2013年8月31日土曜日

続・夕陽のガンマン

続・夕陽のガンマン
Il Buono, Il Brutto, Il Cattivo Da Uomo A Uomo
1966年 イタリア・スペイン 155分
監督:セルジオ・レオーネ

二十万ドルの軍用金をめぐって三人の男が対立する。だから最後の決闘も三つどもえである。『続・ 夕陽のガンマン』という邦題は完全な間違いで、ここはやはり原題どおりに『いい奴、悪い奴、汚い奴』と覚えるべきであろう。まずイーライ・ウォラックが登場して「汚い奴」とレッテルを貼られ、次にリー・ヴァン・クリーフが登場して「悪い奴」ということになり(本当に悪い)、最後にクリント・イーストウッドが「いい奴」として紹介されるが、ラストでイーライ・ウォラック扮するトゥーコが指摘するように、それほどいい奴というわけではない。
超大作で、三人が動き回る背景では勝手に南北戦争が進行していて、軍隊が移動し、戦争のせいで町は廃虚と化しているし、降り注ぐ砲弾がときどき状況をリセットする。ほかにも北軍の捕虜収容所、北軍の塹壕陣地などが登場し、奥行きのある見せ場に恵まれている。クリント・イーストウッド、リー・ヴァン・クリーフは例によって渋く決めているが、そこへ一種のコメディ・リリーフとして投入されたイーライ・ウォラックが圧倒的に面白い。早撃ちで、間抜けで、妙に正直で、執念深い悪党である。しかもホルスターを持っていなくて、いつもピストルを首からぶら下げている。間抜けな割りにはこだわりがあって、武器をなくして金物屋を訪れ、シリンダーの回転音に耳を澄ませながらいくつかのピストルからカスタムメイドを組み上げる場面などはひげ面に浮かんだ神妙な表情がなんともかわいらしい。モリコーネの音楽も乗り乗りだし、ひねりの利いた傑作である。



Tetsuya Sato

2013年8月30日金曜日

夕陽のガンマン

夕陽のガンマン
Per Qualche Dollaro In Piu
1965年 イタリア・スペイン・西ドイツ 132分
監督:セルジオ・レオーネ

盗賊の頭目インディオは子分どもの手引きで刑務所を脱走、エルパソにある銀行の金庫を狙い、一方、二人の賞金稼ぎがそれぞれにインディオの動きを追ってエルパソに到着、それぞれにインディオ一味の一網打尽を狙い、相手が全部で十四人もいるという理由から協力する。
若い賞金稼ぎモンコーがクリント・イーストウッド、中年の賞金稼ぎがリー・ヴァン・クリーフ、それなりに頭は切れるが妙なところで心に傷を負っている盗賊の頭目インディオがジャン・マリア・ヴォロンテ。話はいたってシンプルだが、二人の賞金稼ぎが相棒の裏をかこうとたくらみ、盗賊は盗賊で結果として賞金稼ぎの裏をかき、クリント・イーストウッドのガンマンはときどき本当のことを言う、という具合に展開はすこぶるスリリングで、セルジオ・レオーネの演出は娯楽に徹してテンションが高く、そのテンションをモリコーネの音楽がさらに盛り上げる。クリント・イーストウッドがちょっと引いて、リー・ヴァン・クリーフに渋いところを譲っているのがまた憎くて、ラストシーンなどは実にいい感じに仕上がっている。 

Tetsuya Sato

2013年8月29日木曜日

荒野の用心棒

荒野の用心棒
Per Un Pugno Di Dollari
1964年 イタリア 100分
監督:セルジオ・レオーネ

国境のメキシコ側に小さな町があり、二人のボスに仕切られている。そこへ現われた流れ者のガンマンが自分をあっちに売りこっちに売りしているうちに一方が一方によって根絶やしにされ、残る一方もガンマンによって滅ぼされる。
黒澤明『用心棒』の翻案。ただしプロットは大幅に変更されていて、具体的に似ていると言えるのは冒頭の腕試し、あとは袋だたきにされたガンマンが奇怪な方法で勝利を得るところくらいであろう。わたしとしては胸に仕込んだ鉄板や拳銃対ウィンチェスターの決闘よりも、シンプルに宙を飛ぶ刺し身包丁のほうが好みである(ただダイナマイトを吹っ飛ばして自分で砂塵を作ってから登場する場面は何度見ても笑えるし、そのあとの構図は抜群にかっこいいと思う)。仲代達矢に相当するジャン・マリア・ヴォロンテの役柄は凶悪無比に強化され、オリジナルで小さくまとめられていたエピソードは大きく膨らまされ、ユーモアは影をひそめている。クリント・イーストウッド扮する流れ者は三船敏郎に比べると遥かに軽く、若々しくて、それだけに足元が危なそうな雰囲気があり、殴られたりするとひどく痛々しい。 



Tetsuya Sato

2013年8月28日水曜日

ウエスタン

ウエスタン
C'Era Una Volta Il West
1968年 イタリア・アメリカ 165分
監督:セルジオ・レオーネ

鉄道会社の社長は専用車に乗り込んで延びる線路とともに西を目指し、太平洋の波の音を夢見ている。前方に現われる障害は雇われ者の殺し屋が銃で片づけ、ニューオリンズから鉄道でやってきた新妻は夫の家に到着して夫とその家族の遺体と出会い、ハーモニカを吹く男やひげ面のアウトローなどが現われて次第に状況を広げていく。
未亡人も殺し屋も謎の男もアウトローも、そして鉄道王もそれぞれに内面の問題を口に出さないままに抱えていて、そこへ利権と怨恨と野望と希望がからんでいく複雑なストーリーはセルジオ・レオーネ、ダリオ・アルジェント、ベルナルド・ベルトルッチによる。レオーネの演出はほぼ常時ハイテンションを保ち、2時間45分の長尺ををまったくたるませない。語り口は豊かで、ただ見得を切る場面にもじっくりと手間と暇をかけ、見る者をひたすらに惹きつけるのである。出演者の演技もすばらしい。ヘンリー・フォンダが非情な悪役として登場するが、これが本当に悪人にしか見えないし、しかもただの悪人ではなくて自分が時代に乗り遅れていることをどこかで自覚していて、だから向上しなければならないと考えていても、その向上心が自分の本質的な部分とどうにも噛みあわない、というかなり複雑なキャラクターをそのままに演じているのである。やっぱりこのひとは偉い役者だと思う。自分のテーマ曲をハーモニカで引きずって現われるチャールズ・ブロンソンはとにかくかっこいい。クラウディア・カルディナーレは美しいし、どこかに二心を帯びて強ばったところから、やさしい表情を取り戻していく過程には見ごたえがある。しかしいち押しはジェイソン・ロバーズで、張りつめたところへこの男が間抜けなひげ面を抱えて現われると場面が和らいでほっとするし、最後にはつい涙を誘われる。60年代のレオーネ作品の特徴として撮影の粗さがときとして気になるが、いかにも大作らしく画面には常に奥行きがあり、美しいシーンも山ほどもあり、しばしば現われる大胆な構図には思わず興奮させられる。 


