2012年10月26日金曜日

グラインドハウス

グラインドハウス
Grindhouse
2007年 アメリカ 191分
監督:ロバート・ロドリゲス、クエンティン・タランティーノほか

まず『マチェーテ』の予告編。メキシコ人労働者が罠にはめられ、九死に一生を得て復活すると復讐を求めて大暴れする、という映画らしい。主演はロドリゲス映画の常連ダニー・トレホ。ミニガン搭載バイクにまたがってジャンプしていた。それから「本編です」というお知らせが入り、『プラネット・テラー』。
化学兵器だか生物兵器だかがばら撒かれ、住民が怪物化してひとを襲い、生き残った人々が武器を手にして血路を開く、というよくある話をロバート・ロドリゲスが無数のガジェットで飾り立てている。ばら撒く軍人がブルース・ウィリス、戦うゴーゴーガールがローズ・マッゴーワン。右足アサルトライフル(グレーネードランチャー付き)というのは面白いけれど少々アイデア倒れであろう。
続いて予告編が三つ。ロブ・ゾンビ担当の『ナチ親衛隊の狼女』はタイトルどおりで、ナチが秘密実験で狼女を作っていて、雰囲気は70年代の収容所系ポルノそのまんま、お約束どおりにウド・キアがいつもの調子で顔を出し、シビル・ダニングまで登場するという徹底ぶりである。ニコラス・ケイジのフー・マンチューは笑えた。『ショーン・オブ・ザ・デッド』のエドガー・ライトが担当した『Don't/ドント』は60年代心霊ホラーの雰囲気で、三人の男女が怪しい屋敷を訪れ、それをしたり、あれをしたり、するので、それをするな、あれをするな、とナレーションがしつこく警告する。全体を通してここが一番ひねりがあった。イーライ・ロスが担当した『感謝祭』はいわゆるゴア・ムービーのストレートな再現である。ついでに劇場の隣にあるレストランのわびしいCMが挿入され、本編二本目がクエンティン・タランティーノの『デス・プルーフ』で、スタントカーを使って女性を激突死させる変態男が田舎道で70年型ダッジ・チャレンジャーを襲ったら、乗っていたのが本物のスタントウーマンで、反撃された上に車をつぶされ、引きずりおろされて袋にされる。仕返しされて泣きながら謝る変態男がカート・ラッセル、スタントウーマンが本人役のゾーイ・ベル。
『プラネット・テラー』はまじめに作られた三流映画であり、『デス・プルーフ』はふつうに作られたタランティーノの映画であり、このずれは出発点の違いであろう。架空の映画の予告編がついたB級映画二本立て、という趣向はスタンリー・ドーネンの『ブルックリン物語』を思い出させるが、スタンリー・ドーネンがそれなりに高いところからもっぱら懐古していたのに対し、こちらは相変わらずの泥遊びのように低いところに肩まで浸かって、反省も退屈もしている気配がまったくない。『グラインドハウス』というタイトルで一個の作品にくくられているわけでもなく、グラインドハウスという『劣悪な』上映環境自体を復元することに主眼が置かれ(だから、ということなのか、どちらの映画も一巻ずつ欠けている)、それはそれでまったく無価値であるとは思えないが、その結果としての二本立ては愚直なまでに文字通りの二本立てであって、そこから差異を見出す目論見もない。視線がとにかく低いのである。ロバート・ロドリゲスの子供じみた茶目っ気は嫌いではないし、タランティーノも本人の出過ぎを除けば、作品自体には迫力があった。そしてわたしは自分でしばしばそうするように今回も低い視線で楽しんだものの、こんなに低いところで口を開けて喜んでいて、本当にそれでいいのか、という気持ちは終始どこかで感じていた。






Tetsuya Sato