2013年7月5日金曜日

ソラリス

ソラリス
Solaris
2002年  アメリカ 99分
監督・脚本:スティーヴン・ソダーバーグ

クリスとレイアは列車の中で出会って恋に落ち、やがて結婚してともに暮らすようになる。二人は理想のカップルであったが、幸福の日々はそう長くは続かない。レイアは情緒が不安定で世界を拒絶する傾向があり、やがてクリスの前でも心を閉ざすようになる。クリスはレイアの心を開こうと努めるものの、そのレイアが二人の間の子供を独断で中絶していたことを知って激昂し、必死で引き止めるレイアを残して遂に家を出てしまう。しばらくしてから思い直して帰宅すると、レイアはすでに自らの命を絶っていた。クリスは心に傷を負い、それからいくらかの時が過ぎた。クリスの前に死んだ妻と同じ姿の女が現われてレイアと名乗る。不思議なことに妻の記憶までも備えている。クリスはこれを贖罪の機会であると考え、新しいレイアに愛を注ぐ。だがクリスの前に現われたのは、本物のレイアではなかった。だから女はクリスを詰り、あなたは自分の記憶を愛しているだけだ、と告げて悲しみのうちに立ち去っていく。そして残されたクリスは失ったものを前にして初めて自分の心に知り、これもまた悲しみのうちに女の後を追うのであった。
というような話なので、舞台になるは冬のマンハッタンでも春先のボストンでも真夏のニューオーリンズでも午後のサンディエゴでもよかった筈なのである。それなのに惑星ソラリス上空を選んでしまったのは、この映画の最大の瑕疵であろう。
映画を見る限りではソダーバーグが何を企んだのかは今ひとつ定かではないが、レムの原作にはまったくと言っていいほど関心がない。据えっぱなしのカメラによる単純でアーティフィシャルなショットの連続、手持ちカメラ、くすんだ色彩、乏しい音源で構成したひどく粗悪な効果音(素人くささを気取ったような「同時録音」を含む)、うんざりするような音楽、そして女優のエキセントリックな美貌(気のせいか、個別の造作がアヌーク・エーメを思い出させる)、などから推定すると、アラン・レネ、ルイ・マル、ゴダールあたりを適当に放り込んで、話の方にはルルーシュも入れて、水をべしゃべしゃ降らせて取り敢えずタルコフスキーへの敬意も忘れない、というような感じで60年代ヨーロッパ系芸術映画をなんとなく自分なりにまとめてみました、だからベルイマンは入ってませんけど、でもよく見てください、最後の方はちょっとキューブリックも入ってます、というようなことなのではないだろうか。その主役をジョージ・クルーニーが大真面目な顔でやっていたりするので、かなり趣味の悪い冗談映画なのではあるまいか、という気もしないでもない。なぜ映画化しようなどと考えたのか? 

Tetsuya Sato