2014年7月13日日曜日

ダリオ・アルジェントのドラキュラ

ダリオ・アルジェントのドラキュラ
Dracula 3D
2012年 イタリア/フランス/スペイン 110分
監督:ダリオ・アルジェント

ジョナサン・ハーカーは城壁に囲まれた小さな町で町長の娘ルーシーの紹介を得て町の近代化に尽くした(小学校を作ったりしたらしい)というドラキュラ伯爵の司書になるが、たいそう紳士然としていて上品でもドラキュラ伯爵はドラキュラ伯爵以外のなにかではないので例のごとき扱いを受け、続いて町に現われたジョナサン・ハーカーの妻ミナ・ハーカーは夫が自分を迎えに出ないのを怪しみ、代わって迎えに出たルーシーの挙動を怪しみ、単身ドラキュラ伯爵の城を訪れて奇怪な体験をして、戻ってくるとルーシーがいきなり死んでいるので町の神父の紹介でヘルシング博士を呼び寄せ、ドラキュラ伯爵の強圧的な支配に抵抗を試みた町の有志はあっという間に全滅してしまうので、ヘルシング博士は単身でドラキュラ伯爵に立ち向かう。
サイレント映画を思わせる書き割りのようなセットやプロットに現われる特徴、ジョナサン・ハーカーの微妙にキアヌ・リーヴスな雰囲気などからしてコッポラの影響がかなり強い。ドラキュラにタコ殴りされても平然としているルトガー・ハウアーのヴァン・ヘルシングはともかくとしても、トーマス・クレッチマン扮するドラキュラは独特の雰囲気があってかなりいいと思ったし、主要登場人物をロンドンに置かないで地元でまとめて、ドラキュラがロンドンへ移動する手間を省くという合理的な着想は悪くないし、ドラキュラが地元の人間を明確に領民として認識していて残忍にふるまっているという設定も悪くない。ついでに言えばドラキュラがフクロウ、オオカミ、ハエに加えてカマキリにまで変身するというバリエーションの豊かさ(と言っていいのか?)はめったにない見物かもしれない。つまりブラム・ストーカーの『ドラキュラ』の新しい再話の試みとしては従来にない要素が盛り込まれていて、その工夫は認めなければならないと思うし、再話という範囲で見ている限りでは面白いとすら言えるものの、全体とし安普請で画面に強度がない。60年代イタリアホラーのような単層に色をあわせた色使いやフラットな照明はおそらく確信犯で、微妙に混沌としていて舌足らずなところは例によってそのまま持ち味になっているが、仕上がりはやはりゆるめになる。


Tetsuya Sato