、一文字に結んだ口の奥で助けを求めて叫んでいた。蜂蜜売りは蜂蜜を満たした大きな重たい樽を背負い、濁った影を地面に落として荒れ野を渡り、村から村へと蜂蜜を売って歩いていた。蜂蜜売りは呪われていたので、ひとつの場所にとどまることができなかった。蜂蜜売りは呪われていたので、どれほど蜂蜜を売っても樽のなかの蜂蜜は減ることがなかった。

 呪いを解くには、樽を誰かに譲ればよい。
 森の老人はそう言った。
 そうすれば樽を譲られた者に呪いが移る。
 森の老人はそう言った。
 だがあれの背中には樽がめり込んでいる。
 森の老人はそう言った。
 樽はあれのからだの一部になっている。
 森の老人はそう言った。
 眠るときも樽を背負って眠るのだ。
 森の老人はそう言った。

 蜂蜜売りは呪われていたので、暗い森の盗賊たちも手を出そうとはしなかった。蜂蜜売りは呪われていたので、村の男たちは遠くから唾を吐きかけた。村の女たちは木の実の粉に蜂蜜を混ぜて甘い焼き菓子を作るために蜂蜜売りから蜂蜜を買った。村の女たちが蜂蜜売りに金を払うのを見て村の男たちは腹を立てた。蜂蜜売りは呪われていたので、蜂蜜を仕入れる必要がなかった。仕入れ値がかかっていないものになぜ金を払うのかと村の男たちは腹を立てた。村の男たちは蜂蜜売りが胴巻きに金を隠していることを知っていた。しかし蜂蜜売りは呪われていたので、村の男たちは手を出すことができなかった。村の男たちは腹を立てて、村の女たちを殴り始めた。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 村の女たちが村の男たちに殴られて、助けを求めて叫んでいた。髪を掴まれ、引きずり倒され、足蹴にされて助けを求めて叫んでいた。村の男たちは村の女たちを殴りながら、ほうほうほうと声を上げた。しかしそれは、古いしきたりとは関係がない。

 古いしきたりとは関係がない。
 森の老人はそう言った。
 男はそもそも、女を殴るように作られている。
 森の老人はそう言った。
 女を殴る男の芽が生まれたときから備わっている。
 森の老人はそう言った。
 女を殴る男の芽が女を殴る男を作るのだ。
 森の老人はそう言った。



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2014年10月10日金曜日

いたちあたま (4)


 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 荒れ野の向こうの暗い森で、道を誤った旅人が助けを求めて叫んでいた。
 暗い森には盗賊たちがひそんでいて、道を誤った旅人を見つけると笑いながら襲いかかった。盗賊たちは道を誤った旅人を捕まえて金品を奪い、服を奪い、履物を奪い、古びたやっとこで歯を一本残らず抜き取ったあと、同じやっとこを使って爪を剥ぎ、目玉をえぐり、肉をえぐり、耳や鼻をねじり取った。仕事を終えると顔も洗わずに村に現われ、奪った金で酒を呑んだ。
 居酒屋のあるじは盗賊たちに安い酒を高く売った。酔いつぶれるのを待って身ぐるみを剥ぎ、丈夫な縄で縛り上げた。盗賊たちは酔いから醒めて罵声を放ち、居酒屋のあるじは声を上げて村の男たちを呼び集めた。村の男たちは金を出しあって盗賊を買った。逃れようともがく盗賊たちを引いて荒れ野を越え、最初の一人を穢れた沼に放り込んだ。
 盗賊はくねる縄をしたがえて、ミドロを分けて沼に沈んだ。村の男たちは岸辺に立って縄を握り、手ごたえを感じて縄を引いた。古いしきたりにしたがってほうほうほうと声を上げ、力をあわせて縄を引くと盗賊を口にくわえた大きなナマズが顔を出した。身の丈がおとなの倍ほどもあって、体重は大人の十倍を超えた。獰猛で力が強く、狡猾で動きがすばやかった。顔を出した瞬間を狙って、力を込めて引かなければナマズに餌を奪われた。引き上げられたナマズはその場でとどめを刺され、頭を落とされ、腹を裂かれた。裂けた腹から誰かが出てくることがあった。からだが少し溶けていて、頭が少しおかしくなっていた。まだ生きてはいたが、それはすでに穢れた沼に属していた。だから村の男たちは古いしきたりにしたがってほうほうほうと声を上げ、木槌で頭を叩きつぶして沼に戻した。

