2012年1月5日木曜日

終わり続ける世界のなかで

『終わり続ける世界のなかで』粕谷知世(新潮社,2011/11/20)


語り手である岡島伊吹は1969年の生まれで、小学校の高学年のころ、テレビの番組でノストラダムスの予言を知り、1999年の7の月に世界が滅びるという話を真に受け、親友の中原瑞恵に引っ張られる形で世界を滅亡から救うために何をすべきかを考えることになり、中学に入ってクラスで疎外感を味わうと滅亡の情景を幻視し、親友の助けで疎外感から抜け出すと世界を救うために勉強に励み、進学校を受験して受かって国立大に進み、そこで世界救済委員会と名乗るサークルと出会い、世界救済員会によって予言に関する認識を正されたことで1999年に世界は滅びるという言わば盲信からは解放されるが、十代の重要な時期を言わば盲信によって過ごしたため、いきなり寿命を延長された世界にも自分にも対処できなくなり、どう生きるべきかを問いかけたところ、したいようにすればよいという答えを得て、以降、十代における空白を埋めるためにしたいように日々を送るが、やがてその生活は破綻を迎える。
凡庸で相対的な価値しか認められない人間が一種の狂信から必要に迫られて別種の狂信へと乗り換えていく背後ではベルリンの壁が崩壊し、バブル経済が破綻し、阪神大震災が起こり、どこからともなく新たな狂信が顔を出して地下鉄サリン事件を引き起こす。もはや電車に安心して乗ることはできなくなり、世界は混沌とし、足元は不確かで、心は安らぎから限りなく遠いところに置かれている。そしていたるところに悪がはびこるので、信仰は救済の手立てを失い、イエスはただの善いひととなり、神を認めるものはいなくなる。ここでひとはどう生きるのか、という根源的な問い掛けがおこなわれ、そこから始まる議論はプラトンの『国家』を思わせるが、そこにいるのは力を称揚するトラシュマコスだけであり、ダイモンの言葉に耳を傾けるソクラテスは登場しない。
よるべきものを得られない孤立した個人を現代世界から取り出して、その不安に満ちた心象を描き出した力作である。たくみな年代設定と、およそ20年にわたるタイムスパンを自在に扱う抑制されたテキストに感心した。孤独で荒んだ人間がそれぞれの内面を隠して機能的に配置され、その交わりが読者に十分すぎるほどの圧力を加えてくる。その有様は悲劇的で、ときには暴力的だが、幸いなことに作者はこの迷える魂に永劫を感じさせる力を与え、最後には安らぎへと導いていく。



Tetsuya Sato