2014年1月31日金曜日

オッド・トーマス 死神と奇妙な救世主

オッド・トーマス 死神と奇妙な救世主
Odd Thomas
2013年 アメリカ 96分
監督:スティーヴン・ソマーズ

ピコムンドという小さな町のダイナーでコックをしているオッド・トーマス(本名)には死者が見えるという特殊な能力があって、死者の導きにしたがって殺人事件などを解決していたが、災厄を好む悪霊多数が群がっていることに気がついて直観がおもむくままに調べていくと郊外の小屋を根城にしている怪しい男にたどり着き、なじみの警察署長に事情を話して男を監視下に置く一方、さらに情報を集めていくとなにやら大量殺戮が計画されているらしい、ということがわかり、もっぱら直観を頼りに犯人に迫る。 
オッド・トーマスがJ.J.エイブラムズ版『スター・トレック』でチェコフを演じているアントン・イェルチン、警察署長がウィレム・デフォー。
主人公は自分の特殊能力についてまったくまごついていないし、状況への対処の仕方も心得ていて、町の警察署長はそこのところを心得ていてきちんとかばいながら使っているし、主人公の恋人も主人公をきっちり信頼しながら心配もする、という感じで余計な停滞がまったくないところが好ましい。ソマーズの演出は手際がよくて、アクションもグロテスクなところもほんのりしたところもしんみりしたところも目配りよくまとめていて好感が持てる。ふつうに面白いと言えば失礼になるかもしれないが、かっちりと作られていてふつうに面白く仕上がっている映画というのは実はそれほど多くはない。 


Tetsuya Sato

2014年1月30日木曜日

嵐の三色旗 -二都物語-

嵐の三色旗 -二都物語-
A Tale of Two Cities
1935年 アメリカ 128分
監督:ジャック・コンウェイ、ロバート・Z・レオナード

ロナルド・コールマンが弁護士シドニー・カートンに扮して愛するひとのために身代わりとなって断頭台の露と消える。革命が勃発するあたりではスーパーインポーズを多用してサイレント映画風に興奮を盛り上げ、続いて登場するバスティーユでは大群衆が登場して攻防戦を展開し、革命広場に集まるエキストラの数も半端ではない。デビッド・O・セルズニック製作による大作なのである。ロナルド・コールマンの酔いどれ弁護士ぶりはなかなかによろしい雰囲気で、対する革命のテロリスト、ジャックたちも凶悪そうで悪くない。最大の悪役として登場するエヴレモンド侯爵も馬車でしっかりと子供を轢くし、飢えた群衆の描写はディケンズから切り取ってきたようにステレオタイプに収まっている。『二都物語』なのだから、やはりそういうものであろう。

Tetsuya Sato

2014年1月29日水曜日

フランケンシュタイン

フランケンシュタイン
Frankenstein
1931年 アメリカ 71分
監督:ジェームズ・ホエール

フランケンシュタイン男爵の息子ヘンリーは美しい婚約者エリザベスのことも省みずに助手のフリッツとともに灯台にこもって自然に反する実験を続けている。不安を感じたエリザベスは友人のヴィクトル、ヘンリーの恩師ウォルドマン博士とともにヘンリーの実験室を訪れるが、すでに雷雨は頭上に達し、ヘンリーは自ら作り上げた怪物に命を吹き込もうと身構えていた。突然の来客にヘンリーは狼狽するが、ヴィクトルから狂人呼ばわりされたら引き下がれず、来客を証人にして実験を進め、見事に怪物を作り上げる。だがヘンリーの父親フランケンシュタイン男爵にとって気がかりは息子の結婚であり、ヘンリーは男爵によって家へ引き戻される。そしてヘンリーとエリザベスとの結婚式の当日、怪物は実験室の留守を預かっていたウォルドマン博士を殺害し、村へさまよい出るのであった。
火急の状況に差し掛かると必ずやってくる来客、フランケンシュタイン男爵(父)の妙に世慣れた風情、とジェームズ・ホエールの演出は乗りの点でどこかシットコムを思わせる。ボリス・カーロフは怪物を熱演し、たぶん子供の頃に見たら、あの断末魔は相当に怖かったと思う。同じ年の作品としては『魔人ドラキュラ』よりもこちらのほうが上であろう。

Tetsuya Sato

2014年1月28日火曜日

ロックンローラ

ロックンローラ
RocknRolla
2008年 イギリス 114分
監督・脚本:ガイ・リッチー

ワンツーは町の顔役レニー・コールにはめられて不動産を奪われた上に借金を背負うが、つきあいのある会計士ステラから強盗の話を持ちかけられて七百万ユーロを奪い取ることに成功し、それでレニー・コールに借金を返すものの、もともとその金はロシア人の富豪でステラに目がくらんでいるユーリからレニー・コールに引き渡されるはずのもので、ユーリが再び用意した七百万ユーロもまたステラとワンツーの一味に奪われるとユーリとレニー・コールのあいだに緊張が走り、ユーリはレニー・コールに貸してあった幸運を呼ぶ絵をただちに返却するように求め、ところがその絵はとうの昔にレニー・コールの家からレニー・コールの義理の息子によって盗み出され、一方ワンツーはユーリの子分が送り出した二人組のロシア人の襲撃を受け、いかがわしい人々が次から次へと現れて情報をもたらし、あれやこれやが重なって最後に町の暗黒面があきらかになる。なんと言ってもマーク・ストロングがすばらしいが、ジェラルド・バトラーもいい感じでアホウをさらしている。語り口は『スナッチ』に戻り、コミカルなタッチが頼もしい。勝手な話かもしれないが、ガイ・リッチーはやはりコメディのほうがいいのである。