Tetsuya Sato

2013年8月27日火曜日

ホワイトハウス・ダウン

ホワイトハウス・ダウン
White House Down
2013年 アメリカ 131分
監督:ローランド・エメリッヒ

議会警官で下院議長の警護をしているジョン・ケイルは娘の尊敬を勝ち得るために娘を連れてホワイトハウスを訪れてシークレット・サービスの面接を受けるが学歴その他の問題から失敗し、せっかく来たのだからということでホワイトハウスのツアーに参加しているといきなり国会議事堂で爆発が起こり、ホワイトハウスでは大統領警護官が襲撃にあって武器を奪われ、ホワイトハウスはどこからともなく出現した武装勢力によって占拠され、混乱のなかで娘を救うために走り出したジョン・ケイルはたまたま大統領を危機から救い出し、以降大統領と協力しながらホワイトハウスのなかで敵と戦う。
ジョン・ケイルがチャニング・テイタム、大統領がジェイミー・フォックス、愛国者がジェームズ・ウッズ。
チャニング・テイタムがいい感じで、野性味がある割にはかわいらしい、というところが一昔前のブレンダン・フレイザーを思わせる。ジェイミー・フォックスの大統領はほどよくオバマのパロディになっていて、そこにいかにもエメリッヒ的な演出が加わると大統領がホワイトハウスの庭で大統領専用車から身を乗り出してRPGを発射するというあられもないシーンにまとまることになり、このあたりのいじり方がなかなかに楽しめる。アクション映画としての水準は確実にクリアしているし、とにかく笑いどころが多いのは悪くない。 
Tetsuya Sato

2013年8月25日日曜日

ローン・レンジャー

ローン・レンジャー
The Lone Ranger
2013年 アメリカ 149分
監督:ゴア・ヴァービンスキー

地方検事としてテキサスに赴任してきたジョン・リードは凶悪犯ブッチ・キャベンディッシュの脱獄騒ぎに巻き込まれてコマンチ族のトントと知り合い、テキサス・レンジャーをしている兄のダン・リードとともにブッチ・キャベンディッシュを追跡するが、テキサス・レンジャーはブッチ・キャンベンディッシュの待ち伏せにあって全滅してジョン・リードは白い馬を媒介にして死から逃れ、トントに与えられたマスクをつけるとローン・レンジャーとなってブッチ・キャベンディッシュの後を追い、その背後ではどうやら自然がバランスを失っていて凶暴化したウサギの群れが肉にむしゃぶりついている。
ローン・レンジャーが『白雪姫と鏡の女王』の王子様アーミー・ハマー、トントがジョニー・デップ、トム・ウィルキンソンとウィリアム・フィクトナーがまさかの兄弟で、ローン・レンジャーの誕生を扱いながら人物の配置とプロットはセルジオ・レオーネの『ウエスタン』に粘着し、ハンス・ジマーの音楽もウィリアム・テル序曲をシャッフルしながらいつの間にかモリコーネしていて、見終わったときには頭がすっかりレオーネ/モリコーネ変換されている。ただヴァービンスキーによる処理はきわめてモダンで、見た目はレオーネに粘着していてもレオーネの背後からダリオ・アルジェントを引っ張り出しているような気配があり、そしてモニュメントバレーがおそらくはなにかしらのメタファーで満たされているという点で『ランゴ』をそのまま引き継いでいるし、クライマックスの連続活劇から抜け出してきたような壮絶な列車アクションは『ランゴ』の幌馬車対プレーリードッグの延長線上にあるように見え、あのワルキューレはつまりこのウィリアム・テル序曲の前奏だったのか、とつい考えたくなってしまうが、ともあれものすごい傑作なのは間違いない。ディズニー/ブラッカイマーというメジャーなプロダクションからここまで作家性に富んだ、というか、好き放題に作り込まれた、というか、多分に病的な作品が生まれてくる、というのがいささか信じがたい。
コマンチの突撃シーンは涙もの。ディズニー的に登場していきなり牙をむき出すウサギさんたちがものすごかった。 

追記:『ウエスタン』に粘着している、と書いたけれど、たぶん違う。この映画のすごさはたぶん構造的な正確さにある。背景世界は我々が考えている西部ではなく、それをベースにした人工的な構築物であり(これはつまり見たまんま)、そこに埋め込まれたレオーネ的な要素は構造を補完しているだけで、おそらく重要なものではない。そして人工的な構築物はおもに抑圧的な機能を備え、クライマックスの多幸症的な狂騒に対置されている。
Tetsuya Sato

スター・トレック イントゥ・ダークネス

スター・トレック イントゥ・ダークネス
Star Trek Into Darkness
2013年 アメリカ 133分
監督:J.J.エイブラムス

前作から一年後、エンタープライズの艦長になんとはなしに収まったジェームズ.T.カークは未開種族が暮らす惑星を破滅から救うために規則違反をして艦長の座を追われ、エンタープライズはクリストファー・パイクの指揮下になって、ジェームズ.T.カークはその副官ということになり、そうしているあいだに艦隊の将校ジョン・ハリソンが艦隊に刃向ってロンドンにある基地を爆破し、対策を協議するために集まった艦隊の士官たちにも襲撃を加え、パイクが死んでなんとはなしにエンタープライズの艦長に返り咲いたジェームズ.T.カークはクリンゴンの支配地域に逃れたジョン・ハリソンを追いかけ、マーカス提督の命令のとおりなら中立地帯から魚雷を発射してジョン・ハリスンを抹殺するところをスポックの意見を入れてクリンゴンと交戦しながらジョン・ハリスンを逮捕してみるとジョン・ハリスンの正体は実はカーンで、マーカス提督はカーンの力を使ってクリンゴンとの戦争を準備していたことが明らかになり、ジェームズ・T・.T.カークがカーンを地球に護送しようとしているとマーカス提督が巨大戦艦に乗って現われてエンタープライズに攻撃を加え、ジェームズ・T・カークはカーンの協力を得てマーカス提督の陰謀を排除するが、それと同時にカーンが巨大戦艦を乗っ取ってエンタープライズに攻撃を加える。
ベネディクト・カンバーバッチが自分はカーンであると名乗りを上げたあとの一連の展開は82年の『カーンの逆襲』とほぼ同じだが、ただし肝心の前段がはぶかれているので、カーンの怒りも収まりが悪い。クリス・パインは魅力に乏しい、というよりも、せいぜい士官候補生くらいの判断力しかない間抜けを主力艦の艦長に据えておくのがよくわからない。ザカリー・クイントはすっかりスポックになっているが、この新しいスポックは情動に対して抵抗が乏しいのでいまひとつバルカン人に見えてこない。サイモン・ペッグのスコッティは素朴に楽しいし、ベネディクト・カンバーバッチは異様な重量感を見せているので、主役が違っていて、正直なところを言えば監督が違っていれば、もっといい映画になっていたのではあるまいか。
J.J.エイブラムスの演出は一定にコンセプトにしたがってまとまってはいるものの、たぶんそのコンセプトに問題があって、微妙に押さえるところがずれている、というのか、対立関係ばかりに目がいって、妙な小ネタには妙な配慮をする割には『スタートレック』である必然性を忘れているような気がしないでもないし、たぶん地球に粘着しすぎているし、たぶん暴力的すぎる。サンフランシスコ大破壊はまったく無用の場面であろう。IMAX 3Dで鑑賞したが、ふつうに2Dで十分だったような気がする。 
Tetsuya Sato

