2014年7月22日火曜日

異国伝/死後の評判

(し)

 その昔、とあるところにそれは小さな国があった。あまりにも小さいので地図に載ったことがなかったし、旅行者向けの案内書にも載ったことがない。ところが世の中には地図の裏や案内書の行間を読む技術に長けたひとがいて、そうしたひとは誰にも知られていない国の場所を目敏く見つけて、いつの間にかその地を訪れている。
 それは不明の場所にある無名の国であったが、外界においてもそうであるのと同様に、その国の人々にとってもまた不明の場所にある無名の国なのであった。他国との交流を持つことがなかったので地理上の位置関係を気にかける必要がなかったし、同じ理由から国に名前を与えたり、国の名前や国土に精神的な意味を与えて国威を発揚する必要も感じなかった。そうした余計な気苦労から解放されていたので、その国の人々は余った力を個人の評判に振り向けることができた。実際のところ、自分の評判が気になってならなかったし、他人がいかなる評判を得るかも心を悩ます問題となった。自分の評判は上げなければならなかったし、他人の評判は下げなければならなかった。そうしなければならなかったのは相対主義が蔓延していたからであり、だから評判の総量は決められていて、それをいかに配分するかが最大の懸案なのであった。
 もっとも多くの評判を勝ち得た者は、評判持ちと呼ばれた。そして多くの評判持ちは評判を得た人間の常として評判の不滅を望み、自らの評判を死後の世界に持ち去ろうと考えた。そのために巨大な墓所を造り、そこに保有する評判の量を記したのである。一方、残された者は手段を選ばずに死者から評判を奪おうとした。評判の総量は定められていたからであり、一部があの世に持ち去られれば、必然的にこの世の評判は減ることになったからである。
 葬儀そのものはしめやかにおこなわれたが、後にはいつも見苦しい光景が展開した。葬儀に参列した遺族や故人の友人知人、さらにはたまたま近くを通りかかった者までが口々に故人を罵り、その評判を貶めたからである。いかに墓所が巨大であっても、そこに記された評判の量が膨大であっても、現世における現状が優先されるとの原則があった。この原則によって死者の評判は速やかに落とされ、地上に残された者たちは評判を上げた。これが千年も続いてきた習慣であった。変わることは決してないと信じられていたが、ある時、恐るべき事件が起こってその国の人々を震撼させた。
 とある評判持ちが死に、例によって葬儀の後には評判落としの儀式がおこなわれた。これによって故人の評判は地に墮ちたものと、誰もが信じた。ところがいくらもしないで、故人の評判がまったく変わっていないことに気がついたのである。遺族や友人知人、そしてたまたま通りかかった者たちは事実を知って慌てふためいた。それでは残された者の評判はどうなるのか。地上の評判はあの世に持ち去られてしまったのか。慌てているうちに新たな事実も判明した。なぜだかわからないものの、故人の評判が生前よりも上がっているようなのであった。それと同時に遺族や友人知人、たまたま通りかかった者たちの評判は、どうやら下がっているようなのであった。だが全員が同じように下がっていたのではなく、ひどく下がった者もいれば少し下がった者もいたし、中にはまったく下がっていない者もいた。残された者の間に疑心がはびこり、競って互いを罵ったので、まったく下がっていなかった者も次第に評判を落としていった。
 さて、遺族の中には一人の賢明な青年がいて、墓所を見張っていれば何かしらの真相を掴めるのではないかと考えた。そして考えたとおりに見張っていると、案の定、現われたのである。夜半を過ぎた頃、墓所から亡霊が姿を現わした。左右の様子をしきりとうかがいながら顔を出し、物音を聞くと物陰に隠れ、ひとの目を忍んで評判をかばい、物陰から物陰へと伝って町の中へ入っていった。青年もまた左右の様子をうかがいながら後を追った。亡霊は一軒の家にもぐり込み、そこは故人の知人の家であったが、間もなくまた姿を現わすと別の家へ近づいていった。そこは青年の家であった。亡霊がそこへももぐり込んでいくので、青年は後を追って家に入った。中では家族がそろって床に就いている。亡霊は青年の父親の上に身を屈めていた。首筋に口を近づけ、尖った牙を剥き出しにしていた。これを見て青年は理解した。なんと亡霊は、方法こそは定かではないが、遺族や友人知人、そしてたまたま通りかかった者たちから評判を吸い取っていたのであった。青年は大声を出して家族を起こし、全員で取り囲んで亡霊を罵った。亡霊は罵倒に負けて評判を落とし、残された者は朝を待ってから墓所の入口を封印した。出入口以外の場所から出入りすれば、評判を落とすのは必定とされていたからである。
 亡霊が落とした評判は青年が拾い、その後も賢明さによって多大の評判を獲得すると、死に先立って大きな墓所を建立した。

Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.