Tetsuya Sato

2014年1月27日月曜日

リボルバー

リボルバー
Revolver
2005年 フランス/イギリス 115分
監督:ガイ・リッチー

賭博王マカの下で不本意ながらディーラーをしていたジェイク・グリーンはマカにはめられて七年間を刑務所の独房で送り、そこで勝利の方程式を会得して出所すると、復讐のためにマカのカジノで大金を稼ぐ。ジェイク・グリーンを恐れたマカは殺し屋を差し向けるが、ジェイク・グリーンはなぜか二人組の金貸しに守られている。そしてこの金貸しはジェイク・グリーンの意図に先んじてマカを罠にはめていく。
冒頭からの意味ありげなモノローグにいくらかの危機感を抱いたが、案の定、というか最大の敵は実は自分自身なのであって、その敵を克服すると晴れやかな気持ちになるのである。そして誰からも恐れられているけれどまったく姿の見えない謎の大物はどうやら登場人物のそれぞれの心のなかに潜んでいたようなのである。なんだか精神道場みたいな映画なのであった。『スナッチ』以前に通じるような楽しい小悪党描写は変わらずに魅力的だし、ジェイソン・ステイサムもいい味を出しているし、レイ・リオッタの怪演ぶりも迫力があるが、作り手の側が妙な向上心を発揮して人間の内面を描こうとした結果、整理が悪くて退屈な映画になっている。いらない種類の無理をしているように見えてならなかった。

Tetsuya Sato

2014年1月26日日曜日

スナッチ

スナッチ
Snatch
2000年 イギリス/アメリカ 103分
監督・脚本:ガイ・リッチー

ユダヤ人の扮装をしたユダヤ人の強盗団がアントワープの宝石商を襲撃し、84カラットのダイヤを奪ってロンドンへ逃走する。そこへユダヤ人の扮装をしたイギリス人の宝石商が絡み、ニューヨークのユダヤ人マフィアが絡み、ボクシング・ジムのチンピラが絡み、ロンドン郊外のジプシーが絡み、人間を豚に食わせる町の顔役、撃たれても弾丸が当たらないウズベキスタン人、撃たれても弾丸を歯で受け止めるイギリス人なども絡み、いくつもの面倒が起こって面倒が自己増殖を開始する。
映像的にも文体的にも前作『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』とほぼ同じスタイルだが、視覚的な面ではより洗練されている。仕掛けそのものについて言えばかなり単純で、早い話、暗黒街の奇人怪人総出演ということにして、そのプロファイルを可能な限り早い時期に、しかもナレーションを介しておこない、後は並行したプロットをごちゃまぜにするということらしい。ただ、その手際が実に見事なのである。怪しいジプシー役でブラッド・ピットが実に楽しそうに出演していた。 

Tetsuya Sato

2014年1月25日土曜日

ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ

ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ
Lock, Stock and Two Smoking Barrels
1998年 イギリス 108分
監督・脚本:ガイ・リッチー

今ひとつかたぎになれない男4人が一儲けを企んだカード勝負で借金をこしらえ、返済のために狂暴な隣人を襲撃して狂暴な隣人が強奪してきたばかりの金品を強奪する。
とても面白い。
アラン・シリトーの世界を都会的にした、というか、ロンドンっ子デイヴ・コートニーが自叙伝『悪党(ワル)』で描き出した世界そのまんま、に近いのだろうか。
ところでその『悪党』のなかのある場面でデイブ・コートニーが銀色のスポーツカーを制限速度を無視してすっ飛ばしていると交通警官がバイクで追ってきて、コートニーの車を停めてこう言ったそうだ。
「トラブルですか? まだ離陸できないようですが」
実話だとデイブ・コートニーは記している。

Tetsuya Sato

2014年1月24日金曜日

ナチスが最も恐れた男

ナチスが最も恐れた男
Max Manus
2008年 ノルウェー 113分
監督:エスペン・サンドベリ、ヨアヒム・ローニング

学業を中途でやめて冬戦争に義勇兵として参戦したマックス・マヌスは祖国ノルウェーがドイツの占領下に置かれるとオスロでレジスタンスに参加して祖国解放を訴えるプロパガンダの新聞などを印刷したり配ったりしていると逮捕されかけて窓から飛び出して怪我をして病院に担ぎ込まれて警官の監視の目を盗んで窓から逃げ出してノルウェー亡命政府の兵士となってスコットランドで訓練を受けてノルウェーに戻ってドイツの船舶を爆破し東部戦線に送られる同胞を救うために徴兵名簿を焼き大戦末期にさしかかるとドイツ軍の西部戦線への移動を阻止するために客船を沈没させたりして戦後は喪失感と虚無感に悩む。
演出自体に格別の創意は認めにくいものの、ノルウェーの抵抗運動の英雄をなにかしら人格的に描くというもくろみは一応成功しているように見える。ただ大戦の全期間にわたる状況を扱っているために駆け足に感じられるところがないでもないし、周辺人物の描き込みはおそらく不足している。抵抗運動が主体なので戦闘シーンに派手さはないが、冒頭のフィンランドのシーンはやる気が感じられるし、市街、屋内での銃撃戦も迫力がある。ドイツ軍の車両はキューベルワーゲン、シュビムワーゲン、ケッテンクラートなど。一瞬、三号突撃砲が顔を出していたような気がする。 


