2014年4月30日水曜日

テネイシャスD 運命のピックをさがせ!

テネイシャスD 運命のピックをさがせ!
Tenacious D in The Pick of Destiny
2006年 アメリカ/ドイツ 93分
監督:リアム・リンチ

やたらと敬虔な家に生まれたロック大好き少年JBが父親からロックを禁じられたので家を飛び出してハリウッドを訪れ、そこでギタリストKGと知り合って家賃を払うためにバンドを組み、コンテストでの入賞を目指して名曲を生み出そうと頑張るが、頑張っているうちに伝説的なバンドがことごとく同じピックを使っていることに気づき、それが悪魔の歯から作られた運命のピックだということを知り、つまりそれがあれば自分たちもまた伝説のバンドの一員となることを知り、たちまちのうちに安易な道へ走って博物館へ盗みに入り、見事手に入れるものの、歯が欠けたままの悪魔がピックを取り戻しに現われるので、悪魔とロック対決をする。
冒頭、少年時代のジャック・ブラックを演じる子役のそっくりぶりがまずすごい。で、その子がおぞましい歌詞の歌を歌い、ロックは悪魔の音楽だと言って子の尻を叩く父親がミート・ローフだったりするのである。そして家出した子供が全米各地のハリウッドをめぐって最後にカリフォルニアのハリウッドにたどり着くともう本物のジャック・ブラックに成長していて、自分で歌っている歌に自分でエコーをかけている。器用なひとだなあ、と思う。それから街頭のギタリストと出会って壮絶な掛け合いになり、ここまでのテンションはかなりすごい。そこから先は適当にロック・ミュージカルのようなことをしながら、上記のごとき展開となり、いささか下品なのには少々閉口したものの、本筋にこだわらない(というよりも気にしていない)ふらふらとした語り口は好みであった。 


Tetsuya Sato

2014年4月29日火曜日

華麗なる激情

華麗なる激情
The Agony and the Ecstasy
1965年 アメリカ/イタリア 138分
監督:キャロル・リード

ユリウス二世の霊廟の製作をしていたミケランジェロはユリウス二世からシスティナ礼拝堂の天井画の製作を命じられ、自分は画家ではなくて彫刻家だと反発するものの強要されて仕事にかかり、仕事にかかってすぐにユリウス二世から与えられたプランを放棄して失踪、山上に立って霊感を得るとボローニャかどこかを攻略中でかなり忙しいユリウス二世の前に現われて自分で新たに考えたプランを説明し、ユリウス二世の了解を得てローマに戻って仕事にかかり、ところがいっこうに完成する気配がないのでフランス対策に追われるユリウス二世はミケランジェロの解雇を決め、ミケランジェロは戦闘で負傷したユリウス二世の前に現われて仕事を続ける許可を求め、ローマにもどったミケランジェロは『アダムの創造』を完成させるが、ユリウス二世はどうにか神聖同盟の締結に持ち込んだところで臨終の床に倒れ、するとミケランジェロがその床に現われて仕事を離れる許可を求めるので怒りを感じたユリウス二世は臨終の床から起き上がってミケランジェロに仕事を続けるように命令し、完成した天井画の下でミサをおこなう。
脚本がこなれていてダイアログがうまい。キャロル・リードはていねいな演出で強情な芸術家と怒りっぽいパトロンの関係をうまく描いている。レックス・ハリスンはユリウス二世のたくみに演じ、チャールトン・ヘストンのミケランジェロには風格があった。ハリー・アンドリュースのブラマンテはおもに悪役、アドルフォ・チェリがジョバンニ・デ・メディチ、トーマス・ミリアンがラファエロで、これはなんだかそれらしかった。


Tetsuya Sato

2014年4月28日月曜日

誇りと情熱

誇りと情熱
The Pride and the Passion
1957年 アメリカ 132分
監督:スタンリー・クレイマー

1810年のスペイン。ケーリー・グラント扮するイギリス海軍のアンソニー・トランベル艦長はスペイン語と砲術の能力を買われて単身スペインに送り込まれる。スペイン陸軍から青銅の巨砲を受け取るためであったが、引き渡しをするはずのスペイン軍はフランス軍の攻撃を受けて撤退し、大砲は崖の下へ捨てられていた。トランベル艦長はゲリラのリーダー、フランク・シナトラ扮するミゲルの協力を得て大砲を引き上げることに成功するが、ミゲルは大砲の引き渡しを拒む。ミゲルの故郷、アヴィラの町はフランス軍に占領されており、フランス軍はミゲルの所在や大砲の所在を聞き出すために毎日市民十名を処刑しているのであった。ミゲルは大砲をアヴィラへ運ぶと主張し、アヴィラで使ったあとは引き渡すと譲歩してトランベル艦長の協力を取り付ける。だが出発して間もなく、ミゲルはトランベル艦長がゲリラのなかの美女ホアナを熱く見つめていることに気づき(なにしろソフィア・ローレンだし)、ホアナもまたまんざらではないことを知って嫉妬を覚え、話は三角関係にもつれ込む。ゲリラたちは主人公三人の痴話喧嘩の合間に万難を排して大砲を運び、遂にアヴィルの町に到達して砲撃を開始する。城壁が崩れ、そこを目指して冗談抜きに一万人が突撃し、町は解放されるのであった。
原作はセシル・スコット・フォレスターの『青銅の巨砲』だが、実は読んでいない。全長十メートル近い巨砲は見ているだけでも迫力があるし、ソフィア・ローレンがフラメンコを踊ったり、橋を爆破したり、聖週間の行列が登場したりと見せ場は用意されているものの、あまり話は盛り上がらない。単純すぎる人物造形が問題であろう。


Tetsuya Sato

2014年4月27日日曜日

トリシュナ

トリシュナ
Trishna
2011年 イギリス 114分
監督:マイケル・ウィンターボトム

ラジャスタンの村で暮らすトリシュナはふとしたことから金持ちの息子ジェイと出会い、トリシュナの父親が事故を起こして一家が経済的に困窮するとジェイはトリシュナに救いの手を差し伸べ、トリシュナはジェイの父親が所有するホテルで働くようになるが、ふとしたことからジェイと関係を持つことになり、ホテルから逃れたトリシュナは家に戻り、まもなく妊娠していることがわかり、父親が命じるままに親戚の工場へ働きに出ることになって、そこで働いているとトリシュナを追ってジェイが現われ、トリシュナはジェイに誘われるままにムンバイを訪れてそこでジェイとの同棲を始め、ジェイはトリシュナへの愛を告白しながら自分の女性関係も告白し、トリシュナが妊娠と堕胎について告白するとジェイはいきなり顔をしかめ、そこへジェイの父親が倒れたという知らせがあってジェイはトリシュナを置いてロンドンに発ち、取り残されたトリシュナはムンバイで無為に日を送り、そうしているとジェイが現われてホテル経営のためにラジャスタンに戻ると告げ、世間体の問題から同棲状態を解消されて従業員となってジェイに同行したトリシュナは『カーマ・ストーラ』を読みふけるジェイの肉欲のはけ口となり、そういうことを繰り返しているうちにおそらく我慢の限界に達したのであろう、ある日ジェイを刺し殺して実家へ帰り、荒れ野へ出るとジェイを刺した包丁を使って自らの命を絶つ。 
原作はトーマス・ハーディの『テス』ということになっているが、ヒロインの人格はほとんど意味不明なまでに後退し、一方エンジェル・クレアとアレック・ダーバヴィルはジェイというひとつの人格に統合されている。ひとりでエンジェル・クレアとアレック・ダーバヴィル、というのはまったくの話、最低としか言いようがないので殺されるのはしかたがないとしても、それが上映時間を圧縮する関係でそうなったのか、19世紀のドーセットを現代インドに翻案する過程でそうなったのか、いまひとつ意図がわからない。前向きに眺めれば後者ということになるのかもしれないし、ヒロインのことさらな無性格ぶりとヒロインが受ける抑圧も含めて考えると現代インドの現状を反映した結果ということになるのかもしれない。確信が持てないのはたぶんに演出に原因があって、この監督の『日陰者ジュード』と同様、やたらと短いカット割りと落ち着きのないカメラ・ワーク、叙情に流れがちな表現のせいで正体が見えなくなっている。トリシュナを演じたのは『スラムドッグ$ミリオネア』のフリーダ・ピントで、文句なしに美しい。あくまでもイギリス映画なので登場人物が歌って踊るというシーンはないが、ボリウッドをかすめる瞬間があって、そこではダンスシーンが登場する。丹念に写し取られた現代インドの風俗はいろいろと面白い。 


