2012年10月19日金曜日

ボヌール・デ・ダム百貨店

エミール・ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(伊藤桂子訳、論創社)

1864年の秋、貧しいドゥニーズ・ボーデュは着の身着のままの姿で弟二人を連れて叔父を頼ってパリへ出るが、叔父のラシャ店は経営がひどく傾いていて、まわりの伝統的な小商店も同様の状態で、それというのも目の前に巨大百貨店ボヌール・デ・ダムが出現したからであったが、そのようなわけで商店街はすでに破産の秒読みに入っていて、それでも断固として抵抗を試みる叔父の一家は暗い窓辺に並んで暗い目つきで百貨店をにらみ、もちろん叔父は演説をぶち、とはいえドゥニーズを雇う余裕はなかったので金髪をしたこの清楚な娘は向かいの百貨店に売り子の職を得るのであった。すると同僚の売り子はいじめてくるし、主任はただもう恐ろしいし、親切だと思っていた監視官(万引き対策の)には下心があるし、なけなしの蓄えは美貌の弟の小遣いに消えてしまうし、悲しいことばかりで泣かずに眠れる夜はない。
いつものゾラの小説ならば巨大資本に立ち向かった商店主が敗北の坂を絶望的に転がり落ちていくか、さもなければ巨大資本を糧に冒険を挑んだ百貨店のオーナーが仕入れにしくじって敗北の坂を絶望的に転がり落ちていくか、あるいはどちらでもいいけれど売り子になった娘が悲惨の坂を絶望的に転がり落ちていくか、そのあたりの展開を予想するのだけど、今回はランチエの一族がからんでいないせいなのか、約束どおりに商店街は全滅するものの未来の息吹をはらんだ百貨店は楽観的かつ壮大に広がり、ヒロインは幸福になるのである。で、一段組みとはいえ500ページを越える大部の、もしかしたら半分くらいが百貨店の店内のディスプレーと買い物の描写で占められている。察するに大量消費社会の出現というのは相当にショッキングなものだったのであろう。百貨店側は目玉商品にだけ採算割れの価格設定をしているし、消費者は迷路のような売り場の中で余計な商品を買わされているし、賢明な主婦は値下げ時を知っていてセール期間中でも買い控えている。そして賢明な主婦も賢明でない主婦もいわゆるプチブル階級に属しているけれど経済的にはそれほど豊かではなくて、ただむやみと消費行動を刺激されて何も用がなくても百貨店に引き寄せられているのである。百貨店そのものに関わる圧倒的な描写量は物語を脇に押しやっている。
おそらくゾラは小説ではなくてルポルタージュを書くべきだったのかもしれない。売り子という新しい職業を話の中心に据えたものの、展開に困って色恋に染め上げていかなければならなくなった模様である。というわけで泣き虫の田舎娘ドゥニーズは中盤から新しい世代の女性の象徴的な存在へ、天然自然のフーリエ主義者へと立ち位置を変えて速やかに尊敬と崇拝を獲得していく。もちろんそれでも面白いけど。

ボヌール・デ・ダム百貨店
Tetsuya Sato