Tetsuya Sato

2014年1月23日木曜日

ウィ・アンド・アイ

ウィ・アンド・アイ
The We and the I
2012年 イギリス/アメリカ/フランス 103分
監督:ミシェル・ゴンドリー

ブロンクスの高校で夏休みの前の最後の授業が終わって下校する高校生がニューヨーク市営バスに乗り込んで大声で話す、優先席に腰を下ろす、子供から席を取り上げる。老夫人に向かって席を譲るように要求して受け入れられないと嫌がらせをする、ギターを演奏し始める、演奏しているギターを奪い取って破壊する、詩を朗読する、ゲームを始める、煙草を吸う、バスが渋滞で停車している隙にピザを買いにいく、など傍若無人の限りを尽くしているうちに恋愛関係が崩壊し、友情も崩壊し、一人が下り、二人が下り、気がつくとずいぶん人数が減っていて、なにやら孤独だという光景をひたすらにスケッチの連続で見せる。中学生に毛の生えたような高校生のボディゾーンを気に掛けないふるまいや傷つきやすくて痛々しい気持ちやらがとにかくわずらわしいけれど、そのわずらわしいところを最後まで見せる筆力はたいしたものだと感心した。出演者はみな好演していると思う。ただ演出上の必要からか、乗車時間が不自然に長くて(つまり、ほぼ上映時間分あるわけで)、このままフロリダあたりまでいってしまうのではないかと心配になった。 


Tetsuya Sato

2014年1月22日水曜日

ロック・ミー・ハムレット!

ロック・ミー・ハムレット!
Hamlet 2
2008年 アメリカ 92分
監督:アンドリュー・フレミング

売れない俳優ダナ・マーシュズは幼い頃、俳優になろうとしたことで父親の折檻にあって傷つけられ、実際に俳優になってみると才能が欠けていることに気づいて傷つけられ、傷を抱えて転がり落ちて行った先のツーソンで高校の演劇教師の職にありついて、そこでハリウッド映画のパクリばかりを上演しては、飛び級で来ている天才少年の辛辣な批評を浴びて怒っていると教育委員会と学校が予算削減計画を進めてコンピューターや陶芸などのクラスを閉鎖したために行き場を失った生徒が演劇のクラスに流れ込み、それまでは二人しかいなかったのが二十八人になり、そこへ校長が現れて演劇のクラスの閉鎖を予告するので、ダナ・マーシュズは一念発起してオリジナルの台本『ハムレット2』を書き上げ、これを上演することで予算を獲得しようとたくらむが、台本を読んだ校長は上演中止を命令、保護者の一部も同調し、ダナ・マーシュズの妻は下宿人と出来てダナ・マーシュズを捨て、あれやこれやでダナ・マーシュズは失意のどん底に叩き込まれ、酔っ払ってひっくり返っているところを生徒たちに助け起こされ、表現の自由が侵されていることを知った市民団体は権力を相手に闘争を始め、『ハムレット2』の上演は喧噪のなかで始まって喝采とともに終わる。
エリザベス・シューが本人役で登場し、ただし女優を廃業して看護師になっている。格別の冴えは見えないものの、真面目に作られたコメディである。劇中劇『ハムレット2』は高校の演劇クラスが二週間ほどで仕上げたとは思えないような大作で、挿入歌『ロック・ミー・セクシー・ジーザズ』はかなりいける。 



Tetsuya Sato

2014年1月21日火曜日

26世紀青年

26世紀青年
Idiocracy
2006年 アメリカ 84分
監督:ピーター・シーガル

人体の冷凍が可能になれば優秀な兵士を冷凍しておいて必要なときにいつでも解凍して使えると考えた陸軍は万事において平均的で事故があっても騒ぐ家族のいない兵士ジョー・バウアーズに目をつけて極秘プロジェクトに投入し、陸軍の誰も来ない図書館で一日テレビを見て過ごしていたジョー・バウアーズは司法取引で任務に志願した売春婦リタとともに冷凍されるが、間もなく担当将校が売春に関与した疑いで逮捕され、基地も閉鎖され、実験用の棺桶はゴミの山に放り出されて500年が経過し、そのあいだに人類はどんどんバカになり、ゴミの山の崩落によって目覚めたジョー・バウアーズはおバカの国に放り出され、なんだかわからない裁判で有罪を宣告され、刑務所の知能テストで最高点を出したことでいきなり内務省長官に抜擢され、枯れた畑に水をやって作物を救い(それまではゲータレードが与えられていた)、アメリカを救って大統領に選出される。それなりに笑えるし、美術がなかなかに面白い。 

Tetsuya Sato

2014年1月20日月曜日

僕らのミライへ逆回転

僕らのミライへ逆回転
Be Kind Rewind
2008年 アメリカ 102分
監督:ミシェル・ゴンドリー

一説によるとニューヨークからゴミを捨てにいくために存在しているというニュージャージーの打ちひしがれた町の打ちひしがれた一角に、ファッツ・ウォーラーを敬愛する老人フレッチャーが営むレンタルビデオの店があり、VHSのビデオを一本1ドルで貸し出していたが、フレッチャーの留守中に近所に住む廃品回収業者で少なからず壊れている男ジェリーが恐るべき磁性を帯びて現われ、店内のビデオを全滅させる。店の留守を預かるマイクは顧客の求めるビデオを貸し出すために駆け回るが、どこを探そうといまどきVHSがあろうはずもなく、意を決して店の奥からカメラを取り出し、同じタイトルで自前の映画を撮り始める。そして出来上がった短編映画をハリウッドメジャー作品のパッケージに図々しく押し込んで貸し出したところ、これが意外にも大好評で、これのリメイクも見たい、あれのリメイクも見たい、という要望が寄せられるので、店はかつてない繁栄を謳歌することになるが、すでにその頃、行政当局は老朽化を理由に店の取り壊しを決定しており、映画業界もリメイク作品の粗製乱造をやめさせるために法に訴え、とどめを刺されたフレッチャー老人を励ますために、マイクたちは残された時間でファッツ・ウォーラーの伝記映画を作り始める。
マイクがモス・デフ、ジェリーが例によって騒々しいジャック・ブラック、フレッチャー老人がダニー・グローヴァー、で、顧客の一人がなつかしや、ミア・ファローである。ある種のにぎやかさを持つ映画だが、根底にあるのは「実はどこにも逃げ場がない」という認識であり、表面に見える温かみに反して流れているものはどこか暗い。マイクたちのリメイクはクライマックスに登場するファッツ・ウォーラーの伝記映画の下準備であり、つまり、逃げ場のない人間が最後に選択する自己表現手段の形成過程なのである。劇中に登場するこの伝記映画はどこか滑稽だが、不思議な美しさを備えている。ジェリーの役がジャック・ブラックではなくて、たとえばベン・スティーラーあたりだったら、もう少し口当たりのよい映画になっていたかもしれないが、もしかしたら、そうしないためのキャスティングだったのかもしれない。 