Tetsuya Sato

2014年4月26日土曜日

日陰のふたり

日陰のふたり
Jude
1996年 イギリス 123分
監督:マイケル・ウィンターボトム

けったいな邦題がついているけど、トマス・ハーディ『日陰者ジュード』の映画化。
中身はおおむね原作のとおりだが、やたらと短いカット割りと落ち着きのないカメラ・ワーク、叙情に流れがちな脚本のせいでハーディの小説にある構造的な欠陥、つまり強引な展開ばかりが目につく仕掛けになっている。結果として原作で叙述的な要素が組み上げていた最大の特徴、つまりうんざりするような陰惨さは随分と後退しているような気はするのだが、それがあの小説の身上であったとするならば、出来のいい映画化であるとは言いにくい。ハーディというフィルターにこだわるのは公平ではないかもしれないけれど、結局は映画自体がフィルターからの脱却を観客に強いるほどの成果をあげていない。



Tetsuya Sato

2014年4月25日金曜日

スラムドッグ$ミリオネア

スラムドッグ$ミリオネア
Slumdog Millionaire
2008年 イギリス 120分
監督:ダニー・ボイル

クイズ番組に出演して未踏の領域に達したジャマール・マリクは無学であるがために詐欺を疑われて警察に捕われてほとんど拷問に等しい尋問を受け、尋問にあたる警部の質問の一つひとつに答えることでジャマール・マリクの過去とクイズで正解を答えた理由が明らかにされる。
おそらくは『シティ・オブ・ゴッド』の雄弁さがスラムの撮り方をまったく変えてしまったのであろう。巧みに編集された前半は見ごたえがある。しかし後半に入るとハッピーエンドに向かってはなはだしく希釈されたインド映画風の刈り込みがおこなわれており、このあたりの作りには首を傾げた。悪いことにそうして首を傾げていると、なぜイギリス人がこんな映画を撮っているのか、といった疑問も起こり、どこか植民地主義的な不快な気配も感じ取ることになる。いや、つまり、最後になって踊るなら、上映時間をもう1時間か2時間追加して、最初から歌って踊るべきではあるまいか(もちろん、それをやっていたらアカデミー作品賞は取れなかったが)。インド人が自分たちで作っていたら、もっと面白かったはずである。 


Tetsuya Sato

2014年4月24日木曜日

シティ・オブ・ゴッド

シティ・オブ・ゴッド
Cidade de Deus
2002年 ブラジル・フランス・アメリカ 130分
監督:フェルナンド・メイレレス

神の町と呼ばれる貧民窟がリオデジャネイロの郊外にあり、どうやら電気も水道もなくて、ただ家の形をした箱だけがあって、行き場を失った人間が流れ込んでいる。話は1960年代、その神の町に平屋ばかりが立ち並び、隣にはまだ森があった頃から始まって、建物が高層化していく70年代を背景に少年ギャングの抗争を描き出す。まだ幼稚園に行っていた方がよさそうな連中が銃を片手に強盗を計画し、徒党を組んでパン屋を襲撃したりするのである。そのうちに麻薬の売買にからんでシマを取り合うようになり、対立する二大勢力の抗争に発展して真昼間から銃弾が飛び交って死体が転がる。
大人というのは警官くらいしか登場しない。銃を握って走り回るのは5、6歳から20歳ぐらいまでの若者で、それが何かというと誰かに銃口を向け、躊躇しないで引き金を引く。何もなくてもその有様で、人命がとにかく格安なのである。それでもそこで生活しているし、やっぱりどこかへ出て行こうと考えている。
ギャングの親玉であり、事実上の主人公であるリトル・ゼは頭が切れる反面、想像力を持ち合わせていないという欠陥があり、だからどこかへ行こうなどとは考えずに、ただそこにいて、激化する抗争の中に身を置いてしまう。報われない選択しか許されないという点で、いちばん悲劇的であろう。ドキュメンタリー調のスタイルはダイナミックで、リアリティがある。よく吟味された演出はタイムスパンの長い群像劇をきちんと消化しているし、リズム感にすぐれ、ときにはユーモラスでもあり、そして状況を的確に説明して観客に混乱を与えない。これは悪くない。