2013年8月24日土曜日

スター・トレック(2009)

スター・トレック
Star Trek
2009年 アメリカ 126分
監督:J.J.エイブラムス

ジェームズ・T・カークが連邦艦隊の士官候補生となり、うやむやのうちに、という感じでエンタープライズの艦長となるまで。TVシリーズの雰囲気をよく残し、ついでに士官候補生時代のエピソードにコバヤシマルの一件がきちんと入っているのがうれしかった。二時間ほどの映画でジェームズ・T・カークの生い立ちを素描し、エンタープライズの艦長にした上で、なおかつ主要キャラクターを全部集めなくてはならない、という荒業に挑戦し、立派に成功しているところは偉いと思う。で、その主要キャラクターを演じた新しいキャストもよく考慮されていて、ほとんど違和感を感じない。ただ、連邦艦隊壊滅とかバルカン崩壊とか、ちょっとやり過ぎではないかという気がした。それとスポックがザカリー・クイントなので、そのうちにサイラーの本性を現わすのではないか、と無用の心配をしていたが、二代目スポックとしてこの配役は成功していると思う。


Tetsuya Sato

2013年8月23日金曜日

アイアン・ウォーズ

アイアン・ウォーズ
The 25th Reich
2012年 オーストラリア 84分
監督:スティーヴン・エイミス

1943年、ドイツ軍の猛攻を受けた連合軍はオーストラリアまで撤退し、撤退する途中で二頭のピューマを逃がすので、アメリカ軍は地元住民に迷惑をかけないためにオブライエン大尉以下五名の兵士をピューマ退治のためにオーストラリアの原野へ送るが、ピューマを呼び寄せるために運んでいった奇妙な機械は実はタイムマシンで、一行はこのタイムマシンによって有史以前の世界へ送られ、その世界でナチの円盤が不時着しているのを発見し、大尉の部下であった軍曹は実は諜報機関の大佐でこの円盤の発見こそが本来の目的であり、この円盤を1943年に運んでナチをやっつけるのであると大佐は豪語するが、この諜報機関の大佐は実はドイツ空軍の大佐で円盤に乗り込んで未来へ飛び、過去へ置き去りにされた大尉もまたタイムマシンを修理して未来へ飛ぶが、1943年に戻ったつもりが300年ほど戻り過ぎていて、その世界ではナチが地球を支配して宇宙へも進出している、ということで、大尉と部下はナチとの戦いを誓うのであった。終わり。
つまり最初から最後まで、オーストラリアのおそろしく殺風景な場所を兵隊が五人でうろついているだけ、なのである。妙に凝ったオープニングタイトル以外は見るところがない。 



Tetsuya Sato

2013年8月22日木曜日

慰めの報酬

慰めの報酬
Quantum of Solace
2008年 イギリス/アメリカ 106分
監督:マーク・フォースター

話は『カジノ・ロワイヤル』の結末からそのまま続き、ボンドは脚を撃ち抜かれたホワイト氏をシエナ市内に運び込む。そこで情報機関に裏切り者がいることを知らされたボンドは次の手がかりを求めてハイチへ飛び、謎の女性カミーユと出会い、カミーユを追ってグリーン氏を発見し、グリーン氏を追って国際的な陰謀組織の存在にたどり着く。その間、手がかりを端から死亡させることでMから非難され、停職を食らい、それでも孤軍奮闘して陰謀を暴き、グリーン氏を追い詰める。
『カジノ・ロワイヤル』の結末で一応は名乗りを上げたものの、ダニエル・クレイグ扮するボンドはボンドとしてのキャラクターを成立させていない。シェイクしたマティーニをなんだかわからずに六杯も飲み干しているボンドはやはりボンドではないのである。なんといっても、まずダニエル・クレイグであり、その野良犬じみた強烈な存在感はあるべきジェームズ・ボンドの姿をかすませてしまう。だから、それでいいのである。挙動は実にシャープだが、それでもなんだかぞんざいで、ついでになんでもかんでも投げ捨てる。もうPPKはやめにして、グロックを持たせるべきであろう。対するマチュー・アマルリックはその個性によって印象を残すが、ダニエル・クレイグ相手では弱い者いじめにあっているように見えなくもない。豊富なアクションシーンにはグリーングラス風の演出が加わり、仕上がりは悪くない。所帯じみたCIA、ボリビアで水道屋さんになりたいという、意外とせこいグリーン氏の陰謀、ジャンカルロ・ジャンニーニの取り扱い、と面白いところがたくさんある。ただ、最後に出てくるあのホテルの、いかに燃料電池満載とはいえ、ツェッペリン飛行船みたいな燃えやすさには首をかしげた(だが、なんにしても同じ監督の映画だとしたらWWZよりはだいぶましだ)。


Tetsuya Sato

2013年8月21日水曜日

007/カジノ・ロワイヤル

007/カジノ・ロワイヤル
Casino Royale
2006年 イギリス・アメリカ・ドイツ・チェコ 144分
監督:マーティン・キャンベル

シリーズ第21作。このオープニングタイトルちょっとひどくないか、とか、時間経過の描写がちょっと雑じゃないか、とか、気になったところが少々あるものの、いや、ダニエル・クレイグが抜群にいい。肉体に自己主張があり、暴力が服着て歩いているようなところがいい。その割りに考えているようなところがかわいらしいし、考えているように見える割りにはやられたらやり返す的な次元で考えなしに行動しているようなところがまたよろしい。冒頭『ヤマカシ』な、というかパルクール全開アクションの真っ最中に相手にピストルを投げつけられるとそれをぱっとキャッチして怒った顔で投げ返すし、バハマのクラブで駐車係と間違えられるとにこにこしながら車を預かってわざわざ傷をつける。
ダニエル・クレイグのジェームズ・ボンドはクリアではない。雑音が多く、いわゆるジェームズ・ボンドの規格に乗っていない。ダブルオーナンバーをもらったばかり、という設定もあるのだろうが、銃にも特にこだわらないし(いまさらPPKでもないだろうし、そもそも今回は肉弾戦が目立つ)、車にも特にこだわらないし(レンタカーのフォードに乗ってやってきて、64年型アストン・マーチンは博打で巻き上げる)、マティーニをステアするかシェイクするかにもこだわらない。こだわらない、という点では、線条痕(それとも瞳孔だっけ?)が渦巻く先で銃を構えるといういつものあのポーズをトイレでやっている(しかも無様に殴り合ったあとなので本人もぼろぼろだ)、というのも前代未聞のことであろう。ある種のサタイアとして見ることすら可能だが、ダニエル・クレイグの存在感はそれをサタイアで終わらせずに新ボンドのキャラクターとして成立させている。で、それが最後の最後にアサルトライフル片手に「ボンド、ジェームズ・ボンド」と初めて名乗りを上げ、そこへモンティ・ノーマンの「ジェームズ・ボンドのテーマ」が覆いかぶさるという演出は泣けるのである。ボンドが生臭くて等身大となった結果、悪役ル・シッフルも借金取りに脅える小物となり、代わりに諜報の最前線のいかがわしさが前に出て(こういう場合の旧大陸の小物がなぜか必ずジャンカルロ・ジャンニーニだ)、これはこれで悪くない。手の込んだアクションシーンも豊富だし、パトカーは旅客機の後方乱流で吹っ飛んでいくし、ヴェネチアのパラッツォは倒壊するし、エヴァ・グリーンはきれいだし、とにかくお腹一杯である。