 言ったであろう。
 森の老人はそう言った。
 ナマズが死ねば、あれも死ぬと。
 森の老人はそう言った。
 食われたからには、そうなる定めだ。
 森の老人はそう言った。

 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 ナマズの餌にされた盗賊がナマズの口から引きずり出され、もう一度穢れた沼に放り込まれて助けを求めて叫んでいた。助かるためには三度ナマズの餌になって生き残らなければならなかった。三度ナマズの餌になって生き残れば、解放されて暗い森に帰ることが許された。餌にされた盗賊はナマズの牙ですでに腰を砕かれていた。二匹目のナマズがミドロを破って現われて、盗賊の腕を噛み千切った。穢れた沼に血が流れ、盗賊は泡を残して沈んでいった。村の男たちは古いしきたりにしたがってほうほうほうと声を上げ、次に選んだ盗賊を穢れた沼に放り込んだ。

 しきたりがある。
 森の老人はそう言った。
 だから三人までは使ってもよい。
 森の老人はそう言った。
 三人使って、残りは森へ帰される。
 森の老人はそう言った。
 古いしきたりがある。
 森の老人はそう言った。
 取りすぎたものは返さねばならん。
 森の老人はそう言った。



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2014年10月9日木曜日

いたちあたま (3)


 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 荒れ野の先の穢れた沼で、誰かがナマズに食われていた。身の丈がおとなの倍ほどもある大きなナマズに下半身をくわえ込まれて、逃れようとミドロの浮いた水を叩き、腐った水を飲み込みながら助けを求めて叫んでいた。ナマズが顎を動かすと、からだがずるりと口のなかへ消えていった。必死になってあらがってみても、とがった歯がからだに食い込んでいるので逃れることはできなかった。

 食われたところで死ぬわけではない。
 森の老人はそう言った。
 あれはナマズのなかで生き続ける。
 森の老人はそう言った。
 ナマズが殺されるまで、ナマズのなかで生き続ける。
 森の老人はそう言った。
 だからナマズが死ねばあれも死ぬ。
 森の老人はそう言った。
 いつのことかはわからないが。

 森の老人はそう言った。



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2014年10月8日水曜日

いたちあたま (2)


 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 荒れ野のはずれの暗い墓地に、誰かが生きたまま埋められていた。冷たい土の底に沈んだ棺桶のなかで、湿った闇に閉ざされた場所で、爪で板をひっかいて、指という指を血まみれにしながら助けを求めて叫んでいた。叫びは土に吸い込まれた。土は叫びをたくわえて、決して漏らそうとしなかった。それでも板をひっかいて、助けを求めて叫び続けた。乾いた喉で叫び続けて、口のなかに血があふれた。

 あれは自分が生きていることに知らずにいた。
 森の老人はそう言った。
 埋められるまで知らずにいた。
 森の老人はそう言った。
 埋められてから気がついた。
 森の老人はそう言った。
 出口をなくして気がついた。
 森の老人はそう言った。
 だからあれには出口がない。
 森の老人はそう言った。



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2014年10月7日火曜日

いたちあたま (1)


 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちがぼくに言った。
 助けを求める声が聞こえる。
 灰色のいたちが繰り返した。

 荒れ野のなかの道が十字に交わる場所で、子供が助けを求めて叫んでいた。凍てつく風が丈の高い草をなぎ払って、涙に濡れた子供の顔を空にさらした。地面から生えた太い腕が足をしっかり掴んでいるので、子供はそこから逃れることができなかった。どうあらがっても、鉤のような爪が足に食い込んでいるので逃れることができなかった。

 あれは五十年もあそこでああしている。
 森の老人はそう言った。
 腕から逃れることができずにいる。
 森の老人はそう言った。
 だから老いることも、死ぬこともない。
 森の老人はそう言った。
 あれの親は、あれのことをもう忘れた。
 森の老人はそう言った。
 親が忘れたので、あれの名はない。
 森の老人はそう言った。