Tetsuya Sato

2014年4月23日水曜日

ラスト・サムライ

ラスト・サムライ
The Last Samurai
2003年 アメリカ・日本・ニュージーランド 144分
監督:エドワード・ズイック

1876年、アメリカ合衆国陸軍のネイサン・オルグレン大尉はウィンチェスター社との契約で73年型新式ライフルの宣伝役を務めていたが、飲酒癖が嫌われて解雇される。その後、戦友の誘いを受けてかつての上官バグリー大佐との会食に応じてみると、大尉はその席上で大村と名乗る日本人に紹介され、軍隊の編成のための教官として招聘されることになる。日本は北太平洋をはさんでアメリカの反対側にあり、天皇によって統治されているが、勝元という反逆者が徒党を組んで治安を乱しているのだという。大尉はバグリー大佐とともに日本に渡り、彼方に富士山を見て横浜から上陸すると宮城へ招かれて天皇に拝謁する。天皇は賢明そうな青年に見えるが、宰相大村のいいなりになっているように見えなくもない。任に就いたオルグレン大尉はさっそく軍隊の訓練にとりかかるが、そこへ大村が現われ、すぐさま出動するように命令を下す。勝元の一党が鉄道を襲撃したからであった。訓練不足を理由にオルグレン大尉は反対したが、バグリー大佐は出動を承諾する。そして新編成の軍隊が鉄道沿線にしたがって進軍していくと、シダが繁る怪しい森の奥深くから鎧姿のサムライが出現するのであった。ほら貝が重々しく吹き鳴らされ、兵士たちは脅えるが、オルグレン大尉は部隊を展開させて踏みとどまる。すると霧を破って戦国武者の一団が騎馬で現われ、兵士の一人が恐怖のあまりに発砲するとそこから先は乱戦になり、軍隊は壊滅的な打撃を受けて敗走し、オルグレン大尉は捕虜となるのであった。
捕虜となった大尉は吉野の里にある勝元の本拠地へ連れ去られ、そこに秋から春まで留め置かれたことで驚くべき変貌を遂げることになる。まず、アル中が直った。実は大尉は第七騎兵隊の関係者で、カスター将軍の自滅的行為とその後の先住民族への報復措置で心に傷を負っていたのであった。心を癒されて無の境地を学び、武士道の心に一歩また一歩と近づいていく。真相も明らかになった。実は勝元こそが天皇の真の忠臣であり、大村は私腹を肥やす逆賊だったのである。その大村は勝元暗殺のために夜陰に乗じて忍者の群れを村へ送り、オルグレン大尉は勝元を救う。二人はもはや敵同士ではなくなっていた。やがて春が訪れ、勝元は天皇の命によって東京へおもむき、元老院へと出席する。だがその直前に大村の奸計によって忌まわしい廃刀令が布告されていた。天皇の面前で刀を奪おうとする大村に勝元は抗い、遂に捕らわれの身となる。しかしオルグレン大尉の協力によって東京からの脱出を果たし、吉野の里で軍を起こす。集結したのは戦国の武者が五百名、対するは野砲とガトリング砲で武装した近代日本陸軍二個連隊。桜が散る中、遂に決戦の火蓋が切られたのであった。
『グローリー』以来、ということは、つまりほぼ最初から、ということになるのだと思うけど、エドワード・ズイックという監督は歴史的なリソースを個人的な空間に再構築した上で、それをきわめてエキゾチックな映像に仕立て上げるという習性があって、それがまたいつも奇妙に魅力的なので、今回の場合も明治の日本が明治の日本に見えるかというのは問題ではなくなってしまう。言い方を変えれば、ここにあるのは監督が消化した結果としてのサムライ日本であって、だから登場する武者姿も江戸時代を経験した武士階級とはまったく無縁な戦国のサムライばかりなのである。そちらの方がかっこいいと思ったのであろう。そして事実、素晴らしくかっこいいのである。殺陣は早いし重量感があって合理的だし気がつくとトム・クルーズは二刀流だし、最後の一大合戦シーンだけでもこの映画は見る価値がある(騎兵の突撃が実に美しい)。

Tetsuya Sato

2014年4月22日火曜日

ラスト・タイクーン

ラスト・タイクーン
The Last Tycoon
1976年 アメリカ 112分
監督:エリア・カザン

地震があった晩、映画会社のプロデューサー、モンロー・スターは水浸しになったセットで亡き妻に似た女を目撃し、女に近づいて強引に誘うと女はあれやこれやと理由をつけてモンロー・スターを遠ざけようと試みるが、ふとしたはずみから同衾する関係となり、モンロー・スターはいよいよ女に拘泥するが、女はモンロー・スターを顧みずにすでにいた婚約者と結婚する。
原作はフィッツジェラルド、脚本はハロルド・ピンター。モンロー・スターがロバート・デ・ニーロで、おそらくは役柄に対して役作りが若すぎるし、演技についている演出がおそらくは統一を欠いている。キャサリン・ムーア役のイングリッド・ボールティングは単なる小娘で魅力がない。魅力がない、と言えば大物女優として登場するジャンヌ・モローが不思議なくらい魅力がない。撮影中の映画でジャンヌ・モローの相手をするのがトニー・カーティス、モンロー・スターの上司の役でロバート・ミッチャム、弁護士役でレイ・ミランド、脚本家がドナルド・プレザンス、ニューヨークからやってくる脚本家組合の代表がジャック・ニコルソン、冒頭、撮影所のガイドの役でジョン・キャラダインとオールスター・キャストの映画だが、訳知り顔のダイアログは失敗が目立ち、撮影は凡庸で、演出は体力を欠き、人物は中途半端な造形のまま、ただ配置されるだけで終わっている。退屈な映画だが、デ・ニーロとジャック・ニコルソンがピンポンをする場面だけはどうにか鑑賞に堪える仕上がりになっている。 

Tetsuya Sato

2014年4月21日月曜日

ラスト・キャッスル

ラスト・キャッスル
The Last Castle
2001年 アメリカ 131分
監督:ロッド・ルーリー

合衆国陸軍のユージーン・アーウィン中将はベトナムでの捕虜体験を持つ歴戦の勇士であったが、ブルンジでの作戦中に大統領命令に違反して部隊を動かし、犠牲者を出した罪によって軍法会議で10年の刑を言い渡されて軍の重犯罪刑務所に収監される。
刑務所の所長ウィンター大佐は実戦経験を持たない人物で古い武器のコレクションなどをしていたが、アーウィン中将に言わせれば実戦経験がないからそんなことをするのであった。所長にしてみれば将官の囚人というのはそれでなくても扱いが悪いし、その上にそりがあわないし、見ていれば規則を無視して勝手なことを始めるし、指摘をすると軍法を盾に反論してくるし(つまり所長が悪いわけだが)、それで上官の准将に意見具申すれば向こうは将官同士のよしみで中将の方に味方する。そこで所長はじっと我慢をして中将を押さえ込むための努力を開始し、試みに懲罰を加えたりしてみるといよいよ関係は険悪になり、悪いことに中将は囚人どもの気持ちを引きつけにかかる。模範囚になってくれと頼み込んで譲歩の提案を持ちかければ代わりに辞任を要求され、気がついた時には妥協の余地はなくなっていた。
所長が動くよりも先に中将の方が先に動き、囚人どもを駆り集めて部隊に編成し直し、作戦を練って指令を飛ばす。勝利条件は所長を解任に追い込むこと。スリングショットで火炎瓶を打ち込んで監視楼を制圧し、どこからともなく天秤式の投石器を引っ張り出して管理棟に攻撃を加え、鎮圧部隊が出現すれば密集陣形を組んで立ち向かい、放水車にはあれ、ヘリコプターにはこれ、と次から次へと対抗手段を持ち出して、つまり囚人暴動ではなくて本当に軍事行動をやっているというところがミソなのであろう。
アイデアは悪くないものの、プロットはアイデアを成立させるための最小限の分量しか用意されていないので、主人公アーウィン中将も「歴戦の勇士で尊敬される将軍」とひらがなで書いてあるだけなのである。そういう役をロバート・レッドフォードが『スパイ・ゲーム』同様、「だって俺もう老人だから」という顔で演じている。 対するウィンター大佐も「悪い奴」と書いてあるだけなので、演じるジェームズ・ガンドルフィーニは最初から最後まで悪役笑いをしているだけ。もちろんプロットが甘くてもクライマックスの戦闘がうまくできていれば何も文句はないわけだけど、そのあたりもいささかご都合主義な感じなので、もうちょっと頑張りがほしかったと思う。


Tetsuya Sato

2014年4月20日日曜日

キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー

キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー
Captain America: The Winter Soldier
2014年 アメリカ 136分
監督:アンソニー・ルッソ、ジョー・ルッソン