Tetsuya Sato

2013年8月20日火曜日

主人公は僕だった

主人公は僕だった
Stranger Than Fiction
2006年  アメリカ 112分
監督:マーク・フォースター

国税庁の会計検査官をしているハロルド・クリックは几帳面な単調さに埋没して日々を送っていたが、ある日、女性の声が耳に現われてハロルド・クリックの行動を描写し、文学的に言葉を飾り始める。困惑したハロルド・クリックは精神分析医に相談し、精神科医に相談し(統合失調症だと言われる)、大学の文学部を訪れて教授に相談し、教授は話を真に受けて作者の調査に取り掛かる。ところがその作者というのは悲劇が専門でこれまでの作品でも主人公はことごとく殺されており、事実その作者はスランプ状態で頭を抱えながら今も主人公を殺す方法を考えていて、しかもその死はもちろん悲劇的でなければならないので死を待つハロルド・クリックの前には素敵な恋人が現われ、くすんでいた人生が唐突にきらめき始めるのである。
創作行為を斜めに眺めた着想が面白い。もう少し意地の悪い内容であってもよいのではないかと思ったが、傑作の完成と君の人生とどちらが大事かという身も蓋もない話にいちおうはなっていく。ウィル・フェレルとその恋人役のマギー・ギレンホールが実にいい感じで、ダスティン・ホフマンは文学部の教授を演じて妙なリアリティがあり、エマ・トンプソンはスランプ中の作家をいかにもという雰囲気で演じている。ハロルド・クリックの住まいを始め、室内の美術が非常に優れ、マーク・フォースターの演出は抑制があって心地よい。丁寧に作られた映画である。たぶん、この監督こういう映画のほうが向いている。


Tetsuya Sato

2013年8月19日月曜日

チョコレート

チョコレート
Monster's Ball
2001年 アメリカ/カナダ 113分
監督:マーク・フォースター

ハンクとサニーの親子は南部の州立刑務所で看守をしている。ハンクの父親バックも昔は看守をしていたらしい。男ばかりの三人所帯で、家長はまだバックということになっているらしい。バックはどうやら人種津差別主義者で、サニーを訪ねてきた黒人のこどもが地所をとおるのを見て、ハンクに追い払うように言いつける。ハンクは銃を空に向けて撃ってこどもたちを追い払うのだ。翌朝、こどもたちの父親が文句を言いにくるけれど、ハンクにはまるで聞く耳がない。
ハンクとサニーは黒人の死刑囚の死刑の執行に立ち会うことになっていた。サニーは軟弱者ということになっていて、父親の受けがあまりよくない。仕事にも不備があるようだ。死刑囚の女房レティシアは美人だったが、面会を11年も続けてきたことで疲れていた。10歳くらいの息子タイレルは肥満症で、目を放すと甘い物を口に入れている。死刑の当日、親子は一日テレビを見ていた。死刑の直前、サニーは緊張に耐えられなくなって任務を放棄し、激怒したハンクは息子を殴る。
サニーはハンクを愛していたが、ハンクはサニーを愛していなかった。ではレティシアはいったい亭主を愛していたのか。タイレルのことはどう考えていたのか。サニーは自殺し、タイレルは雨の日に交通事故で死に、ハンクは自分がよい父親でなかったことを知り、レティシアは自分はよい母親であったと繰り返す。そして二人はいたって不器用に歩み寄り、不器用に愛を交わすのであった。
見ていて劇中での人死にが多すぎるという感じもしたが、登場人物が受けている抑圧が強すぎて、たぶん人でも死なないと前へ進めないのであろう。演出は節度があって、好感が持てた。ビリー・ボブ・ソーントン、ハル・ベリーともに魅力的であった。マーク・フォースターはこういう映画のほうが向いている。



Tetsuya Sato

2013年8月17日土曜日

ワールド・ウォーZ

ワールド・ウォーZ
World War Z
2013年 アメリカ 116分
監督:マーク・フォースター

ゾンビ・パンデミックが起こって都市が次々に壊滅し、家族とともに洋上に逃れた元国連職員ジェリー・レーンは国連事務次長の要請で任務に復帰してワクチン開発のためにウィルス学者とともにC130に乗り込んで韓国へ飛び、手がかりを得られないままイスラエルに飛び、イスラエルでの騒動にヒントを見つけてウェールズにあるWHOへの研究所へ飛び、そこで思いついたヒントを実証するためにゾンビの目を盗んで足音を忍ばせる。 
序盤のフィラデルフィアからニューアークにいたる一連のシーンは迫力があるし、大西洋上の国連艦隊も悪くないし、エルサレムのシーンの力の入り方も半端ではないが、ヨンカーズの戦いもレデカー・プランもアリゾナの殲滅戦も登場しない。もちろん原作のあれがない、これがないというつもりはまったくないが、原作をひとかどの作品にしていた登場人物の無名性と多声性はブラッド・ピット扮する主人公とその家族という主軸を与えられたことで決定的に損なわれた。スピルバーグがすでに『宇宙戦争』でトム・クルーズをすんなりと無名性のなかに埋め込んでいるというのに、ここでは先祖がえりのような明瞭な輪郭が幅を利かせていて、あなたどこにいるの、コニーどこへいった、というアホウな台詞を我慢しなければならなくなっている。人間を徹底的に物質化した映像は先端的だが、映画はその映像を消化できずに終わっている。たとえば『コンテイジョン』を見本にする、といったようなことは誰も考えなかったのだろうか。
Tetsuya Sato

