2013年3月3日日曜日

悲愁

悲愁
Fedora
1978年 フランス/西ドイツ 115分
監督:ビリー・ワイルダー

破産寸前の独立系プロデューサーが引退した超大物女優フェドーラを探してギリシアのコルフ島にやって来る。ところがフェドーラは小島のヴィラで事実上の監禁状態に置かれていて、怪しい人物がいるので会うことができない。そこをハリウッド流の強引さで押し切ってなんとか面会に漕ぎ着けると、前に現われるのは六十七歳の老婆ではなくて、三十年前と同じ姿をしたフェドーラなのである。
プロデューサーがウィリアム・ホールデン、フェドーラがマルト・ケラー、謎めいた伯爵夫人がヒルデガルド・ネフ、美容整形医がホセ・ファーラー、ほかにヘンリー・フォンダとマイケル・ヨークがそれぞれ本人の役で出演している。
サスペンス演出にはそれなりの冴えが見えるが、構成に危うさがあって、そのせいで微妙に収まりが悪い。回想に多くを頼りすぎたせいかもしれないし、回想への頼り方が正直すぎたせいかもしれない。コルフ島からフランスまで、空間を広げる必要があったのか。見ているとあちらこちらにほころびがあって、撮影もところどころ雑に見えるし、音楽の使い方もうまくない。失点が目立つ映画だが、そのなかでも最大の失点はフェドーラを演じたマルト・ケラーであろう。公開当時にもしばしば言われたことで、どうしても往年の大女優の風格はない。とはいえ、そうなってしまったのは別にマルト・ケラーのせいではなくて、製作の時点で女優の性格がすでに変わっていたせいかもしれない。つまり、この映画がもし二十五年早く作られていたら、傑作になっていたかもしれないということである。結果としては大女優の不在を逆説的に証明している映画であり、その点を劇中の会話と重ね合わせると、確信犯でやっているのか、という気もしないでもない(だいたい、そうでなければ相手役にマイケル・ヨークという退屈な選択をいったいどこから持ち出してくるのか)。



Tetsuya Sato