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2014年10月6日月曜日

パラサイト・クリーチャーズ

パラサイト・クリーチャーズ
Blutgletscher 
2013年 オーストリア 97分
監督:マーヴィン・クレン

アルプスに設置された研究所の職員が観測ポイントのメンテナンスのために山を登っていくと氷河が赤く染まっているのを発見し、標本を持ち帰って調べるとなにやら未知の微生物が見つかり、翌日には同じ場所で巨大なダンゴムシを発見し、持ち帰って調べてみるとダンゴムシとキツネのハイブリッドであることがわかり、どうやら例の微生物が生物の体内に入って異種細胞同士をかけあわせて突然変異体を作るのであろうという仮説を考えていると、研究所の視察のために山中に入った大臣の一行が謎の猛禽類の襲撃を受け、大臣一行が研究所に逃げ込んでくると今度はヤギの突然変異体が襲いかかる。 
オーストリア製。導入部が微妙、登場人物が騒ぎすぎる、例によって行動がいまひとつ要領を得ない、というような問題があるものの、アルプス山中の小さな研究施設という状況設定はそれなりに雰囲気があるし、次から次へと怪生物が、というアイデアは悪くないし、その怪生物のけっこう頑張った手作り感も悪くない。オーストリアの大臣が意外と強い、というのはもしかしたら笑いどころなのか。


Tetsuya Sato

2014年10月5日日曜日

ルノワール 陽だまりの裸婦

ルノワール 陽だまりの裸婦
Renoir 
2012年 フランス 111分
監督:ジル・ブルドス

1915年の夏、ルノワールの家にデデと名乗る娘が現われ、ルノワールはデデをモデルに裸婦像の製作に取りかかり、そうしていると前線で負傷した次男ジャンが休暇で戻ってくる。ドラマと言えるようなはっきりとしたドラマはない。きわめて精密に、かつ美しく再現されたレ・コレットを背景に画家ルノワールの晩年の様子を描き込み、創作過程も丹念に再現しながら不自然さを与えていないのは素朴にすごいと感じたし、ミシェル・ブーケ扮するルノワールのルノワールぶりもすばらしい。序盤ではカメラワークにやや単調さを感じたし、熟慮の結果なのか即興なのか、少々首をひねったところもあるものの、全体としてはたいへん心地よい映画に仕上がっている。中盤、戦争のむごたらしさがそこはかとなく吹き出してくるところは怖かった。 


Tetsuya Sato

2014年10月4日土曜日

ローン・サバイバー

ローン・サバイバー
Lone Survivor 
2013年 アメリカ 121分
監督:ピーター・バーグ

2005年6月、タリバン指導者アフマド・シャーの所在を確認するためにシールズの兵士四名がアフガンの山岳地帯に送り込まれ、偵察活動中に山羊飼いと遭遇し、無線が通じないので独自の判断で山羊飼いを解放して撤退を始めたところ、山羊飼いの通報で追跡を始めたタリバン部隊の攻撃を受ける。 
監督は『バトルシップ』のピーター・バーグ。傑出した山岳戦映画だと思う。岩場の凶暴さがすさまじいし、そこを転がり落ちていくスタントがすさまじい。戦闘シーンも迫力があり、チヌークの撃墜という前代未聞の場面にはただ驚いた。マーク・ウォールバーグ、テイラー・キッチュほか俳優もみないい仕事をしているし、ニューメキシコ扮するアフガンは実に見ごたえがある。非常に面白いけれど、この内容が本当なら後方支援に問題の多い作戦だったのではないだろうか。 


Tetsuya Sato

2014年10月3日金曜日

ハンナ・アーレント

ハンナ・アーレント
Hannah Arendt 
2012年 ドイツ/イスラエル/ルクセンブルグ/フランス 114分
監督:マルガレーテ・フォン・トロッタ

アイヒマン逮捕の報道に触れたハンナ・アーレントはエルサレムを訪れてアイヒマン裁判を傍聴し、その記録をニューヨーカー誌に連載してアイヒマンの官僚的凡庸さとユダヤ教指導者の対ナチ協力の可能性を指摘したところ、アイヒマンを擁護していると誤解され、猛烈な反発を受けて友人を失う。
アイヒマン裁判の場面はアーカイブからの引用で、そこに再現された法廷がつながっているところに空間的な違和感を感じたが、演出は誠実で、ハンナ・アーレントの経験と思考に明快に切り込んでいく。冒頭と最後にマンハッタンの昼景と夜景が置かれているところになにかしらの示唆を感じないでもない。60年代の亡命ドイツ知識人の風景は興味深いし、よく考慮されたダイアログがたのもしい。主演のバルバラ・スコヴァがきわめて見ごたえのある演技をしていて、その表情を追うだけでも最後まで目を離せない。 