シールドの船がテロリストにハイジャックされるので、スティーブ・ロジャース、ナターシャ・ロマノフおよびシールドのストライクチームが出動してテロリストを制圧、ところがナターシャ・ロマノフがここで別行動を取ったせいでスティーブ・ロジャースはシールド長官ニック・フューリーの指揮に疑問を抱き、一方、そのシールドでは『アベンジャーズ』の一件を受けて全人類を対象にテロ予防措置の計画を進めていて、この計画に疑問を抱いたニック・フューリーは理事のアレクサンダー・ピアースに安全性の確認を進言し、そうするとニック・フューリーは何者かの襲撃を受けて死ぬことになり、死ぬ前にスティーブ・ロジャースに謎のUSBメモリーを託すので今度はシールドが全力をあげてスティーブ・ロジャースの追跡にかかるのでスティーブ・ロジャースはナターシャ・ロマノフと協力してシールドに隠された謎を探る。 
万事において大がかりなシールドの本部がポトマック河畔に登場し、そこに超科学のとんでも組織ハイドラがからむのでアクションもたいへん大がかりなものになっているが、基底にあるのはやや古めかしい政治サスペンスで、だからロバート・レッドフォードというキャスティングが非常に生きている(しかもその口で「ハイル・ハイドラ」と言ってくれる)。プロットのバランスが取れ、演出の目配りもいい。ほどよく希釈されてはいるものの明確な政治的背景を出すことでキャプテン・アメリカという生真面目なキャラクターもうまく消化されていると思う。カーチェイス、肉弾戦、銃撃戦は迫力があり、ヘリキャリア三機が川面を割って出撃するシーンもなかなかに楽しい。 
Tetsuya Sato

2014年4月19日土曜日

サテリコン

サテリコン
Fellini - Satyricon
1969年 イタリア 128分
監督:フェデリコ・フェリーニ

美青年エンコルピオは愛する美少年ジトーネを親友アシルトに奪われて怒りの言葉を浴場に散らし、ジトーネを取り戻してアシルトと縁を切ろうとするが、取り戻したジトーネはアシルトを選び、絶望するエンコルピオを地震が襲い、詩人のエウモルポは芸術の死を嘆き、俗物を罵りながらエンコルピオをトリマルチョーネの饗宴に招き、トリマルチョーネを罵るエウモルポは饗宴から追い出されてエウモルポとともに野に横たわり、エンコルピオは目覚めとともに兵士に捕らえられてアシルトとジトーネと再会し、船に運ばれると将軍に選ばれて将軍の夫となり、兵士の反乱で将軍の首は海に沈み、反乱を起こした兵士はジトーネをさらい、残されたエンコルピオはアシルトとともに荘園を訪れて自殺している夫婦を見つけ、野に出て多淫症の妻と交わり、他人にそそのかされてひとを殺すと両性具有の神童をさらい、陽の光にさらされて神童が死ぬと捕らえられてミノタウロスの前に投げ出され、危うく殺されそうになったところで自分が戦士ではなくて学生であることを主張するとミノタウロスはその理を認めて仮面を取り、エンコルピオは褒美としてアリアドネを与えられるが役に立たなかったので嘲笑を浴び、そこへ現れたエウモルポもエンコルピオの助けとはならなかったので、エンコルピオは魔女の力を借りるためにアシルトとともに沼を渡り、力を取り戻すと船に乗り込んでアフリカへ旅立つ。
ストーリーはほとんど意味がない。自由連想のように絵と音がつながれ、その連鎖にいわく言いがたいポエジーがあり、その不可解なポエジーは古代の壁画を基底に置きながらイメージをアフリカへつなげていく。奇怪な顔と奇怪なセットは悪夢のような印象を残すが、それでいて後味は妙にすがすがしい。 



Tetsuya Sato

2014年4月18日金曜日

8 1/2

8 1/2
Otto e mezzo
1963年 イタリア/フランス 140分
監督:フェデリコ・フェリーニ

映画監督グイド・アンセルミは新作の撮影開始を間近に控えてスランプに陥り、脚本を完成させることができないまま湯治場に逃げ込んで鉱泉水を飲んでいると、そこへ愛人が現われ、プロデューサーが現われ、その他の大勢も現われ、妻を呼ぶと妻も現われ、自分を包囲する現実を糊塗するためにしばしば幻想へと逃げ込むが、幻想はグイドを心地よい場所へと誘う一方で不快なところへも誘い込む。
劇中の台詞でも指摘されているようにシンボルがてんこ盛りにされており、すべてのシンボルはグイド自身と直結してはいるものの、全体としてなにかしらの総合的な関係性を保持しているわけはない。グイド自身が認めているように、そこにはおそらく混乱がある。そしてそうした混乱も含めて映画は立体感を備えた一個の造形物として成立し、その粘りつくような不可思議な造作は比類がない。絵と音が心地よいのである。



Tetsuya Sato

2014年4月17日木曜日

フレンチ・カンカン

フレンチ・カンカン
French Cancan
1954年 フランス 102分
監督:ジャン・ルノワール

ショービジネスを生業とする男ダングラールは町のダンスホールで見かけた若い洗濯女ニニに踊り子としての才能を認め、またその踊りに触発されて新たなクラブを思い描く。そしてムーラン・ルージュの建設に取りかかるが、女優のローラはダングラールとニニの関係に疑いを抱き、ニニの恋人であるパン屋のパウロもまたダングラールとニニの関係に疑いを抱き、外国の王子アレクサンドル殿下はニニに恋心を抱き、あれやこれやの結果ダングラールは破産状態に陥り、ムーラン・ルージュの建設はいったんは立ち往生するものの最後はすべてが収まるべきところに収まるのである。
色彩が豊かで、登場人物は福々しく、絵はどこまでもふくよかで、しかもあちらにセザンヌ、こちらにロートレックという具合に名画の構図がだまし絵のようにはめ込まれ、見ているうちに多幸症的な気分になってくる。そしてクライマックス、フレンチ・カンカンの狂騒は圧倒的。

Tetsuya Sato

2014年4月16日水曜日

交渉人

交渉人
The Negotiator
1998年 アメリカ 138分
監督:F.ゲイリー・グレイ

劇場公開当時、予告編ではIQ180の攻防などと予告編で言っていたが、見た感じではIQ123くらいだろうか。
サミュエル・L・ジャクスン扮する警官ローマンはシカゴ警察のベテラン交渉人であったが、内務調査班によって年金汚職と殺人の罪で告発されてしまう。そこでローマンは自分の無実を証明しようと内務調査班のオフィスを占拠し、人質を盾にして立て篭もる。ローマンはシカゴ警察のもう1人の交渉人、ケヴィン・スペイシー扮するセイビアンを現場に呼び出すように要求する。その意図は事件と無関係なセイビアンを交渉の窓口に呼び出して事件解決の糸口を掴むことにあったのだが、脚本はすぐに煮詰まって体力の不足を露呈していって、こちらの期待どおりならば交渉人同士の壮絶な心理戦へ走る筈が、あいつが無能だったりこいつが勇み足だったり互いにやり方が気に入らなかったりと心理的に納得しにくい展開へ走るのである。主役の二人はもちろん脇役まで実にいい役者がそろっているのだが、長くて面白みのない映画になってしまった。 

Tetsuya Sato

2014年4月15日火曜日

ミニミニ大作戦(2003)