愛と裏切りの戦場

愛と裏切りの戦場
L'Amore e la guerra
2007年 イタリア 206分 TV
監督:ジャコモ・カンピオッティ

1917年。レジス伯爵家の令嬢アルベルティナはアルプスでオーストリア軍と対峙しているイタリア軍の歩兵中尉と文通をしていたが、やがてそれだけでは足りなくなり、会ったことのない中尉と会い、また祖国への義務を果たすため、看護士を志願して戦地へおももき、野戦病院の目を覆う惨状に衝撃を受ける。それでも気を取り直して中尉の所在を質し、中尉の所属部隊が要塞に駐屯していることを知って異動を志願、そこで父親の将軍と遭遇するが、要塞はドイツ軍の攻撃を受けて父親は戦死、イタリア軍は後退を開始し、トリノからやって来た母親が夫の遺体とともにアルベルティナを連れ戻そうとする。しかし難民の群れを見たアルベルティナは帰還を拒否、祖国への義務を果たすために再び看護士の制服をまとう。
一方、要塞から後退したイタリア軍部隊はアルプス山中に布陣してオーストリア軍の要塞と対峙していたが、強固な造りの要塞がイタリア軍の攻撃をことごとく跳ね返すので山には死体の山が築かれている。ところが元鉱夫で有能なパッリ軍曹がイタリア軍の陣地からオーストリア軍の要塞までトンネルを掘る戦術を将軍に提案、将軍はこれを受け入れてパッリ軍曹に指揮を託す。このパッリ軍曹こそがアルベルティナの文通相手の手紙を代筆していた本人であり、実はすでにアルベルティナが心ひそかに焦がれる相手であり、パッリ軍曹もまたアルベルティナに焦がれていた。そしてパッリ軍曹の上官であり、賭博で財産を蕩尽して借金を抱え、アルベルティナの持参金を狙っていたアヴォガドロ大尉としては、これがまず面白くないし、パッリ軍曹が自分の頭ごしに将軍に提案をしたことでも面白くないし、無知で出の悪いパッリ軍曹が予想に反して知的にふるまい、将軍から好意の視線を向けられるのも面白くないので、たまたま接近してきたオーストリアのスパイに情報を売り、パッリ軍曹率いるイタリア軍部隊はトンネルでオーストリアの罠にあって壊滅的な打撃を受け、怒る将軍に向かって大尉はパッリ軍曹の裏切りをほのめかし、当のパッリ軍曹はオーストリア軍の捕虜となり、裏切り者の正体を暴くために収容所を脱走して負傷し、駆けつけてきたアルベルティナの看護を受ける。
回復したパッリ軍曹は軍に復帰し、汚名を晴らすために将軍への面会を求めるが、将軍はアヴォガドロ大尉に指揮を託して戦線へ移動していたため、軍曹は逮捕されてロッカの軍監獄へ移され、そこで死刑の判決を受けるので、アルベルティナは愛するパッリ軍曹を救うためにアヴォガドロ大尉の求婚を受け、アヴォガドロ大尉はパッリ軍曹を監獄から解放するものの、懲罰部隊に送って敵の銃弾の正面に立たせる。これによってアヴォガドロ大尉は邪魔者を片付けられるはずであったが、尊大でひとの心を踏みにじる大尉はオーストリアのスパイの心も傷つけていたので、トリノへ戻ろうとするアルベルティナの前にはオーストリアのスパイが現われてアヴォガドロ大尉の反逆の証拠を差し出し、真相を知ったアルベルティナは前線へと急ぐが、懲罰部隊はすでに突撃を始めて大半が戦死、アヴォガドロ大尉を逮捕しようとした副官は大尉に殺され、アルベルティナもまた窮地に陥るが、オーストリア軍の陣地を破壊してイタリア軍に勝利をもたらしたパッリ軍曹がそこへ現われ、アルベルティナを救い出し、悪党の大尉は逮捕される、という話を3時間半かけてやるテレビのミニシリーズである。
いちおう第一次大戦中の激戦地カポレットが舞台になっているが、愛し合う二人が様々な障害、というよりももっぱらアヴォガドロ大尉という障害を乗り越えて結ばれるまで、という内容で、ほれたのはれたの裏切るので忙しくて戦争はほとんどやっていない。冒頭と終盤に二度ほど戦闘シーンが挿入されているが、少人数で迫力もない。ただ、イタリア軍の制服、装備、要塞などのディテールは非常によくできていて、これは珍しいし、戦闘シーンがいいかげんなのと、アヴォガドロ大尉を悪役に仕立てる都合上、指揮システムを無視してなんでもあり、といういいかげんな設定が気にならなければ、おおむね面白い。 


Tetsuya Sato

2013年8月16日金曜日

エネミー・ライン2 北朝鮮への潜入

エネミー・ライン2 北朝鮮への潜入
Behind Enemy Lines: Axis of Evil
2006年 アメリカ 96分
監督:ジェームズ・ドッドソン

アメリカの偵察衛星が核弾頭搭載可能と推定されるICBMを北朝鮮に発見し、燃料注入中の事故を偽装して破壊するために無能な指揮官を筆頭とする素人同然のSEALSが投入される。そしてチャーターした旅客機で民間航空機の航路を飛行中に降下を開始したところ、突然作戦中止の命令が入り、四名が北朝鮮の領土に取り残され、同じ頃ワシントンではホワイトハウス、ペンタゴン、韓国の単調な綱引きが展開され、韓国側が限定攻撃では報復が恐ろしいので全面攻撃による先制を提案するとホワイトハウスが反発したり、その割には反撃の規模を予想しないで限定攻撃を推し進めたり、予想される犠牲者の数をペンタゴンがごまかしたりしているうちに、潜入したSEALSの隊員は北朝鮮の捕虜となり、ここはここでわけのわからない政治抗争のようなことがおこなわれていて、そうしているあいだにSEALSはSEALSと同程度に間抜けな韓国諜報部隊によって救出され、現地のSEALSが頑強に限定攻撃にこだわると、なぜか韓国側が折れて協力してきて、結局みんなでミサイルを爆破しにいく、というような内容で、しらふで見るのはちょっとつらい。


Tetsuya Sato

2013年8月15日木曜日

エネミー・ライン

エネミー・ライン
Behind Enemy Lines
2001年 アメリカ 106分
監督:ジョン・ムーア

NATO軍が撤退を始めたばかりのボスニアでアメリカ海軍のF-18がセルビア軍に撃墜される。それというのもF-18が通常の偵察ルートから逸脱してセルビア軍がまさに虐殺をおこなっている森の上空を飛行し、その上に撮影までもおこなったからであった。搭乗していたパイロット及びナビゲーターは脱出に成功するが、パイロットは重傷を負って動けない。そこでナビゲーターひとりが山に登って空母カール・ヴィンソンと連絡を取ろうとしていると、置いてきたパイロットはわらわらと出現したセルビア軍兵士によって取り囲まれ、あっという間に射殺されてしまう。セルビア軍による虐殺の秘密を隠蔽するためであろうと考えられるが、その有様を目撃したナビゲーターが悲鳴をあげて逃げ始めると、セルビア軍が二手に分かれて追いかけてくる。片や装甲車を連ねた大部隊、片や狙撃用ライフルを抱えた怪しいアディダス男である。二手に分かれたのはセルビア軍内部に対立があったからであったが、なぜわざわざ対立して要領の悪い思いを味わっているのか、そのあたりについての説明はない。たぶん、ただ対立していた、というだけであろう。さて、ナビゲーターは山をひた走って救出の会合点に到達するが、ここで空母から恐るべき事実を伝えられる。政治的な理由から救出は来ないので、安全地帯まで自力で脱出するしかないのであった。それというのもF-18が偵察ルートから逸脱していたからであったが、悪いのは逸脱した本人ではなくて、逸脱したことを非難する提督なのである。航空団司令は提督の配下にあって、部下の身を案ずるあまり自らの苦悩をべらべらと喋り始める。そして最後には提督の命令を無視して海兵隊に出撃を命じ、自ら陣頭に立って救出におもむくのである。もちろん決死の覚悟であったが、それでも提督への遠慮があったのであろう、カール・ヴィンソンの格納庫には立派なシーホークがごろごろしていたのに、空母から飛び立つのは古めかしいヒューイなのであった。さっきまでなかったヒューイが三機もどこから現われたのかと気にしていると、救出部隊はボスニアの山岳地帯に侵入し、そこでセルビア軍に包囲されているナビゲーターを発見する。蛮族のようなセルビア軍の前に合衆国海兵隊のヘリコプターが姿を現わす。ヒューイのロケット砲が、ミニガンが火を噴いて蛮族の兵士たちを一掃する。ナビゲーターは脱出に成功し、セルビア軍による虐殺の証拠も回収された。素行に問題のあったこのナビゲーターは除隊申請を取り下げて海軍に残る決意をかため、提督の命令に背いて救出を強行した航空団司令は閑職へと飛ばされる前に雄々しく退役を決意するのであった。逃げる主役がオーウェン・ウィルソン、司令官がジーン・ハックマン。スロバキア・ロケ。



