マン・オブ・スティール Man of Steel 2013年 アメリカ/カナダ/イギリス 143分 監督:ザック・スナイダー ジョー=エルは滅亡するクリプトンの未来を息子のカル=エルに託して地球に送り、ケント家に拾われてクラーク・ケントとなったカル=エルは出生の秘密に悩んで世界をさまようあいだに北極の氷塊のなかに眠るクリプトンの宇宙船に遭遇して出生の秘密にかかわる問題を解決し、その場にいあわせたロイス・レインも謎を追ってクラーク・ケントの実家をつきとめ、反乱の罪によってファントム・ゾーンに追われていたゾッド将軍とその一味はクリプトンの未来をカル=エルの手から取り戻すために地球に現われて全地球を相手にカル=エルの引き渡しを要求すると軍はロイス・レインをおとりにカル=エルを捕えてゾッド将軍に引き渡し、カル=エルを捕えたゾッド将軍は地球をクリプトン化する作戦にかかり、ゾッド将軍の手から逃れたカル=エルはアメリカ軍とともにゾッド将軍に立ち向かう。 スーパーマンというアイデンティティにいくらか混乱を抱えている上に匿名性が脆弱なキャラクターにモダンな合理性を付与するための一連の手続きは解釈として面白いと思う。しかしその結果、スーパーマンは設定の危うさを気にもかけない超人性を失うことになり、ありがちな苦悩を抱えた面白みのないヒーローに成り果てたのだ、と言えなくもない。 映像作品としては冒頭のクリプトンにおける一連のシーンをはじめてとして特に美術面に見るべきところが多いし、視覚的にもおおむね洗練されているが、カットバックは見ているうちに面倒になるし、ほぼ全編が破壊の連続で、クライマックスのマンハッタンのシーンは正直なところ、見ているうちにいやになった。壊し過ぎだし殺し過ぎ。そう思って見ているとヘンリー・カヴィルの妙に血の気の濃い顔も気になってきて、胸に書いてあるそのSの字は希望ではなくて、もしかしたら『ソプラノズ』のSではないかと問いたくなってくる。一定の完成度に達していることは認めなければならないが、わたしとしてはやはりリチャード・ドナー版のほうが好き。つまり、いまどきのスーパーマンが"truth, justice and the american way"とはなかなか口にできないであろうことは承知しているが、それでもあえて口にすることがもしかしたら重要なのではあるまいか。
キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン Catch Me If You Can 2002年 アメリカ 141分 監督:スティーブン・スピルバーグ フランク・アバグネイルSr.は第二次大戦に出征し、フランスで妻を見つけて一児をもうけ、ニューヨーク州の地方都市で店を営んでいたが、国税局による告発を受けて財産を失う。一家は戸建ての家からアパートの部屋へ移り住み、息子は私立から公立の高校へ、妻はパート探しを余儀なくされる。そして妻は夫との離婚を選び、その唐突な報せに驚いた16歳の息子フランク・アバグネイルJr.は家を飛び出し、糊口をしのぐための空手形を連発するうちに手形詐欺の手口を独学で身につけていく。外見で信用を得るためにパンナムのパイロットの制服を身にまとい、その格好で飛行機にもただ乗りし、ジェームズ・ボンドにあこがれてコピーのスーツを三着も買い、アストン・マーチンを乗り回し、FBIの追跡をかわしながら、ある時は外科医となって救急外来の指揮にあたり、ジョージア州では司法試験に合格して検事補の任についたりもする。つまりこのひとは本当に頭がよいのであろう。少しあやかりたいものである。 フランク・アバグネイルSr.がクリストファー・ウォーケン、Jr.がディカプリオ、FBIの捜査官がトム・ハンクス。スピルバーグの演出は軽いタッチでテンポが速く、重たくなるところにはあまり足を止めずに片づけていく。その点では見やすい映画だと思う。反面、軽いだけで格別のカラーがないためにどうしてもキャラクターの造形が曖昧になって、人物関係などは構図以上のものにはなっていない。とはいえ、クリストファー・ウォーケンは落ちぶれながらも絶対に息子を売ろうとしない父親を好演しているし、トム・ハンクスとディカプリオの掛け合いも悪くない。60年代を再現した美術は見ごたえがあった。