ミニミニ大作戦
The Italian Job
2003年 アメリカ/フランス/イギリス 111分
監督:F.ゲイリー・グレイ

同名の映画のリメイクだけど、同じなのはタイトルと犯罪映画だということと、ミニが走るというところまで。洒落っ気もない。
まず冒頭、タイトルどおりに「イタリアの仕事」にするためにマーク・ウォルバーグ率いる泥棒の一味がヴェネチアで3500万ドル分の金の延べ棒を盗み出す。ところが仲間の1人のエドワード・ノートンが裏切りに走り、金を奪った上に金庫破りのドナルド・サザーランドを殺してしまう。これは若い犯罪者に結婚や投資を勧めたりする立派な金庫破りで、誰からも尊敬されていて祖国アメリカには適齢期の娘を残していた。それから1年後、その適齢期の娘がフィラデルフィアで金庫のテスターをしていると、マーク・ウォルバーグとその一味が現われてエドワード・ノートンの居場所を発見したと報告する。敵はロスアンゼルスで豪邸住まいをしているということなので、ここは1つ報復のために奪われた金を盗み出してやろうという話になって現地へ飛んで準備を進め、データを集めたり危険を顧みずに屋敷の中へ潜入したり、奪った金を運ぶためにミニ・クーパーのチューンナップなどもして、いよいよ決行という時につまらない事情から順延されたりするので見ているこちらは少々しんどい思いをする仕掛けになっている。
ヴェネチアのシーンはかなりよくできていたと思うけれど、どうもその後が続かない。裏切りのあたりですでにだれ始めていて、その先はミニが並んで走り始めるまであまり面白いことが起こらない。しかもミニの走りもいたって手短で、あまり愛が感じられないのである。あと、いちおう知能犯という設定になっていたようだけど、そういう風にも見えなかった。役者の使い方も感心しない。エドワード・ノートンとマーク・ウォルバーグの役を入れ替えるべきであった。あるいはマーク・ウォルバーグとドナルド・サザーランドの役を入れ替えて、マーク・ウォルバーグはさっさと殺してしまうべきであった。この監督は『交渉人』でも同じような下手糞さを発揮していたような気がするのである。 

Tetsuya Sato

2014年4月14日月曜日

ミニミニ大作戦(1969)

ミニミニ大作戦
The Italian Job
1969年 イギリス 100分
監督:ピーター・コリンソン

チャーリー・クローカーは刑務所から出所すると早速大仕事に取りかかり、刑務所を根城に犯罪社会に君臨するブリッジャー氏をスポンサーに得て人材、装備を確保して海峡を越え、アルプスを越え、トリノの町で交通渋滞を引き起こして、輸送中の金塊半トンを強奪する。そして奪った金を三台のミニ・クーパーに積み込み、歩道だのアーケードだの狭い道だの屋根の上だの川の堰だの下水のパイプだのを小さな車でちょこまかちょこまかと走って警察の追跡を振り切っていく。
チャーリー・クローカー率いるどことなく間抜けな犯罪集団、看守をしたがえ、署長を顎で使うブリッジャー氏(ノエル・カワードが嬉しそうにやっていた)、邪魔をたくらむマフィアのボス(ラフ・ヴァローネが嬉しそうにやっていた)、という具合にキャラクターの造形が楽しい。そして後半、ミニ・クーパーが走り始めると、ただ走っているだけでこれほど楽しい車があるものか、と思えるほどちょこまかちょこまかと走って、これがかわいらしいのである。だから任務を終えたミニ・クーパーが次々に処分される場面には、思わず顔を覆ってしまう。気負いのない演出が不思議な味となり、クインシー・ジョーンズの音楽がまたいい感じ。

Tetsuya Sato

2014年4月13日日曜日

ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!

ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!
The World's End
2013年 イギリス 109分
監督:エドガー・ライト

ゲイリー・キングとその仲間の五人は1990年に高校を卒業したとき、ニュートン・ヘイヴンの町にある12軒のパブを梯子する計画を立てて実行に移すものの完遂にはいたらず、それから20数年を経てゲイリー・キングはかつての仲間を一人ひとり訪れてこのパブ・クロールなる行事への再挑戦を訴えるので、ゲイリー・キングの言わば口車に乗せられた四人はニュートン・ヘイヴンの町に集まり、ゲイリー・キングとともにパブのはしごを再開するが、途中で町の様子がおかしいことに気がついて、ロボットとしか思えないものが町の住民のふりをしていることを発見して、どうやら何者かに侵略されているらしいという結論を下すと異変に気がついていることに気がつかれないようにするためにそのままパブのはしごを続ける。 
飲み続ける五人組がサイモン・ペッグ、ニック・フロスト、マーティン・フリーマンほか、途中で加わるのがロザムンド・パイク、高校時代の先生がピアース・ブロスナン。
サイモン・ペッグがものすごい演技をしていて、クライマックスでは声だけのビル・ナイと迫真の対決をする。ニック・フロストの中盤からのぶち切れ方もすごいし、ロザムンド・パイクがアクションをしているのにも驚いた。さすがにダイアログがよくできているし、構築面もしっかりとしているし、笑いどころも多いし、ということで文句のつけようはないものの、エドガー・ライト/サイモン・ペッグの少年期の終わりを見せられているようなところがあって、鑑賞後の印象は意外なほど重い。 
Tetsuya Sato

2014年4月12日土曜日

ローリング・サンダー

ローリング・サンダー
Rolling Thunder
1977年 アメリカ 95分
監督:ジョン・フリン

合衆国空軍のネイサン・レイン少佐はベトナムでの七年間にわたる捕虜生活のあと、解放されて故郷のサンアントニオに凱旋して妻子との再会を果たし、地元から暖かい歓迎を受けるが、薄暗い捕虜生活のせいですっかり目が弱くなったレイン少佐はサングラスなしには外を歩くことができないし、部屋も暗くしておかなければ気が済まない、という状態で、しかも心の根っこはどうやらハノイの収容所に残したままのようなので、しきりと気をつかう周囲とはどうにも歯車がかみ合わないし、妻は留守のあいだの友人の警官と関係を持っていたようだし、息子もまた友人の警官と親密な関係を結んでいるようだし、だから帰郷のお祝いに地元有志からたくさんの銀貨をもらってもキャデラックをもらっても、レイン少佐の帰郷をひたすらに祈っていたかわいらしいウエイトレスからキスをしてもらっても本人は変わらずに心を閉ざしたままで、そこへ銀貨を狙って現われた無頼漢どもがレイン少佐に襲いかかって銀貨の隠し場所を聞き出すために拷問を加えるとレイン少佐の頭はすぐさまハノイの捕虜収容所へ飛んでゆき、レイン少佐があくまでも口を割ろうとしないので捕えられた妻子は犠牲になり、レイン少佐はディスポーザーで片手を失い、病院で目覚めたレイン少佐は警察の前で口をつぐみ、一人になると義手の爪を使ってリボルバーに弾を込める練習を続け、退院すると息子から送られた散弾銃の銃身を切り詰め、キスをしてくれたウエイトレスをキャデラックに乗せてメキシコを目指して手がかりを頼りに無頼漢一味の所在を探り、居場所を突き止めると捕虜仲間だった陸軍のジョニー・ヴォーデン伍長に声をかけ、家族とともに平和に暮らしていたヴォーデン伍長はすぐさま誘いに乗って制服に着替えて武器を取り、二人でメキシコの売春宿に殴り込む。 
脚本がポール・シュレイダー、レイン少佐がウィリアム・ディベイン、ヴォーデン伍長がトミー・リー・ジョーンズ。冒頭、レイン少佐とヴォーデン伍長を乗せたリアジェットが空港に到着し、そこに主題歌『わが町サンアントニオ』が流れるところでなぜかいつも胸がいっぱいになる。ベトナム帰還兵という素材を扱ったものの形式としては公開当時すでに新しくはなかったはずだが、ポール・シュレイダーらしい脚本とジョン・フリンの目配りの行き届いた演出によって成熟した作品に仕上がっている。ベトナム帰還兵と暴力の接点が複雑で、その関係性のなかで暴力自体が実はそもそも遍在しているというあたりまえの指摘は重要であろう。 
ウィリアム・ディベインがすばらしい。どこで見かけても見栄えがするいい俳優だが、この映画のために生まれてきたひとではないかと思うことがある。そして忘れることができないのがウエイトレス役のリンダ・ヘインズで、とにかくその演技がすばらしい。ジョン・フリンという監督は俳優から魅力を引き出すのがほんとうにうまい。 


