2013年1月23日水曜日

伊坂幸太郎『PK』

 表題作の『PK』はサッカーワールドカップのアジア予選におけるロスタイム中のPKを中心に話が進む。もちろん双方が無得点という状況だが、サッカー小説というわけではない。ゴールの前に立つ選手に続いて現われるのは奇妙なしかたで子供のしつけをしている父親であり、さらに続いて現われるのは政治的な岐路に立たされている政治家であり、あるいは居酒屋で会話をしている男女であり、あるいは選手自身の少年時代の姿である。
 その一つひとつは異なる時間軸の上にあり、奇妙なしかたで子供のしつけをしていた父親はどうやら政治家の父親で、政治家はPKから十年後の世界に立って、十年前にPKをした選手の挙動を気にしている。選手の挙動にはなにやら不可解な点があり、それが次の行動とどうにも結びつかないことを気にしている。そしてその謎が解明できれば、自分の問題も判断がつくのではないかと期待している。この政治家と秘書官の会話が面白い。
 そして謎がさまざまな憶測を呼び、つらなるテキストの異なる時間軸を渡り歩きながら、次第にあきらかになってくるのは個人の判断をはばむ理不尽な力の存在であり、それに対抗する個人の意志の存在である。自由な個人と対立する抽象化された圧力は伊坂氏の作品に通底するものであろう。
 二編目の『超人』は特徴的なテキストの構成と人物関係から『PK』の姉妹編として読むことができるが、超能力の話である。一種の予知能力を与えられた若者が未来に殺人を犯す人物を殺人を犯す前に殺していく。作中でスティーブン・キングの『デッドゾーン』について触れる箇所があるが、していることは言わば個人版の『マイノリティ・リポート』というところであろう。しかしフィリップ・K・ディックが描く予知能力者とは異なり、ここでは未来はサッカーの試合結果を知らせるメルマガで届く。この作品で自由な個人と対決するのは大いなる理不尽ではなく、正義のころもをまとった自由な個人自身であり、まさしく正義のころもをまとった世に言うところの「超人」が若者を助けるために登場する。超人の超越的な美しさは『PK』の超越的で正体の知れない理不尽さと対照的で、並んだ二編におけるこの対比は興味深い。
 三編目の『密使』は時間を主題にした言わばSFであり、未来を改善するために過去を改変しようとする謎の組織が登場する。量子論をまじえた並行宇宙の説明がなかなかの説得力で、時間蟻、時間スリといったアイデアが面白く使われているが、それよりも面白いのはいわゆるSF的な素材が伊坂氏の作品世界に完全に回収されているところであろう。作品のスタイルにおける強度が見えて、これはうれしい驚きであった。
(週刊現代 2012/3/31号)


Tetsuya Sato