未知との遭遇 Close Encounters of the Third Kind 1977年 アメリカ 132分 監督:スティーブン・スピルバーグ 高校二年の時に見て感動した(ちなみに劇場はテアトル東京)。ただしこの映画はオリジナルを見ても、そしてその後の特別編を見ても明らかなように根本的に構成というものを欠いている。スピルバーグが観客に見せたいと考えた映像が最低限の文脈に基づいて並んでいるに過ぎない。その一つひとつはどれもとても魅力的で、時にはこちらの感性にも強く訴えてくるので最後まで見てとおすことができるのである。一個の作品と考えるよりは、スピルバーグ少年のスケッチブックだと考えた方が正しいのかもしれない。絵の一枚一枚の仕上がりには好感が持てる。ジョン・ウィリアムスの音楽は文句なしの大傑作。
レッド・ヒル Red Hill 2010年 オーストラリア 95分 監督:パトリック・ヒューズ 妊娠中の妻を転地させるために小さな田舎町レッド・ヒルに転勤した警官シェーン・クーパーが初日に出勤すると刑務所から囚人ジミー・コンウェイが脱獄したという報道があり、そのジミー・コンウェイがもともとレッド・ヒルの住民で、武装しているということから町の警察を率いる警部は警官たちを武装させ、さらに武装した町民を集めて要所に配置し、シェーン・クーパーもまた見張りの任務を帯びて街道に立つが、間もなくそこへジミー・コンウェイがショットガンを構えて現われ、説得を試みたシェーン・クーパーは足を踏み外して谷へ落ち、町へ進んだジミー・コンウェイは武装した町民を次々に殺害し、谷から脱出したシェーン・クーパーは徒歩で町へ戻って惨状を知り、警部に応援を要請するが、なぜか警部は応援を求めることを拒絶して町の人間で対処することに固執する。 現代のオーストラリアが舞台になっているけれど、移動のかなりの部分が馬で、雰囲気もかなり西部劇という変わった映画で、しかも背景にはどこからともなく現われたヒョウがいて、獲物を求めて徘徊している。撮影がシャープで美しく、嵐を控えた天候の移り変わりが効果的に使われている。語り口は正直だが、演出は丹念でテンションが高い。銃器類の扱いが渋く、警官がライフルを構えて照準器をちらりと動かす場面になぜかはっとさせられた。見ごたえのある作品である。
大追跡サバイバル・ロード The Pursuit of D.B. Cooper 1981年 アメリカ 100分 監督:ロジャー・スポティスウッド
1971年にオレゴン州上空でダン・クーパーと名乗る男が国内線のボーイング727をハイジャックし、20万ドルの身代金を受け取ったあとパラシュートで脱出、その後の行方は知られていない、という現実の事件を受ける形で、D.B.クーパーが727の後部ドアから飛び出すところから話は始まり、地上に降り立ったD.B.クーパーが山深い一帯を走り、急流をくだって逃走を企てていると、保険調査員があとを追ってくる。 すでに伝説になっているD.B.クーパーがトリート・ウィリアムズ、その特殊部隊の元上官かなにかで保険調査員がロバート・デュヴァル。のんびりとしている割りにはけっこう体当たりのアクションで、なかなかに面白かったと記憶している。ちなみに『大追跡サバイバル・ロード』は80年代のビデオ・リリース・タイトルで、その後、邦題は『ハイジャック・コネクション』に変更されている模様。
トゥモロー・ワールド Children of Men 2006年 アメリカ・イギリス 109分 監督:アルフォンス・キュアロン 2027年のイギリス。人類は18年前から子を作れなくなり、そのせいなのかなんなのか知らないけれど文明は世界各地で崩壊し、ただ一国どうにか秩序が保たれているイギリスに難民の群れが押し寄せている(らしい)。で、いかにもイギリス的に底意地の悪そうな兵隊たちが不法入国者を端からとっつかまえてキャンプに放り込んでいる頃、エネルギー省に勤めるくたびれた男セオドール・ファロンの前に別れた妻ジュリアンが反政府組織を率いて現われる。察するに元妻と寄りを戻したいという気持ちがどこかにあったのであろう、最初は拒絶するものの、結局セオドール・ファロンはこの反政府組織の行動に引きずり込まれ、成り行きによって責任を背負い込み、人類の未来を守るためにやむなく権力や暴力に立ち向かい、銃弾の雨のなかを突き進むことになっていく。 