Tetsuya Sato

2014年10月2日木曜日

トータル・フィアーズ

トータル・フィアーズ
The Sum of All Fears
2002年 アメリカ 124分
監督:フィル・アルデン・ロビンソン

トム・クランシーの『恐怖の総和』の映画化。原作者のトム・クランシー自身が製作総指揮に名を連ねている。ネオナチが小型核爆弾をアメリカに持ち込んでボルティモアで爆発させる。するとアメリカはロシアからの攻撃であると誤認し、米ロは事実上の戦争状態へと突入するが、CIAの分析官ジャック・ライアンの活躍でテロであることが立証され、核戦争は回避される。
重量感のある映像で丁寧に作られた映画であり、主として作りの生真面目さによって見終わった後の好感度が高い。長官(モーガン・フリーマン)に振り回されるジャック・ライアン(ベン・アフレック)、どことなく憮然としているジョン・クラーク(リーヴ・シュレイバー)というキャラクター造形もよくできていて、実は原作よりもよほどよいのではないかと思えるほどである。もちろん核兵器の調達方法が不自然だとか、アメリカの政府高官がいくらなんでもアホすぎるとか、ロシアの大統領がグルジア人のように見えるとか、あのCIAはどうしてあんなに層が薄いのか、とか、そもそも町を吹っ飛ばす必然性があったのか、とか、トム・クランシー独特の臭気を含めていろいろと首を傾げるところはあったけれど、全体を通して見ればそれほど悪い映画ではない。



Tetsuya Sato

2014年10月1日水曜日

エージェント:ライアン

エージェント:ライアン
Jack Ryan: Shadow Recruit 
2014年 アメリカ/ロシア 106分
監督:ケネス・ブラナー

ロンドン留学中に9.11の報道を見たジャック・ライアンは海兵隊に入隊してアフガニスタンで負傷し、リハビリ中に医者の卵のキャシーと出会い、リハビリを終えるとCIAから接触を受けてウォール街に勤務してテロリストの資金源について分析するように指示を受け、10年後、グルジアとトルコを結び新たなパイプラインがロシアに経済的な打撃を与えるということがなにやら国連で審議の対象になり、パイプラインの敷設にあくまでも反対するロシアはパイプラインの敷設に反対しないアメリカに対して報復を決意、ロシア人の愛国的な実業家チェレヴィンに指示を与え、チェレヴィンが計画に沿って動き始めるとチェレヴィン関係の資金が隠蔽されていることに気づいたジャック・ライアンはCIAの密命を帯びた上で金融機関の監査担当としてモスクワへ飛ぶ。 
ジャック・ライアンがクリス・パイン、CIAの上司がケヴィン・コスナー、チェレヴィンが監督兼のケネス・ブラナー、キャシー・ミューラーがキーラ・ナイトレイ。アレック・ボールドウィン、ハリソン・フォード、ベン・アフレックと続いてきたジャック・ライアン役は今回がいちばん子供っぽいし、たぶん単細胞なキャラクターとして造形されているが、そのあたりがクリス・パインに似合っているし、反応の仕方が微妙に小動物じみているところも含めて面白い。キーラ・ナイトレイは意外なほど魅力的な仕上がりで、ケネス・ブラナーも悪くない。
スパイ活動周辺は冷戦時代のお蔵出しのような感じだし、ロシア側がたくらむ陰謀は例によって突っ込みどころ満載で、「あれをああして、これをこうしてやるのだ」以上のものではないが、よどみのない演出とシャープな画面構成で最後まで一気に見せてくれるので退屈することはまったくない。 




Tetsuya Sato