2014年8月8日金曜日

異国伝/農民の反乱

(の)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。そこでその国の人々は地図になければ見つかることもあるまいと考え、農閑期になると徒党を組んで街道に出て、旅行者を襲って金品を奪った。奪いはしたが、楽しみのためではなくて冬場の生活の足しにするためである。自らを厳しく律して決して貪欲に走ろうとはしなかったので、追われることも少なければ見つかることも少なかった。誤って捕えられた場合には仲間が金を払って身柄を受け出し、そうするための準備として基金も用意されていた。
 農民たちはたくましく生きていたが、生活が楽だったわけではない。楽ではなかったからこそ、生存のための選択肢をできるだけ大きく広げていたのである。楽にならない原因は、主としてその国の王にあった。代々の王はいずれも開明の精神に欠け、圧政を敷きこそしなかったものの旧弊に立って改善を拒み、要求を受け入れることよりも要求にいきり立つことの方が多かった。気性はいたって単純で、威嚇に対しては威嚇で応じ、卑屈に対しては尊大で応じた。代々の王は判で押したように同じ性格の持ち主であったので、農民たちは要求の上限をよく理解し、また引き下がれない一線をよく心得ていた。つまりその国が長らく困窮とも内乱とも無縁であったのは、歴代の王がよく民を治めたからではない。農民がよく王を治めたからなのであった。
 さて、ある時、農閑期の頃であったとされているが、みすぼらしい姿をした若者がその国を訪れ、農民を探して農地に足を踏み入れた。そして最初の一人を見つけると、近寄っていってこう話しかけた。
「やあ、どうですか?」 

 話しかけられた農夫は仕事に励んで顔を上げようともしなかったので、間もなく若者は離れていった。そして夜になってから村の居酒屋に姿を現わした。不審に満ちた目が一斉に向けられたが、若者は意に介さずに酒を頼み、杯を高く掲げてこのように言った。
「働く者へ、乾杯」 

 そして一息に飲み干すと激しく咳き込み、胸を落ち着かせると笑みを浮かべて傍らの一人に声をかけた。
「やあ、どうですか?」 

 実を言えばこの若者、とある国のとある革命組織の一員であり、革命思想の伝播と革命の推進という二つの重大な任務を携えていた。その国の農村部に潜入を果たし、農民に対して思想教育と大衆扇動をおこない、革命組織を浸透させて、時がきたら指揮をして王権を転覆させようと企んでいたのである。その革命思想なるものがいかなる種類の考えであったかは、今となっては知られていない。一説によれば工場労働者を組織して階級闘争を展開し、搾取階級を打倒した上で生産手段の共有化をおこなって平等な国家を作ることを目標としていた。しかしながらその時代はようやく手工業が合理化への道を歩み始めた段階にあり、工場労働者という階級の出現にはまだ五百年ほどを必要としていた。思想が先進的すぎたのであろう。そこで革命組織は対象を工場労働者から農民に切り替え、それに若干の工房労働者を加えて労農大衆と称していた。労農大衆は団結し、階級敵に向かって敢然と戦いを挑まなければならなかった。なぜならば、それが歴史的な必然であったからにほかならない。
 若者は椅子の上に立って演説をおこない、歴史的な必然が農民に何を求めているかを訴えた。農民たちは顔をうつむけたまま聞いていたが、若者が話を終えると一人が顔を上げ、隣にいた仲間の耳にこう囁いた。
「どこの神学校から来た野郎だ?」 

 そこで若者は演説を再開し、微妙な問題に突入していった。歴史的な必然性の中に、神はいないと言ったのである。話を終えると別の農夫が顔を上げて、若者に向かってこのように言った。
「なんだその、弁証法的唯物論てのは?」 

 これもまた先走りであり、弁証法的唯物論が政治運動の中で明確な位置を占めるにはなお六百年ほどを必要としていた。したがってこの段階では理論武装がはなはだ甘く、若者は農夫たちの迷信を撃破することができなかった。
「でも、俺たちには神がいるぜ」 

 一人がそう結論を下して背を向けると、残りの者も一斉に背を向けた。そこへ居酒屋の主人がやってきて、若者に椅子から降りるように要求した。
「今朝拭いたばかりだ」 

 だが若者は諦めなかった。村に居座ってあちらこちらに顔を出し、通りがかる者の袖を引いては王の暴政を非難して民衆の蜂起を訴えた。歴史的な必然に再び触れることがなかったのは、戦略を変更した結果であると思われる。新しい戦略が功を奏したのか、いくらかの賛同者が現われた。そして賛同者が賛同者を呼び、やがて目に見える勢力を形成すると若者は準備に取りかかった。集まった者を大隊を単位とする軍隊に編成し、戦闘訓練を施したのである。すると新たな者たちが参加を望んで軍勢に加わり、遠方からも多数が馳せ参じるに及んで労農革命軍は一大軍事力へと成長した。王は手勢とともに王城にこもり、迎撃の準備を整える。
 遂に決起の時が訪れた。赤旗を高く掲げた若者は労農革命軍を率いて進撃を開始し、町を一気に攻め落とすと王城を囲んで王に退位を要求した。若者が要求を繰り返している間に労農革命軍の兵士たちは町の中で略奪を始めた。ただし楽しみのためではなくて、冬場の生活の足しにするための略奪であったので、自らを厳しく律して決して貪欲に走ろうとはしなかった。兵士たちは取る物を取って町から立ち去り、若者が気づいた時には味方は誰もいなくなっていた。扇動家は王の手勢に捕えられ、その場でただちに首を切られた。王は農民たちにも追っ手をかけたが組織化された農民軍はなお強大な勢力を保ち、今回の一件は外国の陰謀であったと説明されれば、事実そのことに違いはないので王も受け入れざるを得なかった。その国の農民が一揆に際して赤旗を掲げるようになったのは、それ以来のことであるという。

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