2012年10月20日土曜日

パリの胃袋

エミール・ゾラ『パリの胃袋』(朝比奈弘治訳、藤原書店)

青年フロランは弟を養うために学業を捨てて教師となって働いていたが、ナポレオン三世のクーデターの際に無実の罪で逮捕されて仏領ギニアへ流される。それから7年、悪魔島からの脱出を果たしたフロランは困難を乗り越えてフランスへ戻り、行き倒れ同然の有様となってパリ中央市場に辿り着く。だが暮らしていた家はすでになく、弟は叔父のシャルキュトリを受け継いで総菜屋として成功していた上に、結婚してこどもまでもうけていた。弟は兄の帰還を喜んで進んで家へ迎え入れるが、近所でも評判の美人妻リザにはこれが面白くない。フロランが痩せこけていて陰気だったからであり、対するリザはこれみよがしに脂が乗っていて、どこもかしこもむっちりとしていた。やがてフロランは中央市場に職を得るが、かつてのリベラル仲間と旧交を温めていくうちに社会主義の理想に目覚め、カフェの奥にあった小さくて崇高なサークルを恐るべき革命計画へと導いていく、といったような展開になっているが、登場人物に注がれていた語り手の視点がわずかでもずれると、視界に飛び込んでくるのは食物の山また山という仕掛けになっていて、つまり主役はあくまでもパリの中央市場なのである。
取材をベースにした濃密な再現描写をこの奇妙に移り気な視線が物語にうまく融合させていて、下手にやればただ浮き上がるだけのものに対して現実的な色彩を与えることに成功している。早い話、市場の露台とはしばしば目を奪うものなのである。そういうカラフルな場所を禁欲的で痩せこけていて胃が弱いフロランがうろついていると、でっぷり太った美人の群れが肉を切ったり魚を切ったり野菜を並べたりしているという構図はかなりの悪意に満ちている。題名(原題は「パリの腹」)が示しているように主題はよく身についた脂であり、その脂を持つ者と持たない者との対立であり、劇中クロード・ランチエが断言しているように、それはデブとヤセの戦争なのである。絶対の平穏を体現して丸々と立つリザの迫力がすさまじい。


パリの胃袋 (ゾラ・セレクション)
Tetsuya Sato