Tetsuya Sato

2014年4月11日金曜日

組織

組織
The Outfit
1973年 アメリカ 105分
監督:ジョン・フリン

開巻、牧師とタクシー運転手に偽装した二人組の殺し屋に男が殺され、殺された男の弟アール・マックリンは刑務所から出て愛人ベット・ハーロウが用意したコテージに入るとそこに殺し屋が現われ、殺し屋はマックリンに反撃されて雇い主の名前をもらし、ベット・ハーロウもまた同じ男に脅されていたことがわかり、マックリンは殺し屋を追い払うと殺し屋の雇い主メナーがポーカーをしているホテルの部屋に押し入って有り金を巻き上げ、さらに自分が狙われた理由をたずねると、どうやら前に襲ったウィチタの銀行が組織の持ち物で、そのせいで組織の怒りを買っているらしい、ということが判明するが、それはそれとしてマックリンは兄を殺されたことで25万ドルの慰謝料を求め、メナーが支払いを拒むと払うまで縄張りを荒らすと宣言してホテルから去り、相棒のコディに声をかけて仲間に引き入れ、武器を手に入れて宣言したとおりに組織の縄張りを荒らしてまわり、さらには組織のボスに至近距離まで接近してみせるので、組織のボスはマックリンを罠にかけ、マックリンは罠から逃れて反撃に出る。
ウェストレイク『悪党パーカー/犯罪組織』の映画化で脚本もジョン・フリン。マックリンがロバート・デュヴァル、コディがジョー・ドン・ベイカー、ベットがカレン・ブラック、組織のボスがロバート・ライアン。
冒頭の二人組の殺し屋の妙にこなれた描写(手分けして標的を探し、一人が見つけても相棒が横に立つまで銃を出さない)からマックリンと殺し屋の会話(ハンカチくれないか)、マックリンの持ち物へのこだわり(祖父さんの懐中時計、銃に触るな)と気の利いた場面の連続で、手短にまとめられたアクションはスタイルがあり、ほどよく緩急が加えられた語り口が心地よい。
禿を隠しもしないロバート・デュヴァルがかっこいいし、ジョー・ドン・ベイカーはチャーミングだし、対するロバート・ライアンは実に品がいい。そのロバート・ライアンの女房役のジョアンナ・キャシディがテニスをしているシーンではコーチの役でちらっと現われるのがトニー・トラバートで、これは著名なプロテニスプレイヤーらしい、ということで細部までこだわった「B級映画」の傑作である。 


Tetsuya Sato

2014年4月10日木曜日

ウェア 破滅

ウェア 破滅
Wer
2013年 アメリカ 92分
監督:ウィリアム・ブレント・ベル

フランスの田園地帯でキャンプをしていたアメリカ人の一家が満月の晩に何者かの襲撃を受けて父親と子供が惨殺され、生き残った母親の証言をもとに近所に住む男が逮捕されるが、アメリカの人権派弁護士でフランスで活動するキャサリン・ムーアはこの逮捕を不当だと考えて弁護に乗り出して動物法医学の専門家を呼び寄せて調査を始めたところ、犠牲者の遺体に人間では加えられない力が加わっていること、容疑者は難病に冒されている可能性があること、などがわかり、裁判所の許可を取って容疑者を病院に移送して検査をすると検査のための光に容疑者が異常な反応を示し、次の瞬間には拘束を破って医師、検査技師に襲いかかって殺戮をおこない、病院から逃げ出して廃ビルにひそんでいるところを武装警官が包囲すると今度は警官を皆殺しにしてどこかへ逃れるのでキャサリン・ムーアとそのスタッフも警察の捜索に同行する。 
ヘリコプターを撃墜する狼男というのは初めて見たような気がする。変身シーンはいちおうあるものの骨格がやや変化するというくらいで、おおむね人間のままの姿で怪物じみた行動をする、というところにおそらく主眼がおかれている。そうい意味では『アイ・アム・レジェンド』の感染者の扱いに近いし、終盤に登場する二人目はほとんどそのまんまの引用に見える。ホラー演出はよくも悪くも古典的で、脚本はどちらかと言えば古めかしい。カメラワークは一人称なのか手持ちなのか整理がついていないところがたくさんあって、視点が微妙に混乱している。変な話を入れないで、警察対狼男に絞っていたらもっと面白くなったのではあるまいか。
ところで弁護士チームのなかにどこかで見たような顔がいる、と思ったら『CHUCK』のユダヤ系インド人レスター・パテルことヴィク・サハイだった。


Tetsuya Sato

2014年4月9日水曜日

イントゥ・ザ・サン

イントゥ・ザ・サン
Into The Sun
2005年 アメリカ 97分
監督:ミンク

東京で都知事が暗殺され、テロを疑ったFBIがなぜか捜査に動き出し、それにCIAの東京本部が協力する。
CIAの担当官がウィリアム・アザートンで、その現地要員として東京都内を動き回り、動き回っているうちにCIAもFBIもどうでもよくなって、ただもう私怨からヤクザの出入りに加勢するのがスティーヴン・セガールなのである。ちなみに製作総指揮と脚本もスティーヴン・セガールなのである。
若いヤクザが蛇頭と結託してヘロインの密輸ルートを開拓し、それで巨額の利益を稼ぎだして昔ながらのヤクザに喧嘩を吹っかけ、ついでにスティーヴン・セガールにも喧嘩を売る、というストーリーのようなものがあるものの、事実上すっちゃかめっちゃに近い状態になっている。とはいえ、目論見はヤクザ映画にありがちな画面を一式つなげて、そこへスティーヴン・セガールを埋め込んでいく、ということにあったようで、それはそれで、それなりの成果を上げているように見えなくもない。そしてその観点から並べてしまえば、これは『キル・ビル』よりも面白い、と言えなくもないのである。ともあれ、スティーヴン・セガールが関西弁まじりでぼそぼそしゃべったり「ばっきゃろー」とか叫んだりするし、殺陣は例によって例の調子だし、それでも乗りはどことなく『龍が如く』か、菅原文太か、という感じだし、それでもスティーヴン・セガールが立ち回りをやっていると、その背景ではテレビの画面になぜか自分の娘の出演映画(平成『ガメラ』)が大写しになっているし、寺尾聰、伊武雅刀、大沢たかお、豊原功補といった日本の俳優陣もなんだかいい感じでヤクザな人々をやっているし、ということで、いろいろと楽しめるところがたくさんあって、わたしは決して嫌いではない。



