2012年3月5日月曜日

西部戦線異状なし

西部戦線異状なし(1930)
All Quiet on The Western Front
監督:ルイス・マイルストン

第一次世界大戦が勃発し、招集された軍隊が町の中を行進し、市民はナショナリズムの高揚を味わっている。そして学校の教師は教室の生徒に対して軍に志願するように扇動し、扇動に乗った学生たちはやはりナショナリズムの高揚を味わって教科書を破壊し、歌を歌い、元気よく腕を振り上げて行進しながら教室を出る。志願を済ませた学生たちは支給された制服を抱えて兵舎に進み、そこで教官の軍曹に遭遇するが、これは郵便配達をしていた男で、そもそも崇敬の対象となっていなかった。軍曹は軍隊には階級というものがあると指摘し、階級に敬意を払えと要求するが、その一方、軍曹はこの新兵どもを教練でいじめて郵便配達時代のうっぷんを晴らす。それを怒った新兵どもは夜陰に乗じて復讐をおこない、戦場を目指して巣立っていく。
新兵たちは西部戦線に到着して中隊に配属され、まず空腹を味わい、次に鉄条網の敷設に使われ、塹壕に送られて神経を苛む重砲攻撃にさらされる。敵の突撃を機銃掃射でなぎ払い、味方の突撃は敵の機銃によって掃射される。仲間は戦死し、あるいは負傷し、数を減らしながら一年が経ち二年が経ち、ヘルメットの形状が変わり、制服はどこか粗悪になり、生き残った者は腹を減らして敗北を続け、休暇で帰郷してみても変わらずに高揚したままのナショナリストに出会うだけで面白いことは何もない。戦場の真実を語ろうとすれば卑怯者呼ばわりまでされるので、少なくとも戦場には嘘はないという自覚で帰郷を切り上げ、またしても戦友の死に遭遇し、自らもまた一匹の蝶に手を伸ばしたところで狙撃兵の弾に倒れる。
劇映画としての洗練された語り口はない。愚直なまでに真面目な造りの映画であり、しかし素材へのひたむきな執着によって凡庸さを乗り越えている。教室における教師の扇動、前線の兵営における兵士たちの野犬状態、野砲攻撃、機銃掃射、鉄条網、白兵戦、食糧の不足、水没した塹壕、野戦病院、銃後とのずれ、といった後々一般的になっていく戦争の諸様相を詰め込んでいて、その一つひとつには見ごたえがあり、とりわけ突撃の場面は描写がひどく無機質なだけに不気味さが際立っていた。とはいえ、話の舞台になっているのがドイツ軍で、だから運用面ではまだしもましな方だから悲惨さや滑稽さが多少は薄められているという気がしないでもないのである。ちなみにレマルクの原作はまだ読んだことがない。
なお第一次大戦の戦記文学というとアルプス戦線での体験をイタリア側から描いたエミリオ・ルッスの『戦場の一年』があるけれど、こちらは戦場の悲惨さというよりは、戦争の狂気そのまんま。将軍はあきらかにおかしいし(夜中に奇妙なことを叫びながら徘徊する)、その将軍にうんざりした将校団はろくでもないことを考えているし(将軍に戦死していただこうとする)、向こうから突撃してくるオーストリア軍はどうやら泥酔しているし(突撃が始まるとアルコールの臭いが漂ってくるのだという)、その点ではイタリア軍もあまり変わりがない(やっぱり飲んでいる)。笑うしかないような状況の連続だけど、突撃に先立ってそろって自殺する兵士が出るというくだりでは、読んでいるこちらもかなり応えた。




Tetsuya Sato