2012年1月18日水曜日

新宿アンデッド

『新宿アンデッド』(井村恭一+金波三平、ジョルダンブックス)


新宿という巨大なターミナル駅にはただそこを通り抜けるだけでは目につかないような別の世界が存在していて、途切れもしない雑踏の陰に隠れたその目立たない世界にはガイドを職業とする男、ポーターを職業をする男、仕事を仲介する男、伝言をする女、さらにそうした裏の世界の住人を利用する得体の知れない連中などがいて、そうした世界に属する一人、タッソと呼ばれるガイドは新宿駅西口でバスから降り立った微妙に怪しい一団を引率する仕事を引き受けるが、途中で妙な横槍が入ったことから突然の暴力に巻き込まれ、件の怪しい一団は制御を失って凶暴な正体をさらけ出し、つまりゾンビとしての正体をさらけ出してあたりを血の海に変え、そしてもちろんゾンビに噛まれた人間もゾンビになって人間に襲いかかるので新宿駅構内はまたたく間もなく地獄のような場所になり、パニックが起こり、出動してきた警察も機動隊もゾンビの波状攻撃の前では無力をさらし、タッソを含む生存者は生き残りをかけて脱出路を求め、駅構内をさまよい歩く。
背景になっているのは新宿駅という限定された空間で機能している一種の「裏社会」であり、それ自体は言わば非日常に近いものではあるが、作者はその非日常を一定の緊張を備えた日常として詳細に描き、ガイドのタッソをはじめとする豊富な視点を配して状況を多元的に描写しようと試みる。そこに現われるのは大上段にふりかぶった黙示録的な世界ではなく、肉薄する脅威にかかわる体験の集積であり、その強度を保証するために今度はテキストがゾンビに対して肉薄する。ここに登場するゾンビはありがちな記号ではなく、血と肉への渇望を備え、残留思念を脳のどこかにちらつかせながら生け贄に向かって跳躍し、突進する怪物である(つまり、いわゆるロメロ型ではなくて、系統的にはリメイク版『ドーン・オブ・ザ・デッド』などの疾走するゾンビに属している)。そしてこの怪物どもは背景などには決してとどまらずに積極的に前に出て人間を襲い、その執拗さによって余計なドラマを作る暇を与えない。素材に対してきわめて忠実なゾンビ小説だということになるだろう。




Tetsuya Sato