2012年12月3日月曜日

アメリカン・ビューティ

アメリカン・ビューティ
American Beauty
1999年 アメリカ 122分
監督:サム・メンデス

傑作である。いわゆる家庭崩壊の話ではない。開巻、すでに家庭は崩壊している。その先の話なのである。ケヴィン・スペイシー扮するレスター・バーナムは向上心に満ちた妻から黙殺され、さらに娘からは軽視され、14年続けてきた仕事も失いつつある。家にあるのはもっぱら妻の秩序であり自分の居場所はどこにもなく、寝室も同じベッドを分けているだけで性的関係が損なわれてから久しい。だが男としてのリビドーは備えている。だから起き抜けにシャワーを浴びながら一発抜くのだ。この場面のケヴィン・スペイシーの演技はまったく疑問を感じさせないほど日常的で、素晴らしい。
行き場を失ったこの亭主はどうやら自覚的に壊れることにして、中産階級の伝統的な使命である義務と責任を放棄して20年逆戻りする。会社を恫喝して退職金をせしめ、その金で隣家の伜からマリファナを買い、あこがれの車ファイアバードを手に入れる。そして自分の場所を宣言するために、この車をガレージの入り口に安置する。このファイアバードは妻の向上心のいわば妥協的な象徴である小ベンツをガレージから締め出すための手段である。したがって映画が終わるまで、ファイアバードは1ミリもその場を動かない。そして本人はようやくせしめた自分の場所にこもって肉体を鍛練し、昼間はハンバーガー屋でハンバーグを焼く。この場面のケヴィン・スペイシーの演技は一切の責任から解放された中年男の無心を感じさせ、素晴らしい。
亭主は娘ジェーンの友人アンジェラ・ヘイズに懸想している。懸想して、その若い肉体に思いを馳せた瞬間に、どうやらどこかで抑制が外れたようである。早速娘の部屋に忍び込んで手帳を盗み見て、電話番号を調べて衝動的に電話する。もちろん一言も言葉は出ないがダイアル表示で犯行は瞬時にばれ、娘の軽蔑をさらに買うことになる。一方、アンジェラは普段から豊富な性的体験をジェーンに語り、さらにジェーンの父親レスター・バーナムを性的対象として臭わせる。亭主レスター・バーナムが筋肉について考え始めたのはそもそもこの会話を盗み聞きしたからであった。というわけでレスター・バーナムの人生における最後の晩、彼は身につけた筋肉を少女に誇示する機会を見つけ、少女は期待どおりの反応を示す。だが亭主が少女の服を脱がそうとした時、性的経験を誇っていた当の少女が実は処女であったことを本人の口から知らされる。だから優しくしてほしい。そう言われて、主人公レスター・バーナムは至福を味わうのである。汚れていた筈の存在は実は無垢であり、その無垢な存在は自分の前に身を投げ出している。壊れた家に住むこの壊れた男はその瞬間、夢に描いていた美が実在のものであることを知り、そして幸せなまま、死ぬ。両隣を含めて人物関係が実によくデザインされており、時に舞台演出を思わせる場面の構成にはまったく無駄がない。




Tetsuya Sato