2013年10月19日土曜日

ノー・マンズ・ランド

ノー・マンズ・ランド
No Man's Land
2001年 ボスニア・ヘルツェゴビナ/スロベニア/イタリア/フランス/イギリス/ベルギー 98分
監督:デニス・タノヴィック

1993年のボスニア・ヘルツェゴビナ。ボスニア軍の前線交替要員が夜の霧の中で道に迷い、セルビア、ボスニア両軍の前線の中間地帯に入り込む。夜明けと同時にセルビア軍の攻撃に遭遇し、生き延びた二人は中間地帯にあった放棄された塹壕に転がり込むが、一人は砲撃で吹き飛ばされる。セルビア軍は偵察のために二名を派遣し、この二名は中年の古参兵と配属されたばかりの新兵であったが、塹壕に到達すると古参兵の方が吹き飛ばされたボスニア兵の身体の下に地雷を仕掛ける。生き延びていたボスニア兵はセルビア兵のうちの古参兵を射殺、新兵の方にも傷を負わせ、一方、地雷を仕掛けられた兵士はまだ生きていることが判明するものの、ピンを抜かれた後なので身動きできなくなっている。ボスニア、セルビア両軍の前線部隊は上層部に連絡、そのうちに国連監視団にも連絡が入って退屈していたフランス軍の小部隊が状況確認のために動き出す。その動きをマスコミが嗅ぎつけて、気がつくと塹壕周辺は西側メディアで埋まっている。
『キプール』を思い出した。姿勢に若干の相違はあるものの、体験を未消化のまま吐き出しているという点で、この二つの映画はよく似ている。作者の個人的な体験や観察がまったく発展しないまま素材として処理されているので、できあがってきた物は素人臭くて出来の悪い記録映画と大差ない(だからどちらもおそろしく退屈だ)。『キプール』の場合は体験にひたすらに吸着していたことから雑然とした視点にもいちおうの言い訳があったが、こちらは妙にジャーナリスティックな目配りがあるために立ち位置が曖昧になっていて、そのせいで言い訳ができなくなっている。マスコミや、フランス軍の良心的な軍曹は余計な存在であろう。塹壕の中の三人と国連監視団の政治的迂回に話を集中すべきであった。はっきり言って、ネタ殺しである。


Tetsuya Sato