Tetsuya Sato

2014年1月19日日曜日

ゼロ・アワー

ゼロ・アワー
La hora cero
2010年 ベネズエラ 99分
監督:ディエゴ・ベラスコ

1996年、公立病院の医師が賃上げを求めてストライキに入ったころ、パルカと名乗る貧民街出身の殺し屋が銃弾で傷を負った臨月の女性を抱えて貧民街から飛び出してきて仲間を連れて最寄りの公立病院に突入し、制止しようとした警備員をすばやく射殺すると抱えてきた女性の治療を医師に要求し、夜勤明けの医師が病院には手術施設がないことを説明すると、説明した医師を拉致して女性を抱えてタクシーを乗っ取って設備のある私立の病院を目指し、仲間に運転をまかせると車内で医師を手伝って女性の出産に立ち会い、たまたま遭遇した警察官に銃撃を加えながら目当ての私立病院にたどり着き、傷を負った女性と生まれたばかりの赤ん坊を抱え、バイクにまたがった仲間を引き連れて病院内へと乗り込んでいって警備員二名を射殺、その場にいた医師、看護師、患者その他を制圧、まず女性の手当てと赤ん坊の救命を要求し、手当てにかかった医師は輸血用の血液を求め、パルカはスクープを求めて現場に乗り込んできたレポーターとカメラマンを拉致するとテレビを通じて血液を要求し、同時に貧困階層に向けて医療の提供を申し出るので貧困層が病院に殺到してパルカは一躍英雄となり、そこに病院を囲む警官隊、指揮に乗り出してきた知事などの思惑がからみ、あいまにパルカが殺し屋になった経緯をパルカ自身が回想する。 
現代ベネズエラをすっきりと断ち切っていて、その断面の血まみれぶりがちょっとすごい。権力は横暴で格差は隠しようもなく、パルカとその一味も警官隊もとにかく引き金が軽くて人命が安い。
明確にジャーナリスティックな視点によってまとめられているせいもあって、そこがこちらの目にはある種の単純化がほどこされているように映るものの、映像はおおむねシャープで回想も含めて全体に短いカットで構成され、語り口の整合性を保ちながらテンションが最後まで持続する。パルカを演じたザパタ・666をはじめ、どの出演者もよい仕事をしていると思う。 


Tetsuya Sato

2014年1月18日土曜日

ヨーク軍曹

ヨーク軍曹
Sergeant York
1941年 アメリカ 134分
監督:ハワード・ホークス

1916年。テネシー州の貧農のせがれアルヴィン・ヨークは働き者ではあったが信仰を持っていなかった。ところが怒りを抱いて殺人を決意した日に雷に撃たれ、そのことから神意の存在を悟って教会におもむき、聖書に浸って信仰を得る。その頃、ヨーロッパでは第一次世界大戦が進行し、やがてアメリカも参戦すると、ヨークもまた招集されることになる。ヨークは良心的兵役拒否を主張するが所属する教会組織の脆弱性から認められず(兼任の牧師が一人いるだけなので)、歩兵となり、銃を渡されると射撃の名手としての才能を発揮する。だがヨークは聖書の教えに基づいて殺人を罪悪と考え、そのヨークに対して将校たちはアメリカの正義と精神との折り合いを求め、そこでヨークは十日のあいだ、生れ故郷の山にこもって聖書と戦争とを合理的に折り合わせる。間もなくヨークとその部隊は西部戦線に送り込まれ、ドイツ軍との戦闘でヨークは仲間を救うために英雄的な働きをおこない、勲章を受け、英雄として帰国し、農夫となって国へ戻る。
英雄の話ではなく、回心の話なのである。ハワード・ホークスの演出はモダンでスピード感があり、無駄がない。ヨーク軍曹の信仰と実用的な選択は個人としては好ましく見える。


Tetsuya Sato

2014年1月17日金曜日

パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉

パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉
Pirates of the Caribbean: On Stranger Tides
2011年 アメリカ 141分
監督:ロブ・マーシャル

世界のどこやらに生命の泉というものがあり、それをスペインが狙っていると気づいた英国はジャック・スパロウを捕えて泉への道案内を要求するが、ジャック・スパロウは逃げ出して海賊黒ひげの娘アンジェリカと出会い、そのアンジェリカによって海賊黒ひげの船に強制徴募され、その海賊黒ひげもまた泉を目指し、英国側に寝返ったバルボッサ船長はジャック・スパロウの航海士ギブスに案内させて泉を目指す。
ロブ・マーシャルの演出はシチュエーションを順番につなぐだけで洒落っ気のかけらもない。キャラクターは全体に後退気味で、ジェフリー・ラッシュはバルボッサ船長の役に退屈しているようだし、ペネロペ・クルスの女海賊は整理が悪く、ジャック・スパロウにいたっては事実上ただいるだけという有様である。もっぱら海戦シーンでもっていたこのシリーズなのに今回は海戦シーンがまったくない。海賊映画なのに大砲一発撃たないまま、もっぱら地面を這いずっている。アクションはむやみと多いものの、どこを取っても切れが悪く、退屈で、人魚の集団のあくまでも非人間的な描写と泉を目指して進むスペイン側の意外なまでに正直な動機を除くと見るべきところがあまりない。 