Tetsuya Sato

2014年4月8日火曜日

キル・ビル Vol.2

キル・ビル Vol.2
Kill Bill: Vol. 2
2004年 アメリカ 136分
監督・脚本:クエンティン・タランティーノ

花嫁の復讐の話の続き。まずエルパソの教会における大虐殺の詳細が語られ、花嫁はビルの弟を狙って反撃に出会い、それやこれやがあって結末に至る。そのあいだに花嫁がカンフーの極意を習得していること、ダリル・ハナ扮するエルが左目を眼帯で覆っている理由、ビルの身の上、ビルの真意、花嫁の真意などが順次明らかにされ、カンフーの師匠が登場すると画面はいきなり70年代香港映画の粗さになり、カメラワークもまとまりを失い(ここはやはり昼組と夜組でカメラマンが違うという設定になっているのであろう)、砂漠でマカロニ・ウェスタン風の暴力シーンが登場すると、音楽がいきなりモリコーネになったりするのである。
自分の映画を好きな映画やそのサントラで再構築するという手法はいわゆる自主製作映画のそれであり、タランティーノが巨額の予算とスターを使ってやっていることも、つまりそういうことだとわたしには思える。意図的なばかばかしさは積極的に認めたいと思うし、実際のところ、まったく面白くないわけではないが、あまり趣味がよいとは思えない。ちなみに暴力的な場面のB級ぶりはB級を通り越してほとんどルチオ・フルチのようであった。 


Tetsuya Sato

2014年4月7日月曜日

キル・ビル

キル・ビル
Kill Bill: Vol. 1
2003年 アメリカ 111分
監督・脚本:クエンティン・タランティーノ

エルパソのひなびた教会で大虐殺がおこなわれ、妊娠していた花嫁はただ一人生き延びて四年の後に昏睡状態から回復する。花嫁は復讐にとりかかり、まず沖縄へ飛んで引退した刀鍛冶服部半蔵を訪れ、事情を明かして最高の刀を譲り受ける。続いて東京へ飛ぶと、そこでは復讐すべき相手の一人オーレン・石井が姉御となってヤクザの一団を率いている。血統や国籍の問題を超越して自分の力で這い上がったからであったが、刀を手にした花嫁は石井が徒党を率いて青葉屋につどっているところへ襲いかかり、血糊と手足を撒き散らして子分どもを全滅させる。そして雪がはらはらと舞う日本庭園で石井と対決し、見事にこれを撃ち倒すと再び飛行機に乗り込んでアメリカを目指す。アメリカでもさらに一人を血祭りにあげるが、復讐の旅はまだ終わりではない。ビルが謎めいた台詞を残して話は次回へと続くのである。
先行作品に属するさまざまな要素をきわめて意欲的に取り込んで再構成し、一種、得体の知れない映像に仕立て上げることには成功しているが、本来ならば構築的であるべき部分を趣味の暴走にまかせた結果、どこかで見たような安手な映像を継ぎ接ぎしただけの(パワフルではあるが)安手な映画になってしまった。やりたいからやった、というのは十分な動機になるとしても全体のデザインが見えてこない。 



Tetsuya Sato

2014年4月6日日曜日

ランナウェイ

ランナウェイ
Thunder and Lightning
1977年 アメリカ 99分
監督:コリー・アレン

フロリダの湿地帯で爺さん二人が密造酒作りに励んでいると、そこへハニカットの子分が三人現われ、爺さんたちの醸造装置を爆破する。ハーレイはエアボートの上でダイナマイトの爆音を聞き、早速駆けつけてくると爺さんたちが縛られている。ハーレイは爺さんたちの密造酒を売って歩くのを商売にしていたので、ハニカットの一味に邪魔をされたことを知ると、すぐさま報復に出て、エアボート対エアボートの戦いになる。これはハーレイの勝利に終わり、ハニカットの子分どもはハーレイの跡を追って教会に追い詰めるが、そこでは牧師がワニと戦いながらヘビの誘惑について説教をしている。ハニカットの子分はメソジスト派なのでそういう教会には入ってこないが、ハーレイが出てくるのを待ち受けている。しかしハーレイは教会で婚約者と落ちあっていて、その婚約者というのはハニカットの子分どもの親分の娘、つまり地元の有力者で議員やマフィアとのつながりがあるR.J.ハニカットの娘であったので、子分どもは引き下がらなければならなくなる。ハーレイは爺さんの醸造装置が破壊されたお返しにハニカットの車を爆破し、ハニカットの子分どもはまたしてもハーレイに敗北し、マフィアの警告にもかかわらずハニカットは粗悪な酒をニューヨークの黒人に向けて出荷するので、ハーレイとハニカットの娘は密造酒を満載したトラックを追い、それを警察が追い、ハニカットの子分が追い、ハニカット本人も追い、マフィアの殺し屋がハニカットを追いかけて、車が走ったり壊れたり、ということになっていく。
ハーレイがデヴィッド・キャラダイン、ハニカットの娘がケイト・ジャクスン。ロジャー・コーマン製作のたいそう野暮ったいアクション映画(ルイス・ティーグが第2班監督をやっている)で、ストーリーはまとまりがなくてだらだらとしている。へたくそに作られた映画だが、のんびりムードと間抜けな雰囲気は徹底していて、車が派手に吹っ飛んでも、銃撃戦がおこなわれても、最後にいたるまで誰も死なない。マフィアが送り込んでくるスナイパーはテレビの暴力番組が嫌いでこどもと一緒に『カンガルー船長』を見ていると自己申告するし、ちんぴらどもが清掃車の黒人運転手に銃を向けると「おまえらが銃を向けているのは黒人じゃない。公務員だ」とやり返される。そういうところは好きだと思う。
ランナウェイ [VHS]
Tetsuya Sato

2014年4月5日土曜日

ランナウェイ/逃亡者

ランナウェイ/逃亡者
The Company You Keep
2012年 カナダ 122分
監督:ロバート・レッドフォード

ベトナム反戦運動からテロリストに転じたグループが銀行強盗をして守衛を殺害し、殺人容疑で手配されて30年、名前を変え、身分を変えて市民生活に潜伏していると、そのうちの一人がいきなり自首することを決意してFBIに逮捕され、地元の新聞社の記者が事件を調べ始めると弁護士ジム・グラントの名が浮かび、記者がジム・グラントについて調べてみると、これはどうやらテロリストグループの一員であるニック・スローンではないかということになり、そのジム・グラント/ニック・スローンは娘を連れてニューヨークを訪れ、娘を弟に預けるとFBIの追跡を振り切って逃走し、かつての仲間を訪ねながら自分の潔白を明かすための旅を始める。 
ニック・スローンがロバート・レッドフォード、かつての運動仲間がジュリー・クリスティ、ニック・ノルティ、サム・エリオット、リチャード・ジェンキンス、スーザン・サランドン、弟がクリス・クーパー、事件の鍵を握る元警察官がブレンダン・グリーソン、FBI捜査官がテレンス・ハワード、新聞記者がシャイア・ラブーフ、というなんだかすごいキャスティングで、それぞれにいい味を出しているが、なかでもジュリー・クリスティーの革命家ぶりがちょっとすごい。いわゆる全共闘世代のじいさんばあさんがそれぞれに温度差を抱えながらひそんでいるあたりがなかなかに面白い。ロバート・レッドフォードの演出は誠実で、脚本は政治的なバランスが取れている。いい映画だと思う。