P・D・ジェイムズの原作は未読。なくてもいいようなストーリーとやたらと感傷的な音楽がいささか邪魔であったが、全体に美術は質が高いし映像面での満足度も高い。ウェザリングがほどこされた町や車や個人の持ち物などの細部にわたるプロップの作り込みには感心したし、冒頭、クライヴ・オーウェンがカフェでコーヒーを買って路上に出て、そこでいきなりテロが起こるという短いシーンも非常に迫力があるし、一歩郊外に出ると鉄道沿線にも森の奥にも暴徒が蝟集し、なんだかわからないけど襲ってくるという終末的な描写もなかなかに魅力的だし、クライマックス、難民キャンプ内で暴動が起こってクライヴ・オーウェンが走り始めてからの十分近いワンショットは市街戦のリアリティに挑戦しており画面の細部に見ごたえがある。 ということで大筋はともかく、こまかいところに長所の多い映画だと思う。クライヴ・オーウェンもジュリアン・ムーアもどちらかと言えば嫌いな種類の役者だが、全人類が鬱状態で景気が悪くて薄汚れている、という設定だと、この二人の不機嫌で不景気そうな様子もほとんど気にならない(というか、つまりそういうキャスティングであったと理解している)。マイケル・ケインがいい感じ。あと、登場するイヌやネコが人類の不幸ぶりと対照的に幸せそうなのが面白い。
ラスト・デイズ Los ultimos dias 2013年 スペイン 100分 監督:アレックス・パストール、ダビ・パストール 屋外に出ることができなくなる、出ると発作を起こして死ぬ、という症状が次第に世界に広まっていって、バルセロナでプログラマをしているマルク・デルガドは出勤したままオフィスのある建物から出ることができなくなり、同じように閉じ込められた人びとと協力して地下鉄の線路に出る穴をあけ、地下鉄と線路をたどって無法状態の地下世界をくぐり抜けると恋人のフリアを探して自分のアパートにたどり着くが、そこにはすでに見知らぬ一家が住みついていたので地下に戻ってさらにフリアを探し続ける。 監督は『フェーズ6』のアレックス・パストールとダビ・パストール。演出は淡々としているが表現はおおむねにおいて洗練されており、荒廃した世界の描写は見ごたえのあるものになっている。撮影も非常に美しくて、スーパーマーケットでの戦いの手持ちカメラによるワンショットには感心した。主人公がどう考えても短気すぎる、ところどころで背景や状況描写の詰めが甘い、などの欠点があるが、エンディングがはらんだ絶望と再生への期待はとても感動的。
スタンリーのお弁当箱 Stanley Ka Dabba 2011年 インド 96分 監督:アモール・グプテ ムンバイの、宗派がいまひとつはっきりとしないキリスト教系の学校に通う小学生のスタンリーは明るいふるまいに反してどうもどこかで虐待を受けているような気配があり、しかもお弁当を持ってこれない事情もあるようで食事の時間になると水道の水を飲んで空腹をしのいだり同級生からお弁当を分けてもらったりしていたが、スタンリーがお弁当を分けてもらっていることに気がついたヴァルマー先生はその事実に異様にこだわってスタンリーを叱りつけ、スタンリーに同情した同級生のアマンが四段重ねの豪華なお弁当を持ってくるとヴァルマー先生は今度はそのお弁当を奪い取ることに熱意を見せ、子供たちが何度となくヴァルマー先生の裏をかいてヴァルマー先生の食欲を裏切り続けるとヴァルマー先生はついに怒ってスタンリーを学校から追い出し、同級生たちはスタンリーを救うために動き始める。 最終的に見えてくるのは児童労働の恐ろしい実態で、映画はその問題に警鐘を鳴らしているが、スタンリーもまわりの子供たちも陽気でへこたれることを知らないので画面が暗くなることはない。語り口が少々つたないのと、ところどころに挿入される歌が微妙にうるさく感じられるという欠点があるものの、子供たちの演技はすばらしいし、なによりも料理の場面がものすごい。お弁当もとても豪華。ヴァルマー先生のほとんど妖怪のような行動がすさまじいが、あの文脈だとインドでは子供が持ってきたお弁当を先生が食べる、というのがふつうにおこなわれているように見える。実際のところ、どうなのだろうか。