Tetsuya Sato

2014年1月16日木曜日

パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド

パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド
Pirates of the Caribbean: At World's End
2007年 アメリカ 168分
監督:ゴア・ヴァビンスキー

東インド会社のベケット卿はデイヴィ・ジョーンズの心臓を手に入れて無敵の『ダッチマン』を手中に収め、海賊たちは対策を講じるために評議会の開催を決定する。バルボッサ船長ほかの一行は評議会に先立ち、ジャック・スパロウを取り戻すために世界の果てを示した海図を頼りにデイヴィ・ジョーンズの海を目指し、その海につらなる砂漠では故人となったジャック・スパロウがアホウの本領を発揮して『ブラックパール』でむなしい日々を送っている。バルボッサ船長ほかの一行はジャック・スパロウとの再開を果たしてこの世に戻り、そうると早速みんなで裏切りを始め、ついに始まった海賊たちの評議会では海賊的な妥協の末になぜかエリザベス・スワンが海賊たちの王となり、そこへ『ダッチマン』を先頭に東インド会社の大艦隊が現われる。
ある意味、雑音が身上のようなシリーズなので、背景はとにかくにぎやかにごちゃごちゃと描きこまれ、犬や猿を含む常連脇役にもていねいに光をあてていくので猛烈に忙しいことになっていて、3時間近い上映時間にもかかわらず、まったく休む暇がない。そのあわただしさに主役クラスも飲み込まれ、事実上の主役はジェフリー・ラッシュに移り、ジョニー・デップやオーランド・ブルーム、キーラ・ナイトレイは強い印象を残さない。もっともこれは、わたしがほかのところばかり見ていたせいなのかもしれない。つまり『ブラックパール』はさらにディテールアップされ、しかも今回は砂丘を乗り越えて進んでくる。『ダッチマン』との戦闘では双方に高低差があるという前代未聞の状況が出現し(なにしろメールストロムのなかで戦っている)、壮絶な片舷斉射で大砲や人間が次々に吹き飛び、斬り込みがあり、チェーンショットが再登場して絡み合った帆桁を吹き飛ばす。三層艦『エンデヴァー』もせっかく出てきたのだから、もう少し活躍してほしかった。あともうひとつ欲を言うと、ジョナサン・プライスにはもっと顔を出てほしかった。ついでにもうひとつ言うと、ベケット卿こそジョナサン・プライスにやってほしかった。このひとの悪役はすごいのである。


Tetsuya Sato

2014年1月15日水曜日

パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト

パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト
Pirates of the Caribbean: Dead Man's Chest
2006年 アメリカ 150分
監督:ゴア・ヴァビンスキー

エリザベス・スワンとウィリアム・タナーが結婚しようとしているところへ東インド会社の軍隊がジャマイカに上陸、総督府を事実上の支配下に置いてエリザベス・スワンとウィリアム・タナーを逮捕する(牢屋にぶち込まれたエリザベス・スワンが隣の監房の連中から噛まないからとか言われて誘われる場面がばからしくてすばらしい)。一作目でジャック・スパローの逃亡に手を貸した、という容疑であったが、その罪によって死刑を受けるのを免れたければジャック・スパローから例のコンパスを奪い取れ、という話になり、ウィリアム・タナーはジャック・スパローを追ってジャマイカを離れ、一方、エリザベス・スワンは別に行動を取って同じくジャック・スパローを追う。そしてウィリアム・タナーは文字どおりの波乱の末にジャック・スパローに追いつくものの、そのジャック・スパローは海賊船『ブラックパール』の船長となるために『フライングダッチマン』のイカタコな船長デイヴィ・ジョーンズと魂を売り渡すような約束をしていて、そのデイヴィ・ジョーンズが契約の履行を迫るので、代わりにウィリアム・タナーを人質に差し出す。で、東インド会社は宝箱に隠されたデイヴィ・ジョーンズの心臓に用があるようで、ジャック・スパローのほうでも同じ物に用があって宝箱の鍵を探しており、そうしているとウィリアム・タナーが問題の鍵を手中に収め、間もなくジャック・スパロー、エリザベス・スワンと再会する。一作目の英国海軍正規艦長ノリントン(エリザベス・スワンの元婚約者)もそこに現われ、なんだか三つどもえの状態になっているなあ、などと思っているとクラーケンも浮上してきて、最後にはバルボッサ船長まで登場し、話は次回に続いてしまう。
一作目同様、『ブラックパール』は美しく、しかも『フライングダッチマン』によってむごたらしく縦射される(この直後のカットは最高にいい)。敵役『フライングダッチマン』は船首追撃砲が三連になっていて、一発撃つと回転するところがとても楽しい。しかも『フライングダッチマン』は海面を割って海上に飛び出すだけではなくて、"Dive"という命令でちゃんと「潜航」する。そしてクラーケンが登場すると、これがもう芸術的に船に絡みついて沈めてしまう。素材への愛着は一流であろう。つまり船に関する描写は絵画的にもよく出来ていて、キャラクターはそれなり強化されながら期待を裏切らない程度に変わりがない。卑劣で間抜けなジャック・スパローは健在で、スラプスティックな描写もとても楽しい。アクションを豊富に織り込みながらもヒロイズムは否定し、どことなく間が抜けていてどこまでも人間臭い、という感じは抜群によいし、動物たちがちゃんと人間とタイマンを張っているところもよいと思う。


Tetsuya Sato

2014年1月14日火曜日

パイレーツ・オブ・カリビアン

パイレーツ・オブ・カリビアン
Pirates of the Caribbean: Curse of the Black Pearl
2003年 アメリカ 143分
監督:ゴア・ヴァビンスキー

