2014年7月28日月曜日

異国伝/大佐の報告

(た)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。その国があったと推定される位置を当時の地図で調べてみると、ただ海が広がっている。そして同じ時代の旅行案内書には、そこは前人未到の地であって魚しか棲んでいないと記されている。土地の存在すら怪しいとなれば、訪れる者のある筈がない。仮に魚がいるのだとしても、漁をして採算を合わせるには遠すぎた。事実から言えばそこには土地があり、ひとが住んでいたのだが、怠惰と妥協の産物である地図と案内書の呪いによって、長らく関心の対象から外されていたのである。その国についていくらかのことが知られるようになったのは、一人の先駆者の存在と、その功績があったからにほかならない。
 大佐と呼ばれたその人物は名を知られた大国の軍人で、少人数の探検隊を組織すると船を仕立てて冒険の旅に出発した。そして未知の世界を訪れて、驚嘆すべき報告を持ち帰った。
 大佐は沿岸に沿って船を進め、上陸と補給を繰り返しながら次第に未到の地へと近づいていった。陸地にひとの姿を見ることがなくなり、文明の痕跡も遥か後方に消え去ると、前方に巨大な山脈が姿を現わした。切り立った山が尾根を重ねて壁を作り、鋭く尖った岩を海に浸して近づく者を阻もうとする。大佐は船を沖へ進め、岩礁を避けて前進を続けた。そこはすでに前人未到の世界であった。群青の海が大きくうねり、彼方には人跡未踏の大地が緑に霞む。大佐は近代的な才覚の持ち主であったので、この時の気持ちを感動的な筆致で報告書に書き記している。だが、それはここでは再録しない。長過ぎるし退屈だからである。
 やがて大佐は船を陸に向け、部下は上陸の準備に取りかかった。慌ただしくなった甲板に向かって、見張り台にいた者が大声を上げた。町が見えるという。わずかではあるが、動き回る人影もあるという。大佐は驚愕を隠せなかった。
「よもやこの前人未到の地で、人間を見出すことになろうとは、わたしは予想だにしていなかった。果たしてこれは幸運な出会いとなるのであろうか」

  船が陸地に近づくにつれて、甲板の者にも町の様子が見えてきた。戦いの準備をしている気配はない。鉛色をした低い建物が軒を並べ、その前ではひどくずんぐりとした姿の住人が足を重そうに進めている。大佐は上陸を決意し、数人の部下とともにボートに乗り込んだ。
「わたしはひどく緊張していた。相手がいかなる種類の人間ともわからなかったからである。遠目には野蛮な人々とは見えなかったが、経験によって外見が信用の材料とならないことを知っていた。念のために武器を準備しておくように部下に命じた」

  幸いなことに武器を使う必要はなかった。大佐の一行は上陸して町へ入ったが、住民は一人として関心を示そうとしなかった。この段階で多くの住民を目撃したわけではなかったが、大佐の印象はすでに好ましいものではなくなっている。
「この土地の人間は皆一様に肥満していて、いかにも大儀そうに歩行する。一歩ごとに聞こえる音から判断すると、肥満の原因は脂質の過剰ではなく水分の過剰であるように思える。はっきりと水音が聞こえるのだ。察するに柔弱な気風が蔓延していて、住民は不摂生に対して抵抗を失っているのであろう。堕落は服装にも認めることができる。全員が修道僧のような服を着て、頭を頭巾ですっぽりと覆っているのだ。外からは顔すらも見ることができない。これは自我の喪失を表わしている。彼らはこの格好で外出し、おそらくそのままの格好で床に就くに違いない」 

 一通りの観察の後、大佐は意思の疎通を試みたが、あらゆる言語での問いかけにも住民は応えようとしなかった。やってきて、そのまま通り過ぎていく。言葉が通じないということよりも、無視されているということに大佐は少なからぬ苛立ちを覚えた。
「わたしは多くの土地を旅してきたが、どのような野蛮人からもこれほどの無礼は受けたことがない。この土地の人間は我々があたかも存在しないかのように振る舞っている。初めは恐れによってそうしているのだと考えたが、それは誤りであった。彼らは単に無視しているのだ」

  町を端から端まで歩いてみたが、住民同士が会話をしている現場を押さえることもできなかった。家の戸口に耳を近づけることもしてみたが、会話はもちろん、物音すらも聞こえない。そのうちに陽が暮れてきたので、大佐は海岸に野営の支度を整えさせた。
「第一日が終わった。我々は明日も調査を続けるだろう。住民は驚くほど好奇心に欠け、同胞の中にあっても寡黙だが、こちらには十分な忍耐がある」 

 夜半が過ぎた頃、隊員の一人が大佐を起こした。住民が松明を手にして町の中心部に集結しているという。大佐は全員を起こし、武装するように命じてから部下を率いて出発した。前方では炎の列が道を進み、見ている前で新たな炎が戸口から現われ、重たげに動いて列に加わった。町の広場に近づいていくと、そこには巨大な篝火が焚かれ、到着した住民が次々と松明を投げ込んでいた。雲を散らした夜空を黒煙が焦がし、住民たちは篝火を背にして重たい身体を海に向ける。大佐とその一行は物陰に隠れて成り行きを見守った。
 最後の一団が松明を炎の中に投げ込むと、雲が割れて月の明かりが広場を青く照らし出した。住民は無言のまま一斉に頭を下げ、頭巾を取って顔をさらした。
「驚くべきことに、彼らは人間ではなかった。魚の顔を持った怪物だったのである。しかも邪教を拝み、魚が腐ったような恐るべき臭気を放っていたので、それ以上その場にとどまるのは難しかった」

  顔はともかくとして、臭いは上陸した段階で気がついていてもよさそうなものである。ここまで遅れた理由があるとすれば、それはおそらく大佐が長らく洋上にあって、入浴の機会を失っていたからであろう。大佐はただちに撤収を命じ、船に戻って朝を待った。そして夜明けと同時に砲撃を加え、町を完全に破壊した。破壊の後には武装した上陸班を送り込み、住民をことごとく殺害して死体は残らず海に捨てた。大佐は雑婚とその震撼すべき結果について警鐘を鳴らし、最後に人類がいかに勝利したかを感動的な筆致で綴っているが、長過ぎるし退屈なのでここには再録しない。

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