2011年10月12日水曜日

W.G.ゼーバルト『アウステルリッツ』

特異な触感にあふれた小説である。
一人称の語り手の前にアウステルリッツという名の人物が現われ、まず最初のアントワープにおける出会い(1967年)では近代建築の造形についての解釈を語り、次のロンドンにおける邂逅(1996年)では成長期の環境とその風景について語り、その後は自身の出生について語り始める。テクストは途中に三回ほどの行空けがあることを除けば改行は一切なく、アウステルリッツの告白は地の文に展開されて、センテンスの途中に挿入される「とアウステルリッツは語った」で指示される間接話法で記述されている。
形式的にはトマス・ベルンハルトの「とわたしは思った」によく似ているが、ベルンハルトの語り手が「わたし」から決して離れないのに対し、『アウステルリッツ』における「わたし」はアウステルリッツの告白の媒介者としてもっぱら機能する。実際、本文の大半はアウステルリッツの告白に属しており、そうした分量的なバランスから言えば一見したところ語り手の積極的な価値は理解しにくいが、この仲介者の存在によって読者はアウステルリッツのモノローグから思い出したように引き離され、アウステルリッツとその文脈は語り手自身が描き出す心象風景にはめ込まれて対象化される。そして特徴的なのは言及された風景や心象などに関わる写真や図版が頻繁に挿入されていることで、忽然として現われるこうした異物はページの一角を占拠して(ときには見開きを占領して)テクストの流れを阻み、テクストそれ自体から読者をいったん切り離すことによってテクスト中の言及や個々の風景を対象化する。その結果として何が起こるかというと、アウステルリッツが幻視する歴史の悲劇的な諸様相がさながら亡霊のように立ち上がることになり、備えのない読者を陰鬱な気分へと導くのである。そうして再現されたドイツ軍占領下のプラハは悲痛で満たされ、テレジンに置かれたユダヤ人ゲットーは死の気配で満たされている。きわめてよく考慮され、よくデザインされた小説だと思う。とはいえ、意図的な対象化はリズムの形成を阻み、読者に中断を強いるので決して読みやすい本ではない。写真や図版に関して言えば、これはやはり一種の禁じ手であろう。

アウステルリッツ

Tetsuya Sato