ディズニーランドのアトラクション『カリブの海賊』を「原案」とする海賊映画。ちなみにポランスキーの『パイレーツ』も『カリブの海賊』にインスパイアされた映画だと監督本人がどこかで言っていたが、これはあれとはだいぶ違う。
ジャマイカ総督の娘エリザベス・スワンはカリブ海への航海の途中、洋上を漂う一人の少年を発見して命を救う。だが少年ウィリアム・タナーの胸には髑髏が刻まれた金のメダルがあり、少年に無用の嫌疑がかかるのを恐れたエリザベスはメダルを自分のものにする。それから8年後のポート・ロイヤル。エリザベスは美しく成長し、ウィリアム・タナーは鍛冶屋の徒弟となって仕事をこなし、同時に剣の腕も磨いていた。その日、砦では英国海軍正規艦長ノリントンの提督(戦隊指揮官?)への昇進式典がおこなわれることになっていたが、その直前、沈みかけたポートを捨てて港に上陸を果たした怪人があった。ジャック・スパロウ船長である。スパロウ船長は海賊の身でありながら単身ポート・ロイヤルの潜入し、英国海軍が誇る高速艦『インターセプター』を奪おうとする。船がないことには海賊が始まらないからである。この船を奪って一帯で略奪の限りを尽くすと宣言するスパロウ船長に見張りの英国海兵隊員が止めに入る。同じ頃、砦の上ではエリザベス・スワンがノリントン提督の求婚を受けていたが、当人はロンドン仕込のコルセットで窒息しかけて崖から海へ転落した。エリザベスの胸では髑髏のメダルが海に向かって鼓動を放つ。エリザベスは海底を目指して沈んでいったが、勇躍海に飛び込んだジャック・スパロウに救われた。だが船着場に這い上がってきたスパロウ船長を迎えたのはノリントン提督とその配下の兵士たちで、スパロウ船長は海賊行為の罪によってただちに牢屋にぶち込まれてしまう。そしてその晩、メダルの鼓動を聞きつけて沖から『ブラックパール』が姿を現わし、バルボッサ船長配下の海賊どもがポート・ロイヤルに襲いかかる。エリザベスとともにメダルが奪われ、鍛冶屋のウィリアム・タナーはスパロウ船長を自分の一存で解放し、『インターセプター』を奪って『ブラックパール』の後を追う。
ここまでの展開でもかなり凝ったチャンバラがあり、その後にももちろんチャンバラがあるし、簡単ながら操艦技術の競い合いようなこともやってくれるし、『インターセプター』と『ブラックパール』は舷を接して戦うし、『ブラックパール』はチェーンショットまで撃つのである。大砲で何を撃つとどうなる、という物理的リアリズムをきちんとやっている点で、すでに凡作『カットスロート・アイランド』(何が飛んできても考えなしに炎が吹き上がっていた)を大きく引き離している。加えて登場人物が素晴らしく魅力的であった。特にジョニー・デップ扮するジャック・スパロウ船長には文句のつけようがない。見た目にすでに怪しいし、嘘つきだし、嘘つきだと自認しているし、時々ほんとうのことを喋っているし、強いし、賢いし、それなのに馬鹿なのである。対するジェフリー・ラッシュのバルボッサ船長も実によかった。どことなく二流の悲哀を秘めながら、間抜けな部下を叱咤して目的完遂のために戦うのである。オルランド・ブルームの鍛冶屋もよく動いていたし、キーラ・ナイトレイの戦うお嬢様も好ましい。ジョナサン・プライスの総督というのも楽しかった。プロットは練りこまれているし、ダイアログも洗練されている。撮影は丁寧におこなわれていて無駄と思えるような部分がない。

Tetsuya Sato

2014年1月13日月曜日

4月の涙

4月の涙
Kasky
2008年 フィンランド/ドイツ/ギリシア 114分
監督:アク・ロウヒミエス

1918年、内戦下でのフィンランドで赤衛軍の女性兵士が白衛軍の捕虜となり、赤衛軍に劣らず民兵同然の白衛軍の兵士から凌辱を受けると畑に連れ出されて射殺されるが、たまたま生き延びた一人、ミーナ・マリーンは白衛軍の若い准士官アーロ・ハルユラによって救われ、捕虜の虐殺が無法であり、捕虜は裁判を受けるべきだと考えるアーロ・ハルユラは仲間に向かって思うところをそのままに主張し、ミーナ・マリーンに裁判を受けさせるために単独で護送に出たところ、乗っていた小舟がミーナ・マリーンの不審な挙動によって転覆し、孤島にたどり着いたアーロ・ハルユラとミーナ・マリーンはそこでしばらくのあいだ日を過ごし、たまたま通りかかった船に救われて本土に戻るとアーロ・ハルユラはミーナ・マリーンを白衛軍の判事エーミル・ハレンベルグのもとへ送り届けるが、判事であると同時に作家であり、自称人文主義者でもあり、かつて精神病院であった場所で優雅に日々を送りながら捕虜を処刑しているエーミル・ハレンベルグは島で何があったのかというおもにその一点に拘泥し、黙秘を続けるミーナ・マリーンを独房の壁の穴から監視し、ミーナ・マリーンの釈放を求めるアーロ・ハルユラにはなんというのか退廃的な罠を仕掛ける。
察するにエーミル・ハレンベルグは単細胞な暴力に倦み疲れていたのであろう。そして教育を受けて知的にふるまうアーロ・ハルユラに自分の劣情を隠すことができなかったのであろう。内戦のむごたらしさを背景に置いてはいるが、ねじれた恋愛映画というのが正体に近い。彩度を落とした絵と言葉数の少ない演出が効果を上げている。 


