2013年5月13日月曜日

ロスト・イン・トランスレーション

ロスト・イン・トランスレーション
Lost In Translation
2003年 アメリカ 104分
監督・脚本:ソフィア・コッポラ

アメリカの中年俳優がサントリーのCM撮影のために東京を訪れ、なぜか倦怠している。いっぽう同じホテルでは夫のカメラマンに同行してきた大学を出たばかりの若妻が、なぜか倦怠している。この2人はうっかりフリーツアーに申し込んだものの、現地では何もかもに違和感を感じて立ち往生し、そのままホテルのバーに缶詰め状態になってふてくされている間抜けなツアー客のような状態でこの退屈な映画の前半を過ごし(つまり観客にもこの気持ちをつきあえ、ということであろう)、中盤、なんとなく2人でつるんで出かけるようになると、いきなり日本人の友達などが出現し、クラブのようなところで騒いだり、カラオケボックスで歌ったり、などするものの、やっぱり倦怠しているのである。若妻シャーロットのほうは察するに夫が若はげなのが気に入らなくて、毛生え薬などを使っているのが我慢ならないのであろう。中年俳優ボブ・ハリスのほうは、これは最後までよくわからない。中年の危機とか何かなのかもしれないが、よくわからない(よく見ていなかったわたしがいけないのだと思う)。
全編にわたって冴えないダイアログ、連続性の乏しい撮影と編集(都内のロケ地が変、とか、つながっていない、というのではなく、カットが変わると橋や車が消えてしまう。ところでファックスはいったいあの部屋にあったのかなかったのか)、ばかばかしい内容、という具合で、しかもビル・マーレーには魅力がなく、スカーレット・ヨハンソンは顔が監督によく似ている。主役の2人を取り囲んでいる漢字の山がまるで疎外感を惹起しているかのようなことになっているけれど、こういうタイプの人たちだったらパリでもローマでも同じことになるであろう。わざわざ東京でやる必要はない。悪い意味でサンダンス映画祭向き。実は開巻、スカーレット・ヨハンソンのアンニュイな下着姿が映ったところですでに反発していたのである。




Tetsuya Sato