Tetsuya Sato

2013年8月14日水曜日

大地

大地
Zemlya
1930年 ソ連 90分
監督・脚本:アレクサンドル・ドヴジェンコ

ウクライナの村にボリシェビキの鉄の馬がやってくる。村中総出で出迎えて、来た来たと叫んで道を彼方からやってきたトラクターを取り囲み、停まった停まったと叫んで停まったトラクターをまた囲む。エンジンが焼き切れてしまったのである。そこで男たちは俺たちの水を解放しようと叫んでトラクターに小便を浴びせ、そうするとトラクターは猛烈な勢いで走るようになる。農夫のワシリーはこのトラクターにまたがってそこら中の畑を耕し、収穫のためにまた走らせる。収穫された麦は機械によって粉にされ、機械によって練り込まれると、機械を通ってパンに変化する。ところで村のコルホーズの隣には富農の畑の柵があって、この畑が皆を困らせていたが、ある日、ワシリーはトラクターでこの柵を壊してしまう。するとある晩、村中の者が寝静まっていた頃にワシリーが村の道をあっちからこっちまで、ただただ踊りながらやってきて、そうして踊っているところを富農が襲って命を奪う。ワシリーの家族は死んだワシリーを見てたいそう嘆き、ワシリーの父親は神父を追い返して若者を呼び、新しい時代のために新しい歌を歌い、新しい仕方でワシリーを葬ってくれと頼み込む。すると村人たちは皆集まってワシリーのために歌を歌い、果樹やヒマワリが連なる中をどこまでもワシリーの遺体を運んでいく。運んでいった先には富農の畑があって、富農は丘の上で狂ったようになって自分の犯行を告白する。集まった村の人々はボリシェビキの飛行機を見上げ、果樹には見事に果物が実る。
ほぼ全編を視覚表現の面白さとリズムだけで見せてしまう。その技量は見上げたものだが、ストーリーや人物関係を追うのにはなかなか苦労するのであった。あまり真面目に話をしようとしているとは思えないし、ただ見ているとボリシェビキの新しい仕方というのはまるで呪詛のように見えてくるのである。何か含みがあるのかと疑ったが、たぶんそういうことはないのだろう。


Tetsuya Sato

2013年8月13日火曜日

ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー

ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー
Hellboy II: The Golden Army
2008年 アメリカ/ドイツ 120分
監督・脚本:ギレルモ・デル・トロ

人類の傲慢と不遜にたまりかねたエルフの王子が封印されている黄金の軍団を蘇らせて人類を滅ぼそうとたくらむので、ヘルボーイほかがそれを阻む。いたってシンプルな筋立てだが、「ゴールデン・アーミー」にかかわる前段の状況をヘルボーイの少年時代に移してジョン・ハートに語らせるところから思わず好印象を抱き、それとなく異形の側に肩入れをしながらも官僚的な身も蓋もない反応も忘れずに織り込む手際のよさに素材に対する愛着を感じた。愛が見えるのである。 

Tetsuya Sato

2013年8月12日月曜日

ヘルボーイ

ヘルボーイ
Hellboy
2004年 アメリカ 122分
監督・脚本:ギレルモ・デル・トロ

1944年のスコットランド沖。ナチはラスプーチンの手を借りて冥界の門を開き、向こう側から混沌の神を呼び寄せようとしていたが、そこを米軍の部隊が襲撃、門は破壊され、襲撃部隊に顧問として同行していたブルーム教授は幼い魔物を拾い上げてヘルボーイと命名する。それから60年、ヘルボーイはFBIの超常現象調査防衛局の一員となり、日夜、魔物退治に励んでいる。そして一方ではラスプーチンが復活し、再び冥界の門を開こうとたくらんでいるのである。
ジョン・ハートのファンとしては、冒頭、ジョン・ハートの声を聞いただけでなんとなく嬉しくなってしまうのである。劇中でのジョン・ハートの使い方は格別芸のあるものではないが、それだけにこの俳優の存在を素朴に楽しむ余裕を観客に与えている。主役ロン・パールマン扮するヘルボーイは乗りがたいそうよろしくて、その前に惜しげもなくクトゥルーな化け物が投げ出されて、それが軽口とともに退治される光景は見ていてなかなかに楽しかった。プロットのもろさ、悪役の弱さ、など欠点を指摘することは簡単だが、それよりもトンデモないかがわしさをそれなりにまとめてしまったギレルモ・デル・トロの趣味に感謝したい。 

Tetsuya Sato

2013年8月10日土曜日

パシフィック・リム

パシフィック・リム
Pacific Rim
2013年 アメリカ 131分
監督:ギレルモ・デル・トロ

2013年、太平洋の海底にできた謎の亀裂から巨大怪獣が出現してアメリカ西海岸に上陸、どうにか通常兵器で撃退するものの次から次へと怪獣が現われては太平洋沿岸を襲うので、これでは手に負えないということで国際協力で環太平洋防衛軍が設立され、怪獣撃退のための巨大ロボット、イェーガーが開発され、人類はイェーガーを太平洋沿岸各所に配置して怪獣を撃退していくが、怪獣のほうが次第に強力になってイェーガーでも手に負えなくなってくると、人類の指導層はイェーガーを捨てて防壁の建設を選び、防壁の完成まで存続を許されたイェーガー部隊は香港の防衛を命じられて残る四機のイェーガーを結集し、すでに軍ではなくレジスタンスであるという自覚のもとに独自の判断で亀裂に対する直接攻撃を決める。
おそらく映画史上最大規模の都市破壊型怪獣映画であり、同時に映画史上最大規模の実写巨大ロボット映画であり、破天荒で豪勢な映像は破格の仕上がりであるというほかはない。そして都市破壊型の怪獣を登場させ、巨大ロボットと格闘をさせる、というばかげた選択をした段階でいわゆるリアリズムは放棄され、監督の妄念のみがスクリーンの上に炸裂する。陳腐なプロットも安っぽい人物設定もすべて確信によってデザインされたものであり、もはや批判を受け付けるようなものではない。仮にこの映画が駄作だとすれば、『バトルシップ』をはるかに超える駄作ということになるだろう。けなしているのではない。ほめているのである。そしてもちろんロン・パールマンは死んだりしないのである。 
Tetsuya Sato