Tetsuya Sato

2014年1月12日日曜日

ロッテルダム・ブリッツ

ロッテルダム・ブリッツ
Het Bombardement
2012年 オランダ 105分
監督:アート・デ・ジョン

1940年5月、屋根裏部屋で肺病の兄と一緒に暮らしてパン焼き職人の見習いとホテルのベルボーイを兼業しているボクサー志望で崩壊家庭出身の青年がオランダ人実業家と結婚するためにロッテルダムにやってきたドイツ娘に出会って身分違いの恋をしているとドイツ軍が侵攻してきて市街地でぽつりぽつりと戦闘が始まり、するとどこからともなく腕章をした愛国者が這い出してきて、それドイツ女だ、あの野郎は裏切り者だというようなことになり、主人公やその恋人や恋人の家族やオランダの悪い実業家やオランダの官憲やオランダの厳格なプロテスタントやオランダ軍やドイツ軍などが一緒になって頭の悪さを隠しもしないで海抜の低いところをうろうろするので、見ているこちらは早くこの連中を吹っ飛ばしてくださいと祈っているとドイツ空軍がかなり重たい腰を上げて爆撃機の編隊を組んで現われてロッテルダムを破壊する。 
ばかげた脚本、鈍感な演出、魅力のない出演者、と見どころはたっぷりで、クライマックスの爆撃シーンも格別の迫力はない。ところどころに開戦当初のオランダの奇妙な風景がはさみ込まれていて、誰も期待しないようなくだらないストーリーなどを追うのはやめて、そうした風景を小刻みに山ほども並べていったらよほどましな映画になっていたのではあるまいか。 

ロッテルダム・ブリッツ ~ナチス電撃空爆作戦~ [DVD]
Tetsuya Sato

2014年1月11日土曜日

汚れた顔の天使

汚れた顔の天使
Angels with Dirty Faces
1938年  アメリカ 98分
監督:マイケル・カーティス

町の不良少年ロッキー・サリヴァンは貨車から万年筆を盗もうとして警官に捕まり、少年院に放り込まれ、再犯を重ねるうちに新聞の一面を騒がせるギャングとなる。大物ギャングとなったロッキー・サリヴァンは三年の刑を受けて服役することになり、その間の留守を弁護士フレイザーに預けるが、そのフレイザーは町のボス、キーファーの配下となって出所してきたロッキー・サリヴァンの抹殺をたくらむ。一方、ロッキー・サリヴァンはかつての不良仲間ジェリー・コネリーと十五年ぶりの再会を果たすが、ジェリー・コネリーは神父となって町の不良少年に更正の道を開こうとしており、不良少年たちがロッキー・サリヴァンを英雄として迎えるのを見て不安を抱く。英雄扱いされて悪い気のしないロッキー・サリヴァンはフレイザーとキーファーを脅して自分の取り分の回収にかかり、相手の弱みを握ることにも成功していよいよ大物のギャングとなるが、その有様を見たコネリー神父はロッキー・サリヴァンに宣戦を布告、社会正義を掲げて町の腐敗を追求し、ギャングたちを追い詰めていく。
ジェームズ・キャグニー扮するロッキー・サリヴァンとパット・オブライエン扮するジェリー・コネリーの友情、ハンフリー・ボガート扮するフレイザーとジョージ・バンクロフト扮するキーファーの暗躍、さらにそこへ町の不良少年の心情が細かに描きこまれ、ジェームズ・キャグニーとアン・シェリダンとのロマンスもいちおうは織り込まれ、多様な顔を持つドラマが90分強に詰め込まれている。マイケル・カーティスの演出はきわめてシャープでテンションが高く、ジェームズ・キャグニーは自分なりに筋の通った悪党を、パット・オブライエンは友情と義務のあいだで苦悩する聖職者を熱演し、この両者の熱演の結果、ジェームズ・キャグニーの最後の場面は猛烈に重い。ハンフリー・ボガートの裏切り者ぶりも忘れがたい。 




Tetsuya Sato

2014年1月10日金曜日

ボス その男シヴァージ

ボス その男シヴァージ
Sivaji
2007年 インド 185分
監督:シャンカール

スーパースター、ラジニカーント主演。アメリカで成功した実業家シヴァージはインドで慈善事業を進めるために故郷のチェンナイに戻って学費無料の大学と治療費無料の病院を作ろうとするが、学生から入学金をむしり取り、高額の医療費を請求する病院を経営する悪徳実業家アーディセーシャンの妨害にあって、不正に不正で戦ううちにとうとう無一文になり、決意をかためて反撃に出ると手勢をしたがえ、善意と脅しに訴えて全インドから裏金を次々と奪ってきれいに洗浄してから自分の財団に送り込み、事実上の私設政府を作り上げてさまざまな善行をほどこすが、今度はアーディセーシャンが反撃に出る、というけっこう壮絶な話の合間にシヴァージの嫁さがしがコメディパートで加わって、実ににぎやかに歌って踊る。
この歌と踊りがすごいし、衣装とセットがまたすごい。豊富なアクションシーンもよくアイデアが練り込まれているし、観客が求めるものをとにかくどこまでも豪勢に盛り込んで、それで3時間をしっかりと持たせる体力はやはり驚嘆すべきものがある。ヒーローの存在をどうしても信じられないこちらの文脈に当てはめていけばバランスの悪さも見えてくるが、そこはそれ、スーパースターがやっていることだし、映画という媒体に対するまじめさはあらゆる欠点を凌駕している。いや、それにしても、汚職がすごいんだね。 