Tetsuya Sato

2014年4月4日金曜日

ホワイトタイガー ナチス極秘戦車・宿命の砲火

ホワイトタイガー ナチス極秘戦車・宿命の砲火
Belyy tig
2012年 ロシア 104分
監督:カレン・シャフナザーロフ

1943年、前進するソ連軍の前に謎のタイガー戦車が無敵状態で出現してはソ連軍部隊に壊滅的な打撃を与えて姿を消す、ということが起きるので、ソ連軍も増加装甲したT34/85を用意して戦車の声を聞くことができる記憶喪失の戦車兵を車長に任命して反撃する。 
まず、冒頭の戦場の場面が非常によくできていて感心した。最小限の人物構成で淡々と状況に対処していくストイックな構成も好ましいし、音から光からむごたらしさまで戦闘の細部にわたる描写にも感心した。問題のタイガー戦車が登場したり退場したりする場面のなんとなく人外な感じがよくできているし、対するT34の戦車の残骸や民家を盾にした戦いぶりも面白い。戦車対戦車にこだわって低いところにディテールを積み上げていって、終盤それがいきなり高いところへ飛びあがってしまうのにはちょっとびっくりしたが、意図がそこにあるのだとすれば構造的に誤りはない。作りはまじめで誠実だし、T34やSU152がぞろぞろ出てくるところは素朴にうれしい。
Tetsuya Sato

2014年4月3日木曜日

ラッキーナンバー7

ラッキーナンバー7
Lucky Number Slevin
2006年  ドイツ/アメリカ 111分
監督:ポール・マクギガン

仕事を首になり、アパートから追い出され、恋人には裏切られた男スレヴンは友人を頼ってニューヨークまでやってくるが、到着早々、強盗にあって財布を奪われ、頼みの友人は家にいない。それでもドアが開いていたのでなかに入り、シャワーを浴びて腰巻タオルの状態でいると謎の黒人二人組が現われて人違いのまま腰巻タオルの姿で拉致される。そして「ボス」と面会を果たし、友人がこしらえた借金の返済を求められ、それを棒引きにする替わりに殺人の仕事が与えられ、回答の猶予も与えられるので部屋に戻り、そこで着替えを終えると今後はユダヤ人の二人組に拉致される。
拉致されるのがジョシュ・ハートネット、向かいの部屋に住んでいるのがルーシー・リュー、「ボス」がモーガン・フリーマン、それに対抗している「ラビ」がベン・キングズレー、影のように動く謎の殺し屋がブルース・ウィリス。
ジョシュ・ハートネットとルーシー・リューがなかなかに魅力的であった。ブルース・ウィリスはもう少し作りようがあったような気がするが、悪くない。モーガン・フリーマンとベン・キングズレーはそれぞれに薀蓄の多い悪役を演じて楽しんでいたように思うが、欲を言えばもう少し迫力がほしかった。
映画自体について言えば、それなりに面白いし、構成にはいちおうの創意が感じられるものの、前半のとぼけた調子と後半のまじな雰囲気は相性が悪い。内装などの美術は総じて優れていたように思うが、演出はその成果を生かしていない。こういう映画は難しい、というよりも、こういう映画を作るには手つきが少々泥臭い。 


Tetsuya Sato

2014年4月2日水曜日

ペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金

ペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金
Pain & Gain
2013年 アメリカ 129分
監督:マイケル・ベイ

幼いころから筋トレに耽溺してきたダニエル・ルーゴは向上心から詐欺行為を働いた前科があったが更生してジムのトレーナーになってジムの顧客拡大に寄与してそれなりの地位を得て、察するところ分不相応な支出をしたせいか請求書の束に悩むことになり、状況を打破するためにジョニー・ウーと名乗るいかにも怪しげな東洋人の自己啓発セミナーに出席したところきわめて顕著な感化を受けて行動を開始し、ジムの顧客でレストランを経営しているコロンビア系ユダヤ人ヴィクター・カーショウにターゲットを定めると事実上のステロイド中毒でED治療のために資金を必要としているエイドリアン・ドアバル、ニューヨーク出身の犯罪者で服役中にイエスの啓示を得てイエスの力によってひとを殴る力を得たと考え、イエス一直線と描いたTシャツを着ている(こともある)ポール・ドイルを仲間に引き入れ、度重なる失敗にもくじけずにとうとうヴィクター・カーショウを誘拐すると暴力と強要で財産譲渡の書類にサインさせることに成功するが、正体がばれた、ということでヴィクター・カーショウ殺害を決意し、決意によって殺されたはずのヴィクター・カーショウは病院へ運ばれて警察の質問を受け、ヴィクター・カーショウが事実を告げたにもかかわらず、ヴィクター・カーショウはコロンビア人である、だから麻薬に関与している可能性がある、それがなくてもそもそもいやなやつである、などの理由で告発がまったく相手にされない、ということになり、一方ヴィクター・カーショウの金でよろしくやっていたダニエル・ルーゴほかの一味はヴィクター・カーショウが生存していることを知って再度殺害を決意するが、病院から抜け出したヴィクター・カーショウは私立探偵エド・デュボイス3世に連絡を取る。 
1995年にマイアミで実際にあった信じられないほど素人じみていて頭が悪くて要領を得なくて笑うに笑えないほど滑稽な事件をていねいに再構築していて、意外なくらいに、と言っては失礼かもしれないが、おもしろい。マイケル・ベイはマイアミと相性がいいのだろう。SWATが出動してヘリコプターが飛ぶとやっぱりマイケル・ベイなところもこの映画ではきれいな対照性を発揮している。 
主犯格のダニエル・ルーゴがマーク・ウォールバーグで、たぶんスーツだと思うけれど不気味なくらいに筋肉をつけて、動揺すると筋トレを始める頭の悪い役を実に見事に演じている。イエス一直線のポール・ドイルがドウェイン・ジョンソンで、支離滅裂なキャラクターにものすごい存在感を与えている。誘拐されるヴィクター・カーショウはトニー・シャルーブで、このひととしては珍しいくらいにいやなやつを演じているけれど、はまりぶりは半端ではない。三人を追いかける私立探偵がエド・ハリスで、これもいい感じ。主人公を悪の道に引きずり込む自己啓発セミナーのホストがケン・チョンで、これは見たまんまいかがわしい。 


Tetsuya Sato

2014年4月1日火曜日

死神の骨をしゃぶれ

死神の骨をしゃぶれ
La polizia incrimina la legge assolve
1973年 イタリア 103分
監督:エンツォ・G・カステラッリ

ジェノバ警察の副署長ベルリは麻薬ルートにからむレバノン人を逮捕するが、そのレバノン人が逮捕後間もなく爆殺されてベルリは敵の情報網の速さに驚き、一件の背後にカフィエロの存在を疑うが、カフィエロは事実上の引退を理由に関与を否定し、そのカフィエロの子分リコはカフィエロを裏切ってジェノバ有数の企業グリヴァ社のために働いていたが、そのグリヴァ社を牛耳るグリヴァ兄弟こそがジェノバの麻薬犯罪の元締めであり、その事実を知ったベルリの上司スカヴィーノは殺害され、グリヴァ社の関与を疑うベルリは署長となって麻薬犯罪の撲滅を進め、グリヴァが力を失うとその隙を狙って引退したはずのカフィエロが怪しい画策を始め、グリヴァは図々しく警察へ乗り込んできて懐柔を試み、ベルリが拒絶するとベルリの愛人、娘に襲いかかる。
ベルリがフランコ・ネロ、その上司がジェームズ・ホイットモア、カフィエロがフェルナンド・レイ。
フランコ・ネロは最初から最後までハイテンションで走り回り、画面もテンションが高く、アクションはきびきびとしている。登場人物の整理の悪さが目立ち、脚本も急ぎすぎだが、視覚的には工夫が見えて悪くない。 


Tetsuya Sato