2012年11月5日月曜日

グラディエーター

グラディエーター
Gladiator
2000年 アメリカ 155分
監督:リドリー・スコット

冒頭のゲルマニアでの戦闘シーンは素晴らしい出来栄えである。まず森の木が伐り払われている。ローマ軍の陣地は実にしっかりと構築されていて、カタパルトまで登場する。そして戦闘が始まると、これがいかにもローマ的な近代戦なのである。頭の中でこれだよ、これ、と呟きながら感心していた。純然たる戦闘シーンはこれだけで、以降はすべて闘技場での戦いになるが、いずれの場面も目の保養になる仕上がりである(なにしろペルシア風の鎌まで備えた戦車が何台も登場して派手にひっくり返る)。
問題があるとすればそれ以外の部分だ。ドラマ部分はないも同然で、人物造形はすこぶる浅い。というよりも確信犯でそうしているように見えるところがある。敵役のコモンドゥス帝は間違いなく小者であったし、例によって元老院がどうしたこうしたという話も出てはくるけれど、コモンドゥス帝時代の元老院が事実としてそうであったように話以上のことは何もない。共和制ローマでは闘技場が寒いし、今更カリギュラやネロはしたくない、ティベリウスではローマの話にしにくいし、クラウディウスは死にかけている、ハドリアヌスは扱いにくいで前から順番に消去法で消していって、それで残ったのがコモンドゥスで、いや、こいつなら闘技場マニアでうってつけだ、ということで最初から話はどうでもよかったのではあるまいか。実際、映画のコモンドゥスにはちょっぴりカリギュラの味付けがされている。そう思うとローマそのものがひどく妙なのも納得がいくのである。この映画に登場するローマは歴史的な考証の結果としてのローマではなく、リドリー・スコットがかっこいいと思ったローマなのではなかろうか。佐藤亜紀の指摘によれば、登場人物が着ている衣装は18世紀あたりのローマ史劇の衣装に酷似しているという。実際、わたしもコモンドゥスがタイを18世紀風に巻いているのを見てちょっと不思議に思った(で、これがまたかっこよかった)。ローマ軍兵士の服装もかなり演出されていたようで、本当ならばもう少し貧乏臭かった筈なのである。CGで作り上げられた美しいローマの風景はもちろん一見の価値のあるものだが、このローマはローマ大賞のローマに見える。つまり18世紀から19世紀にかけてエコール・ド・ボザールで展示されたローマの復元絵画によく似ているのである。
どうもかなりの居直りがあるようで、だから地理的な説明も大幅に手を抜いている。マクシムスがゲルマニアのローマ軍陣営から逃れて自宅に走るという場面があるけれど、描写を見る限りでは山を二つ三つ越えているくらいにしか見えない。ところが史実どおりに捉えると出発点はウィーンだった筈であり、後の説明から判断する限りでは将軍の家はスペインにあったようなのである。いったい直線距離で何キロあるんだ? しかもこの家のある土地というのが現在のトスカーナ地方そっくりに見える上に、続いて奴隷になっている場面では北アフリカそっくりの光景が展開する。見ているこちらはウィーンからトスカーナに移動して、それがどうして今はリビアにいるんだと大混乱を起こすことになるわけだが、後ほどの字幕による説明でリビアに見えた場面は実は南スペインであったと判明することになる。というわけで多少の不満はあるわけだが、余計な部分は気にしないことにしてかっこいいローマでかっこいい闘技場の話をしたい、という目論見はよくわかるのである。だったらいっそ、宮廷の場面や元老院の場面ははしょってくれてもよかったのではないかと思うのだが、やはりそうはいかないのであろう。そうはいかないから話を作ろうとするのだが、その話がうまく立ち上がらない。聖書ネタを避けようとすれば、ローマという題材は自動的にモダンへと走り込むことになる。うっかりするとウォール街の株屋の話とさして変わらなくなる。実際、『グラディエーター』はどこかのフットボール・チームの話に置き換えてもそのまま通用する筈だ。全然エキゾチックにならないのである。やはり『ガリア戦記』あたりを題材にもってきて、主人公をローマ人以外にした方が話の展開が楽になるのではあるまいか。





Tetsuya Sato