Tetsuya Sato

2014年1月9日木曜日

きっと、うまくいく

きっと、うまくいく
3 Idiots
2009年 インド 171分
監督:ラージクマール・ヒラーニ

離陸中の旅客機で電話を受けたファルハーンは地味な外見にもかかわらず異様な要領のよさを発揮してすでに離陸した旅客機を空港に戻すと友人のラージューに声をかけて二人で母校の工科大学を目指し、そこで同窓のチャトゥルと10年ぶりに再会してチャトゥルの言葉から大学卒業以来音信が絶えている親友ランチョーの所在が判明したことを知り、三人でランチョーがいるという土地に出かけていくとランチョーが見つかるかわりにランチョーにかかわる新たな事実が判明し、ランチョーの確実な所在も判明するのでファルハーンとラージューはランチョーのかつての恋人ピアを一行に加えて車を走らせる、という合間に十年前の大学生活が描き込まれる。 
例によって対立関係はあからさまに単純だが、悪役も含めてキャラクターはきちんと立ち上がっているし、とにかくもりだくさんの内容を確実な話法で組み上げながら時間をいっさい無駄にしていない、という精度がすばらしい。インド映画らしい自由な色彩設計も作品の密度を高めている。半端ではない傑作であった。


Tetsuya Sato

2014年1月8日水曜日

オーガストウォーズ

オーガストウォーズ
Avgust. Vosmogo
2012年 ロシア 132分
監督:ジャニック・フェイジエフ

2008年8月、モスクワで母親と幼い息子と暮らすクセーニアは元夫の実家があるオセチアに息子のチョーマを送り出して、自分はボーイフレンドとソチへ出かけようとするが、母親からオセチアが緊張状態にあることを知らされ、息子が危険な状態にあることをまったく気にかけないボーイフレンドを見捨てると息子を回収するためにオセチアへ飛び立ち、バスに乗って南オセチアのツヒンヴァリを目指して進んでいくとすでにグルジア軍の攻撃が始まり、なんとかツヒンヴァリにたどり着くとそこもロケット弾の猛攻にさらされていて、どうにか難民キャンプに到達してから伝手を頼りに先へ進んで反撃に出るロシア軍の車列に乗り込み、市街戦に巻き込まれて脳震盪を起こして意識を失い、目覚めるとロシア軍偵察小隊を口説いて息子がいる村を目指し、偵察小隊がグルジア軍の抵抗に出会って足止めされると今度はひとりで進んでいく。 
監督のジャニック・フェイジエフはコルチャークを主人公にした『提督の戦艦』で製作を担当していたひとらしい。今回はメドベージェフ万歳をしている。あと、お母さん万歳というような感じの映画でもある。ヒロイン役のスヴェトラーナ・イワノーワはたいへんかわいらしい。T-72の変形シーンは予告編では異色な迫力を放っていたが、本編中ではそれほどの効果は発揮していない。序盤から微妙に流れが悪くて不器用な作りが目立つものの、市街戦を中心とした戦闘シーンは非常な迫力があり、中盤の主役になる偵察部隊の活躍ぶりが実にかっこよく描かれている。 


Tetsuya Sato

2014年1月7日火曜日

ウォッチメン

ウォッチメン
Watchmen
2008年 アメリカ 162分
監督:ザック・スナイダー

同名のグラフィックノベルのほぼ忠実な映画化。それなりの大部で、しかも時間的にも空間的にも錯綜した原作をほころびを見せずに映像化した手腕には正直、舌を巻いたが、それ以上に感心したのがオープニングで、半世紀近い時の流れを手際よくダイナミックに刻み込み、視覚的にきわめて面白いものに仕上げている。ここだけでも映像作品としては無条件に買いであろう。
とはいえ、数十億を救うために数百万を個人の判断で殺戮するという『フェイルセイフ』どころではない原作どおりの結末は、やはりどうにも気に入らない。このような発想自体が相当にグロテスクであるという意識が見えないし、見えないところに不健康さを感じるし、そもそもこれが必要な結末であったかどうかが疑わしい。前段と比べると話を明らかに広げすぎていて、バランスが崩れているように思えてならないのである。わたしとしては、あの七面倒なDr.マンハッタンも含めて、暗くよどんだ静かな場所に心地よく回収されてほしかった。 


Tetsuya Sato

2014年1月6日月曜日

Mr.ウッドコック-史上最悪の体育教師

Mr.ウッドコック-史上最悪の体育教師
Mr. Woodcock
2007年 アメリカ 87分
監督:クレイグ・ギレスピー

ジョン・ファーレイは母親を愛する肥満児で体育教師のジャスパー・ウッドコックから散々にいじめられていたが、やがて成長して自分の過去を克服し、そのことを人生指南の本に書いたところ、これがベストセラーになり、故郷の誇りともなったため、トウモロコシしかない田舎町へ13年ぶりに帰郷すると、愛する母親は体育教師のジャスパー・ウッドコックと恋愛関係にあり、事実を知ったジョン・ファーレイの頭には克服したはずの不快な過去が蘇り、母親と体育教師のジャスパー・ウッドコックとの関係を破壊しようと画策を始めるが、つまるところ、体育がだめな人間と体育をこなせる人間とで価値観が二分されているというようなところに話は落ち着き、双方のあいだに立った壁は根性で克服されるのである。
十代の頃に体育をさぼったひとが反省を込めて脚本を書いたような雰囲気がある。ビリー・ボブ・ソーントンの体育教師ぶりは相当に様になっているし、出版業界とかかわる不快さも含め、細部の描写もそれなりに充実しているが、結局、本当に悪かったのは自分で、恐るべき体育教師も実は人間味のある立派な教師ということになってしまう。体育が苦手だった人間が自分の経験に照らして考えれば、生徒を虐待する粗野な体育教師は生徒を虐待する粗野な体育教師であって、そんなことにはならないはずである。ということで、同じような田舎町の話であっても『ミセス・ティングル』のようなことにはもちろんなっていかない。


Tetsuya Sato