パンズ・ラビリンス

パンズ・ラビリンス
El Laberinto del fauno
2006年  メキシコ・スペイン・アメリカ 119分
監督・脚本:ギレルモ・デル・トロ

1944年のスペイン。少女オフェリアは臨月の母親とともに町を離れて山間を進み、継父ビダル大尉の任地に移り住む。ビダル大尉は近くにはいてほしくない種類のマチズモで固まった軍人で、妻の腹のなかにあるのは息子であると確信し、異常なまでの冷酷さで共和制の残党狩りにあたっている。オフェリアはビダル大尉に最初から反発し、妖精の導きによって家の裏手にある迷路を訪れると、そこにいたパンから自分が実は魔法の国の王女であったことを知らされるので、魔法の国へ戻るためにパンから与えられた三つの試練に立ち向かう。
三つの試練は少女オフェリアと継父ビダル大尉を取り巻く状況に見事に重なり合い、現実の状況が非情でグロテスクならば、ファンタジックな試練の中身もまた非情でグロテスクで、しかもそのグロテスクさのなかにグロテスクな現実が回収されている。
『デビルズ・バックボーン』よりも遥かに暗く、視覚的に厚みがあり、全編に漂う陰鬱な雰囲気と緊張感がすさまじい。ギレルモ・デル・トロはこれで傑作を作り上げたのは間違いないが、絶え間のない緊張と暴力には少々疲れる。ところでビダル大尉率いる部隊が馬にまたがって山を駆け上がる場面が何度かあるけれど、このときの馬の登坂性能には感心した。 

Tetsuya Sato

2013年8月9日金曜日

デビルズ・バックボーン

デビルズ・バックボーン
El Espinazo Del Diablo
2001年 スペイン 106分
監督:ギレルモ・デル・トロ

内戦下のスペイン。父親を失った少年カルロスは孤児院へ送られ、白昼、その中庭の戸口で少年の幽霊を見かける。そしてそれからも霊現象が頻々と起こり、孤児院の地下には秘密が隠され、院長や管理人にも秘密があり、つまり図式としてはよくある幽霊譚だし、ホラーとして見ると格別どうということもないのだが、状況描写の手際のよさ、スタイルのある場面作りにはいささか感じ入ったような次第である。

Tetsuya Sato

2013年8月8日木曜日

ミミック

ミミック
Mimic
1997年 アメリカ 105分
監督:ギレルモ・デル・トロ

ニューヨークの地下最深部に人間に擬態する能力を備えたゴキブリが生息しているという話で、ちょうどこの映画が作られた頃、都市の大深部とかもぐら人とかがちょっとブームになっていたという記憶がある。日常性の一歩先に潜んだワンダーランドというわけであろう。たしかにいろいろと想像を刺激されるし、この映画もアイデアは抜群に魅力的だったのだが、その先に話を広げることができなかった。とはいえ、巨大なゴキブリが影で人間の姿をなぞって地下鉄のホームの端っこに現れる、というそれだけなんだけどそれでは済まない印象深い描写には一見の価値があると思う。 

Tetsuya Sato

2013年8月7日水曜日

昆虫大戦争

昆虫大戦争
1968年 松竹 84分
監督:二本松嘉端

秋山譲治は東京にある生物学研究所の昆虫学者南雲博士の依頼を受けて亜南群島で昆虫採集の仕事をしていたが、譲治が見つけて東京に送った虫は未発見の種類で、しかも恐るべき神経毒を持ち、人間を狂い死にさせる力を備えていた。その譲治の妻ゆかりは家計を助けるべく島のホテルで働いていたが、ホテルの親父はゆかりに懸想し、譲治は譲治で昆虫採集と称して妻から離れ、謎のブロンド美女アナベラと浜辺で日光浴などを楽しんでいる。すると上空にB52が現われて、昆虫の群れにまかれてエンジンを損ない、墜落していくのである。
アメリカ空軍は早速「折れた矢」作戦を発動してゴードン中佐が率いる調査隊を島に送るが、脱出した乗員は異様な傷をこしらえて息絶えており、唯一助かった黒人兵チャーリーは頭を打って意識を失っている。島の警察は空軍仕様の時計を持ち歩いていた譲治を殺人容疑で逮捕するが、譲治は自分は無実であると言い張るのであった。
譲治を救うために東京から南雲博士が到着し、乗員の死体を調べて虫の咬み傷であると指摘し、また意識を取り戻したチャーリーはうわ言の合間に虫に対する恐怖を訴えるが、任務の重責にしゃちほこ張ったゴードン中佐は譲治が犯人であると信じて譲ろうとしない。だが、いずれにしてもゴードン中佐の目的は失われた水爆の発見にあり、チャーリーを責め立てて墜落地点を調べていると、譲治は護送の途中で逃げ出してアナベラの家にかくまわれる。実はこのアナベラこそが謎の昆虫の生みの親で、ナチスドイツの強制収容所を生き延びた彼女は人類への憎悪に取り憑かれ、昆虫を使ってこれを滅ぼそうとたくらんでいたのである。
いや、それだけではないのである。ホテルの親父は実はコミュニストのスパイで部屋に無線機を隠していて、ゴードン中佐の鼻先から水爆を奪い取ろうとたくらんでいて、そのためにチャーリーは誘拐されてしまう。そしてこのコミュニストのスパイどもはアナベラと通じており、アナベラはチャーリーに告白を強いるために毒虫に咬ませ、そんなことをしたら死んでしまうのではないか、などと見ているこちらは心配するわけだけど、チャーリーは飛行機が水爆を積んでいたと告白して発狂する。
コミュニストどもはチャーリーにピストルを与えて解放し、ピストルを握ったチャーリーは島の診療所の女医を襲い、察するに狂っているからであろう、リボルバーから再装填なしで15発も発射する。チャーリーが狂った理由を探るために南雲博士は自分を虫に咬ませるという実験をおこない、その結果、感じやすい虫たちは核の脅威を感じ取って、核戦争が起こる前に人類を滅亡させようとたくらんでいたことが判明する。南雲博士が無事なのはすでに解毒剤を持っていたからで、そしてコミュニストどもは譲治を脅して水爆の在り処を見つけ出し、虫の脅威を知ったゴードン中佐は南雲博士をさらって島から逃れ、証拠を隠滅するために島ごと水爆を爆破しようとたくらむのであった。
ホテルが一つしかないような小さな島で、与太同然でコメディにしかならない状況や人物関係を扱いながら、核の脅威、東西対立の脅威、戦争の脅威など、メッセージを山ほども謳い上げ、最後には登場人物がほとんど全滅してしまうというシニカルな内容になっている。特殊効果の水準は総じて低いが、虫の群れなどは頑張っていた。


