2012年2月5日日曜日

ポセイドン・アドベンチャー

ポセイドン・アドベンチャー(1972)
The Poseidon Adventure
監督:ロナルド・ニーム


ポール・ギャリコの同名の原作に基づく。地中海を航行中の大型客船「ポセイドン号」がクレタ島沖の地震で起こった津波に出会い、折からバラストに問題を抱えていたことが災いして転覆する。転覆と同時にブリッジにいた高級船員は全滅し、生き残った乗客の一部は脱出路を求めて上下逆転した船内を進んでいく。その先頭にはスコット牧師が立っていたが、これはいささか問題のある人物で、船上ミサでも神は多忙すぎて個人に心を向ける暇がないと断言し、したがって内なる神の言葉に耳を傾けよと明言し、そういう発言のせいで教区を追われてアフリカ某所へ転任していく途中であった。神に対しても教会に対してもどうやら怒りを感じていて、そのせいで恐れるものがあまりない。そういうひとを先頭に立てて進んでいったので余計に面倒に巻き込まれた、というのがたしかギャリコの原作であったが、映画のほうは「余計に」という肝心の部分が抜け落ちていて、そのせいで神との関係に逃げ場がなくなっている。つまり神に手出しをするなと命じて、それで終わっているのである。察するに信仰が揺らいでいた時期の映画なのであろう。








ポセイドン・アドベンチャー(2005)
The Poseidon Adventure
監督:ジョン・パッチ


こちらはテレビ映画。アラブ系のテロリストがポセイドン号の船底近くで爆弾を爆発させるので、ポセイドン号は流れ込んだ大量の海水によってメタセンター高さが狂い、復原力を失ってあっという間に転覆する。津波のせいでも海底地震のせいでもないのである。
作り手がモラルを見失って単なる遭難シミュレーションになってしまった 『ポセイドン』 に比べると、まだ登場人物がモラルのようなものを備えている分、いくらか広がりのようなものが見えはするものの、テロリストの動機も目的もよくわからず、わざわざテロリストのせいにする理由もわからない、という有様ならばやはり津波でひっくり返したほうがよかったのではあるまいか。
テレビの前後編ミニシリーズで上映時間が合計3時間もあり、だからボールルームに残った乗客の話であるとか、海難事故を知って救助に動く第五艦隊であるとか、そういうエピソードが大幅に追加されており、特に転覆した直後あたりはほぼ全員が役割どおりにてきぱきと動くので、中盤あたりの雰囲気は悪くない。ただ、結果としては3時間という枠があだになったようで、終盤、いきなりむちゃな展開になって時間稼ぎとしか思えないような間の抜けた台詞や状況が次から次へと場をふさぎ、見ているこちらを果てしなくいらいらとさせることになる。それにしてもメガシップというのはどこから見ても無様で不作法なしろものである。それと、ピーター・ウェラーは船長に全然見えなかったし、その名前がポール・ギャリコってどういうことだ?










ポセイドン(2006)
Poseidon
監督:ヴォルフガング・ペーターゼン


中南米のどこかからアメリカの東海岸を目指しているとおぼしき七万トンから十万トン程度の大型客船が大西洋上で唐突に襲いかかった津波にあおられてものの見事に転覆し、生き残った乗客が上下逆転した船内を脱出路を求めて船底を目指す。
1972年の『ポセイドン・アドベンチャー』のリメイクである。ただし状況は単純化されていて、なにがなんでも転覆するのだから、という理由でスタビライザーがどうの、バラストがどうの、という説明もいっさいはぶかれ、予告もなしに水平線を埋めて津波がやってくると、もう本当に無条件で転覆するのである。この思い切りのよさには感心した。それもただ転覆するのではなく、いったん復原したあと、爆発を起こしてまたひっくり返るという具合にていねいに転覆してくれるので、そのあたりのスペクタクル描写はかなりすごい(ただ、上下逆転という特異な状況はそれほど生かされていない)。そして壊滅的な被害をこうむった船内には72年版にはほとんど姿を見せなかった無残な死体がごろごろと転がるのである(KNBはレプリカをいっぱい作ってよい仕事をしていたと思う)。
しかしながら映画自体はそれほどほめられたものではない。出演者はリチャード・ドレイファスを除けば軽量級、人物は造形が乏しく、プロットについても中盤、脱出経路にバラストタンクが選択され、プレッシャーバルブの連鎖反応を引き起こした結果、状況がさらに悪化する、といった新しいアイデアも盛り込まれてはいるものの、展開には魅力よりも疑問を多く感じさせる。ヴォルフガング・ペーターゼンだからということになるのかもしれないが、凄惨な現場を見せ物にすることだけを目指したような妙に質実剛健とした悪趣味があり、98分というこのクラスの映画には珍しい短めの上映時間が、おそらく発想のB級ぶりを証明している。そしてその範囲では決して嫌いではないものの、やはりそれだけでは困るような気がしないでもない。あと、パーティのシーンでは、やっぱり「モーニング・アフター」を歌ってほしかった。





Tetsuya Sato