2011年12月10日土曜日

バウンティ号の反乱 1935,1962,1984

18世紀末、英国海軍軍艦バウンティ号はタヒチ島に産するパンの木を西インド諸島へ移植するという実験的な任務を帯びて南太平洋へ赴くが、タヒチから出港した後、航海士フレッチャー・クリスチャンを中心とする反乱が起こり、艦長ウィリアム・ブライはボートで洋上に追放され、バウンティ号を奪ったクリスチャンはタヒチを目指す。ブライ艦長は定員超過のボートによる大胆不敵な冒険航海を経て生還を果たし、報告を受けた英国海軍は反乱討伐のためにフリゲート艦パンドラ号を派遣する。だがバウンティ号及びクリスチャン航海士を捕捉することはできなかった。バウンティ号の反乱者たちは絶海の孤島ピトケアンに逃れたとされている。
以上は映画のストーリーではなくて、おおむねのところの史実である。ちなみにバウンティ号は「戦艦」ではなくて砲4門を搭載した等級外の小型艦で、ウィリアム・ブライは正規艦長(Post Captain)ではなくて艦長名簿に載っていない海尉艦長(Commanding Lieutenant)であり、陰険な初老の男ではなくて半額休職給から抜け出してきたばかりの33歳の青年である。




戦艦バウンティ号の反乱(1935)
Mutiny on the Bounty
監督:フランク・ロイド
自由を渇望する反乱の首謀者フレッチャー・クリスチャンがクラーク・ゲイブル、陰険な初老の男ブライ艦長がチャールズ・ロートン。このブライ艦長は初めから悪役として作られているし、対するクリスチャン航海士の方は驚いたことに最初から反乱を企んでいるように見える。時間を節約するためかもしれないが、準士官に過ぎない航海士が艦長に対してまるで敬意を払っていない、それどころか対等者のように振舞っているというのはやはり妙に見えるし、解釈の仕方によっては開巻からわずか30分で二度反乱を起こしていると言えなくもなくて、いや、製作当時のアメリカ海軍だって、あんな無礼は許されなかったであろう。対立関係が極端に単純化されたせいで、この映画のバウンティ号はそもそもの最初から軍艦に見えなくなってしまっている。ブライ艦長の根拠のない暴虐はほとんどナンセンスの粋に踏み込んでいるため、反乱に至るまでの前半はまるでコメディである。対するクリスチャンはまったく抑圧を欠いたままブライの行動に反応しているだけで、つまるところこの映画における「反乱」とは、漫才のコンビが途中でコンビを解消しているという以上の意味はない。掘り下げの浅い話を思いつきの演出でつなげただけの締りの乏しい映画であった。クラーク・ゲイブルの半裸姿を見せるための企画であろう。
戦艦バウンティン号の叛乱 [DVD]




戦艦バウンティ(1962)
Mutiny on the Bounty
監督:ルイス・マイルストーン、キャロル・リード
ロンドンに焦がれる反乱の首謀者フレッチャー・クリスチャンがマーロン・ブランド、偏屈な老人のブライ艦長がトレバー・ハワード。この映画のクリスチャンは航海士と言いながら下士官ではなくて先任士官ということになっていて、だから海尉艦長のブライとは任官順位の違いがあるだけで階級的には同格ということになる。その上、貴族のご婦人を連れて馬車を仕立てて乗り込んでくる伊達者という設定で、つまりブライよりも金持ちでブライよりも縁故に恵まれていて、だから不器用で無骨者然としたブライに対して最初から舐めた口をきいているのである。はっきり言って部下に迎えたいタイプではない。そういうクリスチャンなのでまるで最初から反乱を企んでいるように見えても、実はただ艦長を軽んじていただけという説明が可能になる。逆に前半をそうとでも説明しておかないと映画が後半に入ってからの行動が説明できない。つまり水夫のひとり(リチャード・ハリス)が反乱の指揮を取らせようとしてクリスチャンを煽り始めると、クリスチャンの方ではなぜかいきなり悩み深くなって、遂に反乱に突入するまで悶々と苦悩するのである。そういう慎重さを備えた人間には見えなかったので、こちらは性格の激変に驚くことになる。しかし、最初から反乱を企んでいたのはクリスチャンではなくて実はリチャード・ハリスの水夫だったということになると、前半でのクリスチャン航海士の役割はまったくなくなってしまって、結局マーロン・ブランドはイギリスでもタヒチでもご婦人方に流し目をくれていただけ、ということになってしまうのかもしれない。イースター島の石像みたいに頬の長い男がちらちらちらちらとうるさく流し目をするので、いちど気になるとものすごく気になるのである。それにしてもこの3時間15分は長い。




バウンティ/愛と反乱の航海(1984)
the Bounty
監督:ロジャー・ドナルドソン
反乱の首謀者フレッチャー・クリスチャンがメル・ギブソン、ブライ艦長がアンソニー・ホプキンス。どちらについてもこれまでで一番若い配役である(事件当時クリスチャンは23歳)。この二人がすでに航海を共にした経験をもつという事実も採用されていて、そのせいで航海長のフライヤーが冷遇されていたというエピソードも織り込まれている。登場人物は常識的に等身大に描かれているし、タヒチへの航海もいたって普通に描写されていて全体的にリアルな内容だと思うのだが、「バウンティ」物としてはなぜかいちばん評判が悪い。察するに悪役としてのブライがまったく明示されていないというあたりに、そしてクリスチャンもまた善玉ではなくて衝動的なエゴイストのように描かれているというあたりに問題があるのかもしれない。とはいえ悪役ブライがいなければクリスチャンは反乱を起こせないという決まりも無残なように思えてならない。ひどくくたびれてたどり着いた場所が南海の楽園で、しかも子供まで出来てしまったから帰りたくない、というのは反乱を起こすのに十分な理由になるような気がするのだけれど、これはわたしがさぼりたい人間だからかもしれない。
この作品の場合、それよりも気になるのはブライの別方面における人物造形であろう。この映画ではブライを戯画化された暴君として描くのではなく、清教徒的な自己規定の持ち主で、まっとうな家庭人であり、野心を携えた軍人であり、名誉欲も備えていて、名誉の実現のためには部下にも自分と同様の禁欲を強いる、という、普通の職業軍人として描いている。いや、そう描くからこそ、なぜ失敗したのかという関心を抱くことができるのである。そしてどうやらその理由を説明するために、ブライ艦長がクリスチャン航海士を見つめる視線に同性愛的な色彩を加えているのである。少なくともわたしにはそう見えたのである。そこへもってきてフライヤーを演ずるダニエル・デイ・リュイスが怪しい雰囲気で目配せをしたりするものだから、ますますそういう解釈なのかという気がしてくる。実際、そう説明するとすっきりする部分もあるのだが、嫉妬に口を開いたブライ艦長といった描写の仕方がどうも唐突で戸惑うところが多いようだ。3本目に見る「バウンティ」物としては悪くないかもしれないけれど、いきなりこれを見たら首をひねることになるかもしれない。なお、軍法会議の場面ではローレンス・オリビエとエドワード・フォックスが、バウンティ号の粗暴な水夫の役でリーアム・ニーソンが顔を出している。
バウンティ~愛と反乱の航海 [VHS]





Tetsuya Sato