Tetsuya Sato

2013年8月6日火曜日

TAJOMARU

TAJOMARU
2009年 日本 131分
監督:中野裕之

室町時代末期、代々管領職にある畠山家の二男直光は大納言の娘阿古姫をいいなずけとしていたが、そこへ足利義政が現われて家督相続の条件として阿古姫との結婚を追加するので、長男信綱は直光の家来桜丸の入れ知恵を受けて阿古姫を押し倒し、直光は桜丸からの通報を受けて信綱の手から阿古姫を救うと若干の手勢とともに都から逃れ、途中、桜丸の手で家来を殺され、次いで現われた盗賊多襄丸と戦って失神し、失神しているあいだに多襄丸と阿古姫とのあいだに直光の誤解を招く何かが起こり、意識を取り戻したところで阿古姫が多襄丸に直光の殺害を要求するのを見て激しく困惑し、阿古姫が逃げ出した混乱をついて多襄丸を殺すと多襄丸を襲名して盗賊団の頭となるが、畠山家の二男直光が管領職を継ぐと訊いていぶかしみ、自宅に戻ってみると桜丸が直光を名乗り、その妻として阿古姫が現われ、そこへさらに京都所司代が現われ、関係者のほぼ全員が捕縛され、所司代における吟味によって桜丸の悪事が暴かれるが、そこへ足利義政がやって来て状況をひっくり返し、阿古姫は地獄谷へ送られ、阿古姫の自分に対する愛を知った直光は盗賊の仲間とともに所司代から逃れて地獄谷へ急ぎ、阿古姫を救って桜丸と対決する。
なんだかごちゃごちゃしているのである。
『RED SHADOW』のころに比べると演出はかなり進化しているし、ところどころに野心的な要素が見え隠れするものの、ダイアログに失策が目立ち、構成を欠く。演技をつけられないのであれば、もう子供は使わないほうがいいと思う。


Tetsuya Sato

2013年8月5日月曜日

GOEMON

GOEMON
2009年 日本 128分
監督:紀里谷和明

16世紀末。太閤秀吉が日本に君臨していたころ、大泥棒を自称する石川五右衛門はとある箱を手に入れたことから石田光成の手の者に追われることになるが、その箱から地図を見つけた五右衛門は密書を発見して本能寺の変の背後に秀吉と家光の密約があったことを知り、その密書は服部半蔵の手を経て徳川家康に渡り、家康はそれを茶々に見せて秀吉暗殺をそそのかし、秀吉が朝鮮侵攻の準備を整えて茶々とともに軍船に乗り込むと、茶々、五右衛門、霧隠才蔵、石田光成がそれぞれの事情で秀吉暗殺にかかり、秀吉が生き延びて霧隠才蔵を捕えると五右衛門が霧隠才蔵を救い、秀吉が霧隠才蔵の妻に手をかけ子を奪うと霧隠才蔵は五右衛門を罵り、子を救うために再び捕えられて処刑され、それを見た五右衛門は城に乗り込んで秀吉の手勢と戦い、秀吉を殺して茶々を救い出し、さらに関ヶ原の合戦に乗り込んで石田光成を倒し、徳川家康も倒そうとしたところで失敗する。
なんだかごちゃごちゃしているのである。
『CASSHERN』のころに比べるとかなり進歩しているし、ダイアログはおおむね自然に感じられたが、表現と説明を混同している。そして視覚デザインは表現でも説明でもなく、単なるデザインで終わっているため、奇異には見えても、そこにあるようには見えてこない。


Tetsuya Sato

2013年8月4日日曜日

CASSHERN

CASSHERN
2004年 日本 141分
監督:紀里谷和明

50年にわたる戦争が終わり、亜細亜連邦はユーラシア大陸に支配権を確立したが、極端な民族政策を実行した結果、周辺各地で少数民族がテロリストと化し、云々というナレーションが流れ、戦争による汚染のせいで奇形や奇病がはびこり、その状況から国民を救い出すためにはなんとしても新造細胞の研究が必要云々という寺尾聰扮する科学者の長い長い説明が続き、陸軍所管の研究所でその研究が始まると、寺尾聰の息子の伊勢谷友介は父親に反発して軍隊へ飛び込み、民族紛争に巻き込まれて戦死を遂げ、研究所ではばらばらの人体パーツが勝手にくっつきあって人間となり、その頭目の唐沢寿明は新造人間と名乗って人類との戦いを宣言する。一方、寺尾聰は死んだ息子を新造細胞の培養液につけ込んで蘇らせ、生き返った息子はプロテクターをつけてキャシャーンとなる。
内容のないダイアログ(時間稼ぎ?)、脈絡のない映像(未来派?)、学芸会のような芝居、そうしたものをつなぎあわせてできあがったのは上映時間が2時間半近くもあるひどく退屈な映画である。いったい、このバカどもはなぜ必要もないのに(そしてできもしないのに)プロットを作ろうなどと考えるのか。映像面も見たようなガジェットばかりで新味はないし、どこまでいっても全体のデザインが見えてこないのですべてが無駄に終わっている。なぜただのタツノコにできなかったのか?(間違ってガッチャマン2になってしまったとしても、まだましではなかったか?)


Tetsuya Sato

2013年8月3日土曜日

鴨川ホルモー

鴨川ホルモー
2008年 日本 113分
監督:本木克英

二浪して京都大学に入った安倍明は五月病でへこんでいるところで京都大学青竜会というサークルから誘いを受け、なんとなく新歓コンパに参加したところ、そこに現われた早良京子に言わばひとめぼれをして早良京子が青竜会に入るというのでそのまま入会したところ、この青竜会というのは京都産業大学玄武組、龍谷大学フェニックス、立命館大学白虎隊と並んで千年の伝統を持つホルモーをおこなう団体で、新入会員はまずオニ語の特訓を受け、吉田神社で儀式をおこなうとついにオニが見えるようになるので、このオニをあやつって立命館大学白虎隊が率いるオニと戦ったところ、安倍明の友人高村幸一の立ち往生で惨敗、このせいで安倍明は同じく新入会員でいささか粗暴だが主戦力である芦屋満との関係を悪化させ、早良京子と芦屋満が恋愛関係にあることを知っていよいよ芦屋満への敵意をつのらせ、ただ青竜会は事実上退会できないような事情があることから規約17条を盾にチームの分割を試みたところ京都上空に暗雲が漂い、神々がお怒りになっている、ということで安倍明のチームと芦屋満のチームが神々の怒りをなだめるためにホルモーをおこなう。 
例によって、ということになるが、カメラワークが雑で絵が説明以上のものではない、というのが気になった。加えて恋愛にかかわる部分で微妙に長さを感じたが、それでも演出は安定しているし、学生の生態がいかにもそれらしく描かれているし、生活の細部の描写が楽しいし、京都という背景を余さずに使っているし、ホルモーもなかなかにばかばかしいし、ということでこれは拾い物であった。 


Tetsuya Sato

2013年8月2日金曜日

月に囚われた男

月に囚われた男
Moon
2009年 イギリス 97分
監督:ダンカン・ジョーンズ

月の裏側に置かれたエネルギー採掘基地で働くたったひとりの男が三年契約の終了を二週間後に控え、地球へ帰るのを楽しみしていると作業車の運転中に幻覚を見て事故にあい、ベッドで目覚めた男が基地の外へ出かけていくと擱座した作業車のなかで負傷した男を発見し、それが自分とそっくりであることに気づいて驚愕し、どうやら自分たちはクローンであるらしいと疑って調べていくと基地の地下には自分と同じ姿のクローンがやまほどもしまわれていて、採掘企業を保有する企業はそのひとりひとりを起こしては三年間で償却するということを繰り返していることが判明する。
アイデアは古典に属するし、映画自体も小品ではあるが、良心的な作りが好ましい。サム・ロックウェルのひとり二役は見ごたえがあり、いまどきは珍しいミニチュアワークがなかなかに楽しい。

Tetsuya Sato